寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(一)

 3月の前半は毎年税金の整理であっという間に時間を空費する厭な歳月である。最後は税理士に頼むのだが、そこまで持っていくまでが容易ではない。家内の援けを必要とする。

 3月の前半にたまたま今年は講演が集中して、3月1日大阪、8日江田島、13日鳥取、14日米子を旅して、私は疲れながら結構楽しい旅行だったが、税金の方は家内に任せる分が多く、税理士に渡すのも遅れて、両方から恨まれた。

 旅行中に『中国は日本を併合する』(講談社インターナショナル)という刺激的な標題の本を読んで、その著者の平松茂雄さんと9日に『Voice』5月号のための対談をした。毛沢東の巨大な戦略によって東シナ海から沖縄に及ぶ広大な海域がしだいに中国のものになりつつある情勢がしっかり描かれている。

 一方に、宮崎正弘さんの「こうして中国は自滅する」の副題をもつ近刊『中国瓦解』(阪急コミュニケーションズ)のような本を読んで、この国に未来はないと思い、少し安心するのだが、平松氏は全然別の考えをもっておられる。中国ダメ論を氏にぶつけてみると、中国がダメな国であることは100年前も、今も同様である。それでいて中国が核大国、宇宙大国、海洋大国を目指して、少しづつ前進し、30年前と今とを比べるといつの間にか驚異的地歩を占めているのは争えない。中国が道徳的、法秩序的、生活的な面においてダメな国であることは今も昔も変わらないし、これからも同じと思うが、そのことと日本への脅威とは別であると仰有っていた。

 原稿のない時間帯には、夜ごとに人と会合する機会がふえてくる。3月3日には扶桑社の編集者真部栄一さんと荻窪で酒を飲み、「つくる会」の今回の推移をみていると、西尾は会を影で操っている「愉快犯」だとさんざんな言いようでからまれた。2月27日の、私がもう参加しない理事会で会長、副会長の解任劇があったことを指している。

 私は会の動きに関心はもっているが――それも日ごとに薄れていくが――影で操れるような魔力を持っていると思われるのは買い被りで、残った他の理事諸氏に対し失礼な見方である。新会長に選ばれた種子島氏がたまたま私の旧友だからだろうが、私が「院政」を企てているという妙な憶測記事を出した3月1日付の産経記事がどうかしているのだ。このところ産経の一、二の若い記者に、一方に肩入れしたいという思いこみの暴走があるのではないか。私は「つくる会顛末記」を書く必要があると感じた。

 八木秀次氏から会いたいと電話が入り、3月5日の日曜日の夜、西荻窪の寿司屋でゆっくり会談し、肝胆相照らした。彼は私の息子の世代である。彼が会を割ってはいけないという必死の思いだったことはよく分った。しかし、それならなぜそのことを辞表を出した三人の副会長や私に切々と訴えておかなかったのか。言葉が足りなかったのではないか、と私は言った。電話一本をかける労をなぜ惜しんだのか。

 すべてことが終ってからの繰り言はこんなものである。八木さんは自分の解任は不当で、自分を支持する勢力はなお大きいので、どうしたら良いかと私に質した。これが会談を求めてきた眼目だったようだ。私は答えようがない。再び指導力を結集して再起を図るなら、次の総会で再選される手を着実に打っていく以外にないだろう、と答えた。そのためには11、12日に行われると聞いている評議員・支部長会議に無理してでも出席した方がいいよ、と忠告した。日程がつまっていて困った、と言っていたが、出席して熱弁を振ったのであろうか。

 八木さんと会った翌日の6日は新設の女性塾の塾長伊藤玲子さんと6人の幹部メンバーから謝恩だといって市谷グランドヒルに招待された。私が塾の設立に少し協力していたからである。その席上でも「つくる会」のことが話題になった。女性塾の幹部のひとりの女性が「西尾先生はつくる会の会長として会に戻り、藤岡先生とは絶縁すると宣言してほしい」と言ったのにはびっくりした。

 私はこう答えた。「別のある人は『西尾先生は会長として会に戻り、八木先生と絶縁すると宣言して欲しい』と言っている。私にはどちらもできない。だから私は会を離れるしかなかった。藤岡・八木の両氏から等距離であることは、会にとどまっていてはできない。会を離れる以外になかったことはお分かりでしょう。」

 するとその女性は「西尾先生は会を離れてはいけない。藤岡先生を支持してもいけない。どっちも許されない」と言って、さらに私をびっくりさせた。

 「つくる会」の会員内部の心理は混沌としていて、もう私の手に負えない。ことに女性の心は底深く、見えない。女性には愛憎があるだけで認識はない、と誰かの箴言にあったが、やはりそういうことだろうか。

 伊藤玲子さんの昼食会から帰って、「つくる会顛末記」を約8時間かけて書いて、日録に掲示した。私が書いている傍らで長谷川さんが広島からタイプ稿を送り返してこられて、校正も終り、全文清書が終了して掲示されたのは7日午前0時58分であった。主婦の長谷川さんに夜更かし労働を強いたことになり、ご家族の皆様にお詫び申し上げる。

「寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(一)」への11件のフィードバック

  1. 先生本当にお疲れ様です・・・と申し上げるのが精一杯な私です。

    どうやらROMされている方々の中には、先生に労いの言葉をかけすぎますと、それ自体がまやかしと捉らえ、暑苦しく感じる方もおられるようですが、人間の悲しい性でしょうか、それ以外に思い付く言葉が見当たりません。

    憶測ばかりが悪魔の囁きよろしく飛び交い、真実は闇の中に押し込められるとはこの事でしょうか。

    最近女性と深く関わる仕事をし始めたせいでしょうか、先生がおっしゃった女性の愛憎の深さにはつくづく驚かされております。

    うまく表現できませんが、一つ言えますのは、女性は本来同時に二人の異性を愛せないものなのかなと。

    そして愛情を示す接点は必ず一方の面にしか備えず、しかもそれは相手により形を変えられる魔法を持っている。男性は常に一つの愛しかたしかできずしかも接点は他方向に向いている。男女の構造の差はその辺にあるのかなと思う次第です。ですから先生が八木・藤岡両氏と等間隔でいたい心理が女性には理解できないのかもしれません。

    時にそれは女性の目から見て「男の狡さ」として写る場合もあるようです。

    男の優柔不断さと女性の思い切りの良さと申しましょうか。

    けして批難しているつもりではないことだけはどうか皆さんご理解いただきたいです。

    そして言い訳ではないことも・・・。

  2.  西尾先生と新しい歴史教科書を作る会について、やれ院政だの二重支配だのといろいろな憶測が飛び交っているようです。私には福田恆存氏の影響を強く受けた西尾先生にはそのような組織支配欲・自分の派閥をつくろうといった強い欲求は無いと個人的に思っております。福田恆存氏は日本文化会議を設立したその直後にはこの会は駄目だとさじをなげたのは有名な話です。
     西尾先生と福田恆存氏とを比較すれば、肯定的に評価すれば福田恆存氏よりも運動体を組織した以上なんとか組織の存続と発展のために尽力する。否定的に評価すれば福田恆存氏のように早く見切りをつけない。優柔不断なところがあると思います。
     新しい歴史教科書を作る会という組織のおかげで他の歴史教科書の偏向ぶりが少し改善されましたし、わずかな数ではありますが新しい歴史教科書を作る会の歴史教科書を教科書として採用するところもでてきました。これは西尾先生の性格の肯定的側面の現れです。その反面、最後は組織の内紛劇を巻き起こしてしまった。これは西尾先生の性格の否定的側面の現れです。
     結局、西尾先生の最終的な評価は組織運動での成果よりも言論活動そのもので決まるものだし、その側面からのみで評価されるべきタイプの人であると私は考えます。

  3. 西尾先生のこうした行動を見るに付け「中庸」の大切さを思い知らされます。
    女の方は、往々にして、場当たり的な激昂をされることが多い。
    充分な情報収集や思索をしないまま、誰かを敵と決め付けて糾弾する気質に、
    「思い切り」という褒めた表現を使うべきでは無いと思います。
    恋愛における「浮気」とは、全く別次元の話です。
    思慮深さ無くして、短慮に走るようでは、正しい保守人とは言えないでしょう。

  4. >Nさんへ
    女性は確かに短慮の傾向があるかもしれませんが、
    その直感的判断力のスピードはやはり「思い切り」で表現されるほど、きっぱりしたものです。

    男性的な理詰めが正しい結論を導きだすとは限らないし、
    女性の本能的な結論が案外正しい場合もある。

    ですから、男性が取り易い方法=道と
    女性が取り易い道とは別のルートであり、
    どちらが良い悪いではないと私は思いますよ。

    つまりそれらは思考方法の「らしさ」であるのですから、
    だから女はつまらない・・・・という結論を導きだすのは
    短慮?ではないでしょうか。
    それに正しい保守人なんて、本当にあるのですか?

    ・・・・・・と直感的に反論してみました。

  5. >Nさん

    「思い切り」の件、また先の私の投稿が「浮気」の定理に固執したものと受け止められたようですが、ところで貴方は男性でしょうか女性でしょうか?

    もしも男性ならば、私の表現はけして浮気を解き下すものではないことを理解できない典型的な男性と見れますし、女性ならば貴方自身がかなり女性らしさを失い始めた方だと言う他ありませんね。

    私が申し上げたかったのは先生が「等間隔」で八木・藤岡両氏を見る心理を語りたかったわけですよ。

    それは女性には理解しにくい心理かもしれませんねと言いたかったわけです。

    ご理解いただけますか?

  6. ピンバック: なめ猫♪
  7. ピンバック: あきログ
  8. クライン孝子さんが今日の日記に書いた一文です。
    二階経済産業省批判のあとに西尾先生批判がありました。

    >分断工作といえば、保守言論界でもその兆候があり、
    >これもあちらの仕業かと憂慮しています。

    >例の「つくる会」ですが、
    >各方面からの話を聞いていますと、西尾幹二氏は、
    >ご自分の事を論文やら日誌でやたら正当化しておられるものの、
    >そもそもこのいざこざの原因は西尾氏の不手際、
    >会長としての手腕欠落にあったようです。

    >小泉総理を狂人と公の場で発言したり
    >論文で酷評したり、
    >同志であるはずの岡崎久彦先生、
    >仲良しだった小堀桂一郎両先生の
    >揚げ足を取られるなど、西尾氏の言動には
    >理解しがたいことが多くあるからです。

    >私も一時、西尾先生とは
    >小堀先生のご紹介でお付き合いをしたこと
    >がありますが、ある時期から距離を置きました。
    >そのいきさつはここで申し上げませんが。

    >ある会で某教授が
    >「要するに諸悪の原因は西尾先生にある」って。
    >私もそう思う一人であります。

    (3行目以降はなぜか今、削除されています。)

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