福地 惇(大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
1 今やその讒謗に応答する西尾幹二氏の「インターネット日録コメント欄」に頻繁に寄稿するバガボンドなる者が、六月後半期にゲストエッセイ欄に10回連載された拙稿「昭和の戦争」に対して、その初回から強い疑義を唱えて讒謗してきた。「大東亜戦争肯定論」を思想とする副会長が「新しい歴史教科書をつくる会」にいるのは許せないと抗議してきた。その物言いの横柄さから、一瞬、いかなる思想・宗教の筋に繋がる高等審問官なのかと訝しんだのである。
それにしても、放浪者を自認する御仁が、国民子女に善い歴史教科書を提供しようとする「つくる会」の命運を案じているとは意外である。危険思想の副会長は退陣せよと言う心も、つくる会運動を支援すればこそなのであろう。ならば、つい先だってつくる会年次総会が開催された際に、福地罷免動議を出せばよかった。それが可決されれば、私は粛々と退陣したであろうに。
ところで、バガボンドは拙稿の「はじめに」を読んだ途端にこう言った。「日本が中国に大軍を展開した目的は何か?福地さんという人はとんでもない『思想』の持ち主である。(中略)大切なことは日本が中国(支那大陸)で『何を』しようとしていたのか、ということである。日本は中国で(他の国々と同様)一定の『権益』を所有していたが、要は、その権益の『程度』である。今後の論述で、たぶん彼は、『日本は他の列強に比べ特別強大な権益を持っていた。それは蒋介石政府を無視することが出来るほどの権益・権限だった』ということが前提にするだろう」と。本論を読む以前に、私が述べることが分るというのだという。また、第1回を斜め読みしただけで、論旨を主観的に予断して「エッセイ」だとも讒謗した。主観的なつまりは「自分に都合よい得手勝手な判断」から、そして浅薄な歴史知識から、気侭な予断を述べて、私に喧嘩を売って来たのである。
勿論、拙論を読んでくださった方々には、彼の予断が的外れだったことが判明している筈だ。彼の議論は、私が見落としている重大な歴史事実や思いも付かない斬新な解釈を提示しようとする真面目な批判とは初めから別物だったのである。
匿名で敵を誹謗中傷する陰湿な行動はやめて、こいつは許せないと思うならば、堂々と名を名乗った上で実践行動するがよいと言いたい。そのような訳だから、最初のコメントを見て、相手にするに値しない奴輩だと思った。また、素っ頓狂な言い掛かりつける匿名者と議論するのは、私の好みに元来合わない。それで、私はこれまで彼の讒言や挑発を聞き流して来た。だが、バガボンドは、西尾ブログで真面目な議論者間の論争でも礼儀も節度もない不毛な議論を継続している。そこで、問題提起者として何等かの応答は責務だと思い直し、ここに無礼な讒言に対しする若干の所感を述べたいと思う。
2 「昭和の戦争」は国際政治に目配りした近代日本史概説である
拙稿「昭和の戦争」は、ペダンチックな学術論文ではない。言うなれば、国際政治の中での近代日本史概説である。ここで論述意図と公表経緯を簡明に述べておこう。
第一、現在日本国民の歴史常識では、大東亜戦争の正式呼称は憚られ太平洋戦争として定着し、この戦争は日本軍国主義の悪辣な大陸侵略戦争だったことになっている。だが、この常識は、歴史の事実に適合するであろうか。これが私の問題関心である。
第二、「昭和の戦争」は、実に複雑な国際政治状況の中で、謀略的にして強力なある国家群によって誘導されたようにして生起したと理解できる。日本の「侵略戦争」とは、気安くは言えない複雑な性格を帯びた戦争である。常識を疑わねばならぬ。日本人の眼で近代国際政治の中での戦争を見ることが必要である。明治維新から大東亜戦争に至る間の国際政治の中での日本を通史的に検討した。菲才を顧みずに考察した結果、あの戦争は「侵略戦争」とは言えず、壮大な「国際謀略の渦に巻き込まれた戦争」、「国際的抑圧勢力への対抗戦争」、いわば「防衛戦争」であった、と観るのが正しいとの暫定的結論に達した。だが、その見方を妨げる障害物がある。それは、歴史の真実を善悪転倒する目的で創作されたのが「太平洋戦争史観」別名「東京裁判史観」なのである。
第三、実は、「邪悪な侵略戦争」という観念は、戦後の国家体制を支えるイデオロギーである。我が国体(くにがら)を軽視・軽蔑する、軍事を排除する、外交を他国の信義に委ねる異型の国家体制、実は国家といえない国家体制を支える基底に「日本は戦争犯罪国家だ」とのイデオロギーがある。体制とイデオロギーは車の両輪である。私は、この状態を「敗戦国体制」と「敗戦国イデオロギー」と名付けている。日本侵略国家論、戦争犯罪国家論が国際世論となり、国民常識となっている。この現実が擬似国家日本を正常化しようとする時に、最大の障害物になっている。(「敗戦国体制」については、拙稿「敗戦国体制護持の迷夢」正論誌二〇〇四年三、四月号連載で論じたのでご参照願いたい)
第四、要するに、この旧敵国連合によって巧みに仕組まれた冤罪を晴らす手段は、正しい歴史像を作り上げることによって虚偽の歴史像を断罪し排除することである。それ以外に有効な手立てはない、と愚考するのである。
第五、この小文は、ある教育機関の講義案として纏めたものであるが、ここに縁が有って西尾幹二氏の日録のゲストエッセイ欄に掲載させて頂いたと言う訳である。
さて、戦勝諸国、特に米国の日本占領統治の目的は、日本民族を自己喪失者に改造して、二度と再び米国に対する軍事的脅威になることを阻止する点にあった。日本人の勇気と自信を剥奪して自己喪失者へと誘導し、衰亡させることにあった。目的達成の手段は、大日本帝国を最大限に卑しめること、戦争犯罪国家の烙印を深々と押しつけること、であった。これが所謂「太平洋史観・東京裁判史観」というイデオロギーだ。その謀略と姦策の展開過程は単純ではなかったが、占領期間中に進駐軍権力に同調した左傾化した我が同朋が、社会主義革命や共産主義革命を夢見て、祖国の歴史を貶めて捩じ曲げる、利敵行為に勤しんで、大きな成果を挙げた。これこそが、自らの手で招き寄せた第二の敗戦である。征服者の米国は利敵行為者を実に有効に活用した。彼らの目的は、買弁的日本人の手によって見事に達成されたのである。
私は日本民族の自力による自己挽回、つまり民族の歴史の正統への回帰、そして真の独立主権の回復を強く希求している。サンフランシスコ平和条約締結以後の戦後日本政治の大目的は、この問題でなくてはならなかっただろうと思っている。そして、我々日本人が占領政策によって自己喪失のカラクリの箍を嵌められた原点には、あの大戦争に対する捩じ曲げられた評価の問題が深く横たわっていと睨んでいる。この問題を解く鍵は、「昭和の戦争」の解釈=評価問題の内にあると睨んでいる。
拙稿執筆の背後の動機は以上である。拙稿の本論そのものは、飽く迄も戦争の歴史を軸にした近代日本史考察であり、そこから得た一応の結論が「昭和の戦争」は侵略戦争に非ずなのである。そのことは、「はじめに」と最後の「現下の課題」に表明してある。バガボンドは、これに噛み付いてきた。要するに、彼は「敗戦国体制護持論者」のようだから、私の思想を危険で異質な者と嗅ぎ取ったのであろう。それはそれで正解であるが、大東亜戦争の歴史的意義をどう捉えるかの問題では、完全に論点が食い違っていて、議論にならないのである。
3「昭和の戦争」を考える視座が完全に食い違っている
バガボンドが拙稿を「大東亜戦争肯定論」だと決め付けて批判するのは自由である。旧敵国側は、我が国が二度と再び彼らの軍事的脅威にならないようにとの高度の政治目的で「太平洋戦争史観・東京裁判史観」を日本人に刷り込む様々な策略を弄した。これを肯定するのも、確かに自由であるが、日本民族の尊厳と独立を回復する方法とは正反対のものであることを知れねばならない。
問題に核心は、「昭和の戦争」の歴史の真実とその意義を自らの眼と頭でしかと見定めたいと思うか、その問題は既に結論が出ているのだから、今更再検証は不必要だと思うか、そこが「昭和に戦争」を考えるための最初の視座の相違なのである。
私は歴史の事実を直視すれば「昭和の戦争」はこう理解できると言ったのである。だが、バガボンドは初めから聞く耳を持たずに、「太平洋戦争史観・東京裁判史観」は正しいし、それを守りたいと思っている。そうであるから拙稿に激しい怒りを覚えるのであろう。わが日本国民が正気に戻ることを恐れる支那・朝鮮や日本の左翼が、「つくる会」に異様な怒りを示す情念と相似形である。いまさら、「東京裁判史観」批判でもあるまいという雰囲気も見せているから、バガボンドは、親米実利主義者のようにも見受けられる。いずれにせよ、形振り構わぬ実利主義的政治家や実業家が、金満国家さえ維持できれば、支那・朝鮮から軽蔑されようが、米国の属国に甘んじ続けることになろうが、金儲けさえできればよいとする。歴史の真実にお構いなしに「中国人民・韓国国民の痛みも考慮せよ」、「日中貿易の将来を考えろ」「日米同盟を強化しよう」として、首相靖国参拝問題や歴史教科書問題を政治取引の材料にして恥じない。この二つは、いずれも内政事項である。支那・韓国のこの問題に関する言い掛かりは、どんな屁理屈をコネとも歴然とした内政干渉である。
自尊心を喪失させられ独立主権を制限されたままにノウノウと時を過ごし、徒に経済成長だけを達成した我が国に対して、支那・朝鮮が「太平洋戦争史観・東京裁判史観」をあたかも自分たちの権利・既得権益であるかのようにして活用し、我が国に揺すりタカリ攻勢を掛け続けるのも、その外交行為で自らの国益を高め、自尊心を高めることが出来ると学習したからに他ならない。我が国内に潜在的敵国である彼らに同調・宥和する勢力が存在するから、なおさら調子付くのである。
現時点においては、支那・朝鮮は、間違いなく我が日本の敵対勢力であるから軍事的脅威なのである。米国のCIAも竊に蠢動している雰囲気も徐々に高まっている。我が国は相変わらず大陸と太平洋の東西両方面から挟撃され続けているのだ。
そんなことには無頓着な連中は、あるいは支那・朝鮮に同調し、あるいは米国の庇護に益々縋ることが我が国に国益保護の要諦だと信じているかのようである。愚かにも潜在的敵対者に徒に媚を売ることが、我が国益を守る所以だと錯覚している。このような政治姿勢を買弁的日和見主義者と言うのだ。お飯(マンマ)が鱈腹食えるならば、我が国を打ち滅ぼしたいと考えている敵対勢力の奴隷になっても、経済アニマルとして生存できれば本望だとする情けない精神の持ち主とでも言う可きか。だが、奴隷にされては、肝心の目的である経済アニマルとして生存し鱈腹お飯(マンマ)を食いたいという儚い願望も許し続けてもらえるのかどうか。その方面への配慮は、果たして如何なものだろうか、是非とも知りたい所である。
4 常識を疑うことから知的探求は始まる――歴史を知るとは
バガボンドよ、君の言い掛かりは歴史論議ではなく、戦後の常識なり世論に忠実な立場からの単なる自己の狭い見解の独白に過ぎない。なぜならば、明治維新なり日露戦争なり日韓併合なりスターリンの対日戦略・東アジア戦略・世界戦略なり満洲事変なり幣原外交なり西安事件なり盧溝橋事件なり、その他諸々の叙述の論点に関して歴史の事実に基づく対抗解釈が全くないからである。政界筋の論議や朝日新聞的・NNK的なメディアの論調や共産支那政府・韓国政府の日本非難の議論を鸚鵡返しにするような全く独創性のない低い水準の発言である。ブログ愛好者のようだから、インターネットにおける上澄情報を聞き混ぜての浅薄な知識で、この世の中の森羅万象を理解したかのような気分に浸っているのではないか。
何故ならば、君は、6月15日の最初のコメントでこう反発を示した。「どんな屁理屈をつけようと、中国でその政府の許可なしに日本軍を好きなように展開した。いつの時代にもこんなことが正当化できるはずがない」と。これは如何にも幼稚で大人としては極めて異様な見解である。鈍すぎる歴史感覚と浅薄な歴史知識の持ち主であることの自白である。日露戦争後の大陸事情の変化に対応して日本軍は大陸の戦線に繰り出した。支那との抗争が遂には米英そしてソ連との戦争へと発展した。どうしてそうなってしまったのか、その事情を拙稿「昭和の戦争」は論述しているのだ。「中国でその政府の許可なしに日本軍を好きなように展開した」などと言う戯言が通用する平板で単純な政治・軍事状況では全くなかったと言うのに、何とも能天気な発言ではないか。
20世紀に入って以降の我が日本周辺の事例だけでも、次のことが挙げられる。ロシア帝国の沿海州占領、満洲およびモンゴル侵略、英国の印度植民地化や支那大陸での諸利権獲得、ドイツ・フランスの植民地拡大と支那要所の租借権獲得、米国のハワイやフィリピン侵略、これら諸々の国家行為が何時どのようになされたか。その時、支那やフィリピンやベトナムやハワイの王様や政府はどう反応したのだ。日本が全く軍事行動に出なかったと仮定したとき、どのような東アジアの勢力地盤の変動が予想されるか。
また、現在只今でも、君の国際正義は国際政治の場で一般化しているのか。米国・イラク戦争において、アメリカはイラクのフセイン政権の「許可」を得てから軍事力を展開したのか。世界は広いので類似の事例を列挙すれば十数行を必要としよう。また、現在の時点で韓国の竹島占領、共産支那の尖閣列島地下資源発掘、ロシアの千島列島、樺太占領、みな日本政府に「許可」を得てからの行動か。君はどう考え、どう答えるのか。何時の時代にも普遍的に存在する国際政治の常識は、「弱肉強食」の論理なのである。
それよりも何よりも、「昭和の戦争」の本質を尋ねる際には、それこそ気が遠くなるような膨大な史料の山がある。専門歴史研究者でない君でも、北京議定書なりポーツマス講和条約なり対華二十一カ条要求なりリットン調査団報告書なり塘湖停戦協定なりヤルタ協定なりポツダム宣言なり、「昭和の戦争」を少しでも考えたい者が是非目を通すべき最低限の基礎的史料を見なくてはならない。それらを真剣に熟読して、自分の頭で解釈し理解しなくてはならない。そんな営為に取り組んだことがあるのか。恐らくないであろう。歴史論争を挑むならば、歴史事実の取上げ方とその解釈の異同を以て厳しい批判や議論を構築されんことを望む。歴史を知るとは歴史の事実(史料批判が大事)を踏まえて自分の世界観・人間観を以て解釈を加えることである。
なお、私の「昭和の戦争」概説には一箇所たりとも「大東亜戦争肯定論」の用語は出てこない。歴史の事実を精査すると、拙稿「昭和の戦争」のように叙述できると私は言ったまでである。思考の順序は、始めに肯定論ありきではない。私の拙い史的考察の結果は、かくの如くであり、それを第三者が「肯定論」だと評価するのは自由である。だが。君は、論述内容を理解しようともせずに、ただ独善的判断に問答無用とばかりに「大東亜戦争肯定論」は許せぬと叫喚する。それは批判ではなく、自己の見解が正しいと確信してそれを他人に無理矢理にでも押し付けたいとする妄言である。駄々っ子のような脆弱な精神から発せられた感情的で情緒的な言い掛かりではお話しにならない。歴史の事実に基づいた解釈問題を軽視するようでは、議論の余地は最初からありえないのである。
要するに、私は我が国の歴史の尊厳と光輝ある国の在り方を復権したいと思っている。「敗戦国体制」と「敗戦国イデオロギー」を打破せずして、その目的を達成することは困難だと考えている。それに対してバガボンド、君は戦後の敗戦国体制と敗戦国イデオロギーを「保守」しようとしている。それでは日本民族の自立と尊厳の回復はありえないであろう。民族の異様な変質と衰亡を希求する「保守主義者」とは、語の矛盾であろう。亡国の思想を「保守本流」と自称する転倒した発想は、詭弁であり危険である。君に日本民族の将来を思う真心があるならば、以後倒錯した大言壮語は慎まれるよう切に希望する次第である。
最後に、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセイの箴言を掲げよう。
「現代の特徴は、凡俗な人間が自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする所にある。………大衆はあらゆる非凡なもの、卓越したもの、個性的なもの、特別な才能をもったもの、選ばれたものを巻き込んでいる。すべての人間と同じでない者、すべての人と同じように考えない者は、締め出される危険に曝されているのだ。だが、この『すべての人』が『すべての人』でないのは、明らかだ」(オルテガ『大衆の反逆』白水社版58頁)
(了)
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◎再三の警告に従わない時、最終的に管理人が判定し、適当な期間、投稿を自粛していただきます。
このような方針で今後管理していきますので、宜しくお願いいたします。
つくる会は、頭から湯気を出す人が立ち上げた。西尾先生しかり、藤岡先生しかり。警告される人格攻撃であるかも知れないが、反西尾思想の者ではないが、小生は何度も、退去命令が下った様なこのブログでは有ります。
膨大な組織運営に湯気出す人は不向きだ。組織運営は政治家的人間の得意分野。当に、対米追随が国益である現在は、教科書もそのように書け!と言われて書く。アメリカンスクールの出番になった。
不平等条約を克服したいという念願を忘れなかった嘗ての日本は、不平等が居心地良いと思う者が仕切る日本とは別物国家である。我々は、別の国家に住んでおるのだし、民俗も民族も多少なり変異した国民になっておるんだ という意識はあります。
洗脳された状態にあって、どこがどう洗脳されたのかがもう分からない。「嘘人間」の民族になった今や、再生といいましても、再生する元が、洗脳思想であるから、所謂、日本再生はムリかもしれません。常識的にはそう思うけれども、出来ない。挑戦するものが良いとしても、それは、それで立派な事だった と後世に評価される様にならないと、ムダになる。ムダにならないんだと確信を持たない者は深入りは無用だ。従って、小生も深入りは避けなければならない人種のひとりであります。
いずれにしても、西尾先生が本職に戻られた事は、よかったよかった。
閑人さん、久しぶりですね。
日録もいろいろな形態をとってきましたので、きっちりあった投稿規則もなくなっていました。
もういちど、初心に戻っている感じです。
今後とも、コメント欄への投稿、楽しみにしています。
私は技術屋で畑違いの人間ですから、歴史を論ずる場合の史実等については全く無知蒙昧です。しかし若い時から非アングロサクソン民族と付き合ってきた感覚から福地先生の歴史を見る眼に間違いはないと思います。英米と対立するラテン民族は、異民族を異物のままで受け入れます。しかし英米はインディンを懐柔したように自らに同化することによって他者を一体化するのです。当然敵対するものは粉々にします。日本の安全保障を米国に頼らざるを得ない現実は、高い代償を払った見返りであることを忘れてはいけないと思います。
管理人さんの言うことが、私には了解できません。
この文章が「人格攻撃」に相当するとして削除されてはかないませんから、特定の名前は避けて書きます。
当ブロクに、「占領政策は肯定すべきだ」という投稿を続けてきたある人物が、検閲についてはよく知らないことを白状しました。
ところが、その翌日から、足立誠二さんのエッセーが始まり、占領下の検閲、それによって形成された「閉ざされた言語空間」について論じ始めました。さきのある人物は、さすがに検閲が相当のものであることを認めながらも、
① 検閲について調べる気はない。
② 検閲は日本人の思想に影響を与えることはなかった、と断定。
そして、占領政策肯定論を一層声高に叫んでいる。
上記のような人物の投稿は、最初から噛み合った議論をする意志を欠いたものであり、足立氏のエッセーに対するまともな投稿・議論を妨げるものです。
他の投稿者の、上記の人物に対する攻撃が、「人格攻撃」になったとして、どうしてそれが、議論の噛み合わない「原因」になるのか。因果が逆ではないか。
むしろ、そのような人物の投稿は、管理人の正当な権利に基づいて削除することも許されるのではないでしょうか。(必ずしも、直ちにそうすべきだとは申しませんが。)
歴史学者でもない僕ができること
目の前の自然や四季、日常の友達や大切な人への愛情
男としてどうありたいか
どういった立ち居振る舞いでいたいか
そして暮らしのこと
それに対していつも一生懸命悩んだりぶつかったりしてるそういった気持ちの延長で歴史観ってものを考えることしか出来ないと思います。
「日本がアメリカに負けてそのアメリカのおかげで今日の日本の平和憲法と平和がある」なんて教科書の文脈がおかしいなんてことは、小学生のときだってなんとなくの違和感は覚えていました。
一度そういう作文を書いて先生に怒られた記憶があります。
(たしか「イタリアはとっとと降参して情けないけどドイツはわりかし粘ってまだえらい。でも日本は最後までがんばってえらかったと思います。」みたいな文章でした。その作文はあの時のなんとなくの違和感の発露だったんだとおもいます。)
アメリカが正義の味方みたいな歴史観、そんなのは普通の身体感覚と常識をもっていれば あれ?おかしいんじゃない? くらいは子供でもふつうに感じることです。
問題は昨今、身体感覚を鈍らせる方向に世の中はどんどん進んでいってることかと思います。
西尾先生の著書に勇気をもらって日本人であることに誇りをもて日々の仕事に励むことが出来ておりますが、自分の仕事柄そういった当たり前の身体感覚ということ そのことにちかごろは危惧を抱いています。
勉強不足もあり、ここでの議論とはついつい関係ないようなコメントとなってしまいましたが、
ここでの西尾先生の勇気ある行為に、何か書きたくなった所存です。
歴史について素人である僕は、
当り前の日常の身体感覚からでてくる言葉で議論できるようになりたいと思っています。
日本人としての誇りは、西尾先生の著書のおかげもあり、少なくとも僕自身にはいま確実にあります。
日本という国は本当に美しい心をもった国だと思います。そしてそれゆえの苦しさもそれだけいま大きいんでしょうね。きっと。
ながながと駄文 失礼いたしました。
管理人さま
ご迷惑をおかけしていて(原因が私の意見にある)、申し訳ありません。
私も時々人格への言及に批判してきたつもりです(批判するほどの資格はない、などと)。
多分、もうしばらくはお邪魔すると思いますが、私にマナー上の違反がありましたら、
厳しく指摘していただくようお願いします。
ついでで申し訳ありませんが、私の(ここでの)名前は vagabond です。
一応フランス語のつもり(最後の d は発音しない)です。
「御大」とか「朴念仁」は「人格への言及」というルール違反に当たると感じていますので、
よろしくお願いします。
福地さんからは懇切な反論をいただいた。
「讒謗」などという言葉には少し抵抗がある。
(讒謗=ザンボウ、事実を偽って悪口をいう。人をそしる。)
それは我慢するとして、きちんとお答えしたいと思う。
期待されていないことはよく分かるが、
と言われたからには、黙っているわけにはいかない。
少し時間をいただきたい。
出来るだけ早く、福地さんのエッセイ(論文)に反論したいと思っている。
>福地先生
このたびは、新たな補論の投稿ありがとうございました。
先生がこのように反論なさることは、並大抵のお怒りではないとお察しいたします。
でも、おかげさまで、もっと詳しいことを勉強することができました。
>vagabondさん
貴方はどういう目的でここに投稿なさるのでしょうか?
ここに集う皆と多くの価値観を異にすることが、今までの投稿でわかりました。とすると、ご自分の意見を披露したり、ここに集う皆に嫌がらせするのが目的でしょうか?
目的をお聞かせください。
>皆様
あだ名を当人が嫌だと感じている場合は、通常のHNでお願いします。
>東埼玉人さま
了解いただけなくて残念です。
私は今までのことというよりも、今後のことをも含めて
ルールを決めました。
もちろん、かみ合わない理由は本当は他のところにあると思っています。
東埼玉人さんの上記のような内容は人格攻撃ではありません。相手の論理の矛盾をつくものであり、なんら問題のない文章です。
vagabondさんが最初に福地先生の論文に対してとても失礼なコメントをお書きになったとき、私がきちんと注意をしていればよかったと、管理人として今は反省しています。
論理の矛盾をつくことは人格攻撃ではありません。
そこに、なんらかの修飾語をつけて相手の人格を揶揄したりすることで、感情的な行き違いが大きくなっていると思っています。
相手の質問には答えない、自分の言いたいことだけは言う、そういう自分勝手な展開にも警告を発していくつもりです。
ミクシイ掲示板に私が書いた江藤淳の「閉ざされた言語空間」の書評
江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」は、先の大戦終結後アメリカ軍の占領下にあった我が国におけるGHQの検閲の実態とその検閲が戦争終結前から周到に準備されたものであったことを、膨大な1次資料を基に解き明かした名著です。
本書が単にアカデミズムの世界に留まるだけでなく一般人向けの評論として広く販売されたからこそ、それ以降GHQの我が国に対する占領政策の実態についての本格的研究が進むことになったと言っても過言ではありません。
本書の結論となるであろう部分を引用します。
「戦前戦中の日本の国家権力による検閲は、接触を禁止するための検閲であったということができる。天皇、国体、あるいは危険思想等々は、それとの接触が共同体に『危険』と『汚染』をもたらすタブーとして、厳重に隔離されなければならなかった。被検閲者と国民は、いわば国家権力によって眼かくしをされたのである。
これに対して、CCD(GHQの検閲機関)の検閲は、接触を不可避にするための検閲であった。それは検閲の秘密を媒介にして被検閲者を敢えてタブーに接触させ、共犯関係に誘い込むことを目的としていた。いったんタブーに触れた被検閲者たちが、『新たなる汚染の中心』となり、『邪悪』な日本の『共同体』にとっての『新たな危険の源泉』となることこそ、検閲者の意図したところであった。要するに占領軍当局の究極の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった。」
「それは、すでにあの『ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム』に明示されてりいた通り、日本人のアイデンティティと自己の歴史に対する信頼を、あらゆる手段を用いて崩壊させずんば止まず、という執拗な継続的意思に支えられていた。
そればかりではない。いったんこの検閲と宣伝計画の構造が、日本の言語空間と教育体制に定着され、維持されるようになれば、CCDが消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊をつづけ、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る。」
私も、戦前戦中の我が国の「検閲」に対する事実認識以外は江藤淳氏の結論と同感です。我が国の戦前戦中の「検閲」は、軍事関係以外は、事後内容規制を担保としたあくまでも自主提出による事前内容審査制でした。つまり、事後に削除されること法に触れることを覚悟すれば、自主提出をしないことによって一度は外部に言論を公表することができたのです。厳密に言えば「検閲」とはいえません。
それに対して、CCDの「検閲」は組織的に完全に言論を外部に公表することを封じ込め、無作為抽出法を採用することによって国民全体の言語空間を組織的に監視しました。これこそが「検閲」なのです。
戦前戦中の我が国には、そもそも近代的な意味での「検閲」という発想が無かったといえるでしょう。
さて、江藤淳氏がGHQの我が国に対する占領政策を検証していた昭和50年後半当時、論壇の反応は冷ややかなものでした。進歩的知識人が反発するのは当然のことでしょうが、保守派知識人からも「GHQが事前に検閲をやっていたことくらい誰でも知っている」と揶揄されたのです。
確かに昭和50年代後半当時の知識人は、GHQの占領政策を直接知っていた者もまだ多かったはずです。したがってその揶揄は必ずしも的外れなわけではないのですが、当時、江藤淳氏が「誰でも知っている」と思われることを検証しなければ、現在のGHQの占領政策を直接経験していない戦後生まれの小林よしのり氏の先の大戦に関する多数の検証の成果は無かったかもしれません。
したがって今一度、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」はもっと多くの人達に読まれなければならないですし、その検証自体の意義についても昭和50年代後半の言論界の状況と照らし合わせて考察されなければなりません。
ただGHQによる検閲の戦後日本の言語空間に対する影響について更に突き詰めて考察すれば解決しがたい一つの大きな問題にぶつかります。それは戦後右派・保守派知識人は、GHQによる検閲をクリアした知識人であるということです。つまりGHQの検閲に引っかからない文章を書く者のみが戦後の論壇・学界の中で活躍することができた。その延長戦上に江藤淳氏がいるのであり小林よしのり氏もまた同じです。
戦後右派・保守派知識人を代表する重鎮葦津珍彦氏や福田恆存氏も、戦前戦中戦後とさして思想傾向は変わってはいませんが、戦後になってから右派・保守派知識人と称されるようになりました。これは一人の言論人としては、社会の変化に動じない首尾一貫した批評精神を持っている証であり高く評価されるべきことですが、反面、ある一定の思想傾向を持つ右派・保守派知識人は戦後抹殺された証でもあります。
この問題を解決するには、単に戦後日本の言語空間を全否定してみても意味が無いでしょう。何故なら我々もまたその延長戦上にいるからです。私が考えていることは、実際にGHQの占領政策によって淘汰されてしまった戦前の知識人の著作を読んでみることです。そして、それはGHQの占領政策を検証するためにではなく、その知識人の考え方そのものを理解し感じ取るために読むのです。そうした地道な営みによってしか「閉ざされた言語空間」を突破することはできないのではないかなと思います。
ミクシイ掲示板に私が書いた「日本国憲法成立過程におけるGHQの検閲について」
日本国憲法制定過程においてGHQが国体・天皇制について、具体的にどのような検閲をしたのか、かつて関西皇統オフ会で述べたことがあります。今日は、そのことについて日記で再び述べたいと思います。
私は、戦後日本が大日本帝国憲法からGHQが制定した現実には植民地憲法である日本国憲法へ大きな混乱なく移行することができたのは、昭和天皇の存在あってこそであると思いますが、それ以外にも①我が国は、大日本帝国憲法制定時からおおむね立憲民主主義的国家運営をしていたこと、②大日本帝国憲法も日本国憲法も同じく議会制民主主義制度を採用していること、③戦前の国家総動員体制の中で社会保障制度が確立されていたことという、もともと当時既に我が国は日本国憲法を受け入れやすい政治体制であったことにもよると考えています。
しかし、当時の知識人・国民の天皇観とGHQの天皇観は大きく異なっていました。そこで、GHQが、国体・天皇制について、如何なる文章を検閲削除したのか一部紹介します。
まずは、河合栄治郎の「社会思想と理想主義」(実業之日本社 1947年11月25日発行)です。河合栄治郎は、東京帝国大学教授として、自由主義の立場から一貫して反ファシズムの立場をとっていました。しかし、日本の君主をヨーロッパの君主と比較して次のように賛美する論述をしたため、その一節が検閲削除されました。
「即ち日本は万世一系、皇統連綿として繋がって居て、天皇は政治の中心である。又社会の中心であるという思想は、是は私は賛成である。日本の君主が持つところの地位は、欧蘭巴に於ける君主というものゝ地位とは非常に違って居る。人民と対立して、人民と敵対し、虐政を執るという連想は日本の君主に就いてはないのである。外国に於ては君主自身の利益と人民の利益は対立して居る。其間に衝突があって、自分の利益を大きくして君主の利益を取ることがある。併し日本に於てはそう云うことはないのである。君主に対する考え方が日本に於ては違っている。」
天皇を肯定的に捉えているのは事実ですが、天皇賛美というほどの文章とは言えません。
次に、戦後、右派社会党の参議院議員として活躍した小林亦治が著した書「社会断層」(山新出版社 1947年12月5日発行)の次の部分も検閲削除されています。
「前余の如く日本国憲法は消滅亡びたが、将来独立国家への期待が繫がれている事実と<一字読解困難>として3千年来の皇室が滅びずに皇統連綿万世一系の、天子様が存することに希望と感激を抑えることが出来ない。新たに制定さる憲法は如何なる内容のものであるにせよ、憲法上に於ける天皇の地位がどうあろう大和民族の『お上』として『主上』として燐として存続させることは疑いない。」
これは、万世一系の皇統が存続できたことを賞賛しているに過ぎません。
また、西田幾太郎哲学に傾倒し、のちにマルクス主義に進んでいった柳田謙十郎の著「社会・国家」(大東出版社 1948年4月10日発行)において、「わが国体」と題する章で記述したかなりの部分も不承認とされました。
「しかし国家の根底に国家成立の神話を有ち、超越的即内在、内在即超越的に、絶対現在の自己限定として歴史的生成的なる我国に於いては、真によく国家即道徳の国体と云うものが自覚せられたと云うことができる。我国の国体に於ては、皇室が世界の始であり終である。国家統一の確立と共に国家がはじまり、この主権の存在が国家永遠の生命の自己表現である、だから皇室の破壊は日本の国民的統一の破壊を意味する。皇室が過去未来を包み、絶対現在の自己限定として、すべてが皇室を中心として生々発展して来たと云うのが我国体の昇華である。」
不承認の部分が長すぎるので以下省略しますが、柳田謙十郎は、本書で、広く世界の歴史に言及し、日本の「国体の精華」を定義づけたのです。しかし、皇室を「世界の始めであり終である」「主体の主体である」「現神と考えられる」などの結論にいたったことが、天皇賛美として、受け入れられることができないと判断されたのでした。
確かに一見すれば、神がかり的な天皇賛美の文章のように見えますが、「超越的即内在」、「絶対的現在の自己限定」という言葉使いからわかるように西田哲学の観点から皇室と国体を論じたものです。西田哲学は、戦前、世界的に東洋発の哲学として高く評価されていました。
河合栄治治郎も小林亦治も柳田謙十郎も特に右翼であった訳ではありません。むしろ、戦前、右翼と一線を画していた人達です。そういった知識人の言説も、天皇が我が国の中心であることと、万世一系の皇統という当たり前の事実を肯定的に捉えただけで、GHQの検閲により削除されたのです。
これらの検閲削除の例は、GHQの検閲政策が如何に徹底していたものかを示しているとともに、共産主義者を除く日本国憲法制定過程前後の知識人達は、特に右翼でなくても、天皇は我が国の国体であり、万世一系の皇統を護持しなければならないと考えていたことがわかります。
それが、GHQの検閲政策により封殺され、やがて天皇制を否定的に捉える論説・廃止論が、戦後から本格的にアカデミズム・論壇で活躍し始めた進歩的知識人達の中から沸き起こるようになってきたのです。もっともその中には世渡りのため、GHQに媚びるために天皇制を否定的に捉える論説を述べた者もいることでしょう。
女系天皇を容認する皇室典範改定案を提示した「有識者会議報告書」は、日本国憲法制定過程における国会審議の中で、女系天皇を容認すると捉えられることのできる発言だけを都合よく取り上げているだけであり、こうしたGHQにより検閲削除された文章については全く触れられていません。検閲削除された文章は、当時の知識人・国民の天皇観と大きく逸脱するものであるとでも考えているのでしょうか。これらの文章は、言論の場で批判にさらされ抹殺されたのではなく、検閲によってはなから言論の場に出ることができなかったものなのです。
確かに、百歩譲って、「有識者会議報告書」は公式文書である以上、GHQの国体・天皇制に対する検閲削除について触れることはタブーなのかもしれない。しかし、「有識者会議報告書」の種本である園部逸夫有識者会議座長代理の著である「皇室法概論」にもその点については全く触れられていません。
既に、憲法学・行政法学といった学術研究の場では、GHQがどのように関わっていたのかという点についてはタブーではなくなっており、肯定的に捉えるにせよ否定的に捉えるにせよ、特に、憲法学の学術書においては、全く触れられていない本はまずありません。
したがって、園部逸夫氏の「皇室法概論」はどう考えても、学術書ではなく学術書の名を借りた、女系天皇を容認するためだけの単なる膨大なペーパーとしか思えないのです。
皇室典範改訂問題は、日本国憲法制定過程時における立法者の意思・思惑、それに関する知識人・国民の捉え方を全面的に検討した上でなければ、一方的な見解しか提示されません。
もし、全面的に検討すれば、当時は、日本国憲法が制定されることについて多くの国民が支持していたという事実があっても、こと、国体と天皇に対する日本人の意識は、男系による万世一系の皇統の護持だったという結論がでるでしょう。その点に目をつむって避けている「有識者会議報告書」とそれを記述した官僚・学者メンバー達は、卑劣であるとしか言いようがありません。我われは、体裁だけ理路整然と整えている「有識者会議報告書」を安易に信頼してはいけません。
多忙故ゆっくり考えて投稿する暇が無いのですが、一言弁明致します。
管理人様
議論ルールの件、承知致しました。かなりの程度、私の投稿に当てはまるものと読みました。私自身の意図としては、投稿から察するvagabond氏という存在は、このようなブログ上の議論では何の建設的な事も齎さず、それでも氏がこのブログに御執心である根源理由を考えたものです。また絶えず「教えてくれ」と「疑問」を呈されるので、その「疑問」への根本的解決への方途を示したのであり、決して誹謗中傷が目的ではないつもりです。
管理人様御自身は、こういったことを一応理解され、その上での御注意と読めますし、又、御当人の方は全く理解されないようでもありますので、今後は控えます。
但し、vagabond様の、この件のコメントには呆れます。御自分が書かれた誹謗中傷の恐れのある言葉にはまるで自覚せず、<私も時々人格への言及に批判してきたつもりです>とは・・・。
<投稿者も注意しあう>ということなので、一点。
Vagabond様。以前から述べていますが、他者に対し、事あるごとに倫理的批判を繰り出すというパターンは、議論を停滞させ、相手を無用に貶める行為です。倫理を背にした誹謗です。俗によくあります。最近では・・・
<自分に気に食わないことを言う相手(人々)に「お前は洗脳されている」ということは、たいへんおこがましいことです>等々。
つくる会の鼓舞する中の一つに・・・
『はっきりと意見をする、又は反論する人間形成』というものがあると、私は解釈しています。
また、それは『日本側から見た世界感』であらねば、これからの時代は通用しないという、西尾先生の補論も同時にあると解釈しています。
限りなくその観点を研ぎ澄ます姿勢を問おうではないか・・・これが当日録の在り方なんだと私は踏まえているつもりです。
vagabond氏の姿勢は『はっきり意見を言う・反論する』という枠においては許される行動だが、『限りなく日本側から見た世界感を研ぎ澄ます』という目的からは外れた姿勢だと解釈できる。
よって彼の行動は当ブログの目指す道筋には必要無いものという感想を単純に抱くことが可能となる。
確かに色んな意見はあって良いが、彼の論理の殆どが今まで何度も我々が悪病として退治してきたものでしかなく、今更その事を掘り返されても、本来目指している目的地には到達できない邪魔な石ころでしかない。
我々にはそんな石ころを取り払う暇は許されていない。
現実的に迫り来る領土問題や拉致問題などの外交面、又は真の経済と政治の両輪の運営問題などが山積し、七十の年齢を重ねてもまだ開眼できない人間とお付き合いしている暇などないのだ。
私は前回もう二度と相手にはしない決意をしましたが、福地先生の労に何らかの反応をしなければいけないと感じ、このような意見をした次第であります。
>vagabond氏
長谷川さんの質問にまずは従い、回答すべきだと忠告申し上げる次第。
管理人様
「新ルール」、一応了解いたします。
福地先生の「昭和の戦争」、西尾先生と平松先生の対談、そしてこのたびの足立誠之氏(前回、お名前を誤記していました。申し訳ありません。)のエッセー、いずれも考えるべきことが多く、真面目な感想、建設的な議論の素材が提供されてきました。まさに、時宜を得た、適切な時代認識を表しているものと感じております。
しかるに、ただ一人の攪乱者のために、如何にむなしい議論を余儀なくされたことか。
私は、vagabondなる人物が、(不本意ではありますが、氏のHNを使用します。)
① 当ブログの攪乱を意図する者である。
② 最近は、自己の立場が追いつめられてきたので、残された期間、当ブログを「反日イデオロギー」宣伝の場として利用している。
③ 何らかのエージェントであるか、その委託を受ける者であるか、少なくともそれに利用されているのではないか。
以上の疑惑を一段と強めております。
このたび、一応殊勝らしき態度を示しています。(今まで幾度となく自分の立場が悪くなると見せてきたことの繰り返しに過ぎないと考えていますが、)福地先生に対する「反論」を記すそうですから、管理人様の忠告に従い、しばらく様子を見させていただきます。
追記
総合学としての文学様、久しぶりに当ブログに相応しい投稿有難うございます。
このくらい「超然たる」投稿ができれば、攪乱者を相手にせずにすむのですが。
バカボンド氏のホームページを読ませてもらいました。つまるところは、①反共産主義であり②憲法9条改正論者です。これは保守主義とは言えないでしょう。もはや国民的コンセンサスです。何もこの程度の当たり前のことをわざわざホームページを開設して仰々しく論じる必要はありません。
しかし、このように切って捨てては批評は生まれません。
今、バカボンド氏を誹謗中傷される方が多いですが、バカボンド氏は教員出身なのです。
教員は我われが想像している以上に狂信的左翼が多いのです。その中で、反共と憲法9条改正を主張することはとても勇気のある行為だったに違いありません。その勇気に対し私たちは一定の敬意を表するとともに、決して我が国の教育界にのさばる日教組の残党の掃討の手を緩めてはならないことを実感しなければなりません。
さて、バカボンド氏が護持したい1945年体制も既に60年経ちました。世界史的に見れば50年持たなかった政体はいくらでもあるわけですから、決して暫定的な政体とは言えません。ちょうどバカボンド氏の人生そのものが1945年体制にすっぽり入ります。
戦後初期の進歩的知識人達は1945年体制の矛盾やおかしさを自覚しながらも「意図自覚的」に1945年体制を称賛し明治維新体制を全否定したのです。しかし、後の世代になれば「意図自覚的」であったことが「自明の理」になってしまいます。バカボンド氏の世代がそれにあたります。
そして、バカボンド氏の次の世代が「自明の理」を疑いはじめたところにバカボンド氏の苦悩があります。この流れに対して「大東亜戦争は悪だー。戦後日本は良かったー。」といくら絶叫しても無理でしょう。これでは疑いに対する答えにはなりません。
しかし、政体はその存在基盤に重大な危機が訪れそれを乗り越えていよいよ長期に渡る政体となります。私はどうも乗り越えつつあるのではないかなと思うのですが鎌倉幕府が崩壊した最大の原因は鎌倉幕府の政策とは全く関係の無い元寇です。まだまだどうなるはわかりません。そもそも一つの政体が存続するか否かにとって思想信条の力はびびたるものです。
ネット論客を含めた思想人達はただ自らが語る思想信条に磨きをかけること。それに尽きるでしょう。
放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。 バガボンドよ バイバイ!
さて私は福地先生の次のコメントにたいへん触発されました。
あの戦争は「侵略戦争」とは言えず、壮大な「国際謀略の渦に巻き込まれた戦争」、「国際的抑圧勢力への対抗戦争」、いわば「防衛戦争」であった、と観るのが正しいとの暫定的結論に達した。
8月30日はダグラス・マッカーサーが連合国軍最高司令官として占領政策の全権を担って日本に飛来した日。その日から今年は61年目にあたると想い袖井林次郎氏の『マッカーサーの二千日』を手に取りました。
マッカーサーは61年前のこの日フィリピンから沖縄を経て厚木飛行場に降り立ち、2000日に及ぶ日月、日本の歴史上、天皇陛下も徳川将軍にも及ばない絶対権力者として日本民族の上で威勢を揮いました。晩年物した回想録に「歴史上・・・私の権力は至上のものであった」と書き残しています。
実はこれがマッカーサーにとって三度目の来日でした。厳密には4回目ですが初回はトランジットで通り抜けただけ。その来日の一回目は父アーサー・マッカーサーが駐日米大使館付武官となった時でした。父アーサーは息子ダグラスを自分の副官にしたいとタフト陸軍長官に懇請し米本国から日本に呼び寄せました。アーサーの来日は1905年8月で、日露戦役が終わりポーツマス条約の調印直前。ダグラスの来日は同年の10月末。しかしダグラスは回想録に既に終わって父も観戦できなかった日露戦を実見したと記しました。
二回目の来日は1937年1月フィリピンのケソン大統領と一緒に比国軍元帥としてでした。中国で起きた西安事件の直後、支那事変のトリガーとなった盧溝橋事件の半年前。このときにケソン大統領は昭和天皇に拝謁しましたが 同行したマッカーサーは叶わず、このときのことを回想録に「ケソンは東京で丁重に迎えられたが、私に対してはかつての友好的な態度はまごう方ない敵意に変わっていた」と記しました。二回目の来日時、マッカーサーは自尊心をいたく傷つけられたのです。
戦後の日本人は米人には珍しい高邁で弧高なマッカーサーを米国人の典型だと思い込みました。マッカーサーのストイックな姿は日本人の心を捉え士道さえ観じたのです。自尊心が高い分持つ必要のない挫折感を人知れず内包していたのがマッカーサーです。
フィリピンで自らfield marshal元帥と名乗り「ルソン島のナポレオン」と揶揄され得意の絶頂にあったマッカーサーは1941年12月日本軍の攻撃にあえなく敗れ「アイ シャル リターン」の言葉を残してオーストラリアへ潰走する憂き目に遭います。 けっして奇襲を受けたわけでなく日露戦争後からオレンジ計画を樹てて時間を掛けて防備に努めていたにも拘わらず敗北したのです。朝鮮戦争で70歳を超えてなお仁川上陸作戦を成功させた猛将知将です。それより10才も若くして簡単に敗れるような司令官ではありません。 日本軍の知略と勇猛果敢さが秀でていたことを褒めるべきでしょう。
マッカーサーの日本へのルサンチマンは1937年に天皇陛下への拝謁が自分にだけ叶わなかったことで芽生え、日本への憎しみはフィリピンでの軍事的大敗北で決定的になりました。親子二代軍人エリートであったマッカーサーが骨の髄まで反共主義者だったことは日本にとってまことに僥幸でしたが日本が勝ちとったものではありません。
そんなマッカーサーの差配した東京裁判は日本人を徹底的に打ちのめしました。昭和天皇の誕生日にあたる昭和21年4月29日に”所謂”A級戦犯として28人を起訴し、二年後7人の被告に絞首刑を宣し今上陛下(当時皇太子)の誕生日昭和23年12月23日に処刑を断行しました。戦いに敗れた日本人は御上を護れるならとこれを甘受しました。ほとんどの日本人は各々が戦争に狂奔したこと、それに押し流されたことを深く心の中で想いつつマッカーサーが勝者の復讐を裁判という近代的儀式を通じて行なったことを甘受し、そこで処された指導者たちに戦争責任をやむなく背負ってもらいました。”やむない”選択だったからこそ、占領軍の支配から脱するなり、その名誉回復に全国4千万人が署名し社会・共産党までも含む全会一致の国会決議をして東京裁判で処刑死・獄死した方々を軍務上の死(法務死)と認定したのです。
本来「戦争」と「責任」を繋げて一つの用語にするのは語義矛盾です。 そんな責任は古今東西ないのです。あえていうなら戦争の、特に負け戦の指導者に道義的責任はあるでしょう。 それは道義的なものであり、自分であるかないかをはかり自身を処すべきものです。戦争行為に法的な責任なぞありはしません。日本は1928年のケロッグ=ブリアン協定(パリ不戦条約)に違背したと云われましたが、福地先生のご主張どおり大東亜戦争は自存自衛の戦争であったと云えばいいのです。事実そうでした。 この条約は自衛権を許容留保し処罰・制裁規定はありません。自衛の為であったかは自国が認定すればよいというものでした。
マッカーサーは日本に恨みを晴らし清々していたのでしょう。 1951年米上院議会の軍事外交共同委員会で次のように述べています。『・・・したがつて彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。』 しかし恨みを晴らした末のマッカーサーのご託宣をいつまでも引用してわが国の戦争の正当性を他国に言い募っていてはダメです。 戦争に正当性はありません。 いい悪いはありません。 大東亜戦争は日本国の保全、日本民族の自存のためにやったのであって正当性があったなんて他国に云って通じる訳はないのです。 我々日本人が自国の戦争をまっとうだったと思うほかはないしそれでいいことです。
自国人の生命・財産を護ることが国家の指導者の責務です。大東亜戦争の指導者・政治家の幾人かは明示的に責めを負って自裁し、獄に繋がれ、刑に処されてゆきました。その御蔭でかろうじて国統は維持されました。 しかしその国の文化、伝統、歴史の連続性まで国家の指導者や政治家は護る責めを負いません。 日本の第一の敗北は昭和16年12月8日に開始された1300日余りの大東亜戦争に於いてです。 その後取り返しのつかない深い第二の敗北を喫したのです。 それは昭和20年8月30日から始まったマッカーサー統治の2000日の間に苛烈に進行した日本の伝統・文化・歴史の破壊に於いてです。
マッカーサーの徹底を極めた思想・言論統制の協力者たちは今日尚誰一人名乗り出ず道義的な責めを回避したままでいます。西尾幹二先生のこれから取り組まれるGHQ焚書図書に纏わるテーマは重いのです。
長谷川さん、
私がこのブログに興味を持ったのは、いうまでもなく、『つくる会』の内紛です。
今はともかく、西尾さんが内紛の当事者の一人であり、関心を持つことはいうまでもありません。
その上「つくる会」副会長の肩書き(大学教授もついているが)で書かれた福地さんの論文を読み、
こういう姿勢の「つくる会」では困るというのがそもそもの出発です。
意見を聞き・考えるうちに、現在の大きな問題は「反米保守・ウヨク」にある、ということを実感し、
これと戦うことが私の大きな目的(「使命」などというのはおこがましい)であると思っています。
ここでいう「反米」とは(惨めったらしい敗戦・事実上の無条件降伏という事実を棚に上げて)
ひたすら、アメリカの占領政策を非難する、という態度をいいます。
・・それで、今年の初めまでは「つくる会」が「反米的」色彩を見せたことは殆ど記憶にありません。
だから私は「つくる会」の教科書刷新運動を支持し、かげながら応援・運動してきたわけです。
「反米」が標準であるような「新しい教科書」は絶対に支持できないし、
別の意味で「自虐的」であると思います。
—
かって『三重九条の会』のブログへ批判文を投稿したところ、主宰者から抗議の電話を受けました。
「本来誰にでも開けているはずのブログへ投稿することがどうしていけないのか、
抗議される覚えはない。反論を許さないのならばその旨をはじめに断るべきだ」
と激しく反論したことがあります。
要するにそのブログは「AはAである。故にAである」てなことを延々と繰り返す場所だったわけです。
この西尾さんのブログは管理人がフィルターをかけていますので、管理人の否定する
(原則に沿わない)意見ははじかれて当然です。
そのときは私は文句を言わずに立ち去ります。
それがルールなのです。
私に「このブログに参加する目的は何か」と聞くということは、要するに
「このブログは○○という考えの持ち主だけが参加を許されるクラブなのか」という疑問です。
—
話は変わって、福地さんは、
【要するに、私は我が国の歴史の尊厳と光輝ある国の在り方を復権したいと思っている。】
と書いている。
このことに異存はない。誇りがかなり失われている。
ただ方向がかなり違うようだ。
大東亜戦争を「悪」とせず、東京裁判を否定するところから「民族の誇り」
が生まれるなどとは考えにくい。
ところで、私は昨年まで海外に行ったことはなく、昨年末はじめてドイツ・オーストリア、
今年イタリアへ旅行た。
駆け足のパック旅行で、慣れた人からは笑われそうな印象だが、あえて書く。
ミラノに「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」というのがある。
また、ナポリだったかローマだったか忘れたが、「ガリバルディー通り」があった。
いずれも、イタリア統一にかかわる偉人(英雄)の名前を冠した場所である。
ドイツにもあったようだ。
これらの国には歴史が庶民の生活の中に自然に生きており、それが
彼らの誇りになっている、と感じた。
日本にもそういう場所はもちろんあるが、たいていは神社がその役割をになっているようだ。
伊勢神宮、明治神宮、北野・大宰府天満宮、東郷神社などである。
独・伊と形態が違うだけで、どちらがよいというわけではないが、
独・伊のほうがどちらかといえば、日常生活に溶け込んでいるように思えた。
坂本竜馬大通り、西郷の丘、古くは、大和武尊公園などがあってもよいとおもうのだが・・。
(地方にはあるかもしれない)
なお、「記念館」や「資料館」はたくさんあるが、歴史は非常に浅い。
もちろん、「ヒットラー大通り」とか「ムッソリーニのアーケード」などは多分ないだろう。
彼らを生んだことを恥じ、むしろ伊などは、ムッソリーニに抵抗したことを誇りに思うのだろう。
日本で一番問題は、天皇に関する場所や知識が非常に少ないことだ。
天照、イザナギ・イザナミ、スサノオなどの神話上の人物から、神話、神武天皇の話、
新しいところでは明治天皇の人となりや功績など、私を含めて知識は貧弱である。
ただし古事記では、天皇には女性好きが少なくなく、今で言う不倫みたいなのもあって、
天皇の「神聖性」にはそぐわないかもしれない。
その理由は、一つは「32年テーゼ」に基づく「天皇否定論(天皇打倒論)」、
もう一つはアメリカ占領政策中、天皇制が軍国主義の一つの柱と看做されたこと(誤解の面が強いが)・・
この二つが結びついて今日の「天皇軽視」に繋がっている。
始めに述べたように、国民に誇りを、という意図は正しい。
保守・ウヨクが結集できるのは「天皇重視」
という方向ではないだろうか。
天皇重視は「反米」ではない。
反「マルクス主義」である。
天皇を「神」と崇める人も、人間的で親しみを感じる人もともに賛成するだろう。
福地さんらの「反米保守」では(保守は)絶対にまとまらないし、「大東亜戦争肯定(悪ではない)論」
も戦後の歴史(事実)を否定するもので、容認できない。
出来れば次回は、「昭和の戦争が侵略戦争でなかった点が証明出来ればよい」
という福地さんの「証明」は証明になっていないことを証明したい。
動物の調教について
調教は力ずくで強制することと真逆である。
動物の習性と能力を調べ、その動きの流れの中で、半歩先の介入を行う。
自然界での行動の再構成にすぎない。
動物は、命令されているという意識は無い。ある刺激系列に反応している
だけである。当然、調教師も動物の刺激応答反応の仕組みを調べる。
一般に応答系に対する報酬としては餌がある。
子供の躾において、これを応用したものがある。
本人が自分で分かったと感じるように方向付けるやり方である。
「叱ってはいけない」というのは、この延長にある。
問題は、この場合、ほとんどの親、育児担当者は、調教師ほど技術がない
ので実際は出来ないことだ。
しかも、相手は人間の子供なので、習性、能力の多様性は、動物の比ではない。
このような、前提知識も無い人間が○○の一つ覚えで、
「叱ってはいけない」といったり、それを鵜呑みにしたりする。
教育学部(幼児を含む)に調教師の訓練カリキュラムを導入するのも一考だろう。
さて、本題に戻る。(調教との対応を考えても、人間の場合はかなり複雑だ。)
洗脳の目的は、洗脳する人間にとって都合の良いことを、あたかも自分で
考えたような気にさせることである。
また、指導もしくは命令する場合でも、あくまで「相手のため」であるという姿勢で
望む。
それが、ある程度洗脳者の不利益であっても、局面においては餌を与え、
相手のためになったということを示す。(これがミソ)
よく「日本のためになるのだから、彼らの言うことに従えばよいではないか」という
人間がいる。(親日派、知日派を有難がる)
これこそが、目的である。
内容ではない。彼らにとって、意見を重宝させ従わせるいうかたちが大事なのだ。
こんなわけで、あろうことか、身の程知らずにも天皇家のことにまで口を挟む
欧米系の下衆記事(ニューズウィークなど)にまで指導を仰ぐ始末である。
現在、我が国の官僚選抜及び養成システムが、この流れ(洗脳受け入れ)に
あることは言うまでもない。
よって、彼らは戦略思考が出来ない。局所対応のスクールとなるのは当然である。
また、ある種の選ばれた連中は彼らのカウンターパートとなって、利益の代弁者となる。
誰のことかおわかりであろう。
福地先生ご苦労様です。確か自衛隊の幹部学校の講師で話された内容でしたね。自衛隊は民間会社に幹部を出向させたり、防衛大学校では三軍一緒の教育をしたり、色々な講師を呼んで勉強しているようです。ありがとうございました。勉強になっています。
閑人さんの湯気の話ではなくて洗脳の話を。
私は所詮60年や70年の期間で起こったことですからたいしたことじゃないと思いますけど。ベクトルが逆になっているだけでしょう。明治以来日本人が西洋人になったわけでもなくそれより関係した歴史のある中国人になったわけじゃないと考えていますから。
私はGHQの洗脳がなくても別のきっかけで今回起こったのと同じことは起こりうるという作業仮説を置いています。一方でそしてそれがどうしてこれほど強く影響を及ぼしたのかに日本人の特異性があり、これをわかったうえで米国がやっていたら米国の怖さはすさまじい限りだと思っています。
そのすさまじさは閑人さんが書かれたように何が洗脳かそうじゃないかわからない状態にまでなっているという認識が示しています。米国が以下に書くようなことを意識してやっていたら現在の状況の主要因は米国でしょう。そうじゃなかったら主要因は日本の内部にありますから再び起こるだろうと作業仮説を置いているわけですが。
GHQの洗脳を受け容れられる余地はvagabond説にあるトラウマ、すなわち戦争に負けた不信感が一つあります。もっともご当人は自分の論立てがGHQの洗脳行為の説明になるという意識では書いていないようですが。その不信感はおそらく戦後教育の実施や巧妙な自己規制による言論封鎖によって戦前を知らない人に普及していったのでしょう。おそらく私のような60名クラスで成績が56番という先生に相手されない劣等生でなく先生の受けのいい生徒、将来は東大に行くだろうことを期待された生徒が素直に受け容れたのでしょう。そしてこの場合も事実認識によっておかしいなと気付く人間もいたでしょうし、一生騙されたままの人間もいたでしょう。すなおな国家公務員試験に通った優秀なエリートに東京裁判史観の人間がいたって驚きません。
もう一つは文化的にそれを受け容れる要素があった場合です。
受け容れる要素を考えるということは過去の日本文化を考えることです。
そこで文化の受容の話をしないといけません。
日本の民主主義は不思議なものでその不思議さは戦後にさらに強くなりました。もともと日本人にあったのは論争で正義を正すというのでなく柔らかな話し合いで合意を求めるという農村共同体での習慣から生じた文化と明治以降導入された西洋民主主義が習合したものでしょ。法でもそうで法は倫理と同じだと言い出す検事がいたりするのは愛嬌ですが。これは明らかに従来あった文化の中で共鳴する部分から外来文化を表面的に受け容れているわけです。
こういう前提で洗脳と日本文化の話を幾つか続けましょう。
最近GHQが象徴天皇という概念を出したのだという記事があるそうです。しかし天皇という概念はもともと二つあって、それを日本が文明を中国しか知らなかった時代での思考は中国を比喩にして考えざるを得なかったでしょう。中国の皇帝は中国を統治する天から委託を受けた皇帝という概念と周辺諸国のような中国の政治的統治は受けないが文化的影響を及ぼす皇帝という二種類です。もっとも明治以降になってこれにプロシャ皇帝という政治的統治を行う皇帝という概念が入りましたが。このような種がなければ60年を越えて象徴天皇を拒否しないわけがありません。
実際に鎌倉時代にはすでに天皇には政治権力はなく文化的存在であって、これは江戸時代でも権力というより権威としての存在でした。もともと日本人側に文化的権威としての天皇という概念があったのならGHQの作ったとされる象徴天皇という概念は受け入れやすかったでしょう。津田左右吉の論説もあったし、象徴天皇を受け容れる種があったのでしょ。ただしGHQの目的は日本が再び天皇教になって集団で神風攻撃を防ぐことにあったのでしょうし、日本側は国体(国柄)の維持に目的があったのでしょうけど。
近代化=欧米化=弱肉強食という図式でみれば明らかに現代日本は近代化されていません。それは政治家から個人に至るまで野蛮な弱肉強食原理を許容していないからです。個人主義でさえその背景に優秀な人間は個人としても倫理をもっており、だから生き残るのだという考え方があるようですが、これでさえ欧米の弱肉強食理論の違ったパターンです。
もっとも明治時代は現代より欧米的で会社でも社員と工員の区別があったり、渡り職人といって実力で働く場所を探す人間もいましたし、永年勤続制度なんかなかったようですから、この時代の商人は欧州型の身分階級組織と弱肉強食原理を許容していた可能性があります。
東京裁判で日本が非難されていることが正しいと仮定してもそれは欧米がやったことをそのままやっただけの話でしょ。いわば「米国の鏡日本」です。もっとも福地説ではそんな単純なものじゃないという論説が説かれていましたが。しかし日本の大多数の国民は欧米の弱肉強食原理を正しいと受け取ったでしょうか。欧米の弱肉強食原理を是として明治以来受け取っていたら東京裁判の茶番は独立記念日以降に簡単に解消したでしょう。米国の巧妙なのは日本人が弱いものいじめで代表される徳治社会にいて、かつ警察制度や裁判制度に対する信頼がある社会で、かつ弱肉強食原理になじまないことを知った上でああいう裁判をやったのならそこが絶妙な点です。
日本人は条理より情理を好む人間が多いのです。情理は相手に対する「なさけ」であり、これは理屈でなく感情でもあります。おそらく日本社会を動かしているのは理屈でなく国民感情なのでしょう。祖先が情に反する残虐行為を行ったといわれたら嘘だというか、そうかもしれないと思うか。日本人学者の多くは欧米の学問を勉強しています。欧米の学問を勉強してきた人で全部じゃないでしょうけどそれを否定することは自分の立脚点を否定することになるでしょう。そうだとしたら情においても、また自分の立脚点確保の点からも日本を否定するのはありうることだと思います。もともと否定していた人なら別に問題はありませんが、そうじゃない場合が困り者ですが。
最後にマッカーサー神社とひっくり返っただけだという話を。
江戸時代にこんなことを書いている日本人がいます。外国とは中国です。
「私は以前から外国の書物を好み、日夜、勉強してきましたので、このごろ渡来した書物は存じませんが、十年前までに来た書物なら、ほとんどどれも一読しております。そのため、いつのまにか外国のことを全て良いと思うようになり、わが国は小国だから何につけても外国に及ばす、だから聖人も外国に現れたのだ、と思っておりました。これは私ばかりでなく、古今の学者は皆そのように考えてまして、外国を慕って学んできたわけです。ですが、最近になって初めて、この考え方は誤りだとわかるようになりました。伝聞のほうを信じて自分の目を信ぜず、近きを軽んじて遠きを重んずるのはいうまでもなく、学者の通弊でありましょう。この件については『中朝事実』に書きましたが、ここにあらましを述べておきます」
本の名前が出ていますが、山鹿素行のもので内容的には「日本の朝廷こそが中心であり、日本こそ『中華』である」としたわけです。学者の性向を見ると面白いですが、しかしよく考えてみると山鹿素行の考え方は中華を理想系にしてそこから日本こそ中華であると論じているわけです。ベクトルの方向が中華から日本に向いているだけで中華の否定論ではないですな。
学者が考え方が変わったといっても実際の思考構造は同じで、ベクトルが逆になった場合はしばしばありえます。「戦果累々たる皇軍の神兵」から「戦果累々たる米軍の神兵」に変化するのは容易です。学者だけでなく日本人だってマッカーサー神社を建てようとしたのですから日本人の中にはすさまじい人もいるものです。
福地先生の今般の「補論」には、根本的・全面的に共感共鳴申し上げるところでございます。
一昨日(28日)、私は、足立様のゲストエッセイに感応し、当欄に拙文を寄せ、加えて、バガボン(ド)を名乗る執拗な寄稿者に対し露骨な風諫を投げ掛けたところですが、その意とするところは貴先生がこの「補論」において懇切に、また機鋒鋭く、かつ理路整然と御解説下さったところと全くに重ね合わさるものでございます。
吾が国において、勿論、言論・思想は自由ではありますが、吾が国の「国民」と云う立場を自覚し、悠久の御先祖・父祖達を畏敬し、無限の子孫達に慈愛の念を抱き、吾が民族の国家観・歴史観の真実を真摯に探求しようとする志操を持つ者であれば、況してや、現下の吾が国を呪縛する「敗戦国体制・敗戦国イデオロギー」を打破して祖国の歴史の尊厳と光輝ある国のあり方を復権し、父祖達に浴びられた汚辱を晴らし、吾々同世代や後輩達、子孫達に刷り込まれた卑屈を祓い矜持を取り戻させるために「新しい歴史教科書をつくる会」に集い応分の献身を志すほどの人士であるならば、自ずとその姿勢は明瞭となりその旗幟は鮮明となるものと確信致します。
福地先生はその「つくる会」の副会長と云うお立場で御尽力せられ、不肖私もその支部の役員・地域の世話人として微力を尽くしている者です。勿論、篤学の最高幹部と平凡な一会員とを同日に談ずるのは僭越至極ではありますが、福地先生も私も、ともに日本民族としての世界観・人生観を堅持する「国民」であり、そのような自覚に立つからこそ、その国家観・歴史観は、知識の大小・洞察の深浅の差異こそあれ、その視座において、憶念の情意において本質的に同一であり、その見識と志向する方向は根本的に重なり合うものであると、とく認識するところでございます。
他方、同じ「つくる会」の会員であったとしても、大正デモクラシーの教養人の亜流然として「世界人」を気取り「無国籍の放浪者」を自認・自称する御仁が相手であれば、当然「国家観・歴史観」の類も根本的に異なるであろうし、いや、「世界人」イコール「人類」であり、その「人類」なるものは「類概念」に過ぎず、実在する日本人(日本民族)、ユダヤ人(ユダヤ民族)、英国人(アングロサクソン)、ドイツ人(ゲルマン)等々、文明・文化創造の主体となる「民族」やその共同体を構成する「国家・国民」とは明らかにカテゴリーを異にする代物であり、実は「国家観・歴史観」の対象となり得る実体をもたない幽霊の如きものであることから、そのような「幽霊」に憑依されて虚談・空論に時間をダラダラと浪費する御仁との間で噛み合わない議論を延々と続けても、所詮何も生まれない、マイナスしか生じないものであるとよくよく承知致します。
然り乍ら、福地先生の「補論」を拝読し、内紛で大揺れに揺れ、なお余震の収まらぬ「つくる会」において、このような「国家観・歴史観」を堅持される碩学が、執行部・会の中枢においでになることに、大きな希望と期待とを満腔に感ずるものでございます。
「つくる会」の創立者のお一人であり、初代会長であられた西尾幹二先生は、「つくる会創立の本来の精神は、「一文明圏としての日本列島」を堂々と胸を張って言い続けることに外ならない。自己を普遍と見なし、決して特殊と見ないことである」と標榜されました。自らの「国家・民族」の文明・文化の主体性を自覚することが、国家の自尊と健全な民族精神を回復し堅持してゆく行程の始めであり、また、国際社会において、他の「国家・民族」の自尊と矜持を真に理解しそれを尊重しつつ、共存共栄する新たな秩序をつもに構築してゆくための前提であると信じます。
その意味においても、嘗て、西尾先生、坂本先生が中心になって執筆・編集された当初の「歴史教科書」が、その格調においても雄々しさにおいても、そして内容においても、創立の理念を真っ直ぐに具現した見事な教科書であったと、今でも確信しております。
吾が国の政権が小泉氏から安倍氏へと事実上「禅譲」される流れにおいて、中国・北朝鮮の吾が国に対する露骨な軍事的恫喝が陰に陽に更に強まる中、経済社会の構造がその根底から著しく非日本的な米国方式に変革される中、吾が国の米国への傾斜と隷属は更に深刻なものになってゆくことが深く憂慮されるところです。
そのような流れの中であればこそ、新生「つくる会」が、現下の「親米リライト教科書」を、本来の「世界の中の日本文明教科書」に今一度リライトして復元し、勿論「産経新聞」にも媚を売らす、他方、最近おかしなシナを作る「朝日新聞」にも幻惑されず、頑固なほどの主体性をもって力強く運動を進めて下さることを、先ず第一に福地先生に、そして理事会の硬骨の諸先生に、また、評議員会の百戦練磨の諸先達に、心底御期待申し上げ、ひたぶるにお願い申し上げるところでございます。
勿論、私ども支部・地方の一人では非力な会員も、相互に呼び掛け、互いに啓発し合いながら、全力をもって応援申し上げる所存でございます。
末尾は、つくる会の地方の一会員の本部への陳情のようになってしまいましたが、意のあるところをお汲み取りいただけますなら、幸甚この上なく存じます。
vagabondさん、お返事ありがとうございます。
vagavondさんは
とお書きになっています。
私がブログに書く目的を聞いたのは、貴方が他の方の投稿姿勢と異なるので、いったいどういうスタンスでお書きになっているのか、その立場を今一度確かめたかったからです。
管理人が投稿目的がわからない人にその目的を聞くことは、当然のことです。
それが、vagabondさんの解釈によると
「このブログは○○という考えの持ち主だけが参加を許されるクラブなのか」という疑問です、ということになっています。
これは、私の管理方針に係わる見すごすことのできない誤解であり、論理の飛躍であると言わざるを得ません。
つまり、vagabondさんは私の質問に対して、私の意味する所を、自分勝手に飛躍的解釈をなさっています。
今回の投稿の中にも他にも同じような飛躍がいくつか見受けられますが、今までの投稿の中にも、同じような自分勝手な飛躍があるのではありませんか?
福地先生の文章に対して、
「福地さんの「証明」は証明になっていないことを証明したい。」とおっしゃっていますが、論理に飛躍がある場合、証明とはなりえません。
今後の文章を、自分勝手な飛躍のないもので展開なさいますように、ご注意申し上げます。
長谷川さん、
という部分を見落としていました。
私に対する非難や質問が多くの人から寄せられ、その上、回りくどくて私を批判しているかどうかさえ
分からない文章があります。
また、
のように、答えようのないこともあります。
極力対応すように心がけることはもちろんですが、うっかり抜かすこともありますので
そのときは注意をしてください。
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いつもながら松井さんの文章から「要するに~」を読み取ることが難しいのですが、
私なりに「日本人は洗脳されやすい民族だ」という風に解釈します。
明治維新後日本では「江戸時代は後れた時代だった。明治時代は全く新しい時代だ。
古い殻を捨て、新時代に適応しよう」という風な宣伝が広くなされたと聞いています。
これを後世「明治維新史観」と呼ぶ人もいます。
これも一種の洗脳です。
戦時中、「鬼畜米英」、「撃ちてしやまん」、「一億玉砕」などのさまざまな洗脳が
繰り返されました。
アメリカ占領軍も検閲などさまざまな方法で”洗脳”しました。
戦時中の洗脳は日本人の手によってなされていますが、「敗戦とともに去りぬ」でした。
実は明治時代の「洗脳」はごく最近まで続いていたようです。
「鎖国」、「士農工商」などという
言葉も事実もなかったらしいし、江戸時代の人口は中国(当時は清ですか)、インドを除けば世界最大で、
非常に進んだ先進国だったという評価が最近多くなりました。
また「江戸時代の農民は米ではなく、稗や粟を主食にしていた」など
というのも、事実ではありません。
もちろん西欧の機械文明や、近代的な政治体制という面では確かに「遅れていた」のですが、
いうほど遅れた国ではなかったのです。
明治政府の「洗脳」は一世紀以上かかって少しずつ「解けて」来ているようです。
日本人の価値観というのはかなりの幅で揺れているのです。
アメリカの「洗脳」のうち我々が受容れるべきものと、そうでないものとがあり
それを峻別する作業は非常に大切です。
現行憲法は第九条を除けば特に問題はないと思います。
しかし改正議論そのものを否定するつもりはなく、
よい意見には賛成していきます。例えば、民族の歴史や伝統を大切にする条項は必要です。
教育基本法についても現在の改正議論を見守っています。
総合学としての文学さんの【バカボンド氏が護持したい1945年体制】という言葉は、
受容できません。
変えるべきものと変えてはいけないものを峻別する、これが大切です。
アメリカ占領軍による「洗脳」を声高に叫ぶ人は、要するに福地さんのように、
「大東亜戦争は侵略ではなかった」と言いたいだけなのではないのでしょうか。
逆に「大東亜戦争は侵略戦争だった」と主張することがアメリカによって「洗脳されている」
と断定することも、知性の貧困ではないかと思います。
ちなみに私は日本史の授業を受けていないし、大東亜戦争についての議論は殆どが自習から生まれたもので、
アメリカの洗脳とどう関係があるのか、理解できません。
「それが洗脳の恐ろしいところだ」というのが答えでしょうか。
長谷川さん、
私の誤解です。
あなたのような趣旨なら、別に問題はありません。
一言二言弁解すれば、「疑問」といっただけで、断定しているわけではありません。
さらに、私に対し「このブログの趣旨に反するお前は去れ」という発言が多いからです。
あなたがそういう発言とは一線を画しておられると聞いて安心しました。
福地先生の「補論」拝読しました。
本当はVagabond氏の批判に付き合う必要もありませんが、先生が誠の人であるがゆえの深切な対応と思います。
「補論」の内容は納得できます。大東亜戦争の背景に謀略が潜んでいることはいまや常識、幾多の論文がそれを教えています。その実相は必ずしも万巻の書を読まなくとも、まともに感を働かせれば、あらかた福地先生が示唆された視点は飲み込める筈です。
戦後、今日に至るまで我が国は徹底的に占領軍の日本弱体化政策に悩まされました。日本人の心魂を芯から喪失させたのが日本国憲法の押し付けであり、そのまた背中にかぶせたのが教育基本法でありましょう。いかに戦勝者といえども、そこまでやるとは!・・と誰もが思う筈ですが、肝心なことは、その裏に、2発の原爆投下や、無差別都市爆撃なども含め、日本民族の心根とは根本的に異なる「敵側の悪」をきっちり見定めることではないでしょうか。Vagabond氏は福地先生からその幼稚を指摘されているのも、両面性思考の欠如、それ以上に思想の貧困、想像力の貧しさをつとに指摘されているのでしょう。
歴史は長期的にみなければ分かりません。過去500年の歴史が白人の天下であったことは疑いありません。大東亜戦争が、欧米が築いてきた植民地化を遮断し、とりわけアジア各国を独立に導き、欧米中心の500年の流れをストップしたことは事実です。
私の畏友が言うには、「日本人はとかく司馬遼太郎の影響を受け、明治に比して昭和の時代を暗い時代と切り捨てるが、冗談ではない。日露戦争勝利の歴史的偉業は否定できないが、大東亜戦争はそれこそ、それ以上に東亜諸国を欧米の桎梏から解放した意味で、日露戦争の比ではない」と、湯気を立てて主張します。よくよく考えるとそのとおりです。
西尾先生が日本人はとかく「他者の悪」を直視しないと指摘されますが、歴史評価は長いスパンにおける冷静な視点からの考察とバランス思考、さらには、日本人であれば、日本人の民族性に対する「信」をいかに持するかが大切と思います。
そういう正常な視点さえあれば、南京大虐殺にしてもあり得ないことを直感できる筈です。ナチのユダヤ人虐殺にしても、未だに600万人ジェノサイドを信じている人も多い世の中ですが、これさえも詳しくは論じませんが、大幅な修正がかかっています。事実に耳を塞ぐこと(ドイツ・ヴァイツゼッカーの言葉とは違った意味で)、また直感を無視することは、自ら歴史の真実から逃避することになります。さらに云えば、アメリカインディアンが強制労働と疫病により、人口8000万人のうち6000万人が殺されたという事実を、われわれはどう受け止めればいいのでしょう。かつて奴隷商人が1000~2000万人のアフリカ人を運び、奴隷獲得の戦いでその何倍ものアフリカ人が殺されたとも言われています。そんなことに目を瞑る歴史論議など、どこに真実を見出せるというのでしょうか。
Vagabond氏の所論は、歴史解釈のスケールの狭さにおいて、終始「井戸の中の蛙」論議であり、議論が噛み合わないのは致し方ありません。福地先生が言われるように「狭い見解の独白」にすぎないことをあらためて確認しました。
過般の戦争は、政治・軍事戦略という面から見れば(日本に限らず)愚かな面もたくさんありました。しかし、どうしても抗することのできない歴史的宿命の壁に阻まれたこともたしかです。歴史評価は「宿命」を考慮せずして談ずることはできません。小林秀雄はそのことを理解できる数少ない知識人の一人でした。愚かさも悲しさも飲み込んで、祖国の来し方を、愛情をもって理解しようとする努力。歴史学習とはそういうものではないでしょうか。福地先生の所論「昭和の戦争」は、そのように読むべきではないでしょうか。
これからの国づくり、人づくり・・は、日本の長い歴史を貫いて流れる「日本文明」の底力をどう認識するかにかかっていると思います。「日本文明観」「歴史観」には、これから世界の模範になるものがたくさん包含されている、というのが、世界の偉大な知性の直感であります。
そのような観方が確固としたものであれば、日本人が中国に「位負け」することもないでしょう。歴史の浅いアメリカの思想的縛りにあうこともないでしょう。
日本人のDNAの原点はそこにあり、『国民の歴史』も『新しい歴史教科書』(初版)も、日本人が久しく忘れてきた思考の原点、自国の価値を教えるものでした。大雑把に言えば、日本人は戦後この方、自分の頭で、まともに日本国の来し方、日本の歴史を見つめてこなかったのです。
国家観、歴史観、主体性・・・・易々と他国の批判に合わせるべきではありません。
ところが、聞こえてくるところでは、すでにコキントウと安倍氏は、水面下で10月以降、日中首脳会談を約束した。中国は靖国問題批判を控える。日本は首相(安倍氏)の靖国参拝(8/15)を控えることにした・・・と。
日本はまだこれから、長い時間をかけて、日本国民の意識の再生運動と、覇権国との政治的妥協を繰り返しながら迷妄の旅を続けるのでしょうか。
>vagabondさん
早速のお返事ありがとうございます。
誤解を誤解ときちんとお認めになりました。そのことに感心しています。
今まで大勢の皆さんとvagabondさんは絡みあってこられましたが、そのほとんどのみなさんから貴方は意志の疎通が出来ないと判断されていらっしゃるようですね。
それは、ここは誤解、あるいは飛躍ではないか?という問いかけに対し、今回の貴方の対処とは異なり、かたくなに自分の解釈を固執されてきたからではないでしょうか。
今から福地先生の論文に対して反証をなさろうというのですから、まずはもつれた糸の最初に戻り、ご自分の論旨の中に人が指摘するような飛躍があったか、なかったか、その点を確認しなおしてみてはいかがでしょうか?
皆さんの遣り取りが煮詰まってきているようです。メイン・ディッシュは之くらいにしてサブ・メニューから一品こさえました。お口直しに御笑覧頂ければ幸いです。
永田町のノイジー・マイノリティー加藤紘一が8月29日永田町の外人記者クラブで日本社会で進行している”個人の浮遊化”(floating individuals)をナショナリズムの拡がりと結び付けようと、おそ松君的論理を展開しました。
三島由紀夫氏は晩年、石原慎太郎との対談の中で、 戦後日本の保守陣営が易々と「左翼に食べられちゃたもの」として第一がナショナリズムだと述べています。
加藤紘一が、家庭・地域・職場というコミュニティが崩壊しそれらとの絆を失った個人がナショナリスティックな行動に向かいやすくなっていると錆びた警鐘を鳴らしていたのは上の三島氏の鋭利な分析を裏付けています。
自宅の焼失で世間やマスコミの同情を引き、それを言論封殺的な右翼の跳ね返りの犯行だと糾弾して、健全なナショナリズムの高まりを邪悪なイメージに転化しようと躍起でした。
犯人が車に残していたのは『SAPIO』ただ一冊と繰り返し強調していたのはその意図からであることは明らか。
火付けの犯行者は65歳の初老であり、戦後生まれの若者・中高年を含めた殆どの日本人は思想を背景にした過激な行動に向かうような教育を受けておりません。 頭が空っぽで自制心のない者は思想的な熟慮を経た行動には出れません。
そんな者どもの”浮遊化”が引き起こす凶行は破廉恥か短絡的な犯罪が関の山。新聞の三面記事や週刊誌の中吊広告に踊るタイトルを見れば判ります。
因みに三島氏は上の対談で左翼に食われてしまった第二は反資本主義、第三は反体制的行動、四つ目のごちそうはまだ取られていない、”天皇”だといっています。四つ目の”天皇”は、現在に至るまでの間は左翼に取られていませんが昨年から今年にかけて累卵の危うき目に遭いました。
秋篠宮第三子ご誕生を期してその攻防が再開されるのでしょうか。
三島氏は、左翼は利口で天皇という丸薬を食ったらたいへんなことになるから飲みたがらないだけで自分はこの丸薬をじっと持っているんだと述べ、対談相手の石原に”(三島さんは)天皇を座標軸にする日本人”だと呼ばれていました。
ここに至って左翼は「天皇制」を”女系天皇”という異質な要素、喩えればがん細胞誘発因子を皇統のDNAに組み込み、数十年かけて二千年連綿と繋がれた皇統を溶かし消し去ってしまおうと遠謀を巡らしています。 ”天皇”を護り”天皇を座標軸にする日本人”であり続け歴史・伝統・文化を継承するには保守にも深慮が必要なときだと思います。
しなの六文銭さん>
あの加藤宅を襲撃したのは単なる新宿にたむろう暴力団じゃないでしょうか。警察の調べが徹底され背後関係がわかればきっと解明されると期待しています。
vabagondさん>
>いつもながら松井さんの文章から「要するに~」を読み取ることが難しいのですが、私なりに「日本人は洗脳されやすい民族だ」という風に解釈します。
<いつもながら松井さんの文章から「要するに~」を読み取ることが難しいのですが>は正直な感想でしょう。私に言わせればいつもながら勉強不足をこっちにもってきて貰っても困ると何度か書いていますけど。初めから「私や貴方は洗脳されやすい人間だ」と書いたら貴方の嫌いな決め付けになるでしょ。実際には私は明示的には書いていませんが、日本人の習慣に従って暗示的に書いているだけですけど。
私なら<日本人は洗脳されやすい民族だ>でなく<日本人は洗脳されやすい民族だを意識化する>をとりあえずの作業仮説として理解してもらってもいいと考えるでしょう。わずかな違いですが随分意味は違います。面倒だから説明しませんが。
>明治維新後日本では「江戸時代は後れた時代だった。明治時代は全く新しい時代だ。古い殻を捨て、新時代に適応しよう」という風な宣伝が広くなされたと聞いています。これを後世「明治維新史観」と呼ぶ人もいます。
これも一種の洗脳です。
~
>明治政府の「洗脳」は一世紀以上かかって少しずつ「解けて」来ているようです。
まではとりあえずいいでしょう。
やっと貴方が洗脳があったということに実証的に認めたことは認めましょう。ただ貴方がそのシステム的怖さを自覚したのを認めたわけじゃない。また私自身も実際に敗戦前の日本が弱肉強食を是としていたかどうかを認めたわけじゃない。
このわからなくなった原因の一つにGHQの焚書坑儒があったことは事実ですが、日本側も歴史を見れば前の時代を否定することでなかったことにする習慣があるからますます実証的に調べる方法がないから苦労します。そういう意味でGHQが隠そうとした書籍を再読することは前の時代の考え方や価値観を再発見するにはいい方法だろうと私も思います。私の趣味は落語や歌舞伎など古典芸能で江戸時代の黄表紙や明治時代の講談本などを古本屋で読んで、こりゃ江戸時代は暗黒時代というのは嘘だなと実感的に思ったものです。
明治以降戦争終結まで日本が「弱肉強食を実践していた」かどうかもよくわかりませんと書きましたが、もしかすると日本は日本で違ったやり方をしただろうと私も思うからです。中国で満州国を建てたのは侵略だという論立てがありますが、中国の歴史から見ると万里の長城以北は中華ではありません。詳しくは書きませんがもしもこれを認めないと沖縄や八重山諸島は中国領土になってしまいます。それどころか日本が中国の属領であると言い出しかねないからです。清王朝も漢民族が作った国家でなく異民族である夷が作った国家です。そして蒋介石自身が無主の土地であり日本の言い分を聞いてもいいとまで考えている証拠があります。かといって満州国に国家の独立した主権があったかどうかは判断を保留します。
南京事件のような大虐殺は中国の歴史では何度となくありましたが日本ではせいぜい織田信長の比叡山の焼き討ち程度でしょ。そして日本人は中国の民族性を聖人が生まれた土地の民族だと思い込んでいたのですから。
もっとも外国の評価そのものが逆転するのは日常茶飯事です。日清戦争後に中国に対する評価は逆転し、今度は敗戦後に逆転し、中華民国との条約を違約して中華人民共和国と日中平和条約を結んでまた逆転しました。この不思議なメカニズムを明らかにしないといけないと私は考えてます。
もしかすると日本文化の中に言論統制は日本語の中に存在するかもしれないのです。特に日本文化の中にある「小異を捨てて大同につく」という考え方や「集団主義」と決め付けられる「人間の関係性を絶対視する文化」の中にありうると考えています。だから政治家ではなく言論人である西尾幹二が「小異を捨てて大同につく」という言葉に嫌悪感を持ってもそれは理由のあることだと思います。私は個人主義より集団主義が嫌いではないですが、これを意識なしでイデオロギー的に使うのは嫌悪感を感じます。
日本の幼児教育は人=親を信じることから始まります。聖書にあるような人間は原罪を持った存在であるという前提からは始まっていません。私は懐疑主義に何とも言えぬ違和感を感じますが、おそらく根底に何か懐疑主義(何でも疑いを持って当たる)に反する価値観が潜んでいるのでしょう。
だからといってそれは米国の洗脳を是と認めたわけじゃない。
従って
「日本人の価値観というのはかなりの幅で揺れているのです」を認めますが、それが米国の洗脳を是とする話にはなりえません。
というのは「どうして日本人の価値観がかなりの幅で揺れている」という理由はどうしてなんでしょう。メカニズムがあるはずです。
そこに意識が向かないと以下の論立て
>アメリカの「洗脳」のうち我々が受容れるべきものと、そうでないものとがありそれを峻別する作業は非常に大切です。
は米国が洗脳を日本劣化目的でやっていなくて、善意でやっているという前提がありますから受け容れません。憲法の話も同様です。
>現行憲法は第九条を除けば特に問題はないと思います。
一例をあげれば私は前文に大きな問題があると見ていますけど。憲法9条を否定しているから前文の平和の根幹は否定しているのでしょうけど、それだけでなく前文の国家観は日本人の特殊な性善説で彩られた人間観をそのまま国家観に当てはめただけで、受け容れやすいだけの話だからです。個人を国家に当てはめるなという議論はもう繰り返しません。米国にとって日本人の国家観がその特殊な人間観の類推で好都合だからでしょ。まさか憲法前文に近代國際社会は「弱肉強食を是としている」とは書けないでしょうけど。
<日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって>の部分はまるで日本で平和と秩序維持をもとめた江戸時代に作られた人間の関係性を説明する文章のようです。
<平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。>の部分は「和を愛する日本国民の公正と信義を信頼して、その集団にわれわれの安全と生存を保持しようと決意した」と集団主義的に書き直しても違和感はありません。まだ他にもきっと地雷が埋めてあると思いますよ。
貴方は自習で勉強したとのこと。どういう著者のどういう名前の本か知らせていただけませんか。そんな多くの本を読んだわけじゃないけど。勉強した本をまさかGHQの洗脳を批判する本じゃないでしょ。
余談:保守系の人間で多くの?商人が国家意識がないと書くかたがいますし、私は多くかどうは知りませんがそういう人間もいるだろうとそれに賛成しますけど、国家が国民を守ってくれないのなら、また世界が弱肉強食ならホリモンや村上ファンドのような国家意識がなく弱肉強食の人間が出てきたっておかしくないと思いますよ。銭や経済合理性を絶対の基準にすればそれは守銭奴であったり、弱いものは負けて当然だと思う人間が出てきてもおかしくはありません。そして政治家の多くは商人が稼いだ銭を湯水のように中国へ向けているのだもの。非難する相手が違うだろうと私は思いますけど。
今日は31日、明日は西尾論文の載った「正論」が出る日ですから貴方との議論はもうやめます。おそらく安倍政権の話で似たような議論が繰り返されるでしょう。そしてそれは作る会の思想問題に行き着くのでしょう。まあまだ西尾論文を見ていませんから空想でしかないですが。
『「小さな意見の違いは決定的違い」ということ』のエントリーがいよいよ始まりましたね。
どのような論文となるのか興味が尽きません。
私なりに予測を立てておりましたが、果たしてどのくらい照合できるかが楽しみであります。
今回は先生の学生時代の経験から話しがスタートしていますが、単純にその設定は意外でした。
しかしそれは、論建てがかなり厚みのあるものだろうと期待もできます。
国内が徐々に様々な動きを見せ始めた時代にあって、いまだ戦前・戦中の体験が生々しく残っている背景の中、若者達が口角泡を飛ばしながら一つの道に突き進む姿が、後のビデオなどで象徴的に放送されていましたが、この現象は今考えまするに、当時の若者達には自らの立ち位置の確認行動の一つだったのではないかと思えます。
ただし選択肢がどれくらいの幅を有していたのかは解りません。特に私達の世代(安保闘争以降の世代)にとりましては、彼等を動かした原因はどこにありどこに行こうとしたのかが予測できず、色々と思いを巡らしますと、あれは虚像だったのではないか・・・いわば麻疹(ハシカ)のようなもの・・・と受け止めることが一番理解しやすいのかなと思ったりもします。
しかし、その現象があまりに激しかったせいか、物事をあまり簡単に見定めてはいけないのだろうとも思います。
彼等はおそらく闘う精神の存続をどこかで願っていたのでは無いか・・・そうとることも可能なわけですが、それを彼等が主体とすると、反戦というスローガンが丸つぶれになりますから、闘争心を丸出しにさせることは、できるだけ避けたのだろうとも思います。
ですから結果的には彼等自身の中で理論が分裂していたとも言えるわけで、いつしか闘いの存続ではなく反国家主義の思想に飛びつかざるをえない事態を生んだのではないか、そう思うことも可能です。
それによって内部は更に矛盾を孕み、本来護国を主旨に闘って来た者達が、いつの間にか違うレールに乗せられていることに気付き始めた。
一種のファナティズムがそこにはあり、いかにそうした異常な突進が容易に発生するかを、当時の若者は身をもって理解したとも言えるのでしょう。
おそらく当時はデモンストレーションに参加しない者は『裏切り』『無能』『弱虫』の烙印を押される状況さえあったに違いない。
しかし、よく考えてみれば、大勢に逆らう勇気こそ真の勇気であり、おそらくこの点をバガボン氏は主張したいのでしょうが、だからといってまるっきし反対の極に行ってしまっては、本来の目的は果たせ無いわけです。さてここからが重要な論点となりますが、『「小さな意見の違いは決定的違い」ということ』の意義は、一つの論に異義を申し立てる際、手綱をオモイッキリ張り詰める反論をしても議論はフリーズするだけで進歩は生まない。
これは乗馬の経験がある方はご理解いただけるかと思いますが、議論は前に進まなければいけないわけで、それを目的として手綱を操るには、バランスを保つ能力が要求されます。
しかも荒れ狂う馬から振り落とされない技術と信念が一番大事で、最後まで根気よく粘らねばならない。
傾き過ぎた体制に微妙な重心移動を続ける体力も必要となります。
お解り頂けたでしょうか。
私はこの点に着目し論を張らねば、何事も結果は生まないという持論を持つ立場です。
また、私が拝した尊敬できる論説者には、共通してそれが備わっていると感じます。
私もそうありたいと願ますし、おそらく最も険しい道標だろうとも予想します。
>長谷川さん
この投稿が早過ぎると感じられた場合は、『「小さな意見の違いは決定的違い」ということ』の連載終了時に再投稿させていただきますので、その際はご面倒かけますがメールをください。
>布袋和尚さま
暗喩による批判でも、「幽霊」など否定的な形容は避けてください。
みなさんにとってはあいまいなルールでも、私の中ではきちんと対処していきたいと思っていますので、ご協力よろしくお願いいたします。
あるものを批判するのに、相手の論理の矛盾、飛躍をきちんとつけば、大勢の無言で読んでいる人には理解されるものです。あえて、形容詞をつけて文学的にしなくてもできると思います。そして、相手をしないつもりであれば、一切言及しないようにお願いいたします。
長谷川先生今晩は。
私は長い間ここのコメントを読むだけにしていました。
今日ここに書くのは、長谷川先生の決めたルールに賛成することを言いたいからです。
よく言われることに、日本の人は論議が苦手だというのがあります。
私はそのことを、ここのコメントでもでも感じます。
ここのコメントでは、他の人が言ったことについて賛成か反対か、そしてその理由を書けばよいのだと、私は思います。
でも、日本の人は、それを言わないで、関係のないことを言います。
たとえば「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言がありました。
誰かが何かを観たり念じたりしているかどうかは本人にしか判らないことです。
でも、本人以外の人がそれ言えばなにか自分の言うことに理由をつけますか?それとも理由を強めますか?
答えは「いいえ」です。
また、他の人を「放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。」と言っても同じ事です。
どうして日本の人は、「賛成か反対、その理由」を言うことと違うことを言うのですか?
それが私の疑問です。
だから、そういうことをやめなさいと言う長谷川先生のルールに賛成なのです。
『讒謗に応答する』に答える
*****************
福地さんは讒謗に応答するとして、私に反論した。
そこで彼の論の矛盾を指摘し、「満州事変・満州国樹立は侵略でない」に反論する。
なお、讒謗(ざんぼう)とは「あしざまに言って人をそしること。誹謗」とある。
満州事変や支那事変のいきさつは非常に複雑で、簡単には書けないが福地さんの論文を基本に、経過を簡単にまとめてみた。
1. 日露戦争後の満州における利権
アメリカは日露戦争への協力の代償として満州における利権参入を求めたが、日本は「ヤンワリ」拒否した。アメリカは怒り、その後の日米関係を悪化させる原因になった。
1905年以降約20年は一見このまま平穏に推移した。
しかしこの代償は20年後支払うことになる。
この約20年間、中国は大揺れしたが、満州の利権にはそれほど影響はなかった。
その間の重要な出来事は、中国の内乱、第一次世界大戦などである。
① 中国の内乱・・1911年の「辛亥革命」で清は滅び、孫文が「中華民国」を樹立するも、その成果を袁世凱が奪ってしまう(実際は取引)。しかし袁は国民の不人気で挫折、失意のうちに袁世凱は死に(1916)、それ以降、1928年蒋介石が全土を掌握するまで、国内は軍閥による内乱に陥る。
② 第一次世界大戦(1914-17)
日本はドイツに参戦、ドイツが所有していた山東半島の利権を確保しようとしたが、反日運動(1919年の「五四運動」など)で放棄。
山東半島での日本の行動は、中国人の反日運動に火をつけるという皮肉な結果をもたらした。
しかし、内乱のために、火の粉は満州まで及ばなかった。
しかしひと時の「平安」を破る事態が起こる。それは蒋介石による「北伐」だった。
2. 北伐
蒋介石は1926年段階で中国南部の軍閥を平定し、残るは張作霖(北京)だけとなった。
その張作霖を討つための北伐を開始し(1926)、それが満州を脅かすと見た関東軍(だけではないが)は不安に駆られた。
蒋は北伐を一時中止するが、1927年「国民政府」を樹立(南京)すると再び北伐(第二次北伐、1928.5)を開始した。
政府はこれを牽制すべく、日本軍を派遣した。両軍は済南市で衝突(済南事件)した。
蒋は済南を避けて北京入城を果たした。
関東軍は(北京を守っていたはずの)張作霖のふがいなさに困惑し、彼を爆殺した(1928)。犯人は関東軍参謀河本大作大佐だった。この重大な軍規(だけではない)違反にもかかわらず処分は軽微(予備役に配属)で、禍根を残した。
福地さんはこの件には軽く触れているが、その後の日本を誤らせる大きな原因の一つになったことを忘れてはならない。
張作霖の息子の張学良は(父を殺された恨みで)日本には従わず、蒋介石に帰順。これによって中国統一が達成(1928)され、関東軍はさらに困惑した。
統一達成で蒋介石は強気に、外国利権の回収にいっそう励むようになった。
これで関東軍はさらに危機感を強め、ついに次の大事件を引き起こす。
3.満州事変と満州国「樹立」
1931.9.18、関東軍作戦主任参謀石原莞爾らが、柳条湖(満鉄線路爆破)事件を起こして満洲制圧に決起した。これが「満洲事変」である。
さらに次の年には「満州国」を樹立した(昭和12.3.1.)。
福地さんはこれ(謀略)を合理化するため、日中両軍の数、中国を狙うソ連と中国の「小戦争」(1929.7)を挙げている。
また「政府の公式政策ではなく、出先関東軍の独走」としながらも、「既得権が防衛された」と評価している。
さらに、「塘沽停戦協定」(1933=昭和8.5.31)で「満州国」は事実上承認され、満州事変はここで決着した、ゆえに満州事変は侵略ではない、という。
しかし中国は日本の侵略を内外に大宣伝し、宣伝戦でおしまくられた。
この陰に共産ロシアの陰謀があるともいう。
4.リットン調査団と国際連盟脱退。
国際的な批判に押されてリットン調査団が派遣され、中国への侵略と断定した。
これを不服として日本は国連を脱退した(1933.3.)。
************************
以上の経過から「満州事変・満州建国は日本の侵略でない」と彼は結論するが、いくつかの矛盾や難点が含まれている。
A アジアの解放は疑問。
福地さんは(日本政府の国家戦略は)【・・昭和時代には「東亜(アジア)の解放」と言われたが、要するに西洋列強=白人覇権勢力の圧迫から植民地支配の悲哀に陥り恐怖に慄く被抑圧諸民族=有色諸民族を解放することである。】
つまり、アジアの解放が日本の大戦略であるというが、中国もアジアであることを考えれば「有色諸民族の解放」と「満州における利権確保」とは元々両立しえ得ない難しいテーマである。
北伐は「中国統一運動」であって、植民地解放の前提である。
北伐によって満州における利権が脅かされるとして日本は軍事介入したが、これは西欧列強と同じ論理・行動ではないのか。
それを糊塗するためか、彼は次のように述べる。
【架空の理論・・・「支那は完全な統一国家ではない。それ故、一般的国際関係の規範である国際法の諸原則を直ちに適用することは困難である。それにも拘らず、連盟諸国は、架空の理論を弄んで現実を直視していない」(日本政府見解)。満洲事変・満洲建国は「侵略」と言う概念に合致しない。】
また、
【阿片戦争以降、ここに至るまでの凡そ八十年間、唯我独尊的な『中華思想』を改めず、殆ど効果の上がる自助努力もせず、国内統一も達成できず、況や、共和制国家と称してはいても、近代的国民国家には程遠い状態に有りながら、先進列強に平等・対等の権利を与えよと要求しても、理不尽と言うものである。】
これも西欧列強と同じ論理・行動ではないか。
B 弱肉強食時代の条約など
福地さんは、【何時の時代にも普遍的に存在する国際政治の常識は、「弱肉強食」の論理なのである。】(補論より)、そして
「(我が国は)生真面目に国際法を遵守しようと努力した」
と強調する。
これはその通りである。
しかし、弱肉強食時代の条約などとはどういうものか。
要するに強いもの(国など)が弱いものを武力で屈服させることである。
それがあからさまな、問答無用の政策ではなく少しやわらかく「条約」という形を取っているだけである。
よく読むと、彼のいう「遵守しようと努力した国際法」はたいてい日本が中国に押付けたもので、これを遵守するといっても「力ずく」と同じことである。
なお、「弱肉強食」の論理は敗戦後も続いたわけで、敗戦時に結んだ条約(ではないがそれに順ずる)「ポツダム宣言」、「東京裁判」なども、日本対中国が逆の立場(アメリカ対日本)から【生真面目に遵守】すべきではないだろうか。
福地さんは『昭和の戦争』(本論)でアメリカの占領政策を口を極めて非難しているが、ダブル・スタンダードだ。
Pazzo様
【たとえば「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言がありました。
誰かが何かを観たり念じたりしているかどうかは本人にしか判らないことです。
でも、本人以外の人がそれ言えばなにか自分の言うことに理由をつけますか?それとも理由を強めますか?
答えは「いいえ」です。】
私には、あなたの言っていることが理解できません。
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」
という「発言」に対して「賛成」か「反対」か、その理由だけを述べよ、ということなのですか?
>pazzoさん
管理人としてのルール設定?に賛成してくださりありがとうございました。でも、私は先生と呼ばれるのは恥ずかしいので、「長谷川さん」と次回からは呼んでください。
議論をしている人は、その評価を第三者に委ねるしかないと思います。
>東埼玉人さん
pazzoさんがおっしゃりたいのは、
西尾先生のそれまでの論に反対か賛成かその論を展開するにとどめよ・・・・・「どうやらこの先生には経済観念がないらしい」という一言が余計である、ということではないでしょうか。
私はそう解釈しました。
結局一連のvagabondさんへの違和感は、西尾先生や福地先生にこれこれの理由で反対・・・・・と、そこまでで収められていれば、ここまで大きくならなかったと思うのです。
終わりにひとこと、ご自分の判定、ご自分の評価をあたかも絶対のように付け加えられたから皆から攻撃される元になりました。
ルールは遡ることはできませんから、この後の議論を実り有るものにするためにも、このような「余分な一言」を入れないで議論できるようにに決めました。
東埼玉人先生、さっそくのお返事ありがとう御座います。
私の発言が理解できないと東埼玉人先生は言いました。
だから、説明を加えます。
【たとえば「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言がありました。
誰かが何かを観たり念じたりしているかどうかは本人にしか判らないことです。
でも、本人以外の人がそれ言えばなにか自分の言うことに理由をつけますか?それとも理由を強めますか?
答えは「いいえ」です。】
Aが言いました。
「どうやらBは経済観念というものがないらしい。」
でも、Bが経済を観たり念じたりしているかということはBにしか判らないことです。
Aが上のことを言うことになにか意味がありますか?
Aがそれを言うことでAにとって利益がありますか?
私はないと思います。
それが私の言いたいことです。
東埼玉人先生は、Aに何か利益があると思いますか?
あるとしたらそれは何ですか?
もう少し言い足します。
日本の人はどうして意味や利益のないことを言いますか?
そして、その相手の人は、どうして「意味や利益のないこと」に別な言葉で「意味や利益のないこと」を言いますか?
そういうことを繰り返してするから、論議にならないのだと思います。
だから「日本の人は論議が苦手だ」と言われると思います。
昨日、都内で 元公安調査庁調査第二部長・菅沼光弘氏の講演があった。
「世界と日本を揺るがした2つの謀略・極悪犯罪事件 9.11事件とオウム事件」・・再度、事件は起こるのかというタイトルであったが、衝撃的な内容であった。
浮浪の民 ユダヤ人は民族存立のためには、いかなる苦労も厭わなかった。彼らの先人たちがなぜ船を繰り出し、アメリカ大陸へ、今の南アへ?・・・これらは、彼らがヨーロッパにおける弾圧を切り抜けるがための止むを得ざる行動でもあった。
戦後はそんな犠牲を厭わずどこまでも「イスラエルのために」を合言葉に、批判を覚悟で行動してきた。この世界は神が創り給うたもの。神の意思に従った方向にこの世を変える。ハルマゲドンの思想を武器に、あえて謀略も辞さず。
クリントンはアメリカ経済を日本による「失われた10年」と受け取り、国内に喧伝し、日本に対してあからさまに経済戦争をしかけた。まさにアメリカの国益のために日本経済の仕組みを潰そうとした。昔はこういう謀略を行なう資金源として「麻薬」が使われた。河南省の近く、五台山方面には芥子の花が豊富、岸信介でさえも満州国建設のため利用した。当時、悲しいことに、日本は本当に「金」がなかった。鮎川義介が資金調達のためサッスーンに働きかけた。日本側はその代償に日本側の情報を彼らに提供せざるを得なかった。その結果、アメリカをして日本経済の実態を知らしめることになったわけである。開戦から敗戦まで、これが尾を引いていた。
オウム真理教はいったい何をやったか。高野山大学の高僧はオウム教団を批判しなかった。理由は、オウムがバーリー語原典をすでに読み解いていたが、高野山大学には、そういう研究をする人材もいなかった。つまり勝てない、とふんだからである。オウム教団は、明らかに日本乗っ取りを企てていた。ある日、国内のN箇所で、飛行機からサリンをばら撒かれたら、今の日本はなかった。サリンはほんの少し吸っただけで即死状態。その被害は想像するだけで恐ろしい。
当時のロシアは冷戦に敗退し、お金もなく国全体が自信喪失。オウム教団のロシア進出はまさに「渡りに船」であった。ロシアはオウム教団を利用して、日本壊滅を目論んだのであろう。サリンはいたい誰がつくったのか? 誰がノウハウを提供したのか?
オウム裁判で、法務省は最初から破防法適用に反対。当時の官房長は適用に賛成していたが、その後更迭された。彼らは国内的にしか事件をみない。矮小にしか見ない。外国も含めた陰謀的視点で見ようとしない。ロシアは明らかにオウムを利用したのである。
結局破防法適用も却下された結果、何が残ったか・・・オウムは未だに存在している。
世界の現実とは、こんなものである。生き延びるためには何でもやるのだ。
アメリカという国は、大事を執行するとき、民主主義の国であるから、きまって巧妙に大衆を動員する。戦争に駆り立てるとき、イスラエルを守るため、青年のいのちを犠牲にしてでも、やることはやる国である。
盧溝橋の一発は八路軍によるもの。つまり国共合作を推し進めるため。
南京虐殺数も30万でなければならなかった。原爆死傷者数は27万とも・・・なんとしてでも、それを上回る数字でなければならなかった。10万では彼らにとって意味がなかったというわけである。間違った数字でも世界に喧伝すれば世界は納得する。なぜ、こういうデタラメな数字がまかりとおってきたのか。メディアがユダヤ系だから。
日本人がよくいう「外交は話し合いで・・」 国際舞台の外交とはそんな甘いものではない。
日露戦争に必要な金はユダヤ資金のお陰が大きい。これを、日本人は忘れてはならないだろう。ユダヤ人は日本人に恩を売った。
過般の戦争時の日本も「貧乏」だった。悲しいことだが事実。上海のユダヤ財閥に頼らざるを得なかった。しかし今の価値で判断してはならない。当時、他の方法があっただろうか。
明治の初期、東京帝国大学の外人御用学者の90%はユダヤ人であった。当時のヨーロッパ人がなぜ、日本くんだりまで来るものか。学問の世界でも差別があったのである。
・ ・・・・・・・・・・
このような話を聞くと、センチメンタルな戦争論議がいかに浅薄であるか分かろうというものである。未だに敗戦ボケで過去の戦争を一方的に断罪する御仁には、正直付き合っておれない。
西尾先生は『正論10月号』で、「今日、本当の敗戦が訪れている」「国家のことを回避したい、考えることを回避したいという思いがなければ日本人じゃないんですよ」「(ミサイル発射は)最初から米国の仕掛けだったんです」「一番恐いのはアメリカなんです」・・・といくつもの示唆を投げかけてくださっている。
西尾先生のリアリズムも、福地先生の所論も、ともに国際政治の「非常さ」(国際謀略・陰謀も含む)を前提に展開しているのだ。いまさら断るまでもないことだが、敗戦ボケの人たちには、海の内外も同じという感覚なのだろう。日本の「特殊」は、あちらと比較してかなりもの、という評価があってもいいのではないか。
そう言えば、トケイヤー氏が、日本への資金調達で貢献したヤコブ・ヘンリー・シフが来日後、当時日本の保護国だった韓国へ向い、仁川で「この国(韓国)には法律があっても法がない。日本はこの混乱した社会を立て直す、困難な仕事に取り組んでいる」と書き残したと言っている。
シフは日韓にまたがる歴史の異なった「宿命」を的確に伝えているのである。
よいも悪いもない。歴史に翻弄された裏には「見えない宿命」を抱えた悲しい現実があることを、敗戦ボケの人もしっかり見定めて欲しいと思う。
西尾先生の「国家のことを回避したい。考えることを回避したいという思いがなければ日本人じゃないんですよ」・・・は言葉足らずでした。・・・先生はそれを、国家を大切に考える真の保守主義者とは対照的な、今の日本人が微妙にもっている心理として、その現実を否定的に語ったものです。
以上『正論10月号』を読まれていない人のための補完説明でした。みなさま、どうぞ『正論』を熟読して周囲にお伝えください。
Pazzo様
管理人様
なるほど、解説されて読み直してみれば、その通りに理解することはできます。
ならば、
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらい。」
という発言について、直接注意してくださらないのですか。つまり、過去に遡って何故言わなかったかを問うているのではなくて、「日本の人は論議が苦手」などという大袈裟な問題にするのですか?といっているのです。
そもそも、議論とは、単にあることに賛成か反対か、その理由は、という形に限定されるものではない。相手の言葉から、相手の想念をを推定ることは十分可能であり、必要なことです。指摘された想念が異なるのであれば、それに反論する、それが「議論」というものでしょう。
私は、「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言に執拗に食い下がりましたが、それは決して西尾先生に対する「失礼」をとがめ、先生の「権威」を守ろうとしてしたからではない。vagabond氏のかの発言が、西尾先生の「経済」に関する発言を風化させるものであると感じたからに他ならない。
ご承知の通り、西尾先生は「経済を語らぬ保守」を叱っておられる。8月15日の集会においても、軍事と並んで経済との二本柱が崩壊しつつある危機を訴えておられる。(雑誌「正論」10月号参照。)前者については「保守」内にそれなりの合意もみられるものの、後者については全く合意が見られない。むしろ、経済問題はタブーであり、それが小泉批判を抑圧する状況を形作っているとさえ言える。そして、西尾先生が経済の「素人」であることをもって、(多くの論者達は)先生の警鐘に無視を決め込んでいるのである。
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言は、そのような状況に棹さすものである、よって無視し得なかったのである。つまり、それをいった当人には、それをいうだけの理由があったのだ、と私は判断しています。(幸いにも、てっく氏をはじめ多くの人が議論に参加され、vagabond氏に対する批判もなされ、当初の「意図」は無化しているので、それ以上「取り消し」や「謝罪」は求めていないのです。)
「新ルール」は一応了承しているものの、正直、薄気味悪い思いもします。
布袋和尚氏の「幽霊」発言に対する管理人さんのご注意など、「言葉狩り」と紙一重ではありませんか?
Pazzoさんと東埼玉人さんの論争から
Pazzoさん、あなたのコメントから判断すると、日本生まれの方ではない様に思います。そのことは何の問題もありませんが、コメントの内容には若干の疑義があります。
>よく言われることに、日本の人は論議が苦手だというのがあります。私はそのことを、ここのコメントでもでも感じます。
ここは、客観的に見て、全くPazzoさんのおっしゃる通りだとおもいます。しかし、それ以外の部分はどうも違和感を感じます。
まず、ここでいま問題になっているのは、vagabondさんのコメントに対する反論や評価に関わって、論争が噛み合わなかったり、私の発言を含めてですが、不適切な表現も飛び交ったということです。それでも、このブログに登場した方々すべてが、「日本の人は論議が苦手だ」の見本のように言われるのは不満でしょう。
>ここのコメントでは、他の人が言ったことについて賛成か反対か、そしてその理由を書けばよいのだと、私は思います。
ここは、Pazzoさんの考えとして、立派な意見だと思います。しかし、
>でも、日本の人は、それを言わないで、関係のないことを言います。
という部分は、文化の認識の違いだと思います。日本人のスタイルとして、よくあるのは、あからさまに相手を非難せず、いわゆる婉曲に表現して、その意を伝えようとします。その婉曲な表現のテクニックが文化レベルを示すものでした。しかし、時代を経て、テクニックそのものが低下してきた事や、欧米的な文化の影響で、婉曲表現そのものを否定的に捉える人々が多くなった事により、言語表現で見れば、正に混在の時代の様相を呈しております。
関係ないことといわれるのは、不本意で、これこそが相手を貶めない振りをしながら、自らのレベルを誇示する日本文化の本質部分でもあります。心やさしい人ほど問題点を直接的には指摘しません。関係ないことではなく、関係ないように見えるということです。そうした手法を用いて、互いの思いを正しく伝え、正しく理解する能力や技術や暗黙の了解が薄れてきた事の結果です。例えば、万葉集時代の恋歌の掛け合いは、ダイレクトな表現は殆んど見られず、暗喩、比喩のオンパレードで、日本の伝統の原点とも言えます。もちろん、日本だけに限ったことではありませんが。
ただし、vagabondさんが、論争の当初に「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」と言ったことを、Pazzoさんは特に問題がないが如く言われておりますが、喧嘩ならともかく、日本の社会では、相手に対する最大級の貶めの表現なのです。「あなた意見は間違っている」という言い方の何十倍の辱めを受けたようなものです。これが伝統的日本文化です。
>日本の人はどうして意味や利益のないことを言いますか?そして、その相手の人は、どうして「意味や利益のないこと」に別な言葉で「意味や利益のないこと」を言いますか?
ということで、こうした言い方も、日本人に対し、あなたの価値観はおかしい、日本人の文化はおかしいと侮辱されていることで、日本人の気持ちから言えば、なんで日本人の特性そのものを否定されなければならないのかと感じるでしょう。
Pazzoさん、論争の勝ち負けよりも、互いに調和し、争いを避け平穏に暮らそうとしてきた日本が、我が利益の最大化を図ろうとして争いの日々を続けている国々の世界に船出し、苦しんでいます。あなたはどちらの文化をよしとしますか。あなたがどちらの判断をされるかまでは介入できませんが、そうした一面をご理解のうえ、東埼玉人さんのご質問を、もう一度読まれたらどうでしょうか。ブログ論争は文化の一面です。
長谷川 様
先ず以て、管理人としての毎日毎日の御精励、御心労に深甚の敬意を表し上げます。
御警告の二点、先ず「「幽霊」などと云う否定的な形容は避けよ」について、8月28日付のコメントの「浮幽霊」については御指摘のとおりかと思われます。以後、留意致します。
他方、8月30日付のコメントの「幽霊」については、前段は、バガボン(ド)氏自身を直接的に誹謗したものではなく、「「人類」なるものは「類概念」に過ぎず、国家観・歴史観の対象となり得る実体を持たない「幽霊」の如きもので」と一般論を述べたものであり、また、後段は、「その「幽霊」が如きものに憑依されて」と前段を承けての文脈です。而して、前段での表現を指摘されたとすれば、それは「言葉狩り」にも等しく、後段について指摘されたとすれば、それでは文脈はスムーズにつながらず、私としてはイササカ不本意なところではありますが、ルールを定め、その内容(解釈)を定義して統一運用されるのは専ら管理人の権能と責任によるところでありますから、警告の御趣旨は念頭に置き、以後、留意することと致します。
しかしながら、私は、元来が粗野で横着な男であり、むしろ「余分な一言」にこそ味がある思っている破戒坊主でありますから、愚僧の太鼓腹の如くまたまたルールの衣をハミダスことが直ぐにもあるかも知れません。その時は、真摯な管理人にお手数をおかけして誠に恐縮に存じますが、再警告なり、伏字なり、不掲載なり、適時適切な御措置をお執りいただき、御指導に与かると云うことで、何分宜しくお願い致します。
次に「相手にしないのなら、一切言及するな」について、確かに道理としては、管理人として貴方の仰るとおりです。
ここ暫くは、このブログにアクセスすれば嫌でもバガボン(ド)氏のコメントが目に入り、それに目を通す度に、同氏の相変わらずの、何処やらの小学校で式典に国旗を掲揚した校長に対し土下座を要求した小学生の如き「小児病的正義感」の一本調子の理屈に辟易させられ、聞けば「「反米保守・ウヨク」と戦うために乗り込んできた」と云う、つまり、このブログは鬼ガ島で、西尾先生や福地先生やその他常連の論客達は赤鬼、青鬼、子分の鬼どもで、御自分はそれを退治しにきた桃太郎であると云わんばかりのバガボン(ド)氏の稚気と非常識と無神経さに対し、不快感を募らせて癇癪を破裂させ、「議論の相手にする気など更々ない」と云いながら、コメントの折々にバガボン(ド)氏のそれを指弾し続けてまいりました。
「議論の相手にせず」と云いながら、同氏を一方的に指弾してきたことは、確かに私に非があります。ここに、その非礼をお詫びするとともに、「議論の相手にせず」との前言を撤回し、これからは、同氏に対し直接にものを申してゆくことと致します。
ただし、吾が国の「国民」として「国の大事」について建設的な議論を志向する私としては、御老齢に至って未だに蒙を啓けずに放浪を続けておられる御仁との間でマトモな議論が出来るとは全く期待しておりません。場違いな所に居座って往来を騒がせている御老人に、それが迷惑以外のナニモノでもないことに気付いていただくよう、時には慇懃に、時には辛辣に、管理人のお決めになったルールに留意しつつ、指摘し批判し、或いは助言させていただくつもりです。
バガボンド 殿
上記のような理由により、貴殿に対する私の従前の非礼についてお詫び申し上げます。
ただし、これは「議論の相手にせず」としながらも「一方的に指弾してきた」と云う「姿勢」についてであり、「指弾してきた内容」についてでは、決してありません。ユメユメ誤解をなさらないように
さて、早々と福地先生の「応答」に対する「反論」をお始めになられたようですが、その一文に目を通した限りでは、貴殿は、未だ、米国の所謂「ヴエノナ文書」とともに脚光を浴びている、ロシアにおいて1990年代末から公開され、京大の中西輝政教授が盛んに紹介しておられる旧ソ連・コミンテルンの諜報文書(リッツキドニー文書)などは、全く参照しておられないように見受けられますが、専門の学者に堂々の反論をなさるのであれば、これらについて少しは勉強なさってからの方がよろしいのではないですか。老婆心までに!
本日は娘の結婚式があり、コメント反映が大きく遅れたこと、お詫びいたします。
なお、なるべく言葉狩りにならないようにするつもりです。
皆様いろいろ、ご不満もおありでしょうが、冷静になって論旨の飛躍や独善を見つけあうことが互いに勉強になると思いますので宜しくお願いいたします。
『讒謗に応答する』に答える(2)
讒謗(ざんぼう)=事実を偽って悪口をいう。人をそしる。
『讒謗に応答する』に答える、の続編として軍部独走と、共産主義の謀略について述べよう。
1.軍部独走
先に書込みをしたが、plurals という概念がある。複数者という意味である。
福地さんは「日本は・・」と「日本」をあたかも単一の、一枚岩の国として記述しているが、日本という国は国民、政府、軍部などを分けて考える必要がある。
三者が同一(意見)のこともあるし、、異なることもある。
また、国民内部でも同様一致するとしないときもある。
満州事変・支那事変は軍部主導で行った戦争(事変)である。このことは福地さんも一部認めている。
例えば、張作霖爆殺事件について、彼はこう述べている。
【これは明らかに日本政府=田中外交の構想を超えていた。外地での不祥事を昭和天皇から厳しく叱責され、田中は恐懼の極、頓死するに至った。田中の満蒙政策はこれで頓挫した。】
政府は軍の「後追い」をするだけで、定見はなく、具体的な戦略を出せなかった。
なお張作霖爆殺事件、柳条湖事件のほか国内で軍人が起こした「三月事件」(1930)、「十月事件」(1931)、「5.15事件」(1932)などに対する処分が非常に甘く、これが「2.26事件」を引き起こす誘引になったともいわれる。
本来の民主主義国家では、軍部は政府の「下」にある。政府の指示によって軍部が動くわけで、その逆ではない。
しかし当時の日本では、こと中国政策に関しては事実上軍部が政府の上にあった。
それを「保証」したのが統帥権問題、現役武官制である。
1930年ワシントン軍縮会議に絡んで「統帥権干犯問題」が起きる。
残念なことに、政友会の犬養毅、鳩山一郎がこの問題を持ち出し、軍部を喜ばせる。これが既成事実となり軍の動きに政府が主導権を持てなくなってしまった。
現役武官制の詳しい歴史は省略するが、1913年に廃止された後、「2.26」事件を受けて1936年復活する。
これによって、軍部の気に食わない内閣や決定には「引き上げる」といって脅し、結局政治を牛耳ることとなった。
2.共産主義の陰謀
○ 中国政策は政府ではなく軍部の主導であったことは先に述べた。
しかし軍部には「共産主義」対策に熱心であったとは思えない。
例えば、
資料(1)、2.26事件『決起趣意書』には「・・学匪、共匪、大逆教団・・」などの言葉はあるが、ハッキリと共産主義と対決するとは言っていない。むしろ軍部独裁が主眼である。
資料(2)、北一輝『日本改造法案大綱』でも同様。以外にも「私有財産の限度」を謳うなど、共産主義に近い主張だ。
もっと簡単に言うと、ここに敵国人2人がいて一人は思想的に真っ白な軍人で銃を持っている。もう一人は武器をもったいないが共産主義者であることが分かっているとき、こちらの軍人はどちらに注意を払うだろうか。
言うまでもなく前者で、それが軍人の役目だ。
憲兵はいたが、原則として軍隊内部の警察である。尤も日本では思想犯を取り締まった。しかし、情報戦には向いていない。
結局、中国政策を主導(独走に近い)した軍は共産主義に対抗できないのである。
○ もう一つ重要なことは、謀略に対抗するには「味方」を多くし、敵を孤立させるのが最善の策であるということだ。
しかし大陸では逆に、味方まで敵に回した。
本当に中国で共産主義が脅威で、(中国)共産党を撃つには蒋介石やアメリカと手を結ばねばならないのに、敵に回したのである。
これは軍主導の戦争(事変)だったからだ。
○ そもそも張作霖爆殺事件、柳条湖事件は日本(軍)の謀略であった。それを棚に上げて、共産主義の謀略にしてやられたというのはこっけいというほかない。
彼はこういっている。
–
ソ連=コミンテルンのアジア攪乱戦略=日本帝国主義攪乱戦略の目的は、日本と支那の軍事衝突を長引かせるところに有った。それ故に支那の内戦状況の激化に伴い、否応なしに日本軍は大陸の泥沼に引きずり込まれていった。
—
それを引き出したのは日本軍で、対策どころか「敵」の味方を増やす方向でしか動かなかった。
今日の結論。
満州事変・満州国、満州事変は軍部が政府を無視して行った(国内法から見て)不法行為で、その不法を追認するような(ものの)見方には納得できない。
また、共産主義の謀略(それが実際にあったとしても)は完全に日本軍部の落ち度である。
布袋和尚様
話題になった「幽霊発言」について、何度も和尚様のコメントを読ませていただきましたが、実体なきものを比喩されただけの表現で、なんら問題はないと思います。こういう表現のほうが、むしろ国連の性格・実体を的確に知らしめることができます。私はうまい表現だなと感心させられました。
歴史・伝統から遊離した発言こそ、ときに「幽霊発言」と批判されてしかるべきでしょう。戦前に置かれた国の立場、為政者の立場を一方的に裁く姿勢もいかがなものか。そこに、ときには非情な国際政治に翻弄されてきた国の、為政者の宿命にも思いを寄せるという臆念の心、愛惜の心を言葉に添えて議論すれば、より理解も深まり、コミュニケーションがつながるのではないでしょうか。
どんなサイトへ入り込むにもルールがあります。和尚様は土足で入り込むのは、ルールに反するのではないでしょうか・・・と紳士道を以って諭されておられる。議論そのものに蓋をするでもなし。それ以上でも、それ以下でもないと理解します。
vagabondさんはおもしろいな。
非常に重要な概念と自称する「小異を捨てて大同につく」をどこで使うのかと思いきや、まったく使っていないで満州事変を批判してら。そりゃそんな批判は出来ないよね。昭和期の歴史はある意味で「小異を捨てて大同につく」が悪く出た結果だものな。そう考えると戦後の経済成長は「小異を捨てて大同につく」がうまくいった場合かもしれないけど。
軍部という一般的概念を使って個別の事件を裁くことは出来ないだろうと私は思うけど。まあそれはいいとして、国内法がバックボーンにあってに違反している違法行為であるという論立てだよね。
余談だけどこれだけ明確になっているのなら貴方が誉める読売新聞の論説の矛盾に気付かないかな。
読売新聞は明確に昭和天皇は憲法に従ったから責任はないとしている。読売新聞も国内法に従って天皇は裁けないと論じているわけだ。しかし矛盾は東条英機が一番の責任者であるという結論のバックボーンが国内法ではないわけ。東条英機を国内法の何で裁くのだろう。陸軍刑法であるのは辱職ノ罪かな。東条英機はサイパン陥落により日本が長期戦を戦えなくなった責任を取って首相を退陣したから辱職ノ罪では裁けないよね。国内法で裁けないものに責任があるというのは何か読売新聞の論説がおかしくはないと考えないかな。
第3章 辱職ノ罪
第40条
司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵二降リ又ハ要塞ヲ敵二委シタルトキハ死刑二処ス
第41条
司令官野戦ノ時二在リテ隊兵ヲ率イ敵二降リタルトキハ其ノ尽スヘキ所ヲ尽シタル場合ト雖6月以下ノ禁錮二処ス
第42条
司令官敵前二於テ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ隊兵ヲ率イ逃避シタルトキハ死刑二処ス
実はこの40条や42条は玉砕の原因の一つだという説もある。「尽スヘキ所ヲ尽サスシテ」というのは主観的な基準だから司令官からは降伏しろとはいえないというわけ。
さて満州事変の話題に戻って
<満州事変・満州国、満州事変は軍部が政府を無視して行った(国内法から見て)不法行為で、その不法を追認するような(ものの)見方には納得できない。
また、共産主義の謀略(それが実際にあったとしても)は完全に日本軍部の落ち度である>
で述べている国内法って何かな。陸軍刑法の擅権ノ罪かな。
第2章 擅権ノ罪
第35条
司令官外国二対シ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑二処ス
第36条
司令官休戦又ハ講和ノ告知ヲ受ケタル後故ナク戦闘ヲ為シタルトキハ死刑二処ス
第37条
司令官権外ノ事二於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅二軍隊ヲ進退シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ禁錮二処ス
第38条
命令ヲ待タス故ナク戦闘ヲ為シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ禁錮二処ス
第39条
本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
これで仮に<司令官権外ノ事二於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅二軍隊ヲ進退シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ禁錮二処ス>の法を犯したかどうかはvagabondさんの論説では言及されていないよね。というのは当時の日本側の国際的な説明は防衛のために行った、陸軍刑法でいうところの<已ムコトヲ得サル理由>に相当する部分を説明しているのだと思うけど。またはパリ不戦条約の自衛戦争に相当している部分を説明しているのだと思うけど。
私がvagabondさんの議論で一番わからないのは貴方が結果が悪ければすべて悪いと考えているように思えてならない。その一番典型的なのは大東亜戦争に対する評価に現れている。その一方でまったく別の局面では法を基準にして論じている。
仮に<その不法を追認するような(ものの)見方には納得できない>でなくて<結果が悪ければすべて悪い>を逆転させた貴方が非難する<満州事変を追認するような結果がよければすべてがよい>を考えても論説には矛盾がある。あ!私はおそらく当時陸軍刑法で裁かれてもいいようなことを日本陸軍の現地の指揮官が命令したのは事実ではないかと疑っているけど。
満州事変は結果的に塘沽協定で中国は事実上満州国の建国を認めることとなったのだから、それは貴方が使っている法を基準で考える考え方からいえば責められないのじゃないの。不法を追認するような(ものの)見方には納得できないというなら満州事変は日本の思惑通りになったのだから国際法的にはOKだよ。
長谷川先生おはようございます。
「先生」はご辞退とのことですが、私の周りには普段から博士先生や修士先生が多いだけでなく、どのも私に多くのことを教えてくれます。
日本人の母も、この世の中のことは全部師匠だって言っていました。
だから、どの人も先生なのです。
私は、長谷川先生が決めたルールに賛成するということが言いたくてここに書きました。
その立場は変わりません。
そして、その目的で、いまは書きます。
東埼玉人先生
東埼玉人先生のお気持ちも理解できないことはありません。
ただし、東埼玉人先生は、「どうやらこの先生には経済観念というものがないらい。」という発言に対して、ご自身が「どのような立場」をとり、「どのような目標」を達しようとして、「どのような発言」をする、ということを、ご自身の権利と責任で決めたのではないですか?
そして、それらが適切だったかどうかは、その結果で評価されます。
長谷川先生は「一部議論がかみ合わない状態」と評価されました。
当然のことですが東埼玉人先生一人がここの論議の全ての責任を負うわけではありません。
vagabond先生も、他の人も同じ事です。
「一部議論がかみ合わない状態」ではどの人も、各々の立場で目標に達することができません。
それを長谷川先生は賢くも見て取ったのだと思います。
その原因を「これは、おそらく論述すべき内容が、一部人格攻撃になっていることなどに起因しているように思われます。」と名指ししました。
そしてその原因を取り除くため「基本的ルール」を決めたのだと思います。
長谷川先生が名指しした原因と、私が「日本人は論議が下手」と感じる原因はかなり一致します。
だから、長谷川先生が決めたルールに賛成します。
東埼玉人先生は、このようなルールが先にあればよかったと思いますか?
ルールというものは生き物のようなものです。
常に進化していくものです。
東埼玉人先生も他の人もその進化のプロセスに参加できたことを誇りに思うべきだと思います。
—
田舎のダンディ先生
田舎のダンディ先生は、西尾先生と新田先生の論争の時から、ユニークな視点をもった人だと、私は思っていました。
今回も、日本人の伝統文化から発言しました。
とても勉強になります。
私は、日本の人が日本の伝統文化に誇りを持つ事は賛成です。
伝統文化を背景とする発言や動作がよい人間関係を作って保つために意味がある事にも賛成します。
母も「けんじょうの美徳」と言っていました。
でも、今回の一つの連続した論議で、その伝統文化は用いられましたか?
用いられたとしたら、どのように用いられて、それは有効に機能しましたか?
用いられなかったか、それとも用いられても有効に機能しなかったから「一部議論がかみ合わない状態」が続いたのではありませんか?
それとも、有効に機能したから「一部議論がかみ合わない状態」となったのですか?
どちらだとしても、長谷川先生の管理人としての目的に合致していなかったと思います。
この連続した論議はそういう評価を受けました。
だから、新しいルールができました。
この事は、伝統文化を背景とする発言を用いるべき場合とそうでない場合があると言うことを想起させます。
たとえば、田舎のダンディ先生は日本の裁判所を見たことがありますか?
裁判所では、訴訟の当事者は、証拠から事実を証明して法律を適用して目的を達しようとします。
そこでは婉曲な表現は使われません。
証拠から判決まで、ロジックが鎖のように一つ一つ連続して初めて成り立ちます。
これは、大昔のギリシャローマでも、今の日本の裁判所でも同じです。
でも当然、ここは裁判所ではありません。
それでも、異なる意見が生じたときはその賛否を論ずる必要があります。
ソクラテスがおこなった討論などはそうでした。
今回、長谷川先生はロジックに重点を置いた発言を求めました。
このようなところでは、そちらの方がふさわしいと私は思います。
ここまでが私の発言の本体です。
—
あと、言い足します。
「日本人は論議が下手だ」と言われるときに、「言うべき事をハッキリ言わない」という評価がよく言われます。
私から見ていると「言うべき事」ではなくて「言いたいこと」を「ハッキリ言う」ように見えます。
利益も意味もない「言いたいこと」を言い、その発言に対して利益も意味もない発言を引き起こすのです。
その代表として私が名指ししたのが…
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」
「放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。」
でした。
逆に、「言うべき事」は、ご自身の目的に相応しいロジックの通った発言だと思います。
そして、ロジックの通った発言にも、相手に対する礼儀や思いやりを込める事は出来ると思います。
以上です。
先の投稿(9月2日)で「また、共産主義の謀略(それが実際にあったとしても)は完全に日本軍部の落ち度である。」
と書いたが、次のように変更する。
福地さんは『昭和の戦争』でさまざまな(コミンテルンなどによる)謀略を紹介し、「それにしてやられた」としているが、たとえそれが全部真実だったとしても、その原因は主として日本軍部にある。日本軍部の落ち度である。
–
もう一つ追加する。
福地さんは、前回にも引用したが『昭和の戦争』のはじめのほうで、次のように書いている。
【生真面目に国際法を遵守しようと努力した】というが、では河本大佐が起こした張作霖爆殺事件は国際法違反ではないのか。
もちろん国際法に殺人まで規程していない。規定するまでもないからだ。
この事件は国際法以前の問題であり、今風に言えば「テロ」である。
こういうことを福地さんは承知しながら、【生真面目に国際法を遵守しようと努力した】というのは全く理解できない。
このほか柳条湖事件も福地さんが認めるとおり日本軍人による謀略である。
満州に関して2回も謀略事件を起こしておきながら、何が国際法を遵守しようとした、だ!
どなたかが書いていた。このブログでは『限りなく日本側から見た世界感(観の誤り?)を研ぎ澄ます』ことが目標らしいが、その観点から以上の件を考えたらどうなるのだろうか?
あまり推測で書くのはよくない。
Pazzo さん
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」
というのは私の発言です。
リニア新幹線を建設すべきだ、との西尾さんの発言に対し私が書いたのです。
実は、その前に
で、西尾さんが小泉首相は「弱者切り捨て」だとか「公平・公正の伝統を破壊した」などと述べていました。
そこで、小泉改革は膨大な借金を抱えた財政危機を乗越えるための一つの方法ではないか、と私は書きました(2006年07月04日 21:44)
ここで私は「西尾さんは財政危機を感じてみえないのでは」と思ったわけで、そのあとまた、カネのかかるリニア新幹線が出てきたから先の「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」と述べたのです。
2回続いて財政支出を求める(減らすことを批判する)発言があったから、カネについてほんまに考えてるんかいな、と書いたのです。
つまり西尾さんは財政についてどう考えておられるのかを推し量って書いた文章です。
少し気になるのですが、Pazzo さんは「観念」という言葉をどのように解釈されているのでしょうか。辞書には4つほどの意味が書かれていますが、ここでは「物事に対する考え。見解」という意味で使っています。「観たり念じたりする」とは少し違います。
素人英語ですが concept とか sense とかが当てはまるのではないかと思いますが・・・。
Pazzo さんの言われるように、他人の「心」の内を推し量って言うときは十分気をつけるべきでしょう。
Pazzo さん、追加です。
あなたは十分ご承知の上で書いておられると思いますので、失礼とは思いますがあえて指摘します。
「経済観念がない」という言葉は、「金銭を効率的に使い、うまくやりくりしようとする考えがない、または、弱い」という意味です。
>皆様へ
サーバーのトラブルにより、一日アクセスできない状態になっていました。ご迷惑、ご心配をおかけした皆様にお詫びいたします。
松井さん、
ハッキリしてください。
8/31 には、
といいながら、
一方、9/3 には私の書込みを批判している。
一方、管理人さんからは
といわれています。
いわば「反論」の義務があるわけです。
「vagabond とは議論をしない」と言いながら、あなたが(私に)コメントするのは矛盾していませんか。
どちらかにしてください。
また、布袋和尚さん、
あなたからもご意見をいただいております。
答えるべきかどうか迷っています。
せっかく本を紹介していただいたのですが、今のところ読むつもりはありません。
この本の内容が「定説」になったら、改めて考えます。
vagabondさん、Pazzoさん、長谷川管理人さんへ
私は「西尾先生の意見だから、何でも賛成」という立場ではないと言ってきました。何でもよしとする信奉者ではないけれども、高い見識と表現力を持ち、いかなる問題にせよ、言論人、文化人として、世論を喚起し、一家言ある姿勢を貫くことは並の人間では出来ないことだと高く評価しております。
時には妥協をしない激しい主張によって、周囲との軋轢を引き起こし非難されておりますが、例えば「狂気の首相で、日本は大丈夫か」という問いかけによって、世や権力に迎合しない姿勢を貫いております。賛否はあったとしても、小泉首相の中に潜む問題点に焦点を当てたわけです。だから、功罪を言えば、小泉首相の功をよしとする私のような者にも、傾聴すべき多くの指摘や見解が含まれており、大変勉強になるということです。
その西尾先生がある講演をするということで、あらかじめ内容のレジュメを紹介し、その中の一行で「小さな違いこそ決定的な違い」を示されました。誰でもすぐお分かりだと思いますが、世の常識と相対する「小さな違いこそ決定的な違い」というフレーズが、どこに論者のこだわりがあるのかを示す主張のポイントなはずです。この一点が、絶対譲れない部分なのだと、内容を聞いて初めて理解することです。
一方、「小異を捨てて大同に付く」と常識的に受け入れられる考え方であっても、ある立場の人間は、あるいは、ある問題、ある部分については安易にこうした姿勢を取るべきではないという、大切にすべき生き方の規範を述べておられると理解できます。
いずれも、講演の内容を聞く前から「小さな違いこそ決定的な違い」と「小異を捨てて大同に付く」というフレーズをただ単純に比較し、正しいとかおかしいと言うべきことではなかったはずで、講演を聴いてから初めて反論が始めるべきなのです。
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という言い方もそうですが、俗に言えば、思い上がった対抗意識を燃やして、人の屋敷に土足で乗り込んで、けちばかりつけているようなものです。失礼をも顧みず、私が vagabondさんに疑念を感じ、反論した点の一つです。
しかし、もっとも反発すべき西尾先生が、vagabondさんの非常識と言える指摘に対して、まことに優しい対応に見えますが、エントリーとして取り上げられました。このことに関しては、vagabondさんは、先ず自らの数々の非礼をわび、感謝して、それから礼節に則って反論を始めるべきです。
ブログ管理人の長谷川さんが、困惑してブログコメントのルールを再確認とか、再規定とか、論議がかみ合わないとか、不適切な表現を拒むとかのお話しをされ、何人かのコメントの内容について例を挙げて触れたのは、紛れもなく、vagabondさんの論争姿勢に対する牽制のためだと思います。
あからさまに、vagabondさんだけを槍玉に挙げることをせず、本来咎める必要のなかった何人かの論者の真摯な姿勢を信頼し、その方々をたしなめる形を取り、いらぬことで vagabondさんに揚げ足を取られないようにして欲しいということと、vagabondさんが自発的に自らの姿勢を正して欲しいという、思いやりの気持ちを込めた、長谷川さん流の日本文化的表現方法なはずです。もちろん、長谷川さんはこのことを肯定するほど嫌味な方ではないはずですが。
Pazzoさんは、そんなことは意味がないとお思いになるかもしれませんが、日本人としての素養が下地にある方にとっては意味があるのです。勝ち負けを争うだけでなく、こうしたやり取りによって、空気を作っていくのです。簡単に言えば農耕文化的村社会です。もちろん、受け入れがたいと思う若い世代も増えているでしょう。
実は、vagabondさんは、これまでの言説を見る限り、既に十分すぎるくらい理解されているはずです。しかし、自らの信念からいって、歴史的見解の根本の違いが許しがたいのと、論争自体が生きがいなので、論争という範疇に入ると、相手が誰であろうと「歴史見解の違いが決定的違い」となって、すべての日本的価値観を排除するのです。そこには「小異を捨てて大同に付く」なんて精神の入り込む余地はないでしょう。このことだって、私にとっては「小異」であっても、vagabondさんにとっては「大異」なのですから。
vagabondさん、私が以前に指摘したとおり、感情的にはともかく、論客としてのあなたの一面を西尾先生は、高く評価されているかもしれません。同じような言を繰り返して申し訳ないのですが、ここで論争されるなら、都合の悪いコメントは無視して自論を絶対視する姿勢を改め、日録でのコメントは面白い、勉強になると世の評価を高めるようにされたらどうですか。もちろん、一部は、そうした修正方向に入っているようにも見えますが、まだ、侵略を絶対否定する気持ちと裏腹に、余りに攻撃的ではありませんか。
vagabond先生今晩は
vagabond先生は私の発言に丁寧な説明をしました。
ありがとう御座います。
私はその事について思ったことがあります。
そして、少し判らないことがありますから質問します。
思ったことについて書きます。
vagabond先生は言いました。
>つまり西尾さんは財政についてどう考えておられるのかを推し量って書いた文章です。
人の考えは、本人か神様にしか判らないことです。
それを推し量る事になにか意味がありますか?
「どう考えておられるか」を知りたければ、人はどうすればよいでしょう。
それを尋ねればよいのです。
しかしvagabond先生はそれをせずに推し量って言及しました。
神様にしか判らないことを推し量って言及するのはどんな目的のために行いますか?
自分が神様になりたいからですか?
それとも自分が神様だと思っていて、そのことを他の人に示すからですか?
私ならばvagabond先生にそう尋ねるでしょう。
日本には八百万の神様がいると、母も言っていました。
だから、生きている人が神様だとしても不思議ではないのかも知れません。
でも、私の感覚とは全く違います。
私にとっての神様は全能で唯一のものです。
だから、vagabond先生の、人の考えを推し量って言及する事を、とても嫌います。
でも、vagabond先生は言いました。
>他人の「心」の内を推し量って言うときは十分気をつけるべきでしょう。
先生は反省しましたか?
二度と人の心の内を推し量って言及しないとと誓いますか?
それならば私のもう一つの目的は果たしました。
私の目的が果たせたのならば、私はこの事を、もはや言及しないでしょう。
もしも違うならば、どこまでも私は言及します。
私は繰り返して言います。
日本の人は、「言いたいこと」と「言うべき事」を分けて考えるべきだと思います。
以上です。
—
私は明日かそれよりも後の時に、vagabond先生に、満州事変のことを質問しようと思います。
質問するためのことを勉強します。
よろしくお願いします。
vagabond先生に追加して言います。
これは、私にとって新しい目的の発言です。
私が読者になっていたときのことです。
ハンス・ホルバインとわたしの四十年(一)
というエントリーについたコメントで、vagabond先生は言いました。
>皇都衛士さん
>誤解ないように申し上げます。
>
>日本の財政状況に鑑みて「リニアは無駄使いだ」といったつもりです。
>いいですか、「中国の東シナ海進出は止まらない3」で、私がいろいろ書いていることは、
>日本の財政事情が危機的な状況にある、だからわずかな無駄使いも許されないのではないか、
>ということです。
この後は略します。
そして、このあとvagabond先生は松井先生に言いました。
>松井さん、
>【問題は経済合理性だけじゃないぞ・・】と言われますが、勘違いされていませんか。
>
>私は財政問題として考えています。。
でも、途中で急にvagabond先生は変わりました。
>皇都衛子さんの「ハンス・ホルバイン・・」のところで見つけて、場違いと思いながら反論を書きましたが、やはりおかしいのと違いますか?
>
>大体、関係のないところへ他人への非難を書くというのは、
>このページを開いていなければ私は知らずにいるわけです。
そして、
>ハンス・ホルバインとは全く関係のない書き込みを、今後、するつもりはありません。
と、書きました。
どのように思ってたとしても、vagabond先生は最初相手に対して応じました。
応じたときに、最後まで応ずる責任が生じるというのが信義誠実の原則です。
「場違いだ」と思っていたとしても「応じた」時に、「最後まで応ずる」責任が生じるというものです。
ましてや管理人の長谷川先生が、その話題について言及することを許可した後でも、、vagabond先生はその話題を拒否しました。
つまり、一回応じておきながら、「今後、するつもりはありません。」というのは、信義誠実の原則に違反するものです。
それを侵したvagabond先生が、松井先生を同様の事で言及するのは不誠実な態度だと思います。
別に矛盾してませんよ。
vagabondさんとの議論より8月15日の講演の正論論文「安部普三よ、『小泉』にならないで欲しい」に返事を書くから貴方への返事はしないと書いたのです。読めばその通り書いているはずです。
私の「小異を捨てて大同につく」に関する意見は述べました。そしてvagabondさんは私の意見なんぞいらないと書きましたのでそれ以上私はその件に関しては返事はしていません。現在は貴方の話題が福地先生の論考に関するものに移ったわけです。私は三回の投稿で西尾先生の論文への意見や感想は書きました。だから今度はvagabondさんの論考について意見を申し上げたのです。どこかおかしいですか?
Pazzoさん
参考に読んでください。
WEBでの議論が日本での習慣と不一致ではないかというご指摘ですが、そうでしょうとも。
日本の文化は中華の周辺文化であることは私も否定しませんが、孤島文化でもあり、また独自文化を創ってきたのも事実です。これらは両立する概念です。儒教の理解も常に日本人がやる換骨奪還法とでもいう自分の文化にあった部分だけ取り入れる方法を取っていますから日本は儒教文化であるとある中国人学者が書いてましたが、そりゃ違うんじゃないといいます。
ある中国語を教えている日本人が日本語の構造を「実質的な認識の対象を伝える語(意義素・客観的部分)と実質的内容を持たないが主観を伝える語(形態素部分・主観的部分)」とに別けて説明していました。この構造が日本語の構造として正しいなら日本語を使う限り客観部分と主観部分の分離は一般的には不可能ではないでしょうか。別に日本語が遅れた言語だなんていっているわけじゃない。日本語を使う日本人にとって主客一致問題なんか考える事自体がナンセンスでしょう。一方で私らは絶対神ではないですから絶対の客観なんか得られません。これは認識論からも肯定できます。
日本語は相互に分かり合っている人同士でのプロトコルであるという側面もあります。孤島文化なんですからこれはありえます。
一方で非常に複雑なプロトコルを持っています。敬語や尊敬語や謙譲語一つ見ても相手と自分の関係や相手の社会的地位に従って瞬間に判断して言葉を発するわけです。一方で日本でベストなのは何も語らないで相互に了解することです。
何も語らないで了解できるのは実際には日本人は強度に発達した文脈解析能力を使っているから平気なんだろうけど、文脈解析能力も日本という社会の特異性があるから異文化相手にそれを期待するのは間違いなのでしょう。
ところがこの文脈解析能力というのが、くせもので文法という言葉の世界だけでは理解不可能な、何かがあります。
これはかなり深いもので、単なるしぐさだけではないものです。
一瞬の表情とか、しぐさ、そしてそれに言葉がからみ合った上で成り立つ、一種の複合概念です。さらにそれに過去の経緯と、将来への思惑やその場の雰囲気がからんだりして、とても複雑なものになっていきます。
こういうプロトコルを当たり前にやっていますから相互に了解できない場合はしばしば罵倒になってしまうというご指摘の側面もあります。
こういうインターネットの議論は微妙な表現は出来ませんからざらざらしたものになりかねないのもそうだと思うし、それは本来の日本人が大事にしてきた微妙なさっしあう文化とでもいう構造を破壊しかねないわけです。
言葉というのは人間の意識から出るもので人間は言葉で考えない場合も在ります。私は「人間は言葉で考える」という文章に疑念を持っています。論理で考えれば言葉を使わざるを得ませんが、観想なんかおそらく画像的にアナログ的に考えているのでしょう。
言葉はデジタル論理であって、目に見えるものだけを説明して、それさえできればすべてを説明したかのように平気で澄ましていられる自分自身がいることにふと気付きます。このこと自身目に見えないが大事なことがあるという日本文化を否定しかねないわけです。
再び、Pazzoさんへ
私のコメントの中に、Pazzoさんのご意見を理解しないと思われる表現があるかもしれませんが、決して非難する気持ちからではありませんので、そこはご了解下さい。逆に、私はPazzoさんのような、素直で、純粋な気持ちが表れているコメントが好きです。
かつて私も若かった頃は、世の中の些細な論理的矛盾に、大いに憤ったものです。しかし、長ずるにしたがって、少し考えが変わりました。知識や経験が増えることによって、ある問題のある論理的矛盾は消え、同時に、新たな矛盾が出来(しゅったい)することを知りました。言うなれば、人生はそうした事の連続です。
だから、若い時の純粋な気持ちからの疑問が意味のないということでは決してありません。師と弟子、先生と生徒、大人と子供の関係が、すべてにおいて絶対的なものということもありません。若さからの大胆な提言だからこそ、識者の琴線に触れることも多いと思います。
その前提で一言お話します。
>人の考えは、本人か神様にしか判らないことです。それを推し量る事ことになにか意味がありますか?
ということを基本に人生を考えておられるなら、改められることをお勧めします。改める必要はないとお考えの場合は、少なくとも日本人は、人の考えや気持ちを推し量る事を基本に生活しているという事をご理解下さい。
日本人と言いましたが、極端に言えば、世界中の人やメディアが、相手の考えや気持ちを推し量り、それを基本に対応の方法を考えているとも言えます。相手の考えを自分勝手に推量し、誤解し、一方的な対応を取ることも多くあります。国民性でも相当の差異はあるでしょう。しかし、表現されたものと共に、表現されないものを推し量ること、それがコミュニケーションの基本でしょう。
>なにか意味がありますか?
という言葉は、少なくとも乱発されるべき表現ではありません。このように言うことは、言葉狩りをするのでも、表現を制約せよとの意図でもありません。人生の意味すら分からないままに一生を過ごす人間にとって、すべての行為を「説明できる意味を考えながら行なっているのか」と問われたら答えに窮するでしょう。
世界には通用しなくても、日本の特殊な事情によって、非論理的な合意形成のプロセスや阿吽の呼吸のような文化が定着しました。否定されるべき側面もあります。しかし、論理的に生きようしている国や社会には、反論理的非論理的実体があり、閉鎖的で非論理的日本社会に、自由な論理展開の場があることを是非評価して下さい。そこに、日本人の恐るべき智慧があるのです。
pazzo さん
「反省したか」、「誓うか」などという言葉は私には似合いません。
ある人(Aさん)が発言するとき、Aさんの「考え」のすべてを述べているわけではありません。
「考え」の一部に過ぎません。
また「考え」は「心」とはまた別の範疇に入ります。
そういう時、Aさんの「考え」を推量することがあります。
そういう「推し量り」までしてはいけないとなれば、言論は成り立ちません。
例えば、あなたが「誓いますか?」というとき、私は「pazzo さんは、神を想定して言っているのでは」と推量します。こういう推量はいけないのでしょうか。
また、
とあります。
『ホルバイン・・(1)』でのやり取りですが、『中国の東シナ海・・(3)』で続き(返事)の一部を書いています。また戻りましたが・・。
答えていないわけではありません。
pazzo さん、
あなたは
といっています。
そして
とも言っています。
さて「人の考えは、本人か神様にしか判らないことです。」の「人」に固有名詞を入れてみます。
とあなた(pazzoさん)が言うのは結構です。
しかし、「人」に私の名前を代入しますと
とあなた( pazzo さん )が主張することになります。
あなたはどうして私が私の「心の内」を知っていると分かるのですか。
これは推量でしかなく、「人の心の内を推し量って言及してはいけない」ということに反します。
自分の心の内をちゃんと理解できたら苦労はしないのです。
さらに、私( vagabond )の心の内を神様が知っている、といいますが何故分かるのですか。証明してください。
私は日本人で、神( God )の存在など気にしていません。
存在するかしないか分からない神がどうして私の心の内を理解するのでしょうか。
是非証明してください。
ちなみに「神のみぞ知る」ということわざは我々も使いますが、少なくとも私は神の存在を肯定しているわけではありません。
存在を否定しているのでもなく、関心の対象外だということです。
皇都衛士 様
「幽霊」発言に関連しての御厚意溢れる御弁護、深謝申し上げます。
貴衛士様と私とは、吾が国の歴史や吾が民族の文化・伝統に対する心の向け方、志操や人生観における腰の据え方を同じくする人間同士であるように思われます。純粋な憂国の情に発する西尾先生、福地先生達の渾身の辞立て、警世の論考を真正面から受け留め、共感共鳴するところを、互いに自分の置かれた立場において、自他ともに啓発・啓蒙し、更に具体化して考究を深め、行動に移し、実効あるを期して参りましょう。
貴衛士様も御指摘のように、また、本「補論」において福地先生が御考察のように「「昭和の戦争」は、実に複雑な国際政治状況の中で、謀略的にして強力なある国家群によって誘導されたようにして生起したと理解できる」ものであり、悲しいほどに根が正直で善良な日本人とその国家が「壮大な「国際謀略の渦に巻き込まれた戦争」「国際的抑圧勢力への対抗戦争」、いわば「防衛戦争」であった、と観る」ことに私も全面的に賛同致します。
既に、米国が公開したヴヱノナ文書やロシアのリッツキドニー文書(旧ソ連・コミンテルンの諜報文書)により、コミンテルンの諜報網がルーズベルト政権や蒋介石政権の最中枢部にまで浸透しており、その政戦略に大きな影響を及ぼしていたこと、従来の定説は連合国側のプロパガンダとして根本的に書き直されなければならないことが明らかになりつつあります。しかし、これらが隠蔽されてきた力士の真実の全てではないはずです。
米国やロシアにおいてこれらの文書が公開されたのは、基本的には「ソ連・コミンテルン」が崩壊したと云うことに起因するものであり、未だ隠然たる勢力を保持し続けている存在の機密の秘奥は、当然のことながら、その勢力が維持される限り、決して公開されることはないでしょう。
貴衛士様は、先般、元公安調査庁幹部の講演の内容として、近現代史における奇跡の一つであるユダヤ民族のイスラエル建国の運動(狭義のシオニズム運動)等について触れて下さいましたが、ユダヤ民族の存在と動向はそのような流れにおいてのみ語られるべきものではないと考えます。
ユダヤ人を迫害したはずのスターリンはカガノビッチ閨閥を頼り、ユダヤ民族をジェノサイトしたとされるヒトラーもクルップ・コンツェルンを重用したと云う事実がありますが、これらはいずれもユダヤ財閥です。そして、欧州を中心に世界に網をかぶせて君臨したロスチャイルド家はユダヤ金融財閥の本家としてこれらとリンクし、また、米国における純ユダヤ系のフリーメイソンリーであるブナイブリスもロスチャイルド家と深くリンクして米国の政界・各界に大きな影響力を及ぼしたと云われます。また、この時期、上海のサッスーン・コンツェルンもその両者とも密接にリンクし、中国の浙江財閥(三姉妹の宋家)等を使って蒋介石政権とルーズベルト政権を結び、その蒋介石もルーズベルトも、英国首相のチャーチル達とともに最高階位のフリーメイソンとして密かに結託し、等々と云う何とも複雑怪奇な「縦糸」があり、これらが前述のソ連・コミンテルンの驚くべき諜報工作の「横糸」と複雑に経緯して織り込まれ、或いは錯綜して絡み合ったところ(当時の関係書の多くはこれを「双頭の蛇」と形容しておりますが)に現出した国際政治状況の中で、その表裏が皆目わからない吾が国が、時の為政者や国民が、哀れなほどに翻弄され、それでも真正直に健気に戦い続けて来た、その父祖達の歴史を私達は、畏敬の念と深い愛情をもって憶念し、受け入れるべきものと思っております。
貴衛士様が「非情な国際政治に翻弄されてきた国の為政者の宿命にも思いを寄せつつ憶念の心、愛惜の心を言葉に添えて議論すべき」と仰るところに全くもって賛同申し上げる所以です。吾々の父祖の歴史であり、吾々子孫が継承するのですから。
福地先生の先輩で、文部省の教科書調査官であられた村尾次郎先生が昭和40年頃に吾が国の通史をお書きになり、「民族の生命の流れ」と表題されました。素晴らしい表題であると感動致しました。吾が国の歴史は、正に「吾が民族の生命に宿る精神と血脈を継承するもの」に外ならず、精神も血脈も生きて引き継がれるものであると信じます。冷え冷えとした心持ちで忌むべき病理を探るために死体解剖をするようなものでは決してないのです。
また、私がバガボン(ド)氏のコメントを度々指弾したのも、マナーやルールを咎めてのことだけではありません。それ以前の問題で、8月30日付で、あきんど@携帯様が「確かに色んな意見はあっても良いが、彼の論理の殆どが今まで何度も我々が悪病として退治してきたものでしかなく、今更その事を掘り返されても、本来目指している目的地には到達できない、○○な○○でしかない」と指摘された、ほぼそのような苛立ちの心情からです。
確かに、バガボン(ド)氏は大層生真面目な御仁かも知れません。しかし、私とは「感性と心根と思惟方法」が全く以て異なるようです。私との間に建設的な議論はとてものこと成り立たないでしょう。
また、福地先生の「応答」に対し「反論」を試みておられるようですが、私がお勧めしたヴヱノナ文書やリッツキドニー文書を参照する御意志もなく、「それが「定説」になったら改めて考える」と云うような硬直した頭脳と退嬰的な姿勢では、失礼ながら「おこがましい」の一言に尽きるでしょう。これらの文書は、学説などではなく、戦争当時国の戦争遂行に直接に関わる文書です、事実そのものに関する、従前からの所謂「定説」を覆すエビデンスであり、第一級の資料なのです。そのような古い認識に固執する御仁が「定説」を覆そうとされる真摯な専門家に対し「反論」なるものに何万字を費やされたとしても、福地先生はもう議論の相手にはなさらないでしょう。
西尾先生も福地先生も憂国の情黙しがたく、日録に、オピニオン氏誌に筆剣を揮っておられるのです。議論そのものを楽しんだりしておられる訳ではないのです。
貴衛士様には、共感共鳴いただけるはずであると、御礼方々、率直に真情を吐露したところです。長々と申し上げました不躾、御容赦下さい。
バガボン(ド)殿
9月4日付の貴殿の御所感に対する私の率直な所見は上記のとおりです。悪しからず
すみません。
間違えて投稿しました。
直したものです。
機械計算課長こと松井康雄先生
田舎のダンディ先生
松井先生は、私に参考意見を紹介しました。
ありがとう御座います。
また、田舎のダンディ先生も丁寧にありがとうございました。
松井先生の発言の中で特に卓越しているのは
>日本でベストなのは何も語らないで相互に了解することです。
また、田舎のダンディ先生の発言の中で卓越しているのは
>改める必要はないとお考えの場合は、少なくとも日本人は、人の考えや気持ちを推し量る事を基本に生活しているという事をご理解下さい。
>>なにか意味がありますか?
>という言葉は、少なくとも乱発されるべき表現ではありません。
私には疑問があります。
「何も語らないで相互に了解」することがベストだったり、「人考えや気持ちを推し量る事が基本」ならば、何故「意味のないこと」を言いますか?
それが判りません。
私は、日本の文化の中で茶の湯と俳句が卓越していると思います。
茶の湯では道具にも動作にも無駄というものがありません。
俳句でも、あの短い言葉の中に無駄というものがありません。
無駄がないということは、全てに意味があって、「意味のないもの」はないと言うことを意味します。
「意味のない」ものがないからこそ
「何も語らないで相互に了解」できたり、「人の考えや気持ちを推し量る」ことができるのではないですか?
本当の日本の文化は、物事や言葉のもつ意味を大切にしてきたのではないですか?
私が「意味のないこと」の代表とした2つの例は
いずれもお互いの了解を妨げるものではないのですか?
本当に人の考えや気持ちを推し量る人は
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」と言うのですか?
「放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。」と言うのですか?
そして相互に了解できるのですか?
それが判りません。
ここまで書いて、私は考えます。
私が書いている「意味のないこと」と松井先生や田舎のダンディ先生が書いている「意味のないこと」は一致していますか?
私は代表として2つの例をあげました。
この2つの例には意味がありますか?
「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」というのは、相互に了解するために役に立つ言葉ですか?
「放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。」というのは、相互に了解するために役に立つ言葉ですか?
vagabond先生
さっそくのお返事ありがとうございました。
とてもわかりやすいです。
>「反省したか」、「誓うか」などという言葉は私には似合いません。
これは、 vagabond先生が反省したり誓ったりすることをしない人だという意味ですか?
そうであるかどうかは判りません。
しかし、
反省しない人には進歩がありません。
誓うことをしない人には誠実さがありません。
私はそういう人を尊敬できません。
次に、vagabond先生の発言について指摘します。
vagabond先生の発言には、言葉の入れ替えやロジックの飛躍があります。
第1に
vagabond先生は言いました。
>そういう「推し量り」までしてはいけないとなれば、言論は成り立ちません。
私が言ったのは
>二度と人の心の内を推し量って言及しないとと誓いますか?
上の2つは同じでしょうか?
私がvagabond先生に誓うかどうか尋ねたのは「言及しない」ことです。
それが「推し量り」に入れ替わっています。
推し量ることはvagabond先生の心の中の事です。
私は、vagabond先生の心の中のことまで「してはいけない」などとは言いません。
それも神様のすることです。
第2に
vagabond先生は言いました。
>あなた( vagabond )の考えは、本人( vagabond )か神様にしか判らないことです。
>とあなた( pazzo さん )が主張することになります。
>あなたはどうして私が私の「心の内」を知っていると分かるのですか。
「AまたはBにしか判らない」は「Aは知っている」と同じですか?
vagabond先生は言いました。
>また「考え」は「心」とはまた別の範疇に入ります。
それと同じように、「判る」と「知っている」は別の範疇に入るのではないですか?
vagabond先生は、このようにして言葉を入れ替えています。
仮にそれを「判る」に直したらこうなります。
>あなたはどうして私が私の「心の内」を判っていると分かるのですか。
「AまたはBにしか判らない」は「Bには判っている」を意味しますか?
「AまたはBにしか判らない」は「判る可能性をもっているのはAまたはBのみである」を意味するだけではないですか?
実際に「判っている」かどうかは、その人の能力や性格や努力によるのだと思います。
だから、「AまたはBにしか判らない」は「Bには判っている」を意味しません。
vagabond先生は、このようにしてロジックを飛躍させています。
数日前には、長谷川先生から同じようなことを名指しされていませんか?
再々度、Pazzoさんへ
私の理解不足かもしれませんが、誤解があると思うので、改めて述べます。
◆コミュニケーションについて
>「何も語らないで相互に了解」することがベスト
ではなく、表現されたことと、表現されない事を「人考えや気持ちを推し量る」ことの両面で理解し合うのは人間生活の基本だと言うのは、世界共通でしょう。ただ、日本人の場合は「人の考えや気持ちを推し量る」ことに重点を置くような気がします。
◆「意味のないこと」について
物事に意味があるか、ないかを判断するのはその人の自由だと思います。
同時に、初めから「意味があるか、ないか」は分からない事が殆んどだと思います。たとえ日本人であっても、茶の湯や俳句のことを理解しない人にとっては、意味のないことをやっているように見えます。勉強や修行を積み重ねて、初めてその意味を理解するのが普通です。人間の行為の殆んどすべて、その意味を理解するには、共通の認識方式、知識、経験、能力が必要です。
「意味のないこと」ではなく、Pazzoさんにとっては[意味のない様に見える]と言うべきでしょう。[意味のない様に見える]ことが、実は大切な意味を持っていたことが、経験を積んだ後で分かると言う事がよくあります。もちろん、本当に無意味だと思うことも世の中には多くありますが。
◆「無駄」についての考え方について
「日本の美」について、「描く線一つ、所作一つひとつに意味があり無駄はない」とういうニュアンスで語られることはよくあります。反面、生活面では「無駄の効用」ということもあります。しかし「無駄」かどうかの判断は、「意味のないこと」と同様に価値観自体が絡む、極めて難しい問題だと考えるべきです。
◆「何の意味がありますか」と問うことについて
「何の意味がありますか」と過剰に問うのは、知恵のついてきた子供が、親になぜ?なぜ?と疑問を連発するのと同じで、若い時や成長時には絶対に必要な姿勢だと思います。
いっぽう「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という格言がありますが、人間も成熟してくると謙虚になるということは、物事を知れば知るほど、自分の未熟さが理解出来るということで、一面の真理だと思いますが、日本人好みの言葉だと思います。
ただし、率直に言葉で疑問を発する点は、平均的日本人に欠けている面だと認めなければなりません。
◆「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」について
Vagabondさんが、西尾先生の意見に反論する際に用いたこの表現を、Pazzoさんが、どのように理解されているかが私の疑問です。これは、意味のない言葉ではなく、紛れもなくVagabondさんの判断から出てきた西尾先生に対する意味ある評価の言葉です。
もし私が、論争において、目下の者に「どうやら田舎のダンディさんには経済観念というものがないらしい。」と言われたら、1週間は打ちのめされた気持ちでいるでしょう。明らかにプライドある相手に恥をかかせ、打撃を与える効果のある誹謗の言葉なのです。述べた人の人格も問われる言葉です。
これは、「西尾先生は、多くのことを知っている権威だと理解していたが、主張の内容を見ると、まるで経済のことが分かっていない。これで、よく経済に関するを述べるものだ、あきれた。」というニュアンスを含んだ表現です。普通は、余程のことがなければ目上の人には用いません。一種の捨てぜりふのようなもので、喧嘩を吹っかける時には有効です。
「放浪者は根無し草、 どこかへ流浪し去っていくことでしょう。」と言うような表現とは全く関連しない言葉です。
◆ブログでのコメントについて
Pazzoさん、Vagabondさんに対してのコメントでも、あまり言葉遊び、論理遊びのような挑戦をなさらず、あなたの能力と純粋な気持ちを生かした見解を披瀝されてはどうですか。
しかし、Vagabondさんも手こずる論理好きの方が現れ、本家のVagabondさんもびっくりされておられると思います。
そうです。まさに言葉遊び(のよう)です。
「誓いますか?」などと余計(だと思える)ことを言うからです。
なお、pazzo さんの
はその通りで、だったら「神が知っている」を証明してください、といったわけです。
しかし詰まらん議論はメイワクですからやめておきます。
歴史を語るのは何のためか
私は福地さんの「大東亜戦争肯定(=何が悪い?)」論に噛み付いているが、
そもそも何のために過去を振り返り「評価」しようとするのだろうか。
単に評価だけに留まっていたら、「趣味の問題」と同じになるだろう。
過去を評価するのは、現在と未来を「探す」ためである。
つまり「現在」起こっている問題をどう考え、さらに将来の日本はどうあって欲しいか、
を考える参考にするためであろう。
私が今論争を「仕掛けている」のはそのためであるが、では本当に現在と未来に繋がるのか、
というと少しおぼつかないところがあり、過去の評価さえ定まらずそこで止まったままで、
現在や未来にまでは到達しないのだ。
私が噛み付いた問題点は、3つある。
安全保障(防衛)、財政、運動のあり方である。
全体的に論じる余裕はないが、とりあえず安全保障(防衛)についていえば、
中国や北朝鮮、場合によってはロシアの脅威にどう対応するのか、ということである。
日本の安全を脅かしそうな相手(国)は分かっている。
一部の人たちはここにアメリカを加えるかもしれないが、ここでは対象外として話を進める。
途中経過を省略するが、要するに日米同盟(安保体制)を保持する、という条件の下で日米の関係をどうするかである。
例えば「海軍」(海上自衛隊)は事実上アメリカ艦隊の一部になっている。
平時はともかく、緊急時(準戦時)には共同で侵略と対応しなければならない。
しかし、「集団的自衛権」は発動できないことになっているから、まずこれをはずさなければならない。
こういう(従属的)状況に対し、日本が相対的に「独自性」を強化する方向が望ましいが、
しかし日本単独での防衛は不可能である(反論があるかもしれないが)限り、
アメリカに頼らざるを得ない。
歴史評価がこういう日米同盟にとってどのような意味があるのだろうか。
大東亜戦争は自衛の戦争でやましいところはない、アメリカの占領政策も不当、洗脳されている
・・・云々・・を「延長」すれば、日米同盟も意味が変わってくる。
多分これも「押付けられた」同盟ということになろう。
時計の針を60年遡って、敗戦によって武装解除された状態から日本の「独自」防衛を考える
なんてことは意味がないだろう。
「今」の状況から出発しなければならない。
日本に欠けているものは、戦略のなさだろう。
アメリカに追随しておれば何とかなる、というのではダメで、共通の価値観を持ちながら、
独自の価値観を大切にすることでなければならない。
共通の価値観とは、例えば、自由・人権・民主主義、などである。
これは戦前から引き継がれたものもあれば、戦後アメリカの占領政策で持ち込まれたものもある。
独自の価値観とは?と聞かれても、かなり戸惑う。
これが「戦略のなさ」とも繋がる。
一方、「大東亜戦争肯定(=何が悪い?)」論はどういう価値観を引き継ぐべきだ、というのだろうか。
自衛隊がイラクに派遣されるとき自衛隊の某幹部が部下になんのために死んでくれがいえないという悩みがあると読んだことがある。
日本国が独立していたらこんな悩みはないだろう。自衛隊は自由のためにイラクに派遣するのじゃない、日本国家の主権を守るためにイラクに派遣するのだを言えればいいだけだから。しかしそんなことは口が裂けてもいえないわな。
商売の利益のために国家が崩壊してもいいか、自由のために国家が崩壊してもいいのか、民主主義のために国家が崩壊してもいいのか。
商売、自由、民主主義も日本国に主権があってそれを守る国民がいるから機能する。
昭和天皇は終戦を決断する会議で日本国があるから天皇がいる。仮に国民の支持が得られなければ天皇はなくなってもいいとまで発言していると聞いた。
米国との関係も国家の主権を犯されてまで米国に従うのが正しいのか、それでも米国に
従うのが正しいと考える日本人は国家の主権なんかなくてもかまわないのか。それを問われていると思うけどね。
さあ数日休養だ。
田舎のダンディ先生
vagabond先生
2人の先生今晩は。
今日は、いくつかの論点があります。
まず、2人の先生が一致した事が事があります
田舎のダンディ先生は言いました。
>Pazzoさん、Vagabondさんに対してのコメントでも、あまり言葉遊び、論理遊びのような挑戦をなさらず、
そしてVagabond先生も言いました。
>そうです。まさに言葉遊び(のよう)です。
◎そこで2人の先生に質問です。
日本語でいう「言葉遊び」と「論議」の違いを教えてください。
その目的はどう違いますか?
そこで用いられる発言はどう違いますか?
その結果はどう違いますか?
—
次の論点は、「意味」についてです。
田舎のダンディ先生は、「無駄」や「意味」について、懇切に説明しました。
そして、言いました。
>初めから「意味があるか、ないか」は分からない事が殆んどだと思います。・・・。勉強や修行を積み重ねて、初めてその意味を理解するのが普通です。人間の行為の殆んどすべて、その意味を理解するには、共通の認識方式、知識、経験、能力が必要です。
そこが私と意見の異なるところです。
意味の判らないままで勉強や修行を積み重ねるのですか?
意味の判らないことを判らないままで行為することは、幼児か奴隷のすることだと思います。
私は意味が判らなければ、それを考えて、どうしても判らなければそれを尋ねます。
日本のことわざにも「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と言いますね。
そのあと、田舎のダンディ先生は親切に「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」の意味を説明してくれました。
>明らかにプライドある相手に恥をかかせ、打撃を与える効果のある誹謗の言葉なのです。
>これは、「西尾先生は、多くのことを知っている権威だと理解していたが、主張の内容を見ると、まるで経済のことが分かっていない。これで、よく経済に関するを述べるものだ、あきれた。」というニュアンスを含んだ表現です。
これはとてもよく判りました。
勉強になりました。
「目からうろこが落ちる」というのはこう言うときに使いますか?
これも、尋ねたからこそ判ることができた例です。
◎そこで、Vagabond先生に質問です。
Vagabond先生は、「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」という発言を、
西尾先生に恥をかかせ、打撃を与える目的で書きましたか?
・もしもそうだとしたら、なぜそのような目的を持ち、発言しましたか?
・もしも違うとしたら、どのような目的ですか?
その目的のために、その発言は適切だったと思いますか?
—
最後に、
Vagabond先生は言いました。
>なお、pazzo さんの
> 「AまたはBにしか判らない」は「Bには判っている」を意味しません
>はその通りで、だったら「神が知っている」を証明してください、といったわけです。
これは、Vagabond先生が、自分の言葉に、言葉の入れ替えとロジックの飛躍があったことを認めるという事を意味します。
主語を「神」に入れ替えたのは、新たな「すり替え」を意味します。
◎Vagabond先生は、そのようなことをして恥ずかしいと思いませんか?
◎田舎のダンディ先生に質問します。
Vagabond先生がしたような「言葉のすり替え」は、日本では恥ずかしい事ではありませんか?
それとも、見て見ないふりをするのが礼儀正しいのですか?
いま気付いたことがあります。
vagabond先生は言いました。
>過去を評価するのは、現在と未来を「探す」ためである。
>つまり「現在」起こっている問題をどう考え、さらに将来の日本はどうあって欲しいか、
>を考える参考にするためであろう。
でも、こうも言いました。
>「反省したか」、「誓うか」などという言葉は私には似合いません。
そこで私は質問しました。
>これは、 vagabond先生が反省したり誓ったりすることをしない人だという意味ですか?
これにはvagabond先生は答えませんでした。
日本では、答えないと言うことはなにを意味しますか?
黙秘権の行使ですか?
そうだとしても、vagabond先生は自身が「反省することをする人である」とは言いませんでした。
なぜ自分は「反省することをする人である」と言わない人が「過去を評価」できるのですか?
「反省」とは「振り返って考えること」であって、「過去を評価」すると同じか殆ど同じ意味ですよね?
自分の生まれた国のことを知りたい。 歴史を知りたい。
「知りたい」という気持ちはその対称を愛することの始まりだと思います。
祖国は 私の父であり母。その祖国が通ってきた道を歴史と言うなら、父、母はどんな思いでその時々を生きて、戦って来たのだろうかと知りたくなります。
学校で習った歴史さえ、優等生でなかった私はいい加減な知識しか持ち合わせていなかった。外国で子育てをして息子に日本の歴史をどう教えてやればいいのか? 私達親しかいないじゃないか! と思っても、どこから何の歴史を教えればいいのやら? 背筋の通った歴史観もない親。 な~んにも教えてやれなかった。
そんな時 日本でこれ読んでみる?と貰った漫画が小林よしのり氏のゴーマニズム宣言。夫婦してせっせと買い求め読んだ。西尾先生も出ていた。(新ゴーマニズム宣言 第3巻 P147~149の西尾先生が最高!)そのうち息子も面白そうと読み始めた。
彼が高校一年生のときNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」のヴィデオを、見たくないというのを強制的に見させた。それも親子三人そろって見ることを。第三話が終わった頃から「おいどんは、腹がへったでごわす」と言うようになり、作戦大成功。長いドラマを最後まで一緒に見た。江戸から明治へ。西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文とも出会った息子。
私達にとっても勉強になりました。
帰国のたびに、まず墓参りから。親子三人でお墓の前で「長のご無沙汰をしておりました」から始まり、おかげ様で無事こうして帰りました。今まであった事を私達夫婦は父、母に。息子はおじいちゃん、おばあちゃんに、話しかけます。
気がついたらいつもお墓の前でしゃべっていました。息子にあんたもおじいちゃん、おばあちゃんと繋がっているのよと。祖父母・父母・私達夫婦・そして息子へ。
そんな私のご祖先さまが悪いことをしたと、中国に朝鮮に謝ってばかり。本当に悪いこと、無慈悲なことをしたのか? 仏国の歴史の先生に日本が朝鮮にひどいことをしたと言われた。
無知な私は何も答えられなかった。自分に悔しかった。あまりにも何も知らない自分に・・・。
そんな私にゴーマニズム宣言は、歴史認識の道案内をしてくれました。そして、西尾先生のご本と出会いまとめ買い。
自分のご祖先さまの弁護士のように、新説を披露してある本もたくさん買って読みました。どうして検察側に立ったような目で父、母なる国を見れましょう。
周りを見れば日本人を拉致し帰さない、そして竹島を尖閣諸島をくじり取りに来ている隣国があり、北にも領土を返さない隣国がある。日本国民は何を優先事項として絶え間なく語り続けなければならないのか? 国益のために。
私は歴史を学ぶ時、人々がどんな思いでその時々を生きていたのか・・・が今はすごく気になります。
人が学ぶということは、まず係わった、人たち、その社会、国のお役に立つことではないでしょうか。少なくとも私はお役に立ちたいと思っています。だから、総理大臣になったつもり、外務大臣になったつもり、文部大臣になったつもり、と主人相手に忙しいのです(汗、照)
西尾先生の「沈黙する歴史」から・・・
【P45 ・・・ドイツ人の戦後の一貫した自己主張である。ヴァイッゼッカー氏も日本にやってきてこういう詭弁に近い論法を言いふらして、帰っていった。
しかし私はこのようなドイツの態度を避難するのではなく、むしろ見事だとさえ言いたいのだ。黒を白と言いくるめてでも、世界に向かって自分を主張する。さもないと生きていけないからである。これがあまりにも日本にはない。自分が悪いのだとすぐ思いこんでしまう。黒を白と言いくるめるどころではない。日本人は白を白と主張することもできず、他人から黒だと言われるとああそうですか、すみませんと言って尻ごみし、自分で白いものを黒だと思いこんでしまう。そして反発の声ひとつあげられない。なんという愚かで情けない国民だろう。
理由は私には次のように見える。戦後日本はアメリカに庇護され、まだ本当の意味で生きるか死ぬかの国際的修羅場に立たされていないからである。今後、アメリカと中国の谷間で、脅され、小突かれ、犯されているうちに、日本人は生きんがためのぜひもない必要から、今は眠っている歴史、沈黙している歴史の声に静かに耳を傾けるようになるだろう。否、歴史が声を発し語りかけ、日本人の眼を覚まさせるに至るだろう。私はその日の一日も早い到来を祈っている。】 初出 平成8年2月「サンサーラ」
【(P276) こうして日本人が国際社会の中で自己本位の立場を貫けないでいる歴史的諸条件をさぐっていくと、じつに数多くの条件を拾い出すことができるし、以上のべただけで十分というわけではないことが分かる。まだ他にいくらも拾い出すことができるであろう。けれども、それはいくらやっても空しい。病気の原因を知ることが病気を治す第一歩であるとはいえ、複合原因を問いただしたところで、病人に治ろうとする意志がなければ、病気は治らないのである。あるいは治ってもすぐ再発するのである。
そう考えたとき、つくづく思うのはこの国の国民の陥っている柔弱さ、説明のできない無為無気力である。国や社会のいたるところにおいてほとんど無意識レベルで成立している気構えの喪失、何が起こっても怒らず、起ち上がらず、人任せの甘えに浸って、呆然としているだけの痴呆の態である。
たった一度戦争に敗北しただけで、しかも半世紀をも経たというのに、国民がここまで気力を喪って、すべてをあなた任せにして、なるようにしかならないという無関心と無感動の中を生きていられるというには不思議を越えてすでに異常の域に達している。戦後の混乱期の方がまだはるかにましだった。世代が替わって戦争の記憶がうすれれば、
通例は正常へ戻るのが人間性の自然に合致すると考えられるのに、話は反対である。
わが国における政治中枢の衰弱、対世界自信喪失、外交本能の劣化退嬰はとどまるところを知らない。そして不祥事やスキャンダルには面白おかしく大騒ぎするマスコミでは、いちばん肝心要な問題には誰も敢えて触れようとはせず、たまに一言いう人がいると、ああそうかと思うが、後はひっそり静まり返ってしまう。
すべての人は何をやるべきかを知らない訳ではないのだ。しかしもしそれを本当に実行する人がいたら、他のすべての人は、なんて馬鹿なことをしでかしたのだろう、と嘲ろうと身構えている連中と口裏を合わせ、その影に自分の身をそっと隠してしまうのがつねである。
かくて歴史はいつまでも沈黙したままである。いつ本当の声をあげるときが来るのかは誰にも分からない。
けれども、ものは考えようである。軽々にあきらめてはいけない。歴史には沈黙した部分があるということは唯一の救いかもしれない。私は本書を通じてただひとつ、そのことを言いつづけたつもりだ。歴史には沈黙した部分がある。歴史にはわれわれにはまだ見えていない、隠されている分部がある。いつかはそれが必ずわれわれに語りかけてくる。われわれに聴く耳があればわれわれはそれを聴き取ることができる日が来る。
われわれの耳をよく聴こえる澄んだ耳にするよう鍛える用意だけはしておこう。歴史がいつか沈黙を破って語りだしたとき、聴き落とすことのないような心の用意だけはしておこう。それがわたしのこの本書」を通じての最後の願いであり、そして、祈りである 】 初出 平成10年1月「Voice」
西尾先生は10年前に既に今日の状況、アメリカと中国に振り回される日本を見ておられたのです。
先生より年下の日本男児よ、君は何を考え行動しているのか?
今日、日本男児は どこを向いているのか?
ダイヤモンドか? 国か?
一歩前へ出て、自分の女を守る気概があるのか!
私は女だけど、自分の男を守る気概はある。(女でないのかしら???)
と書いて、はたと気がついた。
日録に集う紳士は日本男児そのものであることを・・・。
失礼致しました。
その女 ソルベ です。
書き加えます。
先程のコメント、最後の2行目のところ。
と書いて、はたと気がついた。
日録に集う紳士は 日本男児そのものであることを・・・。
失礼致しました。
あらためて、Pazzoさんへ
まず言いたいことは、若いソクラテスのPazzoさんが、自らの考えと気持ちで、日本の文化を学び、率直に疑問を解明しようとしている姿勢には敬意を表したいということです。何事でも、関心を持つこと(法学や哲学といった論理世界)に対して、過剰なくらいのこだわりを持たなければ、その道では大成しないという意味から言えば、これからも精進し頑張って欲しいと思います。
そこでPazzoさんのお気持ちに逆らうかもしれませんが、頭の構造はみな違うので、言葉の一言、一句を指摘する前に、論旨を読み取る努力をされ、意に適わなかったら、相手や、他人が理解しやすいような論旨、論理を展開し質問してほしいと思います。
◆言葉遊びについて
私(田舎のダンディ)が
>勉強や修行を積み重ねて、初めてその意味を理解するのが普通です。
と、述べた事に対して、Pazzoさんは
>意味の判らないままで勉強や修行を積み重ねるのですか?
との疑問を呈されました。普通の日本人で、私の文章のこの部分を読まれた方は(正しい考えかどうかは別として)、勉強を重ねていけば、少しずつ理解して行き、最終的には深い理解に達するということを述べていると考えるでしょう。当然、その途中、分からなければ尋ね、教えを請い、さらに勉強することも意味していると理解するでしょう。
しかし、Pazzoさんは、(最終的に意味を理解するまで)判らないまま勉強するのか、それはおかしいと言われました。極めて論理的に分析すれば、「初めて」と言う以上、途中はゼロで、最後が1だと述べていると指摘したいのかもしれません。
しかし、論文や裁判文書と違って、日常生活では、極めて論理的に文章を構成することは、いたずらに煩雑になるので、趣旨を理解してくれる程度に簡略化するのが普通です。
このように、本質的でないこと、重要度があまり高くない事に拘って、あれこれ言って楽しむことを、日本では「言葉遊び」と言います。しかし、これもその人の判断です。
◆言葉のすり替えについて
Vagabondさんの言葉のすり替えについてですが、だれでも行なっている論争のテクニックの一つです。論争が得意なVagabondさんは、都合の悪い事は答えず、論争を自分の得意分野に持っていくために、相手の一言、一行を取り上げて反論する術に長けています。相手をやり込める場合はいいのですが、過剰におこなうと、普通の社会では反発され、説得力を持たないでしょう。小泉首相も、質問をはぐらかしたり、都合の悪い事は答えなかったりしましたが、質問する方にも質問の仕方という責任がある場合が多いと思います。
◆何が大切か
不思議なとこに、人間は関心のある対象が全くまちまちです。また、時と所によって、物事の重要度は違います。さらに、虫の目、鳥の眼という言い方があります。私は、物事を考える時、この三つが大切だと考えています。
自分が関心のあることでも、相手はどうか分かりません。だれでも自分の関心のある分野に重点を置いて話したがります。無理やり自分の得意分野に相手を引きずりこむことも考えものです。時には、相手の事を慮って、相手が答えやすいように問いただす事も大切です。
ここは、西尾先生のブログで、オープンな論争の場を提供してもらっています。エントリーに賛成、反対だけではなく、議論の広がりも必要だと思いますが、あまり、本題からずれ過ぎることは困るでしょう。Pazzoさんもお分かりのように、Vagabondさんの、西尾先生への反論の内容と姿勢から拡がった論争なので、あまりずれ過ぎるのは礼を失することになります。
物事を全体的に理解するために、よく鳥瞰する、俯瞰するということが言われます。そればかりだと大雑把になりがちなので、虫の目も大切だと言われます。きっと両方だ大事でしょう。バランスを取ればいいと思います。
そこで、Pazzoさんが、何事でも疑問に思われたことを解明しよう、理解しようとする姿勢は全面的に評価したいのですが、すべての事を虫眼鏡で検証しようとするには世界はあまりに広く、人生はあまりに短いはずです。だから、専門分野は虫眼鏡で解明しなければならないことも多いのですが、普通の人は、誤りのない細密な論理のもとに暮らしているのではありません。むしろ、矛盾だらけの世界を迷い悩みながら生きているはずです。今のところ割り切れるのは数学の世界だけです。
今見ていたのですが、投稿コメントの「その女、ソルベ」さんのような、論理的整合性より、意気や心を大切にする生き方も勉強してほしいなと思います。
これは、余計な事ですが、いわゆる真理、真実は、少しずつ分かることばかりではありません。一挙に悟るとか、一躍跳入とか、インスピレーションとか、突然、理解したり、前途が開けたりすることが人生には多いものです。
pazzo さん
一つだけ答えておきます。
確かに、
について私に曖昧な点がありました。
改めて簡単にいいます。
①と次の②は矛盾することを証明します。
①より、
あなた(pazzoさん)が「私(vagabond)の考えは、本人(vagabond)か神様しか分からない」
ということが出来ます。
このことは次のいずれかを意味します。
1. 私(vagabond)の考えは、本人(vagabond)しか分からない。
2.私(vagabond)の考えは、神様しか分からない。
3.私(vagabond)の考えは、本人(vagabond)と神様が分かる。
(数学の論理と違い通常、3.は対象としない)
1.は前述の通り、私(vagabond)の考えをあなた(pazzoさん)が推し量っていることになり、②に反する。
2.「神様しか分からない」というのは、日本では通常「誰も分からない」という意味であり、すべての人の気持ちを推し量っていることになり、②に反する。
(これが2.を証明してください、といったことです)
以上です。
以降、「この件」について「この場所で」はあなたとは議論するつもりはありません。
別の場所を設定されたら続けます。
『讒謗に応答する』に答える(3)
満州事変・支那事変をめぐる問題点。
明治維新以来日本は帝国主義諸国の犠牲(植民地)にならないよう必死の努力を重ねた。
明治初期には海外進出は大きな課題ではなく、専ら「国づくり」と不平等条約の改定が中心課題だった。
しかし、明治の後半(19世紀末~20世紀)になると「外国の脅威」のほかに海外進出が大きな国家的な課題となった。
まず「脅威」だが、直接の脅威は、第1に中国(清)、第2はロシアだった。
また、海外進出の最初の対象は朝鮮半島で、そこは同時に日・清・露3国の利害が交錯する場所だった。
当時の朝鮮半島は「李氏」の支配する、きわめて遅れた前近代的な国家だった。
ハッキリ言えば国家の体裁をなしていないがごとくだった。
典型的な例は「東学党の乱」(1894-95)である。
蜂起した農民は一時「自治区」を打ち立てた。国の中にもうひとつ国を作ったようなものだった。
日本は(伊藤博文など)朝鮮の独立と近代化を望んだが、とても無理だった。
この朝鮮半島の動向、つまりどの国が支配するかが日本にとって死活問題だった。
日本は、清に対して日清戦争に勝利して朝鮮半島の主導権(覇権)を握った。
しかしまもなくロシアの巻き返しに対抗して「日露戦争」が起り、ここでも勝利して朝鮮半島のほかに、
遼東半島、南満州鉄道(ロシアから譲渡された東清鉄道の支線・長春~大連間の鉄道施設・付属地)を獲得した。
この鉄道の守備隊が関東軍で、これは「北京議定書(1901)」
により軍隊の駐留が認められていたからである。
“『讒謗に応答する』に答える”で書いたように、日露戦争後1906年から1928年まではほぼ「平穏」だった。
しかし、中国が蒋介石の手で統一されそうになると、様相は一変する。
蒋介石が「外国利権の回収」を言い出したからである。
ここからの評価が私と福地さんとでは全く異なる。
ここまでは(アメリカの感情を害したが)一応、国際社会では通常の列強並みの地位が保たれていた。
しかし、この時点になると「列強の脅威」は少なくなり、専ら「海外進出」
(利権保守)が中心課題になる。
日本は二つの「違法行為(広い意味での違法)」によって「利権保守」の範囲を超えてしまった。
「日本」というより「関東軍」であるが、一つは張作霖爆殺事件である。
「爆殺」というが暗殺、テロである。
暗殺により満州を混乱させ、それに乗じて満州を関東軍の支配下に置こうとしたのである。
その間にも蒋介石は統一を目指し、満州を返せ、と迫っているように(関東軍は)感じた。
関東軍は1931年9月、第二の不法行為(謀略)「柳条湖事件」を起こし、満州を制圧、
翌1932年3月「満州国建国」に突き進む。
両「事件」とも中国から見れば当然不法行為、侵略であり、また、日本側(政府)から見ても
「軍部が、政府の指示しないことをした」という意味で不法行為であり、こういう不法行為を基にした
「満州国」がリットン調査団によって認められなかったのは当然である。
当時中国政府は満州国の不当性を「国際連盟」に訴え、常任理事国だった日本も
しぶしぶながら承認したリットン調査団だった。日本も随行員を付け調査に協力した。
しかし、報告書は日本に対し厳しかった。
如何に厳しくとも、調査を認めた以上、報告書に反対する(承認できない)
というのは許されるにしても、国際連盟を脱退したことは信義に反する。
リットン報告書は日本に厳しかったものの、解決の「ヒント」を与えていたのに、である。
かくして福地さんが「満州事変・満州国建国は日本の侵略でない」とする根拠は崩れる。
—-
そのような「侵略」によって得られた満州国(利権を含む)を仮に認めるとしても、
その後の「支那事変」は侵略以外の何ものでもない。
福地さんの記述に従って考えていこう。
「第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない」の「第三節 西安事件――東アジア情勢の
重大な曲がり角」で彼は「2.26事件」に触れている。
蒋介石の強硬なレコンキスタの姿勢の裏に共産勢力の陰謀があるというが、
それは別に論じるとして、「2.26」事件についての福地さんの”解釈”には驚くほかない。
この事件については「定説」があるが、この定説とは全く反する(逆の)見解を示すには、
それなりの理由が必要だが、彼は全く触れないばかりか、「支那の強硬な対日姿勢を一層促す作用を果たした」
と述べているだけである。
この事件を利用して皇道派を一掃した陸軍首脳の梅津美治郎・武藤章ら統制派や石原莞爾は、
広田弘毅内閣の組閣に介入し、陸海軍大臣を現役の大・中将にかぎる軍部大臣現役武官制の復活をはかるなど
陸軍による強力な集権体制をきずいた。(エンカルタ)
さて、福地さんのいう「東アジア情勢の重大な曲がり角」というのは「西安事件」である。
張学良が蒋介石を軟禁して「国共合作」を実現させたことを言っている。
彼によるとこれは「コミンテルンの謀略に引っかかった」という。
国共合作によって日本に対する抗議行動や戦闘が激しくなる。
盧溝橋事件、上海事変以降の日本軍の行動は戦線の拡大だった。
もちろん中国(軍)に問題はいっぱいあっただろう。
例えば、日本人居留区を襲撃するなど日本人の被害は多かったようだ。
しかしそうだからといって、戦線を拡大してよいということにはならない。
福地さんの議論は「満州国を守るのは自衛であり、中国が”返せ”というのは不当である」
というのが基本になっている。
早い話、日本軍は満州を守るためには「何をやってもよい」と受け取られても
仕方がないような行動を取ったし、福地さんはそれを是認している。
日本の「自衛」とか「守り」とか言うならば、過剰な自衛行動でありそれならば
西欧の植民地主義と変わるところがない。
福地さんは、盧溝橋事件を総括して次のように述べている。
①日本は戦争を望んでいなかった。
③様々な史料で明らかなように、日支両軍衝突を挑発したのは支那側で有り、
それは支那共産党の謀略部隊による挑発であった。
④盧溝橋事件以後の三週間、日本側は、四度停戦協定を結んだが、支那軍は悉くこの停戦協定を破った。
などなど・・。
日中両軍が戦闘すれば、殆どの場合日本の方が圧倒的に強かった。
中国(軍)は、日本軍に手を出してはやられ、日本(軍)の占領地が拡大した。(これを共産党の謀略だという)
停戦協定は守られなければならないが、もともとこういう「協定」は力関係により結ばれたもので、
民衆にとっては、自国政府には「歯がゆさ」を、外国軍(日本)に対しては激しい憎しみを抱くに違いない。
簡単にいえば、力で日本の占領地を拡大しておき、その既成事実を認めよ、という
「力の平和」が、彼のいう「①日本は戦争を望んでいなかった。」である。
今のイスラエルとパレスティナをみればよく分かる。
当時の日本軍は今のイスラエルと非常に似た行動を取っている。
要するに、満州を守るための軍事行動が支那事変である。
Aを守るためにBを確保し、Bを守るためにCを確保し・・
と限りない「自衛戦争」を繰り返した。
しかしこれを「自衛」というのは無茶である。こういうのを自衛といったら、侵略なんて無くなる。
支那事変は侵略以外の何ものでもない。 (続く)
したつもりが・・言葉の追加ができませんでした。
もう一度・・・
『と書いて、はたと気がついた。
日録に集う紳士は【 敬愛すべき立派な 】日本男児そのものであることを・・・。
失礼致しました。』
田舎のダンディさんの、PAZZOさんへの説明。
私だったら、なんと言おうかしら?と思案していましたら、ダンディさんの懇切丁寧、明快な説明、「言葉の一言、一句を指摘する前に論旨を、読み取る努力をされ・・・虫の目、鳥の目、のようなバランスが大切・・・」を読み、「相手を思いやる心」からの言葉と私も勉強させて頂きました。
布袋和尚さんの
9月5日20:11 のコメントも歴史の授業を聞くようであり、また「民族と生命の流れ」という素晴らしい言葉にも出会えました。ありがとうございました。
松井課長の
「商売の利益のために国家が崩壊していいのか、自由の為に国家が崩壊していいのか、民主主義のために国家が崩壊していいのか。
商売、自由、民主主義も日本国に主権があってそれを守る国民がいるから機能する」 その通り!です。
人は、ほとんどの人は、世の中の矛盾、そして自分の中のいい加減さと言うものを、分かりつつ日々生活している。 でも、「ここ一番、ここだけは」の時、自分の主権を守れるかどうか。
で男の光を感じるのです。
田舎のダンディ先生今晩は。
田舎のダンディ先生は、私のために毎日真剣に色々なことを教えようとしてくれています。
今日は、「論旨を読む」ことについて書きました。
その例として
>普通の日本人で、私の文章のこの部分を読まれた方は(正しい考えかどうかは別として)、勉強を重ねていけば、少しずつ理解して行き、最終的には深い理解に達するということを述べていると考えるでしょう。
私にはとても不思議に思うことがあります。
思い出してみてください。
私が最初にここに書いた目的は、長谷川先生が決めたルールに賛成することでした。
その理由も書きました。
私は日本の人は論議が苦手だといわれることを紹介しました。
私はいくつかの目的を追加しましたが、私の立っているところは、最初の目的から何も変わっていません。
それは「日本の人は論議が苦手だ」ということです。
田舎のダンディ先生は、どこに立っていましたか?
田舎のダンディ先生は、始め、「日本人は論議が苦手だ」に違和感があると発言しました。
共通のトピック、田舎とダンディ先生と私の目的は「日本人は論議が苦手」かどうかを明らかにすることでした。
論議は、連続した対話で成り立つものです。
連続した対話ははどれだけ持続しますか?
何年もかかって論議する人は多くはないでしょう。
何年もかかって論議したのは、カエサルとキケロなどが有名ですが、私はそのような長い時間の論議を考えていません。
だから、私は最初から今まで、その時間のセンスに立っていました。
その時間の長さでは、判ったか判らないか、ゼロか1です。
でも、田舎のダンディ先生は、ちょっと立っているところがずれたのではないですか?
「勉強を重ねていけば、少しずつ理解して行き、最終的には深い理解に達する」というのは、「日本人は論議が苦手」かどうかを言うには適切な説明だと思いますか?
—-
次のトピックです。
田舎のダンディ先生は言いました。
>しかし、論文や裁判文書と違って、日常生活では、極めて論理的に文章を構成することは、いたずらに煩雑になるので、趣旨を理解してくれる程度に簡略化するのが普通です。
>このように、本質的でないこと、重要度があまり高くない事に拘って、あれこれ言って楽しむことを、日本では「言葉遊び」と言います。
これも、私には違和感があります。
「日本人は論議が苦手だ」に違和感をもったのではないですか?
そして、私に反論したのではないですか?
つまり、田舎のダンディ先生は、私に論議を挑んだのです。
でも、
いつのまにか、田舎のダンディ先生は、「日常生活」にしてしまいました。
「論議が苦手だ」は、どこへ行ってしまいましたか?
これも、私にとっては言葉の「すり替え」なのです。
Vagabond先生のしたすり替えを非難しないのは、田舎のダンディ先生も同じ事をしているからですか?
私も、私の日本人の同僚も、そのようなことは不誠実だと思っています。
なにが大切ですか?
私は目的が大切だと思います。
私は自分の目的を述べました。
田舎のダンディ先生も目的を述べました。
それは、「日本の人は論議が苦手」かどうかについて意見を交換することでした。
その点で関心のある事項が同じでした。
そこが一番大切だったのではないですか?
そして、いつの間にか「言葉遊び」だとまで、田舎のダンディ先生は、言いました。
そして、「言葉遊び」とは「重要度があまり高くない事に拘って・・・」と田舎のダンディ先生は、言いました。
そして「論議」の世界から「日常生活」の世界に行ってしまいました。
目的から離れていってしまったのです。
私は、今日、日本の人が論議が苦手な理由の例として、「目的から離れていってしまう」を指摘します。
この事については、田舎のダンディ先生は、よいことを言いました。
「鳥の目」です。
鳥の目で見ていれば、自分がどこに立っているのかを見失うことはないと、私も思います。
vagabond先生今晩は
vagabond先生が、懇切に解説してくれたおかげで、vagabond先生の誤りがよく判りました。
この「前述」というのは、既に私が理由を示して覆したことです。
vagabond先生は、2006年09月05日 19:14にこう言いましたね。
あなたはどうして私が私の「心の内」を知っていると分かるのですか。
これは推量でしかなく、「人の心の内を推し量って言及してはいけない」ということに反します。
私は、 2006年09月05日 22:56の発言でこれを覆しました。
それをvagabond先生は2006年09月06日 11:19の発言で覆されたことを認めました。
そして、主語を入れ替えて尋ねて来ましたが、主語を入れ替えても意味のないことです。
vagabond先生は、どうして覆されて自分でも認めた理由を平気で使うのですか?
私には、vagabond先生がどのような気持ちでそうするのかが理解できません。
その上、上の例にはロジックに決定的な誤りがあります。
1から3まで例を示していますが、
が抜けています。
これは、①の動詞が否定形であることを見落としたためでしょうか?
①から直接に導かれるのは、「人の考えは、本人か神様以外の者には分からない」です。
だから、どちらも分からない事があり得ます。
続けたいかどうかは、vagabond先生の自由です。
ここで続けることに不具合があるということでしたら、その理由を言って下さい。
しかし、これまでのいくつかの質問にvagabond先生が答えていないのと同じように、理由を言うか言わないかはvagabond先生の自由です。
一方で、ロジックでこれだけの欠点を示したvagabond先生が、日本の過去をどのようなロジックで言うのか、深く読み込んでみたいとも思います。
最後に、Pazzoさんへ
こうした無限連鎖のような議論を、延々と続けることは、例えPazzoさんへが望まれても、これ以上、私には対応できません。あなたを非難するような気持ちはありません。ただ、私の希望を述べてPazzoさんとの関わりを一旦断ちたいと思います。
私の希望は次のことです。
私(田舎のダンディ)とあなた(Pazzoさんへ)のこれまでのやり取りをプリントし、あなたの身近にいる普通の日本語の分かる日本人数人に尋ねて下さい。そして自己主張しないで、その方々の率直な感想を聞いてみて下さい。それが実行されたなら、このブログに迷惑を掛けない程度にお応えします。
あなたが正しいと言う方もおられるでしょう。中には、あなたが期待しないような感想をいう方もおられるかもしれません。そこでは、議論を挑まないで下さい。正しいと言われたら、自信を持って下さい。そうでない感想を言う方がおられたら、謙虚に耳を傾けて下さい。そして、今後の生き方の参考にして下さい。
いろんな問題について、自分の価値観と違うという疑問を抱きそれを解明しようとする事は、あなたの優れた資質の一つです。もし相手がいる場合、正しさを決める前に、彼我の比較をし、それぞれに、それがよって立つ基盤があることを理解し、受け入れて下さい。
これからも、色々な所で多くの議論をするでしょう。単に正邪、勝ち負けを争うことだけではなく、価値観の異なる相手とのいい関係を保つ事も考慮しながら、一定の自制心を持って臨んで下さい。そして、信じること、信じるもののために頑張って下さい。
『讒謗に応答する』に答える(4)
いわゆる『陰謀史観』など
『誰かの挑発や陰謀で、歴史が動いていく式の歴史理解を一般に「陰謀史観」と呼ぶ。
単純明快なだけに俗耳には入りやすいが、少し考えてみると成り立たぬ空論が多い』(秦郁彦:現代史の争点)
「第4章、第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角」で福地さんはおおよそ次のように論じている。
① ソ連・コミンテルンそして支那共産党は間違いなく「抗日運動」を「抗日戦争」へ高めようとしていた。
② 共産党が蒋介石に「国共合作」を持ちかけていたが、拒否していただけでなく、剿共作戦に熱心だった。
③ ソ連・コミンテルンや支那共産党と通謀していた張学良は蒋介石に
「共同抗日」を訴えたが拒否され、蒋を軟禁した。
④ 共産党は蒋介石を殺そうとしたがスターリンの指令で釈放した。
南京に帰った彼は剿共作戦から抗日へと路線を変更した。
⑤ かくしてスターリンの東アジア戦略=日本帝国主義と蒋介石を激突させる戦略は軌道に乗った。
以上は「コミンテルン」側の「陰謀」である。
福地さんの説によれば、次のような解釈になる。
—-
「盧溝橋事件」によって日支両軍が衝突したが、日本政府は不拡大方針で臨んだ。
そして現地停戦協定が成立した。
しかし、コミンテルンは支那共産党宛に「日支全面戦争に導け」との指令を発した。
それにしたがって蒋介石は北支、北京に大軍を配置し、現地停戦協定を廃棄し、
日本に対し戦争の手段に訴えた。
かくして戦線は各地に広がった。
「盧溝橋事件」という偶発的な出来事をネタに中国側は戦争を拡大しようとした、
しかもそれはコミンテルンの意図に従ったものだ・・・。
—
当時両軍の間には小競り合いがたくさんあったが、どちらが先に手を出したかはともかく、
中国側に攻撃されれば反撃し、危なくなったら増援部隊を投入し、相手が敗走したら追撃する。
これは軍人の心理である。
コミンテルンの「陰謀」というなら、かれらはこういう日本軍人の心理を巧みに逆用した、
というべきだろう。
【否応なしに日本軍は大陸の泥沼に引きずり込まれていった。】と福地さんが言うのは、そのことを指すのだろう。
当時の状況は中国東北部(本来の満州)のほかに「中立(緩衝)地帯」も設けられ、
中国人にとって見れば日本の侵略がますます広がった、と受け取るだろう。
中国側が武力で日本軍を追い出そうとするのは、よいとか悪いとかではなく、当然のことだろう。
(なお、日本軍と「熱心に」戦ったのは共産党軍で、国民党軍は熱心でなかった、
という説もある。)
そもそも、陰謀というのは「君には手を出さないよ」といいながら安させておいて、
いきなり殴りつけてきた、というような場合を指す。
日本軍の場合は、不意打ちを食らったわけではなく相手の逃げるのを追いかけたのである。
追いかけなければよいし、追撃してもまた元の位置に戻れば戦線は拡大しないのである。
しかし「元の位置に戻る」ことは日本軍には出来ない(意地)ということを相手に読まれていたとすれば、
日本軍の(ある意味)無能さを示している。
結果的に戦線を拡大したことは紛れもなく「加害者側」なのに、「戦線を拡大させられた」
とか「陰謀にやられた」とあたかも被害者であるかのように言うのはこっけいである。
さて、中国(軍)が武力で日本軍を追い出そうと戦いを挑んだことと、
次の福地さんの言葉とはどう関係するのだろうか。
【(明治政府の国家戦略の第二は)「東洋世界の平和と安定の確立」
(「東亜〔支那〕の保全・東亜〔支那〕の覚醒」)であった。昭和時代には
「東亜(アジア)の解放」と言われたが、要するに西洋列強=白人覇権勢力の圧迫から植民地支配の悲哀に陥り恐怖に慄く被抑圧諸民族
=有色諸民族を解放することである。】
被抑圧諸民族に中国(人)が入るとすれば、その中国人に「出て行って欲しい」と武力行使されたら、
逆襲することがこの言葉に適合することだろうか。
「支那の解放」も日本政府の謳うところであったならば、【日本軍は大陸の泥沼に引きずり込まれていった】
というのは明らかに反している。コミンテルン云々ではその矛盾を説明できない。
私の知人の助言である。(文体は変更)
『讒謗に答える、に答える(2)で、私が「満州事変・満州国、満州事変は
軍部が政府を無視して行った(国内法から見て)不法行為で・・」と書いたことに対し、
陸軍刑法で反論する意見が載ったことに対する見解である。
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
当時、欧米の主要国は第1次大戦の未曾有の惨禍によって侵略戦争を忌避・非難する国際世論が高まっていた。
国際連盟の設立はこのようなその時点の国際世論の結集である。
こういう環境は日本の陸軍刑法などに比べればその時の世界史的歴史事件に対して
大きな歴史的意義をもつものである。
その侵略忌避の環境において満州を侵略したのは全く国際世論に疎いおろかな行動だった。
そして国際連盟脱退など結局、国家破滅に導く行動を明確に把握するのが歴史学である。
国家破滅に導いた戦争責任は史実に基づいて検証されるべきだ。
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
—
福地さんの『昭和の戦争について』は盧溝橋事件で終わり、かなり飛んで、
敗戦後のGHQの政策について述べている。
ここでもいくつかの問題点を指摘しておきたい。
1.明治憲法について、
【明治憲法は、君主権力と行政権、立法権、司法権、軍事権と言う権力の相互抑制の
バランスを良く取っている。権力分散と公議世論政治を程よく按配した模範的立憲君主制の憲法だと
当時の西欧諸国の憲法学者たちからも高く評価された秀逸な憲法なのである】
と述べている。
実際の運用がどうであったか。
天皇に統帥権があったにもかかわらず、実際は発揮しなかった。(例外は3回)
天皇自身、自分は「立憲君主だ」と自覚していたからである。
このため、特に1930年代においては「軍事権」が著しく飛び出していた。
「2.26事件」は根本的に軍のあり方に違反する暴挙で、さらにテロも加わり
行政権が著しく侵害された。
つまり「相互抑制のバランス」が機能していなかった、詳しくは、
軍の横暴がバランスを崩した、というべきだろう。
私の知人はもっとハッキリと、次のように厳しく批判している。
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
内閣は行政官僚と司法を人事権で統制支配したが、軍部完全に独立していては内閣の支配を受けなかった。
軍の人事、組織、編成は(名目上天皇にあったが)軍自体が行った。
軍は内閣をいつでも潰せたので予算さえ支配できた。ついには武力・テロで政党、議会、内閣を支配した。
行政権、立法権、司法権、軍事権が相互抑制できる体制ではなかった。
明治の寡頭政治家たちがそれぞれの自己の政治権力維持のためやむなく作った擬似的な立憲君主制憲法だから、
寡頭政治家・特に陸軍を支配した山県が寡頭制後継者を作らず死んだ結果、
制度の不備(軍の抑制機構なし)によって軍部は暴走した。
$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
—-
『第5章、第二節「GHQ占領憲法」の本質――日本弱体化の謀略法規』で彼はこう泣き言を述べる・・。
【日本国は「無条件降伏」したのだとの巧妙な詭計をもって施政権を剥奪した我が国に対して
「日本国憲法」なるものを押し付けた。施政権・外交権を完全に剥奪されて占領軍権力に身を委ねた被占領国家に、
憲法制定権があろう筈が無い。】
【総司令官マッカーサーは姦策、情報操作を推進した。大東亜戦争が悪辣無道な侵略戦争であり、
多くの日本国を不幸のどん底に叩き落したと日本国民洗脳作戦を展開した。
悪逆無道な戦略者を推進した国家指導者=軍国主義者を断罪するとして
「極東国際軍事裁判」なる茶番劇を演じた。次いで、帝国議会と枢密院に『大日本帝国憲法』改正手続きを踏ませて
「GHQ占領憲法」に摩り替えたのである。】
福地さんは、日本の敗戦が先進国では極めて稀な徹底的な「惨敗」であったことを
忘れているように見える。
愚かな戦争指導者、特に軍部は「一億玉砕」を叫んでいた。
軍隊が玉砕することでさえ「大いなる恥」であるのに、国民まで巻き込んで
「みんなで死のう」というのである。
ポツダム宣言は日本にとって「圧力(押付け)」ではなく、日本を救った
「恵み」なのである。なぜなら、敗戦がさらに遅れたなら、それこそ福地さんが「陰謀を仕掛けやがった」と息巻くソ連の
本土(北海道)への侵略を受けていた可能性が極めて高いのである。
あきれたことにそのソ連に休戦(終戦)の斡旋を頼んでいたのだから、
福地さんの「コミンテルン陰謀説」もいい加減なものだ。
そもそも戦争を始める(真珠湾攻撃は、宣戦布告が遅れた不意打ちだった)なら、
結末を考慮しておかなければならない。
勝ったらどうするか、とともに、負けたらどうするかも大切な対策である。
あのときの日本のように、完璧な「惨敗」ならそれこそ正義も法もクソもない。
これは数千年の歴史の証明するところだ。
負けて気に食わない仕打ちを受けて泣き言を言うなら始めから戦わないか、
勝つかいずれかだ。
福地さんに言いたいが、こういう見解はGHQの「洗脳」とは関係がない。
むしろ日本の歴史で多々あったことである。
『むすび 現下の課題』でも、彼は泣き言を述べる。
【毛沢東指導の支那共産党の・・謀略は異常に逞しかった。大日本帝国滅亡後、
共産ロシアの目論見どおり、支那共産党の大陸制覇は達成された。アメリカはトンビに油揚げを攫われた。
・・・これらは、謀略情報戦に不得手で、「信義」や「誠実」をモットーとする我々日本人には中々理解できない醜い世界の出来事だった。 】
何度も繰り返すが、張作霖暗殺や、柳条湖事件という謀略を引き起こしておきながら、
“「信義」や「誠実」をモットーとする我々日本人”などといえるのだろうか。
【モノの見事に誤解に基づく理想世界の拡大を欲した米国と、共産ロシアの二つの謀略勢力に
支那大陸の戦場に引き込まれて、結局は押し潰されたと言える。】
【支那共産党政府要人が、事あるごとに日本政府は反省が足りない、「歴史を鑑にせよと」説教するが、
全く善人と悪人が転倒した盗人猛々しい、片腹痛い言い草なのである。
彼らは、支那共産革命を達成する目的で、日本軍と軍閥蒋介石を徹底的に共倒れになるまで戦わせる
悪行を働いた張本人なのである】
これなどは迷言そのものだ。
【悪行】というなら、日本軍が中国(人)に与えた被害と、逆に中国軍が日本に与えた被害と
どちらが大きかったか、明らかだ。
それをいうなら、何故そのことに気づかなかったのかを反省しなければならないのに、
【謀略情報戦に不得手】で済まされる問題だろうか。
私の知人の言葉である。
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日本が中ソ米英の謀略で戦争に引きずられたとしても(右翼論者はこのような弱肉強食を是としている)、
日本の国家経営者(ほんとうの経営責任者が居たのか?)には確たる自己保存策が無かったという実態を
明らかにするだけであり、あの経営方針・体制、組織指導が正しかった、回帰しよう、
誇りを持とうなどと叫んでも、むなしい事だ。
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さて、福地論文から読み取った一番の課題は、「中国の統一、利権回収という要求と、
日本の満州利権とをどのように折り合いを付けるか」である。
私には難しい問題である。
まず、植民地解放は世界史の大きな流れであり、遅かれ早かれそれは実現していたであろう。
したがって、満州利権がいつまでもあったとは考えにくい。
香港の例は参考になる。
福地さんは、【ソ連=コミンテルンの指導で、1936=大正15〔昭和元〕年11月、
支那南部で反英闘争の猛威が荒れ狂った。】と書いているように、列強に対する反感は強かった。
しかしその矛先は日本に変わった。
いろいろな事情があるだろうが、香港は戦中・戦後の混乱期を生き延び、
1997年中国に返還された。
私の勝手な想像だが、イギリスの進んだ政治・社会体制や科学技術によって香港は繁栄し、
中国(しかも共産中国も)と共存した。
日本も満州を開発し、発展させた。
これが中国と共存できなかったか、検討の価値はある。
それとて香港と同様の(それよりは厳しい)経過を辿っただろうことは想像に難くないが・・。
さて、福地論文批判を終えるに当たって、コトのはじまりを振り返ってみよう。
私は、彼の論文が掲載され始めたすぐに、「福地さんという人はとんでもない『思想』の持ち主である。」
と書いた。
私の知人は、「その書き方はまずかった」と助言してくれたが、書き出しから
「大東亜戦争肯定=侵略でない」論であることが分かった。
このテの議論はほぼ出尽くしており、大体のパターンも分かっている。
果たして彼の論文は「自衛」だとか「陰謀」だとか・・私の想像通りの内容だった。
彼は、後ほど『「昭和の戦争」補論――歴史を知るとは、今やその讒謗に応答する』を書いて私に反論したが、
私に対するひとつの誤解は「GHQの洗脳」ということである。
例えば【バガボンド(本当は vagabond )は初めから聞く耳を持たずに、
「太平洋戦争史観・東京裁判史観」は正しいし、それを守りたいと思っている。】と書いているように、
大東亜戦争を批判する人は「東京裁判史観に洗脳されている」と決め付ける。
また、20世紀に入って帝国主義列強の侵略が続いたが、
【日本が全く軍事行動に出なかったと仮定したとき、
どのような東アジアの勢力地盤の変動が予想されるか。】
と書いているが、
私は日本は全く軍事行動をすべきでなかった、とは言っていない。
先に述べたように「何故引けなかったか」である。
また、はじめに私が「どんな屁理屈をつけようと、中国でその政府の許可なしに
日本軍を好きなように展開した。いつの時代にもこんなことが正当化できるはずがない」
と書いたことに対して、
【また、現在只今でも、君の国際正義は国際政治の場で一般化しているのか。
(として米国・イラク戦争、竹島占領、共産支那の尖閣列島地下資源発掘、ロシアの千島列島、樺太占領などを挙げ)
・・・みな日本政府に「許可」を得てからの行動か。君はどう考え、どう答えるのか。
何時の時代にも普遍的に存在する国際政治の常識は、「弱肉強食」の論理なのである。】
と反論している。
これは、彼が支那事変が「弱肉強食」の論理に基づいているということを認めたことになり、
「アジアの解放」に反するのではないか。
最後の方で彼は「大東亜戦争は侵略戦争だ」とする私の見解に対し、
【君は戦後の敗戦国体制と敗戦国イデオロギーを「保守」しようとしている。
それでは日本民族の自立と尊厳の回復はありえないであろう。民族の異様な変質と衰亡を希求する
「保守主義者」とは、語の矛盾であろう。亡国の思想を「保守本流」と自称する転倒した発想は、
詭弁であり危険である。】
と書く。「保守本流」と自称するというのは私のHPで「保守本流を目指す」
と宣言しているからだ。
私の知人の言葉。
$$$$$$$$$$$$$$$$
戦後60年、国民が安定した安全平和な生活を維持できた現在の統治体制・安全保障体制を全否定して、
今のように国民の満足の行く生活をどうやって再構築するのだ。
経済、交流・交易、資源、戦後処理と国家経営は切り離せないのに
これを無視した空虚な論である。
$$$$$$$$$$$$$$$
黒を白と強弁することが民族の尊厳を守ることではない。
こういう態度こそ、民族の尊厳を損なうものだ。
最後に、福地さんにお礼を言わなければなるまい。
「反面教師」ではあるが、いろいろ勉強させてもらった。
例えば、辛亥革命から蒋介石の統一までの約20年間中国は内戦だったこと、
その間は満州は「安泰」だったこと、北伐=国の統一運動が「満州利権」と相容れなくなったことなど、
その間の動きがかなりよく分かった。
やはり異なった見解と出会うことはたいへん役に立つし、自分の考えの曖昧さや不十分さを
補ったり訂正したり出来る。
こういう場を提供していただいた西尾さんや管理人さんにお礼を言うべきだろう・・
「ありがとうございました」。
田舎のダンディ先生
昨日は、先生の言うとおり印刷しようと試みましたが、普通に印刷すると108頁にもなることが判りました。
それで、妻に見せたり、友人にurlを知らせたりしました。
私は、最初に私の日本人の妻に、田舎のダンディ先生の言ったことを告げました。
「あなたの身近にいる普通の日本語の分かる日本人数人に尋ねて下さい。」
そしてパソコンのモニタを示しました。
すると、妻は言いました。
「そうやって一度手がけたことを他人に丸投げするような日本人の男が嫌であんた(Pazzo)と一緒になったんだよ。」
その一言でお終いでした。
彼女は読もうともしませんでした。
私はなんだか別な荷物を背負わされたような気がしました。
また、私にも日本人の血が流れていることから、少し複雑な気持ちがしました。
2人の私の知恵袋は言いました。
—
A先生は言いました。
いままでアドバイスしてきたように、田舎のダンディ氏は、大変穏健な人物だとおもう。彼は彼なりの言葉で一生懸命君(Pazzo)に日本人の気質を教えようとしている。
ただ、立場の揺れがところどころにあるから、君の突っ込みを受けてしまった。
君は、そこを正直に突っ込むから彼も参ったのだと思う。
前も言ったろうか?
彼の言うように、日本では「言葉を飲み込む」という事はある。
言いたいことを言わずに我慢いても、事を行っていくうちに理解できる事もあるということで、彼もそれが言いたかったのだと思う。実際に日本のサラリーマンなんかはそうやって我慢してるんじゃないかな。それで焼鳥屋が儲かる。
君も参考とすべきところではある。
だからって、それを論議の場で相手に求めるのは反則だ。
こうやって、人に読んでもらえってのも煙幕をたいて逃げるようなもんだ。
—
B先生は言いました。
A君とやり取りしていたのはこのブログのことだったのか。なかなか君(Pazzo)も夜遅くまで頑張ってるね。
日本人は確かに論議が苦手だとおもうよ。田舎のダンディ氏も、優しさばかりが前面にでて、本当に言いたい論旨が必ずしも鮮明じゃない。この間の火曜の晩に、テレビでカルロスゴーン氏が出演して言ってたんだけど、「日本人がコミュニケーションをうまくとるには、自分が言いたいことをまず自分で理解することだ。」なんだってさ。そりゃそうだけど、ゴーン氏からみたら日本人はちゃんと考えてるように見えないのかなって思った。
他に見ていて気付いたけど、バガボン?氏、彼の主張も当時の法に対する感覚がデタラメだし、周りの反論もポイントを外してる。
それで感情と感情の投げ合いだよ。論議なんてものじゃない。
確かに、この国には論議が得意な人もいるだろうしけど、そんな人は、法曹になったり官僚になったり現実の職業でその能力を使って忙しく働いているだろうから、一般のブログじゃなかなかお目にかかれないかもね。
君も、ブログで活躍するのもいいけど、例の件、〆切大丈夫?
—
他の人の答えはいま待っているところです。
B君は、最後に鋭いことを言いました。
実際、私も〆切のある仕事がありました。
福地さん、
これまで4回に分けて『「讒謗に応答する」に答える』を書いてきました。
あなたのはじめの論文『昭和の戦争』の矛盾点を突いたつもりです。
今度はあなたがお答えになる番です。
しばらくお返事を待っています。
Pazzoさんの誠意に応えて
Pazzoさんとのコメントのやり取りについて、認識の違いがあるので、あまり感心したやり方ではないかもしれないが、Pazzoさんに第三者の感想を聞いてとお願いしました。1人ぐらい、「これは論争ではなく、日本文化についての、相手からのアドバイスでしょう」とだけ言ってくれる方がおられるかと思ってです。
でも、Pazzoさんは誠実に実行し、正直にコメントされました。そこは立派だと思います。奥さんからの評価も上がったようで結構です。どうやら私への評価は、穏健で優しいが論者としては失格なようです。一つだけ言わせてもらえば、Pazzoさんのコメントは正当だとアドバイスしてくれた方々の気遣いには感謝しなければなりませんね。
確かに長すぎますので、参考までに、○(Pazzoさんのコメント)、◆(田舎のダンディのコメント)のやり取りを、実際のコメントをもとに抄述します。カッコ内は私の補足で、順不同です。
○日本の人は論議が苦手だ。
◆全くPazzoさんのおっしゃる通り。ただ、このブログに登場した方々すべてが、「日本の人は論議が苦手だ」の見本のように言われるのは不満でしょう。
○日本の人は、(論争で)関係のないことを言います。
◆文化の認識の違いだと思います。そうした一面をご理解のうえ、東埼玉人さんのご質問を、もう一度読まれたらどうでしょうか。(と、提言した)
○日本の人はどうして意味や利益のないことを言いますか?その相手の人は、どうして「意味や利益のないこと」に別な言葉で「意味や利益のないこと」を言いますか?
◆こうした言い方も、日本人に対し、あなたの価値観はおかしい、日本人の文化はおかしいと侮辱されていることで、日本人の気持ちから言えば、なんで日本人の特性そのものを否定されなければならないのかと感じる。(そこに気をつけて論争された方がいいですよとの趣旨)
○日本の人が日本の伝統文化に誇りを持つ事は賛成です。伝統文化を背景とする発言や動作がよい人間関係を作って保つために意味がある事にも賛成します。でも、今回の一つの連続した論議で、その伝統文化は用いられましたか?用いられたとしたら、どのように用いられて、それは有効に機能しましたか?用いられなかったか、それとも用いられても有効に機能しなかったから「一部議論がかみ合わない状態」が続いたのではありませんか?それとも、有効に機能したから「一部議論がかみ合わない状態」となったのですか?
◆(ここは簡略化のための説明文にします)コメント欄を読まれていればお分かりのように、元々私も皆も、Pazzoさんが上に記されたような、vagabondさんの論争スタイルを問題視していたのです。だから、周りの方全部がおかしいと言ってほしくないという気持ちです。
○私から見ていると(日本人は)「言うべき事」ではなくて「言いたいこと」を「ハッキリ言う」ように見えます。利益も意味もない「言いたいこと」を言い、その発言に対して利益も意味もない発言を引き起こすのです。その代表として私が名指ししたのが…「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」
◆(ここも簡略化のための説明文にします)と言われたので、「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」は、vagabondさんの西尾先生に対する(失礼と思える)コメントですが、この言葉のニュアンスをPazzoさんが誤解されておられると思い、説明しました。
○田舎のダンディ先生は親切に「どうやらこの先生には経済観念というものがないらしい。」の意味を説明してくれました。これはとてもよく判りました。これも、尋ねたからこそ判ることができた例です。
○日本語でいう「言葉遊び」と「論議」の違いを教えてください。その目的はどう違いますか?そこで用いられる発言はどう違いますか?その結果はどう違いますか?
◆本質的でないこと、重要度があまり高くない事に拘って、あれこれ言って楽しむことを、日本では「言葉遊び」と言います。しかし、これもその人の判断です。
○人の考えは、本人か神様にしか判らないことです。それを推し量る事ことになにか意味がありますか?
◆(これは、Pazzoさんの考えなので、正面から答えませんでしたが)ということを基本に人生を考えておられるなら、改められることをお勧めします。改める必要はないとお考えの場合は、少なくとも日本人は、人の考えや気持ちを推し量る事を基本に生活しているという事をご理解下さい。
「なにか意味がありますか?」という言葉は、(言って悪いという事ではないが)少なくとも乱発されるべき表現ではありません。人生の意味すら分からないままに一生を過ごす人間にとって、すべての行為を「説明できる意味を考えながら行なっているのか」と問われたら答えに窮するでしょう。勉強や修行を積み重ねて、初めてその意味を理解するのが普通です。
○(最終的に意味を理解するまで)判らないまま勉強するのですか、それはおかしい。意味の判らないままで勉強や修行を積み重ねるのですか?
◆普通の日本人は、勉強を重ねていけば、少しずつ理解して行き、最終的には深い理解に達するということを述べていると考えるでしょう。当然、その途中、分からなければ尋ね、教えを請い、さらに勉強することも意味していると理解するでしょう。しかし、論文や裁判文書と違って、日常生活(つまりこのブログの場合も含めてという意味でしたが)では、極めて論理的に文章を構成することは、いたずらに煩雑になるので、趣旨を理解してくれる程度に簡略化するのが普通です。
○Vagabondさんの言葉のすり替えについてですが、
◆だれでも行なっている論争のテクニックの一つです。
○「日本人は論議が苦手だ」に違和感をもったのではないですか?
◆(読めば分かりますが、この前提は正確ではありません)
○そして、私に反論したのではないですか?つまり、田舎のダンディ先生は、私に論議を挑んだのです。
◆(そう思われるのなら仕方がありませんが、日本に関する知識をもう少し持ってから、他の方と論争をされたらと助言しているのです)
○いつのまにか、田舎のダンディ先生は、「日常生活」にしてしまいました。「論議が苦手だ」は、どこへ行ってしまいましたか?これも、私にとっては言葉の「すり替え」なのです。
◆(どこへも行きません。最初からそういう意識ではないのです。だから、Pazzoさんを論争でやり込めようとかの表現を用いてない事はお分かりだと思っていましたが。繰り返しますが、ブログのコメントは日常の事でいいのでは)
○Vagabond先生のしたすり替えを非難しないのは、田舎のダンディ先生も同じ事をしているからですか?
◆(誠実なやり取りをしないVagabondさんを非難しているのは、私のコメントに溢れているので、お分かりでしょう。ただ「すり替え」的なことは感心できませんが、論争では誰でも行なっているという意味です)
○「日本の人は論議が苦手」かどうかについて意見を交換することでした。その点で関心のある事項が同じでした。そこが一番大切だったのではないですか?私は、日本の人が論議が苦手な理由の例として、「目的から離れていってしまう」を指摘します。
◆(「日本の人は論議が苦手」と言う事について論争するなら、Pazzoさんの言うとおりです)
なお、これは論争ではありませんので、反論を求めるものではありません。
Pazzoさん
個人的な用事が終わりましたのでやっと返事が出来ます。
Pazzoさんの疑問は「主題とずれた意味のない話をするのはどうしてなんだ」でしょ。罵倒もそうだし、話がずれてゆくのもPazzoさんの疑問をさらに深めていると理解していますが、それでいいのでしょうか。とりあえずそれでいいとして意見を述べます。
この疑問に対して日本の習慣のある側面は強い精神主義の部分がある(これは戦後に使われた否定的な意味を含んでいません)からこそ相手の心情や精神のありかたを理解したいという願望があるという論説をしたい。「主題とずれた意味の無い話」ではなくて日本では意味があるという傍証を述べたい。
PAZZOさんは思想は人間の認識により頭脳が作ったことを認めるでしょ。これを推し進めると相手の心情や心根に関心が向かいます。精神主義と書きましたがある人は日本人は心でっかちであるといい、ある人は日本の文化は精神文化であり、西洋の技術文化に対比して語ります。またある人は日本人の性向は内部に向かいやすいと論説しています。
<「敷島の大和心を言問わば、朝日に匂う山桜花」の世界>
PAZZOさんの以下の文章
松井先生の発言の中で特に卓越しているのは
>日本でベストなのは何も語らないで相互に了解することです。
の部分の卓越という言葉は論理だけで話をすれば貴方の主観ですから私はそれを無視をすればいいのでしょう。私にはPAZZOさんが皮肉で書いているのか、卓越という言葉が「しめしめ大きな魚がつれたぞ」という意味で書いているのか、素直に賞賛で書いているのはわからないです。これは貴方の心の中は私にはわからないからです。おそらく「卓越」という言葉は使い方の間違いでそれは「Pazzoが注目しているのは」という表現のほうが正しいのでしょう。これは相手の精神のあり方や心情を知りたいという望みを否定した書き方になります。わざわざこのように書いたのは私はこの程度は理解しているという意味です。しかしそれでも実際には私はこの願望を否定できないという論説を書くつもりです。
私は貴方の国籍や性別や年齢や経験はまったく知りません。どっか昔に別サイトでの論説を読んだことがありますが・・・・だから以下の文章は文章の前提が違っている可能性があります。
日本人のこのようなサイトに出入りしている人に本居宣長の「敷島の大和心を言問わば、朝日に匂う山桜花」という歌を示して、これについての感想を聞いてみるといいですね。好意的な回答例を考えて見ましょう。
①いいね。好きだよ。
②日本人の心情はこうであって欲しいね。
③すがすがしいね。純粋でかつ山桜なんかに例えるのは好きだな。
④人間はこうありたいね。
⑤朝日に匂う山桜花って喩えがいいね。うれしいね。
⑥「桃の花は何もいわないけどその木のしたにはおのずから道をなす」という漢詩を思い出すね。
おそらく近代化されたはずの多くの日本人はこう回答するでしょう。
こういう肯定的な回答をした日本人は「敷島の大和心を言問わば、朝日に匂う山桜花」であれば多少の知識の差や価値観の差なんか関係ないわけです。
日本人の議論で主題からずれて相手の心情や心根を諮るのは当たり前の話ではないでしょうか。相手の心情や心根、精神のありかたや善悪や好悪の基準や美意識は主観的なものですが、また幾ら考えてもこれらにどっか違和感があるとそれが罵倒になるのはある意味仕方がないです。なにせ「敷島の大和心を言問わば、朝日に匂う山桜花」の世界なんですから。朝日に匂う山桜花のような心を持っていれば必要十分なんですよね。本当に日本民族は平和な民族だと思います。
一方で違った文明と対話するにはこれでは駄目でしょう。おそらく中国文化や米国文化と対話するためには厳密に日本側の言葉の意味と外国側の言葉の意味の両者を比較文化論的に理解したうえで日本側の意味を守るのが外交であり、主権を守ることにつながるのでしょう。特に中国文明は同じ漢字を使っていますから、日本側と同じ意味であるかどうかはよく考えてみないととんでもないことになります。私は好意的に見れば八木先生の中国訪問の失敗はここにあると考えています。
<日本人の好み>
現在は思想や嗜好の混乱期にありますからこれからどう変化するか、それとも大事だと考えていることは大事に育てて新しい時代にあった温故知新型創造を発揮するはわかりません。まず文学というデジタル論理に近い分野で考えて見ましょう。
司馬遼太郎にどうしてあれほど人気があるのかの論説を書いた反司馬遼太郎派とでもいう方々の論説を私は読んだことがありません。同様に「国家の品格」という数学者の本がどうしてあれだけベストセラーになったのかを書いたものも少ないようです。批判するのは大いに結構ですが、それを批判して「国家の品格」の売り上げが落ちたでしょうか。司馬遼太郎の人気が落ちたでしょうか。おそらく人気のもとはデジタル論理で説明できない主観的な共感を呼ぶ何か、それは心に共鳴する部分から生じているのでしょう。
この時代の前は何名か国民作家と呼ばれた作家がいます。山本周五郎はその一人でしょう。周五郎の作品は戦前の「日本婦道記」だけでなく武家ものや滑稽ものでさえ国民に支持されています。「さぶ」や「あかひげ」なんかもそうですし、「もみの木は残った」という長編小説でもそうです。そこにはおそらく武士や町人や職人や医者の一分の理を守ろうとした非合理的な衝動に対する共感もあったのでしょう。
絵画でもそうでしょう。あんまりバタ臭いものは嫌われます。墨絵の世界は典型的ですが、中国から導入した墨絵を日本人は独自化して日本的墨絵にしてしまいました。書道でもあれは文字というより絵画でまるで墨絵の世界です。わずか一本の筆使いで世界を現しうることを表現しているともいえます。
梅の花でもほとんど香りませんがそのわずかな香りを日本人は好みます。桃でもその清楚なたたずまいが日本人の共感を呼びます。桜はその散りぎわのきっぷのよさが好まれます。日本人が望むのは美しさであっても永遠ではないのかもしれません。
しかしこれらはほとんど日本人の主観でしょう。主観といって悪ければ意識のさらに底になる何かがなせる業です。
<日本における裁判制度の特徴>
私は高校のときに法律は人間の心情を図るものではない、あれは人間のやった行為を判断して法にしたがい国家組織に刑の執行を命ずるものだと聞いたことがあります。そして警察に逮捕されたからといってそれで犯罪者であると確定したわけではないとも聞きました。実際にテレビの報道ではほとんど容疑者は犯罪者あつかいですが、刑法で裁くケースでは日本の警察制度によって無罪になるケースがほとんどないので、ある意味で警察制度への信頼を示しているともいえます。
問題は前者です。
不思議なのは警察も裁判官も被告の心情を知りたがります。沢山状況証拠があっても、最後は被告が罪を認め、かつその犯罪を行った行為の内容より心情や状況によって罪の軽重が異なります。これも日本では法より心情を重視する文化があるとしか考えられません。515事件は国民から膨大な助命嘆願書が出たようですが、武器を持たない老人を集団で銃で虐殺したテロ行為を彼らは純粋であるから許したのかもしれません。実際に弁護団はこれらの青年将校がテロを行う前にふんどしを新しいものに換えて行為を行ったことを弁護の一つとしています。
<忠臣蔵>
私も大好きですし、一時期年末になると忠臣蔵を映画やテレビでやってました。歌舞伎でも落語でも講談でも浪花節でも忠臣蔵は人気のある素材でした。
しかしあれを近代西洋文明的に見れば幕府の法に違反して集団で老人を集団で殺害したこれもテロリストを好む日本人になってしまいます。
しかしおそらく違うでしょう。日本人が忠臣蔵を好きなのは日本人の心情に一致するテーマが次々と展開され、かつ武士の一分を守ったやはり偉いお武家に対する庶民の気持ちがそうさせたのでしょう。理屈をいえば喧嘩両成敗法が武家法の原則ですから、それに一致しない判決に対する違和感もあったのかもしれませんが、それは理屈であって理屈では説明できない何かがあったのでしょう。
これらはPAZZOさんが気になる人間の心を重視する性向を示したものであって、そんなものは役に立たないといわれればそれだけの話です。
都内在住の知人で歴史研究家・Iさんから「21ヶ条要求について考える」という文章をいただいた。Iさんはいま大東亜戦争に関する原稿をしたためておられる。出版を意識されておられるが長大な原稿量になった。なんとか出版のお手伝いをしたいと思う。この文章はその一部であり、概略をお伝えします。
I氏は東京裁判史観を覆す立場で徹底的な歴史検証を試みておられる。福地先生の所論に相通じるものがあり、その早い完成を願う。
・ 「21ヶ条要求」という言葉は、中国側が勝手に作り出した言葉であり、強いて言うならば「4項目、14ヶ条要求と7ヶ条の希望事項」である。・・つまり日本が要求もしないウソを混ぜて故意に歪めたものを含んでいる。
・ 袁世凱は仕方なくそうしたのだというポーズを国民に見せるために、日本に最後通牒を出してくれるよう求めた。日本はそれを逆手にとられた。中国外交の成功(昔も今も日本外交の拙劣さは変わらない)。
・ (要求内容の詳細は略・・・近々、ある雑誌に掲載予定)
南満州の諸権益はポーツマス条約によってロシアから譲渡されたもの、その直後に清国との条約によって承認されていた。問題は1923年、あと8年で返還時期がきてしまうということであった。山東半島における租借地のように、期限を99年にしてもらいたいという要求を出したとしても帝国主義時代という時代状況を考えれば、少しも無理な要求ではなかったと考えてもよい。諸列強もクレームをつけることはなかった。
・ 1915年5月に調印された「南満州及内蒙古に関する条約」で確定されたが、袁世凱政府はこの直後「懲弁国賊条令」なるものを公布、日本人に土地を貸した者は直ちに処刑するという法律であった。これにより南満州に住むことになった日本人の諸活動は著しく制約されることとなり、後の満州事変の原因となった。
・ 1896年、露清密約(李鴻章・ロバノフ条約)が結ばれていて、日露戦争を前に、両国は日本を仮想敵国とする秘密の軍事同盟を結んでいた。もし日本がこれを知っていれば、日露戦争勝利の段階で清国に南満州全体の割譲を要求して当然だった。これも知っておきたい知識です。
・ 現在の私達が犯している大きな誤りは、この時期以降の中国が「まともな主権国家」であると思い込んでいること。その後、袁世凱は皇帝になろうとし、それに反発する勢力が第三革命を起こし、その混乱の中で悶死する。すぐ近くには馮国璋が、広東には孫文が広東政府を打ち立てる。第一次大戦には紙の上だけの戦勝国になり、パリ講和会議には北京と広東の二つの政府代表が参加、両代表団とも本国政府の訓令に背いて調印を拒否、今度は本国政府が追認。こんな政府はまともな主権国家とは呼べない。袁世凱政府とはこのような政府、「まともな主権国家」でないのに、そうであるように振舞おうとする。当時の日本は大変だった。
・ この時期の日本政府は、中国政府に対して「面倒をみる」ということだった。・・・帝国主義的要求があっても不思議ではない。時代の反映にすぎない。・・ここに「アジア主義」の思想と重なるものがある。・・・周りの人々があまりにもレベルが低くて、その意欲も能力もないことが分かった。しかし彼らの成長を待っているわけにはいかない。そこで日本が兄貴としての立場からアジアの人々をまとめて面倒をみようとした。ただ日本の犯した過ちは、このような考えが同じアジア人だから通じるだろうと思っていたことだろうと思っていたこと。この「面倒をみる」という立場を東京裁判は「侵略」と見做した。中華思想や小中華思想という日本を見下す思想の持ち主であることを軽視していた。袁世凱には通じなかった。
・ この「21ヶ条」をきっかけとして、日中関係が悪化したことは事実。しかしそれを日本側の責任だと考えることは間違い。
・ ・・・・・・
・ いずれにせよ、この「21カ条要求」の問題が日本の中国侵略の出発であったかのように扱われているが大きな間違いである。
・ ・・と総括し、専門家による検証を待ちたい・・・としめている。
なかなか味のある、先人のご苦労に対する思いやりが感じられる文章である。今の感覚で歴史を裁断しようとしないI氏の態度こそ、正しい歴史の解釈に通じるものと思う。それにつけても、厄介な隣国がいるものと思う。いっそのこと、日本列島をハワイ辺りまで移動させたいものであるが、それができないのも日本の地政学的「宿命」というものである。海の向こう側は今も昔も「異質」なのです。その感覚なしで、歴史を断じることはできないと思います。
傍観者でいるのにも飽きたので一言。悪謀うずまく国際政治の中で,日本だけが自虐的なのが大問題。言いたいように言わせとけという人もいる。ただ私などは,真実が知りたいというだけにつきる。父も武漢にいた。伯父はビルマで死んだ。それだけは確かだ。だけど,教科書も文化人も信じられぬ。事実の検証から地道にかんがえていくしかあるまい。東西冷戦という第3次世界大戦の戦後たる現在だからこそ,冷静な立場でできるはず。コミンテルンはすでに消えた。張学良は黙って逝った。形骸化した中国共産党だけが残った。この先世界がどうなるのか,ではあるまい。日本人として,どうしたいのかであろう。
皇都衛士さんの
というくだり。
それに、
というくだりはその通りだと思います。
したがって、それに伴う(I さんの)結論
も納得できます。
ただし、「21カ条要求」は中国人の民族意識を刺激したようで、1919年の「五四運動」
あたりへ影響を及ぼしています。つまり日本にとってプラスにはなっていないようです。
「侵略」が問題になるのはそれより数年あとのことです。
満州については、1926年の「第一次北伐」まではほぼ平穏だったわけです。
本格的に雲行きが怪しくなるのは蒋介石の第二次北伐(1928)以降です。
蒋介石政府が満州利権を脅かすのではないか、という不安です。
ここで日本軍は「第二次山東出兵」を行います。
遂に、蒋介石は「利権回収」を言い出します。
ここで日本軍は最初の失敗を犯すわけです、張作霖の暗殺です。
これで日本にとって味方であったはずの仲間を敵に回してしまいます。
ここではアメリカの蒋介石政権の承認や、中国共産党の動き、(福地さんによれば)
コミンテルンの陰謀が複雑に絡みます。
もし満州における利権を最優先し、中国の利権回収要求と衝突すれば、東亜の解放という
理念(福地さんが誇らしげに述べていることです)と矛盾するではないか、と私は指摘したわけです。
だから「侵略」というのはこれ以降の日本軍の行動をさすわけです。
単に「利権を守る」だけなら、なぜ張作霖を暗殺(爆殺)しなければならないのか、
また「満州国」を建設しなければならないのか。
「利権を守る」ことを「自衛」というのは当時は仕方ないにせよ、
あとの二つは明らかに過剰防衛であり、自衛とは言い難いのです。
なお I さんの【日本が兄貴としての立場から(レベルが低くて、その意欲も能力もない)
アジアの人々をまとめて面倒をみようとした。】というのは、逆に「今の感覚で見た言い訳」に聞こえます。
実態としては面倒をみようとした、のではなく単に「見下していた」だけではないでしょうか。
たとえば「チャンコロ」などという言葉があったようです。
【今の感覚で歴史を裁断しようとしないI氏の態度】
とは言うものの、当時の感覚とは違うように思えます。
vagabondさん
書き込み場所が悪かったのは謝罪します。意図があったわけでなくキルドンムさんへの返事と一緒に書いたのでつい書いてしまったのです。申し訳ないです。
ところで私は意味はわかっていますよ。おそらく今回のような反論がくるだろうなと思っていました。
福地先生の論立ては日本の国家意思としての植民地解放だと思いますけど。
当時の近代欧米国家は国家意思として弱肉強食であることを書いている歴史家は何名もいます。またこれらを証明する事例は幾つもあります。だからといって日本が国家意思としてそれを実行したかどうかは別問題です。
満州という土地は本当に中国の土地であったかどうかも議論のあるところですし、さらにいうと最後の王朝の清朝が漢民族でなく満州族であることも明確です。この辺りは実に微妙な点で中国が何をもってして中国の領土と呼ぶかに関係してゆきます。当時でさえ中国は長城の北方は中国の政治支配が行き届かない土地であるという認識があって、結局満州事変も塘沽協定(1933年)で終了しています。ただ満州国が日本の傀儡政権であったかもしれませんが。
もしも傀儡政権であること認めてそれを国家として認めないなら、日本は米国の傀儡政権なのかもしれませんな。貴方の信頼する米国が行った中米や南米での傀儡政権の樹立は有名ですし、あれらは国家ではないのでしょうか。また冷戦時代のソ連周辺国家は国家ではないのでしょうか。
さらに満州国の認定を現代の問題におきかえると中国の領土は政治的支配が届いた土地かそれとも文化的影響を受けた土地か、それとも条約で規約された土地か、それとも漢民族の土地がそうなのか、または中華帝国という実に曖昧な領土であった土地が全部中国の土地か、実質占領した土地が中国の土地かの議論があります。
これはチベットやトリキスタンの問題だけじゃありません。日本も無関係ではありません。実際に琉球諸島は沖縄本島も含めて朝貢貿易を行い薩摩と中国の両方の支配を受けいていましたからいつ領土問題が再発してもおかしくはないのです。これが文化的影響を受け土地まで中国のものだと言い出したら日本本土自体を中国に合法的に政治支配される可能性さえあります。
戦前の日本の国家意思は比較的明確です。ベルサイユ条約での発言もそうですし、大東亜戦争の戦争目的でもそうです。これは明確です。満州国でも形式的には五族協調路線を取っていますから日本の侵略した土地であるかどうかは議論の余地があります。満州国の成立に日本の国家意思でなく関東軍がかかわってそれを制御できなかったのを非難されるのならそれはそれで理解できますけど。
そして張作霖爆破事件で日本はそれを隠そうとしたといわれていますが、結局実行したとされる河本大佐を罰の軽重は別にして予備役に回されたわけです。河本大佐は陸軍刑法から見ても命令のないまま軍隊を動かす計画を立てましたから一番重い罪なら死刑になるのですが、それは別にして日本は罰を実行したわけです。これは張作霖爆破事件は河本大佐が計画したことは日本の国家意思ではないことを証明するものです。
ちょいと例は違いますがベトナムのソンミ事件での場合は米国の国防省が隠そうとしましたが結局隠し切れず裁判を行い確か終身刑になり、その後どういうわけか10年の服役に変更されています。しかし法で見ればソンミ事件は米国の国家意思で行われたことじゃないわけで罪の軽重は別にして米国はそれを証明したわけです。
国家間の問題ですから国家意思という問題を避けて通れません。まさか貴方はソンミ事件を米国の国家意思だと思っているわけじゃないでしょ。
松井さん、はじめに、
と尋ねたのですが、答えがありません。
また、
と書きましたが、答えてください。
—-
1.「満州は中国の一部か」
「今」の感覚ではなく、当時の感覚で論じる必要があります。
張作霖暗殺に伴い
息子の張学良を「敵」(当時の日本軍が考えていた敵です)に回しました。
その張学良が蒋介石に従ったわけですから、中国はもちろん日本も中国の一部と考えていたのは当然です。
2.「満州国は傀儡政権かどうか」
これも当時の感覚に従うべきでしょう。
リットン調査団がそう断定し、国際連盟の大多数の国がそれを認めた、
だから「政治判断」として傀儡国家(政権)です。
また実際問題として、「満州国」の運営が関東軍の了解なしには行えなかったことなど、
疑問の余地はありません。
3.「張作霖暗殺とソンミ村事件」
後者は「ベトナム戦争」という戦時中の事件で、「戦争犯罪」です。
(ベトナム戦争が本当に「戦争」であったかどうかは議論の余地はありますが、ここでは触れません)
一方、張作霖暗殺は「戦時」(日本と中国との戦争という意味で)ではなく、
「平時」の暗殺(テロ)事件であり、比較(一緒に)するのは問題外です。
張作霖暗殺は、河本の個人的・・場合によっては関東軍の隠れた意思かも・・な暴発であって
「国家意思」ではない、というのは当然であり、国家意思でテロを実行したらそれこそたいへんな事態でした。
日本は「国として」これへの償いをしておりません。
のみならず、軍や政友会の強硬な「横槍」で、翌年1929年6月26日、田中内閣は
「事件に日本人は関係してない。警備上の責任を問い、行政処分を行う。
(関東軍司令官村岡長太郎中将ー予備役編入、参謀河本大作大佐ー停職)。」
と発表し、事件を認めようともしませんでした。
こういう重大犯罪にもかかわらず軽微な罰にとどめたことが、後の同じく謀略である
「柳条湖事件」を誘発した、といわれています。
田舎のダンディ先生
松井先生
私が最後に発言してから、何日か過ぎました。
この何日かの間、私は身体の状態がよくなかったので発言をすることでできませんでした。
その間に両先生は丁寧な説明をしました。
両先生は私のために、相当のエネルギーを費やしました。
とても誠実なことだと思います。
ありがとう御座います。
でも
私にはまだよく判らないことが沢山あります。
身体の調子がよくなったらまた質問します。
—-
vagabond先生
vagabond先生は、自分が尋ねられたことに答えない事が何度もあります。
でも、vagabond先生は自分が他の先生に尋ねたりしたことに他の先生が答えないことを指摘します。
これは誠実な態度ですか?
vagabondさん
>河本大佐の張作霖暗殺(爆殺、殺害)について【これを日本の国策による侵略行為と断定するのは少しおかしいですな。】
>と言われますが、私がどこで【国策による侵略行為】といいましたか?
と尋ねたのですが、答えがありません。
どこでも書いてませんよ。それがどうしました。
当り前の大前提だと私は思いますけど。
まあ私は福地先生の心の中が読めるわけじゃないけれど、福地先生がお書きの植民地化反対運動とでもいうものは第一次大戦後の講和会議でも、また大東亜戦争の戦争目的の一つとして国策であがっています。福地先生の論立ては国家の方針としてどうであったかを書いたのであると私は理解しています。仮に話題の河本大佐が中国の土地を侵略するためにテロを計画したとしてもそれは個人がやったことです。
貴方が実証しなければいけないのは国家の方策として植民地化反対運動を取っていない例外があったことを証明することです。私の場合は貴方の逆を立証することです。
私は実は河本大佐が中国の土地を侵略するためにあのテロを行ったかどうか疑問があります。河本大佐は退役させられた後での経歴をWikipediaを引用して書くと
(引用開始)
関東軍時代のつてを用いて、昭和7年に満州鉄道の理事、その後昭和9年には満州炭坑の理事長となった。昭和17年第一軍参謀長の花谷正の斡旋により山西産業株式会社の社長に就任、ソ連軍の満州侵入後も中国で生活していた。山西産業は国民党に接収され、西北実業建設公司へと名称を変更したが、河本は同社の最高顧問に就任し、引き続き会社の運営にあたった。
戦後
戦前同社に務めていた日本人民間人の半数は終戦にあたり帰国したが、もう半数の者たちは終戦前と同じ待遇で留任、河本自身も「総顧問」の肩書きで残留した。家族などを含めたその数は1200人あまりであった。これらの残留は河本の勧誘によるものであった。
その後、太原の日本人は閻錫山の山西軍に協力して中国共産党軍と戦ったが、1949年(昭和24年)には中国共産党軍は太原を制圧、河本は捕虜となり、戦犯として大原収容所に収監された。1953年(昭和28)8月25日、河本は収容所にて病死した。享年72歳。
(引用終わり)
私は彼は真っ先に逃げ出してもおかしくないと思いますが、残留しているわけです。
どうしてなんでしょうね。
満州事変の背景を中国側から見ないで貴方のお好きなリットン調査団の結論から見ると、
①満州は中国の主権のものである。
②日本の既得権益を認める。
という結論で提案された対策もまあ妥当です。満州国の成立も中国側の主張の両方とも棄却してある程度日本にも考慮されている提案だと思います。
なお国際連盟で日本政府のほとんどは脱退反対でした。しかしこれが受け入れられず脱退したのは国内的には当時の新聞論調や国民の声が満州は日本の生命線であって満州国を認めないわけにはいかないという強い反発があったからです。
すると当時の日本人庶民は侵略活動を是認したバカ国民なんでしょうか。
さて一方でもともとは満州地域は乱れて既得権益の防衛が出来ないし、ソ連への恐怖が日本にはありましたから、中国の主権を認めかつ既得権益を防衛するのは中国側の主権で防衛してもらうのがいいはずなんですね。本当に中国側がやってくれるのならね。やってくれないかやれないのなら貴方ならどうします?
それと満州国の成立にもう一つの可能性を貴方は考えていません。
幾つかの事実がありますが、面倒だから書きません。その事実を考えるとこの可能性を拒否できなくなります。小さな意見の差がとんでもない結論の違いをよぶわけです。
それは植民地支配反対でかつ日本の権益を守る方法があるのです。それは満州族を中心とした満州国の樹立です。いわば日本が支援した民族自立運動で安定して平和な社会を作る運動の可能性です。米国はイラク戦争で見事に失敗しましたが、日本の満州国の場合は大成功を収めたわけです。なお日本では敗戦後でもベトナム反戦運動、すなわち民族自立支援運動もあったわけです。あの運動は子どもが大人になる儀式だとかお祭りがわりの騒ぎだとか、共産主義に騙された運動だとか色々いわれていますが。
前にも書きましたが中国の領土とはなんだろうかといわれると私は正確な定義がいえないです。貴方はいえるのですか?皆が認めたからそれが領土だという話はなしね。認める理由を聞いているからです。そしてその領土の定義がどの場合でも当てはまればいいのですけどね。
満州民族自立運動が満州国の成立でもあるという考え方は東京裁判史観でいると想像できないでしょう。一番証拠らしいものは「紫禁城の黄昏」という本が東京裁判で証拠として提出してそれが認められなかったことです。
>「知的暴力団集団」、「悪徳弁護士と悪徳裁判官と悪徳商人と暴力団の集団」などという言葉が歴史資料のどこにあるのでしょうか。是非示してください。
>と書きましたが、答えてください。
あんまりそれこそ当たり前のことを書かないでください。
国益を考えてみればわかります。Wikipediaで欧米の場合を引用すると
19世紀の欧州では侵略を目標とし、世界大戦時は各国とも軍国主義により国益を増進させていった経緯もある。冷戦以降の欧州ではスローライフに代表される地域性や文化を尊重する傾向にある。米国では国家安全保障戦略として、自由・民主主義・人権・市場経済を機軸とした戦略を規定した文書がある。
と書いてあります。近代国家が国益を主体で考えているのは自明であり、そこには正義はありません。
参考図書:何冊かありますが「アメリカの鏡日本」がいいでしょう。GHQに発禁処分されて最近複本されたものです。
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>1.「満州は中国の一部か」
>「今」の感覚ではなく、当時の感覚で論じる必要があります。
>張作霖暗殺に伴い
>息子の張学良を「敵」(当時の日本軍が考えていた敵です)に回しました。
>その張学良が蒋介石に従ったわけですから、中国はもちろん日本も中国の一部と考えていたのは当然です。
意味がよくわからないが蒋介石が中華民国の総統になったのだから、蒋介石に従った張学良も満州が中華民国であると論じたことが当時感覚なんですか。そんな論はどこにありましたかな。ぜひ寡聞なため教えてください。
張作霖に関していうと
1)馬賊の頭目として満州で頭をあらわす。朝鮮人参や阿片の商売で儲ける。彼の友人には満州国の国務総理になった満州人がいる。
2)帝政ロシヤのスパイになった。
3)日露戦争ときに日本軍に逮捕される。児玉源太郎に助命されその後日本軍のスパイとして働く。このときの担当は後の田中儀一首相。
4)清国の八旗兵の出身である満州族趙爾巽がいて、地域の治安向上に努め、馬賊に対しては帰順すれば軍隊に任用する旨を頭目たちに伝えた。これに従い張作霖は馬賊を連れて帰順。
5)張作霖は東三省駐留の北洋軍を吸収する。
6)中華民国が成立するなかで、張作霖は革命勢力を弾圧した功績で中将・陸軍師団長に昇進。
7)袁世凱の死去にともない天省の支配権を取得した。さらに勢力を広げ、民国8年(1919年)には黒龍江省・吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置いた。彼の率いる勢力は、彼が本拠地とした都市の名をとって奉天派と呼ばれた。
8)張作霖が勢力争いで北京を占領。欧米の意を受けるために反共活動実行。
9)国共合作(欧米の支援はうけていない)により張作霖は満州に逃げる。
このときに日本軍に殺されたのですよ。
中国の歴史では敵が味方になったり味方が敵になったりしますから蒋介石についたといっても張学良が中華民国の満州における主権を認めたわけじゃないと思います。
>2.「満州国は傀儡政権かどうか」
>これも当時の感覚に従うべきでしょう。
>リットン調査団がそう断定し、国際連盟の大多数の国がそれを認めた、
>だから「政治判断」として傀儡国家(政権)です。
>また実際問題として、「満州国」の運営が関東軍の了解なしには行えなかったことなど、疑問の余地はありません。
すると米国やソ連が作った傀儡政権は国家ですか、国家じゃないのですか。質問に答えてください。満州国が傀儡政権かどうかは政治的判断以外にもありえますが、傀儡政権であるから侵略だとでもいうつもりですか?
>3.「張作霖暗殺とソンミ村事件」
>後者は「ベトナム戦争」という戦時中の事件で、「戦争犯罪」です。
>(ベトナム戦争が本当に「戦争」であったかどうかは議論の余地はありますが、ここでは触れません)
>一方、張作霖暗殺は「戦時」(日本と中国との戦争という意味で)ではなく、
>「平時」の暗殺(テロ)事件であり、比較(一緒に)するのは問題外です。
戦時でも平時でもテロはありえます。実際にイラクではテロが頻発しています。比較するのが問題外という理由を教えてください。
なお貴方は無視しましたがインディアン虐殺は明治20年ごろの話ですが、これは平時でかつ民間のインディアンを公的機関の騎兵隊が機関銃と大砲で惨殺した例ですが、これは戦争犯罪と同様に悪質でしょ。私はやはり米国の正義を信じる気にはなれませんな。貴方は当時の日本人にインディアンになって米国に惨殺されろというつもりですか。実際には日本は米国で広島や長崎で原爆投下で民間人惨殺を受けましたが。また一番米国の罪の重いのは正義は力の前には頭を下げるしかないを日本人に東京裁判で教えたことです。
>張作霖暗殺は、河本の個人的・・場合によっては関東軍の隠れた意思かも・・な暴発であって
>「国家意思」ではない、というのは当然であり、国家意思でテロを実行したらそれこそたいへんな事態でした。
だからそれなら貴方の論は福地先生の前提とは違っていると書いているのです。
>日本は「国として」これへの償いをしておりません。
>のみならず、軍や政友会の強硬な「横槍」で、翌年1929年6月26日、田中内閣は
>「事件に日本人は関係してない。警備上の責任を問い、行政処分を行う。
>(関東軍司令官村岡長太郎中将ー予備役編入、参謀河本大作大佐ー停職)。」
>と発表し、事件を認めようともしませんでした。
行政処分でも処分は処分です。
確か田中儀一は当初の報告と違うことを天皇陛下に叱責されて辞めているはずです。
それとちょっと待ってよ。当時の日本の新聞を読んだことがありますか。せめてそのくらいしてください。国会図書館にありますから。当時のマスコミと国民の声が満州国をどのように見ていたかがよくわかります。
関東軍司令官村岡長太郎中将ー予備役編入、参謀河本大作大佐ー停職ということは行政処分程度だから罰が軽いというのですな。すると米国のソンミ事件の裁判も罪が軽いのですよ。ご存じないかな。結局指揮官の中尉だけが終身刑で判決されましたが、ところがそこから後が不思議で、まず15年に減刑され、次に10年に減刑され、最後はどういう理由か知りませんがある判事の判断で釈放されました。
>こういう重大犯罪にもかかわらず軽微な罰にとどめたことが、後の同じく謀略である
>「柳条湖事件」を誘発した、といわれています。
そうだとしてもどうして張作霖暗殺が貴方のおっしゃる行政処分で終わったかの論説がありませんが。そこが一番大事なんでしょ。ぜひ素晴らしい卓論をお聞かせください。欲にかられたは駄目ですよ。欲に駆られているのは米国でも殺された張作霖でも同じですから。
勿論この私の論説は満州国成立が民族独立運動だと見ればまったく違った様相を表します。
vagabond先生はこんな人です。
>vagabond先生は、自分が尋ねられたことに答えない事が何度もあります。
でも、vagabond先生は自分が他の先生に尋ねたりしたことに他の先生が答えないことを指摘します。
これは誠実な態度ですか?
ここを見れば納得ですよ。
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1879&forum=1&start=550
西尾幹二先生を尊敬しております。 しかし、先の「郵政民営化反対」とかになると、どうも理解に苦しみます。
1931年以降のいわゆる「日中戦争」は、まさしく侵略戦争そのものであった
と認識します。 もしこれが、侵略戦争ではなかったとすれば、人類史上に侵略戦争というものが存在したのですか。 また、未来永劫、存在しうるのでしょうか。 「南京大虐殺」とかいわゆる「従軍慰安婦」などは、虚構と思っています。 確かに、一部の不心得者による不法行為は否定できないとおもいますが、これに類した不法行為は、現在でも連日マスメディアで報道されています。 「村山談話」は継承すべきですが、「河野談話」は撤回されなければなりません。