「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(四)

 7月2日の「新しい歴史教科書をつくる会」総会の終了後にいつものように懇親会があった。櫻井よしこさんその他が挨拶をした。櫻井さんはいつも来る顔である。この日は珍しい来賓があった。岡崎久彦氏である。

 岡崎氏は私が名誉会長であった間は総会に来たことがない。多分気恥しいひけ目があったからだろう。(彼は「つくる会」創設時には脛に傷もつ身である。)私が姿を見せなくなったら突然現われ、紛争について叱責調で、「つまらない争いはやめろ、一体何で争っているのか分らない。怪メールが非難されているが、自分には何が悪いことなのかまったく分らない。八木氏の中国訪問に何も問題はない」と語ったそうだ。

 伝え聞きなので正確を欠くかもしれないが、ともかくそういうことを言ったそうだ。櫻井よしこさんも「子供みたいな喧嘩は止めなさい」というたぐいのお説教を述べたそうである。

 櫻井さんの動機はよく分らないが、岡崎氏がここへ出て来て、偉そうにして、参集した「つくる会」会員を叱ったのは今からみるととても奇怪な話なのである。なぜなら、岡崎氏は内紛の一方の味方になって彼らにピタッと張り付いた、実は紛争の当事者の一人であることが次第に分って来たからである。

 子供たちが喧嘩をしている場に先生がやって来て、もう争いは止めなさいと喧嘩両成敗のふりをして、じつは先生が一方に勝たせるためにきれいごとを言っていたというケースにも似ている。

 先生はA君を勝たせたい。B君が勝つと先生の職員会議での立場がなくなる。放って置くと必ずB君が勝つ。B君の主張のほうが正義であり、A君は汚い手を使っているからである。A君の汚い手は世間に知られると学校の名誉が傷つきまずい。そんなものはなかったことにしてしまいたい。

 というわけで先生はB君の仲間が集っている教室にやって来て、「お前たち、子供みたいな喧嘩はやめなさい」と叫んだ。B君とその仲間を黙らせることがA君を救うことになり、結果的に学校を救うことになる。岡崎先生は校長からそういう指示を受けていたに相違ない。櫻井先生もあるいはそうだったかもしれない。小田村四郎先生はその長い教員生活で間違いなくそういう指令を敏感に受け取って忠実に実行することでよく知られている人だった。

 B君たちはどこまでも自分を貫きたい。しかしそう出来ない事情がある。学校をやめさせられると明日から困るという事情がある。本当はやめてしまいたいのだが、B君たちは学校から「歴史教科書を出版してもらう」という業務資格を与えられているからである。退学したいが、退学してしまうとその業務資格をも失う。

 岡崎先生はB君たちのその弱点を知っている。人の弱味につけこんで居丈高に振舞うのは卑劣の徒のすることだが、平成も18年に及ぶと、卑劣は正義の仮面をつけて大通りを歩む。

 岡崎先生の後に学校長がいる。そのまた後に誰かがいるのではないか。

 その誰かに秋波を送るために学園あげてせっせと卑劣の技を磨いているのではないか。多くの人はだんだんその全体事情が分るようになって来た。

 じつは昨日「つくる会」に関係する件で、ここでは語れない非常に不愉快な別件が起こった。私が信頼している地方の会員さんが悩んで、長いメールを下さった。(私は会を辞任して久しいのだが、今でも切実な言葉を訴えてくる方が後を絶たないのである。)

 その方が、どんな不愉快な出来事が新たに起こっても、八木秀次氏(いわずと知れたA君のこと)の会に対して犯した「三つの罪」に比べれば取るに足りない、と、次のように書いてこられた。

 「今問題になっているこの件ですが、再びつくる会の混乱を招くことは避けたい、というのが現在の私の心境です。八木氏の三つの大罪、つくる会会長の身分で勝手に訪中し、定期会合まで約束した。藤岡先生の共産党脱退の期日を公安の名まで出して偽り、陥れようとした。(これは刑事告発されるような問題と思います)。雑誌「アエラ」につくる会にとっては不倶戴天の敵朝日新聞に批判されない歴史教科書をつくると公言した。

このようなことが、なんら咎められることなく、日本教育再生機構の代表に祭り上げられる。そして多くの識者が臭い物に蓋をして平然と祝辞を述べる。正に虚偽の集合体と言うほかない。しかし、これが目の前にある現実なんだ、と肯定はしませんが認識せざるを得ない。今起こっている新しい問題は、これに較べれば軽いものです。

 B君のグループはこうして教室の中で静かに膝をかかえて、じっと忍耐し、推移を見守っている。つまらない喧嘩はやめろ、と岡崎先生も、櫻井先生も、小田村先生も言うけれど、「三つの大罪」を正すことがどうしてつまらない喧嘩だといって切り捨てられるのだろうか、と生徒たちは腑に落ちない。

 どうも何か新しい事態が起こりそうなのだ。新しい理事長が学園にやってくる。A君も、岡崎久彦先生も、小田村四郎先生も、伊藤哲夫先生も、否、学園の組織全体が妙な雰囲気になり、歯車が狂い始めているのはそのせいらしいのだ。

 常識では考えられないことが相次いで起こっている。紛争のどちらの側にも味方しないと言っていた新聞社がA君の仲間の記事だけを目立つ場所に掲げる。B君たちの大集会のあった「総会」の日に合わせてA君の新聞コラムを載せた。出版社はA君の本や岡崎先生の本をこれ見よがしに出すことも忘れない。

 と、そうこうするうちに岡崎先生は勢い余って、靖国にまで手を出し、B君たちの歴史観は正しくないと大見栄を切ることさえやってのけた。やがて手ひどい竹箆返しを食らう日もくるだろう。

 一番バカバカしいと思ったのはA君たちの「日本教育再生機構」のこの「日本教育再生」という文字が新理事長の赴任後の方針に出てくる文字と符合していること、集会の日に配られたパンフの表紙に大きな字で「美しい日本の心を伝える」とあり、これまた何処かで聞いたことばなんだ・・・・・・

 え?「美しい日本」・・・・・・「美しい国」・・・・・・どっちが先なの?どっちが真似したの?自分を新理事長に似せようとするこの涙ぐましい生徒達の愚行。新しい権力者に平然とすり寄る羞恥心の欠落!

 新理事長が学校に赴任したらいい大人たちが手に手に旗をもって歓声を挙げて走り寄るのであろう。美と、健康と、清潔を掲げるスローガン。ハイル!ハイル!何とか。

 学園内部の紛争は新理事長の自ら関知しないことだったかもしれない。しかし、その人の着任を知って、ありとあらゆる学内の組織と人事が「おべっか」の組織的自己調節を始めた。

 「歴史教科書の出版権」という業務資格はB君たちに対する生殺与奪の権である。「おべっか」の組織がこれを振り翳して理不尽な圧力を加えればそこに必死の抵抗が始まる。三つの大罪を犯した者に理由もなく(まったく理由もなく)一方的に特権を与えようとすれば、必然的に混乱と争乱が始まる。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛の真の原因はこうして次第に明らかになりつつあるといってよいだろう。

 たとえこれから何が起こっても、A君の「三つの大罪」への追及の手がゆるむことはないだろう。A君が権力者に取り入り何らかの目立つ地位に就いた暁には、「三つの大罪」はそれだけかえって大きくクローズアップされ、ひときわグロテクスな輝きを放つことになるであろう。

「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(四)」への24件のフィードバック

  1. ついに恐ろしい現実が暴露されようとしています。
    誰もが読み取れるように、新理事長とは安倍氏の事でしょう。
    これを知った我々はいったいこの先何をしなければならないのか。
    おそらくある者は思考が停止し、またある者は青天の霹靂だと嘆き、そして中には親の仇を獲った積もりで有頂天になっている者もいるのかもしれません。
    昔、小学生の時読んだ『裸の王様』は、ある策士により王様の衣裳が剥ぎ取られ、ついには裸になってしまうわけですが、ところが不思議なのはそれを誰も可笑しいとは言わない。いや、性格には『言えない』が正しいのですが、その時ある少年が「ガハハ」と笑い、王様の姿をやじったわけです。私はこの物語は色んな角度から解釈できると思うのです。
    一つは、少年の勇気ある言動を称える見方。
    もう一つは、大衆心理がいかに流れに流されやすいか。
    またもう一つは、王様というものがいかに馬鹿馬鹿しい役職であるか。
    この三つが大まかな視点となります。
    実は一番案じているものはこれらの中にはありません。
    それはどんなことかと申しますと、「皆が言わないときは黙っているべきですよ。下手に言ってしまうと処罰されちゃうかもしれませんからね」という恐ろしい教育が隠されています。
    こうした事勿れ主義は宗教に多く顕在し、一種宗教という弱さを象徴する部分があります。
    『アンチクリスト』を読んだ時に、宗教に囚われる人間の弱さみたいなものが私の中に差し込み、宗教の脆さ、宗教という魔物に取り付いてしまう人間のはかなさを感じました。
    ニーチェは王様を馬鹿にした少年と同様の着眼点を、解りやすく読者に伝えてくれましたが、しかし我々はいくら認識があっても、現実社会でははかないまでに事に流されます。
    失うことの恐ろしさに怯え、騙されることに麻痺してしまう人間の弱さ。
    おそらく今の時点で安倍氏の存在を否定されたら、国内のあらゆる組織は路頭に迷うかもしれません。
    なんという『か弱さ』でしょう。
    ところで、最近嫌なニュースが世間を賑わします。
    実の親子が殺し合う社会が頻繁に起きています。
    それを毎日のように見聞きして我々は動揺しますが、数歩先を歩くとケロッと忘れ、何事もなかったような態度で生活をします。その現実の根底には、自分の許容の狭さもありますが、本当はそれが問題ではなく、全て勝手な判断でニュースを聞き流す事に問題があります。そしてその処理の仕方は、悪魔の原因を自分の中から探そうとしない手段で行われます。
    おそらく昔はもっと『人間の死』と真面目に向き合えたはずです。
    仮に我が子が死産したり夭折しても、うろたえない強さがあった。
    それが今日どれだけ失われてしまったか。
    昔は家族のうち誰か一人くらいは亡くなられた方がいました。つまり、死を現実として受け止められたわけです。しかし今はそれが現実化しないのです。
    このままではどんなに過激なニュースを見聞きしても、変われる要素はありません。
    ハンス・ホルバインが描いた『人間の物体的な死』の受け入れを、いまこそ問われるべきではないか。
    私はここ数ヵ月の日録を読んで、その事を強烈に感じました。
    まさにこれら全てが現代人に突き付けられている大問題であります。

  2. 新しい“何か”が生まれる時、必要になるのは「スケープゴート」。皇室・領土・経済・歴史認識や靖国の英霊達そして拉致被害者が“合理”の名の下に粛清されていく。西尾先生の日録の指摘によって、改めてそのような不気味な闇の蠢動を感じざるを得ませんでした。

  3. 若者は悪くないと言った息子。

    いよいよ息子が一人の生活を始める。準備を整えるため、母親の私は一ヶ月間ほど帰国。時は流れ、子は大きくなっていく。一人暮らしを始める息子を前にあれもこれも教えておけばよかったと思うことが次から次沸いてきた。まぁ、後の祭りであろう。19歳の若者が完璧であろう筈もなし。これから自分のものとすれば良し。その為に時間がある。私達は夫婦喧嘩をして、息子がどちらかに肩入れするような言葉をはいても頑としてそれを受け付けない境界線を守ってきた。だから息子は「子供を生きるのも大変なんだよなぁ~」と小さい時から思っていたはず。「お前を生んで育てた親は親として敬うべし」。

    東京での慣れない買い物や手続きに私が疲れ果てれば、彼が「晩飯俺やるから母ちゃん横になっておればいいよ」と教えたもやし炒め(マルハの魚肉ソーセージ入り)にいろんな材料、調味料を入れて彼流の料理を作る。その日街で出会った事柄について親子で話す。こんな時間を持てるために育ててきたのかなぁと嬉しくなった。
    生活する為の準備も一通り終わった頃、あまり気乗りしない息子を連れて、皇居と靖国神社を訪れました。ヴェルサイユ宮殿を知っていても皇居を知らないなんて日本人としていただけないわよと。皇居では「ここでYOSHIKIがピアノを弾いたんじゃない?」と気を引こうと私は懸命。「母ちゃん、そんなに気を使わんでもいいのに・・」と言う顔つきの息子。靖国神社は夕方だったせいか想像していたより少ない人出。私も生まれて始めてのお参り。お賽銭箱を目の前にして、小野田さんが新聞紙で包んだ100万円をこの中にいれたのか!と余計なことを考えた。

    私たちの前に、80歳はとうに過ぎている杖をついた老婦人と息子?孫?と思われるお二人がお賽銭を上げ二拝目のお辞儀のあとなかなか頭を上げないのでした。きっとご家族の誰かがここに祭られているのでしょう。そんな姿を見たからか帰り際「今日は連れて来てもらってよかったわ。母ちゃんありがとう」と息子。日本人なのに日本をしらない俺、日本をもっともっと知りたいといって、日本の大学を選んだ息子。日本で見せたい所の第一に皇居と靖国神社を選んだ私。(自分の目で見、感じ、知ることが全ての始まり)この日は親子の思いがぴったりと納まり、すがすがしい思いで帰宅しました。

    新宿の夜、渋谷、横浜、と歩いて、「ええっ!!これって何!!」「母ちゃんが若い頃、若者はこんなにだらしなくなかったぞ!」「俺思うんだけど、若者はそんなに悪くない!」と息子。田舎から出てきた兄夫婦が入学祝の席を設けてくれ、家族が一堂に集まり、甥っ子と息子に引っ張られ下北沢で恥ずかしながらプリクラなる物を撮った。最高に嬉しく楽しい一時を家族で過ごし、私と息子は横浜へ。渋谷駅で東横線に乗り発車を待っていた。夜11時を過ぎていたのに座席は満席で立っている人も結構いた。優先席も皆埋まり、居眠りする人、真面目そうな話をしている紳士などなど。杖を突きリュックサックの初老の婦人が一人乗ってきた。列車の端にある優先席の前に立っている。誰も行動を起こさない。「ええっ!これってなに?!」息子に聞こえるようにと、わざと大きな声で「ねぇ、ちょっと、優先席って何のためにあるのよ!」でも誰も行動を起こさない。優先席に座っている6人は普通の紳士であり、お姉さんであり、お兄さんだった。「杖を突いたご婦人に席を一つお願いします」の私の声に、お兄さんが飛び出して他の車両に行った。ネクタイを締めた紳士2人ポカーンとした顔で私を見ていた。外人女性がそうよ、そうよと首を縦に振っていた。

    この夜よく分かった。息子が「若者はそんなに悪くない」という意味が。
    どんな家庭でも、まぁ、あそこの家の子供のしゃべりざわ、お母さんにそっくりね。やることなすこと、親父さんに似てきたわね・・ということが語られているじゃないですか。
    子供はいいも悪いも大人を手本として大きくなるのです。
    その時々の大人の判断をみて学んでいくのです。
    (西尾先生ごめんなさい。自分の話しか書けない私です。この話は2年前のものです)。

    【新しい歴史教科書を作る会、元会長 八木秀次氏の三つの大罪】

    ≪つくる会会長の身分で勝手に訪中し、定期会合まで約束した。
    藤岡先生の共産党脱退の期日を公安の名まで出して偽り、陥れようとした。(これは刑事告発されるような問題と思います)。
    雑誌「アエラ」につくる会にとっては不倶戴天の敵、朝日新聞に批判されない歴史教科書をつくると公言した≫

    上記の事実は明らかなリ。このことを本人は勿論、一緒に行動した仲間、今回の企みを後ろで操った人たちは分かっている。
    悪に手を染めたことを。
    なぜ、朝日新聞に媚を売らなければならないのか? 誰かが売れと言ったのか?
    朝日新聞と産経新聞は違うと思っていた私が甘かったのか?
    これが大人の世界というものなのか?
    主婦の私には想像もつかない、翳の世界があるのだろう。

    若者は経験がないかもしれないが、感じる心は大人より、敏感だ。
    ネットで遊んでいる若者も、真剣に交信し国を憂いている若者もいる。
    私はほんの半年ほど前は、ネットの若者を軽蔑していた。耳から「入る話」だけで。
    この日録を通して「ブログ」なる言葉を目にし、自分で開いて読んでみて初めてわかった。 彼らは真剣だ ということを。そして憂国の意志に溢れていると。

    「国民はこんなものだろう」とたかをくくって、本当のことを書かない新聞、面白ければいいと思っているテレビ会社。 
    若者に軽蔑されるよ。

    八木秀次氏の三大罪をうやむやにするなら、若者は真似しますよ。
    オヤジたちがそうなら、何やってもいいじゃんと。
    なぁ~にが、教育が大切だ! っていうのよ。
    八木さん、「日本教育再生機構」? ご自分の手を見てみて!

    いつも不思議に想う日本語の解釈。政教分離って、どんなこと?
    会計が別々なら、創価学会と公明党は 問題ないんだよ。という話を聞いた。
    これって、納得がいかない話なんだけれど。
    これも若者が真似るよ。いや、もう真似しているでしょ。
    法に触れてなければ何をやってもいいんよ!と。

    大人は目的の為には何をやってもいいんだよ。って世渡りしてきたじゃないか!

    目的に到達するまでの過程、そのときそのとき、自分の「プランシパル」を貫けたかどうか? これが大切なのよ!  

    私は半年の付き合いしかないのですが、ネットの若者に「清清しい力」を感じました。
    朝日新聞より、ちゃんとした敬語を使っていました。
    彼らはいい日本人になろうと努力しています。 
    素晴らしいことです。 

  4. 西尾先生。
    もはや八木氏に対する攻撃は政策論争・思想論争の域を通り越して嫉妬の念を感じます。

    マスコミ報道では八木氏は安倍晋三氏のブレーンだと言われています。おそらくある特定の分野についてはブレーンを務めることはあるとは思います。しかし、さすがに安倍政権のすべての政策決定に関わるブレーンになるのは無理でしょう。
    そもそも西尾先生もかつて今で言う有識者会議である臨教審の委員を務めたこともあるわけですから、八木氏の活躍にそう目くじらをたてるほどことはないでしょう。いわば世代交代のようなものです。

    そして安倍晋三氏のキャッチフレーズ「美しい国」を西尾先生は文学的フレーズで気味が悪いと述べていますが、それは安倍晋三氏を買いかぶりすぎです。
    もともとインターネットサイト2ちゃんねる等で保守系の人は我が国について「美しい国」「麗しい国」「神代から続く国」といったフレーズを多様していました。安倍晋三氏はそういうネット文化に影響されたのか、影響された人達に影響されたのかどちらかでしょう。
    私もよくジョークで「ああ麗しきニッポン」とかその手のフレーズを多用します。
    文学的どころか実は極めて「軽い」フレーズなのです。まだ「所得倍増計画」の方が「重み」があります。

    とりあえずもう少し冷静になってください。

  5. >もともとインターネットサイト2ちゃんねる等で保守系の人は我が国について「美しい国」「麗しい国」「神代から続く国」といったフレーズを多様していました。

    具体的に2chのどこの板ですか?私もよくそこを覗きますが、そんな言葉を多用する人を見た記憶がないのですが。

  6. >八木氏の活躍にそう目くじらをたてるほどことはないでしょう。いわば世代交代のようなものです。

    単に世代交代なら八木氏でなくてもいいわけである。
    八木氏の登場は、操り人形として選ばれた可能性もあり得る。

    操り人形が悪いというのでなく、米国大統領も操られているのは周知の事実。
    大事なことは「誰に操られているか」を常に見抜く目だと思う。

  7. 安倍氏の総裁確定が囁かれ、俄かに自民党内が安倍氏支持で固まりだしたのと時を同じくして、中国や韓国が安倍氏への期待感を口にするようになりました。
    私は「変だなあ?」と単純に思いました。
    本来なら小泉外交よりも遥かに安倍外交の方が、手強いと思うのが普通なのではないかと思うからです。
    確かに最近の両国は一時のようか過激な態度は見せなくなったが、だからといって本質が変わったとは思えない。
    ところが現実はやたらと安倍氏へ擦り寄る態度をとる。
    この微妙な変化は何を示すのだろう?
    考えられる事は、安倍・八木両氏のホットラインが想像以上に頻繁にあり、中国側は操りやすい八木氏を泳がせれば、最後は安倍氏の喉元にたやすく剣を突き付ける事ができるとでも思い、したたかな策で絶好の機会を狙う下準備をしているのではないか。
    果たしてそれを安倍氏は見抜いているのだろうか?
    考えられる危険性は立場上ぬかりなく対処していると期待したいが、おそらく得意としない経済面での失策を注意するあまり、取り返しのつかない「想定外」の危険が起こり得るかもしれない。
    仮に経済はうまくこなせても、別の分野で失態を侵してしまう可能性はある。
    例えば教育の分野でそれは有り得る。
    八木氏が今年始めに中国と接触した経験値は、こんなところで浮き彫りになると言える。
    しかも経済は日本も中国も現状維持が理想下にあるため、総理に就任した重圧から当初の理想理念は瓦解する可能性はあるのだ。
    まさか安倍氏がそんな醜態を易々と晒すとは思いたくもないが、取り巻く人間の人選を誤ると、そんな危惧は捨て切れないわけである。ましてや安倍氏に対する期待度は計り知れない物があるだけに、国民の油断は簡単に生まれる。
    ここは何とか厳重に注意を払うべきだろう。

  8. 「新しい歴史教科書を作る会」の仁義無き内紛劇の実態がわかったような気がします。

    「新しい歴史教科書を作る会」は「新しい歴史教科書を作る会」と「日本教育再生機構」に分かれてしまいました。「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーの大勢は「日本教育再生機構」でやっていきたい。しかし「日本教育再生機構」には公の学校に採択された教科書を出版したというノウハウも実績がないことからいきなり「新しい歴史教科書を作る会」から完全独立することはできない。
    よって、「日本教育再生機構」は「新しい歴史教科書を作る会」に対して有力政界人・有名知識人・有力保守派組織の名前をちらつかせながら、上部団体的地位にたち、コントロールし、吸収合併していこうと考えている。

    すさまじいですね。企業買収劇顔負けです。私としてはそれはそれでいいと思うのですが、八木秀次氏にそれができるのか。
    そして、西尾先生は今、「新しい歴史教科書を作る会」の教科書作成実働スタッフに対して、「日本教育再生機構」になびかないようにインターネットで号令をかけている。

    こうなってしまえばもはや皆で酒を飲んで関係を修復することは不可能でしょう。

    八木秀次氏率いる「日本教育再生機構」は結果を出すのをあせらないことです。強引な手法をとらないことです。人間はロボットではありません。未だ「新しい歴史教科書を作る会」に留まり続けようとする強行なメンバーひとりひとりを地道に説得して切り崩していくしかありません。もちろん西尾先生もそのひとりです。

    以上はあくまでも私の西尾評論を読んでの推測にしか過ぎません。

  9. 小さな意見の違いは決定的な違い
    運動事体が目的化しやすい政治運動と政治思想の二面対立というわかりやすい見方は書きません。

    「日本人と中国人」(副題:なぜ、あの国とまともに付き合えないのか)イザヤベンダサン著 山本七平訳 を持って入院してきました。この論考は昭和45年ごろに文芸春秋に出た台湾との条約を破棄してまで行った日中平和友好に関する批評ですが、私自身はその後山本七平ライブラリーで出版されたものを読んだ記憶があります。今回病院にもっていったのは最近再販されたものを購入して読み直したものです。

    病院で読んだ新井白石の『朝鮮通信使問題』での著者の論考はどっかで見たような印象がしました。大昔に図書館で初めて本を開けたときには読む前から『朝鮮通信士問題』といういわばどうでもいいような問題をどうして新井白石が固執したのだろうという疑問が先にありましたからきっと読んでいなかったのでしょう。

    現代の私には新井白石が西尾幹二に見えますし、新井白石に「なま学匠」とまで罵倒された対馬藩の学者が西尾幹二に罵倒された色々な保守系学者に見えますし、対馬藩は中国との商売のために日本の主権をゆがめてもいいと考えた中国の日本への主権侵害をしてもいいと日本の政経分離政策を歪めた政治家や有力経営者に見えてしまうわけです。彼らにはそんな意識はなくてもそう見えてしまうのが私の偏見なのでしょう。

    実はシステムってこうしたものなんですよね。方針や目的(いわば思想)の背景があって統一的に相互関連して関係性をもって作られていますから百万文字からなるシステムのわずか一文字の間違いが全体に大きな影響を及ぼす危険が常にあるわけです。
    仕方がないのでサブシステムをさらに細分化した共通モジュールを作って共通モジュールの入力出力結果からそのモジュールが妥当かどうかの検査をしていき、最後は運用で何か大きな阻害要因はないかを調べるわけですが。これを百万分の一の間違いであるから小さな違いであると判断するのは間違いです。小さな違いかどうかは仮に間違えていたときにどれだけマイナスが発生するかによって評価されることなのです。するとチェックはまずこれは間違えたらえらいことになる部分から始まります。そして間違えてもその間違えたことによって発生するコストと事前に間違い発生を防ぐコストとの関係になります。

    新井白石の場合は対馬藩の学者が朝鮮との関係性しか目が届いていないのに対して日本の内政と外政、それも朝鮮の背後にいる中国との関係性に目が届いているわけですが、こういう視点が違う場合に物事が違って見えるのは日常茶飯事でしょう。でもそれをシステム的に是正する方法はあんまり思いつきません。

    イザヤベンダサンの論考を私なりにまとめると
    ①日本は中国に対して室町時代以前から政経分離政策を取っていて政治的な中国からの政治的支配を防ぎ、逆に文化の輸入には大きな抵抗をしなかった。
    ②対馬藩は朝鮮貿易で藩の経済を成立させている。そして対馬藩は背後にいる中国問題を想定せず、藩の経済を成立させていた朝鮮との間に問題を起こしたくないとしか考えていなかった。
    ③武家体制は天皇という権威を抱きながら政治権力は武家が支配するという中国にない体制であることを新井白石は自覚していた。
    ④新井白石は朝鮮の後ろにいる中国を意識していたので対馬藩が受け取った書簡の一字一句にこだわった。

    イザヤベンダサンはこの章の最後に次のように書いています。

    新井白石は当時の世界すなわち東アジアにおける日本の位置をはっきり把握していたに過ぎない。そして自国を本当に知り、外国を知っていたーーー室鳩巣のいった(松井注:室鳩巣の新井白石への評価)「和漢の事(こと)引合候て、能(よく)弁じ申候」であり、それを基にしてはじめて両者に対する実に、先の先まで考慮した深い洞察と、それに基づく準備ができたわけである。
    彼の行き方と昨今の日本の対中国外交を比較論議しようとも思わない、余りに違いすぎて、到底、対比などできそうもないから。

    新井白石のオリジナルの文章を書くのが一番いいのでしょうけど、本には現代語訳した要旨が載っていましたのでそれを引用します。またベンダサンの見解も書いておきます。
    (引用開始)
    「『日本国大君』を『日本国王』という呼称に復することが大難事であった。もともと国書に『日本国王』としるしていた。これは外国の人がわが国の天皇を『天子』、武家を『国王』と呼んでいた例によったのである。ところが、寛永の頃から『大君』となったわけだが、これには問題があった。というのは『大君』というのは朝鮮では臣下につける呼称であり、これだと将軍が朝鮮国王から官職を受けるおそれがある。また外国の書では『大君』を天王の異称だと書いてあるものもあるから、これだとますます紛らわしい。そこで元に戻すよう、対馬の守に言ってやった。対馬藩の家人が言うには、むずかしいことではなかろうとのことであった。そもそも『対馬の国のなま学匠』らが、知りもしないでああだこうだ言ったために、対馬の人はたちは反対しているだけだという。その後、朝鮮の方でも文句はなく、国書を『日本国王』と改めてきた。」

    この(新井白石の)議論には確かに無理な点がある。「なま学匠」の一人が反論しているように、「朝鮮で大君と称するのは王の嫡子の意味、王の嫡子の意味、王の庶子を君という」、従って、白石がこれを「君子に授ける職号」だとか「天王の異称」だとか言うのは誤解にすぎない、という主張は、問題を朝鮮に限定すれば正しいかもしれぬ。
    ただ白石と「なま学匠」の差は、一方は朝鮮の背後に絶えず中国問題を想定しているのに、他方は、朝鮮との間に問題を起こしたくない、としか考えていないことである。確かに大君は中国でも同じように「嫡子」の称号でもあった。
    しかし白石が問題としているのは、これが同時に職号であり、また周易(しゅうえき)のこの呼称を儒者が「天子」と注している点なのである。従って日中国交回復の場合、相手の国書に「大君」とあり、もしこちらも「大君」で返事を書けば、相手には「官職を授与されました」といい、国内的には「将軍は天皇である」と宣言する結果になりかねない。そして朝鮮に対しては「大君」なのに、中国に対しては「大君」を拒否することは、絶対に出来ない。白石の念頭にあったのは、これによって起こる非常にうるさい国内問題と、それの、対中国関係へのはねっかえりであっただろう。
    ・・・・・・・
    さらに白石は、ここで、いわば「輸入商社」(松井注:対馬藩を一種の輸入商社機能としてみていてそれで対馬藩が見かけの藩の石数より豊かであったことを指摘している)に外交を左右されることの弊害を除去しようとしたらしい。彼は対馬藩の外交上の権限を削減した。そしてこういう場合は、堂々と先例を無視している。
    (引用終わり)

    <国内的には「将軍は天皇である」と宣言する>という意味を解説すると背景に①日本は中国の周辺文化であるという事実、②万世一系の天皇をいただいているからこそ中国のような革命もなく存在した。だから日本こそ中国であるという論説の存在、③①から日本の体制は中国の文化を転用せざるを得ず、その転用の仕方は中国が政治的支配はしないが文化的には支配していた周辺国家の類推を使わざるを得なかった。それは中国イコール天皇とみなし、天皇を文化的支配の対象とみなす考え方によって成立する。④従って武家体制イコール政治支配であり、天皇イコール文化支配になる。江戸幕府は征夷大将軍を天皇という文化的権威から授与されたからこそ正統性があり、簒奪政権ではないというこれも朱子学の論理からの理論武装を行った。しかしここで文化的権威である中国から職位を貰うということはこの理論に大きな穴が開くことになると新井白石が考えたと松井は理解している。

    実際の国家の主権は政治的支配と文化的支配と軍事的支配と経済的支配の四者、もしかすると国民の精神のあり方を守ること、すなわち教育を守ることによって発生するのだろうけど、この前四者を保護する行き方はドゴール時代のフランスを思わせる。日本の外国とは長い歴史を見れば中国以外に存在しない。日本が中国との政経分離政策をとったのは文化的な侵略(輸入)があっても政治的な支配権を固持できれば、いいという判断があったのかもしれない。今回の自民党総裁選挙での候補者の一人、麻生太郎が日本はアニメやおたく文化などの文化的な力を利用して悪いわけがないという論説は決して悪いことじゃない。一方で日本の教科書問題にまで中国や韓国の政治介入を実施されているのを平気でいるセンスを見ると自民党や民主党には日本国の国家主権を守るつもりはないのじゃないかと思えてくる。

    政経分離という現在の自民党政権の施策は別に目新しいものでなくおそらく室町時代以前から、もしかすると聖徳太子時代からの政策であるのかもしれない。これをエコノミックアニマルと見ればその通り。しかし強大な隣国(昔は中国、現代はソ連と中国と米国)の周辺国家日本にとって国家の独立を守り、国民を豊かにする方法は政経分離政策以外にあるのだろうか。
    日露戦争の勝利によって普通の国家と認められた日本が敗戦により取るべき政策はおそらく同様であっただろう。そして米国に対する態度も政経分離を行ってきたのだろう。
    そして不思議なことに中国や米国の国策に対する口出しを許す日本人は政経分離政策は中国や米国の日本政治への介入を防ぐ目的だけでなく日本側にも日本政府政策への口出しを防ぐことでないと首尾一貫性が取れないことを知らないのだろうか。
    現代の日本で対馬藩に行ったような制裁を国内の企業に行うことは出来ないだろ。もっとも民主主義国家では中国に寄り添う政治家や経営者側が「日本と中国の政経分離政策をやめろ。その対案はこうであって、これによって中国に文句を言われる原因を絶って日本の主権を守る」という意見を明言すればより物事は明確になるのだけど。

  10. こういうことは何度も何度も繰りかえし表現しないと駄目なんですね。

    愛国者である岡崎先生には聞きたいな。

    岡崎先生は中国の日本への内政干渉を非難しますか。

    国家の主権、現在は国民の主権である教育や宗教の問題に中国が口を出すのが正しいと考えていますか。

    そして中国の文字の代わりに米国と代入しても岡崎先生は米国を批判できますか。

    私は以前から革新の矛盾が気になってしかたがありません。

    一例は中国の原爆は綺麗だから正しいという論説です。そして中国がおかしなことを言い出すと沈黙を守る革新陣営の論説を。過去の戦後教育が悪くないと考えることと日本の教育に関する中国の内政干渉を許すことはまったく別のことです。たとえ戦後の教育が正しかろうと正しくなかろうと中国の内政干渉を行わせるのは国民に主権侵害ですから当然にいけないことですと考えるのは間違いでしょうか。

    朝日新聞は外国の内政干渉を呼び込むようなことを何度もやってきました。また林彪事件でも中国政府よりの報道を続けました。朝日新聞にとっては国民の主権保護よりもしかすると戦前は政府のいったままを報道し、戦後はGHQに迎合した戦後体制護持を行ったことを隠すのが目的であったのかもしれません。

    有能な八木先生は朝日新聞も納得できる歴史教科書を作ると雑誌に発言しました。

    愛国者であられる岡崎先生は有能な八木先生と一緒に朝日新聞や米国が納得できる歴史教科書をおつくりになるのでしょ。さぞかし立派な愛国的な教科書になるのでしょう。
    その愛国の対象が日本国民であるかどうかは私には想像を絶することですが。

  11. 私にはよくわからない事があります。小泉何某が権力を掌中した暁にはとても大胆に己の年来の思いを実行できたことです。これ程までに首相という地位に就くと思いどうりにできるものものなのでしょうか。何時からこんなことが可能になったのでしょうか。権力者とはそんなものなのでしょうか。そしてまた新たな権力者が出現したら同じことが繰り返されるのでしょうか。私にはこの世の中はかくのごとく整然と恙無く粛々と進むのが理解できません。後藤田何某が金融庁の事務方の改正案を了承できないから辞任しましたが議会制民主主義とはまさに不可思議な制度ですネ。

  12.  産経新聞の八木好きは変わっていません。関係者はみんな西尾さんや藤岡さんは暗いとか、攻撃的に過ぎるとか、嫉妬深いといっています。どうしてそう思われているのか、住田社長がそう思っているのか、石川論説委員、渡辺記者らがそう思っているのか分りません。ただし、産経は皮肉なことに新聞社では体質的には中国や北朝鮮にもっとも近い新聞(2番目は読売)ですから、やはり何らかの理由で住田社長に嫌われたのかも知れませんね。もっとも産経が分裂を困っているのも事実でしょう。住田社長ではなく清原会長が仲介に入っていると聞いたので、もしかしたら関係者のところを回っているのかも知れませんね。
     それともう一点。安倍さんのブレーンの件ですが、もともと、八木さんは安倍さんやフジの日枝さんの名前を出して自分を大きくみせることの好きな、そういう意味ではちんけな人ですから、安倍さんとの関係も実態はかなり違っていると思います。新聞で報じられたのは伊藤哲夫?さんが集めたメンバーのようですが、確かに複数回会合を持っているようですが、いわゆるブレーンとは異質です。というのはブレーンというのは何回か会合を重ねるなどして、互いに信頼を寄せていなければ成立しないものですが、そういう関係にはないと思われます。そもそも安倍さんは初当選から13年しか経過していないわけで、そういう意味でのブレーンをつくる時間もなかったように思います。伊藤哲夫さんには、確かに、いろいろ頼まれて活動してはいるようですが、安倍さんがいわゆるブレーンと思っているかというと疑問です。安倍さんというのは『美しい国へ』を一年半もかけて自分で書き下ろしたように、若いけれどもシンは強い人ですよ。自分の考えでやっている人です。
     その安倍さんがブレーンと感じているとすれば、例外は中西輝政さんかも知れませんね。それは安倍さんの言動を注意深くみていれば分かります。
     安倍さんという人は拉致事件にしても、救う会べったりでもない。日本会議べったりでもない。選挙も強いし、政治資金にも困らないし「特定の代表として政治をする気はない」といっているとおりです。八木さんは多分、組織の代表としてリーダーシップがとれる人ではないし、言動からすると自らは政治家にでもなりたいと思っているのではないでしょうか。
     教育再生は伊藤さんら政治づいた人たちの入れ知恵かもしれませんが、それならそれでいいのではないでしょうか。教科書の運動は安倍政権と関係ないのではありませんか。産経とも袂をわかつってもいいのではありませんか。

  13. 機械計算課長さんへ

     「対馬のなま学匠」のことで前から不思議に思っていることがあります。それは、雨森芳洲が、正徳通信使の時にはあれほど「日本国王」の称号に反対しながら、次の享保通信使が来た時に、通信使に対して、前将軍の家継のことを「有章王」と呼んでいるとです(『海游録』)。以前の自らの主張を省みず、白石の失脚後にこっそりその説に合わせているのは一体なぜだろう、と疑問に思わざるを得ません。「国書」でないのだから矛盾ではないのだ、と言われればそれまででしょうが…。
     八木氏のことは今は触れるつもりもありませんが、岡崎氏については、他ならぬ岡崎研究所と社会科学院との頻繁な交流の件が、その発言の背景にあったと推察しています。

  14. 『日本の親米、親中、親朝は対立関係がなく相手と一体化することですから』

    キルドンムさん
    証拠はないですがある時に新井白石の論立てが正しいと気付いたのではないでしょうか。論争相手が失脚したあとで失脚相手の論にのるってありそうではないですか。そうだとするとあんまり誠実な人間とも思えないな。

    雨森芳洲は確か新井白石と同門の朱子学者でしたよね。『誠信外交』つまり「外交の基本は真心(まごころ)の交わりである」と主張し、日本と朝鮮の善隣外交に尽力しましたとWEBに出てました。私はどちらかというと新井白石のほうが例外じゃないかと思っています。だって考えて御覧なさい。中華には乞食も泥棒もいない、それは聖人が生まれた土地だからだという風潮でかつ朱子学は中華で誕生したものですから一般には中華に疑いを持つのは難しいでしょう。

    WEBでは<雨森芳洲は国際関係においては平等互恵を宗とし、外交の基本は誠信にあると説いた。「互いに欺かず争わず、真実を以ての交わり」は、彼の先進的な国際感覚を示し、現代でも指針とすべき言葉であろう>と書いてありましたが、これは決して国際感覚ではなく、日本の場合親中国や親米の親という字は対立関係がなく相手と一体化することをいいますから実際の国際関係ではありえないことでしょう。だからこそ雨森芳洲が新井白石の字句に拘ることに反対したのだと空想は出来ますが、ご質問への回答になってないのですな。

  15.  9月10日(1729)付の「総合学としての文学」さんと同日(2308)付の「こんちわ」さんのコメントを見比べ、なるほど「理屈には長じていても勘のワルイ人」と「実情にも通じる勘のヨイ人」との差とはこのようなものかとイタク感心させられました。

     「つくる会」に拠る方々(小林会長、福地、藤岡、高池副会長達)と「再生機構」を立ち上げる方々(八木氏、新田氏、宮崎氏達)の力関係は後者が圧倒的に有利なのではなく、安倍次期総理の御威光を宣伝しフジ産経グループと手を握る側より、曲がりなりにも地方組織を握る前者の方が、戦い方にもよりますが「持久戦」においては相当に有利であると思われます。

     「再生機構」側がフジ産経グループの下にある扶桑社と組んで「歴史・公民教科書」の執筆・監修権を全面的に奪おうと思っても、「つくる会」の方に既得権もあるわけであり、「つくる会の教科書」が「扶桑社の教科書」に変えられるなら「採択運動」の対象には一切しないぞと、「つくる会」側が一致結束して「扶桑社」側に強かに臨めば、状況の転回も望めるものと思われます。

     他方、八木氏、新田氏、宮崎氏達の側はピンポイントで「つくる会」の地方組織の切り崩しを試みているようですが、中にそこそこにシンパがいても外から組織を乗っ取ることはなかなかに難しく、期待どおりの成果など上がらぬものと思われます。それに、「再生機構」も八木理事長・宮崎事務局長のコンビでは、失礼ながら、その指揮・統率の御手腕の見事なまでの拙劣振りは内紛の過程で十二分に発揮されたところであり、如何に強力な応援団がついたとしても組織と運動の力強い進展は望むべくもないと思われます。

     マア、上昇志向が異常にお強いとうかがう八木先生は「政治家」のセンセイにでも、可成りの内弁慶と承る宮崎オンタイは「髪結いの亭主」にでも納まられた方が、公私ともにヨロシイのではないかと思われます。

  16. >布袋和尚さま

    余分な形容詞が多すぎるように感じます。
    ここに居ない人にでも、もう少し穏当な表現をお願いします。

  17. 機械計算課長さん、ありがとうございます。
     
     盧泰愚大統領の訪日時のスピーチ以後、何故か芳洲の「誠信外交」ということばかりが喧伝されていますが、あれも実態とはかなり違うと思っているのですよ。
     確かに、「朝鮮は、数百年来御なじみの国に候へば、誠信の道御わすれなされまじき御事に候。誠信とは実意を以まじはると申事に御ざ候」(『治要管見』)とは言っていますが、そのすぐ後に次のように続けています。

    >されど、ものごとゆるがせになり威武をうしなはれ候はば、彼国のあなどりを御ひらきなさるべく候。此所大切の御事に御ざ候。

     また、『朝鮮風俗考』でも、芳洲は「総体、朝鮮人は其の姓(性)しぶとく、謀を好み候故、手詰の戦いは日本に及ばず候共、久を持するの媒(謀?)に成り候ては、日本人は却って相当り申す間布(敷)候。〈中略〉総体、何れの国にても是は強き国、是は弱き国と、いつ迄も定まりたる国は之れ無きものに候へば、日本の武備衰え候節に成り候はば、必ずは其の侮弄を受け候事之れ有るべき歟と存じ候」と述べていることからも、今日の「親韓」「親中」、はたまた「親米」といった手合いとは同一視できないではないのでしょうか。彼のこの問題についての立場については、もう少し調べてみます。
     ご提示になられたこととは少々ズレルかも知れませんが、今思いつくのは以上の通り。イザヤ・ベンダサン氏の著書は、ライブリー版で持っていた筈なのですが、どこにしまいこんだことやら…。また探してみます。

  18. キルドンムさん
    ご返事感謝します。貴方は何でもよくご存知の方で返事をするのが実は怖いのです。なお私が始めに読んだ本は文芸春秋でなくお持ちの山本七平ライブラリーの「日本人とユダヤ人」の冊にはいっているはずです。

    Vagabondさん

    西洋文明の近代の残虐性
    私は福地先生の論説を否定するかどうかは別にして貴方は江戸末期から明治以降の日本の苦難は貴方には想像できないでしょう。
    日本は当時どういう世界にいたかです。
    これは米国に於けるインディアン虐殺を調べればよくわかります。別にナチスドイツが特別に残虐であったわけじゃない。

    北米にいた二千万のインディアンが95%まで殺されました。一番最後のものはウンデッドニーにおける三百人のインディアン虐殺です。彼らは集合し祈りをささげるために集まりました。そこを騎兵隊の機関銃が女子供関係なく殺していったといわれています。

    彼らの祈りは

    「良きことのみをなせ。互いに愛し合え、争いごとはしないように。白人とも平和に暮らすように。嘘をついたり、盗みをはたらいたりしてはならない。戦いを好んだ古い習慣をことごとく捨て去り、私の教えに従うように。そうすればやがて、この彼岸において、友人たちと再会するだろう。そこにはもはや死もなければ、病もなく、老いもないだろう」

    という予言です。

    おそらくこの祈りの精神は江戸時代の日本人にも共有できるでしょう。

    しかし日本人はインディアンのように惨殺される道を選びませんでした。

    ある人はこれを日本人は半分西洋化したといいます。半分西洋化というのは世界は理念で動いているのじゃなくて最終的には弱肉強食・力の政治で動いていることに気付いたという意味です。
    すなわち世界の発言力のある列強というのは知的暴力団集団、または悪徳弁護士と悪徳裁判官と悪徳商人と暴力団の集団であってこの世界で独立を保ち国家の主権を維持するには仮に自分たちも知的暴力団にならざるを得ないと判断した日本人がいたって私はそれを非難できないです。

    日本の河本大作大佐の指揮により軍命令なしで張作霖殺害が実行されたのは確かだとして(実行犯はソ連スパイ説もあるようですが)、最終的には昭和天皇の忌諱に触れた田中儀一が内閣総理大臣を辞職することになりました。これを日本の国策による侵略行為と断定するのは少しおかしいですな。陸軍刑法では命令なしに軍を動かしたのですから河本大作大佐の処分(彼は予備に回されました)があってもそれだけの話でしょ。まさかその後彼が満鉄の理事になったのが日本の侵略の証拠だとでもいうのですか。

  19. 松井さん、直接関係のないところに書かれると困ります。
    私は管理人さんの指示(依頼)により、「小さな違いは・・」について
    連載が終わるまでコメントしないことになっているのです。
    せめて「讒謗に応答する」のコメント欄で、その旨通告してください。

    しかし前にもそのようなことがあったので、「讒謗に応答する」の続きをここに書きましょう。

    珍しく分かりやすい文章で、ちゃんと答えます。
    河本大佐の張作霖暗殺(爆殺、殺害)について、

    これを日本の国策による侵略行為と断定するのは少しおかしいですな。

     と言われますが、私がどこで【国策による侵略行為】といいましたか?

    こういう謀略をやっておきながら、【日本は国際法を遵守しようとした】(福地さん)というのは
    矛盾していると指摘したのです。

    わき道に逸れますが、日本の侵略である、ない(との評価)にかかわらず
    日本は河本大佐の行為を事実上追認したのですから、そういう意味では(侵略というよりむしろ)
    過剰防衛というべきでしょう。
    ともかくこの事件がその後に取り返しのつかないほどの重大な悪影響を与えたことは確かです。

    さらに、西洋文明の近代の「残虐性」について、

    Vagabondさん・・・私は福地先生の論説を否定するかどうかは別にして貴方は江戸末期から明治以降の日本の苦難は貴方には想像できないでしょう。

     と判断されたようですが、その根拠を示してください。私がどこへ書きましたか。
    私には(あなたが)”勝手に想像した”作文としか思えません。

    福地さんは、明治以降の戦略として

    昭和時代には「東亜(アジア)の解放」と言われたが、要するに西洋列強=白人覇権勢力の圧迫から植民地支配の悲哀に陥り恐怖に慄く被抑圧諸民族=有色諸民族を解放することである。

     と書いていますが、満州での日本(軍)の行動はこれと矛盾しているのではないか、と指摘したのです。

    ・・世界の発言力のある列強というのは知的暴力団集団、または悪徳弁護士と悪徳裁判官と悪徳商人と暴力団の集団であってこの世界で独立を保ち国家の主権を維持するには仮に自分たちも知的暴力団にならざるを得ないと判断した日本人がいたって私はそれを非難できないです

    と書いていますが、「知的暴力団集団」、「悪徳弁護士と悪徳裁判官と悪徳商人と暴力団の集団」
    などという言葉が歴史資料のどこにあるのでしょうか。是非示してください。

    こういう言葉こそ、【今の感覚で歴史を裁断】しようとする態度ではないでしょうか。
    裁断というより「弁解」というべきかもしれませんが・・・。

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