『男子、一生の問題』の反響にこと寄せて(一)

 拙著『男子、一生の問題』の中でインターネットへの感想文の書きこみのあり方、ハンドルネームの危うさについて私見を述べたくだりに、予想したとおり、何人かの注目が集まった。

 その中で、評論家の遠藤浩一氏が私あてに下さった文章がとても大切なことを言っているので、まず最初にそれを紹介したい。

 遠藤氏は高見の見物をしながらではなく、当日録の「応援掲示板」に自ら何度も書きこみをして下さった、その経験を基にして仰言っている。

 このところ掲示板がしばらく荒れていた。口争いが昂じ、「もう俺は書かない」と怒って立ち去る人がいて、遠藤氏はその人に当てて、たしなめる一文も書いていた。(なお、遠藤氏は旧仮名の遣い手である。)

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 ところで、御著にもある、インターネットの問題ですが、自己顕示欲をハンドルネームで隠蔽してゐるところに二重の自己欺瞞があるとのご指摘、全くその通りと思ひます。自己欺瞞に気付かないまま、「それがインターネットといふものさ」と囁き、コメントめいたものを垂れ流しても、結局さういふ言葉は他者を「突き刺す」ものにはならないでせう。匿名に対する甘えが、発する言葉の質を低下させてしまふのです。中には(特に「西尾応援板」への常連書き込み者には)、自分はハンドルネームにしつかり責任を持って、それなりの投稿をしてゐると自負してゐるでせう。しかし、小生の見るところ、やはり匿名の気易さが、実名では到底書けないやうな、あるいは対面しては到底言へないやうな物言ひを許してしまふという側面があるやうに思っはれます。インターネット掲示板においては、投稿の質を保つための管理――つまり活字媒体の編集者が行ふやうなチェックが事実上不可能だといふのがその最大の理由です(そこが、インターネットといふものの面白さなのですが・・・・)

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 まず以上のように、チェックされない自由が書き手の心に甘えをもたらす一般論が述べられている。人間は弱い存在なのである。心すべき点である。そのうえで、オヤと思う大切な次のような問題点を指摘している。

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 よく「掲示板が荒れる」といふ事態を目にします(西尾応援板」ではありません)。匿名掲示板荒らしが出没して汚い罵倒を繰り広げることを指すやうですが、かういつた、悪意が歴然とした闖入者の発言は無視し、削除すればいいので、実はたいした問題ではありません。問題は、ときどきおやと瞠目させるやうな発言をする人の書き込みが、次第に劣化していくことです。自分の独善や思ひ込みに気付かぬまま書き込みを続けるうちに、隘路に嵌り込み、身動きがとれなくなつてしまふ。仮に西尾先生や小生がハンドルネームを用ゐて書き込みをした場合も、同じ危険性がつきまとふでせう。つまり、板が荒れるといふより、善良な発言者のコメントが荒れてしまふというところに、インターネット言論の、一つの問題点があると、小生は観察いたしてをります(繰り返しますが、これがインターネットの麻薬的魅力の源泉でもあります)。

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 ここで大切なのは、西尾や遠藤さん自身がハンドルネームを用いて書き込みをしても、つい自分に甘え、文章の劣化をひき起こすだろう、と見ている点である。自分の名を出さないで文章を公表することそれ自体がもつ弱点である。そしてそれがインターネットの長所でもあるというのだから始末に終えない。

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 活字の世界で時折匿名記事に読むべきものがあるのは「編集者の目」という関門があるからです。匿名であらうがなからうが詰まらないもの、常軌を逸したものは撥ねられ、編集者の知的な眼鏡(怪しげな眼鏡をかけてゐる人も少なくありませんが)に適つたものだけが活字になるという関門があらばこそ、活字媒体の場合は匿名記事にも一定の存在理由を見ることが出来る。ところが、インターネット掲示板にはかふいふチェック機能は期待できないし、また、期待すべきではない。

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 新聞の文章は大半が無署名である。雑誌にも匿名の記事は少なくない。しかし、たしかに遠藤さんの言う通り、編集者という第三者のチェック機能がつねに働いて、逸脱を防いでいる。

 遠藤さんは最後に次のように言っている。

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 結局、活字媒体の言論とインターネット言論とは、まつたく異質なものと割り切ることなのでせう。小生自身、資料検索等に関してインターネットをかなり活用してゐますが、掲示板といふものは、時折閲覧するものの、深入りしないやうにしてゐます。さういふ時間がないからです。時折、自身のホームページを設営しようかと考へないでもありませんが、やはり、管理に要する時間とエネルギーを確保することは到底不可能で、それゆゑ、あきらめてゐます。西尾先生は、献身的な管理人に支へられて、本当にお幸せです。

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 というわけで、最後には私が「長谷川さん、どうも有難う」というべき場をも与えて下さった、かなり長いご文章であった。

 このところの応援掲示板の混乱を、長谷川さんが見事に克服したいきさつを遠くから見ていて、対応の誠実さに気がついている人は他にもいる。私の昔の教え児の平井康弘さんは、私あての手紙に、「応援掲示板もたまに拝見しておりましたが、混迷をきわめていた様子がうかがえ、やはりハンドルネームによる自己不在のマイナス面が出たかと思いました。」と述べた後で、次のように言及している。

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 面白いことですが、ハンドルネームにしていても、責任をもって臨んだ文章にはその気が文章から感じられます。面識はありませんが長谷川さんとおっしゃる方も、その並々ならぬ熱意、誠意、運営される姿勢が伝わり、感銘を受けている次第です。

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 長谷川さんが褒められると私もうれしい。
遠くから見ていても、分るものには分るものである。

 たヾ一つだけ私から掲示板への期待を述べると、掛け声みたいな短いことばの応酬ではなく、出来るだけ互いに長い文章によるオピニオンの交換であってほしいと思う。短文だとまた行き違いが生じて、再度感情的にならないとも限らない。不十分な言葉は誤解の因である。意を尽くして書くという習慣を確立してもらいたい。

「『男子、一生の問題』の反響にこと寄せて(一)」への1件のフィードバック

  1. この記事へのコメント
    遠藤さんとは、実は一言三言話した事があるんで、批判しにくいが、言論人と企業の細胞人とは違うと思うね。例へば、巨大企業の何らかの役職、係長でもいいが、そうなると、個人の意見というものは無い。無いというのは、他者がそう見ないのだ。巨大企業が言っておるという事になるのだ。

    従って、たいていは、大企業の役員は、メールもやらないと思う。インターネットの危険を承知していて、それが発覚すれば、大勢の仲間に影響を与えるからだ。だから、企業のそれなりの知性からの発信は殆ど無いと肝に銘ずべきなのだ。

    ならば、匿名で書く小生にして何であるか?嘗てはそうでは無かったとしても今は、より無責任の立場である。しかし、眞に無責任でもない。危険を冒しているのである。企業は商売であり、それらに影響するとすれば、それは差し控えるのが人の道である。

    よりフリーな立場にある人がインターネットで発言しているとみて間違いは無いだろう。
    西尾先生も遠藤さんも、言論人であるが故に、匿名が逆に許されないのだ。匿名とは、うわさ話である。誰が言い始めたのかが分からん。

    遠藤さんが、ここは、暴力団みたいな右翼か?という異様さを感じ取られたとすれば、そては、直感的に優れていると、今は思う。その時は、そんなことは無いと否定する側の立場であったのだが、ひとの心とは分からないものだ。そう思うこの頃だ。ペマさんも同様の疑問を呈したんだから、こっちがおかしいのだろう。

    小生は、チンピラに過ぎないのであるが。それ以下でもあり、それ以上でもない。
    Posted by 閑人 at 2004年07月03日 20:33
    ここの管理人はあらまだろう
    Posted by 閑人 at 2004年07月03日 20:55
     今日の日録は、タイピングしながらトテモ恥ずかしかったです。

     西尾先生、今回の応援掲示板のトラブルを乗り切れたのは、皆さまのおかげで、私一人の力ではありません。そして、桜子さんからのあのお返事がなければ、トラブルはトラブルのままで持ち越されたことになります。ここは、彼女の「大人」の対応をこそ誉めなくてはなりませんね。

     閑人さんへ
     閑人さんのおっしゃることもよくわかるのですが、もしかしたら大企業の中間管理職くらいの人こそ、こういったインターネットでの発信を望んでおり、なさっているのではないでしょうか。つまり、本当は自分の意見を言えば会社に迷惑がかかる・・・けれど、自分には自分の主張があり、それをどこかで発散させたい・・・そのためにハンドルネームや名無しで投稿をする。

     私は、今までのサイレントマジョリティの本音を掬い上げているのが、インターネット掲示板だと思うのです。今までの日本は、素人はノイジーマイノリティだけが、脅したり、大声でわめいたりしてきました。今やっと心優しい、恥ずかしがりやの普通の人の「本音」を出せる場ができたということではないでしょうか。(悪意の人ももちろんいるけれど)

     遠藤先生が、なんども強調なさっているように、インターネット言論の欠点は確かにあるけれど、長所の部分を有効活用していくことが大切だとおもっています。

    Posted by 年上の長谷川 at 2004年07月03日 21:03
    ここの管理人は荒間さんではなく、私です。
    Posted by 年上の長谷川 at 2004年07月03日 21:05
    小生は、メールを載せない。今頃、300通以上のメールがサーバに貯まったまんまだろうと思うが、見ない。アドレスを書いた途端に、skyウイルスが来る。自分が発信するメールが、今でも誰か宛に届いているんだろう。責任はウイルスにあるんだから、MSの親父に賠償請求しておくれでないかい。

    小生は、インターネットは、危ない手段と思うてはいるんだが、自己顕示でやっとる場合もあるかも知れません。透明人間の愉快犯のようなものか。自即他他即自であって、念波が誘導されて、他を揺り動かす、そういう不思議な力が存在するから、出来ることなら、共鳴する人をもっと、高みに上げるてやるんだ という気持ちになるんじゃないか。量子力学的力かも知れませんな。高校の化学みて、共有結合をなんでするんか、金属結合はなんでか。インターネットもなんでか?

    どんなに荒らしまわりがありましてもね、結局は、人間ですよ。西尾先生を信頼するという一点で、終息するし、閣下のお人柄を直截は知らないが、やはり、信頼するという一点で治まる。治めるとは、統治ですから、一人の知性にしか出来ない。信長が、占いに頼って合戦したとしても、信長が従った占い師に従うのではない。信長が従った占いの内容が如何なるものであれ、信長が信じるものを信じたのだ。

    あらまの勘違いはすみません事です。

    遠藤さんの事については、余計な事であったかと。右翼だの、丸暴だの。うちは、正反対でありますので。遠藤さんしか、分からないやりとりで、遠藤さんも見ないから、意味が無いなと。しかし、失礼したんだと思うし、それは、労働組合の周到さとくらぶれば、情けない位に幼稚な対応。講師の送迎には怠りの無きやうにするべきところ。顔も知らないし、どなたさんですか?遠藤です。じゃあ、こいつ等、俺を呼んで何様なんじゃ と思うんじゃないか。名前は知っていても、顔はしらない。呼んだ奴は無頓着。役割分担も何もない。労組だって、会社の幹部に、失礼な対応はしない。人の道を踏む。オーナーが、天皇の國日本を取り戻すのには、祈りが大切である。豊葦原の瑞穂の国のは、我が産みの子の國なりき。そう言ったので、遠藤さんは、安心したらしい。それまでは、ヤーさんの集まりだと思ったらしい。
    Posted by 自己顕示欲ではなく、共鳴だと思う at 2004年07月03日 22:55

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