8月25日刊行予定で『日本がアメリカから見捨てられる日』(徳間書店)の校正がいま急遽進められています。その第一章は、「他人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」で、最近の関係論文を収めますが、当日録の最新稿「小泉首相批判について」(一)(二)(三)をも収録することにしました。その関係で(一)と(三)の各後半を若干加筆修正しました。現在日録に掲げられているのは加筆修正後の文章です。思想内容に変更はありません。
7月22日に「江戸のダイナミズム」(『諸君!』9月号最終回「転回点としての孔子とソクラテス」)の校了をすませた後、23日から8月2日まで、一日を除いて毎日、会合、会議、ミーティング、出版社との打ち合わせ、新しい勉強会がつづき、あっという間に10日間が流れました。ここで起こった出来事のうち詳しい内容をお知らせした方がいいものももちろんありますが、それは後日に譲り、10日間に何があったかだけを連記します。
「新しい歴史教科書をつくる会」の新会長選出をめぐる理事間の調整の最終段階に入り、7月29日の理事会で内定し、8月2日に正式に決定しました。事務局長が手順を踏んで公式発表をするから待ってくれというので、私はここで新会長の名を公表するのを差し控えます。2~3日中に、2名の新加盟の女性理事の名と共に新聞その他で公開されるだろうと思います。
11月20日福田恆存先生の10周年のご命日に次の企画が実施されることとなり、内容打ち合わせを去る7月25日に行いました。
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福田恆存歿後 10年記念―講演とシンポジウム
日時:11月20日午後2時30分 ¥2000
場所:サイエンスホール 地下鉄東西線竹橋駅より7分
公開:福田恆存未発表講演テープ「近代人の資格」(昭48)
講演:山田太一 一読者として
講演:西尾幹二 福田恆存の哲学
シンポジウム:西尾幹二・由紀草一・佐藤松男
主催:現代文化会議
Tel. 03-5261-2753(夜)
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7月26日には私学会館にて九段下会議第一回オープンフォーラムが行われ、参加者は約50人でした。当日録の書き込み者も数名参加していました。安倍晋三氏が最初に挨拶、城内実氏(衆議院議員)の講演、山谷えり子氏、衛藤晟一氏の発言もあって、大いに盛り上がりました。参加者からもいい提案が出ました。この件は日録にあるていど詳しく報告いたします。信頼できる新しい保守の、知識人と政治家の協力体制です。
朝日新聞などの優等生性についてさらに敷衍しますと、
さきの教科書問題でも彼らが強く反対したのは、
例の教科書がいわく「右寄り」だったからではありません。
彼らがこぞって反対したのは、それが彼らが使った、
教えられた教科書と”違う”からであります。
右か左かではなく、単に同じでないこと、いわば「出題範囲」や
「模範解答」が同じでないことが問題なのです。つまり、彼らが
学生時代からやってきたことは、教科書を学習して、その延長線上で、
進歩的なこと、良心的なことを書く技術に習熟することだった
わけですから、この先違うことを若い人に教えられると困るのです。
すこしでも違う史観を教えられると、彼らの言説がそれだけ通用
しにくくなって、新聞が売れなくなってしまう可能性があります。
彼らが恐れているのは、日本国民の右傾化でもなんでもなく、
自分たちとは異なった教科内容を教えられた子供が増えて、
自分の会社のカラーと世論の間に溝が生まれ、新聞の発行部数が減り、
いつかは日本一流の新聞社でなくなってしまうことを恐れているのです。
彼ら優等生には教科書が絶対だったからこそ、やや過敏にこのことに
反応しているわけです。
では杞憂?邪推?そんなことはありません。岩波を見て御覧なさい。
かつての第一級の学術文芸出版社は、今では青息吐息ではありませんか?
自分が習い覚えた言説が今ほど通用しなくなって、朝日が今ほど
一流でなくなったら、ご近所でもいい顔はできないし、もらえる給料や
年金も少なくなってしまいます。(冗談ですよ、これは)
彼らが反対するのは、それだけのことなのです。
それと「新しい歴史教科書」運動全体についての感想ですが、
全般にコワモテの印象が強すぎます。先生たちは非常に
まじめにやれているのですが、それだけに「右翼的知識人の反攻」
みたいな印象がぬぐえないことも事実です。
事は教科書であり、学問的であることはもちろん大事なのですが、
灰色っぽい、国防色っぽい印象はなんとかしてほしいです。
たとえば、教科書のキャンペーンや宣伝パンフにはタレントを
使うとか、あるいは記者会見などに際しても、広告代理店などの
助言や協力を依頼するなどということもあってもいいかも
しれません。
知識人が現場の教師たちの声を無視して、これが学問的にいいんだから
使えみたいな、上からの押し付けと映るとまずいです。
先生たちがことさらサヨク的とおっしゃる学校教師たちの取り込みや
彼らへのアピールの仕方をもっと工夫する必要があると思います。
何事も白か黒かの敵対的姿勢ではうまく進まない気がします。
あなたの仰る朝日新聞の優等生の生態は多分そうでしょうが、かれらはならば
自滅する人種で、大いに軽蔑して、ほうっておけばよいのではないですか。
朝日の部数はどんどん減っているし、朝日というと薄笑いを浮かべるひとがふていることに、いかな鈍感なかれらも気がついているし、そうなれば自分とは違うものに、劣等感をいだくようになるでしょう。
こちらがなにも朝日に合わせる必要はないのです。黙って、馬鹿にして、笑って見ていればいいのです。
>西尾先生
ご返答ありがとうございます。
おっしゃるとおり、朝日的知識人は現在不安なんだと思います。
ですが、「新しい歴史教科書」側は、そういう朝日のはる左–右という
キャンペーン、対立図式にうまくはめられてしまっている気が
するのですが。朝日新聞ごときや日教組を左翼などと言っているよう
では、飛んで火に入る夏の虫のようなもので。
(左翼なんてもう日本にはいません!元過激派だって自民党支持なのです)
私は、むしろ新しい歴史教科書の側は、日教組の理解を取り付ける
べきだと思います。すっとんきょうな意見かもしれませんが。
日教組自体が支持することはないでしょうが、日教組の教科書研究部会に
でもなんでも乗り込んで、説明し、少しでも理解を得る必要がある。
彼らだって、全部が全部おかしいとは言わないでしょう。
10人に1人でも、「ここのところはまあ、いいけどね」と言ってくれる
人があったら、勝ったも同然ではないでしょうか?
こういう図式になってこそ、朝日優等生のはる左–右という対立図式も
通用しなくなってしまうのです。
私が危惧するのは、やはり学者先生の運動なので、えらそう、高圧的に
見えてしまい、政治家や校長先生などのお偉方ばかり相手にして、
現場の教師を無視している。これでは、いくら教科書自体がよくても
反対したくなります。虎穴に入らずんば、虎児を得ず。
私は教育現場からの支持を取りつけない限り、この問題は進展
しないと思います。日教組は敵か、教師風情は相手にする必要がないか、
左翼右翼なんてほんとにまだ実効性のある概念なのか。
新しい歴史教科書運動体の抜本的な思考転換を要求します。
松田さんへ
仰有ることはよく分ります。われわれの運動が拙劣なこともよく知っています。日教組の教科書研究部会に自ら出向いて、膝をつき合わせて話せばいいというも、相手にその気があればやってやれないことはありません。
けれども今の世の中に左翼はいなくなった、何となし不安を抱えて生きている人々が大半で、その人たちをうまく取りこまなければ運動は成功しない、という考え方は、前に「少欲」という人が言っていたことに似ていて、半ば正しく、半ば正しくないのです。
運動論としてはそれなりに通りやすい考え方ですが、思想論としては成り立たないからです。
「今の世の中に左翼はいなくなった」というあなたの前提は正しいでしょうか。例えば日本史学者の大半――学界の主流――は今もいわば確信犯的左翼です。世間の無自覚なひとびとは、権威と名のつくものに弱く、みなそちらの方に顔を向けて、歴史観をあいまいにさせられています。
その代表例は小泉首相です。小泉さんはサヨクなのです。
歴史学界に巣くう根源的な病理を取り除かなければ、このように悪影響は広く、そして深く、問題は解決しないし、私たちの――少くとも私の――目的は達成されません。
100年かかることだと思っています。あなたの思惑とはきっと食い違っていますね。
また意見があったらかきこんで下さい。
お邪魔させていただきます。
>松田さん
私も以前貴方と同じような事を感じた事がありました。
どうして直接議論をして質さないのだろう、どうしてそれができないのだろう・・・と。
もしかするとそれが出来る可能性も残されているのかもしれません。ですが現実的にはそれがなかなか出来ません。
どんなに諭そうとしても反り合うところは反り合うし(朝生テレビなどを見ているとそう言う事が多いですよね)自覚が伴わない者にいくら説明しても無駄である場合も多いと思います。
そうすると出来うる方法はまず広く浅く安全な方法で主張することが思い浮かぶと思います。
ただし諦めているわけではないと思います。
チャンスさえあれば何時でも望む所でしょう。
現実はどうかと言うと左翼と言う方たちは居場所を換え手を換え品を換え思想の背骨も持たずに変幻自在に時流の言い訳をします。これがとにかく厄介です。
まともに会話ができると思ったら大間違い。
彼らの目的はただ一つ「保身」です。
つまり自分たちの居場所がどこであれ確保できれば良いのです。
日本の保守政治家の悪いところはそうした者への対応のまずさと結局根こそぎ退治できず予算まで与えてしまう現実でしょう。
第一いくら民主主義とはいえ殆ど議席数を持たない政党の党首に何故マイクを向けるのか。
いくら過去に数を持っていたとしても政党と言うのは時代と共にどんどん移り変わっています。
それなのに立場を認める配慮が為されてしまう。
現実の数からいけば完全に消滅している体勢であるのに、実際にはその裏で国家予算を平気な顔をして使いこむ人間がわんさかいるわけです。
確かに彼らは研究しています。よく勉強もしています。
しかしその目的が全て「保身」を目的とし、もっともらしい事ばかり国民に述べへつらいその実は全く非現実的なことばかりです。
ですから会話なんか成り立たないのです。
でも良く考えると問題の本質はそういうところではなく、別のところにあるのではないかと感じるようになりました。
つまり簡単に言うと味方だと思っている人間が実は仮面を被っていた。これが一番問題ではないか。
最近の例では先生もご指摘の小泉氏の言動です。
それがようやく国民にも解り易い形で表に出てきました。
そしてこうした人物を始末する事の方が大切だと言う事が解ってきたのです。
どうしてか・・・それは現実に政権を握り国家の重要なポストに居座るからです。
明日の日本の行方を実際に小泉氏は舵取りしているのです。
こんな恐ろしいことはない。
沈没する事が解っている豪華客船に一億人の日本人が乗船しているのです。
彼は平気で氷山に激突しようとしています。
そして同じ党内の人間であろうと平気で海に突き落とす人間です。
まずやるべき事はこちらではないでしょうか。
この問題の重要性を早く認識する事の方がずっとずっと大切なのです。
小泉首相がサヨクとはちと言い過ぎですね。せめて中道か中道の左に
したほうが無難かと。敵意をむき出しにするのは賢明ではありませんね。
朝日新聞などの売国メディアのお陰で小泉首相は少なくとも保守的、下手
すれば右翼的であるとさえ見る向きもあります。
しかも教育現場に極左集団が跋扈している事を考えますと「新しい教科書」
の普及への道は非常に険しいと言わざるを得ません。果たして我々は何故
愛国心を否定してはいけないのか、何故戦争に負け、歴史問題に関して
支那朝鮮の介入を許しているのか。我日本の落ち度はどの程度なのか?
平均的日本人は今ひとつ判っていないのが実情であります。
作る会教科書は分かり易さと言う意味では少なくとも馬鹿サヨクに理解
できるレベルには達していないと見ます。彼らの能力を責めるのも
却って趣が無いかと思われます。むしろ我々保守人が歴史をもっと深く
掘り下げる様に啓蒙する必要があるかと思われます。
作る会教科書は決して満足できる出来では無いことを私は指摘します。
妥協は許されません。
西尾先生やみなさんにお答えをいただいたので、いただいたお答えを私なりに
しぱらく考えてみることにします。以下はつぶやき程度です。
>相手にその気があればやってやれないことはありません。
朝日新聞は商売上の反対ですから説得不可能でしょうが、
日教組はそうでもないような気がします。
>運動論としてはそれなりに通りやすい考え方ですが、思想論としては成り立たないからです。
わかります。
>その代表例は小泉首相です。小泉さんはサヨクなのです。
やはり先生の左翼(サヨク)の用語の使い方は独特ですね。
戦後左翼が連合国史観を取り込んでいるという現象が見られますが、
それだけでも充分ではないような。右翼的でないもの=サヨク
という感じなのでしょうか。
>歴史学界に巣くう根源的な病理を取り除かなければ、
このことはよくわかります。「国を愛する、国益をもまる」という
当たり前の感覚を欠いた歴史のことでしょう。
つまり、先生の言うサヨクとは、愛国的でないもの、売国的な感性という
ことなのでしょうか?
そういう意味では、たしかに朝日はサヨクかもしれません。
>100年かかることだと思っています。
一方で、若い人自身はサッカー・ワールドカップの熱狂に見られたように
案外に健全な愛国心は持っている気がします。
学校で教えられた知識と感情はやはり違うようで。
みなさんご意見ありがとうございました。
松田さん、どうもありがとう
対話をしてそうだな、やってみっかな、と思ったのは日教組の教科書指導部 に乗り込んでみようかな、なんでも行動してみるにしくはない、と思ったこと
です。
その前に解放同盟に話しかけてみたい、否、これは必ず実行したいと考えて います。
どうもありがとう。
それはそれは。実現するといいですね。
先生は有名人ですから、日教組の幹部だって一度は会いたいに
決まっているのです。
論語にも、和して同ぜず、という言葉もありますしね。
このblogもそうなんですが、先生のフットワークの軽さがすばらしいです。
失礼しました。
>松田さま
そうなんです。巷では西尾先生は瞬間湯沸かし器(一寸古い譬えですが)
と言われています。(先生、ご存知でしたか?)
フットワークの軽さ→すぐに反応する→すぐ頭にくる→すぐそれを表現する
→すぐそれを分析する→すぐ冷静になる→そしてすぐそれをいろいろな所に
活用することを学ぶ。
私は思想家西尾幹二の偉大さは、松田さまおっしゃるところのフットワークの軽さ、すなわちあらゆることにおいて、柔軟に対処できる頭脳を持っているというところだと思います。インターネットの欠点を常に念頭に置きながらも、そこにある可能性にもちゃんと気がついているという頭脳の柔らかさが、最大の長所なんです。
(だから、頭にきて過激な発言をする所だけに視点を置いておいてはだめです。・・・・・それも、計算してのことだったりするし)
大衆をどうだきこんでいくか、という松田さんの提案、つくる会を外からみてはらしている人の気持ちはとても大事なのです。ここでの討議を最初から全部読んで、遠藤浩一さんがどう考えるかも今私はすこし知りたいのです。よかたら、ご意見をすこしご披瀝ください。
今日から三、四回にわたつて小生のブログに「小泉擁護論への疑問」と題する見解を掲載します。よろしければ、ご覧下さい。
ところで、日教組や解同といつた左翼団体への働きかけですが、かういつたところとのパイプづくりも決して無益ではないし、扶桑社版教科書の採択に向けて、あらゆる選択肢を排除すべきではないといふ観点に立つならば、選択肢の一つとして提起される意義を認めますが、相手が自虐的な歴史観を修正する用意もないのに、こちらから接触を求めるのは疑問です。のこのこ出かけて行つても彼我の深い溝を改めて確認するか、さうでなければ「つくる会」が文部省化するのがオチでせう(後者はありえないと思ひますが)。
「和して同ぜず」などと頭の中で考へても、確信するところが水と油ほども異なるグループとの対話は不毛です。そんなところに割くエネルギーが「つくる会」にあるとも到底思へません。限られた戦力で、どういふ戦略・戦術を立るかを考へたとき、「左翼団体」との対話は真つ先に削除される選択肢の一つとなるでせう(繰り返しますが、彼らに方向転換の可能性があるならば話は別です)。
つくる会の陣容と力量からいつて、黒と思つてゐる(組織された)少数者に対して働きかけて白と回心させるのは到底不可能。せいぜい言論戦を通じてグレーと思つてゐる多くの方々の関心を惹起し、理解を少しでも深めていただくことで精一杯です。その場合、日教組がいかにひどいことをしてきたかを示すことが重要になつてきます。つまり、ベクトルが全く逆だと、小生は認識してゐます。