新しい友人の到来(一)

 九段下会議は最近開かれていないが、以前そこで知り合った伊藤悠可さんという方がいる。いつも無口で、静かに注意深く人の言を聴いている方だが、最近私に励ましのメールを下さってからこの方のご文章に感服し、文通が始まった。

 ご自身の自己紹介によると「記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営むかたわら、易経や左伝の塾を開いている」という。これは丁度いい、私も徂徠の難著『論語徴』を読み始めた所なので、難解な箇所を教えてもらおうと思う。

 伊藤さんは高校時代に拙著『ヨーロッパの個人主義』を読んで、生涯のうちに必ずこの本の著者に会えるかもしれないと思っていたそうで、こういう勘は全部当っているという。小林秀雄先生にも、岡潔先生にも、思った通りに会えて、直に御話しする光栄に浴したという。福田恆存先生にも編集者時代に目の前にお姿を拝したという。

 私も会えると思って伊藤さんが読みつづけて来て下さった一人に入れていただいているようでむしろ光栄だが、まず書簡の一部を紹介すると、

九段下会議に小川揚司さんが君も来ないか、西尾先生にご紹介するからと呼ばれたとき、ああ38年ぶりにあの頃思ったことが実現せられるのだとドキドキしたことでございました。大石さん経由のメールがきっかけで御葉書の文に接し肩がすぼみました。恐懼して居ります。

つくる会の連中はこの先生の怖さがわからないのです。犬猫は神社の境内、神前でも尿を排して悔ゆることはありません。先生にあのような言葉が吐けるということ自体彼らは既にその類である証明、人倫国家を語る以前の問題で、人品の賤しき保守というのは高潔な詐欺師というに等しく本来矛盾の存在です。

先生が目撃なされた彼らの卑怯は想像を超えたものと察します。私個人の感情としては、もうあのような低劣な人達の中で孤軍奮闘なさるのは痛々しく、誰か先生に代って泥とつきあう者はいないか、弟子はいないかとはらはらしていたことでした。実際先生の文面をなぞって、今度は幾夜自分のほうが憤りを制御するのが難しい程でした。
(中略)
つくる会で暗躍する者は早晩自壊作用をもよおします。彼らの行動はなめくじが塩を求めることになりましょう。率直な気持ちを申し上げれば、先生はしばらく地上の雑音から遠ざかり一旦成層圏に昇られ悠々と俯瞰なさることが一番ではないか。
(中略)
然し先生にふるいをかけられ、正体をあばかれた者たちは大いに煩悶し、憎悪の念を燃やし妬忌を行うでありましょう。悪知恵は尽きることはありませんが、現下の先生の沈黙は却って彼らを苦悶させ、自壊を促すとみています。
(中略)
先生には世俗的な表現に過ぎますが、いのちの洗濯をなさることがあってもいい、手塚富雄先生のお言葉を以って、私などが西尾先生に呼びかけるのは本末転倒ですが、「行動する人間にとっては、正しいことを行うのが重要な問題である。正しいことが起こるかどうかについて心を煩わすべきではない」とゲェテは箴言と省察の中で言い、手塚先生は世に正しいことはほとんど起こらないが、「しかし広く見る者は、それにもかかわらず自分のする正しいことが人間の世界にたいして意味をもつことを疑いはしない。それは微小でも時と共に象徴として力を増してくるのである」と仰せられ、まさしくこれは西尾先生の御立場だと、発見した気持ちになりました。

「新しい友人の到来(一)」への9件のフィードバック

  1. 文章中に『論語徴』のことがでていますので……
    ちょっと主題とは関係ないのですが、先生は以前、小林秀雄の『本居宣長』で、宣長の文章をなぜ、原文のまま引用したのだろう、読者はよめると思ったのだろうかと小林の意図が分からない様子でいらっしゃいました。私は宣長を研究しているのですが、あの一言を読んだとき、失礼ながら、先生は小林秀雄が『本居宣長』で言いたかったこと、そして宣長や徂徠の精神がなにも分かってないんだなとため息をついてしまいました。これはちょうど「ニーチェはなんで近代を批判したのだろう?」というのと同じぐらい理解できていないのです。なぜ現代語訳をせず、原文を小林は引いたか。それはそれが、宣長や徂徠の学問精神そのものであるからです。小林はその精神と同じことをしたのです。先生は『論語徴』を学ばれているそうですが、小林が『本居宣長』で言いたかったことを理解できなければ、『論語徴』も決して理解できません。そして徂徠その人も。

    私の理解が間違い出なければ、ニーチェがアフォリズムの形式で文章を書いたのは、近代哲学の体系形式の批判だったわけですよね。小林秀雄も同じです。原文を引いて訳さなかったのは、それがまさに小林の言いたかった、宣長や徂徠の思想だからです。表現と思想が、そのままイコールなのです。

    大学教授である先生に、ずいぶん生意気なことを申し上げましたが、この点では恐らく私の理解のほうが正しいと思いますので、無礼を承知で述べさせていただきました。『論語徴』読解、頑張ってください。

  2. 永吉さん

    西尾:「徂徠に比べれば宣長の文章は平明で読み易いと思うかもしれないけれど、あれだって現代日本語に訳してはじめて納得がいくんですよ。小林秀雄の『本居宣長』には訳文がついていないですよね。読者の方は引用された原文を読んで分かるんでしょうかね。」

     と、私は鉾先をかわした。

     徂徠にも一部現代語訳があるが、必ずしも納得のいく文章ではない。『論語徴』にはそのような訳文もない。闇につつまれている。あれを読み抜かなければ徂徠は、――日本の儒学は分からない。

     西尾:「徂徠は孔子に嫉妬し、孔子を超えようとした反逆者です。日本の知性では類例をみません。そこが私には面白い。」

     「そういう話をもっと聴きたいですね。」と佐藤さん。

     「私は『国民の歴史』で7世紀の日本語のドラマ、中国語と日本語の格闘のドラマを予想しました。7世紀に訓読みという決定的方法が発明された。しかし訓読みは余りに便利すぎるので、永い歳月のうちに習慣化し、中国の古典の正しい読み方では必ずしもなくなった。そこに徂徠が出現した。中国書にもどり、すべてをもう一度白紙にもどした。その内部から宣長の国学が誕生しました。中国語との戦いの内部から日本語が誕生した7世紀のドラマが1000年たって再現された、そう感じているのです。言語ルネサンスのトータルな構造を描きたかったのですが、そもそも私には手にあまる仕事でした。」

    http://nishiokanji.com/blog/2005/12/post_274.html

    より

    貼り付けた意味、お分かりになりますか?

    あっしは・・・失礼ながら、きちんとエントリをお読みになれていないんだなと・・・ため息をついてしまいました。

  3. ピンバック: 移ろうままに
  4. 以前遠藤浩一先生から言われた言葉なんですが、「偉大な思想家は自身の前にも後にも自分以外の存在がないことを覚悟している。小泉総理の代わりはいても、西尾先生の代わりになるものは存在しない。

    仮にあきんどさんが西尾先生を批判したい場合、自分の言葉で論破する覚悟で臨めばよい。」

    記憶を辿りながらの文章ですので、誤記もあるかもしれません。

    遠藤先生は過去の出会いのなかで、二人の偉大な思想家と出会えたことがご自身の記憶のなかで一番強く残るだろうとおっしゃいました。その一人が福田恒存氏でもう一人が西尾幹二氏だと言います。お二人との出会いはあらゆる出会いのなかで突出し、間違いなく他の方々には持ち合わせていないものを感じたそうです。それが先に紹介した「覚悟」なのではないかと私は想像します。

    ネット仲間にはよく語っている話なんですが、私も「国民の歴史」を本屋で発見したとき、迷う事なくそれを購入したのですが、それは何か運命的なものになるかもしれないと察知したのを覚えています。

    分厚いこの本が2000円を切る値段で売られていることに二度驚き、これはもう絶対買わねばならないと決断したのです。

    今までの買い物でこれ以上の安い買い物は後にも先にもこれが最後です。

    読み終えて、私はしばらく身体を動かすことができませんでした。「本物とはこれなんだな。人間が生きる価値はこういう事を指すんだな」と悟ったものです。後咲きの部類に入るだろう私の人生は、その時からはっきりと別の道を歩み始めました。しかしその道はけして平坦なものではなく、見えなかったものが見え出す恐怖に怯えることもありました。もしもこれがもっと若い時に起きたなら、はたして自分は同じ境地にいるだろうかと自問したりもしました。

    西尾先生の名前を知ってからは、本屋でその名前を探し、今まで立ち寄らなかったオピニオン系のコーナーに足を止めるんですが、悲しいかな先生の本にはとんと出会えないわけです。

    ちょうどその頃は大好きなサッカーのネットを徘徊していたんですが、PC操作が覚束ない私は、常駐の掲示板のURLの変更に対応できず、さてどうしようかなと模索していると、ふと西尾先生の名前を検索していました。たしか2002年の12月頃です。すると日録というものが目に入り、クリックしますと先生の生の声がふんだんにあるわけです。

    「あぁ、やっと出会えた」と思いましたね。ROMしているうちに、「よし書こう」と思いHNは北海道の商人に因んで「北のあきんど」としました。当初何を書いたか全く覚えていませんが、長谷川さんがすぐにレスを書いてくださり、随分と印象をよくしたのを覚えています。当時常駐していたなかにミッドナイト蘭氏がいて、彼が立ち寄る本屋で先生の本を買おうかどうか迷いながらも買ってしまった・・・という話題に親しみを感じレスを入れました。

    それが今に至る経緯です。蘭ちゃんはそのあと個人的に先生と会う約束があると連絡をよこし、わざわざ先生の「ヨーロッパの個人主義」を買い、それに先生のサインを貰って私に送ってくれました。

    何か先生に御礼をしなくてはと思い季節柄地元の林檎を送りましたら、わざわざ先生から御礼の電話をくださり、手を震わせながら会話したのをはっきりと覚えています。それが私と先生の最初の接点です。

    伊藤さんのようにいつか先生と出会える予測は、私の場合まったくありませんが、このようなご配慮を頂けただけで身に余る光栄であります。

    あれからもうあしかけ4年です。ふと気がつくとサッカーW杯の巡り会わせとだぶっているんですね。

    月日が過ぎるのは早いものです。

  5. 西尾先生との出会いは90年代はじめ、書店で目にした『日本の孤独』でした。そのとき「西尾先生は必ず日本の思想界で大きな仕事をする」と私なりに直感しました。あきんどさんが『国民の歴史』が西尾先生との運命的な出会いと言われた意味はよく分かります。私も電流が体内を走ったような記憶があります。『国民の歴史』が発刊される前後、つくる会会員の間で何とも言えない胸の高鳴りが生じました。日本が変わる!・・それは島国国家の日本人が、戦後ようやく文明史的視点から自国の歴史をおおらかに思考できるようになるという期待でした。この本を読まれた人は誰でも心の昂ぶりを覚えたことでしょう。雑誌『正論』の「読者の声」で、ある高齢者の方が「生きている間、これほど感動的な本に巡りあえるとは思わなかった・・」と興奮する筆致で書かれていたことを思い起こします。当時の『正論』を探し出し、あらためてご紹介します。
    先生の思想は読者にはっきりと刻印されたことでしょう。私の場合、それは実に透明、崇高なものでした。さっそく地域の長老が『国民の歴史』の月例読書会を企画し、2年以上続きました。その方が毎月、ワープロで克明なマトメ資料を作成配付してくださいました。その厚さはとうに10cm以上になります。ブログに登録されれば、次代を担う若者の精神的羅針盤ともなり、再び『国民の歴史』に火が灯ることでしょう。その方は元中学校校長経験者、この作品をぜひ活かしてあげたいというのが私の偽らない気持ちです。
    文明史的視点の指標は、これまで幾多の先人も示してくれましたが、西尾先生にいたって国民的なスケールで実現しました。当時『SAPIO』の漫画で小林よしのり氏は、西尾先生の「ページ数の削除に苦労している」という言葉を紹介されました。その削除した部分をぜひ別冊で西尾ファンに紹介して欲しいものです。
    『国民の歴史』発刊に先立ち、1986年9月23~25日、パリでヨーロッパ・日本の知識人による「国際円卓会議・・ヨーロッパと日本、未来への展望」が開催されました(『西尾幹二の思想と行動②』参照)。日本から出席の知識人は西尾幹二、西部邁、舛添要一氏ほか計7人、ヨーロッパからは12人。その中で3先生の思考の対立(というほででもないが)が紹介されて面白い。西尾先生は注意深く「日本の歴史の一貫した連続性」「西洋人の文化的意識の傲慢」を指摘しましたが、西部氏は「ビジネス文明」の陥穽を指摘、「日本文化の断罪」に走り、日本の歴史に「屈折」があると指摘しました(氏は潔く自ら文化的劣等感を表明)。舛添氏は西尾先生の論を「偏狭な愛国主義」と発言、他二人の論に「世代論」を持ち出すなど、先生はご両人とも“場を間違えている”と批判しました。3名のその後の言論活動が、円卓会議の延長線上にあることを西尾ブログの読者はお分かりですね。『国民の歴史』にも、円卓会議における西尾先生の思想と精神が反映されているのです。
    書とシンポジウムなどを通じての西尾先生との知的付き合いは充実したものがありました。その先生にしてみれば、このたびの騒動で、あまりに異質な人たちの異質な言動に接したときの嘆きは察するにあまりあります。ブロック会議、全国世話人会議の状況を知らせてくれた友人は、渦中の一人の理事が「このたびの騒動は未だによく分からない」と発言されたことを教えてくれました。その発言のニュアンスから、相変わらず仲間意識から脱却できず、問題の本質を理解できない、「自己」の欠乏を感じるのは私一人でしょうか。

  6. ピンバック: なめ猫♪
  7. 伊藤悠可氏の文章には味がある。真の思索家のそれだ。ある音楽番組で「ビオラ」という楽器は料理でいう「コク」に相当するという洒落た説明があった。例えは適当でないが、伊藤氏の文章の味は「コク」がある。ビオラの音色、メロディーは、目立たないが、耳を澄まして聴くと、微かな調べが、曲全体の「質感」を安定、調和させることに気付く。そしていつしか、ビオラは聴く人をとりこにする。
    「コク」は人間社会でいえば「品格」とでも言うべきか。「コク」のない音楽は深みがない。「品格」のない社会、「品格」の乏しい人間は「コク」のない料理のようなもの。いつしか飽きられる。学問も然り。学問の「核」が乏しい学者は、一時時流に乗っても、学者生命は長続きしない。一時脚光を浴びても、時代が変わればいつしか忘れ去られる。5年、10年後のすがたは今、「人間としての核」をどこまで身に付けているかで想像できる。見える人には見える。
    「コク」「品格」「核」・・・どれも物事の「中心」「見えざる価値」という響きがある。全共闘世代は確かに、人間社会の「礼儀」「基本的振舞い」「長幼の序」に乏しい。緊張感に欠けた時代の落とし子だ。本人たちは被害者かもしれない。しかし一端の学者、知識人ともなれば、自ら研鑽すべきである。人様の前で偉そうに歴史を語る人は、まず己を律せよ。
    人の「真贋」をはかるリトマス試験紙は人の「顔」にある。それは顔かたちではない。数日前、ある尊敬すべき保守系代議士にお会いする機会があった。我が国の伝統保守を真剣に考えているお方だけに、直感でご立派と分かった。神々しいほどに「いい顔」であった。
    「組織の中心核」には今後、良質な人材を引き入れる「意識的な」努力が必要と思う。振り返ってみれば、この面で、つくる会にも油断があったのではないか。
    遺伝子工学の権威 村上和雄先生は「良き環境因子が生体に働きかけると、“良質の遺伝子”が引き出される」と言われる。良き遺伝子を「良い人材」、生体を「つくる会組織」に置き換えたらどうなるか、逆の問いかけも含めて、答えは自ずから明らかである。
    「聴」という漢字は、神代の昔、われわれのご先祖さまが、自然を通して、カミさまの微かな声を「聴き入れ」ようとする精神の姿勢を感じさせる。それは、しずかなかたちで、主なるもののご意向(メッセージ)を聞き入れようとする生活の営みをも感じさせる。自然に立ち向かった日本民族の、素直なこころの姿勢、あかきこころの源泉がそこにある。そのこころは、「なぜここにいる」と言うこころとは無縁のこころである。
    「いい顔」の人材を迎え入れるためにも、お互い、人物の真贋を見分けるセンスと見識が求められる。同じ過ちを二度と繰り返さないように。

  8. 友人のメールです。結局はこれに尽きます。人間、徒党を組むと碌なことはない。一人ひとりは有能なのに・・残念です。

    種子島会長はともかく、八木先生と4人の理事の今回の動きには全般に爽やかなものが感じられません。八木先生のそうした人格が、またしても今回のおかしなFAX発信となったわけです。4人の理事の諸先生方は、宮崎氏との個人的な友情とつくる会という組織の重さの判断を誤りました。
    ここは、しこりを解消して再出発するには、こうするより他無かったと思います。

  9. 谷口雅春氏の著書にふれ、谷口氏を少々知る者として言うが、早瀬・岩田氏の谷口雅春氏とその教えに関するコメントは「ガセネタ」に近い。言葉は悪いが「悪ガキ」の文章、それが悪質な貼付けを管理人さんに消された百禍繚乱を寄せ付けた。このレベルでは反日家・本多勝一氏と変わらない。長谷川氏がたしなめ、とろりー氏が湯気ポッポで注意をうながした気持ちもよく理解できる。両氏のコメントはそれでも、若者を傷つけないよう、遠慮気味の表現である。貴君たちのレベルで解釈された生長の家、谷口雅春氏こそハタ迷惑というもの、西尾ブログの品格を下げましたぞ。
    日本の将来をになう学徒が「知ったかぶり」で情報発信してどうする。知足氏も無責任に若者を甘やかしてはいけませんな。いやしくも「保守の精神」をふりかざすなら情報の真贋をしっかり見極めて文章を書くべきである。人を生かすも殺すも活字次第なのです。
    生長の家がカルト?? 「人間神の子」と金正日を単純に並べるところに、これが本当に大学院生?と疑問をもったのは私だけではない。バカさ加減に沈黙していただけである。
    「人間神の子」とは、私が知る限りでは「実相」から見ての認識である。「山川草木国土悉皆成仏」と同じ視点の認識である。「悟り」の視点、本質ギリギリの認識でもある。
    岩田氏は著書がおありのようだが、失礼ながら質を疑う。尊敬する長谷川美千子先生がどこまで岩田氏を評価し推薦文を寄せられたものか・・。貴君の将来性と意気に感じて文章を寄せたものと想像する。長谷川先生は谷口氏を貴君以上に知っている筈だ。貴君のコメントを見せたら推薦したことを恥じるだろう。4人組とやらを必要以上に結びつけよう、一握りの浅はかな運動家とその粘着質の不良仲間を一般化しようと、想像たくましく考えすぎるから脱線するのですよ。
    私の友人は「生長の家ほど『長幼の序』『中心者(誤解のないように)』『素直さ』を大切に教えるところはない。つくる会の創業者に失礼な言辞を弄するなど断じて谷口哲学を受け継いだ弟子のすることではない。その証拠に谷口氏の本を何冊か読んでごらん、すぐ分かりますから』と言っていました。つまり名前があがっている人たちは、言動からして谷口氏の弟子でもなんでもないということです。

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