「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(五)

 いま新聞や週刊誌は誰が大臣になれるかなれないか、幹事長や官房長官の座を射とめるのは誰か、そんな話題でもち切りである。誰が大臣になっても同じだと嘲笑う一方で、誰それは必ず何大臣になりそうだとかなれそうでないとかの情報をまことしやかに、さも大事そうに伝える記事も忘れずに書く。

 マスコミの習性は昔から変わらない。そして学者や言論界の予想されるブレーンの名前を添え書きするのも毎回同じである。ただ今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」の紛争記事でおなじみになった名前、岡崎久彦、中西輝政、八木秀次、伊藤哲夫の名前がたびたび登場するのが注目すべき点であろう。

 当「日録」でしばしば扱われてきた方々が新内閣のブレーンとして重職を担うということになるのだそうである。もしそれが事実であるとすれば、「歴史教科書」をめぐって最近起こった出来事、すなわちかの激しい紛争と安倍新政権とがまったく無関係だと考えることは、どうごまかそうとしても難しいだろう。

 「日録」に掲げられた「つくる会顛末紀」「続・つくる会顛末紀」をお読みになった方は、「つくる会」紛争のキーパーソンが日本政策研究センター所長の伊藤哲夫氏であったことに薄々お気づきになったに違いない。旧「生長の家」の学生運動時代において、「つくる会」宮崎元事務局長と同志であり、「つくる会」元会長八木秀次氏とは師弟関係、あるいは兄貴分のような位置関係にあると見ていい人だと思う。

 思えば安倍政権の成立に賭けてきた伊藤氏の永年の情熱には並々ならぬものがあった。それは悪しき野心では必ずしもない。自分の政治信条を実現するうえで安倍氏は最も役に立つ、という判断に立っている。「安倍さんは自分たちの提案を一番聞いてくれる」と伊藤氏はよく言っていた。

 伊藤氏はシンクタンクの代表者であり、アドバイザーである。昭和天皇冨田メモ事件における安倍氏の記者会見の発言は伊藤氏に負う所大であると秘かに伝え聞く。これからも伊藤氏は安倍新内閣を側面から扶助し、相応の権力を分与される立場に立つであろう。

 伊藤氏がそうなることは氏の永年の夢の実現であり、昔の友人として私はそのような状況の到来を喜んでいる。氏は思想家ではないと自分で自認している。氏は言論人でもない。政治ないし政界にもっと近い人である。フィクサーという言葉があるが、そういう例かもしれない。故・末次一郎氏のような役割を目指しているのかもしれない。

 伊藤氏のような仕事を目指す方がこういう補完的役割を果すということは、それ自体はとても良いことなのだが、中西輝政氏や八木秀次氏は学者であり、言論人であり、思想家を自称さえしているのであるから、伊藤氏とは事情を異にしていると言わなければならない。

 中西輝政氏は直接「つくる会」紛争には関係ないと人は思うであろう。確かに直接には関係ない。水鳥が飛び立つように危険を察知して、パッと身を翻して会から逃げ去ったからである。けれども会から逃げてもう一つの会、「日本教育再生機構」の代表発起人に名を列ねているのだから、紛争と無関係だともいい切れないだろう。

 読者が知っておくべき問題がある。八木秀次氏の昨年暮の中国訪問、会長の名で独断で事務職員だけを随行員にして出かけ、中国社会科学院で正式に応待され、相手にはめられたような討議を公表し、「つくる会」としての定期会談まで勝手に約束して来た迂闊さが問われた問題である。中国に行って悪いのではない。たゞ余りに不用意であった。

 折しも上海外交官自殺事件を厳しく吟味していた中西輝政理事に、会としてこの件の正式判定をしてもらうことになった。高池副会長が京都のご自宅に電話を入れた。その日の夕方、中西氏からそそくさとファクスで辞表が送られてきた。電話のご用向きは何だったのでしょうか、の挨拶もなかったので、会の側を怒らせた。

 上海外交官自殺事件その他で、中国の謀略への警告をひごろ論文に書いている中西氏が、八木氏の中国行きを批判し叱責しなかったら、筋が通らないのではないだろうか。書いていることと行うこととがこんなに矛盾するのはまずいのではないか、という中西氏への非難の声が会のあちこちで上ったことは事実である。

 中西氏は賢い人で、逃げ脚が速いのである。けれども「つくる会」から逃げるだけでなく、もう一方の会からも逃げるのでなければ、頭隠して尻隠さずで、政治効果はあがらないのではないだろうか。とすればもう一方の会からは逃げる積りがないことを意味しよう。

 伊藤哲夫氏の日本政策研究センターは安倍晋三氏を応援する「立ち上れ!日本」ネットワークという「草の根運動」を昨年末ごろに開始している。安倍氏もそのパンフに特別枠の挨拶文をのせている。総裁選のための人集めと思われる。中西輝政氏も、八木秀次氏もそこに名を列ねている。

 すべてのこうした複数の名前が鎖につながれるように一つながりになって、「つくる会」を「弾圧」する側に回っていた背景の事情を、私はとうの昔に見通していた。しかし世の中は、安倍政権が近づいて、学者や言論界のブレーンの名前が新聞に出ないかぎり、どういうつながりが形成されていたかをなかなか理解しない。

 伊藤哲夫氏が「立ち上れ!日本」ネットワークのような特定政治家応援の運動を展開することは氏の自由に属する。氏の本来の仕事でもあるから結構なことである。

 私は伊藤氏のそうした政治活動を非難しているのではない。伊藤氏よ、間違えないで欲しい。

 そうではなく、伊藤氏が宮崎元事務局長を死守しようとして「つくる会」の人事権に介入し、八木秀次氏の「三つの大罪」(前回参照)を認めずに八木氏を背後からあくまで守ろうとして、一貫して「つくる会」を「弾圧」する理不尽な行動を強行したことを私は責めている。氏はこの事実をまず認め、反省してほしい。

 そして衆目の見る処、伊藤氏の「つくる会弾圧」の力の源泉は安倍晋三氏にあると考えざるを得ない。そのことが新聞に名が出ることで誰の目にも次第に明らかになってきた。

 総理大臣になる前に安倍氏がかねて最も大切にしていたはずの「歴史教科書」の会を混乱させ、分断にいたらしめたことに自ら関与しなかったにしても、結果的に、間接的に、関与していたという事情が次第に明らかになることは、安倍氏の不名誉ではないだろうか。

 「歴史教科書」と並ぶもう一つのタームである「靖国」に対しても、安倍氏は総理大臣になる前に、その遊就館の陳列の改悪に関して、岡崎久彦氏を使って手を加えさせようとしたのではないかという疑念がもたれている。

 私は今の処この件に関し背後の闇に光を当てる材料をもたない。しかし安倍氏ご本人が忙しくてどこまで自覚しているかは分らぬにせよ、伊藤哲夫氏や岡崎久彦氏のような取り巻きがこのように勝手に動いて安倍氏の首班指名前の歴史に泥を塗るようなことが起こっているのは事実ではないだろうか。

 私は伊藤氏が「歴史教科書」に関して八木氏が犯したような「三つの大罪」を犯しているなどとは全く考えていない。しかし、氏が「八木さんは悪くない。八木さんを支持して下さい」とあっちこっちで言って歩いていたのは間違いない事実である。

 以上のような八木氏の持上げは伊藤氏が安倍晋三氏の指示を受けてやったことなのか、ご自身の勝手な判断で安倍氏の意向を汲んでのことなのか、それともまったく安倍氏とは関係のない自由判断なのか。

 そのことは時間が経つうちに次第に明らかになるだろう。

 私は「つくる会」の紛争に安倍氏が無関係であったどころか、並々ならぬ関与があったのではないのかという疑いに一定の推論を試みているのである。「歴史教科書」と「靖国」という外交上の条件を新政権の成立前にともかく替えてしまいたい。その手先になって働く者は誰でもいいから利用したかったのではないか。

 安倍氏の靖国四月参拝は、小泉八月十三日前倒し参拝と同じ姑息な一手に見えてならない。氏が中国への対決姿勢を捨て協調路線を散らつかせているのも気になる。今さら憲法改正に5年もかけるという気の長さはやらないと言っているに等しい。国民の反応よりも、アメリカの顔色をうかがっているのかもしれない。参議院候補者の見直しは唯一の勇気ある態度表明だが、もう恐いものなしと見ての党内大勢を見縊っての発言であって、総裁選より参院選の方が心配だからである。中国とアメリカへの彼の態度の方はいぜんとして不透明で煮え切らない。

 「歴史教科書」を新米色に塗り替え「靖国」の陳列にアメリカへのへつらいを公言した岡崎久彦氏への干渉は、安倍氏の意向の反映でなかったと言い切れるか。

 12月末中国を不用意に訪問し、定期会談を約束し、慰安婦や南京で朝日新聞を失望させない教科書を書くと「アエラ」発言をした八木秀次氏の軽薄な勇み足は、安倍氏の外交政策の本音をつい迂闊に漏らした現われでなかったと果して言い切れるか。

つづく

「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(五)」への23件のフィードバック

  1. 西尾先生、いろいろ想像し思い悩んでおられるようですね。

    旧生長の家グループに対していくら宗教団体の名前を連呼してもダメージにはならないでしょう。旧であって現在の生長の家信者ではないわけですから。
    ひょっとすれば大宗教者谷口雅春氏にとっては天皇信仰は生長の家の布教活動のための一つの手段にしか過ぎなかった可能性があります。天皇信仰か生長の家かの踏み絵の中で旧生長の家グループは生長の家を去って行ったわけですからそれは非常に立派な態度だと思います。
    私は信仰者として生長の家信者よりも天皇信者の方が断然立派であると思います。さすがに生長の家信者とは人前で言うのはカッコ悪いです。「俺は天皇陛下は絶対的なるものと思っている。」こちらの方がまだ日本人のハートを打つでしょう。

    中西輝政氏の逃げ足の速さと世渡りは私は既に1年以上前から指摘しています。今更言うのは遅すぎます。言うならもっと堂々と言うべきでしょう。八木秀次氏の3つの大罪と言いますが、中西輝政氏、更に藤岡信勝氏の湾岸戦争以降の転向は不問にふすのか?二人はマトモな転向論すら書けないのですから。その点、西尾先生がライバル意識をもやしている西部邁氏は立派です。転向にまつわるエッセー、評論を何本も書いています。

    西尾先生はこれからも八木秀次氏の3つの大罪を連呼するのであれば、未だ自らのコントロールの効く藤岡信勝氏にきちんとした転向論を書くように「命令」すべきでしょう。
    それができないのは、ひょっとして未だ新しい歴史教科書を作る会に留まっていると思われる人たちの多くが元全学連、全共闘運動の転向者ばかりだからではないか?それでは若いメンバーは知識人だけでなく会員も「日本再生機構」にかっさらわれていきます。

    最後に八木秀次氏や旧生長の家グループが安倍晋三氏のブレーンと思われるのはとてもいいことです。おそらく実際はそうではないと思います。だが世間がそう吹聴すれば安倍晋三氏にとって彼らを裏切る行為は政治的ダメージに繫がり安倍晋三氏に対して一定の足かせをする効果があります。

    西尾先生、やはり男の悩みは男ではないとわからないものです。是非、住友財閥元重鎮の粕谷先生と草の根市民活動のリーダー三輪先生と酒を飲まれることを私は強くお勧めします。

  2.  私も総合学としての文学さんのおっしゃられるとおり、「生長の家」云々は、全く意味を持たないことと思います。
     これまで繰り返し述べてきた弁明、釈明もつまるところ「生長の家」教団は全く関係なく、むしろこれまで名前の挙がった人たちは、団体及び運動の路線からパージされた人たちばかりだからです。
     過去も、現在も日本会議及び、日本青年協議会、そして岩田、早瀬両氏の関った全日本学生文化会議なる団体も、生長の家教団から何等の金銭的物的支援も、運動的な指揮命令も受けていません。
     西尾先生は、8月15日の講演で、日本会議の組織決定の仕組みについて「隠されている仕組みがある」と指摘し、さも生長の家との関係があるかのようにほのめかしましたが、日本会議では定例の常任理事会、全国理事会、総会等が規約によって規定されています。当然のことながら、その構成団体に生長の家教団は入っていません。
     それでも生長の家が日本会議の意思決定に関わっていると言うのなら、是非事実をご提示いただきたいものです。

  3. 総合学としての文学さんも誤認官さんも視点が少しずれているように感じます。日本会議については、存在を認めているんですよ。しかし、西尾先生の目から見ると、この団体は今ある活動だけでは世に響かないのではないか。よって更なる団体としての努力をすべきで、それは政党として政治の舞台で闘うべきで、どこかの政党もしくは政治家個人を支援するだけのものであって良いのかと問い質しているわけです。
    もう少しこの団体は外から自分たちを見るべきですよ。団体の主旨はどんなものであれ、それは構わないわけです。
    でも、ある程度の政治的発言をなさるならば、形を世に晒す覚悟がその土俵内であるべきだと先生はおっしゃっているわけです。
    国民の殆どはこの団体を知りませんよ。
    確かに母体である成長の家の発信は、たしか毎朝5時頃からの宗教の語りコーナーで、日本放送系列にて教示されていますが(創価学会やカトリックなどのそれも同じ時間帯にて放送されていますが)、あとは一般的には知られていませんよね。
    まさか日本会議が成長の家と関わりがないとは言いませんよね。
    いえ、別に関わりがあるからどうのこうのと言うわけではありません。
    しかし団体の在り方からして、政党としての存在を問わないのは何故なのですかと言いたいわけです。
    ただし、この問題は外部があれこれ言って決まる事ではないでしょう。
    しかし、それは同時にこの団体がそこまでしか価値を表せない団体だと言えるかもしれませんよ。
    西尾先生は間違いなく思想家です。
    でも思想家は時に政治へのご意見も絡みます。
    でもだからといって政治に直接足を踏み入れる責任は無いことはご理解いただけますよね。
    西尾先生もそこまではやる積もりもないでしょう。しかし、教育という分野は政治と思想の接点であり、その土俵には上がる準備をとれるわけで、危険はかなり伴いますが、チャレンジしたわけです。
    しかしあくまでも思想家は思想家としての世界に居続けるべきで、政治に直接関わることは、自身の立場を危うくします。
    だが、伊東氏の場合は元々政治に関わる事が本道ですから許されるわけで、八木氏や中西氏の場合は本道をはずれてしまっていませんかと言っているわけです。思想家は政治家からのアクセスは許されても、その逆は許されるべきではないと西尾先生は言っているのです。
    難しい表現になりますが、政治家は歴史に位置する立場です。しかし思想家は歴史と言う枠に縛られない立場です。
    私はそれが最大のポイントだと思っています。

  4. 皇室と国民の祈りと思いが天に通じ、親王様がお生まれになり、秋篠宮御夫妻は「悠仁」と御命名になられた。御熟慮の末に閃かれたとも、天皇皇后両陛下の御意向を仰がれたとも漏れ承るところであり、誠に床しく雄々しく、格調高い御名に坐すと謹んで御祝い申し上げるものである。心直き国民の斉しくお慶び申し上げるところであるが、殊に、吾が国の近代国家建設に際し、悠久の大義に生き、国難に殉じて散華された靖国の英霊達の欣喜感激せられるところ如何ばかりであろうかと、しみじみと憶念申し上げる次第である。

     しかしながら、この御慶事を奉祝する帝都、更には吾が国の上空には厚い雲が垂れ込め、連日冷たい秋雨が続いている。
     昨年初夏の頃には、西尾先生も大層御期待を寄せられた安倍代議士も、次期総理の地位を不動のものとした今、同じ西尾先生から「国民の反応よりもアメリカの顔色をうかがっているかもしれない」と憂慮され、「中国とアメリカへの彼の態度の方は、依然として不透明で煮え切らない」と苛立たれる、そのような姿勢・言動に停滞し逡巡されるのも、アメリカと中国の狭間で如何に吾が国が危うい立場に置かれているかをあらためて目の当たりにし、立ち竦んでおられるに相違ない。如何せん。
     されど、安倍代議士の前にも、安倍代議士の後にも、安倍代議士はいないのである。

     そして、西尾先生が、最新号の「正論」において「安倍晋三よ~日米の落とし穴を直視できるか」と呼びかけられ、「VOICE」において「安倍政権の仕事~先ずは九条問題の解決から」と提言された、その卓論は、必ず安倍代議士の目にとまり耳に届くものと信じるところである。安倍次期総理のブレーンは、伊藤、岡崎、中西、八木等の諸氏のみに限られたものではなく、また、「朝日」までもが大々的に報じたこれらのブレーンの、その鎖の結び目は如何にも固そうに見えはするが、天雷ムボウ、事有れば、必ずその中の俗論は破綻し、その中で私心ある者は馬脚を現すものである。

     他方、真実を洞察した正論は、その顕現までに然るべき時節があったとしても、決して埋もれ朽ち果てるものではないと深く確信する。
     節を曲げず、時勢に阿らないことが肝要であり、而して、無二の思想家である西尾先生と政治家として大成すべき安倍代議士が、天の時に応じ、相互の信頼関係を深く回復されることを、ひたぶるに御祈念申し上げるものである。

  5. 生長の家=日本青年協議会は違いますよ。
    教団が路線転換してからはほとんど関わりがありません。
    個人の信仰は組織とはまた別。

    現在の生長の家の出している「光の泉」「白鳩」「聖使命」などをご覧になられればよいかと思います。

    勝手なきめつけがどれだけ保守派の分断につながったかお分かりでしょうか?

    青協を知らない人が妄想をしているだけで、なんらエビデンスやソースなしで主張なさるのは高名な学者の方がお書きになるものではないと思います。

  6.  西尾先生、私が平成18年6月7日にミクシイ掲示板に投稿した文章を是非お読みください。

    「西尾幹二氏の破滅的衝動について」

    ここ三ヶ月以上にわたって保守派論壇の重鎮である西尾幹二氏が、自身のホームページで新しい歴史教科書を作る会の内紛劇の内部告発をしています。そして、ついに騒ぎはインターネットの中にとどまらず、西尾氏に一番罵倒されている八木秀次高崎経済大学教授が今月号の雑誌「諸君」の巻頭論文で西尾氏に対する反論をするまでに大きくなりました。
    当初は、①近代保守主義が神社系右翼と一線を画することの必要性、②政治思想運動における保守派宗教団体との付き合い方、③保守派・右派の学生運動のあり方、④天皇に対する距離のとり方などなど、単なる新しい歴史教科書を作る会の内紛劇に留まらず、是非は別にして割合普遍的なメッセージを発していました。しかし最近はもう新しい歴史教科書を作る会どころか西尾氏自身の内面の整理されていない葛藤だけが溢れた文章が毎日掲載されています。

    ひょっとすれば多くの保守派の人達、西尾氏の愛読者達は、西尾幹二はもう物書きとして終ったなあと感じているのかもしれません。厳しい言い方ですが私もそう思います。しかし、西尾氏は既に70歳を超えており、仮にそうであったとしても思想家いや人間とは結局そういうものなんだと思わざるを得ない。

    西尾氏のホームページを見ていますと、故福田恆存氏の晩年、「問いただしたきことども」、「言論の虚しさ」を発表した頃との重なりを感じざるを得ません。晩年の福田氏も今の西尾氏と同じく進歩的知識人ではなく保守派知識人、産経新聞を中心として群れたがる保守派知識人を厳しく批判しました。
    最も感情的に批判されたのは、渡辺昇一氏でした。渡辺昇一氏は知識人であるにもかかわらず、「マーフィーの法則」を翻訳したり「知的生活の方法」などハウ・ツー本を数多く出版していたのでした。今では多かれ少なかれ重鎮といわれる知識人でもその手の本は数多く出版していますが、当時(昭和50年代)はまだ知識人たるものはそういう本を書いてはいけないという道徳律のような物があったのです。
    福田氏には、当時の日本、すなわち金さえあれば幸せになれる、護るべきものは日本の国柄なり伝統・文化ではなく、豊かな経済大国日本であるという風潮の代表が渡辺昇一氏に見えたのでしょう。もっともこれは私の渡辺昇一観とは異なりますが。

    ここに保守主義の悲劇があります。前にも書きましたが、保守主義とは、進歩主義の荒波の中で人々が未だ気づいていない内面に宿っている常識という平衡感覚を邂逅させるための思想です。保守主義は進歩主義の荒波の中では異端の思想ですが、その異端さが人々の内面と結びつき普遍性を帯びることによって、その思想の威力を発揮します。そして、人々の内面と結びつく道筋はひとえに論者の批評精神の力にかかっています。
    ところが時代が流れ社会が変わってくると、今まで建前論としての理想論なり世界観がいつしか人々の内面にまで入り込み常識化されてしまう。そうなれば、もはや、論者の批評精神はから回りするだけになってくる。その空回りの焦燥感、諦念は、その批評精神が鋭利であればあるほど激しいものになってきます。それでは、もはや批評を書くことはできない。したがって、福田氏は昭和55年「言論の虚しさ」を発表していらい論壇の表舞台から引退しました。当時は、既に、「文藝春秋」、「諸君」、「正論」以外にも保守系ミニコミ雑誌が多数ありましたが、それらに執筆の場を移すようなことはありませんでした。そこに、私は、戦後最大の保守思想家と形容される福田氏の言論人としての潔さを感じます。

    西尾氏も今、福田氏と同じ心境なのでしょう。もはや自分の批評精神が完全に空回りしてしまっている。時代が流れ社会が変わってしまったことを実感している。西尾氏の今の破壊的衝動の原因は、新しい歴史教科書を作る会でもなければ八木氏でもない。西尾氏自身の焦燥感、諦念にほかなりません。ならば、西尾氏も潔く論壇から引退した方がいいのかもしれません。

    さて、ここまでは、福田氏、西尾氏を比較した人物批評でしたが、西尾氏の焦燥感、諦念は、決して西尾氏特有の問題ではなく、我々も共有している問題なのです。

    福田氏は大正元年生まれの戦前の日本を知っている世代でした。そして、福田氏の晩年の頃の日本は、確かに高度経済成長によって日本の国柄なり伝統・文化が加速度的に溶解していく時代に突入していたのでしたが、それは未だ抽象的・文学的世界の中で論じられるに留まっていました。戦後高度経済成長が一段落した後の時代に生まれた私にとっては、正直、当時の福田氏の内面をある程度想像することはできるのですが完全に共有することは不可能です。
    しかし、西尾氏は違う。西尾氏は戦前生まれですが、中等・高等教育を受けたのは戦後といういわば戦後第一世代です。そして、今の日本の国柄なり伝統・文化は、高度経済成長といったような社会構造の変化ではなく、皇室典範改訂問題、女系天皇容認論、中国からの内政干渉、国際政治の舞台の思惑と直結している歴史認識対立、アメリカ合衆国と中国という大国に挟まれた中で日本はいかにあるべきか、といった具体的政治問題によって溶解の危機に瀕しています。少し前の日本人は、「既に日本には日本固有の伝統・文化なり地域共同体なんてとっくに喪失してしまったよ」とうそぶいていたのが、今ではいやおうがなしに日本人は、自分が日本人であり日本には固有の国柄、伝統・文化があるのだということを自覚せざるを得ない状態になってきています。

    西尾氏の焦燥感、諦念は、決して文芸評論家西尾幹二の内面世界だけに留まるものではない。我々も共有しているのです。いや、鋭利な感受性を持った方であれば、西尾氏よりずっと若くても、更に深い焦燥感、諦念を感じているでしょう。
    西尾氏はもう歳です。論壇から引退しても既にそれなりの業績を残したことに変わりありません。しかし、私には、まだまだ自分が日本人であることと日本国民であることから逃げることはできない。たとえ焦燥感、諦念を感じていたとしても。今を生きる私たちは、将来の日本人のため日本国のために、具体的政治問題によって日本人、日本の固有の国柄、伝統・文化が危機に晒される危険性に耐えていかなければなりません。中には、単なる原理論だけを主張するだけではなく妥協を迫られざるを得ないことも数多く生じるでしょう。

    今、日本人と日本国が最大の危機に晒されているのは、皇室典範改訂問題、女系天皇成否論争です。これは日本人と日本国の問題です。国際関係の中で妥協を迫られるような問題ではない。
    私は、まだ日本人の内面には万世一系の皇統を護持せねばならないという常識が残っていると信じています。その常識に一人でも多くの方に邂逅してもらえるよう微力ながら努力していきたいと思います。

  7. >総合学としての文学さん
    貴方の分析には賛成できません。

    私は西尾先生が破壊しようとしたのではなく、守ろうとされ、結果的に相手が破壊活動に走り分裂していったのだと思っています。

  8. 私がいいたいのは、一つだけです。日本会議・日本青年協議会=生長の家下部組織、あるいは日本会議・日本青年協議会事務局=生長の家信者という、左翼が泣いて悦ぶラベリングをいい加減やめて、証拠に基づいて議論していただきたいのですよ。

    影山正治氏の思想・信仰を学ぶと言う研修・運動団体が、イコール大東塾の下部組織であるということはありますまい。三島由紀夫や森田必勝の天皇信仰や行動哲学を体得しようとする団体が、イコール楯の会ではない。小田村寅二郎に私淑することが、そのまま国民文化研究会の一因ではないでしょう。もちろん団体の構成員が「吾々は○○先生の正統な継承者だ」と叫ぶのは自由であり、勝手でありますが、組織的な上下関係は別です。

    繰り返しますが、生長の家は、二十年以上も前に政治運動をやめ、こうした活動や団体に関係した人間をパージしており、本来西尾先生が批判すべきは、そうした国体護持の国民運動を教団の都合で扱った生長の家本隊であり、椛島氏、伊藤氏、宮崎氏を生長の家に絡めて指弾するのは筋違いです。

    西尾先生の見当違いの批判により、全国の神社界、日本会議関係者は大混乱に陥っております。部外者の私が言うのもなんですが、八月十五日の講演で神社界を擁護する発言をなさいましたが、これまでのいきさつから、もう無駄です。

    日本会議総会後の立食パーティーで、日本会議の事務局は全国の会員、支援者、有識者、団体から「西尾氏との関係を今後どうするのか」「何故放っておくのか」と難詰を受けていましたが、どちらにも加担しない、内紛には関与しない、西尾氏への公的な反論は行わないと言うのが執行部側のスタンスでしたよ。

    西尾先生にとっては、日本会議が沈黙を守っているのが不思議かもしれませんが、沢山の団体を抱えている組織としての判断がそこにあったのです。

  9. 総合学としての文学氏(以下「文学氏」と略称させていただく。)の「物書き・西尾幹二終焉論」に反論する。

     文学氏は、先ず「保守主義とは、進歩主義の荒波の中で人々が未だ気づいていない内面に宿っている常識と云う平衡感覚を邂逅させるための思想である」と辞立てされた。そこで、その論理に沿って、ミュトスに基づく民族の「世界観」(例えば、日本の神道やギリシャ神話など)と、それを否定的に克服しようとした普遍的「疑似世界観(イデオロギー)」(例えば、キリスト教やマルクス主義など)の相剋をモデルとして論考を進めることとする。

     文学氏の云う「人々の内面に宿る「常識」と云う平衡感覚」とは、「個々人が抱く「人生観」の基盤となる民族の「世界観」と云う共通認識」を指すものであると考える。したがって「保守主義は進歩主義の荒波の中では異端の思想である」とは、単純明快なドグマに基づく「疑似世界観(イデオロギー)」に拠る「進歩主義」の前に、渾然とした宇宙直観に基づく民族の「世界観」を擁護する「保守主義」は、如何にも不気味で邪魔な異端の思想に見えるのであろう、と認識する。

     而して「その異端さが人々の内面と結びつき、普遍性を帯びることによって、その思想の威力を発揮する」とは、即ち、個々人が自らの人生観の根底に実存する世界観・古代伝承に民族としての普遍性を自覚することによって、それは民族の・国民の思想として大きな力を発揮する、と云う意味であると理解する。「そして、人々の内面と結びつく道筋は、ひとえに論者の批評精神の力にかかっている」とは、個々人の人生観の基盤である民族の世界観を探求し顕現せしめる道筋は、ひとえに哲人の思想批判力の力量、その鋭い直観力と強靱な思考力の如何にかかっている、と論ずるところであると解釈する。

     であれば、ここまでは、文学氏の論考は正鵠を得ているものと認識する。しかしながら、ここから後が甚だしく誤っているのである。
     即ち「ところが、時代が流れ社会が変わってくると、今まで建前論としての(似非)理想論なり(疑似)世界観が、いつしか人々の内面にまで入り込み常識化されてしまう」からこそ、換言すれば「本音論であり真実である伝統的な思想なり本来の世界観なりが、人々の心裡から忘却させられ喪失させられてしまう」からこそ、文学氏が云うように「そうなれば、もはや、論者の批評精神は空回りするだけになってしまう」のではなく、「そうなれば、殊更に、哲人の卓越した思想批判力と直観力はその真価を発揮して保守すべきところを顕彰しなければならなくなる」のである。而して「その空回りの焦燥感、諦念は、その批評精神が鋭利であればあるほど激しいものとなってくる」のではなく、「孤高に真実を保守する悲壮感、使命感は、その思想批判力・直観力が強靱であり鋭敏であるほどに憂い深いものとなってゆく」のである。

     而して、文学氏が結論するように、この論者は「それでは、もはや批評を書くことはできない」のではなく、この孤高の哲人には「民族の悲願を承けて、真実を標榜すべき」責務が課せられ、天与の筆剣がもたらされるのである。
     そして、無二の思想家である西尾幹二先生が、遠からず、満を持して世に問われる大著「江戸のダイナミズム」(宣長とニーチェ)にこそ、そこに込められた「近代のロゴスをもってする古代のミュトスへのアプローチ」にこそ、その精髄が存するものと、満腔の御期待を申し上げ、深甚の敬意を表し上げるものである。

  10. 西尾先生、「西尾幹二氏の破壊的衝動について」の前にミクシイ掲示板に投稿した文章です。一部重複するところがありますが是非お読みください。本来ならこちらを先に転載すべきでした。

    「福田恆存筆の万葉歌碑を見て思うこと」

    昨日、奈良県桜井市の、吉備の春日神社境内にある故福田恆存筆の万葉歌碑を見に行きました。桜井市の万葉歌碑は、全部で50余。川端康成、井上靖、小林秀雄、山岡荘八、保田與重郎、福田恆存といった我が国を代表する文豪達が筆をとっています。
    福田恆存筆の歌碑は、桜井市吉備の春日神社境内にあります。地味で小さな神社ですが、「磐余の池」と伝承されている吉備池と近代的住宅街の間にあり、近代的保守主義者福田恆存筆の歌碑があるにふさわしい場所だと私は感じました。

    碑文には、持統天皇から死を賜った大津皇子の辞世の漢詩(懐風藻)、およびその姉大来皇女の歌(万葉集二・一六三)が撰ばれています。

    「金鳥臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向」  大津皇子
    金鳥(太陽)はすでに傾いて、西の家屋を照らし、時を告げる鼓の音は、死を目前にした短い命をせきたてるように聞こえてくる。死出の旅路には、お客も主人もなくただ一人ぼっち。この夕べ自分の家を離れて孤影さびしく黄泉の旅へ出立しなければならない。

    「神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君あらなくに」  大来皇女
    伊勢の国にいればよかったものを、どうして帰ってきたのであろうか。大津皇子もいないことなのに。

    大津皇子は、人柄謙虚で知識も武芸も深かったことが災いし、天智天皇崩御の後、実子である皇太子草部皇子の即位の障害になると見た鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の意向によって謀反の意ありとされ、自害させられたそうです。大来皇女は母姉にあたります。

    大津皇子の悲劇は、福田恆存の言論活動と重なって見えてきます。福田恆存の言論活動は、昭和30年、進歩的知識人による空疎な平和論に対して「平和論の進め方に対する疑問」を発表し異議を唱えて以来、保守反動思想家のレッテルを貼られ論壇の中で孤軍奮闘の戦いを続けました。そして、昭和40年代後半になると保守派の数も多くなり、福田恆存の論は当然の正論として受け入れられ、いつしか戦後最大の保守思想家と形容されるようになりました。しかし、それに反し、福田恆存が保守しようとした我が国の国柄なり文化・伝統は、戦後の高度経済成長の中で急速に崩壊してしまった。

    急速な進歩の荒波の中で人々が忘れてしまっている内なる常識感覚を、鋭利な批評眼で気づかせるところが保守思想家の真骨頂です。しかし、急速な進歩の荒波は、人々の内なる常識感覚までをも失わせてしまう。かくして、本来異端であったものが、人々の内なる常識感覚になる。そうなれば、保守思想は成り立たなくなってしまう。
    ここに保守思想家の悲劇があります。真の保守思想家は、国を憂う心があっても、いやあるからこそ、最後には孤独にならざるを得ない。福田恆存が、歌碑の筆をとった時、昭和47年。この時、福田恆存は何を思っていたのか?

    しかし、たとえ時代の流れによって社会が変わろうとも、人々にはいまだ内なる常識感覚が眠っている。だからこそ、それを気づかせる鋭利な批評眼を持った批評家が必要なのです。福田恆存が守ろうとした日本国は既に今では違ったものになっているのかもしれませんが、それでも日本国は在ります。
    私は、福田恆存のすべての批評に賛同するわけではありませんが、その批評精神は、時代が変われども受け継いでいかなければならないものと考えます。その批評精神を担う人材がいなくなってしまった時こそが、日本国の精神的消滅の時なのかもしれません。

  11. あきんどさん
    日本会議と生長の家の関係について論じるならば日本会議のメンバーよりも生長の家そのものを調べるべきでしょう。もし生長の家が裏でコントロールしているのであれば、ジャーナリズム的観点からはかなり大きなスキャンダルになります。日本会議のメンバーだけで論じるのは片手落ちです。朝、生長の家のラジオ番組をやっていることから日本会議と生長の家が関係があると連想するのはあまりにも論理の飛躍が激しすぎます。

    私は生長の家は裏でコントロールしていることはないだろうと思います。
    これは私の現代宗教観からのかなり大雑把な推測ですが、現代日本では、もはや、個人の信仰を求める悩みなり葛藤は天下国家にそのまま直結していない。あくまでも個人の領域にとどまり続ける。国家や社会との繫がりが断絶してしまった。そうなってしまえば、宗教団体にとって政治に積極的に介入することは勢力拡大や教団維持のためにあまりメリットがある行為とは言えないでしょう。創価学会が唯一の例外ではないか。
    ただ正確な分析をするのであればやはり現在の生長の家の研究が不可欠です。

    日本会議は政党にならない方が政治力を発揮できるでしょう。小選挙区による二大政党体制の中ではあの創価学会ですら自民党か民主党と連立を組まない限り今の国会議員数を維持できないのです。政党にならず二大政党双方に政治的影響力を行使する方法を模索する方が賢明であると言えます。そのくらいは普通の政治的センスがあれば誰でもわかることではないでしょうか。

    布袋和尚さん
    私の保守主義に関する特質自体については賛同しているのですね。だから西尾先生はどうするべきだ、どうなるかと言うのは論者の見解次第です。
    ただ、私は、布袋和尚さんのように楽観的に威勢よく考えることはできませんね。私自身が現代日本に対して非常にペシミスティックな感情を抱いています。
    「西尾幹二氏の破壊的衝動について」は西尾幹二論であると同時に私の現代日本論でもあるのです。

  12. いままでずっと拝読して、西尾先生を尊敬致してきた者ですが、あえて端的に申しあげます。
    これまで、幾多の危難を、我々を宜しく導いてくださった先生ですが、このたびだけは、朝日新聞の情報操作に、完全に踊らされています。
    よく読み直してください。申しあげれば申しあげるほど、細部の問題を指摘される畏れがありますので、これ以上申しあげません。
    しかし、どうか、情報ソースがどのようなものであるか、いまいちど再考していただきたいのです。
    敵は、論理的な世界では、今はなりを潜めてはおりますが、TVなどを通じ、潜在的には厳然たる影響力を維持しております。どうかどうか、そのような者たちが喜んで報道していることには、眉に唾していただきたいのです。
    先生ほどの方に申しあげるようなことではないことで、どう申しあげれば良いのか分かりません。しかし、どうか分かってください。
    天皇は女性でも良いではありませんか、と、さも尊皇家でもあるかのように、笑顔で平然といってのけたのは、共産主義者です。
    先生の孤立化を促し、つまり、保守の大極柱である先生を孤立させることにメリットを有するのは、誰であるかということを。くれぐれも、お忘れございませんよう。

    論理的に詰めれば、先生仰せのことも、先生がここで批判なさっている方々のことも、一理あります。ですので、あえて、その辺りのことは申しあげません。
    先生は、保守陣営にとって、大きな大きな存在なのです。先生の仰せは、先生の批判者が束になっても適わないほどに、重いのです。ですから、どうか、今なお日本の現状では少数派に過ぎぬ保守を、なおかつ分裂に導くようなことは、なさらないでください。
    臥してお願い申しあげます。

  13. 私は全くの部外者なので、つくる会の内紛について詳しく知るわけではない。

    八木氏についても詳しくは知らず、八木氏の訪中についても詳しい内容を知っているわけではないが、巷で言われている噂が本当で、八木氏が安倍氏のブレーンであったのであれば、八木氏の訪中に大きな政治的意味のあった可能性も十分あるように思うし、安倍氏を取り巻く親米派ブレーンがつくる会を変革しようとして何らかの工作を仕掛けた可能性も十分にあるように思う。

    安倍氏が首相に就任するにあたり、まず頭にあるのは日中関係の問題であろう。安倍氏は穏やかな人物であるから、小泉首相のように敵対し続ける事には躊躇があるだろう。
    アメリカも中東で手一杯で、日中の強い対立(極東の混乱)は望んでいないであろうから、アメリカの意向にも沿うよう、安倍氏は日中の和解を考えている事だろう。おそらく、水面下では幾つかのルートから、日中の和解を探っているのではなかろうか。八木氏の訪中と言うのは、そういった動きと関係があったのかもしれない。

    中国との関係改善であったり、日米関係をより親密化させようとして、中国や米国にへつらう事を考えている者が保守の中にいるのかもしれない。日本の先人達の名誉や歴史を犠牲にして、中・米という大国に和解・恭順しようと考える政治的な「保守」がいるのかもしれない。つくる会の内紛も、そういった政治的な動きと関係しているのかもしれない。

    あくまでも「かもしれない」という憶測でしかないが、幕末の攘夷派と開国派の対立の延長上のような、保守独立派と保守大国恭順派の対立というのが、つくる会の内紛の背後にはあったのかもしれない。

  14. 総合学としての文学さん

     文学さんは、見えすぎるが故に状況を悲観し、立ち尽くしておられるのでしょうか。
     西尾先生であれば、悲壮感に燃え、火達磨になっても戦い続け、斃れる時は前を向いてお倒れになるでしょう。
     数ならぬ身の私も、決して状況を楽観してはおりませんが、一縷の望みがある限り戦い続け、斃れても魂魄となって靖国の神々とともに戦い続けるつもりです。只それだけのことです。

  15. 【安部晋三氏よ、「小泉」にならないで欲しい】正論10月号 を読んで。

    西尾先生は、権力に媚びず、言論人としてのご自分の意見を堂々と述べておられます。
    論文の中にははっとするような、指摘が盛りたくさん。特に「外資が日本を乗っ取る」「再びはびこる敗戦国心理」は私が仏国に暮らして普段感じていることを・・・

    ≪・・・会社は今までは従業員の運命共同体だったと思ったのに、そうじゃなくなっちゃって、株主のものだとか、これこそが株主資本主義の本来の姿なんだとか言われだした。日本式資本主義、これは素晴らしいといっていた欧米の経営学者はいくらでもいたのに、それを袋叩きにしたのがアメリカのやり方。今日のわれわれの慌てぶり。心細さ。われわれが日々肌身に感じている先行きの見通しへの不安とつながっている。・・・小泉氏は日本が持っていた、この二つの強さをアメリカに売り渡したんです。

    外資に握られて何が恐ろしいかというと胸を張って生きることが出来なくなるんです。ものが言えなくなるんです。無気力になるんです。やる気がなくなるんです。ものが言えなくなるっていうのは本当に恐ろしいことなんです。小さなヒントを威嚇だと拡大解釈して、恐れ畏みて、すぐ反応する。自分で自分を縛っていく。へつらいの内容を自分でどんどん考え出すことになる。

    われわれは国家を考えたくなくなる瞬間がある。アメリカと日本を一本化しなければ考えられない条件があるからです。それだけに大東和戦争は正しい戦争であったという認識が、アメリカと自分との同一視を避けるための民族の生き残りの原点なのです。今再び始まっている敗戦国心理、アメリカへのへつらいの心理が自国の歴史をねじまげるようなことがあってはならない。新しい政権が背筋を伸ばし、自分の内心にひそむ「眉米」と闘い得るか否かに、期待の一切がかかっています。 ≫   ――抜粋終わり――

    何も先生はアメリカが嫌いとかとは仰ってはいなく、
    ≪私は単純な反米ではないんです(笑い)。というか反・親米なんです。というか、もっと精密にいうと反・媚米、占領軍にへつらう日本人に反対しているのであって、日本人がしっかりとしなくてはいけない。そう言っているのです≫

    先生は、日本には日本のやり方がある。(外国人がいちばん尊敬してくれる日本人像です。嫌なやつと思ったとしても・・・)そして日本から見た歴史観がある。「自分がある。自身を見失わない。そこからの発想」。そして言うべきはきっちり言うという先生の信念には、言論人としての責任感を強く感じますし、権力に阿らない態度には、青春の心さえ感じます。どこからそのエネルギーが、気迫が湧き出るのか。「愛する祖国日本を誇り高い国にしたい」という想いからでしょうか。 

    私にとって、信じることの出来るそして行動する思想家、西尾先生との邂逅(書物を通してですが)は中年になってからでしたが、出会ったときが始まりとばかりに、凄い勢いで先生の思想を求めました。

    ≪しかし、学者たちは、ひんやりとした影の中に、冷ややかに座っている。彼らはなにごとにつけ、ひたすら傍観者であろうとする。そして太陽が焼けつくように照る石階の上に腰を下ろしたりしないよう、用心している。・・・彼らは熟練しており、器用な指を持っている。彼らの複雑さにたち混じって、私の単純さに何ができよう。彼らの指は糸の通し方、結び方、編み方をことごとく心得ている。こうして彼らは精神製の靴下を編み上げる!≫ 
    ――ニーチェとの対話より抜粋――

    西尾先生は靴下を編み上げるような学者ではありません。 
    むしろ≪私自身の思想に燃え、身を焼かれる思いがしている≫ そんな思想家です。
    難しい事柄を、愛を持って、分かりやすく解きほぐし、私達に伝えてくださいます。

    正論のCross Lineの八木氏の文章は、当たり障りのなことを、今風なことを、ちょっぴり媚びて・・・書いてあるだけです。

    正論の目次の西尾先生の写真、とても良いのが使ってありました。嬉しかったです。

    西尾先生、どうぞますますお元気で・・・。
    私達にまた大いなる勇気を与えてください。

  16. いわゆる『宗教右翼』について…
    以下、「統一教会」と「日本人信者」の関係です。
    私は読んでビックリ、目からウロコでした。

    「統一教会」と「国際勝共連合」
    なぜ、かくも日本保守基盤に浸透したか?
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ただ、安倍氏の著書『美しい国へ』という本の中身が、国際勝共連合の故久保木修己会長の著書『美しい国 日本の使命』の丸写しであると書かれています。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ただ、なぜ(故・久保木修己氏が)立正佼成会から統一教会に移って、たった2年で会長の座へと上りつめたのか ― そのことには触れていません。

    これは統一教会ウォッチャーの間でもあまり知られてはいませんが、故・久保木氏は一人で統一教会に入信したわけではありません。
    かなりの人数(三桁以上)を引き連れて移籍しています。

    現在の日本の統一教会の幹部は、この時の人達によって占められています。
    韓国の教組の下に入ってまで、彼らがやろうとしたことは一つしか考えられません。
    http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51065883.html

    ご参考になればと思いまして…。

  17. 【旧生長の家グループに対していくら宗教団体の名前を連呼してもダメージにはならないでしょう。旧であって現在の生長の家信者ではないわけですから。】総合学としての文学氏 2006年09月13日 11:21

    【私も総合学としての文学さんのおっしゃられるとおり、「生長の家」云々は、全く意味を持たないことと思います。/ これまで繰り返し述べてきた弁明、釈明もつまるところ「生長の家」教団は全く関係なく、むしろこれまで名前の挙がった人たちは、団体及び運動の路線からパージされた人たちばかりだからです。/ 過去も、現在も日本会議及び、日本青年協議会、そして岩田、早瀬両氏の関った全日本学生文化会議なる団体も、生長の家教団から何等の金銭的物的支援も、運動的な指揮命令も受けていません。】 誤認官氏 2006年09月13日 14:04

    【繰り返しますが、生長の家は、二十年以上も前に政治運動をやめ、こうした活動や団体に関係した人間をパージしており、本来西尾先生が批判すべきは、そうした国体護持の国民運動を教団の都合で扱った生長の家本隊であり、椛島氏、伊藤氏、宮崎氏を生長の家に絡めて指弾するのは筋違いです。】同 2006年09月14日 19:02

    【私がいいたいのは、一つだけです。日本会議・日本青年協議会=生長の家下部組織、あるいは日本会議・日本青年協議会事務局=生長の家信者という、左翼が泣いて悦ぶラベリングをいい加減やめて、証拠に基づいて議論していただきたいのですよ。】同 2006年09月14日 19:02

    【生長の家=日本青年協議会は違いますよ。/教団が路線転換してからはほとんど関わりがありません。/個人の信仰は組織とはまた別。】お茶屋氏 2006年09月14日 07:43

     日本会議・生長の家に関する議論は、最初から誤解と混乱に満ちている。
     西尾先生は、日本会議・日本青年協議会が、生長の家の「下部組織」だとか、その指令の下で活動している、などとは言っていない。日本会議・日本青年協議会の「事務局」が、80年代の生長の家学生運動の活動家よって牛耳られており、その「旧」生長の家グループの政治活動のあり方を問題にしているのである。そのグループは故谷口雅春氏の影響を受けており、現在の生長の家と組織的または思想的繋がりがないことは明らかと見てよいだろう。(仮にそれがあったとしても、問題にしているのはそのことではない。)
     そのような日本会議・日本青年協議会に対する「旧」生長の家活動家グループの関係について、保守の運動に長らく関わってきた人たちの間ではかなり周知のことのようである。
     
     また、「旧」生長の家グループの人たちが、今日も谷口雅春氏の思想信仰を受け継いでいるかどうか、その宗教的信念(宗派)の拡張をモティーフとしているかどうか、ということは、差し当たりの主テーマではない。岩田・早瀬両氏による彼らの宗派的行動に対する批判が強烈であったため、あたかも谷口雅春氏の思想信仰に対する批判が主たるテーマであるかのように誤解された向きもあるように思われるが、決してそうではない。
     この点につき、岩田・早瀬両氏と私の間に若干の認識の相違があるかも知れないが、それは順次論じていけばよいことで、本筋を左右する問題ではない。

     このたびの「つくる会」事務局長解任問題において、解任対象の宮崎正治氏、それを擁護する新田均氏をはじめとする「四人組」、解任反対の意思表示をした日本会議の椛島事務局長、そして解任に不快と怒りを表したという日本政策センターの伊藤所長、これら一連の人々が全て「旧」生長の家グループに属することが判明し、そこから問題の究明が始まっていることを、先ずは確認しておくべきである。
     それらの人々が、「グループ」として「つくる会」の人事に介入し、その顛末からいって、当グループが「つくる会」の主導権を掌握しようと意図していたことは明白である。そして、主導権獲得が果たせないと知るや、八木氏・種子島氏を道連れに「つくる会」を離脱し、新たに「教育再生機構」なる新組織を立ち上げようとするに及んで、その意図するところが、単なる人事・組織上の問題ではなく、「つくる会」に対するより本質的な対立・攻撃を挑むものであることが浮かび上がってきたのである。

     従って、「つくる会」の今後を考えるに当たっては、先ず日本会議と「旧」生長の家グループに関する混乱した議論には終止符を打っておかなければならない。

    【 西尾先生は、8月15日の講演で、日本会議の組織決定の仕組みについて「隠されている仕組みがある」と指摘し、さも生長の家との関係があるかのようにほのめかしましたが、日本会議では定例の常任理事会、全国理事会、総会等が規約によって規定されています。当然のことながら、その構成団体に生長の家教団は入っていません。/ それでも生長の家が日本会議の意思決定に関わっていると言うのなら、是非事実をご提示いただきたいものです。】 誤認官氏 2006年09月14日 19:02

     以上述べたことにより、誤認官氏の上記の「要求」は筋違いのものであることは、一応了解して頂けるものと考える。

     ここで先ず、用語について明らかにしておきたい。形式張って恐縮であるが、できるだけ簡明な議論にするため、お許し願いたい。

    「政党」とは、政党助成法や政治資金規正法その他、法律的に定義されているが、この際はそれを離れ、より一般的に、
     ① 一般的な政治目的を持っていること。
     ② その目的達成のために盟約した個人によって構成されていること。
    という条件を満たしている団体のことを言う。(構成員に議員を含むとか、議会内の会派であることは、必ずしも必要ではない。)例えば北朝鮮による拉致被害者を「救う会」などは、ときに先鋭な政治目標を掲げることがあるが、その目指すところが拉致問題という特定課題に限られるから政治的組織ではあっても政党ではない。
     さらに、政党の要件として次の条件を加える。
     ③ その目的・組織等は規約等に成文化公開され、その規約に従って運営されること。
     ④ 自立した財政的基礎を有すること。

    「自立的市民組織」。「つくる会」「救う会」あるいは日本会議のような組織のことを、左翼用語では、「大衆団体」と呼んでいる。しかしそれは、「(前衛)政党」――「大衆」、という特別な思想による用語であり適切なものではない。それで、取り敢えず「自立的市民組織」(又は団体)と呼ぶことにする。「市民」という語に抵抗感をもたれる向きがあるかも知れないが、もとより「市民主義」的考え方に立つものではない。
    (以上「用語」問題終わり)

     8月15日の講演で西尾先生が「日本会議は政党になるべきだ。」と言われたのは、まさに正論である。ただし、ここで、
     ① 西尾先生は、国会内に議席をもつ政党を想定されていたかも知れないが、上記の定義・要件を備えたより一般的な意味の「政党」とする。
     ② 日本会議が丸ごと政党化するわけではなく、「旧」生長の家グループとそれと同じ(一般的)政治目標を共有して日本会議に組織化されている人々が、日本会議とは別に「政党」になるべきだ、ということである。

     「自立的市民組織」としてのに日本会議とは、本来どのようなものなのであろうか。私の不十分な知識による判断であるが、神社の連合した組織であって、神社の立場から、日本古来の宗教・文化・伝統を守り尊重することを目的とする。(間違っていたら指摘して欲しい。)それを基本に、その他の個人・団体会員を組織する。そのような日本会議に賛同する国会議員が参加することもあり得よう。
     だが、実際の日本会議は、本来の「自立的市民組織」としての性格から逸脱した、少なくとも外部から見て極めて分かりにくい組織ではないか。その原因が、一面では自立的市民組織の形をとりながら、他面では実体的に一般的政治目標の実現を目指す組織という二面性、鵺(ぬえ)のような性格にある。
     日本会議が本来「自立的市民組織」であるならば、それは特定の政治勢力(つまり「旧」生長の家グループ)に乗っ取られた形になっている。あるいは、「旧」生長の家グループが、自らの政治的目的を隠蔽し、「自立的市民組織」の形態を纏った政治目的の団体として組織した、といった方が実際なのかも知れない。
     日教組といえば、上から下まで真っ赤っかの左翼組織というのが常識であるが、昔は「丹頂鶴」といわれたことがあった。つまり、それは普通の教員労働組合であるが、その頂点の指導部が「赤い」ということでそういわれたのである。やがて日教組は労働組合とは名ばかりの、上から下まで真っ赤な政治集団になっていった。左右全く正反対ではあるが、「旧」生長の家グループと日本会議との関係は、かつての日教組における頭部の左翼と本来の教員組合の関係に似ているのではないか。
     
     「政党」的なものと「自立的市民組織」との混同・癒着という現象は、左右を問わずその弊害は甚大である。それは「政党」的要素も「自立的市民組織」としての要素もともに歪めてしまい、その本来の機能を阻害する。「政党」的要素は「自立的市民組織」を操作し利用し、それに寄生することによって市民組織の自律性を奪うとともに、自らの本来の性格を隠蔽することによって、外部による点検・批判から遮断される結果、堕落への道を踏み出すことになる。

     保守運動が直線的な上昇発展の局面にあるときは、その弊害は問題にならなかったが、運動が曲がり角にさしかかり、内部に意見や思想の相違・分岐が現れ、その対立が強まるにつれて、その弊害は無視できなくなってくる。

     7月2日「つくる会」総会における小田村四郎しの発言にしても、それが日本会議の機関決定に基づくものだ、などということはあり得ないだろう。しかし、「旧」生長の家グループを中心とした無定型のグループの考え方(それが暗黙の了解によるものか、明確な打ち合わせによるものかを問わず)を表していることは間違いないだろう。つまり、保守内部に存在する相違・対立を隠蔽しようとする欲求である。

     今日、保守の危機を乗り越えるには、意見の相違・対立を隠蔽するのではなく、公然と論じ合うことが不可欠であることを確認せずばなるまい。

    【 西尾先生の見当違いの批判により、全国の神社界、日本会議関係者は大混乱に陥っております。部外者の私が言うのもなんですが、八月十五日の講演で神社界を擁護する発言をなさいましたが、これまでのいきさつから、もう無駄です。】 誤認官氏 2006年09月14日 19:02

    誤認官様
     以上述べてきたことにより、日本会議を巡り、保守再生のために剔出すべき問題があることは了解頂けたであろうか。西尾先生の提起した問題はそこにある。
     ならば、その問題提起自体がある程度の混乱や誤解を生むことは避けられない、やむを得ないことではなかろうか。その混乱・誤解の原因を、問題提出や議論の「仕方」に帰着させることはできない。問題を感じ・発見し・その全容が明らかになるまでの過程において、お互いに不完全な認識に立つことは避けようがないからである。それを克服するものが、公開の言論である。
     貴方が、評論家・ジャーナリスト、あるいはレポーター、いずれというべき方かは存じないが、苟も言論に関わる方ならば、「これまでのいきさつから、もう無駄です。」と言ってはならないのではなかろうか。
     貴方自身がいかなる立場に立たれようが、論ずることは論じ、何よりも日本会議の関係者に公然たる議論を勧めて頂くことを願うものである。

  18. 西尾先生 東埼玉人様

    時間がないのですが、気に掛かった部分についてコメントいたします。
    [[西尾先生は、日本会議・日本青年協議会が、生長の家の「下部組織」だとか、その指令の下で活動している、などとは言っていない。日本会議・日本青年協議会の「事務局」が、80年代の生長の家学生運動の活動家よって牛耳られており、その「旧」生長の家グループの政治活動のあり方を問題にしているのである。]]
    [[このたびの「つくる会」事務局長解任問題において、解任対象の宮崎正治氏、それを擁護する新田均氏をはじめとする「四人組」、解任反対の意思表示をした日本会議の椛島事務局長、そして解任に不快と怒りを表したという日本政策センターの伊藤所長、これら一連の人々が全て「旧」生長の家グループに属することが判明し、そこから問題の究明が始まっていることを、先ずは確認しておくべきである。
     それらの人々が、「グループ」として「つくる会」の人事に介入し、その顛末からいって、当グループが「つくる会」の主導権を掌握しようと意図していたことは明白である。そして、主導権獲得が果たせないと知るや、八木氏・種子島氏を道連れに「つくる会」を離脱し、新たに「教育再生機構」なる新組織を立ち上げようとするに及んで、その意図するところが、単なる人事・組織上の問題ではなく、「つくる会」に対するより本質的な対立・攻撃を挑むものであることが浮かび上がってきたのである。]]
    [[従って、「つくる会」の今後を考えるに当たっては、先ず日本会議と「旧」生長の家グループに関する混乱した議論には終止符を打っておかなければならない。
    【 西尾先生は、8月15日の講演で、日本会議の組織決定の仕組みについて「隠されている仕組みがある」と指摘し、さも生長の家との関係があるかのようにほのめかしましたが、日本会議では定例の常任理事会、全国理事会、総会等が規約によって規定されています。当然のことながら、その構成団体に生長の家教団は入っていません。/ それでも生長の家が日本会議の意思決定に関わっていると言うのなら、是非事実をご提示いただきたいものです。】 誤認官氏 2006年09月14日 19:02
     以上述べたことにより、誤認官氏の上記の「要求」は筋違いのものであることは、一応了解して頂けるものと考える。]]

    こうした内容にこたえるためには、西尾先生の講演に戻る必要があります。8月の内幸町での西尾先生の日本会議関係部分の発言は、以下のものでした。テープは取れませんでしたので、数人の筆記メモをまとめたものです。

    自民党政権との関係について
    「日本会議も、日本政策研究センターも、最終的には自民党政府についていく勢力だ。」
    「保守の立場で野党になれない。自民党の右側の野党として五人でも議員を出すべきだ。」
     
    日本会議の組織についして
    「日本会議は政教分離して宗教と離れるべきだ。」
    「日本会議を動かしているのは十人ほどの旧生長の家グループ。」
    「誰が物事を決めているのかわからない。組織の決定が隠される仕組みが出来ている。」
    「ある直木賞作家と話したが、日本会議を知らなかった。日本会議なんて誰も知らない、その程度のものだ。」
    「日本会議は正体を明らかにしろ。」

    神社界について
    「私は神道です。神主さんにも良い人が沢山います。本居宣長が大好きです。」
    「神社には組織がないから、旧生長の家が勝手に動かしている」

    この発言については、是非西尾先生本人から、講演内容を公開いただきたいと思います。「正論」に全文掲載させようとしたくらいですから、当然その意思はおありと思います。

    日本会議は、「最終的に自民党政府についていく勢力」ではありません。皇室典範改悪反対の国民運動、教育基本法改正政府案に対する修正の運動、人権擁護法案反対運動に取り組んでいます。これまでも建国記念の日の問題や、靖国問題、皇位継承儀礼問題などでは、時の政権と対決しましたが、政府自民党が国民運動側をうっちゃることはあっても、そこで手打ちが為されると言うことはありません。そう映るのだとしたら、それは逆に影響力が少なすぎると言う組織の問題です。これなら大丈夫と言う確証があれば、政府自民党の政策に賛成することはあるでしょう。しかしいずれにしても、政府自民党にとって、日本会議とその構成団体は、「うるさい連中」ではあっても、交渉相手の団体ではありません。日本会議が政府自民党の政策判断の窓口ではないのです。

    そして、日本会議を旧生長の家グループが乗っ取っているという意見。
    そもそもこの立論自体が、一体どういう意味を持つのか、私は「東埼玉人」氏の説明を聞いてもよくわかりません。

    現在、組織的な上下関係がないことについては、問題ではないとされていますが、では一体何が問題なのでしょうか。あるいは、グループとして人事に介入し、その顛末から主導権を掌握しようとしたと言うことは明白とおっしゃいますが、一体何処が明白なのか。その根拠となっているのは、もう二三十年も前に学生運動をし、それが生長の家に関るものであり、その内紛の当事者が現在も日本会議・日本青年協議会の運動に関わっているという、たかだかその程度の状況証拠です。

    まさか、その程度のことでは法廷では証拠として通用しないと言うことは、西尾先生ならお分かりのはずです。是非、「明白な事実」とやらを証明してください。いやこれは日本会議や日本青年協議会を告発する側に最低限必要な責務です。

    まさに私達(といっていいでしょうか)が反対している人権擁護法案や共謀罪について、問題としている構成要件のロジックのいかがわしさと同じやり口で、日本会議や日本青年協議会を告発しようとしているようにしか見えません。

    また「牛耳っている」ということの発言ですが、そのことを告発することが仮に出来るとするならば、それは一体誰なのか、俄かには、私には思い浮かびませんが、先ず日本会議の組織を構成する理事、役員、団体、会員などでありましょう。例えば「外務省を乗っ取っているのはチャイナ・スクールだ」とか、「文部科学省を牛耳っているのは、寺脇一派だ」「内閣府の官僚は皆フェミニストだ」というのは、発言としては勇ましいですし、センセーショナルですが、法律や学問の世界で通用するのでしょうか。無論言論は自由ですが。

    西尾先生は、八月の講演で神社界について触れましたが、少なくとも神社界(組織上神社本庁側)にしろ、仏所護念会にしろ、明治神宮にしろ、念法真教にしろ、日本会議の理事会の場で日本青年協議会に事務局を任せているわけですから、組織の底辺の構成員はともかく、執行部段階では最も信頼していることは疑いありません。

    私が先に「もう無駄です」という趣旨のことを書き込みしたのは、講演で神社をフォローする発言をされましたが、これまで「神社右翼」ということを公言しておられますので、私の見る限り、西尾先生への目は相当厳しいと言うことです。

    東埼玉人氏は、[[保守運動が直線的な上昇発展の局面にあるときは、その弊害は問題にならなかったが、運動が曲がり角にさしかかり、内部に意見や思想の相違・分岐が現れ、その対立が強まるにつれて、その弊害は無視できなくなってくる。]]
    [[今日、保守の危機を乗り越えるには、意見の相違・対立を隠蔽するのではなく、公然と論じ合うことが不可欠であることを確認せずばなるまい。]]
    と語りましたが、私の見たところ、今回の内紛は、思想対立でも、路線対立でもありません。思想対立なら誌上討論とか、公開討論とか成り立つでしょうし、そこから何か新しいものを生み出すことがあるかもしれませんが、人間関係のもつれ、その判断、組織決定を巡る対立と迷走以外の何物でもありません。

    諸君!、正論、サピオといったオピニオン誌もこれまでの先生方との関り方から経過を報告しましたが、それぞれの編集部ももううんざりしており、これ以上この問題で紙面を割くことは馬鹿馬鹿しいとおもっています。他にも報じなければいけないネタは沢山あります。そのことは、西尾先生自身、直接編集者と接していますからお分かりでしょう。

    議論の争点が、「怪ファックス」だの「中国訪問」だの「共産党歴」だのといった話は、つくる会に会費を払っているものにとって(これも私を含めて、私の接する会員では)、どうでも良いことなのです。

    ですから、東埼玉人氏は
    [[貴方自身がいかなる立場に立たれようが、論ずることは論じ、何よりも日本会議の関係者に公然たる議論を勧めて頂くことを願うものである。]]
    と言われていますが、この問題の決着をあくまでも求めると言うのであれば、当事者だけで、他の団体や組織、メディアを巻き込まずに際限なく続けたらよろしい。

    追伸 少々急いで勢いで書いております。激しい表現があればご容赦下さい。西尾先生を人格的に攻撃するつもりはありません。

  19.  私は「あきんど」氏、「長谷川」氏のご意見に共感します。「総合学としてのーーー」氏のご意見は正直いって「ぬるぬるして薄気味悪い」。氏の使う日本語自体が良く判りません。

  20. 誤認官様

     早速のご返答有難うございます。
     私も所用がありますので、いずれ議論を進めるとして、取り急ぎの要点のみ記します。

     ① 西尾先生と私との連名宛でご返答頂いておりますが、このたびの私の投稿は、あくまでも西尾先生の述べてこられたことに対する私の解釈に基づくものであって、先生の同意を得ているものではありません。ですから当然の事ながら、私の意見に対して先生に責任はなく、従って、私の意見に対する批判をもって直接先生に対する批判とされることは避けて下さい。

     ② ただし、先生が「日本会議が生長の家の配下の組織である」といった類のことを問題にしているのではないことは、事実として認識頂けるものと思います。

     ③ 「つくる会」のこのたびの「内紛」が、路線や思想の対立そのものでないことは明らかです。しかし多くの場合、人事やポストを巡る争いを通じて、その背後の路線や思想対立が表面化してくるものです。社会的な諸運動が、路線や思想に基づいてきっちり設計した上で始められ展開するものではなく、多くの試行錯誤が避けられない以上、それはやむを得ないこと思います。
     むしろ、一見醜い俗事を見逃さない、また自ら逃れないところに先生の真骨頂があると考えます。路線や思想といっても決してきれい事だけでは済まず、時には自分自身を傷つけることも辞さない態度の現れだと思います。
     私は、岩田・早瀬両氏の投稿を見て、この「内紛」の背後に「路線・思想」の対立があることを直感し、この顛末に関心を強めてきたものです。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です