松山はいつ来ても緑の山が町の真中にあって、路面電車がゆっくり走っていて、長閑でいい。銘酒梅錦がまたことのほかに私の好みに適っている。
6月30日久光製薬のモーラステープ発売10周年記念講演会に招かれ、当地の外科のお医者さんを中心とした皆様に、全日空ホテルで講演をし、代表の愛媛大学の山本晴康教授(整形外科)ほか2名の方々と、夜は期待した通りホテル内の料亭で梅錦を愛飲させていたゞいた。
お迎え下さった山本教授がまた竹を割ったようなご気性、明朗豁達を絵に描いたような御方で、私の本の久しい愛読者でもあられたので、話ははずんだ。酒もつい深酒となった次第だ。
この講演会は大分前に企画されていた。テーマも乞われて三つほど先に私が提案してあって、山本教授が選んで下さっていた。私がいまどんなテーマで話をするのを好むか、少しここで紹介しておきたい。
私は講演を依頼されると三つテーマをつねに提示している。(1)古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)、(2)二つの前史――歴史は連続している、(3)皇位継承問題を考える。
(1)は本居宣長のことばを中心に展開することにしている。(2)は、これだけでは少し分りにくいと思う。江戸時代は近代日本の母胎であり、戦争は戦後の繁栄の前提であるという「二つの前史」を具体的な数多くの事例で説明する。そして、明治維新と昭和20年は歴史の切れ目では決してないこと、歴史は連続していることを説いている。(3)は説明を要すまい。男系継承と万世一系の維持をOHPの系図説明で分り易く説明している。
どういうわけか最近は(3)が減った。急にこのテーマは関心のピークを越したのかもしれない。山本教授は(1)を選んで下さっていた。これは私には具合が良かった。7月4日に拓殖大学日本文化研究所(所長井尻千男氏)の公開講座「新日本学」の最終の第十二講を担当することになっていて、ほゞ同内容を語る予定だったので、私としては3日置いての登壇で、やり易い。与えられた時間は松山では1時間、拓大では2時間である。当然話の密度が異なるけれども、方向は大略同じである。
どんな話をしたか、これをいま書き誌すのは難しい。冒頭、日本人が歪みをもった茶器を好むのを永く不思議に思っていた呉善花さんが、ご両親を日本に招いて、信楽の茶碗にご飯を盛って出すと、「あんな犬の茶碗のようなみっともないものを捨てて」といわれるエピソードから、日本人の風雅として通例いわれている器の歪みを考えてみる。
次いで、万葉学者中西進氏の、花は満開のときだけがいいのではない、月は満月だけがいいのではない、という徒然草の有名な一節をあげて、宴のあとなど、盛大に何かしたあとには哀感がただよう。ある俳人が「何もなき菊人形の出口かな」という句をつくった。菊人形という華麗なものがあって、それを見終って、出口にはなにもないその空虚を見たときに初めて何かを感じる。徒然草の一節はそういう意味だろう。
「そこまで考えて、私はハッと気づいた。われわれの命は、生きていることだけを見ていては、命を見つめたといえないのではないか、ということだ。『生』がないもの、『死』というものを含めて見なければ、本当の命を見たとはいえない」(中西進 『日本人とは何か』)
以上、呉善花さんと中西進さんのお考えの二例はこれはこれでいいのだが、じつはここから私の講演は始まるのです、と私は言った。いま、申し上げた内容を本居宣長は全部ひっくり返している。そんなのは「つくり風流(みやび)」だと言っている。宣長は兼好法師が大嫌いなのです、仏教の影響を受けた風雅が大嫌いなのです、と。
という風にして話を大逆転させ、本題にズカズカと入っていく。講演の全体を記すわけにはいかない。
私の作成したレジュメをここに掲示する。ここから何とか想像していたゞきたい。
新日本学(拓殖大学)平18・7.4
講義参考資料
西尾幹二一、 つくり風流(みやび)について
みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん
(『玉勝間』四の巻)
「八木さんはなっていない!」
ちょっとブログの内容とは関係なくて申し訳ないのですが。。。
少年ジャンプの漫画に「魁!男塾」というのがあります。。。(かなり人気があった)
男の中の男を鍛える「男塾」を舞台にしたストーリーなのですが、ある時、ライバルの「ナントカ学園」との対抗戦がありました。。。
競う競技の1つがマラソンだったのですが、男塾側からは「富樫」という塾生が出場しました。。。
最初は好調で、ライバルをかなりリードしていたのですが、途中でちょっとしたアクシデントがあった。。。
道端に持病で苦しんでいる老婆が座り込んでいたのですが、レース中ではあったが情に厚い富樫は見捨てておけず、レースを放棄して病院まで老婆を背負って連れて行きました。。。
その後、またレースに復帰して、すでに抜かれてしまったライバルを追ったのですが、やはり追いつけずに負けてしまいました。。。
さて、ここからが本題です!
負けた富樫に対して、塾長が、「貴様は負けたな、何か言いたいことはあるか?」と問うたのですね。。。
ここで男・富樫の本領発揮です!
なんと、「俺の負けだ、何も言うことはねぇ」と一言言っただけで、老婆を病院まで背負っていったことには一切触れなかったのです!
確かに、ハプニングがあったのだけど、それでも負けは負けだから言い訳はしない、そういう男の美学を貫いた富樫は、なんと立派な男ではないでしょうか!?
それに対してだ!
会長を解任されてからも、ぐだぐだ言い訳している八木さんのなんと女々しいことか!
どんな事情があったにせよ、解任されたのは事実なのだから、ここは、「私の不徳の致すところだ、何も言うことはない!」と男らしくするべきであったのです!
これだけでも、「八木は男ではない」と言い切った西尾先生に賛意を示さざるを得ない!
まあ、40も過ぎてろくに挨拶も出来ないなんて、人間としても全くなっていないけどね。。。(--ゞ
(私は、これでも「体育会」出身なので、上下関係(長幼の序)とか礼儀作法は、(けっこう)しっかりしているんだぞ?)←ま、かなり「生意気」ですけどね。。。(--ゝ
P.S.
その後の富樫ですが、レース終了後、持病が治った老婆が男塾までお礼を言いにきてくれたので、途中でハプニングがあったことが発覚し、無事、情に厚い男である富樫の面目躍如となりましたとさ。。。(^o^)
ー近刊『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』をめぐってーについて
西尾幹二先生は小泉首相又は小泉的手法について縷々述べていらっしゃるがそのことについては既に中川筑波大学教授のご指摘がある、ので以下大変長い引用で煩瑣に耐えないと思うがご寛容をお願いしたい。
徳間書店2006年2月28日刊『女性天皇は皇室廃絶』の「あとがき 小泉純一郎と天皇制廃止」 平成十七年十一月二十四日、机上の『有識者会議報告書』を前に の中の一節である。
《一九九四年の年頭、細川護熙と河野洋平が独断的に強行制定した政党助成金法と小選挙区制導入がなければ、自民党総裁の独裁的な「小泉的選挙采配は不可能であって、非難されるべきはこのような制度を創ったかたである。「この制度によって、助成金という名の選挙資金の配分権をもつ総裁の命令がた選挙になる」「自民党から自由な討議が消え、民主集中的な共産党的な雰囲気が発生する」ことについて、一九九三年夏から1年ほど、私はかなり激しく啓蒙的な言論を展開した。がその時、耳を傾けなかった狡猾で低級な評論家ほど、今になって「小泉批判」で騒いでいるのは、変節漢であって、眉を顰めつざるをえない。》とある。
今回の西尾先生の「手袋をはめた全体主義」との関連や「小泉以後の小泉的な手法」の継続との関係に就いて是非先生に伺いたいと存じています。
「西尾先生は『野心家』なのか??(-公-ゝ」
またまた、ブログの内容とは関係ない書き込みで申し訳ないのですが。。。(でも、まだ導入部なので、感想も書けないよね?)
私が(西尾先生を擁護したために)追い出された某アンチ西尾掲示板で活躍されている北の狼さん(面識あり、けっこう親しい)が、西尾先生は本を売るためなら何でもする「評論屋」であると揶揄していました。。。
本当にそうなのか??
西尾先生は、評論家としての名声を守るために、何か策を弄するような人なのかなぁ?
だって、時事問題を扱う文章を書くのは虚しいからあまりやりたくないだの、「保守界の四番打者」なんて呼ばれるのはありがた迷惑だみたいなこと言っていたでしょう?
つまり、別に保守論壇における評論家活動に、それほど執着心があるわけではないということです。。。
むしろ、せめて文芸評論の分野で活躍したいか、さもなければニーチェ研究で名声を得られればそれでいいというのが本心でしょう。。。
北の狼さん、ちょっと穿ちすぎじゃないですか?(苦笑)
(向こうの掲示板では、つくる会騒動における一連の西尾先生の発言は、すべて自分の身を守る(いったい何から?)ための虚言であるという見解で一致しているらしい。。。(-皿-ゞ)
尊野さんへ
「向こうの掲示板」の常連の者ですが、少なくとも小生は、西尾先生の発言はすべて虚言」などという荒唐無稽な見解はとっていませんし、したがってあちらの板で「一致した見解」となっているということにもなっておりません。早とちりではないのですか。
確かに、どちらかといえば先生に批判的な意見が多いのは事実であり、とりわけ北の狼さんが全然関係のないことでも、無理やり先生を誹謗するのに結びつけようとしているのには唖然としますが、小生が何とかして少しでも公平性(二者択一を突きつけるような議論はとりわけ危険である)を保とうとしているのに気が付かれていらっしゃらないのですか(むしろ、新田氏や八木氏の側に批判的なくらい)。それに、小生の覚えている限りでは「虚言」とはっきり決め付けるような発言がこれまであちらに載っていたこともなかった筈ですが、もしあると仰られるのなら、具体的に何月何日の誰の発言だと教示していただきいものです。
大体行き先が見えてきたともあり、この問題にこれ以上、深入りするつもりはありません。近いうちに、「つくる会訪中団」の社科院訪問に関する資料提示を最後として、この件についての一切の直截的言及をやめるつもりです。
[補記]皇位継承問題についても色々、今のうちに述べねばならぬことがありますが、それについても某板の附属板で議論を再開する豫定です。
>キルドンムさん
もちろん、あなたは「ちょっと違う」というは判っていますよ。。。(^^ゝ
ただ、あの掲示板を追い出されて書き込み禁止にされている状態では、反撃の仕方としてはこんなブログコメントしか使えないので、少々やり方が荒っぽくなることはご勘弁願いたいです。。。
それと、西尾先生の発言は全て虚言としていると批判した私の発言の正当性について説明します。。。
管理人の荒間さんは、西尾先生の発言は「牛のよだれ」、ただの愚痴であって、全く正当性はないというような発言をしているし、北の狼さんは「評論屋」と揶揄しているように、西尾先生の発言の信憑性を全く認めていません。。。
この二人があの掲示板の中心的な存在でありますが、その両者が西尾先生は嘘を言っている(あるいは、本当ではない)と明言しているのです。。。
そして、他の投稿者も、別段、それに異を唱えることもない。。。
だから、だいたいにおいて、あの板では「西尾先生の発言をすべて虚言とする見解で一致している」と見なしてもかまわないでしょう。。。
キルドンムさんは「とばっちり」を受けていますが、私としては、あんな板に投稿している時点で「同類」として見られても仕方ないのでは?なんて思いますよ。。。(^_^ゝ
(私だって、キルドンムさんと同じように上手く中和しようとしたのに、それだけで追い出されているんだから、異なる意見を持った人間の投稿を認めない場所なんだよ、あの掲示板は。。。(プンプン))
>尊野さん
他サイトに意趣返しのようなコメントは避けてください。
>キルドンムさん
ということで、よろしくお願いします。
自省の瞬間
今日の西尾先生の日録を覗き、文字を追って、引用文の中の「そこまで考えて、私はハッと気づいた」という下りで、私もハッと気づいた。この淡々と記された日録で、久しく感じなかった文章の香りを嗅がされることとなった。
そう言えば、ここ数年数ヶ月、日常の仕事の合間に、業務上必要な文書をしたため、実用的な書籍を斜め読みし、ブログ上で乱れ飛ぶ文字の喧騒の中に埋没していた。日々の出来事を追うだけで精一杯の情報の山。書きなぐり、言いっぱなしに羅列された文字面をなぞる毎日。これが現代の最先端ライフだと年甲斐もなくはしゃいだりしていた。
かつてはそうでなかった。かつては、言葉の一つひとつがその所を得んとして踏ん張っていた。しかし、今は無用の足掻きとして評価されない。実用的な言い回しこそ忙しい時代の必須条件とし、ファーストフードのごとき品格なき文章の全盛である。あるいは、自らの論理に振り回された堂々巡り。意思伝達の条件は満たされるかもしれない。友達感覚のメールのやり取りの方が現代的価値があるかもしれない。しかし、何かが壊され、何かが失われつつあるのではないか。文芸賞のような作品さえ、新感覚の言い回しでなければ相手にされないとか。
時代は移り、文化は変わる。しかし、言葉の文化は国の基本。変わるものの中に、その根底に、決して失いたくないものがあるとしたら、言葉や文章に秘められた歴史や文化や思いである。その手本が目の前にあるのだ。再度言う。簡にして要を得、ゆとりを持ち、文化の背景を持ち、機転あり、これこそが日本文化の香り漂わせる文章のお手本なのだ。ブログとして漫然と読み捨てているが、もったいない事をしているのはお金だけではないようである。自省の瞬間である。
>長谷川さん
> 他サイトに意趣返しのようなコメントは避けてください。
それは申し訳なかったですね。。。
あのサイトは投稿禁止なので、ここでしか反論出来ないものでしてね。。。
でも、すでに「意趣返し」の投稿は複数掲載されているので、最初から注意して頂くとありがたかったですね。。。
意趣返しじゃなくて、西尾先生を擁護してやっているつもりだったのに、ちょっと憮然としています。。。
だったら、「八木さん」への意趣返しのような投稿も控えた方が宜しいのですか?(ご判断をお願いします。。。(--))←管理の基準が判らないと、どんな内容の投稿をして良いか判りません。。。
(別に、投稿しなくても良いんですよ、私としては?)←わざわざ西尾先生を一生懸命に(病身なのに)擁護しているのに、その行為を管理人から注意されるとは思わなかったよ。。。(--ゞ
P.S.
良い感じになってたけど、しばらく投稿しません。。。(-皿-)
>尊野さん
病気の養生、しっかりしてくださいね。
尊野ジョーイ さんへ
私は、尊野さんのコメントを楽しく読んでおります。書かれている内容は、私の考えから見て、相当同意できるものがあります。思考回路が似ているのかもしれません。しかし、ご自分で言われるように、知的なお仕事に携わる、あるいは、目指す方という前提で見れば、疑問に思わざるを得ない面が多く見受けられます。
なぜ、折角の考えを、きちんと論理だてて述べ続けず、茶化したり、横道にそれたりするのでしょう。また、いつも気になるのは、例えば「○○。。。」のように必ず句点を三つ重ねたりする事です。内容に沿っていれば味わいもあると思いますが、知的な内容を主張する場合、それだけで、論争にはマイナスかと思います。それとも、何かへのこだわりの表れでしょうか。
それから、いつも、わざとご自分の弱みを見せ、それを言い訳に使っているのは、それこそ「自虐」の見本でしょう。てっくさんの、ちょっと(?)意地悪なコメントにいきり立つのは仕方ないにしても、過剰反応はどうかと思いますよ。弱い犬ほどよく吠えるなどと言われないように、あなたの最大の特性である学びの姿勢を生かされ、堂々と生き抜いて下さい。コメント欄への投稿はぜひ継続されるべきです。
「君子豹変す」
「書き込みしない」と宣言しましたが、君子であっても状況によっては前言を撤回することもあるので、例外として投稿します。。。
>田舎のダンディ様
思いがけずも強力なエールを頂いて恐縮です。
ダンディさんのおっしゃることは、まさにその通りだと思います。
> なぜ、折角の考えを、きちんと論理だてて述べ続けず、茶
>化したり、横道にそれたりするのでしょう。また、いつも気
>になるのは、例えば「○○。。。」のように必ず句点を三つ
>重ねたりする事です。内容に沿っていれば味わいもあると思
>いますが、知的な内容を主張する場合、それだけで、論争に
>はマイナスかと思います。それとも、何かへのこだわりの表
>れでしょうか。
これも全くご指摘の通りです。
そして、私は、自分の文章の弱点を自覚しています。
それを承知で書き込みしています。
その理由は、病気のために、もっとしっかりとした文章を書くことが出来ないからです。
まだまだ、相当にハンディを背負いながら書き込みしている状態であるということをご理解頂きたいと思います。
本当に全力を出せばこんなにちゃんとした文章も書けるのです。
ただし、それを続けると確実に病気が悪化します。
ですから!
このように、ちょっとくだけた文章(「。。。」とか)を書いているのは、体への負担を減らすため、まあ、リハビリをしている状態だと思って下さい。。。(^皿^)
本格的な博士論文だって書ける力はあるのですが、今はその力を出す元気がないのです。。。
ということであります。
もっと病状が回復したら、ダンディさんのご期待に添えるような文章も書けるのではないかと思うので、それまではもう少しご勘弁願いたいと存じます。
了
>尊野さんへ
「擁護してやっている」「わざわざ擁護している」という言い方に、はなはだ不遜なものを感じますが、それはともかく、
小生のスタンスだけはお認めいただいたようで、ありがとうございます。しかしながら、確かに、「牛のよだれ」だの、「評論屋」だのと揶揄している人はいますし、「先生の言っていることには嘘が多い」と指摘されていることもありますが、流石に「すべて虚言」とまで断じているのを見たことはありません。他板を批判するのはかまいませんが、慎重かつ具体的にやらないとマズいですよ。
貴方の文章を、これからも期待しております。少しづつお書きになられるのは、ご病気の療養にも良い効果があると思います。
これからも宜しくお願いいたします。
おぉ~ 尊野ジョーイさん
「君子豹変す」で、笑ってしまいました。いいですね。ユーモアがあります。
この日録の中で貴方と田舎のダンディさんは、わたしにとって「ほっと」する存在です。
しかし、キルドンムさんが言われるように「擁護してやってる」は不遜な言葉です。 時々生意気です・・・。
てっくさんの“激しいそしてちくっとイロニィーな言葉”にめげず、切磋琢磨され美しく強い文章を書かれんこと望みます。
元気がないということですが、私は周りの人たちから「横にいるだけで元気がもらえそう」といつも言われます。なんなら我家へ来られますか?というのはユーモアとして・・・。
若者が元気が出ないとはねぇ~。 外で太陽光線にあたり、身体を使い疲れさせ、よく食べ、夜は寝る。これをやるべきです。一週間やってみて下さい。
とにかく外へ出て、大声で歌を歌ってみたり、大汗をかいたり、身体をこき使いなさい。
では、大きな期待をしております。