「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(六)

 世界の政治の動きは私が考えているよりもずっと早い。総裁選の各候補者の演説のどこが良いとか悪いとか言って日本がもたもたしているうちに、外からドカーンと恫喝の声が届けられた。13日と14日のアメリカからの威嚇である。

米下院委、「慰安婦」で対日決議採択 責任認知など要求

 米下院国際関係委員会(ハイド委員長)は13日、第2次世界大戦中のいわゆる慰安婦問題に関する対日決議を採択した。法的な拘束力を伴わない決議形式だが、この問題について日本政府に対し、(1)歴史責任の認知(2)学校教育での指導(3)慰安婦問題はなかったとする議論への公式反論-などを求めている。

 決議は民主党のエバンス下院議員らが提出し、表現を一部修正のうえ採択された。慰安婦については「若い女性を性的苦役に就かせる目的で誘拐した」などと認定している。(ワシントン=山本秀也)

【2006/09/14 産経新聞 大阪夕刊から】

 新政権の扱いは最初が肝心とばかりに、脅しをかけて来たのであろう。靖国問題ならアメリカからすでに注文が出されていて、さして驚くに値しない。なんと例の「従軍慰安婦」問題である。しかも個人の意見ではなく、一委員会の決議採択であるからそれなりに重い。

 中国人のロビー活動が裏にあると想定されるが、厄介な事態である。決議内容の事実無根なること、過去十年の日本の言論界においてすでに論破しつくされていること、それゆえ今さらここで再反論に値しないことはことあらためて言う必要はあるまい。(そう思わない人は当日録の読者であるべきでなく、勉強をし直していたゞくほかない。)

 「新しい歴史教科書をつくる会」が1996年12月に起ち上がったそもそもの切っ掛けはこの問題だった。安倍政権の発足直前に、中国からではなくアメリカから、教科書問題を振り出しに戻すように「慰安婦」問題の学校教育へのこのような取り入れ要求が出されたことは政治的に重大である。

 昭和20年代に米進駐軍用日本人慰安婦20万人余、巷にあふれたパンパンの群れ、処女狩りもあったという噂も耳にしている私の世代の日本人は、アメリカ兵常習の「慰安婦問題」をアメリカの「国際関係委員会」に告発したいくらいである。

 ひきつづき9月14日に、米下院外交委員会の公聴会でまたまた靖国問題が取り上げられた。

<米議会>靖国神社遊就館の展示に変更求める ハイド委員長

 【ワシントン及川正也】米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)は14日、日本と近隣諸国に関する公聴会で、靖国神社にある戦史展示施設「遊就館」について「事実に基づかない歴史が教えられており、修正されるべきだ」と述べ、展示内容の変更を求めた。

 また、民主党のラントス筆頭委員は小泉純一郎首相の靖国神社参拝を「日本の歴史に関する健忘症の最もひどい例だ」と指摘し、「次期首相はこのしきたりをやめなければならない」と参拝中止を求めた。米国内には首相の靖国参拝による日中関係悪化を懸念する声があり、米外交に影響力を持つ両議員の発言は日米間に波紋を広げそうだ。

 ハイド委員長は「遊就館が第二次大戦は日本による西側帝国主義からの解放だと若い世代に教えていることに困惑する」と批判。ラントス議員は「A級戦犯が祭られている靖国神社への参拝はドイツで(ナチス幹部の)ヒムラーらの墓に献花するのと同じ。韓国や中国の怒りをあえて招くことをする限り、日本が国際社会で重要な役割を演じるのは難しい」と述べた。
(毎日新聞 15日12時00分)

 靖国とナチスの墓地を同列に置くような低レベルの内容であるが、戦史展示館「遊就館」の展示内容を批判し、「次期首相」の参拝中止を求めている記事内容は、岡崎久彦氏が8月24日産経コラム「正論」で「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と先走って書いていたテーマとぴったり一致している。やっぱりアメリカの悪意ある対日非難に彼が口裏を合わせ、同一歩調を取っていたというのはたゞの推理ではなく、ほゞ事実であったことがあらためて確認されたといってよいだろう。

 岡崎久彦氏は「親米反日」の徒と昔から思っていたが、ここまでくると「媚米非日」の徒といわざるを得ないであろう。

 問題はその岡崎氏が安倍内閣の外交のブレーンだと噂されていることである。「遊就館」の展示内容変更への靖国側に対する強要も、岡崎氏と手を組んだ安倍氏の意向であり、したがって「次期首相」の参拝中止を求めるアメリカの声にも安倍氏は威圧され、足がすくんでしまう可能性をも示唆している。

 中国や韓国からの圧力ならはね返すのは何でもない。小泉首相は中国と韓国だけが相手で、今度のように背後からアメリカに威嚇されるというケースではなかった。しかも、今度は靖国だけでなく、「従軍慰安婦」までも威嚇のタネとなっている。

 「靖国」と「歴史教科書」は二大タームなのである。この両方をゆさぶり、骨抜きにする計画は中国や韓国からアメリカにまで伝播した。いよいよ日本の正念場である。どうしても負けられない一線である。

 安倍氏よ、ここで日本男子であることを証明して欲しい。自民党総裁になった日に必ず記者会見で「靖国参拝をどうされますか」と問われる。世界中が注目している一瞬である。ひるむことなく日ごろの所信、「毎年必ず参拝します」と明言してもらいたい。この一語であなたの価値はきまる。そのためにはアメリカと口裏を合わせる怪しげな外交ブレーン、宦官のごとき卑劣の輩を近づけるな。

 もし万が一安倍氏が外圧に屈し、靖国参拝について姑息な言辞――言いわけや逃げ腰のことば――を弄したなら、この秋、日本には不穏なことが相次いで起こるであろう。

 上記二つの外信記事は「米中握手」の時代が近づいていて、小泉時代とは外交局面が変わりつつあることを物語っている。それだけに、日本が日本であること、およそ民族の「信仰」の問題で、両サイドのどちらからの威圧にも屈しない魂の表白を首相たる者、国民を代表してなし遂げなければならないのだ。「靖国」と「歴史教科書」のどちらも、外患に怯み、奸臣不逞の徒の手に委ねてはならないテーマなのである。

 じつは上記二つの外信記事は必ずしもアメリカの代表意見ではない。日本の新政権を揺さぶる外交戦略の一つにほかならない。まずそう考え、気持を切り換える必要がある。

 例えば、アメリカ軍備管理軍縮局上級顧問トーマス・スニッチ氏(産経、8月22日)は、次のように述べている。

米・軍備管理軍縮局元上級顧問 トーマス・スニッチ氏

 (前略)日本の首相が靖国参拝を取りやめさえすれば、中韓首脳会談の実現など、すべてが順調に運ぶという趣旨だが、こうした見解は間違っている。日本の事情や日本社会における靖国神社の意味を理解していないのではないかとも思える。

 小泉純一郎首相はこれまで何度、第二次世界大戦に関しておわびを述べてきただろう。この数年でも多くの日本の指導者が謝罪を繰り返している。あと何度謝れというのか。謝罪とは一度きりであるべきだ。
(中略)
 日本がドイツを手本にすべきだというが、これは不条理な話だ。冷戦時代に米ソがともに得た教訓を挙げると、ある国のモデルを別の国に移植することは不可能だ。米国は東南アジアで、ソ連はアフリカで似たようなことを試したが全部ダメだった。

 そもそもドイツは、戦後の分断国家であり、東西ドイツの国境がすなわちソ連軍との前線という状況だった。北大西洋条約機構(NATO)のメンバーだった西独は、他のNATO諸国との関係構築の上に戦後の発展を進めざるを得なかった。日本にはこうした状況はなかった。

 靖国神社が仮に地上から消え去ったところで、中国が他の問題で日本を問い詰めるのは間違いない。多くの国内矛盾を抱える中国にすれば、靖国問題は国内の注意を国外にそらして日本を指弾する格好の材料なのだ。次期首相が参拝を中止すれば状況が好転するとの見方はあまりに楽観的で、どうみても現実的とはいえない。

(08/21 産経22:11)

 新首相はこうした理解ある言葉をしっかり胸に秘めて、つまらぬ臆病風に吹かされぬようにして欲しい。

 ここで誤解のないように言っておくが、私は単純な「反米」の徒ではない。「外交」において親米、「歴史」において反米たらざるを得ぬ、と言っているまでである。戦争をした歴史の必然である。

 米英関係は今は親密だが、今でもイギリスの歴史教科書はアメリカの独立戦争をイギリスへの「反乱」と記し、ワシントンを「逆賊」と書いている。

 岡崎久彦氏は、遊就館の展示に戦争の原因をルーズベルト大統領のニューディール政策の失敗に見ている見方があり、これを「唾棄すべき安っぽい議論」として削除すべきだと言っているし、すでに削除は実行されているらしい。

 しかし、ならば氏に借問す。スミソニアン原爆博物館に、すでに無力化した敗北直前の日本への原爆投下の米側の動機は100万の米軍将兵の生命を救い、戦争を早期終結させるため、と書かれているそうだが、これも「唾棄すべき安っぽい議論」ではないだろうか。先にこちらの削除を要求すべきではないか。

 遊就館には戦争の原因がほかにも数多く書かれていて、ルーズベルトの経済政策失敗説はそのうちの一つにすぎなかろう。日本は戦争の動機を「自存自衛」と「アジア解放」に求めているが、アメリカは「侵略」と言い張っている。それでもわれわれは相手方の考え方に削除を要求できないでいる。

 日本における数多くの戦争の原因説明の一つに、アメリカにとって必ずしも全面的に賛成しかねる理由が述べられていても、「旧敵国」同士なのであるから、怪しむに足りないであろう。

 岡崎氏よ、なぜあなたは「公正」ぶるのか。それは公正ではなく「卑屈」ということなのである。

 日本の外交官にはつねに「卑屈」が宿命のようにつきまとっているようにみえる。

つづく

「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(六)」への22件のフィードバック

  1.  私は物心ついた時は焼夷弾で焼けただれた渋谷にいた。それから基地の町、朝霞の近くの成増で少年時代をすごした。基地周辺で米兵が何をしたか当時の住民なら皆知っている。米国本土で知らないことを現地では平然たる慣行となっている。この図式はイラク戦争のものと同一だ。
    少なくとも慰安婦問題については、汚らしい米国からとやかく言われる筋合いではない。

  2. 情報操作、印象操作によって、一般人を洗脳し、多額の政治献金、その他で政治家を操る。

    現代は情報をつかった戦争の真っ只中にある。
    支那がアメリカを使うことは当然の流れであろう。

    アメリカの議会人のほとんどは日本のこともアジアのことも知らない。
    (州のことで精一杯であろう)
    よって、支那の言うことを鵜呑みにする。
    我が国の外務省の姿が見えないのはいつもの通り。

    政治経済、情報を一手に制御出来る支那政権にとって、
    民主主義国家をコントロールすることは容易い。

    現在、支那とアメリカの貿易高は日米のそれを抜いている。
    彼らは、日本と違ってそれらを政治的にうまく利用するべきと考えている。
    ロビー活動の凄まじさ。
    留学生を初めとする工作員の活動。
    (かなり優秀な学生がいる)
    (尚、この活動は日本の大学でも行われていることはご存知の通り)

    南京問題から慰安婦問題。
    ハリウッドを買収し、全世界的に広めようとしている。
    (オリンピックもそのために利用しようとしている。)

    我が国はこの戦いには、現状のままだと負ける。

    既に我が国のマスメディアは情報機関としての機能を失っている。
    人材もいない。
    工作員のやりたい放題である。

    ちなみに外交官が国家戦略を考えない、国家を背負わないという
    のが外務省の基本である。(日本人を忘れることが処世術となる)
    相手に合わせる。
    よって、それぞれの国の代弁者となる。スクールが生まれるのは
    当然であろう。(亡国奴の巣窟と言っても過言ではない)

  3. アメリカが我が国に対してジャブを打ってきたようですね。

    もっともだから即米中接近が加速化されるとも言えません。あくまでもジャブとして捉えて我が国は冷静に対処すべきでしょう。
    ところでインターネット上で我が国の国益論、現実的外交戦略論を主張している人達のかなりが定年退職した老人、モラトリアムな大学院生、ニート、フリーターなどだと思います。これらの人たちは現実には日本政府の政策の恩恵をあまり受けているとはいえない。アメリカの過度な日本軽視は、これらの人を狂信的な反米反中にさせてしまう可能性があります。どうせ持たざる人の集まりなのです。反米反中の結果でまた日本経済が不況になったとしても内心嫉妬と悪意に基づく逆説的快感を得るだけではないか。

    アメリカにも冷静な対日戦略を望む次第です。
     

  4. 西尾さんらしくない感情的な議論は不毛になりかけてゐます。
    日本の主張をもつと整然と展開して戴き度いのですが、
    それに今もつて成功してゐない、中国や世界を納得させる論議が出来ない、国内の仲間同士で幾ら騒ぎたてたところで無力です。

    外国旅行をすると至る所で中国人の留学生や若い職業人に逢ひます。それに対し日本人は数へるほどで、博士論文を書かうとしてゐる一部の人を除いてはまともな勉強もしてゐません。言葉の取得も不充分です。
    中国が西欧も取り込んだ新しい観点を持つてゐるとは思へませんが、マルクス主義にも共通な世界観・歴史観がまだ力を持つてゐる以上その宣伝効果はまだ続くでせう。

    ニーチェが世界史と云ふ西欧的偏見に対する反論根拠を示してゐるのに、それを生かすことを西尾さんはなさつてゐない。
    米国の歴代大統領が終末史観に基づく世界政策を遂行してゐるのを明確にしなくてはなりません。レヴィトの一見古臭いやうな見解が未だに正当なのです。

    西尾さんには是非ニーチェと云ふ原点に戻つた議論を期待します。
    お仲間の他の誰にそのやうなことが出来るでせうか。

  5.  米下院外交委員会の公聴会については、きっとどなたかが詳しくコメントされると思いますので書きませんが、数日前にどなたかが書かれていたように、西尾先生は朝日・毎日などの情報に少々揺さぶられているかな?という感じを受けています。

     今日の記事に書かれている「スミソニアン原爆博物館」なるものは存在しません。恐らく「航空宇宙博物館」の事と思いますが、展示表記が問題になったのは10年ほど前、エノラゲイの機体の一部を展示した時でした。原爆の被害も展示しようとした館側に退役軍人が猛反発し、先生記述のように反論しました。結局、航空機の展示という主目的に立ち戻り、被害についても投下の意義についても記述しない、という事になりました。ゴタゴタの責任を取って館長の辞任にまで発展しました。この時、展示を見に行きましたが、文字による展示は無かったものの、ビデオの中に、仰せのような内容が一部含まれてはいましたが、それほど強いメッセージではありませんでした。展示されていた機体の一部の前は、シーンと静まり返っていて訪れた人は皆静かに黙祷を捧げているように見えました。

     その展示は数ヶ月で終了し、今は全機体が復元されてダレス空港にある別館に展示されているとの事ですが、展示内容からは政治色や歴史観は一切排除され、ただ「世界で最初に原爆を投下した爆撃機」とだけ書かれている、と聞いています。どなたか見に行かれた方があれば、訂正加筆してください。

    多種多様な意見があるのがアメリカです。親米でも媚米でも構いませんが、日本の国益を追求する上でどうアメリカと対するか、利用するかが大事と思います。NYタイムスなどはリベラルの代表ではあってもアメリカの民意を代表しているわけでも知識人の意見を代表しているわけでもありません。同様にWSJやワシントンポストも、保守派の意見でしかない、とも言えます。早い話、日本に対する姿勢は共和党と民主党で大違いですし、それぞれの党内でも人によって大きく異なるのですから、アメリカと一括りにしてしまう事には抵抗があります。

  6. ピンバック: Trend Review
  7.  小泉は親米一辺倒でした。小泉から安倍?に政権がバトンタッチされるその直前を狙い済ましたような全米外交委員会公聴会の記事です。この記事内容から考えると、アメリカと中国の水面下での握手はミエミエです。日本の政府には、蝙蝠的二股外交は無理なんですかねぇ。

  8. ヘンリー・J・ハイドの冒頭演説がPDFで公開されているのを読みました。
    岡崎さんは遊就館のルーズベルトに関する記述を攻撃しているわけですが、ハイドの遊就館攻撃はその核心を否定するもので、さすが旧敵国と思いました。
    ハイドは、遊就館が日本の若者に大東亜戦争の大義について教える事を問題視しています。
    「アジアや大平洋の人々を西洋の帝国主義のくびきから自由にするために」という日本の言い分です。
    ハイドは、自分は韓国やフィリピンやシンガポールやソロモン諸島を訪問してきたばかりだが、と述べ、現地の人々は日本に占領されたときの苦い体験を語りこそすれ、日本軍を解放者として懐かしく思い出すことを語る者は無かったと述べ、「この博物館の教える歴史は事実に立脚しておらず、訂正されるべきである」としています。

    自分の見るところ、ハイド演説の該当箇所には三つの注目点があります。
    一、日本の若者に与える影響に着目していること。
    二、「西洋の帝国主義のくびき」を否定も肯定もしていないこと(日本のくびきについては、現地人の言葉を借りて否定すること)
    三、日本に解放者の美名を与えることを許さないこと
    この三点は、第二次大戦を聖戦視するハイドの世代にとって、とりわけ譲れない部分、「俺に言わせろ」の部分だと思います。このハイド演説を冒頭に置き、まず日本の自己正当化を徹底的に叩き潰す議事の方向づけの手口。
    そしてこの三点は歴史教科書に関係します。
    ハイド本人からは、日本の教科書に関する発言はありません。ハイドは、日本に対して具体的にどういう圧力を加えるとかいう話はせず、アジアにおける同盟国として日本と韓国の重要性を訴えています。その意味で、ハイド自身は慎重な態度を選んでいるように見受けられました。いわゆる「良い警官・悪い警官」の前者役、民主党が揺さぶり共和党がなだめることかと。
    それにしても、冒頭演説で日本の大義はまったく認めない態度をぶつける議事。まず原則論で譲れない部分を明らかにして、国内の議論を収斂させていくやり口。アメリカの対日姿勢は、日本でどのような政権が誕生しようと基本的にはこうだぜ、という雰囲気を感じました。

  9. 「慰安婦問題」は確かすでに解決ずみのはずなのにいまさら何故って思いました。すぐに西尾先生ならどう言われるかと浮かびました。そうですね、やはり「安倍政権」への威嚇なのでしたか。それに「日本の思潮の右傾化」への警戒感を示すものかとも思いました。裏で中国が糸を引いていたのですね。是がひでも「中華帝国の建設」を推し進めるのでしょう。是非米国の非道さを暴いて欲しいですが、幼稚でしょうか。色々条約違反をしてますよね。占領下に「憲法」を押し付ける。民間人の無差別爆撃。原爆投下の非道さと誤魔化しの言い訳。別に「感情的」とも思いませんが、「日本よ頑張れ」って思うなら当然じゃないでしょうか。『正論10月号』には西尾先生と
    不肖の弟子「H.Y.」が載っていて・・・あれって思いました。

  10.  アメリカを一つに括るのは間違いだというご意見は戦後の米国主義しか見てこない方々の悪弊です。それはまるで、日本のキリスト教の歴史を説く場合、明治以降から始める人達と同じです。

     イスラムや中南米を含む第三世界から見ればアメリカ主義という視点は一つであって、二つは存在しません。ピックルスの壜の中に2種類のピックルスがあるとはとても思えません。

  11. いろいろとリンクが紹介されていたので、つい(笑)いろいろ読んでしまいました。

    グリーンさんの記述にも面白い部分がありました。
    In fact, there is a healthy discussion now underway in Japan, including detailed exposes in the conservative Yomiuri Shinbun describing how Japan entered into the war with China. Had the United States tried intervening on this issue, we would have been the lead story and become an obstacle to serious a discussion within Japan.
    非常に印象的な記述でした。読売新聞というのがミソですね。「健康な」議論ですからね、あはは。

    またハイドさんの前振りにも興味深い記述が。
    Specifically, the Armitage Report on the U.S.-Japan relationship, issued by a bipartisan group of experts in 2000, suggested that Japan could play a key role, similar to that played by Great Britain, as an ally of the United States. A major difference, of course, is that Great Britain does not have a series of territorial disputes and unresolved historic issues with virtually all of her neighborts such as exists between Japan and Russia, the Koreas, China, and Taiwan. Is it sound policy to put all of America’s Asia/Pacific eggs into Japanese basket as long as these historic and territorial issues remain unresolved?
    日本が抱える領土紛争に関しては、必ずしも米国は関与するべきではない、と考える議員がアメリカにはいるということですね。

    あと日本人の方も証言されていたんですね。いろいろと読んでみました。

    で、もう一度読み返してみたのですが、てっくさんのおっしゃることはどこかおかしくないですか?

    第一に、日本語が実に読みにくいですね。趣旨が理解できません。一時資料を使わなかった結末がどのように御大の判断の誤りにつながっているのかが明示されていません。いつもてっくさんは自分だけがわかっているのですよね。しかしね、ひとにいちゃもんつけるんだったら、もうすこしまともな日本語で書くべきではないですか?私だって、御大の意見はおかしいと思うときもあります。もしネットに書く場合であれば、もうすこしわかりやすく書くと思いますよ。

    第二に、「前からこのくらいのことはありましたが・・・放置しておいたのは、政府だけじゃなく、「正論」や「諸君!」のいわゆる保守言論人(もはや、こんな区分は意味ないと思う、あっしは)じゃないんですか?」とおっしゃっているようですが、一番責任のあるのは政治家の方々なのではないですか?保守の言論人に問題があるというよりもむしろ、保守は言論人の成果をまだうまく利用できていない政治家に最大の問題があるのではないですか?あなたが政界にでるべきではないですか?「横文字の情報を引っ張ってくるのが、古森@産経さんとか、岡崎@媚米さんとかしかいないってんなら、多言語で受信も発信もできるまともな人間がオピニオンを披露する場所を作ればいいだけのことです」ともおっしゃっていますが、有志の言論人だけでできることではありません。それはてっくさんの認識不足です。もっと組織的な関与が必要です。何か根本的なところで誤解されているのではないですか?こういうときこそ海外ではどうなっているのかを考えられるべきではないですか?

    第三に、「拘束性のない決議」だったらOKなのでしょうか?「過度に騒ぐ人」ってどういうこと?こんな決議が通った段階でどうして日本のロビー活動が成功しているといえるのでしょうか?また、他方で新たな政権が始まろうとしているこの段階だからこそ、(少なくとも内密に)はっきり言っておいた方が良いこともあるのではないですか?もうすこしアメリカの足下を見て、議論をするべきではないですか?マイケル・グリーン氏の話を読んでいて、アメリカ人にもいい人がいると思っているようでは、あまりにお人好しの馬鹿丸出しではありませんか?アメリカだけでなく、世界のどの国にも、いい人だけでなく、悪い人もいます。その悪い人たちから日本の国益を守ることが重要なのではないですか。「いい人」の話を聞いて、ことを荒立てるのをやめようというのは、あまりにrestrectedにすぎませんか?確かにマイケル・グリーン氏の主張は、日本人が読めば良い印象を持つのかもしれません。しかし、彼は平明な事実を述べているだけです。偏りのない議論には感謝するべきなのかもしれませんが、それでも戦前のグルーのような「いい人」を駐日大使に持つ幸運を享受していても、そして大部分の日本人とアメリカ人が戦争を望んでいなかったにもかかわらず、日米開戦を防げなかったという事実を我々は何度も何度も思い起こすべきではないですか?英国と米国はいわれているほど仲の良い関係ではありません。お互いにいやな思い出を持っています。しかし、外の勢力に対しては一致協力して対抗します。これは半分神話ですが、でも少なくとも半分は事実です。米国との「よりよい関係」を築くためにも、せめて英国並みに米国を利用する、あるいはいちびるという発想や手段が必要なのではないでしょうか?

  12. 旅がらすさん

     パックス・アメリカーナとか、民主主義の押し付けとか、後進国を教科せなばなどと余計なお節介を焼くとか言いながら自国の国益を優先する、などの、今の中東や中南米諸国が反発する「国としての傾向」については、「一括り」として捉えられるかも知れません。

     が、私が提起したのは、ここで西尾先生が取り上げられた日本に対する政策や考え方について「一括り」にして取り扱うのはどうだろうか?という問題です。アメリカは民主主義国家です。日本も民主主義国家です。朝日新聞の社説や民主党左派や社民党、共産党の言う事を基にして「日本は。。」と一括りにされたらどうですか? いや、加藤紘一や山崎拓の言う事から「日本の与党」を言うのは? 

     今回のハイド委員長や、リベラル学者、マスコミの言う所の中から、自分の意見に合う所だけ摘み出したサヨク報道を基に「アメリカは。。」と決めつけるのは大変危険だ、という事を言いたいのです。ハイド氏が「遊就館」の展示内容について語ってますが、彼は自分自身が靖国を訪れたことは恐らく無いでしょう。誰かの言説を取って、あんな風に語っているだけです。私は「遊就館」に行きましたが、彼が言うようなメッセージを特に強調しているとは感じませんでした。

     今回、西尾先生がスミソニアンの展示を例に出して「アメリカは。。」と主張するのは、ハイド氏が犯している間違い、朝日などの日本のサヨクが使う手と同じとも言えませんか? 誰かが言ったり書いたりしている事の中から自分の主張に合う部分だけを取り上げて、それで全体がそうであるかのように主張したりするのは西尾先生らしく無いのではないか、と感じます。

     その意味では、場違いな発言をされている「無類教師」さんも同じでしょう。

  13. > 今は全機体が復元されてダレス空港にある別館に展示されているとの事ですが、展示内容からは政治色や歴史観は一切排除され、ただ「世界で最初に原爆を投下した爆撃機」とだけ書かれている、と聞いています。

     自己レスです。行った事のある知人に確認しました。やはり、西尾先生が書かれているような説明は一切無い、と言う事でした。私もいつか行って確認して来たいと思っています。

  14.  先ほど、書いた「無頼教師」さんへの「場違い」という部分は撤回します。てっくさんのトラックバックを見てませんでした。失礼しました。

  15. 政治家で「男を回復しようじゃないか」という人はおらんかなのう。

    別に司馬遼太郎史観を擁護するつもりはないですが、江戸教育の主軸は善悪の判断や人間のあるべき姿を教えてきた徳育です。男はやせ我慢しなければいけない。弱いものいじめはしてはいけない。女性をぶってはいけない。年寄りはいたわらなければいけない。嘘をいってはならない、相手が強くても自分の名誉を守らねばならない、家族を守るのは子どもも含めて男の義務だ・・・・・明治20年に完成した教育は知育が主軸です。男の子の勇気の大元を日本社会は壊してきたのです。そして戦後社会が教えてきたのは男をやめて利己主義になれ、強い力には抵抗せず頭をさげておけ、負けたものには正義はない、喧嘩すること自体が悪いことなんだ、努力は尊くなく結果が大事だ、数字という眼に見えるものだけが信用できると教えてきたようなものだからです。

  16. ピンバック: 一口コメント

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