「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(八)

 言論人は反政府的であるべし、と決まっているわけではない。それは古い考え方である。それでも言論人と政治家とでは役割が異なる。言語で表現するのと、行動で表現するのとの原則上の違いがある。

 昔は言論人は反政府的ときまっていた。福田恆存のような、自分は「保守反動です」とわざということがアイロニーだった時代に文字通りの保守思想界を代表した論客が、選挙で何党を支持するのかと問われて、自民党と答えず民社党と言っていたのを面白いためらいと思ったことを覚えている。

 この原稿を私は私の若い時代、60年安保騒動の思い出から始めたので、もう少し思い出を加えてみよう。さらに6年ほどさかのぼった昭和29年(1954年)に、私は大学1年で、第5次吉田内閣のたしか官房長官だった増田甲子七という人が駒場のキャンパスに来て大教室で講演をしたのを聴いたことがある。

 あの頃保守政党の政治家は学生にとっては「人間」ではなかった。会場は怒声で溢れていた。彼がなんの話をしたのか、まったく覚えていないが、次々と質問に立つ学生が「増田!貴様は・・・・」という調子で呼び捨てにするので、私はひどい連中だと秘かに彼らのほうに腹を立てていた。

 すると会場からひとり「失礼ではないか。呼び捨て止めろ」の声を挙げる者がいて、その一声で会場がサーッと波打つように静かになって、私がホッと安堵したのがはっきり記憶にある。

 当時の学生たちの「非常識」と「常識」の二面を見る思いがしたものだが、要するに保守政党の政治家は学生世論では悪の権化であり、人間の皮を被った化物なのであった。

 そのわずか2年前(昭和27年)の5月に皇居前広場で「血のメーデー事件」が起きていた。米ソ対立の代理戦争が日本の国内で白熱化していた時代だった。昭和35年はいうまでもなく60年安保で、アイゼンハウアー大統領の訪日阻止デモで私の友人の何人もが逮捕されている。

 そんな時代の空気をずっと吸って生きてきた私は、勿論まったく時代の風潮に反対であり、保守サイドに立つ私は彼らにとって裏切者で、悪魔の代弁者であったが、支持政党は何かと公式に聞かれると自民党とはあえて言わないで民社党と言った福田恆存の自己韜晦は非常によく分るのである。

 32歳の頃、私は国立大学の講師だったが、『国民協会』という自民党の新聞に一度だけ署名原稿を書いたことがある。誰かが見つけて来て、ドイツ文学界の中の私の評判はがた落ちになった。

 私だけでなく、政府に与するような議論を述べることに言論人は永い間逡巡し勝ちだった。いつの頃から情勢が変わったのだろうか。アメリカの影響だろうか。左翼が弱くなったせいもあろう。それでも、政府べったりの主張をする人間はみっともないという意識は、学者言論人の世界ではずっと普通だったし、今でも多分そうだろう。

 あの60年安保騒動の渦中にあった首相のお孫さんが総理大臣になったのかと思うと、昔を知る世代には感無量である。そして、知識人や言論人のブレーンの名が新聞に出ると、アメリカ型政治の影響であるとか何とかいわれても、半世紀でこうも変わるものかとこれまた不思議な思いが去来するのである。

 時代がどんなに変わっても、権力と知識人の間にはつねに一定の緊張が昔からある。また、なければいけない。言論人が個々の政策に口を出すのではなく、むしろ言論人が政権に黙って大きな立場から影響を与えるというくらいの存在でなければ意味がないのではないだろうか。

 言論人が政権にすり寄り、虎の威を借りて自説を補強するなどということは、最近の新しい現象かもしれない。それが言論の強化に役立つと考えるのだけは完全な錯覚である。

 それは次のような理由による。言論と違って、政治は無節操に変化するのを常とするからである。例えば安倍政権は拉致事件の解決のために中国と協議する必要上、靖国で妥協するかもしれないと不安がられている。私はそんなことはしない方が得策だという考えである。靖国で妥協してもしなくても、中国の北朝鮮政策は同じで、拉致が解決しないときは何をしてもしない。としたら、妥協したならば安倍氏は両方を失う可能性がある。そう思うからである。

 しかしそう思うのはどこまでも言論人の考え方である。政治家はまったく別の判断をするだろう。別の判断をしても仕方がないだろう。しかもそれを政治家は自分の責任においてやるだろう。言論人はこの種の政治的情勢判断を慎むべきである。民族の「信仰」の問題で他国との妥協はあり得るか否かの原則を応答すればそれでよい。

 新井白石や荻生徂徠が幕府から下問されて儒教の経書に照らして思想上の正否を述べ、それ以上口出ししなかったという態度にもこれは似ている。

 岡崎久彦氏が靖国の遊就館の展示内容をさし換えよという乱暴な発言をしたとき、文化界のある重要な立場にいる人が私に、岡崎氏は米大統領が安倍新政権にテコ入れするために二人で一緒に靖国参拝をする情報を知っていて、米大統領が参拝し易い条件をつくろうとしているのだろう、と言った。私は確かな情報か、と問い質した。すると彼は、いや、岡崎氏ともあろう人がこんな発言をするからにはそれくらいのことがあるのではないか、と、単なる観測気球をあげた。何から何まで人の好い、楽天的な、自分の好む方向を好意的に空想しているだけの話で、文化界にある人のこういう政治的観測、根拠なき情勢判断の甘さは何よりも具合が悪いと私は思った。

 言論人はこの手の政治情勢解釈を、できるだけ慎むべきである。言論人がある程度「反政府的」であらざるを得ないというのは、言論と政治の原則上の相違からくる。政治はどんどん揺れ動く。言論はそうそう揺れ動くわけにはいかないからだ。

 政治家のために言論人が奉仕すべきではなく、奉仕してもそれには自ら限界があるというのはここに由来する。

 竹中平蔵氏の運命をみても、政治に全面奉仕して、彼に残るものは何もなかった。不良債権処理と構造改革において政権の力で自分の理念を実行し得た、という自己満足は十分に残っただろうが、それが客観的に評価されるかどうかはまったく分らない。彼は政界に残っていても、安倍氏に相手にされず、もうやることがないと判明したので辞めたのだと思う。

 しかし彼は言論人であることを中止して政治家となった数少ない成功例である。彼は学者言論人にはもう戻れない。勿論、どこかの職場の一員としては戻れるだろうが、その言論活動は何を唱えても末永く「小泉」の名と結びつけて扱われることを避けることは出来ないだろう。

 学者言論人の政治との関わり方は難しい。前にも言ったが、黙っていてもその影響が政治に静かに作用しつづけるような存在でなければ本当は迂闊に政治について発言すべきではないのかもしれない。しかしその理想形態は孔子と魯国、ゲーテとワイマル公国のようなケースで、現代においてはほとんど不可能かもしれない。

 ここまで書いて9月26日を迎え、安倍新内閣の閣僚名簿が発表された。総じて私は好感をもった。経済閣僚の人選には竹中路線が感じられ、少し先行き不安だが、安倍氏が自分の思想的同志で固めたのは心強い。論功行賞などという必要はない。首相の意志がパッと伝わる陣形がつくられたのは能率的で、「党内党」がつくられたという趣きさえある。

 そこから当然問題が生じる。首相に力が結集するこの「集中力」は安倍氏のパワーに依るものではなく、前首相の野蛮な力の遺産である。前首相と異なる人柄の良さと明るさで野蛮の根はいま覆い隠されている。しかし「集中力」はいつかほどける時がくる。

 ほどけたほうがいい。ほどけて党内不統一が生じるのが自民党らしい民主的なやり方で、もし党内統一がますます強まり、国民を「束ねる」方向へどんどん進んだらまた別の危険が生じるだろう。

 自民党は昔から、陰と陽、明と暗、動と静のカラーの交替で危機を乗り超えて来た。前首相の遺産を受け継ぎながら、前首相とは正反対の仮面を新たに表に出して、世間の目に舞台を替えて見せるのである。

 野蛮の次は今回は礼儀正さである。パフォーマンスの次は地味な実務的効率の良さである。それで目先を替えて今回もうまく行くのかもしれない。

 いずれにせよ、閣僚の中に田中真紀子とか猪口邦子といったわれわれが嘲りたくなるような人物がひとりもいないということだけでも、ホッと一安心できてありがたい。

           (終)

「「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(八)」への26件のフィードバック

  1. ピンバック: 喜八ログ
  2. 昔東京の呉服問屋で就業中に、大嫌いな課長さんがいて、私はしばらく彼と口をきかなかった時があった。何故嫌ったかというと、彼は何から何まで自分の信念を曲げず、荷物の置き場所一つまで細かく指示するタイプだったからだ。
    揚句の果てはこんな出来事もあった。
    ある社員が会社を辞める事になり、送別会を行うということで、私が幹事になりお金を集めたのだが、その課長から集金する際彼はこんな事を私に告げた。
    『たった一年しかいない社員の送別会など、一々開かないでほしい。付き合いきれん』と。
    私は憤慨した。周りの連中も『気にするな、課長の発言は我が儘すぎる。気にせずやろうぜ』と言って私を励ました。
    そんな事が度々あり、私は彼を認める態度はとれなかった。
    しかしある日、私が提出した出張日報を彼が部長の代理で読むことがあった。
    たまたま部長が入院したためである。
    彼は私に言った。
    『君は若いのになかなか文章がうまいな。これを他の社員にも見せたいのだが良いだろうか?』と。
    私は少しほくそ笑んでしまい、それを許可した。
    次の朝、朝礼で私の日報が読み上げられた。
    それを聞いた他の社員は、その時だけは賛辞をくれたが、それからしばらくしてある揉め事が起きたとき私にこういう発言をする者がいた。
    『お前は課長を嫌っていたんだろ。でも日報を褒められてからはその態度を翻して、いい子になりやがって、なに調子づいてるんだ』私は驚いた。
    そんな積もりは全くないし、何故そんな事を言われなければならないのか、解せなかった。

    人の本意というのはなかなか伝わらない事を、今思えば理解できるようになったが、当時の周りの空気というのは、確かにその当時私は感じていなかったのかもしれない。
    誰も私の本意は知らない。理解していない。
    それはたぶん間違いないだろうと思う。

    竹中大臣が言論人という立場を捨てて政治家になった事は、ある意味私がこの課長の意思に従った行為と似ている。
    竹中氏がどのような意思で政治の現場に立ったのかは、結局は誰にも解らない。しかし、実際に現場に立った事実だけは揺るぎ無い事実であり、他人はそれを勝手に色々と批判する。
    私はけして竹中氏を援護しているのではない。
    つまりは周りの人々の受け止め方というものが常にある事を知らされた経験を述べたいだけである。
    当人はけして悪意で自分を表現はしない。
    たぶん間違った社会常識でもないと思う。
    しかし、世間はそれに対し違和感を感じるわけだ。
    どちらが正しいとかではない。
    一つ言えるのは、私が課長を嫌っていたという事実から、その嫌いな課長の頼みを許すという決断を安易に起こした事実だけが最後に残るという事なのだろう。
    渡ってはいけない橋というものが、人それぞれにあるという事なのだろうか。
    それが見えている人と見えない人がいるということは事実だろう。
    とりわけ言論人と政治家という似て非なるものの場合は、それを最も注意しなければならないのかもしれない。

  3. 安部政権、戦後60年にしてはじめて自主憲法、自主外交、自主防衛に向けて日本の舵を切ってくれそうな政権の誕生です。

    私もほっとしましたが、安部氏は一政治家ではなく総理ですから、持論のトーンが落ちてきたのは仕方がないのでしょうか。

    あまりぶれないように願うばかりで、いささか心配でもあります。

    朝晩冷えてきましたが、西尾先生のご健勝、ご健筆を祈っております。

  4. 「小さな意見の違い~」の件、興味深く読ませて戴きました。
    関連する感想を書かせて戴きます。事情通でもありませんので、厳密な話ではありません。個人的感想です。

    このところ政治ジャーナリズムの少々の地殻変動ともいうようなものを感じます。
    小さなことかもしれませんが、トクヴィルの「アメリカの民主政治」やバークの「フランス革命の考察」が岩波文庫に入っているのに、驚きました(バークの方は訳が酷いそうですが、私は未確認)。

    朝日も戦前戦中の日本叩きが今や上手く行かず頭打ちで、拉致問題でもマイナス、安倍潰しも成果無く、社内の左派が失脚しているのではないか。そして方向転換を企て、取り込めそうな保守派に接近している。

    以前から思っているのですが、左派系ジャーナリズムは、その論理的破綻は当の昔に明らかなので、徐々に保守系の言論を載せ、いつの間にか、明確に判らぬように方針転換を行うのではないか。そうでなければこの先、もたないでしょう。上記の事柄はその布石ではないでしょうか。

    「つくる会」を巡るこの度の騒動も、こういった一環であるようにも見えます。

    名のある言論人というのは、自らの露出には熱心で、その世界の風向きを感じること敏感であり(だからこそ名が知られている訳で)、あっさりと一本釣りならぬ投網を掛けられるようにすくい上げられているのではないか。

    こういう時にこそ、各々の根源的な姿勢、正体が現われるのであり、事柄は違えども岡崎氏にしろ中西氏にしろ、私には、さもありなん、と思われ、妙かもしれませんが、すっきりした気持ちにもなります。

    「大東亜戦争は正しい戦争であったという認識が、アメリカと自分との同一視を避けるための民族の生き残りの原点なのです。」(西尾先生、正論10月号)
    至言ですね。

  5. ソフト入れ替えのため送信にミスがありましたが、今回は正常です。

    *******************************

    「歴史」における反米とアメリカの戦意

    表記の長文は8月31日から書き始められ、9月28日に終了した。【】内は引用。

    西尾さんの態度(立場)は次の言葉に表れている。

    ここで誤解のないように言っておくが、私は単純な「反米」の徒ではない。「外交」において親米、「歴史」において反米たらざるを得ぬ、と言っているまでである。戦争をした歴史の必然である。

     「歴史」において反米たらざるを得ぬ、ということは、たとえば

    とかくに先の大戦の原因は日本にのみあるように叙述されてきた・・が、最近はそれが日本の不正だった、という見方では必ずしもなく、日本の誤算、失敗、相手国政府の意図の読み間違いだったという、日本人の情勢判断の甘さが指摘される傾向が強くなっている。・・ けれども、日本がこうなることを待ち受けていた側の戦意がなかったら、戦争には決してならなかったであろう。アメリカに西へ西へと拡大する好戦性がなく、寛容と忍耐への強い意思があったら、歴史は違った動きを示していたであろう。(日本がドイツと同盟を組んだという選択間違いがあったにせよ)・・アメリカの「戦意」が戦争を成立させたもう一つの重要な要素なのである。そしてその戦意にもそれなりの「歴史」があるはずである。

     西尾さんは、アメリカに(日本と戦うという)戦意がなかったら戦争にはならなかっただろう、というのである。
    その時代が「第2次世界大戦」の最中であったことを忘れているかのようだ。
    アメリカが対独参戦したのは対日参戦と同じ1941年12月8日だったが、アメリカの関心は日本(極東)
    だけでなくヨーロッパにも向けられていた。
    ヨーロッパでナチス・ドイツやイタリアのファッシズムが起こり、戦雲が立ち込めていた。
    ついに1939年「第2次世界大戦」が勃発、ヒットラーはヨーロッパ中を席巻するかに見えた。

    ヨーロッパでファッシズムが、アジアで日本の軍国主義がそれぞれの地域(とりわけ中国)を支配するようになればどうなるか。
    アメリカが黙ってみているはずはない。

    アメリカの戦争介入はファッシズム、軍国主義との戦いなのであり、
    「戦意」とはこれを武力で叩き潰すという覚悟なのである。
    例を挙げれば、アメリカのマンハッタン計画(原爆製造計画)は日本が相手ではなく、
    ドイツが対象だった。
    ドイツが先に原爆を作ったら、という恐怖がアメリカ政府をして原爆開発へ走らせたのである。

    中国への侵略は日本の内部的要因によるのであって、アメリカの「戦意」とは別である。
    つまりまず日本の中国侵略があって、それを如何に阻止するかでアメリカの「戦意」
    なるものが発生したのである。
    つまり武力行使以外でこれ(日本の中国侵略)を防ぐ方法はなかったのである。
    なお、支那事変は侵略でない、という見解があるようだが当時の日本人や今日の
    一部の人以外(つまりほとんどの外国人・政府)は侵略だと受け取っていた。

    西尾さんは、日本の中国での行動を(アメリカが)黙ってみていたら、戦争にはならなかったというのであろうか。
    彼はこう言う。

    私の言いたいのは両サイドの戦意の歴史を並立的に比較しつつ、叙述しない限り、公平な歴史叙述には決してならないだろうということである。その意味で日露戦争以後にアメリカに兆した反日感情は見落とすことのできない戦争誘因の発端である。

     こういう要素は否定はできない。
    しかし日米の利害対立が戦争以外の方法で解決できなかったか、これが大切な点である。

    第2次世界大戦に関してもうひとつ大切なことは、ドイツの緒戦での優勢が日本を勢いづかせたことである。
    ドイツがヨーロッパで大勝利を収めていた。これを見て日本の軍部も、われわれもできる、と勘違いした。

    日本という狭い「視点」で見るのではなく、世界史の流れから見なければなるまい。

    ++++++++++++++++++++

    こういう西尾さんの『「歴史」における反米』観が基本になり、「作る会」の内紛に話は発展する。

    簡単に要約すると次のようになる。

    今「米中握手」が現実の脅威になりつつある。
    安部政権はこの事態を重く受け止めた。
    そのためにはつくる会教科書における「反米色」を払拭する必要がある。
    そこで岡崎さんを使って教科書を書き直させた。

    岡崎さんは「媚米非日」で、まことに情けない。
    岡崎さんらは安部首相の意を受けて行動しているようだが、
    言論人は政治情勢の解釈を慎むべきだ。(たぶん、続く)

  6. バガボン(ド)殿

     雨霰と注がれた反論や批判・指弾にも一切めげることなく、見事に同じトーンの主張をグルグルと繰り返された貴殿に対し、愚僧から引導、イヤ餞別として、軍隊小咄を一つ進呈致そう。

     ナニ、勘がよくて真面目な男か、マア参謀にでもしておけ。 勘はよいがイイ加減な男か、司令官が務まるかも知れんな。 勘がわるくてイイ加減な奴か、マア一兵卒としてなら使えるだろう。
     勘はわるいが真面目な奴!、そんな輩は必ず大きな災害をもたらす。直ちに追放してしまえ。

     自らを桃太郎になぞらえ、このブログを鬼ヶ島に見立て、古色蒼然とした伝家のホウトウ理論を引っさげて、勢い勇んで赤鬼(N先生?)、青鬼(F先生?)、その他ウゾウムゾウの鬼どもを退治に来られたおつもりであろうが、如何せんレベルが違いすぎて悉く論議が噛み合わず、全く議論にならなかった。
     しかし、このブログへの来訪者には老婆親切心に溢れる方々も少なくなく丁寧に相手をしてもらえたことを、貴殿の持論が評価されてのこととユメユメ誤解なさらぬように、蛇足ながら忠言し、結びと致そう。
     ともあれ、御老齢と伺う御身大切に御自愛の程お祈り申し上げる。

  7. 長谷川さんへ、おことわり。
    私の書込みが載らなかったので、てっきり無視(忌避)されたものと思い、失礼なメールを送りました。
    システムの不具合(?)だったようです。
    改めて、この場を借りてお詫びします。

    プロクラステス ( Procrustes ) の寝床という話がある。
    ずっと前たしかE.A.ポー( Poe ) の
    小説で読んだような気がする。
    捕まえた旅人を寝床に寝かせ、寝床の寸法より長いものは足を切り、短いものは引き伸ばした
    といわれる強盗である。(大修館 ジーニアス英和大辞典)

    ところで、私の「反米歴史観」批判に対し布袋和尚さんから「出てけ!」との
    有難いご忠言をいただいた。

    よく見るとすぐ上の神戸人さんの書込みに、
    【大東亜戦争は正しい戦争であったという認識が、アメリカと自分との同一視を避けるための
    民族の生き残りの原点なのです。」(西尾先生、正論10月号)】
    という引用があった。

    まさに私の批判していることの真髄であろう。
    そしてこの西尾さんの言葉こそ、プロクラステスの寝床に見える。
    【大東亜戦争は正しい戦争であったという認識】と【アメリカと自分との同一視を
    避けるための民族の生き残りの原点】はどちらが先かといえば、論理的には認識が先で、
    原点が結論だろうが、どうも寝床に人を合わせているように思える。

    生き残るためには【大東亜戦争は正しい戦争であった】という認識が必要なのだ、
    と何かハナシが逆のようだ。

    大東亜戦争は正しい戦争であったという認識そのものが「超」大疑問の対象であるのに、
    生き残りのためにこういう認識を持ち出すのは、まさに布袋和尚さんの言われる
    「レベルの違い」なのだろう。

    大東亜戦争は正しい戦争であったという認識のひとつの問題点は、
    何よりも当時の現象とはまったく異なるからである。

    日本は大東亜戦争にとてつもない惨敗を喫した。
    喉元に短剣を突きつけられ「参ったと言う(ポツダム宣言を受諾する)か、死を選ぶか?」
    と選択を迫られ、参ったといったのである。
    そのときの宣言には戦争犯罪人の裁判とか、軍国主義の除去などが定められている。
    要するにここでは「大東亜戦争は正しかった」という認識はまったくない。
    そしてそれにしたがって戦後処理が行われた。

    冷戦によって紆余曲折があったものの、アメリカの戦後処理(とりわけ東京裁判)を
    認めることによってサンフランシスコ講和条約が締結されたのである。
    吉田総理は国際連合の総会でこの条約は「非常に寛大だ」と感謝している。

    こういう歴史の事実を無視した意見こそ【必ず大きな災害をもたらす。直ちに追放してしまえ。】
    というに相応しい。

  8. BAGABOND様、先の戦争を見る視点を少し離し遠くを見る視点に変えて、幕末の会津若松藩と薩長官軍との戦の話です。先に京都守護職であった会津藩と官軍特に長州藩との間には大きなシコリが在ったのでしょう、ついに開戦です。攻守双方に義は有ります。時の運、会津藩は敗れました。会津の善戦は其の白虎隊に見ることが出来ます。

    この白虎隊を見る視方を後の官軍(政府)が若し、’かわいそうに’と言う視方を採ったらその後の日本はどうなった事でしょうか、いや考えただけでも寒気がします。今、自分達は是れを会津魂として讃えます。若し増して会津藩内で皆が’死んだものはかわいそう’と言う視方をすれば、 会津魂どころか、最早、何をか云わん哉。

    もう二度と 口にはすまい かわいそう 先の戦に 散りし御霊に。

    国難に 起ち闘いし 親達は 勇少(な)き吾の 今日を導く。

  9.  歴史観小児病の頑迷な御老人には既に餞別を呈し引導を渡した。引導を渡されてなお世迷い言を口走る亡者など一切相手にするところではないが、一言だけ付言しておく。

     戦後還暦60年、吾が国が未だに「主権回復」を全うできない元凶は、構造的欠陥として「主権制限条項」をはめ込まれた占領憲法の存在とともに、軍事・外交上の「吉田ドクトリン」の後遺症にある。即ち、吉田茂翁こそは、戦後史における超A級の国賊に外ならない。翁御自身も最晩年に至り、深く悔悟し自責せられたと云う。

  10. 先日我が家にT大学院生(女性)が訪れ、家内と話をする機会があった。院生は何気なく「軍隊がなければ戦争もない。南京大虐殺もその流れ・・」とまことしやかに云うので、家内は「あなたが鍵をかけずに生活する自信があるなら、あなたの言い分も認めましょう。あなたのご両親が果たして何と云うでしょう・・。大事な人生、しっかり勉強しなさいね」。こんな話をして諭したそうだ。

    彼らは本当に学問しているの?と疑問を抱かざるを得ない書生論だが、そんなレベルの大人も仰山いるから手に負えない。そんなチルドレン・アダルト並の団塊世代リタイア組がこれから仰山世の中に溢れてくるから厄介だ(と云う人も多い)。その先輩の一人がVababond氏であろうか。何とも言説が“青い”。勝者の言語空間にはまっているという意識がないようだ。

    第二次大戦で、真珠湾攻撃の報に接したチャーチルが小躍りしたことはよく知られている事実。アメリカ政府もヨーロッパ戦線への参戦機会を狙っていたことも事実。魑魅魍魎の世界政治は、謀略に近いもので動いていることも事実。

    Vababond氏が云うところの歴史偏向教科書レベルの常識で歴史は動いていない。あなたには日本人として立場、矜持というものがないのですか。あなたはこう云う・・「アメリカの戦争介入はファシズム、軍国主義との戦い」とは、日本の立場をまったく無視した、まさにアメリカが教育で子供たちに教えていることではないか。「中国への“侵略”は日本の内部要因によるのであって、アメリカの『戦意』なるものが発生したのである」と。馬鹿も休み休み言いましょう。東京裁判でローガン弁護人が「戦争行為」を最初に仕掛けたのは米国であることの証明発言をしている。マッカーサーの上院公聴会発言・・「日本は主として自衛のために戦争に赴いた」は、彼の正直な本心が顕れたと受け取るべきなのである。

    ハルノートがどういう性格のものであったかご承知でしょう。アメリカに戦争回避、妥協の姿勢がなかったことは、中西輝政氏がつとに発言されている。中西教授は、ハルノートの起草者であったハリ・ホワイトらがソ連、中共工作員と決定的に絡んでいたと卓見を紹介されている。その帰結を、我われ日本人はどう認識するべきか。この戦争は「仕掛けられた」戦争であったという見方も否定できないだろう。

    その裏側には国際コミンテルンの影響も否定できない、それは常識である。いや、それが最大の原因であたという見方もあるだろう。布袋和尚さんが指摘された『ヴェノナ文書』は、まさに大東亜線戦争を誘導した主勢力がアメリカ政府内に潜んでいたことを教えている。

    Vababond氏は「一部の人以外(アメリカが)は侵略だと受け取っていた」と云われる。この人には、歴史の「真実」というものが眼中にないらしい。敗者はすべてを受け入れよと云う立場のようだ。「日本という狭い視点で見るのではなく、世界史の流れから見なければならない」と説教を垂れる。一見もっともらしいが、どこまでも、奴隷根性丸出しである。敵の「悪」を無視ないしは見ようとしない。そんな大人が、立派な若者を育てられる筈がない。骨なしの若者は、かくしてVababond氏のような大人たちの影響を受けて育ったのである。罪なことですぞ。

    あなたは、しきりに「歴史の事実」を直視せよという。これは左翼的な人たちの陥穽である。彼らは、そのくせ、その後に発見された「歴史の事実」は無視し、沈黙する。

    『南京事件・・証拠写真を検証する』(東中野修道著・草思社)という本がある。結論を云えば「大虐殺を証明する写真は1枚もなかった」ということである。それでも大虐殺派は検証結果に反論しようともしない(できないのであるが・・)。無視を決め込む。アメリカの学会では、未だに30万虐殺派が大部分であるという。学校でもそう教えている。篤志団体が東中野教授著の『南京虐殺の徹底検証』英訳本を数千冊、アメリカの大学・研究機関に寄贈された。有り難いことである。

    「史実を世界に発信する会」では、Vababond氏が云う軽佻浮薄な論を否定する「真実の歴史」を英文で世界に発信するホームページ(http://hassin.sejp.net)を作成した。

    Vababond氏とは裏腹に殊勝な人たちが、日本の名誉を守るために努力されている。布袋和尚さまも、たぶん「史実を世界に発信する会」の人たちと志を同じにする人であろうと察する。西尾先生は「梟」のような目(慧眼)で、歴史の動きを観察されている。言論人として、そうそう簡単に「政治情勢の解釈を慎んで」もらっては困るのである。

  11. 『「小さな意見の違いは決定的な違い」ということ』の(一)、(二)については私のHPで書いたので、ここでは簡単に触れるだけにする。

    西尾さんは60年安保の時代について触れている。
    それによると、当時の左翼革命シンパがつかった「政治的思考」という言葉と、
    現在の保守運動を信じている連中がいう「小異を捨て、大同につく」とは同じだというのである。

    冗談ではない。
    当時の(西尾さんのいう)左翼革命シンパ(というよりその本体)なるものはまさに西尾さんのいう
    「小さな意見の違いは決定的な違い」とばかりに離合集散を繰り返し、内部で殺し合いを演じていた。

    両者を一緒にするというのはどうかと思う。

    もうひとつ、彼は【保守は政治的集団主義になじまない】といっているが、
    これは彼が思うだけならよいが、この奇妙なテーゼを議論の根拠にしてもらっては困る。
    議論する前に証明してほしいものだ。
    保守にもいろいろあり、彼の言うような保守があってもかまわないが、
    「全て」の保守は集団主義的であってはならない、というのは無茶である。

    (三)、(四)については、「つくる会」の内紛について書いている。
    岡崎、八木、中西といった人々が槍玉に挙げられているが、私にはこっけいに思える。

    やはり一番大切なことは、前回にも触れたが「歴史において反米、外交において親米」という西尾さんの姿勢である。
    再度触れるが、神戸人さんの紹介にかかる、

    大東亜戦争は正しい戦争であったという認識が、アメリカと自分との同一視を避けるための民族の生き残りの原点なのです。」(西尾先生、正論10月号)

    という言葉、ここに一番の問題点があるようだ。

    極端に言えば、『大東亜戦争は正しい戦争であったという認識』で
    日本人のアイデンティティーを構成しようというように見える。
    「アメリカとは違うのだ」という情念が彼を突き動かしている。
    情けないと思う。
    周辺国を見渡せば、韓国も同じようなことを言っている(北朝鮮の核実験で少しは変わると思うが)。
    「反日であることが韓国人のアイデンティティーである」と(どこまで本気か知らないが)
    いつも主張しているようにみえる。
    特にノムヒョンになってから顕著である。
    中国も、安部政権になって少し変わったという印象を受けるが、やはり「反日」
    で国民の結集を図っている(実際は国内矛盾から目をそらすためだろうが)ように思える。

    なお、「小さな意見の違いは決定的な違い」という”テーゼ”についていえば、
    「歴史認識において反米」であるか「親米」であるかは決して「小さな違い」ではない。
    どうしてこのタイトルで「親米、反米」を論じたのかよくわからない。
    (詳しくは別の機会に考える)

    日本にとって大事なことは先進諸国と同じ価値基準を持つことである。
    すなわち、憲法に盛られた「自由、人権、民主主義」という基本理念
    を諸外国と共有することによって信頼を勝ち得、平和で繁栄した生活を送ることができるのである。

    ただし、安全保障(国防)については、憲法第九条を改正しなければならない。
    (他の部分については、すべきだともしてはならないとも言わない)。
    第九条だけは他の普通の国と著しく異なる要素で、当たり前に軍隊を持ち
    (正確には、軍隊と呼び)、可能な限り「自衛」しなければならない。

    しかしアメリカとの軍事同盟は絶対に必要で、これに関しては西尾さんと同様「外交では親米」である。
    軍事的には、確かに、従属的な関係にある。
    これをなるべく「対等」に近づける必要はもちろんある。
    核、長距離ミサイル、空母、原潜などはアメリカに依存し、その他はなるべく
    「自前」であってほしいとは思う。

  12. 追加・・学者と政治

    西尾さんは『「小さな意見の違いは決定的な違い」ということ』の(九)で
    学者(言論人、知識人)と政治のかかわりについて次のように述べている。

    学者言論人の政治との関わり方は難しい。前にも言ったが、黙っていてもその影響が政治に静かに作用しつづけるような存在でなければ本当は迂闊に政治について発言すべきではないのかもしれない。

    私は大学に籍を置いたことがない(学生ではあったが)からわからないが、日本の大学人(教授など)は
    政治とのかかわりを極力避けてきたように思える。
    その最大の理由は学者の多くが「左翼」だったからで、たとえば資本主義経済を否定するマルクス経済学者が
    国の経済政策に関れるはずはない。

    逆にアメリカやイスラエルでは学者が政治と深く関り、学問と実際の政治との距離を
    小さくしていることに感銘を受けていた。
    たとえば、キッシンジャーとかブレジンスキー。
    学者でありながら、大統領補佐官を勤めている。
    役割が終わるとまた大学や企業へ帰って(移って)いく。

    全ての学者が政治に携わるべきだというのは無茶であるが、まったくゼロというのも異常である。

    学問には現実と全く関りのないようにみえる部門(たとえばニュートリノの研究)
    があって然るべきだし、またなければならない。
    しかし、本来実際の政治を論じながら政治の実務と必要以上に距離を置くという姿勢も
    あってはならないことであろう。

    主として科学技術部門であるが「産学協同」が増えていることは喜ばしいことだ
    (それだけに走ってはいけないことはいうもでもない)。
    文系にあってもそういう部分があってもちっともおかしくない。

    西尾さんの言う【静かに作用しつづけるような存在】というのはひとつの姿ではあるが、全てではない。
    むしろ足を引っ張るような言い方には賛成できない。

    想像だが大学(や言論界)が「象牙の塔」でなければならないこともあるし、逆にそうであってはならないこともある。
    いろいろな側面があり、幅広く、活気に富む世界であってほしい。
    政治や実業の世界との幅広い交流が望まれる。

  13. 一度どこかの坊主に引導を渡されている。
    そういう相手に反論はみっともないから、ご忠告申し上げる。

    で、その布袋和尚は

    如何せんレベルが違いすぎて悉く論議が噛み合わず、全く議論にならなかった。

    と述べている。

    もちろん私が「低い」、私を批判した人が「高い」ということだが、当然だ。
    私なぞ並みのレベルにまでもいっていないだろう。
    しかし「高い」ということと「価値がある」ということとは別である。
    非常に高いレベルの議論をしても、どこかが抜けていることが少なくない。

    皇都衛士さんの

    あなたには日本人として立場、矜持というものがないのですか・・・。
    日本の立場をまったく無視した・・(議論)

     という言葉には「高度な理論」というより「信仰」が見て取れる。

    またあなた(vagabond)はこう云う・・「アメリカの戦争介入はファシズム、軍国主義との戦い」とは、日本の立場をまったく無視した、まさにアメリカが教育で子供たちに教えていることではないか。「中国への“侵略”は日本の内部要因によるのであって、アメリカの『戦意』なるものが発生したのである」と。馬鹿も休み休み言いましょう。東京裁判でローガン弁護人が「戦争行為」を最初に仕掛けたのは米国であることの証明発言をしている。マッカーサーの上院公聴会発言・・「日本は主として自衛のために戦争に赴いた」は、彼の正直な本心が顕れたと受け取るべきなのである。

     こういうことが全くなかったとはいえないが、主要な要素であるということにはならない。

    誰かさんの片言隻句を捉えて、あたかも鬼の首を取ったかのように言うのは
    まことにこっけいで、それこそ【馬鹿も休み休みに】だ。

    また、ミミタコものだが、マッカーサーの言葉。
    GHQのボスとしての言動と退職後の言動とどちらを「公式」とすべきなのか。
    さらに彼の発言自体日本を「擁護」したものとは思えない。このことは
    私がHPに載せているので、できればお読みいただきたい。
    私のような素人にもわかるような「低いレベル」の議論など持ち出さないでほしいものだ。

    【( vagabond は)奴隷根性丸出しである。敵の「悪」を無視ないしは見ようとしない】
    日本の過去を擁護(美化)しようという涙ぐましい気持ちはわかるが、
    私への批判(攻撃)に使うのはみっともない。

  14. vagabond さんへ

    >日本にとって大事なことは先進諸国と同じ価値基準を持つことである。
    すなわち、憲法に盛られた「自由、人権、民主主義」という基本理念を諸外国と共有することによって信頼を勝ち得、平和で繁栄した生活を送ることができるのである。

    これは、「自由、人権、民主主義」というデマに洗脳された振りして生き延びていこう、そういう戦略ですね。

  15. いやはや^^vagabondさん、HP見させていただきました。
    昭和15年生まれ、高校の先生を退職し現在は御住職とのこと
    九条の会、部落解放、生活環境とご心情が分り今までの言説納得しました。
    お蔭様で「反面教師」とでも言いますか他諸氏の有意義な諸説を勉強させて頂きました。
    人の世って実に面白いと思った次第です。
    vagabondさん、どうぞ余生を心赴くまま健やかにお過ごし下さい。
    御健勝と御多幸を祈っております、有り難うございました。

  16. >皆様へ
    vagabondさんはこのブログに反論することが目的であると今までの投稿で判断できました。

    その反論も、論理の飛躍が多く見られ、真摯な議論のやり取りや、互いに認識の違ったことを勉強しなおすことなど、発展的なものではありませんでした。

    そこで、今後こちらのコメントに投稿されても反映しないこととしましたので、vagabondさんにご意見のある方は、直接あちらのサイトにお願いいたします。

  17.  去りゆかれた御老人には、御健康を祈り上げるほかには、何も申し上げることはない。然りながら、この御老人に引導ならぬ餞別の「一言」を進呈した身として、その「一言」について一言を申し添えたい。

     この直向きな御老人に「如何せんレベル違いすぎて~」と申し上げた。この「レベル」は「五十歩百歩にすぎない知識の広さ狭さ、多さ少なさ」のことではない。(それを論えば小生自身も投稿する資格を問われることとなる。)そうではなくて「事実を見据え、真実を考究する真摯さ、的確さ、緻密さ」のことであり、要するに「詰め」の確かさ(甘さ)のことなのである。 勿論、小生も高くはない。しかし、彼の御老人はそれが異様に低かった。事実認識が粗雑であり、考察や論理が恣意的、主観的であり、常に頑なに過ぎ、時に飛躍し過ぎたのである。

     御老人の最後の三連続コメントの冒頭の、次に掲げる一節などはその典型である。
    「西尾さんは60年安保の時代について触れている。
     それによると、当時の左翼革命シンパがつかった「政治的思考」という言葉と、現在の保守運動を信じている連中がいう「小異を捨て、大同につく」とは同じだというのである。
     冗談ではない。
     当時の(西尾さんのいう)左翼革命シンパ(というよりその本体)なるものはまさに西尾さんのいう「小さな意見の違いは決定的な違い」とばかりに離合集散を繰り返し、内部で殺し合いを演じていた。
     両者を一緒にするというのはどうかと思う。」

     冗談ではない。
     この御老人は「60年安保」と「70年安保」を混同して西尾先生に言い掛かりをつけているのである。
    「離合集散を繰り返し、内部で殺し合いを演じていた」のは、日共系の「民青」と反日共系の「三派」の左翼学生運動家達が互いに競い合い抗争し合った「70年安保」の出来事であり、全学連が一体となって闘争した「60年安保」とは「決定的に違う」のであり、無関係なのである。

     このような粗雑な事実認識と考察の飛躍や錯誤の事例は、この御老人の一連のコメントに枚挙に遑がないところである。
     この程度のレベルの論者が、当代屈指の思想家や現代一流の歴史学者の御論考の片言隻句を捉えては一知半解の我見を立て、得々として論難を繰り返す姿は何とも異様であり、傲慢無礼である以前に、非常識であり、不躾で無神経そのものであるように、小生の眼には映ったところである。
     これが甚だしく小生の癇に障るところとなり、堪忍袋の緒を切らし、この御老人に対し矯激な言葉を以て論難し、指弾を重ねた所以である。

     然はさりながら、御老齢の一投稿者に対する重ねての非礼、老婆親切心に溢れる慇懃穏和な常連投稿者の皆様に対し違和感や不快感をお与えしたことの責めは免れざるところ、謹んでお詫び申し上げるものである。

  18. 銀一さんがバガボンドの素性を紹介しました。彼が押す九条の会なるもの、ここに名を連ねている連中は、どれも化石人間ばかりではありませんか。最近 教育再生会議のメンバーになった落語家の奥さんもいます。共産党にシンパシーを抱いている曰くつきのオバサンです。バガボンドとは、いい歳越えて、こういう連中と同根、まだ夢から醒めないのです。
    戦争が終わり、60年を経過しても、いっこうに洗脳から時放たれないあわれな御仁です。私は正直「あわれ」としか言いようがありません。生まれてこの方、自国に対する愛情、愛惜の念を感じたことがないのですから・・・・

    60年安保と70年安保との違いも分からない。アメリカの「悪」もまるで見えない。アメリカの共産社会主義者が中核となった占領軍、そして、連合国代表の検事たち。そんな連中が主導した結果の東京裁判史観を玉条の如く奉る神経は、私にはとても理解不能です。お互いに因縁ありと雖も、頭の硬直した主人を奉る彼の家族もかわいそうですね。

    最近『暴かれた9.11疑惑の真相』(ベンジャミン・フルフォード、扶桑社)が発刊され、大変な売れ行きです。まさにアメリカの陰謀の恐ろしさを垣間見る思いがします。真珠湾攻撃に引き込まれたのも、この本の内容と似たような図式があるのと違いますか。先月フルフォード氏と外人記者クラブでお会いしました。アメリカを知り尽くしたお方でした。

    そういうアメリカと適度の「距離感」を持ち得ない元某国大使を、歴史教科書執筆の責任者にぎ上げようとする編集者は、皮肉にも扶桑社のスタッフ。なにかへんですね。

    =============

    管理人注:vagabondさんは九条の会を批判する立場だそうです。

  19. ん~~~

    もうここに反論する権利を失った人のことを、あれこれおっしゃるのはやめて欲しいです~~

    ご家族云々の発言も・・・・・。

  20. >皆様へ
    vagabondさんより抗議のメールが来ています。
    反論する機会を奪われているものに対して批判するとは卑怯であると言われています。私もそう思います。

    また、「九条の会」に対しては批判している立場であるのに、逆を言われては名誉棄損であるとも抗議されています。

    今後、vagabondさんに対する話題はお断りしますので、よろしくお願い申し上げます。

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