エピクテトス・皇室と信仰・権力への態度

――刊行のお知らせに寄せて――

docu0193.jpg(1) 新刊『人生の価値について』WAC新書版を出しました。
(ワック株式会社 ¥933)

 この本は1996年新潮社より出版された『人生の価値について』の改訂新版。

 新版まえがき「断念について」が追加され、川口マーン恵美さんの新しい解説「ドイツからの手紙」が巻末にのっている。

 「断念について」は奴隷であったローマの哲人エピクテトスの「放棄」への覚悟こそが「自由」である、という徹底した思索を扱っている。

 2月26日刊だが、すでに店頭に出ている。

(2) 3月1日発売の『諸君!』4月号の皇室問題特集に「『かのようにの哲学』の知恵」を寄稿した。

 皇室問題の本質は歴史にあらず信仰にあり、が原稿に私の付けた仮題であった。信仰であるから懐疑もあり得るし、ゆりもどしも起こり得る。波風も立つ。

 歴史家は天皇の観念は古代から同一であったと誤認している。カミの観念としての天皇像は歴史と共に動いている。神格をもたない西洋の王権とも中国の皇帝とも異質である。三者の比較が必要。私は江戸時代以後の神話と歴史の関係に注目した。王権の根拠を神話に求めているのは日本の天皇だけで、江戸時代に早くもその矛盾が露呈している。16世紀以前と以後とでは天皇観は同一ではないはずである。22枚と短い枚数なので十分には論じられなかったが・・・・・。

 田中卓、所功、高森明勅の古代日本史研究家が女系論に傾くのは歴史と信仰をとり違えているからである。歴史を信仰して、信仰は歴史とは別の心の働きだということに気がつかないからではないか。この話題のテーマにも私なりの分析を加えた。

(3) 3月8日発売の『SAPIO』の「著者と語る肖像」の1ページ・インタビューにて、拙著『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』について語った。

 1時間半も語って短い記事になるのは残念だが、この書名はいい題であるとSAPIOの編集者は言ってくれた。小泉批判本がたくさん出始めているので、これくらいはっきり言わなければダメとも。それでいて11月下旬に出ていた本なのに、SAPIOが取り上げてくれたのはこのように政権末期と分ってきてからなのだ。マスコミと権力の関係こそがこれからの厄介な問題となる。

 すでにポスト小泉を確定的に予想して、言論人が政権の「追っかけ役」をするのを思想と心得る見当外れがあちこちに始まっている。ポスト小泉内閣に注文をつけ、厳しい監視役であることを今から言明していくのが真の思想家の役割なのではあるまいか。

 言論人は政権の「ぶら下がり」でも「お守り役」でもない。保守にも革新にもみられる永遠に変わらぬ日本の知識人の「自我の弱さ」である。

「エピクテトス・皇室と信仰・権力への態度」への17件のフィードバック

  1. ピンバック: 帝國愁報
  2. ピンバック: ふしぶじゑ日記
  3. >すでにポスト小泉を確定的に予想して、言論人が政権の「追っかけ役」をするのを思想と心得る見当外れがあちこちに始まっている。ポスト小泉内閣に注文をつけ、厳しい監視役であることを今から言明していくのが真の思想家の役割なのではあるまいか。 言論人は政権の「ぶら下がり」でも「お守り役」でもない。保守にも革新にもみられる永遠に変わらぬ日本の知識人の「自我の弱さ」である。<

    以前北の狼さんが他所で次のような発言をされていました。携帯からの書き込みですので、記憶を追いながら書きます。

    「国民の歴史」は歴史の上に哲学を乗せた今までにない歴史本である。それは、西尾氏が歴史だけに留まらない、独自の哲学の世界をこの本において表現しようとする意識の現れであり、その意味で、通常の歴史本としては期待外れな・・・しかし見方を改めれば貴重な本であるわけです・・・。

    このような内容だったと認識しています。

    詳しくは長谷亭の過去ログの「国民の歴史」について・・・をご覧ください。

    上の「><」のなかの文章を読んで、私は狼さんの当時の言葉を思い出しました。同時に、「国民の歴史」の偉大さをあらためて知った次第です。

    一昨日荒川選手がフィギャーで初めて金メダルを取りましたが、歴史というものは時間の経過というソースを得ないと熟成しないのかなと思いましたね。

    確かに金メダルを取った瞬間はかなり興奮したわけですが、彼女同様信じられない気分に包まれます。

    ですから、時間を経てはじめて歴史を実感できる余裕は生まれるのではないでしょうか。

    その意味で、先生は選ばれし民であり、偉大な存在であると言えます。その一片が「国民の歴史」にあり、狼さんの述懐によって一般人は理解し得る構図があるのだと思います。

    ですから、メディアにいくら期待しても応えてくれない覚悟は必要なのかなと、最近は諦めるくらいです。その意味で、先生の気付かれている点もいつか時間という媒体によって、ようやく一般人にも伝わる時がくるはずですから、先生にとっては周りがあまりにまどろっこしい存在でありましても、どうか精力的に活動してくださいと言う他ないわけです。

    今あらためて「国民の歴史」に触れてみれば、私が言おうとする点はご理解いただけるはずです。

    狼さんにも是非もう一度ご覧いただきたく存じます。

  4.  むかしノーパンしゃぶしゃぶ事件というのがあり、それによって大蔵省を中心としたキャリア官僚に対する国民的バッシングが起き、結果として多くの官僚が出世コースからはずれてしまいました。最終的には井坂元大蔵省造幣局長を収賄罪で生贄にしてバッシングは終結しました。実はこの事件に関しては官僚自体は、言われ無き大衆によるバッシングであり我々は衆愚政治の被害者なのであると思っています。私もノーパンしゃぶしゃぶ事件は衆愚政治の発露という側面があるとは思っています。しかし、官僚は善であり国士であるとまでは思わない。この事件以来、官僚は露骨な権力の誇示を控え表向きは国民に奉仕するかのような振る舞いをとるようになってしまいました。そこで官僚の現実の動きというものが極めて見えにくくなってしまった。もしあのノーパンしゃぶしゃぶ事件の際に、単なる官僚に対する嫉妬のバッシングではなく根本的官僚機構改造論につながっていれば今の官僚はもう少しマシになっていたのかもしれません。
     ポスト小泉内閣候補者はいずれも小泉氏ほど国民のハートをつかめるような人材はいません。したがって、必然的に現小泉内閣を支えている官僚機構の動きが目立つことになるでしょう。また大規模な国民的官僚バッシングが発生する土台ができると思いますし、バッシングをやるべきだと思います。その際、重要なのはノーパンしゃぶしゃぶ事件のように利権を貪り食う官僚という嫉妬によるバッシングであってはならないということです。官僚機構の構造的欠陥そのものがバッシングされなければなりません。そうすれば軍学者兵頭二十八氏の提唱するスポイルシステムが我が国にも導入される道が開かれるかもしれません。
     おそらく西尾先生の予想するようにこれから上からの道徳秩序の押し付けと官僚統制というソフトファシズムの傾向が強まってくるでしょう。しかしそれがそのまますんなり受け入れられるとは思えません。我が国は階層社会化してはいますが失われた10年世代のインテリ階層のかなり多くがまだ体制外に放置されています。こういった階層の人を体制内にうまく組み込むシステムが現状の我が国にはまだありませんので、ソフトファシズムの流れはある一定時点で体制外知識階層による強烈なバッシングにあい頓挫する可能性が大きいです。
     しかし、我々の世代の子供の世代になればもはや体制外インテリ階層は消えてなくなり、体制外には名実ともに自分が負け犬であり下層階級の人間なんだと思う人しかいなくなるでしょう。そうなれば、我が国は悲劇的社会矛盾が当然の如くまかり通る国になりさがってしまいます。だからこそ一億総中流時代を知っている最後の世代である我々の世代こそが政治・行政の動きを監視していかなければならないしその責任は重いと思います。

  5. ピンバック: 道端鈴成日記
  6. ピンバック: なめ猫♪
  7. 「皇室問題は、結局は宗教問題である」と言う視点が、確かに欠けている。戦前、昭和天皇を現人神とし、戦後は靖国神社を宗教かどうか、あいまいにするというふうに、今でも神道は宗教のような、非宗教のような扱いになっている。誤魔化しがまかり通っている。
    天皇陛下を神道の最高の司祭と位置づけた場合、やはり、皇位継承が男系で行なわれた来た理由は、宗教上のものとすべきで、男女平等の論理が入る隙間はない。皇室典範を簡単に変更できる現憲法から見直さなければならない。

  8.  西尾先生、諸君4月号-『かのようにの哲学』が示す智恵-、密度の濃い素晴らしい論文でした。皇統の問題は、日本人の実質的宗教的信仰心の問題であると同時に、近代合理主義に対する懐疑的態度としての保守思想の問題でもあるわけです。つまり日本人固有の問題であると同時に普遍的な問題でもある。この問題を同時に解決してくれる一つの在り方が「かのようにの哲学」です。本西尾論文がここ最近沸き起こった皇室典範改定慎重論の流れの中で達した結論ではないかなと思います。
     しかし、皇室典範改訂問題はここからが難しいのです。現在の皇室典範が改正されない限り現時点では皇統は断絶してしまいます。つまり、旧皇族の方に皇籍復帰してもらうしかないということです。これは事実上、今を生きる我々が新宮家を創設するという大きな国家的事業にとりくまなければならないということであり、「かのようにの哲学」だけではすむ問題ではありません。わかりやすく言えば新宮家を創設するという行為は未来をふくむ日本の歴史の流れという視点からみれば「信仰」、「文化」、「伝統」という一言で表現できるが、今を生きる我々にとっては新しい法律を制定するという現代の政治問題そのものであり、政治問題である以上、極めて世俗的・矮小な問題になってしまわざるを得ないということです。男女平等論という一応は普遍思想からの批判はまだしも、税金の無駄使いだといった幼稚な悪意による批判からこの皇族は好きだけどあの皇族は嫌いだといった人間の生理的感情までをも政治問題である以上無視するわけにはいかないのです。そして、なによりも政権与党が旧皇族の皇籍復帰で動かない限りどうしようもない。
     そのうち男系の皇統護持の論客がそれなりの論は提示するでしょう。そこでどれだけの支持を得られるかです。例えば、私も「旧皇族の皇籍復帰すらできずして戦後体制の刷新、戦後教育の全面的見直しなぞ不可能である」と一つのテーゼを打ち立てることはできる。もちろんこれだと政治的保守派層の支持しか得られないでしょう。しかし、要は国民の過半数の支持を得られるかどうかなのです。その意味ではいかなる崇高な思想、政治理念であろうが劣悪なプロパガンダであろうが同価値なのです。
     いずれにせよ皇室の威厳なり崇高さなりに傷がつくだけの負け戦になってしまうのを覚悟の上での戦いにならざるを得ません。そして現時点では極めて敗北が濃厚なこの戦いに挑むという営みは文学という媒体でしかその世俗性・矮小さ・徒労感から解放されることはできないでしょう。

  9. ピンバック: なめ猫♪
  10.  玉稿拝読させていただきました。どうしてこともあろうに平泉門下の、他のことでは尊敬できる先生方までもが、あんな奇妙なことを仰られるのか、かねてより腑に落ちませんでしたが、「天皇の制度はこれからも未来永劫になくならないと安心し切っていることである。現代人の恐るべく放埓な天皇への無関心と冷淡さとを知らないことである」との条を読んだ時に疑問が氷解しました。ただ、この明らかに平泉先生の考えとは異なった「天皇」観を、何故弟子筋の人たちが採るようになったのかはもう少し考えていかねば、と思っております。
     先日、同僚とも話し合ったことですが、一般の人はいまだに「愛子さまお可哀いそう」といったレベルでものごとを考えているのが多いから、我々がもっと声を大にして「女系」の非を訴えていかなければならないと思います(実はこれ、同僚の言った言葉そのままなのですが)。他所の国はどうか知りませんが、少なくとも「天皇」の存在と「日本」という国の存立とが不可分なこと、まずはこの点についての認識をできるだけ沢山の人が共有するようになることから始めればよいのではないでしょうか。

  11.   かつて男系皇統護持の憲法学者がどれだけいたのかを調べるために皇位の承継に関する戦後の憲法学の論文、昭和30年代の憲法調査会議事録を読んでみました。そこで驚くべき事実を発見しました。男系皇統護持の憲法学者は共産党系であり天皇制廃止論者なのでした。そしてほとんどの憲法学者及び保守系国会議員は皇統の問題については具体的問題が発生してから議論すべきだと曖昧な態度をとっていたのです。たしかに皇位の継承を直系男系に限るとすればいずれ皇位を継ぐものがいなくなります。
      それでは何故、共産党系の奥平東京大学名誉教授が今、「女系天皇を容認すれば天皇制は自然消滅する」というかつての共産党系の学者と異なる見解をとっているのか?おそらくこういうことではないかなと思います。共産党は、国民の天皇に対する敬意や信仰のようなものは大日本帝国憲法が廃止された以上すぐに消滅すると考えていた。したがって、天皇は孤立し、皇位を継承するものが誰もいなくなった時点で天皇制は消滅すると。しかし、戦後60年以上たった今でも国民の天皇に対する敬意や信仰は根強いものがある。そこで、それでは女系天皇を認めれば皇統が万世一系の皇統でなくなり雑系になりいずれ国民の天皇に対する敬意や信仰はなくなり天皇制は自然消滅すると解釈しなおした。もっともこれは奥平氏個人の見解・願望であり実際のところ国民の女系天皇に対する感情は女系天皇制に移行してみないとわかりません。この辺りは共産党の中でも意見対立があるのでしょう。有識者会議案による皇室典範改正案にまっさきに賛成したわりにはあとで「盲目的に賛成しているわけではない」と見解を軌道修正しています。これはおそらく共産党内の皇室典範を改訂せずあくまで男系護持で天皇制を自然消滅させるべきだといった古い党員からの反発があったからだと思います。
     皇室典範改訂問題はやはり憲法1条の解釈論、「天皇」、「世襲」の定義論を避けることはできないでしょう。日本国憲法は「天皇」の出自について定義しておりません。王制を引く諸外国はおおむね「○○○年に誕生した×××朝」といったように憲法に「王」の出自を定義しています。一般人の感覚からいえば「神武天皇が実在したかさだかはわからないが、まあさすがに聖武天皇くらいなら確実に実在していただろうからその後の天皇の血統が天皇なんじゃないかな?」くらいに考えているのではないかなと思います。しかし、憲法で定める以上、やはり、あまりにもあやふやな定義付けは難しい。一般人にとっては概ねの共通理解事項であっても法学者なり官僚、法曹人にとっては憲法解釈であるからそれなりのきっちりした定義づけをしなければならないのです。憲法学説では「皇統説」と「昭和天皇説」が多いようです。「皇統説」は大日本帝国憲法が定義した我々がここで議論している「皇統」のことです。どちらが通説かはわかりませんが、日本国憲法を過去の我が国の慣習なり大日本帝国憲法と完全に切り離されたものと考えれば、「天皇」とは日本国憲法制定時の天皇である昭和天皇であるという「昭和天皇説」の方が日本国憲法との整合性はあるでしょう。では、「世襲」の定義はどうか?これは「男系」でなければ憲法違反であるという少数学説がありますが、多数説は「天皇の血を引くもの」であれば男系にこだわる必要はなく皇室典範を改訂することによって女系天皇も容認できると考えているようです。
     ちなみに共産党系、天皇制廃止論者である横田耕一氏は「天皇」の定義を「昭和天皇」とし、「世襲」を大日本帝国憲法が定義した皇統の原理である男系をとっています。仮に「天皇」の定義を「昭和天皇」に限定するのであれば「世襲」についてだけ日本国憲法制定前から続く皇統の原理にこだわるのはおかしく法律解釈上、矛盾を犯しています。つまり天皇制を自然消滅させるために無理矢理解釈しているのです。
     私は、おそらく有識者会議の実際の法案作成メンバー、古河、園部、佐藤の各氏は「天皇」の定義を「昭和天皇」とし「世襲」の定義を「天皇の血を引くもの」と考えているのではないかなと思います。「天皇」の起点を「昭和天皇」にすえれば「天皇」の存在が神話や歴史上のあやふやさから解放され確実になり、かつ「世襲」を「天皇の血を引くもの」とすれば世論の反発は別にして法解釈としては筋が通っており、日本国憲法無効論や大日本帝国憲法・日本国憲法連続説という学説が憲法学界で絶滅した今、法解釈論争はそれほど発生しないでしょう。有識者会議案は、結局のところは天皇制の消滅を狙っているとはいえませんが、要するに法解釈論争が一番発生しない安易な解釈にのったということです。
     結局、「天皇」の定義を所謂「皇統」または「世間一般に実在すると認知されている天皇以降の天皇の血統」とし、「世襲」の定義を「男系」とし、皇室典範を改正し旧皇族の方に皇籍復帰してもらえば、「皇統」は維持できることになります。この解釈は、日本国憲法が有効な憲法でありかつ大日本帝国憲法と断絶したものと考えても、「天皇」、「世襲」という言葉の定義を我が国の社会慣習にしたがって解釈したものであるとすれば、皇室典範を改正することによって旧皇族の方に皇籍復帰してもらっても憲法1条に反することはありません。もっとも旧皇族の方が皇籍復帰する際に、旧皇族の方は今現在一般国民である以上、憲法14条に反しないかが問題になります。こちらの方が法解釈上難しい。しかし、「天皇制」は人であると同時に国家機関でもある以上、ストレートに憲法14条の問題と捉えるわけにはいかない。「天皇」、「皇族」は「特別国家公務員」か「国家機関」であり憲法14条の定める「門地」、「社会的身分」、「貴族」ではなく、旧皇族の方は、昔、確実に皇統に属していた以上、憲法1条の趣旨から「特別国家公務員」か「国家機関」になるための有資格者にあたると考えれば、旧皇族の方の皇籍復帰は、憲法14条が禁止する差別ではなく合理的区別として許容されるでしょう。
     ただ旧皇族の方の皇籍復帰は確実に多くの訴訟を発生させ法解釈上も大論争を引き起こすでしょう。したがって、皇室典範を改正することができたとしても後々紛争が残りつづけるのは確実です。
     それでは有識者会議案による皇室典範改訂案で安易に「皇統」の問題を解決してよいのか?我が国の歴史が始まって以来の伝統をいとも簡単に破壊していいのか?伝統を守るためには数十年くらいの紛争を覚悟してでも今を生きる我々は努力すべきではないのでしょうか。その第一歩が、男系皇統護持論者が世論の過半数を超え国会議員に男系の皇統護持のための皇室典範改正法案を提出させるための運動です。現行憲法の解釈上不可能ではない「皇室典範改正法案」を今を生きる我々が提出できなければ本当に将来の天皇制の存続はあやうくなります。

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