残された謎――種子島氏の変節

 昔からの「日録」の読者の中には、「つくる会」問題はもうそろそろやめてもらいたいと考える人も少なくないだろう。私にしてもやめたい気持はやまやまである。読者にはあともうほんの少し辛抱してほしい。私にはまだ若干の証言責任が残っている。

 宮崎問題は藤岡問題になり、次いで八木問題になり、そして今は最後にひとつだけ謎が残っている。私はもう電話もメールもしたくないし、向うも受けたくないであろう旧友種子島君の問題である。4月30日の彼の会長辞任の少し前まで私は彼と交流があって、以来、いっさいの関係を双方で断っている。

 宮崎氏が求められたのは雇用解雇ではなく局長更迭であった。彼は最初承認する姿勢をみせていたのに途中からがぜん強気一点張りの抵抗に変じた。そのため雇用も失った。なぜだろう。いうまでもなく途中から、彼の背中を押す支持勢力が会の内外に突如現れたためである。

 藤岡氏は2月27日の八木会長解任の前後まで意気盛んで、八木氏と四人組を追放することに自信満々の風があったが、3月初旬から急変して、弱腰になり、八木氏にすり寄りだした。なぜだろう。多分、「怪文書1」(党歴メール)の脅迫効果だろう。本人は証言していないが、私でなくても歴史の記録者は他に理由は考えられないと書くだろう。

 八木氏は上記両氏と違って、二度も理解できない行動軌跡を示した。三人の元副会長、遠藤、工藤、福田諸氏を含む執行部の意志決定者は八木氏であった。例えば宮崎氏の次長降格、減俸、出勤一時停止の処分(実行されなかったが)を地方支部に文書で公開告知すべきだと言ったのは八木氏である。私もそう言ったが、反対したのは藤岡氏だった。藤岡氏が一番穏健かつ慎重だった。(これは重要なポイントである。)事は人が考えるほど単純ではないのである。

 そういう強硬派の八木氏がある時期から突如宮崎処分に自分はもともと反対だったというデタラメを言い出した。そして副会長四人と私のいた執行部の立場から姿を消し、会合を逃げ、連絡も避け、電話もメールも不通になることがあり、「四人組」サイドににわかに立って、丁度その頃執行部の誰にも告げずに宮崎氏を伴って中国へ旅行した。この急激な態度の変更、一方から他方への立場の移動が八木氏における不可解の第一点である。

 八木氏の行動のもう一つの不思議さは、黙って穏和しくしていれば、7月2日の総会で会長に推戴される「含み」であることが分っていたのに、3月初旬から28日の理事会までに、やらんでもいい「怪メール」に手を出すなど不始末をしでかしたことだ。

 以上三氏の行動の突如の変更は理解しがたい。謎はまだ残っている。けれどもだんだん分りかけている。最終的には分らないが、それぞれの性格、人品、信条をさらけ出した点ではそれなりに分り易い。

 宮崎氏、藤岡氏の場合と同様に、八木氏の場合にもなにか外からの強い力が働いた結果に違いない。それに加えて彼の虚栄心、他人に対し平生の挨拶がまだきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の「言論力の不在」が関係している。

 しかし、以上三氏の行動の不可解さは何とか説明がつく。四番目の人物、種子島経元会長の突然の変節はどうしても分らない。実業畑を歩いてきた人なら知識人世界に遠慮は要らないはずだ。産経や扶桑社の社長がどんな顔をみせようが、いっさい黙視してよい立場ではないのか。

 2月27日に種子島氏を会長に選んだ勢力は、八木氏を解任して会長の座から投票によって降ろしたのとまったく同じ勢力である。だから種子島氏は藤岡、福地両氏を補佐に選んだのだった。だとしたら自分を支持したこの同じ勢力にある程度誠意を見せつづけるなど拘束されるのが常識だろう。ところが、3月に入ると――あの党歴メールが飛び交い、八木氏が産経渡辺記者に見せるなどして触れ回っていたあの時期に――種子島氏はあれよあれよという間に心変わりし、一方から他方へ、自分を支持していた勢力からその反対派へ誰にことわるでもなく変節してしまった。

 ここにどんな怪しげな力が外から働いているのか、本人に聞かなければ分らない。3月初旬の大阪、福岡での説明会で藤岡批判が高まり、八木コールがあったからだといわれているが、大阪に関する限り、違う証言をきいている。たしかに大阪でも藤岡氏の説明の独断調が集った会幹部ににがい思いを与えたそうだ。けれどもさしたる八木コールもなかった。また、別れしなに大阪支部では八木、藤岡両氏の副会長就任を種子島氏に約束させ、会を割らないようにと強く要請した。

 しかるに種子島氏は帰京するや八木副会長一点張りになった。びっくりさせる変身だった。会員の世論に合わせるためだと言った。そして、福地氏が複数副会長制を唱える声にも耳を貸さなかった。このときの八木一点張りの決定が会を分裂させた決定的要因である。

 いったい何が種子島氏をしてかかる一方的独断的行動に走らせたのであろう。

 過日「財政規律の問題」を書いた友人粕谷哲夫氏は、私と種子島氏との両方の友人だが、どうもこれはおかしい、と次のように傍観的観察者の立場から語っている。

西尾 兄

なんとなく世論がある方向に収斂しつつあるように思う。

しかしどうもこの会の基本的な常識についていけないことがある。
以下の文章が 新しいFAXメールの中にある。

藤岡・福地両理事による反論

 両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと
 付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由
 に反論しました。

〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島
会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会で
は、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行
使するとして八木氏のみを副会長に任命した。
それでも理事会の宥和を重視し、
我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合
意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずで
ある〉

きわめて重要な点で、種子島が八木に対して「次期会長は八木で了解」という点である。

小渕死去で森内閣総理大臣指名が密室で決められたことが世の批判を浴びたことと
比べて、種子島が八木会長を今の時点で公式に認めたことが批判されないことがなんともおかしい。後継者の決定に種子島は影響力や推薦力はあっても決定権限はないはずである。
後継者決定の手続は種子島の意向とは独立して行なわれねばならいことは自明である。
仮に正式選挙で八木会長が任命されることが周知のことであっても、それは公式には
種子島とは独立して行なわれるべき問題である。「会長八木」を約束した種子島の心根は理解を超える。

種子島は八木に対して「オレは八木を推す。しかしオレの推薦どおりに会が運ぶかどうかは
私の裁量権限を越える問題である。オマエが会長になりたければお前がそれナリの
努力をしなければならない。しかしオレ個人は誠心誠意オマエを押す」あたりが最大の
サポートではないか。
(以下略)

 3月28日の理事会で種子島会長は予定どうり八木副会長ひとりを選んだ。それも八木氏がはじめ副会長ならいやだ、いきなり会長になる、さもなければ一理事にとどまると偉そうに振舞って、後から電話で副会長でもいいと応諾するや種子島氏は渡りに舟とよろこんでこれにとびついた。他の理事のいかなる意見もきかず、「八木会長含み」を全理事に押しつけた。

 そしてそのころから「怪メール」の噂がボツボツと大きくなり始めた。八木氏に犯罪の匂いが立ちこめ始めた。3月初旬から不正なことが行われていたとあちこちで言われるようになった。

 4月7日に福地惇理事が「種子島会長殿への意見具申」を提出し、「八木聴聞会」を開くように求めた事実は、当「日録」の前回掲示に見る通りである。

 4月7日に福地氏は種子島氏に単身で会談した。会談終了後、記憶の失せぬうちに、急いで対話内容を再現したのが次の「問答要旨」である。Tは種子島氏、Fは福地氏である。

(参考資料2)

平成18年4月7日  「つくる会会長」種子島氏と理事福地の問答要旨

問題の所在を示した「意見具申」を福地が会長に示してから、問答は開始された。

 人事の要諦は、①得手・不得手、②ベターbetterな人、③無理筋は駄目であるというのが私の経営哲学だ。このことは西尾氏にもメールで伝えた。

 貴方の経営哲学は承知した。

 三月の理事会は、次期会長候補を含みとした副会長指名である。自分としては、人生設計、健康状態の問題もあり7月総会までが限度で、八木秀次氏に会長職を譲りたい。それが、betterと今でも思っている。既往は問わないというのが三月理事会の合意事項だ。

 既往は問わないという了解事項が成り立つ条件は、それを守り不信・疑惑の行動がその後に及んで全く無い場合に成り立つ。しかるに、八木派と思われる連中は、理事会の終了間際から姦策を労し始め、今や大いに疑惑まみれである。それゆえに副会長を任命した会長の責任で「八木聴聞会」を開催して欲しいと申し上げている。

 「聴聞会」はキツク響き過ぎる。私の一存で疑惑について八木副会長に本当のところを知っているならば教えて欲しいとお願いし、皆さんに疑惑を与えた点に関しては、「釈明」させる。

 それでは駄目だ。生ぬるすぎる。罪状は十分に推測できるのであり、「聴聞会」を開催して、場合に依っては会則第20条により「除名処分」に及ぶべきである。

 それは厳しすぎる。また、内紛かといわれてこの会は世間の信用を失い、そこで駄目になる。だから、出来ない。穏便に済ませたい。

世間の信用を得るためにも疑惑解明は欠かせない。犯罪紛いの行為をするものが我々の近傍に徘徊している。穏便に済ませられる状況ではないと判断するから、この進言をしているのだ。

 3月28日理事会の精神は二度と内紛を繰り返さないであり、穏便に済ませたい。ついては、私の責任で八木に釈明させる、それも29日の産経新聞記事に誰が情報を提供したかについてだけやりたい。理解して欲しい。

 全く理解できない。既往の悪事は問わないというのは理解を絶する。28日理事会の精神を見事に踏み躙ったのは「八木―宮崎」と会長はどうして思えないのか。

 私は法律学を学んだ者である。証拠の無い話しは、争いごとにするべきではない。

「証拠不明瞭なことで、聴聞会は開きたくない」。

 それはおかしい。限りなく証拠に近い尻尾が出てきているので「聴聞会」でその点を明らかにせよと言っているので、自白は証拠になる。

 お前の言うような直情径行的な強硬策は取りたくないのだ。聴聞会に何人かの理事が陪席するというが誰を予想しているのか。

 (ニ三名の理事名を挙げたが当然八木派と目されるものは除外した)種子島さんは、経営責任者として強硬に筋を通して来た人と思っていたが、この甘さは如何したことか、理解を超える姿勢だ。3月理事会の後に忌々しき事態が次々噴出しているのに、飽く迄も既定方針を貫きたいということか。

 もし、聴聞会を開くとしても、一方の理事だけでは不公平になる。

 馬鹿を言われては困る。疑惑を起しているのは先ほど挙げた理事達ではなく、あなたが公平云々というサイドの理事なのですよ。

 だから聴聞会はやりたくない。7月総会で八木秀次氏を次期会長に推薦することが飽く迄も私の現在の揺るがぬ方針である。他に人がいるか。

 会長人選は、「聴聞会」を済ませてからでも十分に間に合うし、適任者は何人か私の頭の中には在る。八木氏は全く不適任者だと断案したから、この意見具申に及んでいる訳だ。種子島会長が、この意見を呑んでくれれば、何人かの良質な理事は、貴方を支援するに吝かではないだろう。だが、それを拒否するならば、貴方は「悪人」の一味、仲間であると批判を受けるであろう。貴方の名誉を守るためにも私は言い難いこともここで申し上げている。お考えは変らないか。

 怪情報は取上げたくない。証拠が無い。産経新聞渡辺記者問題のみで八木副会長に知るところを聴き質し、また釈明すべきは釈明させて、ことを穏便に済ませて前に進みたい。

 交渉は決裂ですね。私は理事を退任します。種子島さんの名誉のためと思い進言したが拒否され、誠に残念至極です。それではお元気でさようなら。  以上

 種子島氏のあれよあれよという間に変わった理解のできない変節と、てこでも動かぬ頑迷振りの背後にはやはり何といっても、説明のできない謎が感じられる。彼は何かを隠している。

 なぜ彼は既往のことは問わずにこれからのことだけを考えようとしきりに言ったのか。何かがあるのではないか。私は多分謎の解明はできないが、現理事のまったく知らない諸状況をこのあと「続・つくる会顛末記」で最終的に証言する。

「残された謎――種子島氏の変節」への20件のフィードバック

  1. 西尾先生のご文章「残された謎――種子島氏の変節」を拝見しました。たくさん疑問に思ったことがあるのですが、書ききれないので一部だけ以下に掲げさせていただきます。

    私は、種子島元会長の意見が途中で「八木支持」に変わられたのは、最初に皆さんから聞いておられたことが真実と違うことに気がつかれたからだと思っています。これまでの過ちに気付いて考えを修正され、自ら正しいと信じることを主張されたのではないでしょうか?
    西尾先生は、「2月27日に種子島氏を会長に選んだ勢力は、八木氏を解任して会長の座から投票によって降ろしたのとまったく同じ勢力である。」「だとしたら自分を支持したこの同じ勢力にある程度誠意を見せつづけるなど拘束されるのが常識だろう」とおっしゃっています。
     しかし、私は、誰から選ばれたかではなく、自ら正しいと判断した正義の選択を取ることの方がより人間として誠実であると思うのですが、いかがでしょうか?

    (参考資料2)の福地先生(F)と種子島先生(T)のやりとりを第三者が客観的に見ると、八木先生を何が何でも会長にはしたくない。「聴聞会」を開いて何かの罪に陥れようと福地先生(F)が必死になっているように感じられるのですが、いかがでしょうか?
    それに、八木先生が、本当に怪メール事件の犯人であるという確かな証拠はあるのでしょうか?
    もしなければ、憶測や不確かな証拠だけを頼りに、八木犯人説を前提に論理を組み立てるのは欺瞞だと思うのですが、いかがでしょうか?

  2. 地方会員C さんへ

     ならば、八木氏はいかなる場合にも、11月にも12月にも
    、そしてその後もずっと、私に対してだけでなく福田氏たちにも、一切説明責任を果たさないのはなんと考えるか。卑劣ではないか。 

     多分あなたは事務局にいるか、いた八木氏の側近であろう。覆面をぬいで話しなさい。

     八木氏が怪メールの犯人であることはすでに複数の人から証言、ないし証明されている。そうでないなら自らそうでないと、彼自身が反証しなければならない番ではないか。

     種子島氏が「正義」にめざめたのならどんな「正義」かが楽しみで、私の言を待たれよ。

     なお、こんど投稿するときは氏名、会との関係をあかすこと。さもなければ無責任な投稿とみなし、削除する。

  3. めい様
     早速応答頂き、有難うございました。
     本部に問題があることは間違いありません。貴方のご苦労を思うと胸が痛みます。
     けれども、単にそれは「つくる会」内部の問題としてではなく、「広く、真正保守を目指す運動全体の政治的未熟さの問題として捉えていかないと解決できない」、と私は考えております。そのことを考えあぐねていたところ、西尾幹二日録の新展開を見て投稿に及んだ次第です。
     続いてもう少し論じたいこともありますが、西尾先生から、あらたな情報提供がありましたので、本日は、それに対する感想を述べることとし、後日を期したいと思います。

         * * * * * * * *

     さて、私にとっても種子島氏の「変節」は最後の謎でしたが、今回の(参考資料2)をみて得心がいったような気がします。
     西尾先生は、「ここにどんな怪しげな力が働いているのか、本人に聞かなければ分からない。」と仰っていますが、多分、外部の力の問題ではないと思います。(外部の力がなかったとか、不当な圧力はあり得ない、などと言っているのではありません。)
     種子島氏は良識ある国際ビジネスマンです。つくる会の昨年来の事務局長解任問題に始まるゴタゴタは相当に異常とは言え、ビジネス社会には絶対あり得ないというわけでもなく、種子島氏も目前に見ているのですから、事態の推移は理解できていた筈です。そして、内紛に終止符を打つべく最後の調停者として自分が会長に選ばれた。当然、共通利害の上に立っている組織なら、 ここで内紛は終わり、傷口の修復に向かうのが普通であり、世の中の常識である。
     ところが、その後も怪メール事件等が相次いだ。そんなことは想定外、種子島氏の想像力の範囲を超えていた。そこから判断停止、現実直視の回避の心理状態になった。そのようなときの、八木氏の産経グループ支持情報や、地方会員の八木氏支持の過大評価情報は、種子島氏にとって最も「常識」的且つ音便な路線=八木復帰を選択させるよう作用したことでしょう。
     福地氏の説得に応じなかったのは、「地獄の蓋」を開けるような恐怖を本能的に避けたのであり、その結果、一種の自己崩壊が起きた、と考えれば、最後のFAX送信時の異常行動も理解できます。
     種子島氏が、もし創業者的経営者であるとか、どん底からの這い上がりのビジネスマンならば、福地氏の言うことを、あるいは理解できたのではないか、という気がします。

     <ここで、地方会員Cさんに対する反論を記しましたが、西尾先生が既に反論されているので、削除>

     とは言え、八木氏が怪メールの犯人である、というのは真実味が感じられず、西尾日録で白昼夢を見ているようだった。(いくら何でも、八木氏ともあろう方が、そんな馬鹿なことを、という思いをぬぐえなかった。)
     それが腑に落ちたのは、てっく氏の「中国謀略論」の考察による。(そんな滑稽で、誇大な、と考える人と全く反対である。)
     八木氏の中国訪問が中国ペースであることは、雑誌「正論」の2回の連載内容から明らかである。それは中国側から見れば取り立てて謀略と言うほどのものではなく、ルーチンワークに近い対日工作の一環に過ぎない。連載の内容に問題ない、と見るのは油断であって、すでに中国の罠に嵌っている。
     以上を前提として、怪メールに中国の謀略が関与している、と仮定すれば、上記の「いくら何でも」という思いは吹っ切れるのである。勿論証拠はないが、この手の謀略に証拠などあり得ない。
     但し、この謀略は、中国側の本格的な工作ではなく、一種のフライングではないかと思う。西尾先生の執拗な追求は予想できず、先走った担当者は自己批判させられているのではないかと想像する。

     藤岡氏の「変節」について西尾先生は、党歴メールの脅迫を挙げておられますが、私はそんなことはあり得ない、と思います。私には、藤岡氏は、こと出処進退に関して、絶対に人に後ろ指を指されることのないように努力してきた人のように思われます。
     共産党と思想が異なった場合、党と当該党員との間に内心上の矛盾軋轢が生ずるが、自分が進んで離党するには至らない。やがて、その矛盾軋轢が行動上に現れるとき、多くの場合「党規律違反」行動を起こし、除名されることになる。党の方も、思想の違いだけで除名することなど簡単には出来ない。
     藤岡氏の思想的転換は、その後の共産党との対立にの激しさを見ても相当のものであることは言うまでもないが、それだけの思想的転換を経ながら党との組織的矛盾を惹起することなく(たとえ、米国留学という格好な理由があったにしても)、離党したというのは、並の党員ではできないことと思われます。さらに、藤岡氏の党歴メールに対する弁明においては、除名されなかったことを誇りとしているように見えます。
     藤岡氏は、党の思想を真面目に信じた党員だったでしょうが、党を盲信し、その走狗となるような人ではなく、自己の信念に忠実だったに違いない。(どなたか、藤岡氏は、東大教授になるために共産党を利用しただけだろう、と言っていましたが、共産党員だから東大教授になれたというのはその通りとしても、藤岡氏にとって東大教授のポストは、自己の信念を活かすための手段だった筈である。)
     党と軋轢を起こすことなく、党に盲従することなく、自己の信念を貫くことが、どれほどのストレスの連続であったことか。西尾先生は、藤岡氏に「覇権を目指せ」といったのをレトリックであることを理解しない、といって嘆いておられましたが、そのようなレトリックこそ、藤岡氏が、最も注意深く避け続けててきたものです。
     以上のように、藤岡氏は、対等な者同士が協調・抗争しながら一党を築くということは経験しなかったわけで、つくる会の活動における周囲と対応において、その間の取り方には苦労せざるを得ず、しばしばトラブルとなったのではないかと推察します。
     さて、結論ですが、藤岡氏の生真面目な「小心さ」がわざわいして、組織の混乱を恐れ、最後の局面で判断ミスを犯したのではないでしょうか。(自己の一時的屈辱も、つくる会を守るという大義のためには忍ぶべきだと考えた。)
     藤岡氏は、この度の「変節」など何事もなかったかの如く、つくる会の活動に邁進されることと思います。
     
     いずれも余りに平凡な結論のようですが、従来の常識が通用しない局面を迎えつつあるのではないでしょうか。

  4. 「教育改善運動の一般論」

     騒動の結末については、あまり関心がないので、以前の教育現場の改善について補足説明します。。。(まあ、教科書改善運動と全く無関係でもないということで。。。(^皿^ゝ)

     地元の教育委員会(HPがあるはず)に電話する時は、用件を先に伝えて「担当部署に回して欲しい」と先に言って下さい。。。(学校教育とか担当部署がけっこうややこしいです、役所の常ですが)

     「それはここでは判りません」と必ず言うので、「じゃあ、担当部署につないでくれ」と言うわけですね。。。(「回しましょうか?」なんて言うような親切な役人はいない)←だから「民営化」が必要だ?

     たいていの役人は、責任逃れをすることしか考えていないので(まあ、役所は減点方式だからな)、まず「担当者の名前」そして「所属部署」を聞いておくと良いですね。。。(適当な返事が出来なくなりますから)

     ちなみに、教育委員はそれほどでもないのですが、エリート意識が強い文科省の時は、電話に出た(下っ端の)人間に、「名前と所属部署は?」と聞いたら、「なんでそんなこと言う必要があるんですか?」と答えましたね。。。

     私が「担当名や所属部署が判らないと、責任の所在が明確にならないだろ?」と答えかけている途中で電話きりやがったよ、そいつ?
     すぐに電話し直して、用件を話したら「ウチじゃ判りません」とか答えたので、「だったら、担当部署に回せ!」と言ってやりましたが。。。

     その他に、よくある言い逃れの常套句が、こちらが改善策を提案すると、「それは考えていません」というのがあります。。。
     その場合、「考えるのが仕事だろ? 考えていないとはどういういうつもりだ!」と言ってやりましょう。。。

     それと、定番中の定番、「検討しておきます」がありますよね?
     これも、「どの部署のどの会議で検討するのか? そして、その責任者は誰か? 検討した結果はいつ出るのか?」という「具体的な」質問で切り返しましょう。。。
     ついでに、「検討結果」をちゃんと伝えてくれ?とも言っておくとさらに良いですね。。。

     まあ、最初は、なかなか話が通らなくてもどかしい思いをすることもありますが、何か言い返しておいた方が、ストレスたまらないですよ?(一度、あまりに質問をはぐらかすので、教育現場の問題点をまくし立てて電話を切ったことあります(笑))
     まあ、文句だけ言ってもあまり効果はないのですが、だんだん回を重ねる内に、相手の手の内も判ってきて、上手な対処法を考えたりも出来ますからw

    (役人ってどんなカンジなのかな?と、ちょっとした好奇心くらいのつもりで始めるといいかもしれません)←最初から力みすぎても疲れるし。。。

    P.S.

     「気軽に始める」教育改善運動、これがこれからのトレンドじゃないですかね?

     つくる会の運動自体が、全体的にちょっと「重々しすぎる」気がしますね。。。

     採択10%なんて「夢物語」を100回唱えるよりも、「具体的」にちょっと行動できることを考えることの方が、よっぽど効果あるんじゃないのかなぁ。。。

  5. 対極的に見ますと、今回の問題点は次のような点に着目すべきだと思います。
    それを一つに絞るなら・・・

    「自分を自分の目で疑い、かつ、信じることが可能か否か」

    つまり、保守と自負される方々に多い欠点は足元を照らす事に長けていない点です。確かに語る言葉はごもっともです。頷ける点は多い。しかし、はたしてそれを自分に向けたときどのような答えを出せるのか?

    こうした点が本来問われなければならないと私は思うわけです。
    では、藤岡先生の場合はどうだろう?
    氏の著書に「大東亜戦争白熱のディベート」という作品があります。
    1996年4月に明治図書出版より刊行された「歴史ディベート・・・大東亜戦争は自衛戦争であった」の改題版ですが、これにおいて氏はじつに際どい立場に立たれて論じておられます。ディベート(意味は辞書でお調べください)という手段に視点をおける氏の発想力は、ありきたりな保守層には考えも及ばないものだと感じるわけです。
    とかく「歴史の真実」とか「正しい歴史認識」とか言われますが、殆どのそれは借り物から生じた認識に過ぎない場合が多い。
    しかし、自身の知能と努力と対戦する相手の出方や回りで聞く公衆への表現方法などを考慮し、自分の意見として理論を訴えることにはなかなか出会えていないのが現実です。
    インターネットが普及してそうした環境がいくらか整いつつありますが、本気でそれを摺り合わせる機会にはまだ至っていないだろうと思うわけです。
    しかし、藤岡先生はそのような事にも具体的にチャレンジされる方なんだと知ったわけです。

    こうしたエネルギーというものがどのように生まれてくるかを想像したばあい、自分に矢を向ける度量の問題に結び付くのではないでしょうか。
    藤岡先生はそうした細やかさを兼ね備えています。
    ただし時にはそれが西尾先生から見ると時間がかかりすぎるようにも見え、常に西尾先生の方が先を急ぐ形になっているのだろうと感じます。
    でもよく考えるとそうした細やかさによる時間の浪費こそは人間が本来必ずぶちあたる「迷い」の証であり、そのような感情を抜きにして本質を語ることは本来不可能かもしれないと感じ、私はその思いを西尾先生に伝えたわけであります。「ちょっとまてよ」という感覚はとても大事だと思うんです。確かに何かに向かって突き進む気持ちも大事です。しかし、それが他人の踏んだ足跡を探しながらの行為ならば本来の目的には近づけないと思うのです。新たに足跡をつける勇気こそが大事であって、またそうした勇気を促す環境の構築こそが大切であるのでしょう。
    ですから、自称保守と自負される方々に申し上げたいのですが、そうした自己認識を一度肩から降ろしてみては如何でしょう。
    重たい鎧を降ろせば今まで気付けなかった「自分」に出会えるかもしれませんよ。また、それにより今まで振り向いてくれなかった方に声をかけられるかもしれません。
    それはけして「油断」ではないんです。本当の「勇気」だと私は思います。
    「素手で勝負」ってやつでしょうか。
    西尾先生はそれを求めていらっしゃるのだと思います。余計な鎧をつけていない分西尾先生は行動が軽快なんでしょう。
    年のわりにはあんまり速く歩くものだから、時々皆ビックリするときが多いのも事実ですが。

  6. 「奇怪な行動とは全く思わない私」

    > とかく「歴史の真実」とか「正しい歴史認識」とか言われますが、殆どのそ
    >れは借り物から生じた認識に過ぎない場合が多い。

     このフレーズに便乗させてもらいますが(あまり対話をする気はない)、「保守論壇」全体の論調が「借り物」という気がしますね。。。(どこかで聞いたことあるフレーズが多い)

     ここで問題にされている8木さんですが、この方はさしずめ「優等生保守」とでもお呼びするべきでしょうかね。。。

     先人の、ちょっと格好いいセリフを、優等生よろしく「しっかり学習して」、うまく使い回しておりますよ。。。
     それで、一部に「人気」があるのでしょう。。。(なんか、格好いい言葉使って気持ちが良いよね?くらいの「評価」じゃないのかな?)

     これと同じ手法で、保守論壇でうまく世渡りしているのが「F田和也さん」ですね。。。
     うまーく、保守的な(主にN部さんが好んで使いそうな)フレーズを活用して、保守界重鎮(?)だった江藤淳に勘違いされて世に出た人ですね。。。(余談ですが、江藤淳は、「上野千鶴子は文学が判る女性だ」と「評価」していますね)←文学を「男女差別」の視点でしか読めない人間が文学を理解できるのか? そして、男らしさ・女らしさを否定して文学が成立するのか?って、まあ、もともと私は江藤淳には大して関心はないので、どうでもいいですけどね。。。(--ゞ

     8木・F田の両名とも、保守層に受ける言葉を上手く使い回す「術」に長けているというだけで、本当に「保守精神」を持っていないのは、8木氏に関しては、今回の騒動で明白になりましたよね?(F田和也にかけては、つくる会そのものを揶揄していたしな(苦笑))←「保守」は世論ではないとか訳の判らない偉そうなセリフを吐いていましたね。。。それでいて、俺の本は売れるとか自慢しているとか‥切腹!

     そうやってね、保守層受けしそうなフレーズを意識してか無意識かで上手に活用する、言葉面だけはなんかしっかりしていそうだからね、みんな騙されるんですよ?(N部さんはF田和也に騙されて、N尾先生は8木さんに騙されたというか、ずっと勘違いしていた)
     「保守的な言葉を使う」というだけで、なんか「同志」だ!と早合点したのが、そもそもの失敗の始まりですね。。。(N部さんは、宮崎哲弥という怪しげな人物にひっかかって、危うく提訴されるとかの騒動に巻き込まれていたし)

     ちょっと講釈しちゃうけど、福田恒在先生はですね、常々、「保守とは『生き方』である」と説いています!

     『保守的な生き方』をしている思想家はいても、「保守思想家」というのは存在しません!(頭で考えるのではなく、実際に生きる実行する人間が「保守」と呼ばれるのです)
     ただし、「保守層に受けそうなフレーズを多用する知識人」はいるけどね。。。(--)

     言葉面で騙されないで、相手の立ち振る舞いを良く見極めるように心がけて下さい!!

     かの孔子も、弟子の子路が勉学をサボって昼寝していたのを見て、「私は、今まで相手の言葉で信用していたけど、これから相手の行動も見て判断するようにしよう」と語っていますね。。。(--)

     それと、言葉の使い方にしても、どういう意図で使っているのか、ただ自己顕示欲を満たすだけで語っている場合も多々あるので(W部昇一さんとか)、そこに気をつけて、相手の「人間性」を見極める読書方法が重要だと思いますね。。。

    (私は、F田和也に関しては、タイトルを見ただけで「なんて尊大なヤツだ!?」と思ったし、8木さんに関しては、「気取っているワリには、言葉に重みのない人だな」と思いましたね)←それぞれの文章に、その「人間性」がしっかりと出ている証拠です。。。

  7. 東埼玉人様

     貴説では、八木氏のあの行動が「ルーチンワークに近い対日工作の一環に過ぎない」とされておられますが、その点では同意見です(そもそも向こうでは通常の仕事であって、「工作」という意識自体がどこまであったか疑問)。ただ、それとてっく氏の考えとではかなり異なるとは思いますが…。
     中共と怪メール問題とはやはり無関係でしょう。「いくら何でも」という思いは誰しもあるでしょうが、あの業界、常識では考えられぬ行動をする人間は結構多いのですよ。
     以前は気が付かなかったのですが、『正論』の報告記事を読み返していると、八木氏の言っていることに色々と矛盾する点があることを発見しました。たとえば、「初めは討論するつもりもなかった」などと言っておきながら、その実わざわざ扶桑社・東京書籍等の教科書を色づけまでして持参したのは何故なのか、社科院でないにしてもどこかで討論する意図は有していたのではないか、等々…。
     いずれにしても準備・能力ともに不足していたことは事実です。向こうが「汪精衛はこの戦争はよい戦争だと言った」と明らかにおかしな発言をしたのを咎めようともしなかったのには吃驚しました。
     それよりも八木氏一行の中国行脚については『正論』ではまだ書かれていなかったことがある可能性があります。
     小生の経験では、(日本では、というよりも八木氏の棲息環境ではどうか知りませんが)あちらではシンポジウムの後、すぐに「はい、さようなら」とはならず、向こうからの招待の宴会がつきものとなっています。この場合、すぐに答礼の宴をしなければ(色々な意味で)まずいことになるのですが、果たして八木氏たちはそこまで気が廻ったのかどうか。ことに氏が「一緒に酒が飲める人はすべて良い人」だという「信念」の持ち主だということは他ならぬ新田氏の証言にもありますから、その宴会の席でなにかトンでもないことをやらかしたということはなかったのか、その点がとても気懸かりです。
     何度も繰り返すようですが、中国に行って討論するのは大変結構、「謀略」だとしてもわかっていてあえて乗るのも結構。ただ、それをむしろこちらが利用する位の心積もりを持たなければなりません。そういう意味では氏の行動を「迂闊だった」と評するのも決して間違っていませんが、圧倒的に多い「中国に行ったこと自体が良くない」という過激な意見の方々には賛成しかねます。

  8. 福地さんと種子島さんのやりとりを拝読しました。
    ご年齢から推測して、おそらく種子島さんは晩節を汚したくなかったのだと思います。
    つまりキツく申せば一種の保身と推察しております。

    問題の中心人物が、種子島さんにとって、ある限界を超えるほどワルであったため、
    懲罰してコトを荒立てるより、「証拠」がないことをイイことに見て見ぬフリをして
    一刻も早く彼から平穏に遠ざかり、
    つくる会とも問題人物とも縁を切ろうとしたのでは。

  9. 機械計算課長こと松井康雄さんへ
    松井康雄さんが示された主題は2つ3つあるようです。
    1つ目
    儒教はブレーキの役目を果たしたと考えられているようですね。キリスト教の十戒のような禁止規範を与えた。日本の在来宗教の神道には戒律が乏しい。大祓詞には農作業を邪魔する罪と動物虐待の罪と近親相姦・獣姦の罪、家畜を殺す罪、呪の罪をあげているくらいです。これらを避ければよい。仏教にはたくさんの戒律がある。(日本では律宗は流行らなかったと記憶しています。)儒教の煩瑣な礼は戒律にあたるものです。日本は朝鮮のように礼をそのまま受け入れませんでしたが、五倫五常などの道徳規範を受け入れた。その意味ではブレーキの役目を果たしたと言えるでしょう。でも日本にキリスト教式の十戒がないから殺人も平気だった分けではないように、儒教が入る前にも大祓詞に書かれている以外の通念としての道徳規範は存在したはずです。「忠」だけではなく「孝」の規範も日本と儒教では異なります。日本では親孝行、親を大切にする、子供の時は親の言い付けに従う、親を好きになるほどの意味と思います。儒教では父権に従うことです。君主の命令と親の命令は親の命令を優先しなければならない。不義の君主には諌めて聞き入れられなければ袂を分かって去ってもよい。しかし、不義の父を諌めて聞き入れられなければ従わなければならない。父権は絶対不可侵なのです。本居宣長が儒教を不自然といったのも三年間も喪に服さなければならない。葬儀も派手で、哀別に痩せ衰えた姿になると評判になる。これ見よがしの孝心をいやに思ったのでしょう。昔の中国では孝行の評判が立つと出世の糸口になったからです。五倫五常の実質の意味は異なるとしても、儒教によって規範感を意識的に観念させたことは認めなければならないでしょう。
    朱子学は王朝の正統性を峻別する学問です。この学問意識が天皇地位に関する感心をよんだ。江戸時代にも水戸学として尊王思想がうまれた。国学も起こっていたから朱子学がなければ天皇はないがしろにされたとは言えないのですが、儒教は天皇を意識させる一助にはなった。
    日本の実質社会は儒教社会ではなく法家社会であるといえる。
    2つめ
    日本文花をほこるべき習合文化とされるのには同感です。日本はアミニズムの文化が後々まで残った。アミニズムは並外れて優れたものには特別な霊力を認める。それは齢を重ねた巨木でも、強固な巌でも、偉人でもみな同時に祭りの対象になる。中国朝鮮で崇められている釈迦牟尼仏と国生みの母アマテラスを護国の神仏として同時に祭ることができたのもこのアミニズム並立して崇める信仰観にあるのでしょう。本居宣長は次のように書いた「さてすべて迦微カミとは古への御ふみ等に見える天地の諸々の神たちを始めとして、それを祀る社にいます御霊をも、また人だけではなく、鳥獣草木のたぐい、海山なども、そのほか世の常でないすぐれた徳があって、かしこ(可畏)きものを迦微と言う」と。仏教以外も外来の文化を抵抗少なく受け入れたのもこの諸々のかしこきものを神とする信仰観が働いていたのかもしれない。西欧も

  10. キルドンム様

     「あの業界、常識では考えられぬ行動をする人間は結構多いのですよ」とのご指摘、新参者として有り難く承ります。ただし「あの業界」の意味が不明確なことが気になりますが。
     私は、何らかのヒント、サジェッション等が八木氏の背中を押したのではないか、と考えて「それにしても」、という感じが吹っ切れた、ということで、この可能性が絶無であるとは断定できないと思います。しかし、いずれにしても、八木氏の怪メール事件が「白昼夢」ではないことは了解できたつもりです。
     そ右派言っても、私も60年安保世代の端くれ、学生セクトの謀略まがいのことも経験しており、組織間のニセ情報のやりとりもありはしたが、この度のような個人宛ニセメールとは、あまりにも幼稚で理解に苦しみます。
     なお、「工作という意識がどこまであったか疑問」ということですが、中国においては(共産党と関係のない全くの個人の場合を除いて)、人を招いたりつき合いをすることすべてが工作(つまり政治)と考えるべきです。
     

  11. めい様
     
     昨日の貴方と布袋和尚様との往復投稿を見落としていました。
     また、改めて、私宛投稿中の「何度も書いて」 こられたことを読ませて頂きました。
     私に、認識不足があったようで、失礼の段、お許し下さい。
     それにしても、貴方の支部の活動の経験は、たとえ失敗であったとしても(いや、失敗であればなおさらのこと、)全国の運動の経験として検討され学ばれるべきだと痛感致しました。
     取り敢えず、御礼とご挨拶まで。

  12. 東埼玉人様

    今思えば、当初より「つくる会」に対して過大な期待、ないものねだりがあったのではという反省もないわけではありません。というのも、山形県における教科書問題への関わりの原点は、従軍慰安婦記述削除問題をめぐって平成9年3月に県教組と共催で行ったシンポジウムでした。その時の議論はたしかに平行線ではあったものの、現場の先生方と共通の土俵で議論したことは、教科書が学校現場を抜きには考えられないものである以上、われわれが運動を進める上でまさに「原点」として意識されていたことでした。しかし、あのような形のシンポジウムは、その夏似た形で山形市で開催しただけで他県に波及することはありませんでした。当時それなりの反響があっただけに、あの流れを広げることができなかった力不足への反省は反省として、そうした体験をもっていたことが山形における特殊性といえば言えるのかもしれません。それにしても、「つくる会」の当初の勢いは、私どもに過大な期待を抱かせるのに十分だったのです。

  13. 東埼玉人様へ

     わざわざのご返事、ありがとうございます。「あの業界」とは、「大学教員(必ずしも研究者とは限らない)の世界」というつもりで書いたのですが、少しわかりにくくなってしまったようで、すみませんでした(元は「この業界」としていたのですが、「いくら何でも」と考え直し、投稿直前に直したのです)。色々、精神のバランスを崩したとしか思えない人たちの話を見聞きしていますので…(実名で「怪文書」(どう見てもほかに呼びようがない)をバラ撒いていたのもいた)。そう言う小生自身、他人から相当な非常識漢だと思われている形跡もありますが。
     60年安保のご経験者でしたか。それならやはり想像されにくいとは思いますが、80年代以降に学生生活を送った者(小生もその一人)は、本格的に「生きるか死ぬか」の闘争をした経験が乏しいためか、どうしてもその辺りのことが甘くなりがちです。八木氏(もしくはその周辺の誰か)も彼(等)なりに「追い詰められた」と感じるあまりの、一生懸命考えての行動だったと思いますが、やはり「坊ちゃん保守」と称されても仕方がない面があったと言わざるを得ないでしょう。勿論、御説のとおり外部の大きな勢力のサジェスチョンの可能性が皆無というわけでもないでしょうが。
     また、「中国では個人の場合を除いての人を招いたりするのがすべて工作と考えるべき」と仰られていますが、むしろ共産党云々というレヴェルでなく、その個人間の場合から始まってすべて「政治」的だと捉えるべきではないでしょうか。あの客を迎えるときの洗練、というべきか高度に様式化されたやり方(それが「礼」というものなのでしょう)を見ていると、そのように思いたくなります。ただそれがあまりにも日常化しているが故に、とりたてて「工作」視する程のことでもないと述べたまでです(中国語の「工作」は、単に「仕事、働く」といった程度の意味合いしか持たないのも示唆的ですが)。
     以上、取り急ぎお答え申し上げました。色々間違いや誤解もあると思いますが、何卒ご批正の程賜りたく宜しくお願いいたします。
     
     

  14. >キルドンム様

     ワシは「論語」を何十回も繰り返し読んでいるんやー!?

     でも、ここ数年はすっかりご無沙汰しております。。。(^^ゞ←(何となく、他の弟子だったような気もしたんですけどね)

     中国研究のご専門(?)なら、細部の名称もご存じでしょうが、門外漢では弟子の名前なんて子路くらいしか覚えてないですよ?(苦笑)←(「子路」の文字が出てこなくて、ネットで調べたほどですから。。。(^o^ゝ)

    (ふふふ、イエスの弟子とかならどうですか?)←えーと、ペテロでしょ、ユダでしょ、ヨセフ、ヤコブ、、、ペテロでしょ、ユダでしょ、、、うああぁ!クリスチャンなのに(12使徒の内)4人しか出てこない!?(-◇-;オーマイガッ

    P,S.

     種子島さんは、「実業家」ではありますが、「東大出身」というのがひっかかります。。。

     「アカデミズム」を必要以上に過大評価していて(=東大出身の自分の経歴も過大評価できる)、「大学教授」の存在を必要以上に持ち上げていたのではないかな?

     もちろん、大企業の社長まで経験した実績がありますけどね、「実務」よりも「学問」の方を上に見てしまうきらいがあったのかもしれない。。。

    (「史」か何かで、「学者」というのは自説を曲げないすごい人間だみたいな評価をしていたのを読んだことあります)←「なんだ、学者なんて世間知らずで空理空論ばかりしか言わない勝手な奴らじゃないか?」くらいの見方をしてもいいと思ったが。。。

  15. 西尾先生、そう言わずに「つくる会」問題もっと書いてください。面白いからw。

    なにしろこの騒動、初めて知ることが多くて、藤岡先生の話とか、生長家の話とか、日本会議の話とか、へーと思うことが多いです。 笑ってしまうことも多かった。

  16. キルドンム 様

     ご回答有難うございます。
     「業界」は保守の運動乃至論壇、と想像していたので、「大学教員」と聞いて改めて思い当たることも多く、イメージも拡がりました。と同時に、60年安保当時と比較して今一の怪メールを幼稚呼ばわりして偉そうにはできないと気づいた次第です。
     何しろ当時はFAXがあるわけでもなく(電話のない家が多かった)、ワープロは勿論コピ-機もなく、文書といえば「ガリ版刷り」(お分かりですか?)だったのですから。(今日のような<小回りの利く>情報謀略は不可能だったわけです。)
     60年安保といえば、当時の仲間が6月15日にでもに行こう!」「(国会へ)という呼びかけが来ました。樺美智子追善だけならまだしも「9条改憲阻止!国民投票法案不要!」というのですからネ、化石が甦ったようでウンザリです。
     「改憲賛成だから行かないよ」と言う者が多いことは、60年安保世代の名誉のために言っておきますが。

  17. ピンバック: 移ろうままに

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