憂国忌シンポジウム(六)

 私の若い友人だった坂本多加雄君の書いたものをじっと読んでいると、なんか死の一点に向かって歩んでいるところがあるんですよね。不思議でしょうがないのです。現代では52歳の死は夭折ですからね。
 
 彼が歴史は「物語り」だと言ったことはよく知られております。つまり、国家と言うのは歴史という物語の一貫性の中に根拠がある、みんなが人々が共有する物語の内部に、人々がすんでいる。彼は、例えば旧東ドイツを例に挙げ、旧東ドイツは、自らがナチスドイツとは関係がないということを神話にした国家であると言っております。

 そうなると、これは、坂本さんは挙げていないけれども、金日成の抗日戦、日本に対する戦いを神話とした朝鮮民主主義人民共和国もそれなりに国家の来歴、物語りを持っているということになるんじゃないかと言いたくなるわけです。

 とにかく、そういう意味でそれぞれの国家は、それぞれの来歴を持ち、物語りを持ち、そこに歴史認識が成り立つ。これは教科書をつくる会としてはありがたい、便利な思想でしたが、しかし、すごく危ない思想なんです。私は、危ないなと思いました。そのときも思ったし、彼にも言ったかもしれませんが、亡くなった後で、私は書きました。

 これは、歴史は民族の外にはないと言っているのと同じですから。つまり、歴史は物語りで、民族の物語りだと言ったら、もうそれはさっき言ったように、東ドイツも北朝鮮もということになってくるし、日本もその内の一つかと言う話になっちゃう。これは、すごく危ない話で、歴史はそうすると客観的な歴史と言うものは否定するし、人類の歴史、世界の歴史というのを否定することになるんじゃないかと。そういうようなことを私は、思ったわけであります。

 そのような私の坂本君に対する思い、つまり坂本君に対して向けた疑問と言うのが、福田恆存先生が三島先生に向けた疑問とどこかパラレルではないかと言う気がいたしております。

 坂本君も、死と言うのが契機になって、歴史を考えている。ご自分の死も問題になるんでしょうけれども、そうではなくて、日本の歴史が死に面したことが過去に二度あったと彼は言う。すなわち、幕末と終戦。19世紀初頭と8月15日。

 これは日本の民族が死を意識したときで、このときよみがえった観念こそが、思い出、歴史の喚起、すなわち国体の観念であると、そういう意味で死を契機としたときに初めて危機感から初めて、国家、こういう意味での民族。

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