「つくる会」顛末記

――お別れに際して――
          (一)

 私は「新しい歴史教科書をつくる会」にどんな称号であれ戻る意志はありません。

 一度離別決定の告知を公表しており、新聞にも報道され、誤解の余地はないと思っていましたが、産経(3月1日)に私が「院政」をもくろんでいるとわけ知り顔のうがった記事が出ましたので、あえて否定しておきます。

 私は理事会にも、評議会にももはや出席する立場ではなく、会費を払っているので総会の一般席に坐る資格はあるでしょうが、これも今後遠慮しようと考えています。すなわち、いかなる意味でも私は「つくる会」に今後関係を持たないこと、影響力を行使しないことを宣言します。

          (二)

 名誉会長の名で会長より上位にある立場を主宰することは二重権力構造になり、不健全であるとかねて考えていましたので、いわば採択の谷間で、離脱を決意しました。

 次に新版『新しい歴史教科書』は私の記述の主要部分が知らぬ間に岡崎久彦氏の手で大幅に改筆され、この件で、執筆者代表の藤岡氏からいかなる挨拶も釈明もなかったことを遺憾としてきました。採択が終るまでこの件を表立てて荒立てることは採択に悪影響を及ぼすから止めるようにと理事諸氏に抑えられ、今日に至りました。

 旧版『新しい歴史教科書』にのみ私は責任もあり、愛着もあります。旧版がすでに絶版となり、新版のみが会を代表する教科書となりましたので、私の役割はその意味でも終っています。

 また『国民の歴史』は「編/新しい歴史教科書をつくる会」と表紙に刷られていますが、会とも版元とも契約期限が切れましたので、今後の再販本は私の個人的著作として自由に流通させていただくことになります。

          (三)

 しかし1月16日に重要な理事会があり、17日に名誉会長の称号の返上を公表したのですから、昨秋より最近の会内部のさまざまなトラブルに対し私もまた勿論無関係ではありません。私が自らの判断と言動で一定の影響力を行使したことは紛れもありません。

 そこで会の一連の動きに対し私が今どういう見方をしているかをできるだけ簡潔にお伝えし、私の責任の範囲を明らかにしておきます。感情的対立を引き起こしているテーマなので、私に関心のあるポイントだけ申し上げます。他で公表されるであろう資料文献などと併読してご判断ください。

 今回の件はたった一人の事務系職員の更迭をめぐる対立から始まった内紛ですが、人間の生き方の相違、底流にあった思想の相違がくっきりと露呈した事件でもありました。

 「つくる会」は過去にも内紛を繰り返しましたが、今回は今までとは異り、異質の集団の介入、問答無用のなじめない組織的思考、討論を許さない一方的断定、対話の不可能という現象が、四人の理事(内田智、新田均、勝岡寛治、松浦光修の諸氏)からの執行部に対する突然の挑戦状で発生し、私は自分がもはや一緒に住めない環境になったと判断せざるを得ませんでした。

 1月16日の理事会は、さながら全共闘学生に教授会が突上げられた昭和43年―44年ごろの大学紛争を思い出させました。「あァ、会は変わったなァ、何を言ってももうダメだ」と私は慨嘆しました。四人の中の新田理事は、「西尾名誉会長はいかなる資格があってこの場にいるのか。理事ではないではないか」と紋切型の追及口調で言いました。一体私は好んでつくる会の名誉会長をつとめているとでも思っているのでしょうか。八木会長は彼をたしなめるでも、いさめるでもありません。

 「新人類」の出現です。保守団体のつねで今まで「つくる会」は激しい論争をしても、つねに長幼の序は守られ、礼節は重んじられてきました。とつぜん言葉が通じなくなったと思ったのは、12月12日の四理事の署名した執行部への「抗議声明」です。その中には、執行部のやっていることはまるで「東京裁判と同じだ」とか「南京大虐殺問題を左翼がでっちあげて日本軍国主義批判を展開することを想起させる」などとといった見当外れの、全共闘学生と変わらぬ、おどろおどろしい言葉が並んでいました。

 いったいこれが保守の仲間に向ける言葉でしょうか。私がもう共に席を同じくしたくないと思ったのはこのような言葉の暴力に対し無感覚な、新しい理事の出現です。

 今回の件はいろいろな問題点を提起しましたが、私が痛憤やるかたなかったのは、何よりもこのような荒んだ「言葉の暴力」の横行でした。保守の思想界ではあってはならないことです。

          (四)

 宮崎正治事務局長は人も知る通り性格も温順な、優しい人格です。デスクワークに長け、理事会の記録の整理は緻密で、遺漏がなく、人と人とを会わせる面談の設定などもとても親切で、気配りがあり、私など随分良くしてもらいました。個人的には感謝しています。総会などの運営もぬかりがなく、シンポジウムの開催ではベテランの域に達していました。

 けれども私たちは次の採択のために事務局長の更迭をあえて提言しました。「私たち」とは八木、藤岡、西尾の三人です。三人の誰かが先走っていたということはありません。八木さんは単なる同調者ではありません。率先した提言者のひとりでした。例えば、宮城県県知事が変わり、「つくる会」に好意的な人物らしいと分って、八木会長は対応を宮崎氏に申しつけました。しかし彼は行動を開始しないのです。

 宮崎さんはいい人ですが、独自のアイデアはなく、また果敢な行動力もなく、私が提案したいくつものアイデアも「分りました」というだけで実行されたためしはありません。「難しいからやらないという弁解を最初に口にするのは官僚の常で、つくる会の事務局が官僚化している証拠だ」と叫んだのは遠藤浩一さんでした。

 採択戦の最も熱い場面で、もっと目に立つ運動をしてほしいという現場会員からの支援要請があるにも拘らず、文部省が「静謐な環境を」といったことを真に受けて、積極的な運動をむしろ「やってはいけない。敵と同じ泥仕合をしてはいけない」と抑えつけたのが宮崎さんでした。杉並の採択戦でとうとう藤岡氏が怒りを爆発させました。鎌倉その他からも不満の声がいっせいに上りました。

 宮崎さんは自分の性格の消極性をよく知っています。他人と四ツに組んで対決する人間としての気迫の欠如もよく承知しています。くりかえしますが、彼は几帳面な人ですが、「つくる会」の「事務局長」という対決精神を求められるポストには向いていないのです。

 こう申し上げることで多分ご本人を傷つけたことになるとは私は思いません。自分の性格の長短は誰でもかなり正確に自ら気づいているものです。性格だから変えようがありません。

 ですから、事務局長更迭は穏当な案件なのであって、宮崎氏の雇用解雇はこの段階ではまったく考えられていません。昨年の9-10月頃のことです。

 彼の生活のこともありますから、どういう立場で彼の名誉と給与を守るかが執行部の悩みの種子であり、鳩首会談の中心テーマでした。どこかで誰かが報告してくれるであろうコンピューター問題などが出てくるのはこの後だいぶたってからのことでした。

          (五)

 事務局長としての宮崎氏の不適任性は、事務局を内側から見ている役目を長くつとめた種子島理事や、会計監査の冨樫氏の共通認識であり、私を含む六人の執行部もまた、身近で彼を見ていたから言えることでした。地方にいる理事や、新しく入ってきたばかりの理事にいったい何が分るというのでしょう。

 いいかえれば、こうしたボランティア団体で局長人事に限らず一般に事務局人事は「執行部マター」であります。他の理事は事情がよく分らないのですから、追認するのが常識です。

 ところが今回に限ってそうはならなかった。先述のとおり「言葉の暴力」の乱舞する挑戦的な行動が突如として四人の理事によって展開されました。しかも、驚くべきことが時間と共にだんだん分ってきました。この四人のうち三人は保守学生運動の旧い仲間であり、宮崎氏もまたその一人であり、昔の仲間を守れ!という掛け声があがったかどうかは知りませんが、私的な関心が「つくる会」という公的な要請を上回って突如として理不尽なかたちで出現したことは紛れもありません。

 私はだんだん分ってきて、驚きましたが、同時にひどく悲しくなりました。こういうことはあってはいけないのではなかろうか。

 しかも困ったことにどうもこの動きには背後になにかがあるのです。そしてその背後を八木会長が配慮する余りに、彼がずるずると四人組の言い分に引きずられて、事務局長辞任は西尾や藤岡氏の意志であって自らの本来の意志ではなかったかのごとき声明を出したり、またそれを再び打ち消す逆声明を出したりと、ほとんど信じられない迷走ぶりをくりかえしだしたのでした。これらの文言はすべて証拠として残っています。

 八木さんは会長として会を割れないという一念があったのでしょう。私は今はそう理解しています。宥和を図る、というのが彼の一貫した態度でした。しかし宥和といっても一方に傾きがちで、四人組にいい顔をして、他方に配慮が足りないために、遠藤、福田、工藤の三人が副会長を辞任し、八木氏を諫止しようとする挙に出ました。八木氏には宮崎辞任を急がせるようにという三人の意志がぜんぜん伝わらなかったようでした。この点では他方を甘く見ていたのは失敗だったときっと彼はいま後悔しているでしょう。

 であるなら、八木さんをこんなにおびえさせた背後のもの、それに対する配慮のために自分を失いかねなかった背後の勢力とは何でしょうか。じつは、ここからが微妙で、言いにくい点なのですが、要するにわれわれにとって兄弟の組織、親類のような関係にある団体「日本会議」です。

 「つくる会」は一つの独立した団体です。人事案件はあらゆる独立した団体の専権事項です。どんなに親類のような近い関係にあっても、別の組織が人事案件に介入することは許されません。

 「つくる会」の地方支部は大体「日本会議」と同じメンバーで重なります。日本会議を敵に回すことは「つくる会」の自己否定になる、と八木さんはおびえていました。四人組に対し強く出ることは会を割るだけでなく、日本会議の今後の協力が得られなくなることを意味するのだというのです。

 しかも当の宮崎氏は「俺を辞めさせたら全国の神社、全国の日本会議会員がつくる会から手を引く」と威したのでした。私はこれを聴いて、いったん会を脅迫する言葉を吐いた以上、彼には懲戒免職以外にないだろう、と言いました。それが私が会長なら即決する対応です。四人組が彼を背後から声援していることは明らかです。

          (六)

 会の幹部は日本会議の椛島事務総長にも、また、同じように背後から宮崎事務局長の立場を守ろうとしていた日本政策研究センターの伊藤哲夫さんの所にも出向いて挨拶に行っています。私は行っていませんが、八木、藤岡、遠藤、福田の諸氏は互いに都合のつく者同士で組んで挨拶と相談のために出向いているのです。

 しかし、ここで一寸変だと思われる読者が多いでしょう。事務局長更迭は独立した組織である「つくる会」の専権事項であって、他の組織の長におうかがいを立てるべき問題ではありません。しかし八木執行部はそうしたのでした。そして余り色よい返事をもらえないで帰って来ています。

 どう考えても妙です。日本会議も日本政策研究センターも、ご自身の事務局員の人事案件について他の組織におうかがいを立てたことがいったいあるでしょうか。私は「つくる会」の「独立」が何よりも大事だと言いつづけました。

 椛島有三さんも伊藤哲夫さんも私がよく知る、信頼できるいわば盟友であることは先刻読者はご承知のとおりです。椛島さんとは夏の選挙戦で大分から宮崎を共に旅し、伊藤さんとは九段下会議の仲間です。宮崎人事に口出しして「つくる会」の「独立」を脅かしてはいけないとお二人はまず何よりも考えたでしょうし、考えるべきでもあります。

 椛島さんは、「宮崎君をまあ何とか傭っておいて下さい」というようなお言葉だったそうです。伊藤さんは「つくる会」の案件だから自分は関知しないし、「つくる会」の運動には政策センターとしてももう直接参加するつもりはないと言ったそうです。(ですが、宮崎氏は反対のことを言っていて「伊藤さんは自分の解任に最終的に同意したわけではない」と最後まで言い張っていました)。

 椛島さんも伊藤さんもあの古い保守学生運動の仲間なのです。今はもう関係ないと仰有るかもしれませんが、日本的なこの古いしがらみが八木会長の行動を徒らに迷わせ、苦しめたことは動かせない事実でした。

 彼は会の「宥和」を第一に考えました。そして、日本会議や日本政策研究センターが協力しなくなるという恐怖の幻影におびえつづけたのです。私の前でもくりかえしそう語っていました。それが事実であることを、椛島さんも伊藤さんもよく考えて下さい。ご自身がそう意図しないでも、相手に知らぬうちに激甚な作用を及ぼすことがありうるということを。

 お二人は何の関係もないと仰有るでしょうし、また事実関係はないのです。しかし「関係」というのは一方になくても他方にあるという心理現実があります。そのことを少し考えておいて下さい。

          (七)

 八木さんは会長ですから会を割るわけにいかないと必死でした。私は会の独立が大切だと思いました。一つのネットワークが一つの会組織に介入して、四人組をその尖兵として送りこんできているのではないかとの疑念を抱きつづけました。

 私だけでなく、他の理事たちは強く危機感を私と共有しました。私がまだ会を立ち去る前です。そして、その危機感は2月27日の理事会までつづいて、四人組のこれ以上の影響を阻止するために八木会長解任という結果をひき起したのではないかと考えます。八木さんの迷いぶりが彼の身を打ったのです。

 コンピューター問題とか、会長中国旅行の正論誌問題とか、いろいろ他にもあるのでしょうが、私は他の問題の意見を述べるつもりはありません。

 八木さんが不手際だったとも思いません。彼は彼で精一杯会を守りたいと念願していたのでした。しかし藤岡さんはじめ他のメンバーも会を守りたいと考え、激しくぶつかるほかありませんでした。

 まず最初に四人組が組織と団結の意思表明をしました。全共闘的な圧力で向かってきました。そこで反対側にいるひとびとは結束し、票固めをせざるを得なかったのだと思います。

 票の採決がことを決するのは「つくる会」の歴史に多分例がありません。初めての出来事です。組織的圧力がまずあって、ばらばらだった反対側があわてて組織的防衛をしたというのが真相でしょう。

 ひょっとすると思想的にみて、現代日本の保守運動に二つの流れがあるのかもしれません。その対立が会のこの紛争に反映したのかもしれません。しかしそれを言い出すとまたきりがなく難しい話になりますので、ここいらでやめておきましょう。

 いずれにせよ今日を最後に、私は「つくる会」の歴史から姿を消すことにいたしたいと思います。

 皆さまどうも永い間ありがとうございました。

 (了)

〈追記〉
 関係者以外の人に誤解の生じる恐れがあると読者の一人から指摘されましたので、追記します。「つくる会」で給与が支払われるのは事務系職員だけで、会長以下理事の活動は無料のボランティアです。ただし講演や出張に対しては報酬が支払われます。給与も報酬も一般平均より著しく低廉であることはいうまでもありません。

「「つくる会」顛末記」への81件のフィードバック

  1. >ひょっとすると思想的にみて、現代日本の保守運動に二つの流れがあるのかもしれません。

    この保守運動の二つの流れについて詳しく書いていただきたいと思います。
    たいへん興味深い話だと思います。
    書籍で結構でございますのでよろしくお願いします。

  2. つくる会騒動の経緯がよくわかりました。
    残念というほかありません。
    私はかつては、つくる会、日本会議の会員、ほかに李登輝
    友の会とかの会員でしたがいまは全て辞めました。
    ついでにいえば新聞は産経、朝日を購読しています。
    雑誌も西尾氏推奨のオピニオン誌はすべて目を通しています。しかし、この保守のいってることには賛成ですが、
    グループは閉鎖的であるという印象を受け続けてきました。
    拉致事件の救う会もそうです。今回のつくる会の騒動もなるほどそういうことかというのが私の印象です。
    自民党があれだけ大勝しているというのに、国民の多くが日本がおかしくなっていると感じているのは世論調査で明らかなのに、その割には産経も売れてませんし、日本会議も組織としては現状維持が精一杯ではないですか?売れているのはオピニオン誌だけです。
    その原因のひとつが、こうした保守を標榜するグループに集う人や組織の閉鎖性ではないでしょうか。
    この点、左翼のほうが新しい人材を発掘して、面倒をみて、
    テレビなんかの番組もキャスターも全部左翼です。しかも思想は別にして人間的に確かにさわやかな(?)連中も多い。これってなんなんでしょうね。
    八木氏にしても、皇室典範などで頑張ったのは分かりますが、当初から私はこのような人物がなんでつくる会の会長になるのか理解に苦しみました。政界が若返っているからまねをしたのですか?それともつくる会の後ろ盾である産経が持ち上げるから会長になったのでしょうか。
     しかし、日本人は大半は保守です。既成の保守系のグループだけが国を憂えてるわけではありませんよ。むしろそんな保守には見向きもしない人間が大半です。西尾先生には受け入れがたいことかも知れませんが、つくる会がなくなっても大したことはないかも知れないですよ。

  3. 1.この「顛末記」を拝読し、西尾先生が、何故、名誉会長を辞任されたかが判りました。
    先生のお考えに基づく教科書執筆がなされなくなるのは、残念です。小泉氏に対する評価等、多くの国民が傾聴すべき価値基準を基に、我が国を正常な国家にしようとされる情熱に、水を差す動きはが、シナ・朝鮮ではなく、保守(?)陣営からなされるとは、慨嘆に耐えません。
    2.気力を奮い起こして、国論を導いて下さるようお願い致します。

  4. 今のつくる会の現状は、ただの政治団体のなっているのではないでしょうか。日本会議かつくる会に入会しようか迷ってますけどどれも閉鎖的です。入会してない者が偉そうな事を言うなと思っているのかも知れません。日本会議もつくる会も誰が来ても自由に議論できる環境にしないと次回も無理でしょう。

  5. 山形のめいです。
    西尾先生おつかれさまでした。

    いつ閉じようかと思っていた正気煥発板、数日前からつながらなくなってしまいました。原因不明です。私なりに言うべきことを言っておくべきと思い、最近また書き始めていた矢先でした。折り良く知足さんがご自分の掲示板とブログに転載して置いてくださいましたので埋もれてしまうのを免れることができました。
    http://bbs1.parks.jp/29/hirokuri/bbs.cgi?Action=kiji&Base=321&Fx=0
    http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/

    ブログの方に転載しておきましたが、3年前南東北ブロック会議のために次のような文章を書いていました。
    ≪教科書運動を選挙に例えれば、(教育委員会に焦点をあてた)教科書運動は市町村議レベルのドブ板選挙では、かろうじて組織維持、運動としてはしないよりまし、結果としては徒労。教科書運動の選挙区はまずもって全国区であることを主眼とし、大量の浮動票を取り込む戦略をもたなければ運動の未来はない。
     たとえば、現在に至る分水嶺に、平成10年1月第三回シンポジウム「古代史最前線からの眺望」(『正論』平10・5月号所収)の岡田英弘先生を軸にした激しい議論があった。岡田氏の議論に左翼史観との仲介的役割の可能性をみる。あの議論の延長上にこそ教科書問題解決の展望が開けてくるはずなのではなかったか。すなわち、良識ある(唯物史観から自由な)学者層、知識人を総動員した戦後歴史学、戦後歴史教育見直し大論争へと発展させ、結果として左翼史観を吹き飛ばしうる可能性があったのではなかったか。
    「地方支部の結成→教育委員に焦点を絞った運動の展開」が結果的には全くと言っていいほど実を挙げることができなかったわけで、それ以前に歯車を戻さない限り、「会員倍増」は絵に描いた餅に過ぎない。地方支部にドブ板選挙的活動を期待する前に、本部レベルでの根本的な戦略見直しが必要と考える。≫

    つくる会の運動は本来社会運動であって政治運動ではない、そういう思いで参加し、山形の運動もその方向で組み立てていたはずなのに、教育委員会に焦点を絞った本部方針によってどんどん政治の渦中に引きずり込まれてしまいました。このことをめぐっての本部での議論はなかったように思えます。山形では最初の採択戦のあと、このことについての反省をいろんな場で申し上げたつもりでしたが、その反応といえば、トイレで隣り合わせた藤岡先生に「おもしろいことを言われますね」と言われたことぐらいでした。(それがどういう意味だったのか今もわからないままです)

    3年前のこの文章を引っ張り出して、ふと「新・ゴーマニズム宣言」の第102章(第8巻所収 平成11年)のことを思い出しました。この中で西尾先生が「私はむしろやめてほしいのは藤岡さんあなたの方だ!」と言っておられます。ずっとその場面が私の気持ちの中で引っかかっていました。涛川先生を追い出すことになったあの理事会がその後を方向付ける分水嶺だったように思えるのです。つまり、藤岡先生の路線がつくる会の今日を招いたのではないか。今だから言いますが、私は運動の現場にいたものとしてずーっとこのことを思いつづけてきました。事ここに至ればもう腹蔵なく出すものは出すべきと考えています。

    西尾先生と藤岡先生のお二人はつくる会にとっての神さまのように考えておられる方もあるようですが、私にはお二人の間での真正面から向き合った、この期に及んでは喧嘩別れになってもいい、お互い遠慮のない議論こそが、(かりに存続するとして)つくる会の今後にとっても、今後の保守言論界にとっても、ひいては日本にとってぜひとも必要なことのはずです。「私はむしろやめてほしいのは藤岡さんあなたの方だ!」西尾先生のこの言葉には、先生がその後ずーっと蓋をしてきてしまったホンネが込められているように思えるからです。運動の当初からつくる会に期待し、莫大な時間を捧げてきた者にとって、惜しむべきものは何もない。この痛恨の体験を今後活かせるかどうかは、これまでの運動についての徹底した反省の如何にかかっている。そのキーマンはやはり西尾先生です。

  6. 匿名さん 

    > その原因のひとつが、こうした保守を標榜するグループに集う人や組織の閉鎖性ではないでしょうか。
    > むしろそんな保守には見向きもしない人間が大半です。西尾先生には受け入れがたいことかも知れませんが、つくる会がなくなっても大したことはないかも知れないですよ。

    全く同感です。

    詳しくは私のHP
    http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/
    の中の
    第1部 正論はシンパ以外の人には届かない
    http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/mediastrategy1.html

    第2部 将を得ようとするものはまず馬を射よ!
    http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/mediastrategy2.html
    を参照下さい。

  7. しっかりと説明責任を果たそうとなさっている西尾先生に
    まず敬意の念を表させていただきます。
    つくる会の一連の騒動に関して、また先生の名誉会長退任
    に関して、その不透明さにやきもきする思いがありました。しかし今回の先生の説明である程度クリアになった気が
    します。
    左翼の一部には今回の騒動を「右翼の内ゲバだ」とはしゃい
    でいる向きもあるようですが、そもそも内ゲバは左翼の
    伝統芸のイメージだったのに、こんな風に言われる状況に
    は残念に思います。
    「保守が礼儀を忘れちゃいかん」という先生の言葉、よく
    分かります。最近は保守系ブログが人気を集め、ブログ
    ランキングの上位を占めていますが、その中にはどこが
    保守なのかといぶかるような下品で醜悪で無礼なものも
    多々あります。そういう手合いがもっともらしいことを
    言っていても到底信用する気にはなれません。
    品性下劣な人間が日本の美しき伝統を語るなど、悪い冗談
    にすら思えます。
    先生に申し上げるのは筋違いですが、保守を標榜する
    先生方には”保守”の名誉を傷つけないでいただきたいと
    お願いしたい。人は最終的には人間で判断するように
    思います。
    先生のこれからのご活躍を祈念いたします。

  8. 詳しくは、近日、書きますが、私も、めいさんと同じく、ずーっと「藤岡先生」の問題が心に残っています。
    はっきり言って、この西尾先生の文章は、今の表層の思いしか語っていない。酷い文章だ。
    全く「個人」として動いている私は、西尾先生が「名誉会長」になった時点(四年前)で、繰り返し、「社会の中の一論客」に戻った方がいいと言っていた。
    過去ログを見てもらえば歴然だ。
    くれぐれも、最近の私の「西尾批判」の初衝動を「嫉妬」と片付けないで欲しいものです。
    ムカつくが、知足さんのいうところの、問題はつくる会創立当初から育まれていた、も真理なのです。
    西尾先生自身に原因があるとお考え下さい。

  9. 色々と問題が絡み合っており、部外者の我々にとりましては介入する余地がないのかなという印象と、今後つくる会はどうなっていくのだろうという不安と、先生ご自身のこの件に関する辛い思いは如何なものなのかという心配が交錯しております。

    まず新教科書の主要部分が岡崎氏の指示により大きく書き換えられていた件に、今回の問題噴出のたんを発する原因として上げられております。

    そして事務局員を廻る人事の問題で対立がはっきりし、事は泥沼化していきます。その背景には執行部間の個人的ないざこざはそれほどその時点ではなかったに等しいと見るべきなのでしょうが、直接会ったこともない我々一般人にとりましては、この件に関しましては的外れな憶測が飛び交いそうですから、あまり追及すべき点ではないと認識します。しかし、結果的には執行部が割れる状況を招いてしまったようです。

    当事者各位はおそらく仲間割れだけは避けようと必死だったに違いありません。しかし、外部から思わぬ圧力がじわりじわりと忍び寄り、最後は言葉の暴力も招いてしまい、先生としましては苦汁の選択を強いられた形となりました。

    そこに至るまでの細かい経過は、先生が記された内容以外にもまだまだ多くの事実があるのだろうと予測しますが、詮索することは避けたい所存です。

    いまはただ先生がつくる会と絶縁を決意された事実だけを、私は素直に受け止めるだけにいたします。

    今後も何か新たな流れを呼びそうな重大な問題ではありますが、あれこれ考えても現実の前ではそれらは無意味なものかもしれないと感じます。

    最後の方で語られていた、保守の二層化とでも申しますか、新たな分類化が必要になったとでも申しましょうか、いやそれは突然ふっと湧いたものではなく、過去の流れからくる分類だと言えるのでしょうが、いずれにしてもここにきて新たな意識が必要になったのだろうと認識します。

    それを私なりに推測しますと、これは結局人間性に辿り着くのだろうと思うのですが、保守を自負する人間にも群れるタイプと群れを拒否するタイプとがあるのではないでしょうか。

    どちらが良い悪いとかではなく、好きか嫌いかで判断される問題ではないかと思うわけです。

    しかしこの違いは以外に大きな違いを齎す場合が多いと見ます。

    群れる事に違和感の無い方は、周りの雰囲気をかなり気遣いますが、結果的には主体性に乏しい面を見せます。ただし群れることに慣れていながら私信をちゃんと維持できる方もいます。反対に群れる事を嫌うタイプは物言いがハッキリしている方が多いです。一匹狼的な資質があることは間違いありません。ただし常に群れを拒否するとは限らない方もいます。大勢集まる所が苦手ではあっても、うまく周りと意見を交わせる方もいます。

    本来ならそうした分け隔てが取り払われた集まりが理想なのですが、やはりそこには目に見えない役割分担が自然と発生し、いつしかそれがお互いの領域として認識され、当初の理想からはかなり隔たりを生むケースは多々あります。

    もちろん派閥も生まれます。その象徴が政治の世界であり、結果的にそれ自体を受け入れられるタイプとそうでないタイプに分かれるのだと思います。

    ですから結局どう判断すべきかと言いますと、群れる事に抵抗のある方と無い方に分かれる事実の認識の必要性だと思います。勿論それだけで片付けられる問題ではありませんが、保守といえどもそうした流れはあると思います。

    比較的商店主はいつも孤独感に浸っていますので、群れを請うタイプが多いようです。ちなみに私は群れるのが苦手なほうですがね。

  10. nagareさんへ

    > 今のつくる会の現状は、ただの政治団体になっているのではないでしょうか。日本会議かつくる会に入会しようか迷ってますけどどれも閉鎖的です。入会してない者が偉そうな事を言うなと思っているのかも知れません。日本会議もつくる会も誰が来ても自由に議論できる環境にしないと次回も無理でしょう。

    私のプログ
    http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/
    の「右翼的政治団体の一種と見なされるようなら」
    http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/archives/2915244.html
    をご覧頂けたらと思います。

    蘭さんへ お久し振りです。

    > 詳しくは、近日、書きますが、私も、めいさんと同じく、ずーっと「藤岡先生」の問題が心に残っています。

    期待しています。

    > ムカつくが、知足さんのいうところの、問題はつくる会創立当初から育まれていた、も真理なのです。
    > 西尾先生自身に原因があるとお考え下さい。

    同感です。

  11. 知足氏、ここまできて他団体の誹謗中傷に手を貸して喜ぶことはおかしいですよ。

    貴方の場合、日本会議や日本青年協議会に感謝するのが筋でしょう。

  12. ピンバック: 不条理日記
  13. ピンバック: 仕事中に書くブログ
  14. >皆様へ
    今回の日録エントリーに日本会議や日本政策研究センターの名前があがっていますが、これは事務局長人事に関してのみの苦言であって、その組織全部を否定、批判なさっているわけではありません。

    それゆえ、これらの団体に対し、ご自分の実際の経験による感想はともかくとして、印象のみで右翼政治団体とレッテルを貼ったり、誹謗中傷なさることは慎んでください。

    また、西尾先生や、団体など何かを批判する場合、抽象的な批判は誹謗中傷となりますのでお断りします。具体的な事実に基づき、論理的にお願いします。

  15.  全共闘時代の右派・保守派学生運動に身を投じた人たちが今、全共闘的振る舞いをするのはなんとなくわかるような気がします。あの頃、全共闘は狂った暴動をしながらも大学を乗っ取っていたわけですから。その連中が結局ぬけしゃあしゃあと企業幹部なり官僚になっているのを見れば、社会が保守化(あくまでも政治学的見地から)し右派・保守派のオピニオンがある程度受け入れられるようになった今、かつて抑えていたものが吹き出てくるのも当然かなと思います。西尾先生が福田恆存シンポジウムで、所謂変節漢・転向声明も無くいつのまにやら保守派論客になっている人について「まあいいじゃないですか。」と言っていたのが思い出されます。正しい意見がその時代のムードで全く受け入れられないことは致し方ない。世渡りだけの論客もいっぱいいる。結局、言論人は、社会的評価にとらわれず他の論客の意見に惑わされず、自らの良心と信念にしたがって行動していくしかないでしょう。そして、社会が保守化したからといって別に自分の正しさ・力を誇示する必要もない。これからは、保守の中の世代間闘争ではなく思想的闘争の時代です。

  16. つくる会が別れていたことを今回初めて知りました九州の主婦です。日本の子供達が本来の歴史を知らねばと、出来ることをして参りましたが、その本部が分散してしまうことを強く危惧しております。皆様の英知で子供の将来を見捨てず、感情に走らず、分裂にならぬようお願い申し上げます。

  17. 人事問題で中央組織がいかように揺れようと割れようとも実際に活動しているのは地元です。地元の組織と「新しい歴史教科書」そのものが健在である限り、たいまつの火は変わらず闇を照らし続けると思います。教科書採択は「商戦」ですから、扶桑社以外の7社にとっては新規参入の「新しい歴史教科書」が競争相手としてそこにあるだけで気がかりで目障りになっています。この「気がかりと目障り」という存在感こそが教科書改善という車を険しい坂道を峠に向かって押し上げて来たことは明らかでしょう。

    従軍慰安婦の記述が消えるなど、従来の教科書群の内容も改善されてきました。本部の総括の中で、教育委員会段階で3対2での惜敗構図ということが取り上げられていましたが、反対勢力の認識も同様のようです。また現場の教師にも味方がいます。情報公開で得たいわゆる学校票が手元にありますが、それを一枚一枚読んでみますと、そんな先生たちの声無き声が伝わってくるようです。坂道をここまで来れたのはやはり西尾先生や先覚の方々のおかげだと思っています。このことに感謝し、「つくる会」の会員としては一人一人が、遺していただいたこの「新しい歴史教科書」のセールスマンのつもりになって一灯一灯をかざして行くことが大切なことではないでしょうか。「一隅を照らすは是れ即ち国の宝なり」(最澄)

  18. たまに読む人さんへ

    > 貴方の場合、日本会議や日本青年協議会に感謝するのが筋でしょう。

    感謝しているからこそ、批判させて頂いています。

    どうでも良ければ、批判すらしません。

  19. 小中高の学校の教科書は教育委員の会議で採択されます。その教育委員は下記のとおり地方公共団体の長(市町村長)が議会の同意を得て任命されます。
     それならば、「つくる会」教科書が全国の市町村で採択されるためには、「つくる会」教科書の採択に賛同する首長・議会に請願することが一番の道ではないでしょうか。「つくる会」教科書に反対するグループは、教育委員へ脅迫と圧力を加えていたようですが、同じ土俵で相撲をとるのはどうも迂遠な手段のように思います。
     市長や町村長さん、議会の多数派会派は自民党が多いのではないでしょうか。それなら自民党に請願することが一番効果的に思われますが、どうでしょう。
     草の根の運動は苦労も多く、西尾先生の「顛末記」のような悲惨な出来事が出現するのも、「自己愛」(カント)に膨れ上がった人々が充満する世の中ではしょうがないと思います。
                                記
    「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第4条第1項

     委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。
    同法第5条第1項

     委員の任期は、4年とする。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
    同法同条第2項

     委員は、再任されることができる。

  20. ピンバック: なめ猫
  21. >松五郎さん

    おっしゃるとおりだと思います。

    >自然葉さん
    教育界はいまだに異常な常識?が支配している部分が多いですね。長い長い間に、左翼思想が善であるという状態になっているので、どんなに議会が教科書採択において、要望書を提出しようが、教育委員会が学校側を向いていて、ぜんぜん相手にされません。

    松五郎さんもお書きになっているように、それでもしっかりした教育委員が増えてきているのも現実のようです。

    できるところからこつこつとするしかありません。

  22. 再び山形のめいです。

    運動に心血を注がれた東京支部長さんが、つくる会のMLで理事や事務局員のほとんどは「現場」の運動には何の役にもたたなかったことを嘆いておられました。しかしそもそも「現場」を採択レベルに矮小化してしまったことにこそ問題があるわけです。本来教科書改善の運動が目指すところは、日本人としての共通意思づくりにこそあったはずなのです。だれも一出版社の営業活動をするためにつくる会の運動に関わったわけではない。日本人としての共通意思づくりのチャンスをみすみす逃してしまった。その結果が今の日本の体たらくといってもいい。それが悔しい。ここのところを運動の舵取り役であったはずの西尾先生にもきっちり認識していただかねばなりません。この認識に立ったきちんとした(自らを切りさいなむ覚悟をもって)反省総括をしていただかねばなりません。それが西尾先生に今与えられた責務であるはずです。

  23. >めいさん

    めいさんの責任追及先が間違っているように思います。

    運動の舵取り役はまず会長でしょう?
    この四年、会長ではない西尾先生にそのような追求をなさるのは筋違いではありませんか。

    めいさんはずいぶん挫折感にさいなまれておられるようですが、教科書の採択率と国民の意識は連動していないと思います。これは、以前の教科書採択時も同じで、一般の意識と教育界の意識の完全なずれがあるからだと私は思っています。
    教育界は左翼思想がいまだにまかり通っているのです。

    一方国民は確実に自虐史観を脱しつつあり、中国韓国の歴史教科書への干渉に対し、嫌悪感を抱いてくるほどに変わってきています。
    (もちろんいまだに十分ではありませんが)

    つまり日本人の共通意識の形成には前進がみられます。
    そうは思われませんか?
    チャンスをみすみす逃してしまった?
    そんなことはないと私は思っています。

    今の日本の体たらくの責任は西尾先生一人にあるのではなく、私たち国民一人ひとりに同じ重さだけあるのです。

    めいさんが大きな壁の厚さにうんざりされる思いはわからないでもありませんが、めいさんがなさってこられたことも、支部でそれぞれが努力してきたことも、何一つ無駄なことはなかったのだと私は思っています。

  24. 長谷川さん

    西尾先生との二人三脚で大きな役割を果たしておられることにあらためて敬意を表させていただきます。おかげで私も鬱屈した思いをぶつけられる場を与えていただいていると感謝しております。

    私の言わんとするところをよくお読みいただければわかるはずですが、私が問題にしているのは西尾先生が会長であった運動の最初の段階です。そこが間違ったと言いたいのです。西尾先生に対してないものねだりをしているのではありません。西尾先生ならおわかりいただけるはずという思いで申し上げています。

    >今の日本の体たらくの責任は西尾先生一人にあるのではなく、私たち国民一人ひとりに同じ重さだけあるのです。

    こういう物言いはこの際何の足しにもならないことを自覚せねばなりません。

  25. つくる会が、そういう状況だということは
    今日、初めて知りました。
    驚きました。
    今までの西尾さんの言動、書物を
    見てきた一人の一般人として
    尊敬している方なので、私は全面的に
    西尾さんの行動を肯定します。
    別な形で、今後も活躍してください。
    期待しております。

  26. >めいさんへ
    あるところで、以下のような意見がありました。

    途中略

    つくる会……見ていて非常に残念です。
    実際に、この会が作った教科書は良いものだと思います。それが起こした反響は大きかったと思いますし、読んでみて「普通の教科書なのに、どうしてこんなに『戦争賛美』って言われるんだろう」という感覚を、一般の人は持ったと思います。そういう意味では、大袈裟かもしれませんが、現在の日本の雰囲気(靖国参拝しても、『日韓併合は悪いことばかりじゃない』と言っても政治家が辞任しなくて良い雰囲気)を作るきっかけになったと思います。
    それだけに、本当に残念に思います。
    初めてなのに、長々と申し訳ありません。

    投稿者 Ka : 2006年03月09日 13:54

    つまり、つくる会のやってきたことには効果があったという証ではないでしょうか?

    確かに採択は取れなかった。
    けれど、日本人の意識は徐々に、確実に変わってきています。
    これは事実です。

    運動の仕方が稚拙だった、反省しろ、間違っていた?

    >めいさん
    未来はその時点ではわからないのです。
    その時々に、最善の方法を模索し、それなりにやってきたのです。めいさんの意見が通らなかったのは、めいさんの力量がそれまでであったということです。

    私の物言いが、めいさんには何の足しにもならないとしても、私は常にそういう(責任は私たち国民一人ひとりに同じ重さだけある)心構えでいることの表明です。つまり、責任を人に問うばかりでは、何にもならないと私は思っているということです。

  27. 長谷川さん

    誤解しないで下さい。西尾先生を「責めている」のではありません。生を賭して言論の世界に生きておられる西尾先生に「問う」ているのです。私も生活を二の次にしても正気煥発板上で自分の言葉を吐いてきました。自分の言葉にはそれなりの責任を持っているつもりです。そのレベルで西尾先生に問いかけているのです。つくる会の運動のために費やした莫大なエネルギーを今さら惜しむわけではありません。それはそれなりに意義があったとも言える。それは私個人のことだけではなく世の中全体に広げてもそれを言えばなんとでも言える。そう言ってしまえばそれっきりです。しかしそれで済ませられる問題ではないこともご理解下さい。日本の歴史を背負った極めて「公的」役割を担った運動だったのですから。

  28. 感情が色々あっても良いとは思いますが、せっかくここにコメントを寄せるのなら、皆に解りやすい疑問や意見を書いて欲しいです。先生の当初の考え方や行動が間違っていたなどのイメージばかりしか表現されていないため、ROMする者にはちんぷんかんぷんです。他所で書き込むと言われても見れない立場ではとうしてよいやら。

    自分のちゃんとした意見であれば素直に書き込むべきだと思うのですが、如何でしょうか。ただし誤解を招く表現は避けてほしいです。

  29. 長谷川様
     
      ご教示ありがとうございました。なにぶん不勉強なもので、すみませんでした。大変勉強になりました。
      長谷川さんは以前H県某市の教育委員をされていたことを西尾先生の著書(「私は毎日こんな事を考えている」徳間書店、2003年7月31日379ページ)で知りました。採択現場での孤立した闘いに敬意を表します。
      「つくる会」の内紛については、真相はわからず、また、強いて知りたいとも思わないのですが、
    「つくる会」の教科書採択運動が地域住民のみなさんの賛同を得ることによって、首長さんや地方議会のみなさんが、識見確かな教育委員を任命できるようになることを望みます。
      その闘いのためならば、担い手たちの資質はとりあえず問わず、「黒い猫でも白い猫でもねずみを取る猫がよい猫だ」(中共・鄧小平)でよいのではないでしょうか。

  30. >自然葉さん

    ・・・・・・ばれてましたか。

    最近ではNHKですら、歴史認識という言葉を使うようになりました。
    また、歴史教科書問題というものが、なにやら中国・韓国からの干渉をさえ呼ぶ大変な外交問題といわれるほど、有名になりました。

    世の中に認知されたのですから、今からが「ねずみ」を取る本番なのかもしれませんね。

  31. とにかく残念でなりません。特に先年亡くなられた坂本先生を思うと心が痛みます。

    ただ、四人の理事の先生方の弁明なり反論なりを聞いてみないと何ともいえないのもあります。

    新田先生もどういう考えであのような発言が出たのかわかりませんが、ちょっと耳を疑うような(信じたくない)話です。

    そこまで言うに至った言い分なり何なりがあろうと思います。

    ここに書くなり、何らかの形で言い分を明らかにしてほしいです。
    ここまで騒ぎが大きくなった以上、四人の理事の先生方も沈黙のままでは許されぬと思います。

  32. 私が従軍慰安婦問題を通して教科書問題に関わるようになったのが平成8年の暮れ、その最初の段階、つくる会の運動以前の段階で日教組とのやりとりがあり、そこから「日本人としての共通意思」をどう確立するかということが課題としてありました。同じ日本人である以上日教組ともわかりあえるという思いがあった。だからつくる会の運動に入ってからの反対派の集会にも支部事務局長を名乗って参加したこともあるし、俵義文氏の講演会にでかけたこともあった。しかし、つくる会の運動はそれを逆なでする方向へと進み、運動の内部にいた私もその流れに流されていた。そして今になってこんなはずではなかったと思いだしている。だからといって改めて出直そうというエネルギーはもう残っていない。ただ、うやむやのまま運動から遠ざかりつつあったのが、つくる会内部のゴタゴタのおかげで胸底にたまっていたものを吐き出す機会が与えられたのはありがたいことだったと思っているところです。

    あきんどさん

    3/10のコメントがもし私に対してであるとすれば、知足さんが運営される「マスコミ情報操作撃退作戦掲示板」の下記スレッドををご覧いただけたらと思います。
    http://bbs1.parks.jp/29/hirokuri/bbs.cgi?Action=kiji&Base=321&Fx=0
    です。私がどういう流れの中でで申し上げているかについておわかりいただけるかと思います。

  33.  僭越ではありますが、以前から感じていた事を、この際、率直に述べさせて頂きます。

     西尾先生の文章は、ことさら大げさな表現を使って、相手との「敵対意識」を煽るような文面が見られます。
     これでは、必要以上に相手の感情を逆撫ですることになり、あまり上手いやり方だとは思えません(「的確」な表現であっても、使い方が「適切」であるとは限らない)

     先生の目から見れば、「四人組の結託」にしか見えないとしても、いきなり「四人組」などとレッテルを貼られては、批判された方には弁解の余地もなくなるのではないでしょうか?(前会長に「かなり」肩入れしていることが、文面からもうかがわれるし、「敵と味方」を色分けしすぎているきらいもある)

     一方からは非常識に見える行動だとしても、本人には本人なりの考えや信念があって行動しているかもしれないのですから、それを頭ごなしに否定するやり方は、いたずらに余計な対立を招くだけにしかならないと思います。

     それに、保守同士ですら、これほど許容範囲が狭いとなると、私のような今時の生意気で礼儀のない若者は、最初から歯牙にもかけられないのだろうと、どうやって年輩の人間とコミュニケーションを取ればいいのか途方に暮れるばかりです。

     時代はすでに遙か先に進んでおります。

     若者だって、若者なりの価値観で一生懸命に生きようとしておりますので、そのことだけは認識しておいて欲しいと思います。

    (一度、モーニング娘。の歌の歌詞に目を通してみて下さい。 とても為になる言葉がちりばめられていますよ? これを聞いて育っている若者がたくさんいるのですから、日本の未来はまだまだ明るい)

  34. 【産経新聞、3月11日朝刊、一面から】

    典範会議・岩男氏、寛仁さま発言批判 「時代錯誤」

     

    政府の「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーである岩男寿美子・武蔵工大教授が、自身が編集長を務める海外向けの英文雑誌「ジャパンエコー」二月号に寄せた論文で、女系天皇に異論を唱えた寛仁親王殿下を「時代錯誤の考えには、驚くしかない」と強く批判していたことが十日、分かった。岩男氏はまた、寛仁さまが側室制度導入は「難しい」としているにもかかわらず、「側室制度を提案してきた」と事実と異なることも記述している。

     「ジャパンエコー」は海外向けに、英文で日本の論壇の論調などを紹介する隔月刊誌で、編集会議には外務省職員も参加。在外公館を通じ、欧米など各国の大学や研究機関に配布している。

     岩男論文は「日本の皇位継承者」と題し、「二〇〇五年十一月は、日本の皇室にとって二つの大きな進展のあった月だった」と書き出し、有識者会議の報告が提出されたことを自賛。メンバー構成や報告書の内容、反響などを紹介している。

     この中で、寛仁さまについて「天皇のいとこで、女性が皇位を継承できるようにすることについて疑問の声を上げ、旧宮家や皇室の側室制度の復活を提案してきた」と指摘。さらに「彼の時代錯誤(anachronism)には驚くしかない」と批判している。しかし、寛仁さまは昨年、福祉団体の会報に寄せたエッセーで、側室制度に触れてはいるが、「国内外共に今の世相からは少々難しいかと思います」と記され、「提案」したわけではない。

     また、岩男氏は、短期間で結論を出した有識者会議の議論に「拙速だ」との指摘があることにも「奇妙な反対論だ」と反論している。その理由として「この問題は実は有識者会議の設置に先立つ七、八年前から内閣官房内のグループによって研究されていた」と明記した。有識者会議が事実上、先行する政府の非公式研究を下敷きにした「結論ありき」の存在だったことを認めた形だ。

    http://www.sankei.co.jp/news/morning/11iti003.htm

  35. ま、知足さん

    他人様のことをあれこれ言う前に、自分の行動を省みましょう

    知足さんも・・・

    なんだかこの頃あちこちに遠回し、あるいは露骨に自身のプロパガンダを貼り付けておられるようですが、

    読んでるこちらが薄ら寒いというか、ち~と恥かしいですよん(笑

    ま、確かに

    知足さま>

    確かにマッカートニーさまの仰るとおり、マルチポストはネチケット上非礼ですので、マルチポストをされる際にはその旨断って、どの板にマルチポストしたのかを明示した上でお願いします。板には各々特色がありますから、他板で全く同じ投稿を見ると確かによい気分ではありません。

    Re:知足さんも・・・

    ▼マッカートニーさん:

    >なんだかこの頃あちこちに遠回し、あるいは露骨に自身のプロパガンダを貼り付けておられるようですが、

    >読んでるこちらが薄ら寒いというか、ち~と恥かしいですよん(笑

     私も同感です。マルチポストがマナー違反だということもありますが、それ以上に「要するに何を言いたいの?」ということが問題なんですね。最近はもろサヨク的な投稿をこのままコピーしていて、単に感情的に作る会が嫌いという以上のことを読み取れないんですね。お題目としてメディアによる洗脳を解くということを掲げていて、それには共感できる部分もあったけど、実際にはその逆へ向かっていますね。

    ほんと、見ていて見苦しいよ、コピペのマルチポストも

    アクセス稼ぎのための、人気サイトへのトラックバックの乱れ打ちも

    あなたがまともなこと書いてりゃ、んなことしなくったって、ほっといても徐々にアクセスは上がりますって(笑)

    つーか、世の中既に、あなたが皆にリテラシー教わらなきゃいけないくらいになってます

    濡れ落ち葉は見苦しい

    めいさんってのもそう

    んな汚らわしいサヨクチックな掲示板のリンク貼らずに自分でブログでもやってみたら

    チラシの裏よりはマシだよ

    読みにきてくれる人が現れるかもしれないし

  36. >てっくさん
    管理人がすべき注意をしていただいてありがとうございます。

    実は知足さんからのトラックバックに関して、私もずっと気になっておりました。

    ご自身の同じエントリーから日録のいろいろなエントリーに対し、トラックバックをいっぱいなさっておられます。
    ブログはまだ一般に利用されだして間がなく、ルールが出来あがる段階ですが、トラックバックアラシにならないように気をつけてください。

    ご自分のブログへの誘導・・・つまり宣伝でしかないようなコメントもマナー違反に近いものがあります。
    確かによその板にもまったく同じコメントを貼り付けておられますね。(言われて、ちょっと巡回して確認しました)

  37. てっくさん どうも 

    > 他人様のことをあれこれ言う前に、自分の行動を省みましょう

    ご忠告ありがとうございます。またご批判は歓迎します。批判なくして、進歩無しと思っていますから。

  38. 長谷川さん その節は大変お世話になりました。

    > ブログはまだ一般に利用されだして間がなく、ルールが出来あがる段階ですが、トラックバックアラシにならないように気をつけてください。

    分かりました。慣れないものでご迷惑をお掛けしましたらお許し下さい。決して、アラシを目的としたものではありませんから。

    > ご自分のブログへの誘導・・・つまり宣伝でしかないようなコメントもマナー違反に近いものがあります。

    でも、それで西尾さんブログを愛好する人達同志での繋がりができるなど、メリットがある場合も少なくありませんね。

    ともかく、管理人さんのご迷惑になることがありましたら、遠慮無く、ご指摘下さい。

    当方としては、世間に公開する言論には批判を歓迎する姿勢を期待したいのみです。たこ壷に入ってしまったり、一方向では、折角の言論が活きませんから。

  39. これは要するに、組織の運用の問題ですね。創設が営利目的ではなく、純粋に教科書を変えていかなければならないとの思いから、ボランティアの組織形態になってしまった事による欠陥が露呈してしまったということなのでしょう。

    短期的にはボランティア組織では問題はでないですが、長期的にみれば利害の対立による内紛がおこってくるのは必然です。この場合、他の教科書会社と同じ株式会社という組織形態をとり、創設メンバーが出資する形にしていれば、株主の専権事項の権限により、事務局長解任は速やかに行う事ができたのです。また新しく株主でもない人間がいきなり理事として入ってくることも阻止できたのです。

    しかし形態がボランティアという節足な形態のままであれば、事務局長解任もうまく進まなければ、訳の分からない新規理事に会を乗っ取られるという最悪の事態に発展してしまったのです。株式会社ならば信頼しうる創設メンバーが理事のままでしたし、新規の理事もはいってくることはできなかったのです。現在の理事が理事を退任する場合のみ、自分が認める国士に対し自分の持ち株を譲るかたちで理事の若返りを図っていけば安定した組織運用ができたでしょう。

    ボランティアとは幻想を多分に含みます。当初は幻想だけでもうまくいきますが、時間が経てば欠陥が露呈していきます。営利目的ではない、社会貢献を行うための株式会社として組織を運用していくというのが、これからは必要でしょう

  40. >めいさん

    残念ながら私の携帯では閲覧できません。

    マイPCがありませんので、残念ながらあなたのご活躍は確認できません。

    ですから、私は前も述べたように、コメント欄に書き込むなら意見や疑問をハッキリと語ってほしいのです。どこかで何をしようが勝手ですが、ここではここの語りを見せてください。

    それでないと私は何も語れないわけです。

    それが叶わないなら私は勝手に色々と想像を膨らませるしか無いのです。

    別に貴方だけに限る話しではないですよ。

    他にも何名か同じ行動をされています。

    長谷川さんがおっしゃるように、blogのルールとか常識とかはこれから構築されるんでしょうが、基本的にネットでの姿勢は昔も今も変わらないと思うんです。先生は全てを語っているのに、批判するコメントが何も語らないのは卑怯ですよ。つまり私みたいな携帯しか持ち合わせていない立場から言わせてもらうと、先生の褌を借りてご自身の活動に日の目を当たらせるセコイ手法としか、印象に残りませんね。

    ましてや蘭なる人間がいくらリンクされている立場とはいえ、そうしたこともまったく理解できていないようなコメントを入れる始末です。褌を借りしかもリンクに胡座をかくような誘導をし、その後全くコメントが無いのですが、あなたはいったい何様なんですか。先生が何故このように、信頼していた方々に言いにくい言葉を語るかというと、私はこう解釈します。

    つまり、一滴たりとも自分に甘えの水は呼び込みたくない。出会う方々がいかに立派な理論を語ろうと、能力に劣るものが精一杯頑張って語ろうと、その一つ一つを絶やそうとしているのではない。しかし、自分の信じる理論とそれを近づけたとき、距離感は生まれる。その時先生なりの比較は生じそれははっきり表現すべき責任が思想を語る者には常に要求されている。

    私はこうした条件を受け入れられるかいなかが思想家かそうでないかの境目ではないかと思うのです。

    更に先生はつくる会という難しい団体を発起し、盾になる覚悟と、そしてここからは私の勝手な想像ですが、先生はタブーにチャレンジしたのだと思います。

    そうした無謀さには稚拙さを投げ掛けても許される範囲はありますが、その勇気がもたらす影響には批判は許されるのでしょうか。

    ところが、ここに寄せられるコメントの批判の類は、先生の立ち振る舞いに言及しています。

    しかもコメント無しで。

    あなたがた・・・何考えているんですか?

    まるで適の首を取ったようなその傲慢さはどこから生まれるんですか?

    もしもあなた方が先生を本気で心配するならば、伝わるものは180度違いますよ。それを覚悟してカキコしているならばわたしがでしゃばる余地はありませんがね。

  41. >みなさまへ
    コメント欄の反映に時間の逆転があります。
    これは携帯からの投稿には保留の設定をしていないところから生じる現象です。

    その点、ご了承ください。

    >真正保守主義者さん

    おっしゃることはかなりあたっていると思います。が、「つくる会」は教科書発行会社ではなく、教科書そのものの発行は扶桑社がおこなっています。教科書を発行してよい会社には、文部科学省からとても高いハードルが課せられていると聞きます。

  42. 西尾幹二という評論家を知ったのは大学生時代(19歳頃)で,哲学という学問を知ったのがきっかけです。私に今迄の哲学者を知れば今の最先端の問いがわかるという考えと昔の哲学者の著書に書いていることは解決済みでその哲学者の著書を読むより手っ取り早く誰かがまとめた本を読めばいいという安易さがありました。その過程でニーチェを知って,本屋で「ニーチェとの対話」を手にして西尾幹二という名を知ったのです。他の大多数の人がとる哲学者,哲学書紹介のような書き方でなくかなり私的体験をいれていて斬新さを感じました。その書き方もあって,すぐ「ヨーロッパの個人主義」に手がのびました。そして私は傲慢でしたのであの講談社のシリーズは薄い書物なので力量がない人達が本として出すのだと妙な偏見を持っていて,地方でもあったので,それ以外に著作を置いてなく西尾幹二という名が書いた書物がなく,読んだ本の書いた年が1970年代だったので,なかなかやる学者だが,これで終わったのかと一人独断しておりました。2000年に「国民の歴史」が店頭にたくさん置いてあったので,名を見た当初は驚きました。頭のきれる人というのがあったのですぐに買いました。その本で私は「つくる会」の存在を知ったのです。なぜに歴史書をという疑問がありましたが,読んで本の趣旨はわかりました。それから「異なる悲劇-日本とドイツ」を読んでいました。その本だったか西尾先生が自分は今迄,組織でうまくやれるほうではないようなことを書いていた記憶があります。この文は西洋的な個のあり方を知っている発言だと思いました。しかし.私は日本の多数で運動なりして会なりを作るにあたって西尾幹二は日本の馴れ合いの論理で周りの人達にのまれるだろうと高をくくっていたのです。
    日録の存在を知ったのが去年の8月です。なぜに政治に躍起なのかと疑問もありましたが,近年(2003年ぐらいまで)の著作群を読んで,一つの信念に結晶していっているのがよくわかります。国の為にというのが。
    しかし,今年の2/18の日録は感嘆した。最後の部分に,組織にのまれず個としてやっているのがよくわかりました。それも自分が歴史の一部に過ぎない,父,母の子という文で,現代の空想めいた個でないことが書いてあることにも。地に足がついている。
    あの学生の頃に読んだ本からまったく変わっていない。気が充実してる。
    私自信は西尾先生が名誉会長及びつくる会を辞めた経緯はうすうす感じていたことが現実として起こった感じです。

  43. あきんど@携帯さん

    携帯からのアクセスでは他へリンクできないという事を今はじめて知ったところです。携帯は持っていても今もって「電話」としてしか使っていない古い人間ですので。

    3/10のコメントでも書きましたが、つくる会の運動は過去から未来へと通ずる、今生きているわれわれ自身にとどまらず、われわれの祖先から子孫までも視野に置いたきわめて「公的」な運動と認識していました。そうであればこそ諸々なげうってもやらなければならない運動と考えて取り組んだはずでした。私にしても私的にはとても事務局長を引き受けられるような境遇ではなかったのですが、以前からの教科書問題とのかかわりから了承せざるを得なかった。そして私が頼み込んで引き込んでしまった方もある。そのことへの責任も私の気持ちには重くのしかかっています。今のつくる会の実態を見るにつけ、この思いは私だけではないはずです。正直のところ、第一次採択戦が終わって自分なりの総括をまとめ上げた後、わかってくれる人がいなくてもしょうがない、うやむやのまま遠ざかろうという気持ちでいたのですが、今になってみてひとり私の県だけの問題ではなく全体の問題であったことにあらためて気づき、最後の力を振り絞るつもりで自分が管理する掲示板(山形県支部新正気煥発板)で書き出しました。ところがなぜか、久しぶりに書き出してまもなくその掲示板がアクセス不能になったため、以前からお出でいただいている知足さんの掲示板とブログを利用させていただいていた次第です。少々声を荒げているような印象を与えた面があったかもしれません。これまでいくつかこの場でコメントを書きましたが、私が書いたものをよく読んでいただけば私の言わんとするところはここだけでも十分おわかりいただけるはずです。印象でなく、具体的な問題としてご提示いただけばそれにお答えしたいと思いますのでよろしくお願いします。

    てっくさんに言われて半年前につくっていた私のブログがあるのを思い出し、今日久しぶりに書いてきました。まだよちよち歩きのブログですがリンク可能な方はご覧下さい。
    http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/

  44. めいさん へ

    山形のめいさんからの訴えとご質問に、よく存じ上げているほかならぬめいさんからのコメントでしたので、意味がわからない点もあるので、ひとこと応答させていただきます。

    めいさんはつくる会の本来の目的は「日本人としての共通の意識ずくり」であって、「教育委員に焦点をしぼった採択運動」であるべきではなかった、とおっしやいますが、その意味が私にはよくわからないのです。採択運動は政治運動であって、それに矮小化すべきではなく、「全国的な社会運動」を展開すべきであったともおっしゃるのですが、われわれは各種の出版やシンポジウムをずいぶんやりました。力およばなかったとはいえ、「全国的な社会運動」はかなりやったつもですが、「日本人としての共通の意識ずくり」とはこういうことをもっとどんどんやるべきであったという意味でしょうか。そして、採択の現場への働きかけはやらないほうがよかったということでしょうか。

    どうも意味がよくわかりませんので、「日本人としての共通の意識ずくり」の具体的な内容としてあなたがイメージされていることを解りやすくおしえてください。これからのわたしの活動の参考になります。よろしく。      西尾幹二

  45. 西尾先生

    ご返事ありがとうございます。
    私もここ数日いろんなご意見に接しながら自分の体験を反芻しているうち、つくる会に関わる以前、私にとって教科書問題とはなんだったのかと考えるようになっていました。そうしてあらためて浮んできたのが「日本人としての共通意思」という言葉でした。そもそも公教育とはそのことを醸成することが大きな目的であるべきはずです。ところが「個」を原理とする戦後教育においてはこの視点がすっぽり抜け落ちている。この原理こそ問題にしなければならないのではというのが私にはずっと問題でした。この問題について5年前に書いた文があります。ちょっと長くなり申し訳ありませんがお読みください。

       *   *   *   *   *

     教育の何を変えるべきか
       秩序感覚の回復を
         
     「素直であること」が悪いことであると思わなければならない、と思い始めたのは今から四十数年前、小学五、六年生の時だった。当時の担任であった女の先生は、作文指導の中で、何事に対しても批判的であることの大切さを教え込んでくれたのだった。それまで「人の言うことは素直によく聞くこと」とばかり思い込んでいた私にとって、世界がひっくり返るような教えだったのだと思う。目のパチパチが止まらなくなるチック症で「ソロバン」のあだ名が付いたものだった。
     以来戦後教育の洗礼をまともに浴びつつ高校から大学へ。しかしあの全共闘時代の真っ只中、何とか渦中に巻き込まれずに踏ん張れたのは、祖父母のいる家庭で培われた、学校教育以前の「三つ子の魂」のおかげだったと思う。
     まじめに勉強すればするほど人間がおかしくなる。まじめに勉強すればするほど、自分の住む国がいやになり、世の中に対して反抗的になり、世の中のしきたりなどどうでもいいことのように思えるようになり、年寄りを軽んじて平気な人間になってしまう。自らを省みてそう思う。学校の勉強なんていい加減に聞き流してきた方が、ずっとまともな人間として暮らしてゆけるのだ。戦後教育に内在する恐ろしい逆説である。 
     中学の「公民」の教科書(東京書籍)を開くと、「社会における利害の調節や紛争の解決をめざす営みを広い意味で政治とよぶ」とある。利害の対立や争いごとがあるから政治があるということになる。そうなのだろうか。日本では、政治を「まつりごと」とも言う。そこにはまず秩序がある。政治の役割とはまず何よりも、世の中の秩序を維持することではなかったのか。たしかにもめごとの解決も秩序の維持も同じことの裏表、しかしどちらを表に出すかで、もめて当然かまとまっているのがあたりまえか、天地の隔たりが出てきてしまう。この教科書ではわざわざ「広い意味で」と言っているので、子供たちは、すべて政治は基本的にそういうものなのだと思い込む。その一方では「人権の尊重」とか「自由と平等」とかの言葉で西洋仕込みの個人主義をたたき込まれるわけで、いくら「公共の福祉」やら「寛容の精神」やらで和らげようとしても、世の中もめていてあたりまえ、みんな自分の思いのまま、強いものが得をする、そんな感覚になってしまわざるをえない。
     歴史の教科書も同様である。たとえば、「大正デモクラシー」の節には「米騒動は、およそ三ヵ月にわたり、約七〇万もの人々が参加する民衆運動となり、軍隊の出動でしずまったが、人々の政治的な自覚をうながした。」(日本文教出版)とある。まさにもめごとが「政治的自覚をうながすもの」として奨励されるかのようである。
     また、「公民」の教科書(東京書籍)では、「人権」について三七ページにわたって説明されている。「人権」という言葉と表裏一体のものとして「自由」が叩き込まれる。しかもそれは「国の秩序」や「学校の秩序」や「家庭の秩序」よりも何よりも優先されている。本来「人権」や「自由」という考え方は、弾圧や抑圧に対抗するものとして生まれてきたはずのものなのに、今の教科書ではそれだけが一人歩きしてしまっている。
     かつてわれわれ世代にとって教祖的存在でもあった吉本隆明は「個人幻想は共同幻想に逆立する」と言った。われわれは、共同幻想からはみ出た部分を自己とし、それを以って存在の基盤に据えようとしていた。存在自体が根底において反秩序なのである。世の中との乖離は必然である。学生時代を含め十年間の独り暮らしから、家業を継ぐため家に戻って、地域に溶け込んでゆく中で、戦後教育で身につけた殻を徐々に徐々に剥がしてきた。教科書を読むと、殻をまとっていた頃の自分が見えてくる。
     フッサールからメルローポンティに連なる現象学の系譜は、コギト(思う我れ)を原理とするデカルトを批判し、コギト以前の「すでに生きられた世界」こそが初源であると喝破した。ハンカチを片手で渡すと渡された相手は片手で受け取り、両手で渡すと両手で受け取るという実験をテレビで見たことがある。私たちは、考える以前の行動のレベルでは、いちいち心の中の「私」が考えて行動しているわけではない。そこでは、まだ「私」の意識が育っていない赤ちゃんがそうであるように、私の気持ちと相手の気持ちとは溶け合っている。自ずとそこには秩序がある。その初源を忘れて「私」を原理としたところに戦後教育の根本的な誤謬がある。「思う我れ」を第一義とするデカルト的主知主義からの脱却、すなわち共感の体験を第一義とすることを通して、個人以前の秩序の感覚を取り戻すことを教育改革の要に据えねばならない。難しいことではない。われわれはすでにそうして生きているのである。

       *   *   *   *   *

    私にとっての戦後教育の改革はこうした原理的なところまで射程に置いていたつもりでした。そこから出発すると「日本人としての共通意思」とは、ことさら新しいものを「つくる」のではなく、今その中で生きている中から「発見するもの」ということになります。そのレベルで言えば右も左もない。そういう思いから、従軍慰安婦問題をきっかけに日教組の先生と最初は手紙で議論をし、さらにはシンポジウムを共催で開くまでになったのでした。平成9年の3月だったと思います。その時の日教組の先生には平成12年に米沢市で開催した田中英道先生の講演会にもお出でいただいて発言していただいたり、また、正気煥発板開設当初、毎日のように書き込んでくれて熱心に議論してくれた方はおそらくシンポジウム参加者のおひとりだったりもしました。あのような左右を超えた議論の場を他でもつくってみたいという声もあちこちにあったのですが、そのあと山形市で試みただけでそれっきりになってしまたのが今でも残念に思います。ちょっとちがいますが、「正論」等で読んだ限りでは、高森先生と岡田英弘先生とが議論された平成10年の古代史シンポジウムが今になってみると貴重に思えます。そうしたことを念頭においての先に書いた次の文でした。
    ≪教科書運動を選挙に例えれば、教科書運動は市町村議レベルのドブ板選挙では、かろうじて組織維持、運動としてはしないよりまし、結果としては徒労。教科書運動の選挙区はまずもって全国区であることを主眼とし、大量の浮動票を取り込む戦略をもたなければ運動の未来はない。
    たとえば、現在に至る分水嶺に、平成10年1月第三回シンポジウム「古代史最前線からの眺望」(『正論』平10・5月号所収)の岡田英弘先生を軸にした激しい議論があった。岡田氏の議論に左翼史観との仲介的役割の可能性をみる。あの議論の延長上にこそ教科書問題解決の展望が開けてくるはずなのではなかったか。すなわち、良識ある(唯物史観から自由な)学者層、知識人を総動員した戦後歴史学、戦後歴史教育見直し大論争へと発展させ、結果として左翼史観を吹き飛ばしうる可能性があったのではなかったか。≫

    採択の現場への働きかけは、形骸化していた教育委員制度の下では労のみ多くして・・・だったと思います。教育委員の自覚を喚起したという面では画期的なことだったのかもしれませんが。

  46. >今年の2/18の日録は感嘆した。
    日付け間違えました。1/18の日録です。すみませんでした。

  47. めいさんおひさしぶりです。正気煥発塾いらいです。
    実は私のめいさんへの疑問も西尾先生のめいさんへの質問と似たようなものを持ちました。目的は重要で、常に目的に照らし合わせて仕事をするのが当たり前の世界に私のようなシステム屋はいるのですが、そういう意味で「日本人としての共通認識を持たせる」という目的を書かれたのは正しいと思います。正しいと思うと書いたのは組織活動の手順として正しいという意味です。
    しかしこの目的を書かれたのは過去に作る会の運動は「日本人の共通認識を持たせる運動になっていない」という意味なのか、それとも「そういう目的を持っていたが不十分であった」という意味なのか、それとも「目的の内容そのものが駄目なのだ」という意味か。それとも「歴史認識の是正をやってきたが別の共通認識すべきものがあった」という意味か。

    めいさんのおっしゃる共通認識は実に難しいと思います。

    自分の身に振り返って具体的に話をしましょうか。

    私自身は一所懸命の思想とでもいう企業人としての自分自身を作り上げたのは江戸時代の制約の中で日本人が独自で繰り上げた鈴木正三や石田梅岩の思想を無意識に伝承している、母親や父親の日常の言葉や行動から伝承されたと考えていますが、そうじゃない知識人も多いでしょうし、そうじゃない企業人もいるでしょう。私の場合はめいさんがおっしゃた例で説明すると言葉にすることの形骸化や争うことの無意味さを教えてくれたのは母の影響が強いと思いますが。

    また現代日本人の平和主義も戦国の歴史を踏まえた江戸時代の環境が作り上げた、それが近代化=西洋化の失敗によって先祖がえりし、それがGHQの策動によって強化されたと考えていますが、こういうこと一つでも保守系の知識人の間で意見は異なるでしょう。このような例を見てもまためいさんが一時期管理者をやっていた正気煥発塾の投稿の投稿の経験から見ても、こういうこと一つでも共通認識を得るのは難しいだろうなと思っています。

    またこれらの私の認識は西尾幹二先生とは違っているでしょう。

    それでも私は自分の認識が間違えている可能性があるから西尾先生を支持してきたわけですが。
    めいさんは何を求めているのでしょう。特にマスコミに反日とでもいう勢力が跋扈していた時代に何が出来たのでしょう。私はめいさんが日本的左翼だなんか思っていません。めいさんは近代は常に正しいと考えているわけでもなければ、欧米思想は常に正しいと考えているわけでもなく、数が多いほうが正しいと考えているわけでもなく、歴史を無視して人間は存在できると考えているわけでもないと思います。そういう意味ではある程度共通の地盤はあると思っています。ご投稿を読むと歴史認識よりもっとプリミティブの認識をいっているように思えるのですが。

  48. >めいさん

    レスありがとうございました。ある意味私の要望もぶしつけなものであったかもしれません。その点はお詫び致します。

    「日本人としての共通認識・・・」の点ですが、確かにそれが必要な場合と、必要としない場合とがあるのではないかと思います。また必要と思ってもなかなか実現できない場合もあると思います。

    つまりは最後人間は一人一人が皆違うためであり、その理由から不自由さを感じたり得であったりするのではないでしょうか。

    そしてそれは他人との関係においては相対化するものでもあり、自分にとっての不自由さは相手にとっては自由だったり(ここは不便と便利に置き換えると解りやすいかもしれませんが)するのではないかと思うのです。ですから「共通認識」とはそうたやすく持てるものではないと思います。ただしけして全てが無理だと断定できないことも言えるでしょう。ある種の理想を追い求めるという意味での共通認識というものも存在するでしょうから。

    その意味でいけば「つくる会」という存在は理想の中の共通認識であったと言えるのかもしれません。

    ですからその「理想」は崩れ落ちる可能性も秘めていたのかもしれません。

    今回先生は自ら会を去りましたが、私としましては心のどこかで、先生が会の為を思ってくださっていると信じている部分があります。そう感じるファンも少なくないはずです。

    しかしいまは先生の口からそれを発することは許されないということも理解しなければならないとも感じております。

    複雑な思いがいまここにありますが、人によりそれは更に複雑になり、そうした一つの形が広い意味では共通した認識として存在しているのかもしれませんね。それよりもなによりも、やはり大事なのは、間違った流れが生まれたときは、内側からそれを直す意識の重要性だと思うわけです。

    先生はそれを示したかったと思うわけです。また、それを躊躇する弱さを排除する強い意思を示したかった。そうしたものだけは受け継いで欲しいと思われたのではないでしょうか。

    人間は弱い動物ですから、なかなかそれができませんし、長い人生の中で利害を交わしながら生きなければなりません。ですから私は今回先生がご決断されたことは凄いことだと思うんです。企業などもつくるのは比較的たやすいですが、やめるのもかなりエネルギーが必要となるものです。

  49. 日録読者(本は必ず買います)です。
    つくる会は、日本のため国民のために立ち上がった会だと思ってましたが、目的に反して私利私欲で行動する幹部が出現してきたことがわかりました。残念です。退会した西尾さんの行動に刺激されて、いつか会が復活することを期待致します。

    また、保守思考の左翼的人間の出現に危惧致します。
    事実を論理的に考えられる人は保守思考を持てますが、人間の生き方や思想は、これだけではなく論理から切り離された部分も大いにあると思います。
    そして今の日本人に足らない部分ではないでしょうか。

    できれば、こういう部分を歴史教科書を通じて子供たちが学習できればいいなと思います。大変、お疲れさまでした。

  50. 神道ゴリゴリの人に乗っ取られたと言うこと??
    それとも、神道系の新興宗教の人が出てくれば、問答無用になりますよね。その宗教を信奉する限り、それに沿った行動が絶対真ですから。

    小生は、神道を信仰しませんので、神道関係者だけになった教科書では、そういう私立学校のみで使われるもので、一般には使いにくくなるのではないでしょうか?神道系の学校で、統一した教科書を書き、それを認定してもらって、使うのも大事なことでしょうが、範囲が狭くなってしまう。
    (「国民の歴史」でも、仏教関連芸術への評価の低さが、少し気になった)

  51. 大変ご苦労様です。今回の判断を支持します。
    今の日本社会は、受けた教育が戦前教育と戦後教育とが混ざってる時代ですので、やはり摩擦は当然出て来るものと思います。
    こう言った時、戦前派は嫌気からその場から引く事を選ぶ様に育ってる様に感じます。ただ、第三国と日本とのやり取りで見られる様に、優しい姿勢は為になら無いのではとも考えます。
    こう言う場面に備えて、会員の意見も参考に出来る様、原則的に会員名簿は公開制(国籍・所属団体・宗教などを含む)で入会して貰い、その名簿の記載者のみに発言権が与えられる仕組みを導入されては如何でしょうか。
    「国民の歴史」の普及組織を考える時の話ですが・・是非、発足させて真実の歴史を世間に知らせて頂きたいと思います。

    先日、私的な問題の関係上、日本会議に名簿に関して問い合わせた時の対応は、やはり、個人情報保護法の存在から公開名簿の作成は考え無いとの事でした。私は組織の発展上も危機管理上も不安が有ると思います。火種が大きくなら無い内の対処も可能になると考えます。兎に角、左翼勢力は人事物資が十分なのできめ細かく芸の細かい事を仕掛けて来ますので、今後も十分ご注意の上ご活躍されます様応援して行きたいと思います。

  52. 世代間の違いではないと言われるが、やはり、戦前生まれの世代の保守と、戦後の左翼が常識だったころに保守として残った世代は違うのでしょう。左翼的なやり方も身につけている。
    わたしには、「戦前世代」対「戦後左翼優位時代の世代」=後団塊世代の戦いに見えます。本当の新人類世代は、八木さんだと思いますが、、、

    保守の二つの流れについては、戦後保守を容認する自由民主主義より保守と、戦前の体制を理想化し、自由民主主義よりも、皇室の優越を理想とする保守があるのだと思います。
    わたしは前者です。神道ゴリゴリ、神道系新興宗教は、後者ではないでしょうか?八木さんは、どちらかというと、後者ではないかと思っていますが、、、、

  53. ピンバック: なめ猫♪
  54. 機械計算課長さん

    ほんとうに懐かしいです。正気煥発板では課長さんにいろいろ学ばせていただきました。過去ログを引っ張り出してみましたが、とりわけ「日本人としてのアイデンティティー」をめぐって展開していただいた議論はすごいです。あらためて勉強しなおします。どんな会社にお勤めのどういう方かも詮索せずにいたのでしたが、ここではじめてお名前を知りびっくりしました。早速御著を注文しました。

    課長さんに「歴史的な認識よりプリミティブの認識」と言っていただいたとおり、今の私は教科書運動以前の私個人の体験に根ざした戦後の公教育に対する違和感まで遡って考えようとしています。それがあったからつくる会の運動にも関わることになったのですが、私にとっては、歴史認識を問題にしたつくる会の運動よりもっと根源的で、それゆえ切実です。
    私の個人的体験を言えば、10年間家を離れて暮らした後、地元に戻って最初に入ったのが消防団でした。そこで地元に根ざして生きている世代を超えた人たちと出会い、いったい自分が受けてきた大学までの教育とはなんだったのかと思い知らされました。先のコメントで書いた≪「思う我れ」を第一義とするデカルト的主知主義からの脱却、すなわち共感の体験を第一義とすることを通して、個人以前の秩序の感覚を取り戻すことを教育改革の要に据えねばならない。難しいことではない。われわれはすでにそうして生きているのである。≫はそれ以降の体験が土台です。まだまだ抽象的にすぎませんが、実は家業のほかに一年前から幼稚園に関わる役職にあり、今後私に与えられた社会的使命があるとすればその場所から教育を根源的に考えていくことなのかと思い始めているところです。教育の根っこを考える上で幼稚園はいい現場です。

  55. あきんどさん

    私も商売やってますのであきんどさんのHNには最初から親しみを感じておりました。

    「個」を土台に「共通意思」を考えると限りなく難しいものに思えてくるのですが、現実に生きている世界から考えるとすでにそこには「共通意思」があるんだからなにも難しいことではないというのが私の基本的な認識です。ただそれは具体的に顔の見える同士のことであって、それを国にまで広げるとどうなるのか。そこに「歴史認識」の問題が出てきます。「個」を土台にするのではなく「共感」を土台にどこまで認識の視野をひろげることができるのか、まだ漠然としていますが、私にとって大切なテーマです。

  56. 以下あくまでも雑談で本来西尾先生のプログで投稿する内容ではないと思いますが、年上の長谷川さんにはお許しを貰っておこうか。

    いやーめいさん、まいったな。

    私はビール会社の偉い人じゃないです。あのかたの出した本と意見は似ている点はありますが。

    私はやっと3月にジャスダック市場に上場する予定の中小企業の部長クラスのメンバーです。私もめいさんとほぼ同じ経験をしていますから共感する点は大いにあります。

    個人主義一つでも前からおかしいなと思っています。考えてみれば個人が一人で成長して一人で生きられるわけがないのです。古代の哲学者が己を知ることが大事だといったそうですが、自分自身だけで自分を規定することが出来るのだろうかという疑問を大学時代から持っています。

    比喩を使うことを許していただけるなら幾何学の体系の中で幾何学の公理といわれた部分を証明する努力を数学者はやってきましたが、これは結局出来ないことがわかりました。当然の話ですが、幾何の体系は公理の必要十分条件で成立していますから、これは公理の言い換えなのです。公理の証明を公理自身でやっているようなもので証明になっていません。従って幾何の公理の証明は別の体系、具体的には数論の体系でなされたのです。そして数論の公理の体系の証明はやはり出来ていません。

    個人を絶対視するなら自分自身だけの体系のなかで自分を規定してみたらいいのです。おそらく出来ないでしょう。他者の存在があるから自分自身の規定が出来るという側面があるわけです。

    するとどうしても自分を現在創っている思想はなんだろうかという疑問にぶち当たります。もともと種のないところには雑草も生えませんから種があるはずだ。まさか自分独自で思想を作れるほど自分がかしこくないのは自覚があります。この種は私が日常生活していた日本人社会の断片的な判断を見て作り上げて行ったのでしょう。だからこそそれはおそらく中華思想でもなくまた西洋思想ではないでしょう。めいさんの言葉を自分なりに理解すれば「中華思想」や「西洋思想」を自家のものにするには何百年もかかるだろう。そして結局日本人が創った「中華思想」や「西洋思想」でしかないのではないか?もともと中華思想や西洋思想の断片に共感する部分があったらそこだけ強く受容するだろうから、これでおきる理解はオリジナルのものとは違うのだろうと私は思っています。ただいえることはもともと共感がないと思想は広がらないでしょう。そういう意味ではめいさんが「共感」という言葉をお使いになったのは理解できます。

  57. 4人組のやつらは、本当にバカなやつらだと思う。年齢的に行って私と同年代だと思うけれども、なぜ西尾先生という多少癖はあってもこんなに役立つ人のいい爺さんを使い切れなかったかと、それが情けない限りだ。それでは、底が透けて見えてしまうというものだ。うまく使えばこれほどお国に役に立つ老人はいるものではないと思う。返す返すもバカなやつらだ。

    思想的なことを言えば、一口に保守などと言っても思想家一人一人の個性がある分だけの違った思想があり、言うことが違っていて当然だ。そんなのは当たり前じゃないか。

    勝海舟ではないが、魚屋だの八百屋だののおっかやおやじの巻き舌のひとつも聞いて、世間の勉強のやり直しをしたほうがいいだろう。無学なおやじがせがれの顔色を見て、少しは立派になったとか、顔色がすぐれねえからと心配して、家に帰ってきた時くらい家の手伝いをしろとばかり、稲刈りを手伝わしたりするわけだ。あんまり頭でっかちになることを心配しているのだ。おやじはこれでも隣近所ではの知恵者のひとりなのだ。そうした隣近所での付き合いや、親戚づきあいとかのやり方、それが古来からの伝統だった。何も難しいことばかりが伝統ではない。年寄りを敬うのは日本の伝統ではなかったのか。

    西尾先生みたいな年寄りは、若いやつらから使われたがっている。だからうまくこき使ってやればいいのだ。お願いして、どんどん知恵を借りればいいものを、それも出来ずに偉そうに俺たちの時代だとばかり怒鳴り散らしているやつらには永遠に時代は来ない。

  58. >めいさん

    私のハンドルネームをそのように感じてくださりありがたいです。自分としては精一杯の自己表現をしているつもりでしたので、そうおっしゃってくださるだけで有り難く感じます。

    めいさんがおっしゃる通り、課長さんはとても人情に溢れる方ですよね。勉強になる論説をいつも拝見させていただける貴重な方です。私も日録にお邪魔したての頃、まさに課長さんのカキコには釘付けになりました。最初は近寄りがたい方なのかなと思ったら、とんでもございません、こんなに人情に篤い方はいらっしゃいませんね。

    何しろ私みたいな者にも丁寧に応えて下さりますから。

    さてさて、歴史認識についてですが、私が一々語るまでもなくこの問題こそなかなか扱いにくいわけですが、それだけにつくる会が発足した当時はそうした様々な難題に風穴を空ける手応えを皆が感じたはずです。簡単に言えばこの時の気持ちをいかに持続させるかが問われたといえます。

    更には、一度目の挑戦から二度目に移る流れの中で、私たちはどんな心配をしていたかと申しますと、果たしてつくる会はどれだけ持論を貫けたのか、でした。まずは採択される条件を旗頭にするのは当然でありますが、出版社と会の間で妥協点をさぐるような問題がもしも存在したときその解決策はいかなるものだったのか。また、書き直しの要求に対して、会の間で議題に上がった具体的なものはいかなるものだったのか・・・などなど、外野としましては色々あるわけです。が、私はすべてを託しておりました。

    結果的に私達が出来得る事は、静観しかありませんでした。今はそれしか語れないというところです。

    でも最終的には信じる事の大切さをいかに自分に叩き込めるかしか残されていないと思うわけです。

    最後は自分の意思しかないわけですから。

    先生は今回残念ながら去ることになりましたが、だからといって会を見捨てるのも悔しいです。

    たぶん世間では、鬼の首をとったつもりで現場に居合わせたようなふりをして語る方もいますでしょう。

    やれ西尾先生は甘いとか、西尾先生は本質を理解していないとか、これは想像ですから誤解なさらないでほしいのですが、だいたい想像がつくわけです。

    更には取り巻きがだらし無いからだとか、更には先生自らがそれに甘えていたからだとか、文句の種類は大体想像できます。

    次元の低いこうした意見がネットでは何故か殺されずに済む現実が私はなさけなくなるんですが、でも、現実はそうした流れの延長線が先生を見放したとも言えなくもありません。

    それこそ歴史認識がたやすいものではないことを浮き彫りにしているように感じます。

    先生こそは今まさにその矢面にたったわけです。

    ですから私の勝手な見方が許されるなら、先生は会において更なる挑戦意欲が失せたと思うのです。

    それはつまり新たな道にそれを求めたと言う事でしょうか。

  59. 機械計算課長さん

    いやー、早とちりしてしまいました。おかげで思いがけないおもしろい本に出会うことができましたが。それにしても課長さんの会社、上場とのことおめでとうございます。実は地元の同級生の会社が2月にやはりジャスダックに上場して、上場することの意味の重さを身近に実感させられているところでした。

    かつて機械計算課長さんとのやりとりの中で次のようなことを書いていました。先の西尾先生へのお答えで書いたことにつながりますので転載させていただきます。

       *   *   *   *   *

    そもそも人生においてとどのつまり何を求めて生きているかと言えば、「心の安定」ということなのではないでしょうか。金や地位や名誉もそのための手段に過ぎないのです。としたら、教育も本来そのことをきちんと視野に置くべきです。私は今の教育は原理的に間違っていると思います。

     デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」、この「思うわれ」を窮極の原理として近代合理主義思想は出発しました。「思うわれ」は、思うかぎりにおいて「だれが何を思ってもいい」という意味で、自由でありまた平等です。ところが、それを現に身体をもって生きている人間にまで引き延ばして適用してしまったところに、近代合理主義の誤りがあります。人間は、まず自分が勝手に考え始める前に、親兄弟をはじめとするいろんな人たちと一緒に生きているのです。それがあってはじめて、自分で考えるようにもなれるのです。事実として、ともに生きている世界があって自分があるのです。その逆ではありません。

     本来、「自由」に対置する言葉は、「束縛」ではなく「秩序」です。「平等」に対しては「差別」ではなく「分度分限」といういい言葉があります。世の中に合った自由と秩序のバランスの取り方、平等と分度分限のバランスの取り方から、「倫理」の問題は生まれます。
     ところが、秩序よりも何よりも人権を第一義とする教科書を見るかぎりでの今の教育では、倫理の問題も何も生じようがないのです。今の教育は、原理的に共通の規範を拒否していると言えるかもしれません。精神の安定は、基本的には周囲の人との共通理解の上に立って生きていることでもたらされるはずです。今の教育はそのことをはじめから否定しているのです。

     今の教育では、まじめに勉強すればするほど、自分の住む国がいやになり、世の中に対して反抗的になり、世の中のしきたりなどどうでもいいことのように思えるようになり、年寄りを軽んじて平気な人間になってしまっています。「何のために学ぶのか」の問いかけに「自分のため」としか答えようがない。「そんなら別に勉強なんかしなくても…」に返す言葉がない。道義の感覚はすっかり色あせ、経済的利害とそのときどきの欲望のみが行動の基準、ただただ声の大きいものが、力の強いものがわが物顔に振る舞い、裏では人を欺くはかりごとがうごめくような世の中、これでは精神の安定を得られるはずはありません。今の教育は、人間が本来求めるものから逆行しているのです。

     デカルトの「思うわれ」というのは、秩序が抑圧として捉えられるようになって「人権」思想が生まれたことと歩調を合わせるかのように、身体をもって空間的・時間的に制約されて生きている自分が意識されるようになるにともなって、そうした制約から一切自由な主体として構想されることになったと考えることができます。

     「人権」と「思うわれ」は軌を一にしていると考えるのですが、それは「人権」を言い出すとだれもそれには逆らえないのと似て、「思うわれ」を基礎にすると、世の中の存在すべてが説明できるように思えてしまう。そしてそのゆきつくところは、(うろおぼえですが)イギリスのバークレーのように「自分が知覚しないものは存在しない」となってしまう。もう完全な蛸壺状態。

     それにたいして、そのおかしさを指摘し、理屈はいい、まず事実そのものに立ち返ってそこから考えようとしたのがフッサールに始まる現象学の流れです。

     フッサールの流れを汲むメルロ―・ポンティは、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」に対して、「われなし能う、ゆえにわれあり」と言います。私はこれはすごい言葉だと常々思っているのですが、まだ教科書に載るまでは普及していないようです。教育もデカルト的主知主義(「思うわれ」を主体として、知ることが基本)では全くの片手落ちで、「できるようになることが基本」を原理にしなければならないと思うのです。教育の原理見直しのゆえんです。

     メルロ―・ポンティは、「私が思う以前に、先ずもってみんなと共に生きている」と言います。そこから見れば、「思うわれ」なんて後からの理屈づけにすぎません。ところが今の世の中では、(きっと教育の結果)「思うわれ」の方が本来の自分であって、「現に生きている自分」は仮の姿のように思い込んでしまっているのではないでしょうか。みんな蛸壺の中にいるときがいちばん安心できるように思いこんでしまっているのです。

     「秩序」について言うと、蛸壺に入り込んでしまうと「秩序」なんてさもうっとうしいように思えてしまうけど、「先ずもってみんなと生きている」世界では、意識はしなくてもちゃんと「秩序」の中で生きているということが言えるのではないでしょうか。別にどこかから探し出してきたり、新たに作り出すこともないのです。 そこで、今いったい自分はどういう秩序の中で生きているのかを、あらためて見つめなおす必要があるのではないかと思うのです。

     私もメルロー・ポンティとのおつきあいは30年も前にさかのぼるので、昔のメモを引っ張り出したら、「意識とは、原初的には、『われ惟うje pense que(I think that)』ではなく、『われ能うje peux(I can)』である。」とありました。彼の主著「知覚の現象学」の「身体論」の中の言葉です。そして日本語版の注釈に「この術語は、フッサールの未刊書のなかでしばしば用いられている。」とありました。メルロー・ポンティのオリジナルでない事を今知った所です。それに、いつの間にか「われなし能う、ゆえにわれあり」の言葉で私なりに理解していましたが、意訳として間違ってはいないと思うのでご了承ください。

     また、「思うわれ」を主体として、知ることが基本とする考え方が、知識それ自体自体だけで第一義的に価値があるように思い込んでしまう、頭でっかちを生み出しているのではないかと思えるのです。それに対して、「できること」とは「身につけること」と考えてはどうでしょうか。それにはもちろん、「知識を身につける」ということも含まれます。その時の「知識」とは、いつも生きている世界とのかかわりをもった知識であるはずです。メルロー・ポンティは、先の言葉の後、「意識とは、(みんなと共に世界の中で生きている)身体を媒介にして事物へと向かう存在である」と言っています。まずそれが初源であり、第一義であると言うのです。蛸壺の中が初源ではないのです。

       *   *   *   *   *

    年上の長谷川さん

    こういう場であまり長ったらしくなるのはどういうものかと思いつつ、西尾先生へのお答えのつづきということでご了解ください。

    あきんどさん

    申告の締切日、ぎりぎりになってまだ終わっておらずこうしてはおれないのですが・・・

    私も西尾先生には、西尾先生の中から湧き出る意欲に沿った新たな道を期待したほうが世の中のためにもいいと思っています。ただ、私が後ろめたさを感じたまま運動から遠ざかろうとしていたような形で身を退いてはいただきたくない、腹にたまった言うべきことは言うだけ言っていただきたいという思いからいろいろ申し上げたのでした。ご理解ください。

  60. >めいさん

    >私も西尾先生には、西尾先生の中から湧き出る意欲に沿った新たな道を期待したほうが世の中のためにもいいと思っています。ただ、私が後ろめたさを感じたまま運動から遠ざかろうとしていたような形で身を退いてはいただきたくない、腹にたまった言うべきことは言うだけ言っていただきたいという思いからいろいろ申し上げたのでした。ご理解ください。

    この部分に関しましては一切異義はございません。

    まためいさんが当初語ろうとなさったものが、現時点では多くの方に受け入れられているのではないかと思います。ただし先生ご自身が高度な見地からどのようなご理解をなされたかは、私のような者には想像すら出来ませんが。

    別の話題になるかもしれませんが、先生が読者に与える印象の中で私なりに解釈していますのは、先生は常に世の中の主要で難解な問題を、とても解りやすく提示してくれる優れた表現能力があると思います。

    他の著者が語ると難解なものも、先生のそれからは大変容易に受け入れられるわけです。この事は勿論大切な要素であります。普段関心を寄せない者にも聞く耳と読む興味を抱かせます。しかし不幸なことにそうしたことに読者の一部が甘えると申しましょうか、自分と先生の距離感を不安定にさせると申しましょうか、とにかくある種の錯覚を産む場合があるようです。

    おそらくそうしたことに数名の方は感じていらっしゃるのではないかと思います。私はある程度の錯覚は許される範疇にあるとは思いますが、度が過ぎる錯覚には歯向かわねばならないと思っています。

    例えば今回の場合でも、立場的には事情の細部をよく理解していない者が「これは先生自らが招いたのであり、罰せられるのは先生自身だ」と言う者もいるだろうと予測します。

    こうした言葉を発する者の特長として、先程の「距離感」の喪失が顕著であります。実はこれが案外厄介です。何故なら彼等は元々先生のファンでありますから、想像以上に毒を撒き散らします。

    例えて言えばよしりんのようなタイプでしょうね。

    先生は日録で以前彼の事ををこのような表現で語っていました。

    「小林氏は私を批判をしながらも私の周りに纏わり付く態度を改めようとしない。だから私の方から手を切った」と。

    企業で言えば有能な社員が昇進するさいに幹部から「役職に就く以上はそれなりの責任を背負う覚悟をしてくれ」と言われ、それに対し「やだぁそんなのぉ、お給料だけアップしてくれれば満足ですぅ」と駄々をこねるようなものです。

    つまり批判を寄せる覚悟があるのならそれに対しての責任も覚悟せよ、と反論すると、「ぼくそんな積もりで言ったのではないです」とか簡単に言っちゃう。

    こういうタイプは本当に困ります。侍の振りして腹切りは御勘弁と言うのと一緒です。

    いるんですよこういうタイプ。取締役就任を要請すると「ハンコだけは勘弁してくれ」と言っちゃう人間。それでいてそうした要請があったことだけは自慢して言い触らす人間。

    いざとなったら人間は弱い動物です。

    今回の先生の行動にはそうしたタイプの人間に一つの訴えを為しているんですが、何故か彼等にはそれが伝わらないのです。

    困ったものです。

  61. 日本再生へのチャンスは、ブッシュ政権下のあと2年程の中に目途を付ける必要が有り、この期を逃せば日本は大国の属国となる可能性が強くなってしまうと考えます。
    中国は十数年前から計画書通りに薦めて来て居りますので、時間の余裕は無いと考えなければなりません。
    従って、今有る「作る会の教科書」を短期間で50%以上の採択率を獲得目標に一丸となる気持ちで立ち向かって頂きたく思います。
    問題点の認識として編集段階の問題で無く、所謂、営業面の作戦と展開に於けるトラブルと考えて良いのでしょうか。
    もし、その問題でしたなら、何処かで経験者のOBとか現役等で、信頼できる人物を手分けして探しては如何でしょうか。当然、反日以外でですが・・・
    単純に「本を作る側」、そして、「本を売る側」と言う二本柱構造で、現存して居る「作る会」の立ち直りを図る事も必要と考えます。

  62. ピンバック: 探求する動物たち
  63. ピンバック: 移ろうままに
  64. いかにもツマラない内輪もめに巻き込まれたものですね。 本当に失望しています。 この程度で、「百年の計」である教育問題の一線から退き、責任のなすりつけ合いをしている西尾先生を含む幹部(?!)の方々にも失望しています。

    僕は杉並区の採択の時に、有志とともに炎天下で「つくる会」を応援しました。 僕は正午前くらいに着きましたが、他の若者達は朝の7時くらいからいたそうです。 これが本当の「力」だと思いました。

    もし幹部を退いても、教育のために末端から応援しようとは思われなかったのですかね? 次の採択の時は知らんフリですか? 結局は自己満足のため、そして自己満足が果たせない時は、辞めるんですか?

    杉並区に集った若者達は皆無名の人達ばかりです。 滅私奉公というにふさわしい若者達です。 クダらない内輪もめに、あの時杉並区に集った若者達は皆言葉にこそ出しませんが、呆れかえっていますよ。 もし引退されるとしても、次の「つくる会」を担う若者達を助けようと、見本になろうと思わないのですか?

    全てが終わった、との言い方が僕には納得行きません。 それともこうおっしゃっているのですか。 「わしらには無理だ。 後は君達がどうにかしてくれ… 奇跡でも起きてくれるといいがな… どこかの誰かがこの組織をデッカく変えてくれるだろう… 誰かがやるんじゃないのかなぁぁ…」

    今まで色んな所でお話をされ、本を書かれ、そしてそれが万人に影響を与えた今、西尾先生の立場では、もはや責任を放棄することはできませんよ。 どんな言い訳を言おうとも…

    僕なんかにここまで言われて、怒りを感じなければ、本当に駄目な人ですよ。 どうするんですか?

    ケイ

  65. ピンバック: 移ろうままに
  66. >ケイさん
    こんにちは。
    杉並ではご苦労様でした。
    小さい採択区から、杉並区に広がっていったことは、大きな転換でしたね。あの時は本当にうれしかった。

    私は以下のように思っています。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~
    どんなに離れる、別れる、影響を与えないと言っても、西尾先生の全生涯の仕事が歴史認識を国民に知らせるものだし、日本という国の、来し方を愛情を持って研究するものだし、先の戦争におけるドイツと日本の違いを明らかにしたものだし、どんなに「中学生の歴史教科書」という焦点を見ないようにしたとしても、いつだって関係あると私は思う。

    結局、「つくる会」の組織からは離れても、「つくる会」の中心テーマからは離れられない・・・・・・私はそう思っている。

    だから、西尾先生の今後の活躍は自動的に「つくる会」のテーマを後押しすることになるはずだ。
    私はだから、あんまり悲観していない。
    「つくる会」の組織が大切なのではなく「つくる会」の精神が広がることが大切なのだから。

    そしてその「つくる会」の組織が、今後その精神が広がる方向で再建されていくことを祈っています。
    ~~~~~~~~~~~~~~~

  67. 「つくる会」脱会おめでとうございます。

    私はこの教科書問題には、全く興味ありませんので、

    先生のドイツ文学、哲学の仕事のほうに興味有ります。

    先生の「ニーチェ全集」訳。及び解説書で形而上学に目を開かれた人間ですので、その方面のほうに興味があります。

    先生には、日本のブルクハルトになって、思索を深めて下さい。ばかばかしい右派の派閥争い醜いだけです。

    よろしくご勘案下さい。

  68. 毎回、同じプロバイダであるにもかかわらず、違ったHNで投稿されていた方のコメントを非掲示にしました。

    本当に真摯に他者に伝えたいことがある場合、別の方法をとってください。

  69. 元 新しい歴史教科書をつくる会 三重県支部 役員 R・Hさん

    わかりました。新田、松浦両氏への不満をお書きになりたいのですね。では今後は、同じHNで投稿してください。

  70. >元 新しい歴史教科書をつくる会 三重支部 役員さま
    上記の私の注意をお読みいただいていますか?

    HNに関しては一部分の違いも、全部の違いになります。あんまり長い名前になさっているので、最後のイニシャルを忘れてしまわれるのでしょう。今後は例えば

    「元 新しい歴史教科書をつくる会 三重支部 役員 RH」を改め「元三重支部役員」にHNを変えました。

    などなさればいかがでしょうか?
    再度、同じHNを継続的にお使いになるようご注意もうしあげます。

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