『日本の希望』書評(3)

ゲストエッセイ
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)11月19日(金曜日)
通巻第7120号より

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「自由と民主主義は大切である。しかしそこから先が問題なのだ」
家族、民族、国民国家、ナショナリズムは自由と民主主義の敵ではない

西尾幹二『日本の希望』(徳間書店)

 約束の時間に間に合わないところだった。最初から引き込まれて半分まで読んだところで先約に気がつき、慌ただしく椅子を離れた。
 題名に「希望」とあって、一縷の望みが日本にはまだあると西尾氏は言う。
私たちが守ろうとしてきた祖国は、もはや存在しないのではないかと訝っている読者の脳幹を刺激するだろう。
現代日本は精神の曠野である。

 ものごとの本質を理解できない半藤某とかが皇室にご進講に及び、あろうことか内閣ごときが皇室典範にあれこれと口を挟む。
 日本に牙をむく中国の侵略には眼を瞑り、商売だけは続けたいと経団連につどう財界人はトランプの対中強硬策にたじろぎ、反発し、批判していた。なにしろ「人権」で中国制裁を緩めないとポーズだけは勇ましいバイデン政権だが、それを支えるウォール街とIT企業は、中国べったりでまだ儲け話があると踏んでいる。
世の中、先の読めない人だらけだ。

 「自由と民主主義は大切である。そこまでは大方の人の意見が一致する共通ラインからもしれない。しかしそこから先が問題なのだ。家族、民族、国民国家、ナショナリズムーーこれらが自由と民主主義の敵ではなく、むしろ自由と民主主義の側にあり、自由と民主主義を守り育ててきた母胎である」。
こんな基本を忘れ、家族、民族、国民国家を破壊しようとしているのがグローバリズムである。
そうだ、共産主義者が姑息に仮面としているのがグローバリズム、メディアは「新市場主義」などと持て囃す。新市場主義なるものは、左翼陰謀の隠れ蓑である。

 さて、民主主義は全知の神ではなく、次善の政治制度であり、ましてや「文化の概念ではない」。
西尾氏はこう言われる。
「日本国憲法は文化の原理である天皇の役割を冒頭に掲げ、上位概念として政治の原理を支配する文化の原理の優位を明白にしている。ならば文化の原理としての天皇の優位は何を根拠にしているのか。神話である。天孫降臨神話である。三種の神器の継承権である」。

 後鳥羽天皇は正統を求め、承久の乱を起こした。後醍醐天皇は最後まで正統を求め、戦い続けた。
ところが現代日本で教えられている歴史教科書は「縄文弥生の一万数千年を日本の歴史の始まりと定めていて、神話の格別の意味を持たせない。今なおつづく敗戦後遺症である」(17p)。
ならば中国の歴史観なるものはいったい何か。

 「唐代の韓愈は『夫れ史を為る者、人禍あらざれば、すなわち天刑あり』と言っている。歴史を書くものの身にはろくなことはおこらない」のだが、それでも史家は命がけで歴史を書いた。
孔子は魯の正史をまとめた(『春秋』)が辱められ、不遇の死を遂げた。齋の太史は殺され、司馬遷は『史記』の著して処罰を受け、『漢書』を書いた斑固も獄死している。『晋史』の王隠は誹謗されて失脚した。
 以下同様に

「北魏の国史を編纂した崔浩、『後漢書』を書いた氾華は、誅せられて一族皆殺しにされた。『魏書』の魏収は、嗣子なくして家が絶えた。齋史、梁史、陳史など多くの史書の書き手も、その身が栄達し、子孫も栄えている例があるとは聞いていない」(170p)

 歴史を叙するとはいったい何か。その行為が何を意味するかを追求したところが、本書の肯綮である。
 大病を克服中の西尾氏の最新論文集、刺激されること夥しい書物だ。
               (註「氾華」の「氾」は草冠。「華」は口篇)

「『日本の希望』書評(3)」への10件のフィードバック

  1. 一月末から三月初めまで、最後に記すやうな經緯(入院)で家を留守にした。歸宅して日録を開いてみると、完全に元のまま。最後のコメントはあきんどさんの「いつも新鮮で、誰も語ろうとしない話題に直球で臨む、大リーガー西尾幹二」(1月20日)。

    先生は全集の追ひ込みなどでお忙しくて登場されず、會員の方々も、それが淋しく、張合ひもなくて投稿しないのだらう。こちらは、暇を持て餘してゐるので、そんな事情には頓着なく、駄文を寄せる。ただし、自分の意見は少く、ほとんどは人樣の仰せをミックスしたもの。

    ①『日本の希望』には、「私が高市早苗氏を支持する理由」が收録されてゐる。「正しい歴史認識・・・」といふブログも高市支持で、かう書いてゐる。

    ーー高市早苗は「(尖閣を)実効支配し、施政権が及んでいると見せていくことは考えてもいい。常駐する方がいればより良い」、支那が工作物を設置するなど力による現状変更を行う可能性が非常に高いと指摘し、「そうさせない環境をつくっていくことが大事だ」と訴えた!
    高市早苗には、一日も早く自民党総裁(日本の総理大臣)になって、是非とも尖閣諸島への日本人常駐を実現してほしい。平成24年(2012年)12月に自公連立政権(安倍政権)が誕生したが、同月21日に早くも選挙公約に記載した「尖閣公務員常駐」を先送りし、公約を破った!私は、高市早苗の方が安倍晋三よりも公約を実行すると信じているーー

    私(池田)もさう信じたい。高市さんの方が安倍さんよりも度胸がありさうだ。それに今は概して、男より女の方が信頼できる。
    ただ、以前もここに記したが、安倍内閣時代、閣僚や黨役員を務めた時も、さうでない時も、彼女は常に安倍さんのそばにゐた(やうに見えた)。しかし安倍さんが「公約を破った!」(感嘆符は不要だらう。それが常習なのだから)り、國柄破壞に走るのを、高市さんが諫止したといふ話を聞いてゐない。大抵ニコニコしてゐたやうな氣がする。もし、さうなら俄かに彼女の言を信じることはできないが、安倍さんを激しく嚴しく責め立てたのなら、信用できるので、支持し期待する。實際のところ、彼女の態度はどうだつたのか、誰方か教へて下さらないだらうか。

    あの公約破り、根つからの賣國奴安倍さんに怒らない、大部分の坦々塾會員に、私は呆れ、見限つたが、今から顧みて、何故怒らなかつたのか、誰方か率直に語つて下さらないだらうか。「戰後レジームからの脱却」といつたスローガンに目が眩んだのだらうか。伊勢サミットの際、伊藤悠可さんは、そこを選んだ安倍さんの空疎・安つぽさを、情理を盡くして解説して下さつたが、あれを讀まれなかつたのだらうか。

    今後の參考のために、後づけでない、正直な囘顧談が望まれる。亡國提灯行列はどのやうに始まるのか・・・。もつとも安倍さんは未だ過去の人ではない。先日も、高名な評論家二人が「安倍さんの惡口を言つてはいけない」と口を揃へるのを見た。安倍さんは派閥の長だし、「核シェアリングについて、少くとも議論を避けるべきではない」などと、恥かしげもなく正論を宣ふから安倍支持もまだ惡夢との公式認定は受けてゐず、囘想は無理か。

    ②家内が時々投稿するブログを覗いてみると、最近向日葵の繪や寫眞が頻繁に載る。そして「もともとヒマワリはウクライナの国花だが、あるウクライナ人女性がロシア兵に『戦死しても花が咲くように、ポケットにヒマワリの種を入れなさい』と叱責する映像が広く共有されてから、抵抗のシンボルとして注目されるようになった。」「毎日ニュースを見聞きしながら祈って
    います 」「可哀そう」 などの文字に溢れてゐます。

    そこで、ちよいといたづらをしました。家内の名をかたつて、私が下記を投稿したのです。

    ーープーチン重病説もありますね。

    彼の歴史認識には、偏りや誤りが多分あることでしょう。大ロシア帝国とそれを引き継いだソビエト連邦。それに押えつけられ、収奪され続けた周辺諸国(衛星国)。その頸木が緩んだら、逃げ出そうとするのが当然でしょう。私など名前も覚えられないような小さな国だか地域だかまで、次々と・・・。祖国はバラバラだーーロシア愛国主義のプーチンは追い詰められていた。
    そこへ、血を分けたウクライナまで!彼はここで起たなければ破滅だと考えたーーという解説を聞いて一理ありと感じました。

    プーチンの判断は間違っていましょうが、我々が長い歴史の末端にいるという意識は正常です。
    その点日本は、過去を殆ど忘れています。政治家だけでなく、一般国民も。三寸の師匠の元師匠の有名な論文に、「滅びゆく日本へ」がありますが、中に「過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来をも失ふ」という言葉があります。我々は先人がどれほど苦労して日清・日露を勝ち抜いたか、どういう経過で第二次大戦に引きずり込まれたかーーをほぼ忘れています。

    ウクライナはNATOに入っていなかったが、日本は日米安保があるから大丈夫と言えるでしょうか。支那が尖閣、沖縄、本土に攻め込んで来た時、米国は助けてくれるでしょうか。私は多分、米本土が標的にならない限り、米国は動かないと思います。ルーズヴェルト・蒋介石のゴロツキがグルになって日本に何をしましたか。

    駐留米軍についての日米地位協定では日本は完全に属国です。奴隷の中でも最下級です。あれは講和条約と同時に結んだのだから、当時は止むを得なかったのかもしれないが、その後一度も改定されていません。我々が忘れてしまっているからです。韓米条約の方がよほどまともです。

    トランプ・安倍会談の際、大統領が成田でも羽田でもなく、横田基地に突然現われたのには驚きました。でも、テレビなどは批判しなかったのでは? 属領意識もここまで・・・。トランプも日本國民も、それが當り前と思つてゐるのでしょう。三寸が先生の「こんな國は地獄に」との御託宣に反論できない所以です。

    ウクライナより日本の立場の方がずっと危ういと私は感じます。
    もちろん、遠くで「かわいそう」と思ったり、「祈っ」たりされるのは尊いことですが、自分の国の心配はしなくてもいいのでしょうか。ーー

    ③私が40日近く家を留守にした事情については、身近の友人への報告メールを下に轉記します。

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    ○○ 樣

    この度は御心配をおかけし、申し譯ありません。何度も電話を下さり恐縮です。
    年寄りが最も警戒すべきことを、不注意にもやらかしてしまひました。老い先短い貴重な時間を浪費し、人に迷惑をかけてと、汗顏慙愧の至りです。他方、入院により、感じたこと、得たこともあり、100%無駄でもなかつたやうな氣もします。
    おかげさまで、3月3日退院・歸宅致しました。以下、簡單に經過を御報告させていただきます。

    1月25日 自宅・自室で顛倒、起き上がることも歩くことも殆どできなくなり、木挽町醫院(歌舞伎座の眞裏)に救急車で入院。レントゲン檢査の結果、腰椎骨折と判明。

    思ひきや歌舞伎座裏に春ぞ立つ 三 寸
    腰椎の折れて妖しき春の夢
    病窓に歌舞伎座迫り春の雪

    2月28日 聖路加に轉院。

    3月1日 手術。椎體形成術(セメント療法)といつて、主に骨の疵の部分に合成樹脂を注ぎ込んで固めることによつて修復、骨の元の形と強さを取り戻さうといふ手術。 ーー醫師によるこの事前説明を聞いて、支那における腰斬といふ刑罰を聯想したりしました。術後1時間後に、病室に來た醫師から「歩いてみよ」との指示。從つたところ、 アーラ、不思議!よたよたながら、なんとか歩けました。魔法にかかつたやうな氣分で した。

    3月2日 醫師曰く 「今すぐ家に歸つてもいいのだが、折角だからもう一泊するか。修復部分については、120歳まで保證する。ただし、他の部分はその限りにあらず、轉ばぬやう呉々も注意せよ」。

    春曉の床に伸びして腰輕く

    3月3日 退院。

    桃の日の塔のクルスに別れけり

    トータル38日間の入院でした。いろいろラッキーでしたが、これも皆樣のお支へがあ ればこそと、感謝に堪へません。

    今後ともよろしくお願ひ申し上げます。御健勝を祈り上げます。

    池田 三寸
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  2. お身体、大丈夫ですか。最近、西尾先生や長谷川さんのブログでの池田節が見えないなあと少し不安に感じておりました。お話の様子では苦しいことだったようですが、長期の大病には至らなかったことが理解され、不幸中の幸いに存じます。

    さて池田さまが療養されている間に、昨今の世界の情勢、予想、イマジネーション、イデオロギーなどさまざまなレベルでの「言葉」が追い付いていかない急展開となりました。このことがもし20年前に起きたら、まだ余力のあった日本の言論界その他の言葉の力の世界は、華々しい議論を展開したことでしょう。けれど、今の日本は、言論界に限らず、「言葉が失われた世界」だということを実感するのみです。

    一例をあげましょう。実名を出して恐縮ですが、保守系の評論家でやはり注目をされているのは、馬渕さんの言論で、これとだいたい同じ内容をもっていくつかの場で話されているのは軍事評論家の矢野さんあたりです。両者の議論は、ロシア(プーチン)は、グローバリズム勢力に対抗する国民国家の動きであり、ユダヤ系を中心にしたメディアにロシアの残虐さは不当に強調されている、というものです。

    確かにウクライナは西側グローバリズムの集中している場であり、大統領もユダヤ系です。プーチンが反グローバリズムというのも一理あるでしょう。しかし馬渕さんたちのロシア擁護論には、いわゆるロシア国民文化論がまったく欠けている。だから迫力はない。けどもう言論世界に有力な論客が消えたから馬渕さんが目だってしまうのではないですか。

    状況的には色々馬渕さんたちに反論をいえる。「反グローバリズム」として弁護すべきプーチンがなぜ、中国を抱き込もうとしたり、我が国の北方領土交渉の全面的な打ちきりを通告してきたのか、などなど。しかし、私が保守系に有力な陰謀論的ロシア擁護、ウクライナ非難に不満なのは、プーチンらの人となりをみる素養がない言論だからなのですよ。

    ロシアの諺に「茸と名乗ったからには篭にはいれ」という言葉があります。はじめたからには中途半端はやめよ、という意味です。ロシア(ソ連)は非常に慎重なところがあり、よほどの目算がない限り自分から軍事行動はおこさない。20世紀を例に出せば、フィンランド、ハンガリー、アフガニスタンなどに対してくらいでしょうか。よく非難される対日参戦にしても、これはヨーロッパ戦線の圧倒的優位を確保した1944年末ないし1945年春に侵攻開始してもよかったはずです。さすればアジア全域が共産化されてしまったかもしれません。しかしソ連(ロシア)は慎重にも動きませんでした。

    その慎重さの反面、侵攻後の暴発的犯罪的行動の数々はすさまじい。ポツダム宣言調印の9月2日あとでも戦争を継続していくありさまです。

    その「ロシアらしさ」は今回のウクライナ戦争にもでているわけで、私は各地で展開されているロシア軍の残虐さが、グローバリズム、ユダヤ側の誇張プロパガンダとは必ずしも思いません。ロシア人らしさということを文化論から語らないから、話がどんどん陰謀論的、イデオロギー的になっていく。

    加えて、「プーチンの狂気」なんて日本人は平板にいいますが、ロシア人には依然として非常に純粋なキリスト教思想があることを見落としています。「純粋な」ということはある段階から、たとえばドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフのような、信じられないような理念すなわち人神論に裏返ることもありうるということ。プーチンがもしキリーロフのような観念の所有者だとしたら、と考えてみるべきなのです。「キリーロフは核兵器のボタンを押すか?」の問いに、池田さんならどうお考えになりますか?

    結論的にいえば、馬渕さん流の親ロシア、親プーチンには何%かの正当性はあるかもしれませんが、私は大事なことは、ロシアという国は、プーチンに限らず、戦争をはじめた理由が反グローバリズムだろうがなんだろうが、途中から、世界全土を不毛にするのも厭わないような「果てしなさ」があるということだと思います。だから、それなりに築いてきた日本との関係、信用も、日本が西側だから、という理由で瞬時に全破壊してしまいたした。冷静戦略的に考えるなら、西部戦線(ウクライナ、Nato)に力を注ぐために、東部では穏和策をとり日本を刺激しないようにするはずです。しかしロシア人は始めたら非合理へ歯止めが効かなくなる、という面が、その純粋さのゆえにあるのです。今の(乏しいですが)保守系内部のロシアウクライナ論にはこうした土台がまったく欠けていると思われます。

    それと今一つ、高市さんに期待をされるのはよいですが、高市さんも状況のスピードについて行けなくなっているのではないですか。確かに尖閣諸島や竹島のことでは盛んに妥当な発言をされてはきました。しかし状況は、中国・北朝鮮にロシアが加わるという形になってきています。外部の脅威は倍以上に増大したといってよいでしょう。北海道や東北の対ロシア防備はどう高市さんは考えているのでしょうか。また中国北朝鮮ではかなり低かった日本列島への全面核兵器攻撃への防備ということを高市さんはどう考えているのか。

    そして何より問題なのは、論客がいなくなったこともさることながら、コロナ禍で個に引きこもった日本人が、北方領土交渉打ちきりという超重大時にもほとんど無反応だ、ということです。ここまで精神的に引きこもってしまった日本人では高市さんだろうが誰だろうが、導くことは不可能ではないのでしょうか。

  3. 渡邊 樣

    漫論、暴論、出任せともいふべき拙文に對して、示唆に富む、丁重なお言葉を賜り、勿體ない事です。既に數囘拜讀、ずゐぶんいい勉強になりました。ただ仰せのほとんどが未知のことなので、それらが全て身に着いたとは言へず、貴文への感想を、考へつつ書くことにより、より多く自身のものにしたい。

    加へて、書き始めてみると、この作業が實に樂しい。一行書くごとに、それだけ自分が利口になつたやうな氣もします。腰の恢復途中なので、書架から一册取り出すのにも難儀をし、なかなか進みませんが、それさへ、せつかちな自分には珍しく、焦りをあまり感じません。樂しみを永く續けられる・・・。

    そんな心持でをります。ムシのいい申しやうですが、あと數日なり一ヶ月なり、それを 滿喫して、一通り書き了へたら、ここに投稿するーーといふことに致したく、御諒承下さるやうお願ひ申し上げます。

    御厚意に重ねて御禮申上げ、御健勝を祈り上げます。

  4. 渡邊 樣

    貴論からは教へられることばかりですが、一點だけ、おや?私の認識とこれは違ふ、ど ういふことなのだらうと疑問を感じた箇所がありました。まづ、それを申します。最後の

    「コロナ禍で個に引きこもった日本人が、北方領土交渉打ちきりという超重大時にもほ とんど無反応だ、ということです」の部分です。

    不勉強のせゐでせう、”北方領土交渉” は安倍總理大臣の遊戲・レクレーションの場としてのみ有用で、日本にプラスになる、まともなやりとりが行はれたといふ例を聞いたことがないのです。「領土は戰爭の結果で決まるものだ」といふのが先方の考へである 以上、勝手に打ち切られても、こちらの痛みにも痒みにも變化はないのではないか。超 重大時との實感は私にはなくーー自身では、それが必ずしも「引きこもり」のせゐとは自覺してゐません。

    領土といへば、今度のウクライナ侵攻が慘敗に終り、ロシア國内が目茶苦茶・大混亂に 陷れば、それが日露間の戰爭の結果ではなくとも、日本としては、北方領 土について、 つけ込む場面が出てくるかもしれない(その可能性は低くとも)などと、ちらと考へてをります。やはり、料簡違ひでせうか。アドヴァイスをお願ひします。

    脱線しますが、今から6年前(2016年)、安倍總理は「今年は一年がかりで、領土問題に取り組む」とか宣言しましたね。これだけでも、安倍さんの利口でないことは明かです。相手のあることに、手の内だか心の内だかを前以て知らせるべきではない。さういふ時 こそ、 領土にはさして重點を置いてゐないやうな顏をすべきだ。市井の庶民の驅け引きでも、 そのくらゐの智慧は働かせます。

    そして、2囘目か3囘目の交渉のあと、「以前とは違ふ、新しい感覺でやつてきて、いい手應へを感じてゐる」と言ひました。いい手應へ!!そんなものがあるなら、墓場まで持つてゆくか、少くとも、政界引退後のメモワールまでは明かすべきではない。交渉中の案件について得々と!疾うに見限つてゐましたが、安倍さんには如何なる藥も效かないと いふ思ひは、私の心を暗くしました。自分にも愛國心はあつたのでせう。

    そして、同年12月15日、安倍さんの地元 山口縣長門市の高級旅館「大谷山荘」で、 その年最後の日露首腦會談が開かれ、「VIPの訪問に、地元は歓迎ムードとなりました」。プーチンは5時間だか遲刻。そして、共同聲明では領土問題などには觸れず、日露經濟協力に中身がすり替つてゐました。ロシアの筋書きどほりでせう。

    流石の安倍さんも、これはまづいと感じたの でせう、テレビ局を幾つか廻つて辯解しようとしました。表情も固かつた。ところが、最初の局で、宮根とかいふ司會者が「總理、あんな風に發表されたが、實際は二人の間で、 領土がいつ返ると、話がついてゐるのでせう」と阿諛だか、本氣だか、持ちかける始末。 安倍さんは「そんなことは言へない」と、滿更でもない、したり顏。これで、すつかり生き返つたやうに元氣に。「如何なる國民も、自分たちのレベル以上の政治家を持ち得ない」 といふ箴言を思ひ出しました。まさか宮根といふ男が代表し得るほど、日本國民がお粗末とは思ひませんが。この日録に「プーチンは、”ああ、いい湯だつた”と滿足して歸つたらう」と私が書いたのを覺えてゐます。

    「プーチンとの會談は15囘目だ。これだけのことが出來るのは、世界中で安倍さんだ けだ」と、チャンネル櫻の水島社長が評したのは、これより前か。囘數多きが故に尊し なのでせう。水島社長「安倍さんは、世界の要人と亙りあつてゐる」 西尾先生「亙りあつてなどゐない。馬鹿にされてゐるだけだ」 水島「あれ、先生、左翼みたい」といふ問答もありました。最近、私は見ないが、水島社長は反安倍の由。ベッタリだつた安倍さ んを、コロナ以降口汚く罵り始めたらしい。

    プーチンが神妙らしい表情で、安倍さんと向き合ふのを見ると、プーさん、吹き出しも せず、可笑しさを腹の中に收めておくのは大變だらうと想像しました。安倍さんがトル コのエルドアン大統領(當時は首相)に、プーチンとの仲を取り持たうと申し出て斷られた との新聞報道(眞僞は分らないが)には、苦笑しつつ赤面しました。

    實際安倍さ んは外遊が好きだつた。地球儀俯瞰外交とか稱して、ことごとに出かけた。 そして、要 人と握手 ・乾杯・記念撮影をして歸つて來れば、加瀬英明氏(つくる會教科書の出版元の社長?)などの外交評論家が「これぞ、安倍外交!」と襃めそやしてくれ る(加瀬 さんによる ”安倍外交”の中身についての論評に、私は接したことがない)。安倍さんとすれば、これ ほど樂しいことはなかつたでせう。

    しつこくて恐縮ですが、安倍さんについて、もう一點だけ、『日本の希望』に收められてゐる「安倍晉三と國家の命運」(『正論』2020年7月號)に、西尾先生はかうお書きになりました。

    「日本国民がトランプにどうしても問い質さねばならない最重要の問いは放置されたま まである。すなわち米国は北朝鮮の核の脅威が具体的にレッドラインを越えたときに反撃すると早くから公言し、大陸間弾道弾が米大陸に届かないことを以て、国内の選挙民を納得させている。しかし日本列島はとうの昔にレッドラインを越えているのだ。日本は丸裸である。そのことをどうしてくれるのか、安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか。そしてその答えが日本の核武装のすすめだったのか否か。そのあたりの論理をはっきりさせて欲しい」。

    これに對して、私はここに感想を記しました。「『安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか』確認したことはないが、なささうにる。さういふ點を詰めるといふことに、安倍さんはそぐはないやうな氣がする。トランプに好かれる理由も、そんな面倒なことを持ち出さないからではないか。その答如何で、日本の核武裝か否かの『論理』をはつきりーーとは、誰にも反對のしやうのない、筋道の通つた要求だが、安倍さんの最も苦手とするところではないか。失禮ながら、安倍さんに、その論理を理解する能力があるのか、私には疑問だ。

    筋を立てて交渉して詰め、その結果によつて決斷する。決斷の遲れが致命傷になる場合 もあるが、早過ぎて不首尾にといふこともあるだらう。安倍さんにお願ひするのなら、何も結論は出さず、決斷もせず、何も考へない、そしてトランプを怒らせないといふ今の行き方がベストではないか。あの人に正しい結論や決斷を期待する方が無理だ。下手に、變な決斷をされて、とんでもないことになるより、無爲の方がマシではないか。もちろん、無爲即ち地獄墮ちの可能性も小さくはないが。それをも避けたいのなら、安倍さんに退場してもらはねばならない・・・」。我ながら、ずゐぶん遠慮しがちに書いたものです。

    この「教養のない」(西尾先生の評)安倍さんの頓珍漢ぶりを、賤業保守のバイタみたいな櫻井よしこなどが絶讚し、自身の商賣も殷賑を極めるーーどう見ても、天下の奇觀といふほかなく、今も似た状況ではないでせうか。

    以上、長々と脇道に逸れてすみません(できれば、貴兄のやうな大言論人に公けの場で、 上記の奇觀について、總括していただきたいといふ下心のせゐもありますが。それなくして、日本の頽落は止らないでせう)。ここから、ぢかに、貴論の「日本の言論界」に繋げます。

    「もし20年前に起きたら、まだ余力のあった日本の言論界その他の言葉の力の世界は、華 々しい議論を展開したことでしょう。けれど、今の日本は、言論界に限らず、『言葉が失われた世界』だということを実感するのみです」との仰せは、上記の西尾論文の

    「この国にはある種の狂気が支配している。狂気は静かな顔をしている。決して闘争的ではない。沈黙の隣りの席に坐っていて、神経症と握手している。しかししつこくとぐろを巻いて人心を締めつけるので、 ある意味でとどろく雷鳴より手に負えない」に通底するものでせうか。さうなら、私はこの部分を、實感を以ては受け止められなかつたので、恐縮ですが、噛 み碎いた解説をお願ひできないでせうか。想像で結構ですから、20年前なら、たとへば、誰がどういふ論陣を張つたのではないか、といふ風に・・・。

    私は「言論界」にも通じてゐません。前にも書きましたが、坦々塾入會直後に、保守言論界について、事務局長の口答試問を受け、あまりの無知に呆れられました。60年安保では、あのワッショイワッショイにかなり腹を立ててゐましたが、今も印象深く覺えてゐるのは福田恆存の「やがて雲散霧消する烏合の衆」といふ、鶴の一聲だけでせうか。70年安保についての「言論」には特段の記憶はなく、三島由紀夫の割腹前に、ワッショイは既にポシャツてゐたことと、何十年後かに、それを西尾先生が「三島は振り上げた拳のもって行き場がなかつた」と評されたことくらゐを知つてゐるのみです。

    矢野 義昭氏といふ軍事評論家については名前も知りませんでした。馬淵睦夫さんは、私が入會を許された際、坦々塾の常連でいらしたから、ある程度存じ上げてゐます。前・駐ウクライナ兼モルドバ大使、防衛大学校教授といふ肩書きだつたと記憶します。休憩時間に、馬淵さんにユダヤ人の起源について質問し、有益な示唆をいただいたこともあります。

    どういふ場面で聞いたのか、馬淵さんがウクライナ領内のロシア人に同情的なのも、當時から知つてゐました。無理やり押し入つたのではなく、歴史的に自然な經緯で住むことになつた、さういふロシア人が迫害されてゐるーーそんな論據だつたでせうか。

    「スパイと言はれるから、これ以上ロシア擁護はしない」、そんな冗談も言はれましたね。ひよつとすると、「戰後70年談話」がテーマで、指定スピーカーの中で、渡邊さんがただ一人、これを眞つ向から批判された際、馬淵さんはフロアーから發言されたのでしたか。さうだとすると、安倍總理談話とどう結びつくのか(談話を否定はされませんでしたが)分りませんが、貴兄に御記憶があれば、お教へを。

    馬淵さん一人による講話もありましたね。テーマは忘れましたが、「今後は、日米韓vs中露北(朝鮮)→日露北vs米中韓に組み合せを變へるべきだ」との説に拍手したのは覺えてゐますが、翌日思ひ出すと、なんのことやら、さつぱり分らなくなりました。覺えていらつしやいますか。

    チャンネル櫻などに出演されたのは何度か見ましたが、退院後は全然見かけません。元大使といふことで思ひ出すことはありましたが、格別の見識ありとも思はれないので、特に探しもしませんでした。「馬渕さんたちのロシア擁護論には、いわゆるロシア国民文化論がまったく欠けている。だから迫力はない。けれど、もう言論世界に有力な論客が消えたから馬渕さんが目だ
    ってしまうのではないですか」ーーそのとほりでせうね。しかとは知らないが、馬淵さんの言に文化論的ニュアンスを感じたことはありません。「私が保守系に有力な陰謀論的ロシア擁護、ウクライナ非難に不満なのは、プーチンらの人となりをみる素養がない言論だからなのですよ」ーーこれはよく分るやうな氣がします。

    ロシア人の「非常に純粋なキリスト教思想」に思ひを致すことは彼等には到底無理でせう。だから、イデオロギー的に解釋するしかない。

    「ロシア(ソ連)は非常に慎重なところがあり、よほどの目算がない限り自分から軍事行動はおこさない」「よく非難される対日参戦にしても、これはヨーロッパ戦線の圧倒的優位を確保した1944年末ないし1945年春に侵攻開始してもよかったはずです。さすればアジア全域が共産化されてしまったかもしれません。しかしソ連(ロシア)は慎重にも動きませんでした。その慎重さの反面、侵攻後の暴発的犯罪的行動の数々はすさまじい。ポツダム宣言調印の9月2日あとでも戦争を継続していくありさまです」ーーこの仰せには目から鱗の思ひです。私はソ聯の參戰のタイミングに舌を卷いてゐました。「アジア全域が共産化」など、思ひも至りませんでした。これは大きい。ここを拜讀しただけでも、數段成長したやうな氣になりました。

    ただし私も、”保守系”の人々同樣、さういふロシア人の魂にしかと觸れ得たことは殆どない。さいはひドストエフスキーの五作品は、『罪と罰』以外全部讀んでゐます。『罪と罰』も發足間もない雲で上演される際、脚本を讀んで、芥川比呂志演じる豫審判事ポルフィーリーの科白の一部を諳んじてゐます。ただ、時が經つて忘れたのかもしれませんが、ロシア人の心に、我々とはずゐぶん違ふなとは感じても、強烈なショックとまではゆかなかつたやうな氣がします。ロシア文學で、最も愛好したのはゴーゴリーの戲曲『檢察官』です。これは面白かつた。私の仕事の相手が役人で、出張が多かつたので、中央・地方の問題は身近かだつたのでせう(自分が地方役人に對して、
    中央の情勢を得々と説いて聞かせたとまでは思ひたくありませんが)。その點はロシアも日本も同じだと感じました。

    たつたそれだけのことであり、且つ小林秀雄のドストエフスキー論は、初めから、齒が立たないと決めて手に取らなかつたーーにもかかはらず、。「キリーロフは核兵器のボタンを押すか?」との御下問があれば、” Yes. ”とお答へします。30%は上記のお言葉の影響です。キリーロフ曰く「いまの人間はまだ人間ぢやない。幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。生きてゐても、生きてゐなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。苦痛と恐怖に打ち勝つ者が、みづから神になる。そしてあの神はゐなくなる」ーー私には十分意味が理解できませんが、「途中から、世界全土を不毛にするのも厭わないような『果てしなさ』」に通じるやうにも思はれま
    す。

    ここで、全然無關係ではありませんが、餘談を2件。
    ①鈴木敏明さんの『大東亞戰爭は、アメリカが惡い』の中の、ドイツのバルバロッサ作戰(1941年)に關聯する部分に對して、次の感想を書きました。
    「『松岡外相は、昭和天皇にソ聯を撃たうと提案した』ことには全面的に贊成です。そして、天皇がこれをしりぞけたことを『最惡の決斷』とされる貴論に贊成なことは申すまでもありません」。
    ②滿鐵→滿洲重工→獨立と滿洲で働いた男が、關東軍總指令部への第4軍司令官からの「ソ聯軍(8月)3日に作戰準備完了」との報告を洩れ聞いて、攻撃4日前の8月4日、全從業員と共に内地に引き揚げた話を、小説仕立てで書きました(昨年)。關東軍全體としては、侵攻は九月以降と見てゐたさうです。ロシア人の愼重なことを知り過ぎてゐたのでせうか。

    最後に「高市さんも状況のスピードについて行けなくなっているのではないですか」ーー多分 さうでせうね。彼女を支持する元總理には、状況もスピードも無關係でしたが。彼女には當然、それらへのセンスに加へて、元總理に殆どなかつた智慧と度胸が求められますね。更に加へて、新事態へのキャッチアップも必須で、容易なことではありませんね。

    ありがたうございました。またお教へを。

  5. まず北方領土問題に関して私の考えを補足しますと、確かにロシア側は力の論理が第一で、安倍さんの領土交渉宣言は空理空論だったことはおっしゃる通りですが、ナントカにも三分の理で、ロシアは日本だけでなく、膨張主義の過去と被害妄想的な防衛思考のために、フィンランド、バルト三国、ドイツ、トルコ、中国など様々な国と領土問題をかかえているという点をまずおさえておく必要があります。

    私が大好きなロシア・ジョーク集に、「ついに、プーチンが北方領土返還を決意した。すると数時間後からプーチンの執務室に、フィンランド、ドイツ、トルコ、エストニア、中国の国々の首脳から「うちのところの領土返還の件もよろしく!」と一斉に電話がなり始めた」という一句があります。領土問題はロシアの持病みたいなもので、そんな持病もちに対して、なんとか継続交渉の場を有していた日本はこれら苦しめられた国々よりまだしもよい方だ、というふうな視点もありえます。

    フィンランドを例にとれば、フィンランドはカレリア地区を冬戦争によるロシア(ソ連)の侵攻により略奪され、第二次大戦中は一時的に回復したものの、大戦後はロシアに引き戻され、返還交渉の場さえないありさまです。あるいは旧ドイツ領で、哲学者カントゆかりの場のカリーニングラードなんて、返還の可能性はまずゼロですよね。

    そんな北方領土交渉でも、戦後何度かロシアが日本のシベリア開発支援など次第で動きそうな気配はないわけではなかった。けどその度に外務省の不手際不作為でつぶれたというのが定説です。でもうまくいかなかったのは、政治家と国民の認識不足にも原因があると思います。ロシアという国の「持病」を理解しないこと、そして外交を「力の論理」でおこなうロシアの性格を理解しないと絶対に見間違います。

    たとえば、ソ連を巧みに利用しようと考えた松岡洋右の外交戦略が歴史上ありました。松岡外交にも問題はたくさんありますが、安倍外交よりよほど優れているのは、松岡は、日本および世界のパワーバランスに乗ってソ連を利することを考えていたわけで、三国同盟にソ連を引き入れる「親ソ派」から一晩にして「北進論」に豹変をみせた。こうした豹変が、「力の外交」では何より大事だと思うのですよ。

    松岡は、それまでの三国同盟+ソ連の対米英へのパワーバランスから、独ソ戦争開始の瞬間、その段階ではまだなかったアメリカとソ連が結ぶ可能性=世界のパワーバランスを素早く計算し直したのです。比べて安倍さんは日ロ間の「友好ムード」を高めれば返還交渉は進展する、という平和的日本人思考でやって、もちろん何も成果なく終わった、というだけのむなしい対ロシア外交だったわけです。端的にいえば子供じみてますが、それに拍手していた面々は本当の子供というべきでしょうか。

    少し話を戻すと、それでも継続交渉の場をもちつづけられたことはフィンランドやドイツに比べたらずっと幸いなことで、これはロシアが日本の潜在的な軍事力を認めていたからです。だから、「力の論理」的思考からも、継続交渉の場があることには多分に意味があった。それがなくなったことはもうあとは戦争しか手段が限定されたことになります。「最初から返還には戦争しかないんだよ」という人もいるでしょうが、じゃあ、ロシアへの領土返還戦争をどうプランニングするのか、議論はどうすすめていくのか。

    寡聞にして私は領土返還のための対ロシア戦争計画論をとりあげる文献や雑誌論文を知りません。あったら教えていただきたいですね。交渉打ちきりにより「戦争が唯一の手段」の可能性はますます高まったはずですが、実はこうした強硬派も何も考えていないから、領土打ちきりにも何の感慨も抱かないのではないですか。たとえば、対ロシア戦争計画が日本国内で有力になるという圧迫感自体が、継続交渉での返還交渉の「武器」になる、というのがロシア外交の意味なのではないでしょうかね。強硬になる、というのは単に主張が強硬なだけではダメで、もっとも緻密で冷静でなければならないことだと思います。

    もちろん日本側の多数は継続交渉を変に平和的返還の可能性のやりとりの場だと思いこんでいたのかもしれませんが、そんな平和的日本人にも巨大な衝撃はあったはずです。返還交渉なしでどうやって「交渉」するのか。だいたい、安倍さんと安倍さんシンパはこの打ちきりをどう考えているのか。本当に返還してほしいという気持ちがあるのでしょうか。私にはやはり理解不可能な「引きこもり」が日本人を支配しているがゆえのこの沈黙、としか考えられないです。

    20年前の世界の論客だったら、といえば、ほんの一例ですが、小室直樹さんはなかなかのロシア通であり、日本的常識にとらわれない思考を有していました。実はロシア人の慎重さ、そして大事をはじめてからの歯止めのなさといったロシア論も小室さんから学んだことなんですよね。

    比べて、馬渕さんのロシア論の危うさというのは、彼はグローバルユダヤ陰謀論が強すぎ、その原理からみんな世界の事象をみることから来ていることに由来するようにみえる。小室さんにあった歴史学・経済学・文化論といった「学問」抜きだから分析が浅くなってしまうのではないですか。

    池田さんがおっしゃった馬渕さんの坦々塾での講演でも、私がドキリとしたのは、「北朝鮮の拉致はアメリカの陰謀だ」みたいなことを彼が言いかけたことです。つまりグローバルユダヤが日本のナショナリズムを破砕しようとする陰謀があるから、という意味なんでしょうが、これは小説としては面白いですが、現状分析としてはお話しにならないのではないですか。どう考えても、北朝鮮のバックにいるのはロシアですよ。

    あるいは馬渕さんは「プーチンが習近平と握手したときの顔をみればわかるじゃないですか。プーチンは習近平が嫌いで仕方ないという顔をしてましたよ」といって、ロシア中国不仲論を唱えてましたが、不仲かどうかは別にして、この論は議論とはいえない感情論で、なんでこんな親プーチンの感情論が彼の口から出てくるかというと、「プーチンは反ユダヤグローバリズムの急先鋒で、反中国だ」というこれまた陰謀論的な原理から単純に割り出されるお話しだからです。

    「陰謀」は確かにあるでしょう。でも「陰謀がある」ことと「陰謀論的思考」には膨大な距離があります。「世界を語る」ためには、こうした原理的な思考だけではとても足りないと思いますね。ついでにいえば、外交官出身の論者には、岡崎久彦さんもそうですが、文化論抜きにした原理的な浅い議論の持ち主が多いように思います。でもこうした陰謀論的原理の話はなかなか受けがいいし売れます。単純明快だしミステリアスだし、ドストエフスキーやゴーゴリやトルストイを引用して考えなければならないような面倒臭さはないですからね(笑)

    最後に今一つ、ロシアの大混乱が、北方領土返還にむすびつくとかんがえる池田さんのお考え、やや甘いと思います。ロシアの政情パターンは、たとえ対ウクライナ敗戦によりプーチンが失脚なり暗殺される段階になっても、より「エスカレート」する、と感じます。つまりもっと過激な政権ができて、領土返還からさらに遠ざかるのではないかと思いますね。つまり「キリーロフは北方領土を返還するか」という問いを池田さんにいたしたく思います(笑)

  6. 渡邊 樣

    いやはや、恐れ入りました。喜んで、仰せの全てに服します(全面降參)。かかる質の 高い議論に身近に接せられるしあはせ!感謝に堪へません。以下、降參の辯を簡單に申します。

    なるほど、「たとえ対ウクライナ敗戦によりプーチンが失脚なり暗殺される段階になって も、より『エスカレート』する、と感じます。つまりもっと過激な政権ができて、領土返還からさらに遠ざかるのではないか」ですか。「つけ込む場面が出てくるかもしれない」なぞは甘いですね。エリツィン→プーチンの際は、プーチンが歐米に對して宥和的で、ずゐぶん讓つた記憶があつたので、微かにそんな考へが起きたのですが、あの時でさへ、殆ど問題に ならなかつた北方領土が、20年を經て、プーチンが(見かけは一應)強氣な今ごろ、日本に有利にといふことは考へにくいですね。それに、プーチンは政權を禪讓されたのですが、今後劇的な政變があつた場合は、行きがかり上、あとの者は一層強硬になる可能性の方が強いですねーーと、考へを改めておいて、キリーロフについての御質問には、最後 にお答へします。

    貴説に服するだけですから、私の答などあまり意味はありませんが、貴説の順序に從つ て、なるべく短くーー

    フィンランドは冬戰爭では、ソ聯に頑強に抵抗したにもかかはらず、國土の十分の一を割讓したのですね。ドイツのバルバロッサ作戰に伴ふ繼續戰爭と合はせると、合計何年ソ聯と戰つたことになるのでせう。そしてプラスアルファを取られたのですね。當初スターリンは2週間で併合できると目論んでゐたのださうで、とすると、今度のプーチンとウクライナに似た面もあるやうですね。

    餘談ですが、「冷戦時代にフィンランドは東欧の国々とは異なる、制限はされていても民主主義と自由主義経済を享受出来た。第二次大戦で大変な犠牲を払いながらもソ連と戦い、 ナチスドイツが降伏する前に休戦したこと」「フィンランドはソ連と友好協力相互援助条約を締結してソ連に協力することを対価に、資本主義や議会制民主主義を維持した」(ウィキペ ディア)ことを概ね承知し、その綱渡りのやうな苦勞と智慧をかなり評價してゐました。にもかかはらず、「フィンランド化」といふ言葉を、若い頃から普通に使つてゐましたが、最近youtubeで、この語はニューヨークタイムズが最初に使つた、如何にも同紙らしい”上から目線”との批判を聞いて、ハッとしました。この反省は正しいでせうか。

    カントとカリーニングラードにはぴんと來ず、これまた檢索したところ、「ケーニヒスベルク大学の哲学教授」とあり、これもハッとしました。その名なら辛うじて覺えてゐました。そしてドイツ騎士團とケーニヒスベルクの記憶も少し蘇りました。カリーニングラードなどといふ名前になつたことを知らなかつたのです。まあ私にはカント哲學なんて無縁ですが、多少の感慨
    はあります。これも餘談ですが、昨年、フランス革命をゲーテが否定的に捉へたのに對して、カントが禮讚したと聞いて少しだけカント嫌ひになつたところでした。

    北方領土交渉でも「動きそうな気配はないわけではなかった」ーーさうですか。私にはあまり感じられませんでした。なにしろ、日本の力は壓倒的だ、この件で日本の意に逆ふと大變なことになるーーといふ場面を見ませんでしたから。もちろん、「氣配」が「ないわけではなかった」ですから、微妙で、それを感じ取ることは容易ではないでせうが。

    松岡洋介の「豹變」が何より大事ですか。私が彼の「ソ聯を撃たう」といふ提案を支持するのは、實際の結末を知つてゐるので、腹立ちまぎれからの「一遍、スタ公が眞つ青になるのを見たかつた!」といふ、幼稚園兒竝みの感情論ですが。

    安倍さんの「『友好ムード』を高めれば返還交渉は進展する」は「平和的日本人思考」ですか。「それに拍手していた面々は本当の子供」ですか。とすると、我々の將來は明るくないですね。などと、わざとらしく、貴兄のやうな大先生にお訊ねするまでもない。私にも、それくらゐの状況は讀めます。

    西尾先生の御紹介で、故Bruxelles(坦ケ眞理子)女史を知り、御指導を受けましたが、「自分は安倍批判により、ほとんどの友人を失つた。あなたは大概にした方がいい」といふのが、彼女からのアドヴァイスでした。なあに、私にはそんな友人はゐませんと答へておきましたが、安倍さ
    んを罵つて追ひ出されたり、白い目で見られたり、冷たくあしらはれたことは屡々ありました。西尾先生でさへ、”保守”系の集まりで安倍批判をして「お前は左翼か」といつた目で見られたさうですから、時の勢ひで、止むを得ませんね。こちらも「友人」などと思つてゐないから、どうといふことはありません。

    我が坦々塾も、ほとんどの人が「平和的日本人思考」ではないでせうか。中でジャンヌダルクのごとく振舞つてゐる人は、嘗て中核派主導の暴動に加はりましたが、先年、行政當局に對して、反日的行事反對の申入れをする彼女の顏を見て、誰かに似てゐると思ひました。そして、それは反戰詩を朗讀する吉永小百合の表情でした。自らに醉ひしいれたやうに、うつとりとしてゐます。要するに、反戰でも、反・反日行事でも(更には、中核派の反沖繩返還協定でも)、なんでもいいのですね。自分の行爲は善だ、神聖な流れに乗つてゐるのだと思ひ込んで陶醉さへできれば・・・。その中で、小百合ちやんのやうに、生涯、反戰オンリーで通す人は珍しい。

    全てが「平和的」に落ち着くのは當然でせうが、結論だけでも、無教養な安倍式ではなく、少しはマシな、國のためになるものにする智慧はないものでせうか。

    「返還交渉なしでどうやって『交渉』するのか。だいたい、安倍さんと安倍さんシンパはこの打ちきりをどう考えているのか」ーーこれは、どちらも一切考へてゐないと斷言できます。そして、それを恥とする神經があるなら、彼等が今ごろ、人中に顏出しできる筈がありません。彼等にはコロナなど無關係です。

    60年安保以來、かういふ人種を見てきましたが、福田恆存が「やがて雲散霧消する烏合の衆」と呼んだとほり、彼等はワーッが終るとケロリです。何事もなかつた如く世に出て、中には官界に這入り事務次官にまで昇りつめた者もゐます。教科書運動だの反・反日運動だのは、雲散したあとの、一時的新レクレーションに過ぎません。考へ拔いた擧句に、心の内奧から出たーーといふわけではないから、いつでも自由自在に移動できます。

    有史以來、「烏合の衆」とはさういふものでせう。散らばつてゐる時は、さして問題はないが、固まつて「衆」になると、力を發揮することがあります。仲間の樺美智子を踏み殺すに止まらず、國家社會に害をなす。從つて、彼等をプラスの方へ操るやう、心ある爲政者は意を用ゐた筈ですが、その巧みな例を、歴史を振り返つて講義していただけませんか。

    私が知るのは、日清戰爭の際の陸奧宗光外務大臣ですが、これは、既にワーッとなつてからの”輿論”を利用したのです。”輿論”は、陸奧の最も輕蔑した筈のものですが、自分に都合がよければ・・・。

    陸奧曰く「我國朝野の議論實に翕然一致し其言ふ所を聽くに概ね朝鮮我隣邦なり我國は多少の艱難に際會するも隣邦の友誼に對して之を扶助するは義侠國たる帝國として之を避くべからずと云はざるなく其後兩國已に交戰に及びし時に及では我國は強をを抑へ弱を扶け仁義の師を起すものなりと云ひ殆ど成敗の數を度外視し之一點の外交問題を以て宛かも政治的必要よりも寧ろ道義的必要より出でたるものの如き見解を下したり」「社會凡俗の輿論と稱する所謂弱を扶け強を抑ゆるの義侠論に外ならざりき」「余は固より朝鮮内政の改革を以て政治的必要の外何等の意味なきものとせり亦毫も義侠を精神として十字軍を興すの必要を視ざりし」「我國朝野の議論が如何なる事情源因に基きたるか如きは之を問ふに及ばず兔に角之一致協同を見たるの頗る内外に對して都合好きを認めたり余は之好題目を假り已に一囘破裂したる日清兩國の關係を再び調和し得べきか若又終に之を調和する能はずとせば、寧ろ因つて以て破裂の機を促迫すべきか兔も角も陰々たる曇天をを一變して一大強雨を降らすか一大快晴を得るかの風雨針として之を利用せむと欲したり」。

    陸奥は清を討ちたくて疼いてゐました。清にはお気の毒様と言ふ外ないが、かかる外務大臣を持ち得た日本國民のしあはせを思はざるを得ません。こんな時代もあつたのですね。

    陸奧はワーッの結果に乘じたのですが、バラバラだつたのを、ワーッまで持ち込んだ優秀な政治家をお教へ下さい。ヒトラーなども、それに近かつたのかもしれませんが、できれば、もつとマシな結末だつたものを・・・。

    「交渉打ちきりにより『戦争が唯一の手段』の可能性はますます高まったはずですが、実はこうした強硬派も何も考えていないから、領土打ちきりにも何の感慨も抱かないのではないですか」ーー圖星ですね。私自身、戰爭で勝つか、それと同じやうな状況になるしか取り戻せないと思つてゐて、後者については昔、二つ三つリストアップしてみたことがありますが、どれも夢みたいなことで、馬鹿らしくなつて、疾うに放念しました。つまり、「何も考えてい」ません。

    ただし、仰せの「たとえば」以下に、私は刺戟され、興味をおぼえます。「対ロシア戦争計画が日本国内で有力になるという圧迫感自体が、継続交渉での返還交渉の『武器』になる、というのがロシア外交の意味」ーーこれは戰爭に準じるものだから、武器になることは間違ひありません。「戦争計
    画による圧迫感自体」がどれくらゐある(あつた)か知りませんが、少くとも、今度の件に、それが減じる要素はありませんから、今後は〈壓迫感+制裁〉なつて、これまで以上に、武器になりさうなのに、いきなり交渉打ち切りとは、どちらでも、問題外の輕さだからでせうか。「単に主張が強硬なだけではダメで、もっとも緻密で冷静でなければならない」ので、ここで足し算をしてゐるやうでは話にならない・・・。「日本はこれら苦しめられた国々よりまだしもよい方」だつたのには、「壓迫感」の他に、日本がロシアに好かれてゐた(馬鹿にされてゐたといふ意味も含めて)といふ要素もあつたのでせうか。できれば、渡邊理論をもう少し噛み碎いて、お聞かせいただけないでせうか。

    「馬渕さんのロシア論の危うさというのは、彼はグローバルユダヤ陰謀論が強すぎ、その原理からみんな世界の事象をみることから来ていることに由来するようにみえる。小室さんにあった歴史学・経済学・文化論といった『学問』抜きだから分析が浅くなってしまう」

    この貴論から、自分の迂闊さに氣づいたことが2點あります。
    ①馬淵さんが「ユダヤ陰謀論」だとは氣づきませんでした。その講演を聞いたり、直接お話したにもかかはらず。ですから、休憩時に、私はまづ、馬淵さんに、自身の久しいユダヤ憧憬と、數年前のイスラエル旅行以來いよいよ彼地への傾倒が強まつてゐることを語つた上で、ユダヤ人の起源をお尋ねしました。これに對して、もちろんハランなどより古い、發祥の地が東歐にある(無論アシュケナージとは別)ことと、その關係の本を教へて下さつたやうな氣がします。メモを取らなかつたので、すべて忘れてしまひましたが。
    ②前囘申し忘れましたが、つくる會の石原隆夫さんから、馬淵さんの著書について、「議論は面白いが、全て論證拔きだ」と言はれたことがあります。馬淵本を讀んだことがなく、しかし講演についての若干の感想はあるので、「さうでせうね」と曖昧に答へておきました。今、「學問拔き」といふ仰せから、「論證拔き」を思ひ出し、しばし笑ひが止りません。

    この石原説を、やはりユダヤ陰謀論のNさんに對して請賣りしたことがあります。「論證拔きのやうですが」と、自説とも人の説とも取れるやうな口調で。馬淵贔屓でもあるらしいNさんから、「例へば、どんな點が?」と訊かれ、慌てて「全てではないでせうか」と答へました。御承知でせうが、Nさんのユダヤ陰謀論は、かなり微に入り細を穿つてゐます。

    福地先生とメールで「シオンの議定書」の眞贋談義をしたこともあります。先生の「本物でせう」に對して、こちらは「勉強不足で分りません」と應じるのみでした。氣分としては、贋物と申したくとも、檢索すると、「眞贋論爭」は汗牛充棟で、とても私などの手に負へる代物ではありません。

    「馬渕さんの坦々塾での講演でも、私がドキリとしたのは、『北朝鮮の拉致はアメリカの陰謀だ』みたいなことを彼が言いかけたことです。つまりグローバルユダヤが日本のナショナリズムを破砕しようとする陰謀があるから、という意味なんでしょうが、これは小説としては面白いですが、現状分析としてはお話しにならないのではないですか。どう考えても、北朝鮮のバックにいるのはロシアですよ」

    この貴論には、私が”ドキリ”とし、赤面しました。私は「拍手した」が、「翌日思ひ出すと、なんのことやら、さつぱり分らなくな」つたと書き、それに嘘はないつもりですが、北朝鮮のことも覺えてゐるとすると、100%理解できなかつたとは逃げられないかもしれません。ともかく、”ドキリ”と”拍手”で
    は、渡邊さんと私の間には雲泥の差がありますね。私には、仲間を踏み殺すやうな烏合の衆に加はる素質もありさうです。

    「外交官出身の論者には、岡崎久彦さんもそうですが、文化論抜きにした原理的な浅い議論の持ち主が多いように思います。でもこうした陰謀論的原理の話はなかなか受けがいいし売れます。単純明快だしミステリアスだし、ドストエフスキーやゴーゴリやトルストイを引用して考えなければならないような面倒臭さはないですからね」

    なるほど、岡崎さんもさうでしたか。西尾先生があれほど岡崎さんを嫌はれた本當の理由が、いま初めて分つたやうな氣がします。教科書無斷書き換へや、西尾先生の留守に岡崎さんがつくる會に現れて、留守部隊に訓戒を與へるといつた次元のことではないのですね。西尾先生は宏量で、私などがふしぎに思ふほど、樣々な人を近づけられますが、逆に、なぜ?と首を傾げるほど、厭悪される人もゐますね。その一人について、渡邊さんのおかげで、得心がゆきました。

    關聯して、笑ひ話を一つ。我が國語の師匠 故萩野貞樹先生に、「先生は西尾幹二vs岡崎久彦の對立・反目にどう對處してをられますか」とお尋ねしたことがあります。

    私は『日本語を知らない俳人たち』を上梓したあと、誘はれて、「文語の苑」といふ團體の會員になりました。「文語が廃れないことを目指して活動する」といふ目標が掲げられてゐましたが、それは當然歴史的假名遣ひの「廃れないこと」をも含みませう。しかし、そんなことよりも、私にとつて最大のメリットは、會員になれば、萩野先生に定期的にお目にかかれることでした。先生は役員でいらつしやり、會長は岡崎久彦さんでした。目論み通り、メリットは十分に享受したし、岡崎さんと歡談する機會もありました。そして會長・役員(理事?)として、岡崎・萩野は、犬猿の仲とまではゆかないと感じました。

    そこで、上記の質問になつたわけです。メールでのお答は「二人の反目は感情の域にまで達してゐます。御承知のとほり、私は西尾チルドレンの一員です。しかし、岡崎さん達の文語の苑などとの關係をも保ち、書く機會を與へて貰はねばなりません。從つて、その對立にはかかはらないやう、”逃げて”ゐます」と、ずゐぶん具體的に書かれてゐました。

    このことを、萩野先生の歿後だつたか、御健在の時だつたか、西尾先生にお傳へしました。もちろん、笑ひ話のつもりで。その意圖のとほり、西尾先生が、アハハと笑はれた時はホッとしました。萩野先生のお別れ會は、西尾先生が主宰され、岡崎さんも出席されましたが、お二人が目を合はせるところを、私は見てゐません(當然、受附や入室の際に、挨拶は交されたでせうが)。

    キリーロフ曰く「領土は返さう。誰に?決まつてゐるぢやないか。安倍日本に對してだよ。安倍は大谷山莊で、あれほどコケにしても怒らなかつた。今度、打ち切りにしても無反應。人間としてはあり得ないことだ。『あの神』はゐなくなつた。自分は自殺して、新しい神になつたつもりだつた。ところが、あの安倍のピクリともしない態度はどうだ!自分の及ぶところではない。彼以外に神はゐない。領土も神の座も、安倍に讓ることに、自分は決めた」。

    だらだらと失禮しました。またお教へを。

  7. 保守系の運動のレクリエーションの例を言われましたが、私もレクリエーションをこなすだけの保守側の人物の方たちと何人も話してきて、そういった人物に共通しているのは、「教科書的」ということだと思うのですよ。

    たとえば、このテーマはかなり同時代的なものかもしれませんが、日本核武装論という論があります。実は核武装論は真新しいものではなく、清水幾太郎のような二昔前の論客から唱えられてきた伝統があります。この核武装論を主張する保守系運動の人物にはずいぶん出くわしてきました。

    核武装論はもちろん議論してよいし、私も賛否のディスカッションなら賛の側につきたい人間です。しかし私が出会ってきた核武装論の主張者は、例外なく「日本は核武装すべきだ」ということを言うだけの人でした。

    核武装はいいですよ。でも「核武装」にはたくさんのインフラ、ソフトウェアの面があるわけです。たとえば全面核戦争になったら世界は(自分も含めて)消滅するわけで、こうしたケースはある意味考える必要はない。けれど限定核戦争に終わり、核戦争後の世界が存在するということもあり得ます。そういったことに緻密に備えるのも核武装の範囲内のことで、だからヨーロッパやアメリカの核武装国は、人口の全体を収容できる核シェルターを有し、備蓄食糧や備蓄飲料水の問題も検討をおこなっています。だけど日本の核武装論客の大部分は「核武装すべきだ」というだけです。これは私は頭が「教科書的」で、「核武装の教科書」以外には何も考えていないからだと思います。

    同じことは保守系運動のレクリエーション全体にいえるのではないですか。「安倍支持」にしても「教科書運動」にしても「憲法改正」にしても、何かそれ以外のことを考えさせないような「教科書」があって、「教科書」が終わりの頁を迎えると、何事もなかったように平和主義的日本人に戻る、というパターンが繰り返されているようにみえる。だから私は、核武装論がウクライナ情勢の煽りを受けて今後ますます盛んになっても、賛成しながら「それがまたしてもレクリエーションではないか?」警戒もしたいんですよね。

    だけど、そうした大衆運動も規模や熱狂度が高まると、レクリエーションということでは済まないレベルになるということもまた確かですよね。60年安保の狂騒は確かに一時的なものでしたが、安倍支持とか教科書運動なんかより遥かに規模は「教科書的」を逸脱した大きな大衆の動きだったし、おっしゃるように日清戦争の際のように、それをうまく使う政治手段もあり得ます。これは、うまく使った例といえるかどうかはわかりませんが、私がちょっと思い浮かべた大衆熱狂の例は、GHQ占領期の昭和天皇の全国行幸ですね。

    昭和天皇の全国行幸については、様々な解釈があり得ます。「人間天皇」を定着させるGHQの謀だったと落胆する右派もいるかもしれません。ただ、そうした面もあるとしても、少なくとも大衆は、天皇のお姿に熱烈な歓迎を見せた。それはGHQの予想を遥かに超えるものだったといえます。

    私は謀というより、GHQは天皇と日本人を試そうとしたのだと思います。大衆の熱狂がなければ、天皇の潜在的力なぞたいしたことはなく、容易にキリスト教化できるだろうくらいの気持ちだったかもしれない。しかし、「敗戦国の元首」へのすさまじい熱狂に、驚嘆と震撼がGHQにやってきたのではないでしょうか。つまり、日本人自身は、GHQの「試し」に、「大衆の熱狂」でもって天皇皇室との結び付きの果てしない強さを見せつけたのではないか。私はこれは、「大衆の熱狂」が利用された悪くない例の一つではないかと思いますがいかがなものでしょう。

    ロシア人の日本人への好感のことも面白いテーマですよね。近代日本には何人かの親ロシア派(親ソ連派)と呼ばれる面々がいます。伊藤博文、後藤新平、松岡洋右、広田弘毅といった人々です。これに、たとえば終戦間近になりソ連に仲介依頼を考えた陸軍の一部軍人も入れる人もいるかもしれません。

    端的にいえば、ロシアは日本人に中国人より遥かに敬意を払っているといえます。なぜかといえば、近代で、判定負けとはいえ、ロシアが苦杯をなめさせられたのはクリミヤ戦争以外では日露戦争だけだからで、だからロシアはなかなか対日参戦しなかったし、北方領土だって交渉のテーブルを有してくれたわけです。ロシア人の最大の好感要素のパワーの面を、日本は歴史的にも軍事力経済力の面でも充たしてきたといえるはずです。

    このことは、「親ロシア派」の「親」の意味が、「ロシアを利用する」ということになければならない、ということになります。向こうはパワーで評価してくれているわけだから、こちらだってパワーをやり取りの土台をパワーにおかなければならない。その意味では、名前をあげた4人の歴史人物のうち、広田はやや疑問として、伊藤、後藤、松岡はきちんとこの「利用する」をふまえていた人物といえます。しかし終戦間近の陸軍はまったくそれに当てはまらない。彼らは「いま日本は追い詰めらて北方の防備もほとんど手薄だ。しかし日本はドイツと同盟したにもかかわらず、ソ連にせめこまなかったから、ソ連は日本に好感をもっているはずだ」という「友好論」で、ソ連に仲介役を期待したのです。こうした「友好論」が一番ロシア人に通用しないことをどうしてわからなかったのか。

    陸軍のこうした判断ミスが他人事(他時代事)といえないのは、同じことを、安倍さんの対ロシア「友好外交」がやってしまったことです。「友好」なんて、ロシアとの外交には何の役にもたたない。軍事にせよ経済にせよ「パワー」を利用するのがすべて、ということがいえると思います。

    皮肉なことに、陸軍が言い出したソ連仲介案に一番強く反対したが外相の東郷重徳で、彼はソ連大使の経験があったがゆえに陸軍の甘さにあきれるように反対しました。東郷いわく「ソ連・ロシアは徹頭徹尾、現実主義の国なのだ。今の日本(1945年5月)の現状でそんなことを求めるのは甘い幻想と言わざるをえない」しかし陸軍の提案に、海軍もさらにあろうことか天皇も賛意を示したので東郷は仕方なくソ連交渉を始めざるを得ませんでした。結果、東郷の言うとおりになったのは歴史が示すところです。

    ややこしいのは、ロシア人は個人レベルでは、中国人朝鮮人よりはずっと人間性が優しく豊かで、日本文化への理解や愛着もたいへん強い。また日本側も、ロシア文学は日本の近代文学に最大級の影響をもたらしましたし、音楽その他での影響も圧倒的です。でもそれは外交や軍事とはまったく別です。別ではあるんですが、それを混同してしまう日本人は意外に多い。「親ロシア派外交官」がさすがにそこまで水準が低いとは思いたくないですが、実際はどうなのか、最近はちょっとわからなくなってきました(笑)

  8. 渡邊 樣

    いつものとほり、樂しく拜讀、いい勉強になりました。
    今囘のポイントはーー「安倍支持」にしても「教科書運動」にしても「憲法改正」にしても、何かそれ以外のことを考えさせないような「教科書」があって、「教科書」が終わりの頁を迎えると、何事もなかったように平和主義的日本人に戻る、というパターンが繰り返されているようにみえるーーでせうね。私が前囘申した「彼等はワーッが終るとケロリです」にほぼ照合するのではないでせうか。

    60年安保、70年安保、さらには、その後の松本樓燒打ちその他に加はつたことを、彼 等は惡いこととは思つてゐず、隱しもしません。そして、他人事のやうにあつさりと語ります。全てはレクで、そこに心が籠つてゐなかつたからです。あの時の釣り上がつた目は 本氣だつた證明ですが、それは周圍のムードに引きずられて、本氣のつもりになつただ けで、心の内奧(彼等も人間である以上、それがないことはありますまい)の關知しないことでした。かくて、次々と、本氣の積りの、上つ面だけのレクが現れては消え・・・。それは現在の反・反日愛國運動まで續いてゐます。

    近代は、國民生活の根ざす、日常の私的な要素と、公的な社會の乖離が大きく、その格差 に皆が戸惑ふ時代ですが、西洋文明を急激に取り入れて、その尺度を以て近代社會を建設した 日本においては、この公私の差による混亂はことに激しい。戰前、東北帝大で教鞭をとつたことのあるカール・レヴィットは、これを危ぶんで、日常の、日本的感覺で暮らす私を1階、西洋の原理に基いて活動する公を2階に譬へ、兩者はどう繋がるのか、1階と2階の間の階段はどこにあるのか、と問ひましたた。私はこの説に惹かれて借用し、1階・2階論を何度も試みました。

    上記のワーッ→ケロリは全て2階でのことでせう。夢を見てゐるかのごとき他人事なのです。軍人・知識人を筆頭として、日本國民は、西洋文明の輸入が一段落し、外見上、西洋に似た社會 になると、1階(日本)・2階(西洋)の區別がつかなくなつて急激に劣化、癡呆症状を呈し始めました。これは敗戰によつても留まりませんでした。「安保(改定)は戰爭につながる」などといふ寢言は、癡呆症ゆゑでせう。今の諸現象にもそれは續いてゐます。

    清水幾太郎は、私がごもの心ついた頃、進歩的文化人代表兼平和教教祖で、從つて、私 にとつてはムシケラ以下の存在でした。彼が、その10數年前には、讀賣の論説委員などとして、戰爭を煽つたことも、調べがついてゐました。次から次へと、時季向きのものにたかる・・・。2階における夢遊病ですから、昭和55年、彼が『諸君』に「核の選擇」を書いて、”話題騷然”たる時も、また例のごとく飛び移つたなと、こちらはシラケて、覗く氣にもならず、これを評して、、福田恆存が『中央公論』に「近代日本知識人の典型清水幾太郎を論ず」を書いた時も、清水の生態は自力で研究し盡くしてある。何も福田大先生に教へて貰ふ必要はないと、讀みませんでした。

    このことは、後に、ここに、勇馬(大藏)さんとのやりとりで書きましたが、その際、一番口惜しかつたのは、勇馬さんに「『核の選擇』を堂々たる名論文だと思つた」と、 〈初めて清水を知つた〉→〈自分は若いのだ〉といふ顏をされてしまつたことです。勇馬さんは多少若くても、ほぼ同年輩と見なしてゐたのに、それで無理やり年の差を感じさせられてしまひました。一
    方、我が子よりも若い渡邊さんには、年齡差とか世代の違ひなどを全く感じないのはどうしたわけでせうか。

    例のごとく、脱線しかかりましたが、上記福田論文は福田全集に載つてゐるので、パラパラめくると、こんなエピソードが載つてゐて、勇馬さんに披露しました。
    ーー朝日記者「防衞論がかまびすしい。そこへ、あなたの『核の選擇』。スポットライトを絶えず浴びたい、との評もありますが」清水「・・・・・・そうじゃなくて、ぼくの立つている所に日が當たつてくるんだ。日なたを求めて、日陰に生きてきたわけじゃない。これは大事だと思って、そこに行けば日があたってくる」ーー
    さらにパラパラ・・・こんな評語もあります。「平和運動も、反安保鬪爭も、天皇制も、憲法第九條も、原爆も、核も、ナショナリズムも、忠誠も、氏にとつて必要とあらば、その他、何でも彼でも手當り次第、保身の小道具、自衞の爲の防禦として利用される」。これは戰後のことですが、その前の清水にとつて最も大切な小道具は「聖戰」でした。これも、2階でのレク、もしくは流れる川の上つ面のあぶくみたいなものでせう。

    竹山道雄の『昭和の精神史』には、「昭和十二三年ころから以降の雜誌類を讀みかへすと、つくづく思想家とか評論家とかいふものは、そのときによつてどうにでも理窟をつける愚かしいものだといふ感を禁じえない」として、その幾例かが擧げられてゐます。あの苛烈な戰爭指導の理論的な根據は、このあぶくみたいなものだつたのだ。そして、その理論的な指導者の90數
    %は、戰後、自動的に、平和教の傳道師に横滑りしまた。今の”保守”運動も、その續きに過ぎない。一人がさう長生きするわけにはゆかないので、入れ替はりはありますが。つまり、戰爭も平和も、その後の保守も、基本的には、同一の指導者を戴いてきたのです。ーー頽落傾向に這入つた近代日本に特有の珍現象といふべきでせう。

    まあ、あぶくのやうな清水論文はどうでもいいけれども、他家も「『日本は核武装すべきだ』ということを言うだけ」ですか。「『核武装の教科書』以外には何も考えていないから」ですか。全部があぶくなのですね。前に觸れた鈴木敏明(えんだんじ)さんのブログに「なぜ日本民族は、核シェルターを作れないのか?」(2019・9・3)といふ詳細・犀利な一文が載つてゐて、一應核武裝論者のつもりの自分にはとても勉強になりました。自分が普段不勉強なだけで、他に、この種のものが多いのかと思つてゐましたが、ないのですね。

    序でに申せば、教科書運動はあぶくを排除しませんでしたね。これは政治運動だから、數が必要で、事實その數の力で、相當の成果を擧げました。恐らく、全てを見通し、覺悟を決めてをられた西尾先生の判斷で、あぶく込みの數を求めたのではないでせうか。それが支部長などといふポスト(無論ロハではなく、會費は高いにせよ)を得て、國士を氣取ることができたりしたことは、本人としても、しあはせだつたでせう。その殘滓から、私などが安倍さんを罵つて、冷たくされるのは已むを得ません。

    「昭和天皇の全国行幸」ですか。『日本の希望』には、「戦後昭和天皇が国民の前に初めて素顔をお見せになったとき、どうお振舞いにになって良いか分らず、ただ帽子を振って民衆にぎこちないお辞儀をなさるばかりであった。そのぎこちなさが絶大な人気を博したのである」と記されてゐますね。

    私自身は「謀というより、GHQは天皇と日本人を試そうとしたのだと思います。大衆の熱狂がなければ、天皇の潜在的力なぞたいしたことはなく、容易にキリスト教化できるだろうくらいの気持ちだったかもしれない。しかし、『敗戦国の元首』へのすさまじい熱狂に、驚嘆と震撼がGHQにやってきたのではないでしょうか。つまり、日本人自身は、GHQの『試し』に、『大衆の熱狂』でもって天皇皇室との結び付きの果てしない強さを見せつけたのではないか」といふ貴説に強く贊成したい。

    私の經驗からしても、後の、背を向けたくなつたミッチーブームとやらとは全く違ひました。「進歩的文化人風」の弟宮でなくてよかつた。三島由紀夫は、陛下のお陰で終戰になつた、やはり人格者であられるといつた個人的性格と結びつけるのは間違ひだ、そんなことはimpersonalな天皇
    制(この語を三島は排さなかつた)の本質とは何の關係もないと言ひましたが。

    「レクリエーションということでは済まないレベルになる」とおつしやいますが、どんな運動もレクとして濟ましてしまふ(その時は意識しなくても)のが特徴ではないでせうか。事後の涼しい顏がそれを語つてゐると思ひます。

    「『親ロシア派』の『親』の意味が、『ロシアを利用する』ということになければならない、「ロシア人の最大の好感要素のパワーの面を、日本は歴史的にも軍事力経済力の面でも充たしてきた」こと、私には珍しく、よく理解できました。

    ありがたうございました。またお教へを。

  9.       〔御巡幸の写真〕
    この欄に寫眞を載せることはできないのでせうね。
    西尾先生が「(戰後)国民の前に初めて素顔をお見せになったとき、どうお振舞いにになって良いか分らず、ただ帽子を振って民衆にぎこちないお辞儀をなさるばかりであった。そのぎこちなさが絶大な人気を博したのである」と描かれ、渡邊さんが「『敗戦国の元首』へのすさまじい熱狂に、驚嘆と震撼がGHQにやってきた」と評された昭和天皇のお姿を、他のブログで見つけたので駄目モトで送つてみます。肝腎の寫眞は多分屆かないでせうが、お許しを。

    私は遠くから御巡幸を仰いだくらゐで、格別な思ひ出はないが、友人の中には、群衆の一番前で待ち構へて、近づいた車に近寄り、(窓越しにでせう)「陛下、コンチハ」と叫んだなどといふ男もゐて、長じてから、そのことを熱意を以て語りました。

    安倍能成の「英邁とは言へないが、純情無雜。およそ虚僞がおできにならない」に代表される昭和天皇觀に影響されて、私は昭和63年までは毎年、1月2日の宮中一般參賀に家族を連れて出向き、天皇陛下萬歳!を叫びました。

    三島由紀夫は、天皇の人柄とか人格とかの個人的要素と結びつけるのは間違ひだ、そんなことはimpersonalな「天皇制」とは何の關係もないと言ひ、それが正論ですが、やはり、「純情無雜」であられる方が、進歩的文化人風であつたり、乙に澄まされたりよりも、國民にとつてしあはせだつたと思ひます。

    現に三島自身、戰時下の學習院卒業式にお出ましになつた陛下の立派さ(外觀は個人的なことでせう)を、口を極めて讚美してゐます。陛下から時計を賜つたせゐもあるのかもしれませんが。

  10. 昨日(5月3日)18時頃、西尾先生からお電話をいただきました。

    ①用件は「銀行口座を知らせよ。全集月報の原稿料を支拂ひたい」。
    池田「あれは國書刊行會が拂つてくれるとかで、5年ばかり前に、擔當者に口座名を申告した覺えがありますが・・・」
    先生「最早、本屋は一錢も出してくれないよ。全部僕が拂ふのだ。生きてゐるうちに、きちんとしておきたい。20、000圓しか出せないが、今月中に拂ふ。掲載は約束のとほり、22卷Aの最後だ。22卷Bには月報がつかないから、あなたが大トリだ」
    池「そのことは、初めから承つてをり、また2卷殖えた際も詳細に御説明いただいたので、承知してゐます。感謝に堪へません」

    ②先生「今、〇〇病院(〇〇)にゐる。2週間。足腰のリハビリ。效果はあまりない。20メートルコース3周が最高記録。あなたは?」
    池「似たやうなものです」

    ③池「水間條項TVで、對談を拜見してゐます」
    先生「あれは對談ではないよ。電話を録音して、勝手に使つてゐるだけだ」

    ④先生「コロナのせゐで、旨いものを食ひに行つたりできない。あなたは?」
    池「私も殆ど外に出ません」
    先「近くに美味い壽司屋などがあるではないか」
    池「でも私は、築地はともかく、銀座の壽司屋には若い頃から行つたことがありません。先生は銀座は勿論、どこでも詳しいですね。荻窪南口の壽司屋にお連れいただいたこともあるし、北口でも、午前樣になつた際、やつてゐる地下の飮み屋に御案内いただいたことがありましたね」
    先「さういふことが出來ず、今は無味乾燥の生活だけど、皆が同じなのでしかたない。とにかく、もうすぐ稿料を拂ふよ」
    池「それは忝い。よろしくお願ひします。お元氣で」(以上)

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