続・つくる会顛末記 (六)の3

続・つくる会顛末記

 

(六)の3

 以下、富樫氏から最近私が聞き書きし、同時に重要な個所をご自分の筆でメモを書いてもらいましたので、両方を用いて叙述します。

 富樫氏は宮崎氏にいくら聞いても埒があきません。宮崎氏も「あなたがそんなに疑問があるなら、自分で業者に直接聞いてくれ」と言い、一緒に心配する風はない。つまり、宮崎氏はこの額にびっくりしていないのです。

 彼女は大変なことになったと考え、コンピュータ会社の業者に会う前にソフトに詳しい専門家の意見を聴取したいが、第三者に内情を知られるわけだから、田中英道会長(当時)に電話で知人のソフト専門家に調査を依頼してよいかと尋ねた処、「どうぞ、どんどんやって下さい」とのことで、はっきり覚悟ができて、小林図南(となみ)氏にたのみました。調査は1月21日に行われ、「システム環境報告書」と称され、1月27日の理事会に提出されています。どうかこれをクリックしてよく読んで下さい。1728万円を請求されたコンピュータソフトの能力に関する、第三者による査定、一人の専門家の判定です。

 平成15年1月17日、富樫氏は直接業者に会って質問をする場がセットされました。小林図南氏の報告書はこのとき間に合いませんでしたが、ともかく会社の担当者に面談したのです。なぜかその場に種子島氏が出て来ていました。

 以下富樫氏の文章です。

当日、種子島財務担当理事、宮崎事務局長も同席した。両名は、始終業者寄りの発言をし、ことごとく私の疑問を否定して、つくる会側の利益を代表するのではなく、まるで業者側の者であるかと錯覚するぐらい業者側の立場に立った発言であったので、私は、これまた驚愕の事態で、一体全体どうなっているのか一瞬わけがわからなくなった。

① 本来、契約条件は明確にして取引されるのが通常であるのにすべてが口約束ですすめられていることの異常性、
② この契約が相見積もりを取って選定し、決定したものでない随意契約で、しかも事務局の関係者に由来する契約であること、
③ つくる会にとっては相当な高額投資の案件であること、
④ 当初発注のSQLシステム仕様になっていないものが納入され、半素人が作成した従来のソフトに比して機能の向上が全くない同じものに1000万以上の投資額にのぼることをどのように解釈するべきか、
⑤ ①~⑤の疑問について宮崎事務局長、財務担当理事の種子島氏が全く私と見解を異にして、しかも私の疑問を種子島氏は、頭ごなしに業者の前で面罵したことにこの取引の不可解さが一層増した。

 それから面罵されたときどんな対話だったかを思い出して、富樫氏には以下の通り補足しています。よほど腹に据えかねたのだと思います。

 その時の応接室で業者と宮崎氏の前で種子島氏から言われたことは、以下のとおりです。

① 「あなたには会計のことは頼んでも、このようなことは頼んでいないので口出しするな。」
これに対して私は、このような投資に係わる契約は会の財産の変動を及ぼす事項であり、これは、まさしく会計領域に属しますと反論いたしました。

② 「ソフト開発というものは、当初予算よりオーバーするものであり、通常起こりうることだ。私がBMWの社長時代の10年程前に、当初3000万円の投資が5000万円になった契約をした経験がある。この金額が高いものではない。」と発言した。

③ 「財務担当の私に一番に相談すべきなのに、私の頭ごしに、田中会長、西尾名誉会長に相談するとはなにごとか。ビジネスの世界では、根回しというものがあることは、あなたは、知らないのか。女であってもそれくらいの常識は、知っているでしょう。」と言われてしまいました。

 今まで、種子島氏に相談しても、なにかと意見が違い私の進言を聞き入れてくれなかったので、直観的に、種子島財務担当理事をとうさず、田中会長、名誉会長に相談したことを不服として仰ったものと思います。

 日本の社会で「公認会計士」とは地位の高い、ビックな存在です。女性だからと思ってなめたのか、大変な侮辱です。彼女は企業その他で数多くの仕事をこなしていますが、「つくる会」ほどひどい扱いをした例はほかにないでしょう。

 1月27日に富樫氏は「新会員管理システム移行取引について」の文書を理事会に提出。小林図南氏の判定を添付しました。2月10日にも「同文書の理事会決定事項への提言」を出し、会計士としての道理ある正義の立場を貫こうとしました。

 しかし彼女は理事会には出席できません。代りに私がこの取引の異常性を訴えました。契約書もなにも揃っていなかった不始末、相見積りをとっていない努力不足、金額が高すぎること、契約は全面的に破棄すべきことを訴えました。私は二度の理事会で数字をあげ、書類をかざして叫んだのですが、そのつど会議室はシーンと静まり返って、なにも起こりません。

 種子島氏に全面委任、事務局長を今さら困らせることはできない、という沈黙で、静まりかえって誰もことばを発する人がいません。たゞ素頓狂な発言をとつぜんした人が一人いるのではっきり覚えています。

 高森氏が、「でも契約書も、請求書も、見積書もみんな後から追っかけて、富樫さんに作ってもらって、みんな間に合ったんでしょう。じゃあ、いいじゃないですか。」

 藤岡氏は財務の一件になるといつも完全に沈黙します。後で人から聞きましたが、「西尾氏がコンピュータのことで騒ぐのは、田中会長を困らせ、追い落とすための工作だ。」こんなことを言ったというのです。

 私が声を大にして叫んでもビクともしなかった会の空気、しめし合わせて私の質問を封じた壁のような抵抗――その背後に何があるのかいまだに私には分りません。

 読者の皆さんは、この「名誉会長」は我侭で、好きなように会を動かして来たといわれ、それを信じているようですが、コンピュータ問題に関する限り、てこでも動かぬもの、どうやっても開かない「開かずの扉」の前で私ははね返されました。誰が何を隠しているのか、私にはいまだになにも分りません。

 しかしこの謎がずーっとつづいていて、それがオペレーターのMさんを立往生させた平成16-17年のシステムの不具合の連発につながってくるのです。

つづく

「続・つくる会顛末記 (六)の3」への5件のフィードバック

  1. 公的機関の調達部門に長年居たのですが(コンピュータ調達もやっていました)、
    いくらボンクラ公務員どもでもここまでずさんなやり方はしてなかったですね。どう考えても高いし。

    こんなこと公的機関がやって公になったらそれこそマスコミの良いネタだろう。

    こんななまくらな仕事しかできないような人たちは、当然、健全な組織では、飛ばされるか、首になる。
    ビジネスなんちゃらや、思想云々の話し以前だ。

    もっとも、腐った組織では、政治力を行使して「なんであいつが」というやつが、
    結構生き残っていたりするんだが、なんかそれと同じですね、状況は。

    仕事できない人間にちょっと引っ込んでもらう、ってだけでこんな騒ぎになるなんて、どっちがおかしいか一目瞭然だろう。

    会計士さんを恫喝し、福地先生を押し込めた方って、
    なんかこの件ですねに傷でもあるのでしょうか?

    くだらなすぎです。

  2. Posted by 松田

     報告書より

    >③.新会員管理システムは、下記の環境下で運用中である。
    >OS:Windows 2000 Server
    (・・・中略・・・)
    >会員管理プログラム
    >サーバー側  : ファイルメーカー V5.5jv2 サーバー用
    >クライアント側: ファイルメーカー V5.5jv2 クライアント用

    やっぱり。請負会社はソフトウェアなんか作成していなかったのですね。
    K氏と同じくFileMakerを使って、つくる会データベースを作成しただけです。
    このデータベースを作成する作業というのがどの程度のものかわかりにくい
    と思いますが、要はホームページを作ったりワープロを使う感覚で、クリック
    クリックでテンプレート(ひな型)を作成し、必要な場合には簡単なスクリプトを
    補うという程度です。プログラミングに類するような高度な知識は必要ありません。

    Guidebook
    初めてでも簡単
    マウスを使って、テンポ良く、楽しく作成

    これで1728万円、いやはや驚き。しかも・・・

    >⑨.新会員管理システム開発に使用された開発会社が使用したファイルメーカー サーバー5.5と発注先にインストールされたソフトウェアプロダクトは、同一登録番号を使用しており、明らかな違法行為である。

    えっ!? つくる会PCにインストールされたFileMaker Server 5.5(標準価格¥120000)は違法コピーだった!?
    いやはや、驚きの連続だ。

  3. 出でよ 時の氏神

    西尾氏、藤岡氏、新田氏のブログで争われている「新しい歴史教科書をつくる会」騒動について、つくる会には無縁だが、西尾氏のブログで知ってからずっと追跡していた関係上、現状を憂い、その打開のための方途について言及したい。

    一つひとつの事象については、互いに言い分はあると思うが、全体として支持の書き込み数が多い新田ブログの方が優勢のように見える。しかし、そうした見方で正邪を判断し、それぞれを勝者、敗者の如く扱うべきものだろうか。

    関係する方々は、それぞれが斯界の雄と言われ、一目置かれる存在で、論旨の展開を見てもそれなりに説得力があり、どれか一方だけを見れば、諸手を揚げて賛同者になってもおかしくは無いほどである。

    昨日までの同志が、不倶戴天の敵の如くに相争う姿は、野次馬的に面白く見る事も出来るが、恐らく多くの方が途方に暮れ、悲しんでいると思う。特に、それぞれと私的に関係する方々は、うっかり関わると火の手が押し寄せることを恐れ、出来るだけ見ぬ振りをしていると思われる。

    一方、こうした現象が現れ、波紋が増幅されるのは、言うまでも無く、インターネット上で構築された、限りなく便利で手軽なブログとか掲示板と呼ばれるツールに拠る所が大きい。今までなら誰も聞いてくれなかった独り言が、身の安全なままに天下に披瀝され、意見というより感情発露の手立てとして申し分が無い。人間がはじめて経験する、本質が未検証の極めて現代的なテーマである。

    また一方、世の尊崇を受けた人でも、歴史上の偉人でも、全人格的な評価に耐えうる人が、この世にいかほど存在しただろうか。かつて聖人君子といわれた人が、今の世に現れ、今の環境に暮らし、周囲と軋轢を起こさず、プラス評価だけで人生をまっとうできるだろうか。

    こう考えると、それぞれの主張にそれなりの根拠はあり、それぞれに指弾されるべき点はあると思うが、従来の閉鎖的な組織なら、派閥として並存が可能な問題が、あるいは、内部にいる、まあまあとなだめる人の存在によって手打ちの出来る問題が、抜き差しならない状態に追い込まれ、組織や人間関係の破綻にまで到るのは、情報を都合よくは隠しおおせない現代的な現象であると理解するほか無い。

    見方を変えれば、いい加減でない方々だから、立派な見識があると自負する人間同士だから生じた問題でもある。しかし、見識が邪魔して、あるいは、当事者であるがゆえに本質が見えない事もある。家庭で、子供会で、町内会で、老人クラブで日常の如く生じるトラブルとどこが違うのか。相性による諍い、ボタンの掛け違いによるトラブル、決め事の後、予想しない問題が生じたときの責任のなすりあいは、生じない所の方が不思議なくらいだ。

    日本の歴史、思想、教育、外交などの問題に広く関わる運動が、それに関わってきた人々が、今回のようないきさつで破綻し、傷つけあう状態は、ある勢力の問題だと放置すべきではない。いつ、いかなる組織でも起こりうる、人間の存在の根源に基づくことを理解したい。

    このとき先人はどうしたのか。子供の争いなら大人が、部下の争いなら上司が、未経験者なら経験者が、正邪の判定ではなく、両者を包み込む包容力で解決するのが日本人の智慧である。有識者同士の争いを裁定できる「時の氏神」は誰であろう。それが長老の役目である。思想界の権威、学界の権威、宗教界の権威、政界の権威といわれる方々の中に、長老の責任を買って出る方はいないのか。既に十分傷つき、三すくみのまま、抜き差しならなくなっている日本の至宝とも言える方々(一寸言い過ぎ?)を救える長老はいないのか。

    組み手を解き、それぞれが信ずる道を進む方法がある。時を経て、こだわり無く信念に基づく論争をすればいい。協力出来る問題があるとき、こだわり無く手を握ればいい。声高な主張だけでなく、相互に譲歩し、大きな前進をするのが日本人の世界に誇る本当の智慧ではないのか。出でよ、時の氏神。

    (問題かもしれませんが、上記三者のブログに同文を投稿します。)

  4. 今回のコンピュータがらみの話は自分の専門分野ですから「ああどこでも同じような失敗をしているのだな(嘆息)」と思いながら興味深く読んでいます。実際に現場を見たわけでもなくオペレータの意見を聞いたわけでもないし、ファイルメーカーのスプリプト言語としての能力や他システムとのインターフェースがどれだけあるかWEB上の情報でしかわかりませんし、目的や方針が何であったのかもわかりませんからこれ以上はなんともいいませんが。

    ただこういう失敗はどこにでもあります。大事なのは①それに気づくこと、②気づいた場合にどのように考えて対応をとるか、③それとは別に再発防止の観点から原因を再度調べてみるなどの処置をとることなのでしょう。私もよく理解できないのはどうして会議を持ったときに誰も黙ってしまったのかです。その問題はもう済んでいる、その済んでいる理由はこれこれしかじかで責任者の処分も終わっているという話か、それとも別の理由があったのか。まさかうるさい爺の言うことなんか無視しろでもないし、意地や反発や誰かを守りたいためではないと思いたいですが。私は富樫監査役の書いていることと監査役の役割を発揮しようとしている態度は立派だと思いますから、その辺りからどうもすっきりしませんな。

    こういうものはどっかで必ず漏れます。

    そしてその情報が左翼や何とかして作る会を破壊したい勢力に漏れる可能性は常にあったわけです。西尾先生が世間なみの情報公開をしたのかそれとも内部告発をしたのか、それとも違うのか、先生の目的を憶測するのも人それぞれでしょうが、隠していてそれが外部の人間に意図的な作る会壊しの材料として使われたら、どうなっていたでしょう。やはり危機管理の点でも作る会は危機意識が不足していたのかもしれません。

  5. 再び、「出でよ 時の氏神」

    私は昨日、西尾氏、藤岡氏、新田氏の各ブログに、権威者による和解の道を探れないものかと、同文の「出でよ 時の氏神」とのコメントを投じた。もとより、燃える盛る火を止めんと注ぐ水の一滴の効果も無かったろう。ただ、新田ブログの同じコメント欄を見て、「負け組」が別人になりすまして投じた姑息な手段のように理解されていると感じたので、再度、同じテーマで記したい。

    私は、つくる会関係者と全く無縁の一市井人である。しかし、偏向した教科書の記述を改め、未来を担う子供たちや日本人自体の歴史観を正していきたいと言う運動の趣旨には賛同していた。それ故に、現状を看過し得ないと感じる。権威なき市井の声を軽んじてはならない。無名のディオゲネスは各地に潜んでいる。ブログ上の虫の目論争も時には必要だろうが、ナスカの地上絵は鳥の目だから捉えられる。

    思想や主義を掛けた論争なら、延々と続けても評価されるだろう。だが、今のような不毛の論争を続け、どちらかがギブアップしたとして、一方に勝利の栄光が輝くだろうか。会員の方々は、どちらが正しいのか考えあぐねた挙句、こうした運動そのものに嫌気がさすのではないのか。このまま諍いが長引けば、正しい教科書作りの原点に立ち帰ろうとしても、今回の関係者の誰が、臆面も無く子供たちに日本人の素晴らしさを語れるのか。

    人の長所や短所はコインの裏表のようにいわれるが、そのとおりだと思う。ある時は、その個性によって運動が進み、ある時はそれが故にトラブルの種となる。いかなる大人物も、見方を変えれば欠陥人間なのは誰もが自覚しているはずである。プライド高き識者の組み手は、容易にははずせないのだろうか。失礼も独りよがりも顧みずに言わせてもらえば、諸先生方について、私には以下のように見える。(是非を判定するのではない)

    ◇ 西尾氏

    思想界の巨人であり、知性が高いが故に、理非曲直にこだわりが強く、他者と諍いが生じやすい。宗教的知識が豊富すぎて、特定の信仰に入る事を恐れ、宗教的言説に警戒感が強い。

    ◇ 藤岡氏

     努力と信念の人であり、左翼的しがらみを乗り越えて、教科書運動の理論的指導者となってきた功績は大きい。筋を通したがる面や宗教面は西尾氏と相通ずる。

    ◇ 新田氏

    宗教的な信念からか、統一性を保ちにくい組織にあって、公平であろうと努力し、柔軟さを備えていると自負してきたが、諍いの渦中に巻き込まれて、眠っていた粘着的な性格や検事的な資質に目覚めた。

    ◇ 種子島氏

     実業界での実績や経験から、つくる会の組織上の欠陥は熟知していたが、人間関係のしがらみから抑えていた事もあって、その破綻が表面化した以上、協調性のある人間とでなければ組織的な活動はやりたくないと考えて

    いる。

    ◇ 八木氏

     調和型の人間で、理非曲直だけにこだわらないので、多くの人や組織と協調できる。リーダーとなった場合、自らの足りない面を誰によってカバーしてもらうかを考えなければならない。

    日本を代表される見識のある方々について、こんなコメントを記すのは本意ではない。有権者が、国家にとってかけがえの無いと思われる政治家に対して、自分以下の人間だと評価したりするのは、良くも悪くも、政治家のゴシップめいたものがマスコミによってさらされている事と無縁ではない。ブログ上の応援団のコメントを見ると、妥協を嫌い、この上ない楽しいやり取りと感じている方も多いようだ。楽しみを奪う様で恐縮だが、再度言いたい、出でよ 時の氏神。

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