北朝鮮核問題(七)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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北朝鮮問題(続3):究極の「日本の課題」とは何か

 北朝鮮問題の一番の難しさは、その底知れない問題の深刻さを、余り理解していない、あるいは、ピンときていない日本人に、どう理解してもらうかと言う点にある。日本人ばかりではない。関係国も、日本の状況が他に比べ格段に危険状態にあることを、理解していない。

 その意味で、中川昭一自民党政調会長が、訪米時に、今の状態を1962年のキューバ危機になぞらえ、米要人の理解を求めたことは、極めて適切であった。だが実は、日本の今の事態の方が、はるかに危険で深刻なのである。 何故なら、あの時は、ミサイルも核もキューバに到着していなかったが、今回は既に、日本を狙うノドン200基以上が北朝鮮に配備され、核も刻一刻と増産されているからである。

 加えて、国家指導者は金正日という人物である。

 仄聞するところでは、あの時と同じキューバの指導者カストロ議長は、同じ社会主義国北朝鮮が13歳の中学生を誘拐、拉致したという話を始め信じなかったという。その後それが、真実と知り唖然としたそうである。あの時のカストロさえ信じられない非道を行う指導者が、核ミサイルの発射ボタンを支配している。だから、危険度はカストロに比較にならぬほど高い。

 そして、核ミサイル以上に深刻な、「拉致」の問題がある。キューバ危機のとき、拉致問題はなかった。それに、米国の強大な軍事力を考えれば、今の日本の状況の厳しさを、これと比較するのは所詮無理なのかもしれない。それだけではない。戦後の日本、日本人には、肝心の、気力が決定的に欠けており、規範意識は見る影もない。これが実は最も深刻な問題なのである。

 実は、アメリカも拉致事件で危機に見舞われた時期があった。だが、アメリカは、その危機を、国民の健全な規範意識と旺盛な気力、そして危機を乗り越えるにふさわしいリーダー選出で克服した。

<在イラン米大使館占拠、大使館員人質事件>

 アメリカの拉致事件は、1979 年、ホメイニ革命後のイランで起きた。同年11月、イランの過激派学生がテヘランのアメリカ大使館を占領し、大使館員全員を人質にしてしまったのである。

 当時、偶々ニューヨーク勤務時代で、郊外の町の住居から、マンハッタンへ、通勤列車で通う毎日であった。

 事件発生後、暫くした頃、日本の首相は、「アーウー首相」と揶揄された大平首相。当時の日本の石油備蓄は未だ不十分で、アメリカを支持すれば、イラン石油の輸入途絶による石油供給不足に陥る危険があった。その時「アーウー首相」がはっきりと、米国支持を表明したのである。翌朝、駅で、列車の同じボックスに同席するアメリカ人仲間全員が、「日本に石油を」の一面見出しの新聞を示しながら握手を求めてきたものである。

 人質事件発生以来、テレビのニュースは既に、毎回必ず、「今日で大使館員が人質になって何日目になります」との言葉から、その日のニュースを始める様になっていた。

 町の小学校に通う我が子によると、それまでの日課であった、国旗への敬礼と国歌斉唱の日課に、大使館員の無事帰国のお祈りが加えられたそうであった。

 特殊部隊による救出作戦が敢行されたが、砂嵐で失敗した。入院している重傷隊員を見舞ったカーター大統領は、「彼等が、もう一度やらせてくれ、と言った」と声を詰まらせ、涙を流した。事件は、膠着状態となった。

 事件が起きた翌年、1980年は、大統領選挙の年でもあり、最終段階では、民主党は現職のカーター大統領、共和党は、タカ派といわれるレーガン候補の一騎打ちになった。テレビに登場する、レーガン候補は、いつもリラックスした態度であった。タカ派との評判を問われると、首を少し右に傾けながら、「自分は当たり前のことを言っているだけなのに、何故そう言われるのか判らない」と、何時もと変わらぬ柔らかな口調で答えるのであった。選挙民の最大の焦点、大使館人質救出についても、具体的なことは言わず、ただ、「当たり前のことをする」と言っただけである。だが、それは、決意と確信に満ちた口調であった。

 日本のマスコミは現職のカーター有利を報じたが、米国民の反応は明らかに違った。毎朝の列車のボックス仲間との会話からそれが窺えた。果たして選挙結果は一つの州を除く全米総ての州での勝利という圧勝で、ロナルド・レーガンが大統領に選ばれた。TVは又も涙のカーター大統領を放映した。

 年が改まり、1981年1月、新大統領就任式の日が迫る、そんなある日、「イラン米大使館員全員の解放帰国」のニュースが伝わり全米は歓喜に包まれた。TVのニュース番組は、その日を限りに、「今日で大使館員が人質になって何日になります」との放送は終わった。学校の「お祈り」もその朝までだった。

 イランが何故、人質を解放したかは、よく判らなかった。

 ただ、ロナルド・レーガンは、「当たり前のことをする」即ち、「アメリカはこんな理不尽なことを放置してはおかない。あらゆる手段を行使して、それを排除するのだ」との決意を固めていたことは、選挙戦での彼の短い発言からも窺えた。米国民は、そんな決意のロナルド・レーガンに白紙委任状を与えた。イランは、この国民の白紙委任状を背景にした新大統領の就任前に、これ以上、人質をとり続ける危険を察知し、解放を決意したのであろう。

 ロナルド・レーガン、(その背後のアメリカ国民)は、特殊部隊の投入もなく、銃弾一発の発射もなく、就任前に、この難問を解決したのである。

 レーガン大統領の時代は米国復活の時代であるばかりでなく、米国による、東西冷戦勝利の時でもあった。(”冷戦終結”という言葉はギミックである)タカ派と非難された彼は、その非難とは正反対に、ここでも、一発の銃弾を発射することもなく、それを達成したのである。

<北朝鮮拉致事件:国家と国民は如何にあるべきか>

 当時日本は経済で、依然拡大期であり、米国を圧していた。然し、在イラン米大使館占拠・大使館員人質事件に見せた、アメリカの学校、マスコミの行動に象徴される、アメリカ国民の規範意識と気力には及ぶべくもなかった。その当時、もう北朝鮮による拉致事件は起きていたのである。日本の国家機関の一部はそれを察知していたという。然し、国家は動かなかった。国家が国民を守ると言う、最大の義務を怠る致命的な罪を犯していたのである。

(註:国がアベック失踪事件を北朝鮮による拉致と断定したのは、事件発生10年以上経過後の1988年3月梶山国家公安委員長の国会答弁が最初である。然し、政治もメディアも、国民も全く反応しなかった。拉致事件の総ては、検証され、総括されなければならない)

 横田めぐみさんが拉致されたのは、1977年11月15日、今年で29年になる。

 日本では、TVが、ニュースの前に、「横田めぐみさんが、拉致されて今日で何日になります」と全国民に継続放映することは、一度たりともなかった。学校も同じである。学校は、”こと”が起こるたびに「人の命を大切にする教育を心がける」と、言い訳をする。だが、日本全国何千何万の学校で、唯の一つとして、毎日「横田めぐみさん、他、拉致された日本人拉致被害者の一日も早い帰国」の祈願を、児童、生徒に指導する学校は存在しない。そんな状態の学校が「人の命を大切にする教育」の言辞を弄する。空々しさもここにきわまる。

 文部科学省は、最も重要な教育を忘れている。各地方の教育委員会は、どうなっているのか。

 カナダ人夫妻が横田めぐみさんの拉致事件のドキュメンタリー映画を作製し、評判になっている。文部科学省は、一方、映画の芸術作品には、文部大臣賞を与えている。文部大臣賞の前に、すべきことがあるではないか。それは、「人の命、人権、自由の大切さ」を教え、「それを蹂躙する、日本人拉致が行われている現実」を、総ての児童生徒に教え、「同胞の帰国を祈願させる」教育。それを通じ、「国と国民のあり方」を教えることではないだろうか。それは本来、文部行政の中核に据えられるべきものであろう。

 とりあえず、カナダ人夫妻の作ったドキュメンタリー映画を全国の児童、生徒全員に鑑賞させるべきである。このまま何もしなければ、国家機関(今回は文部科学省)は、二度目の不作為を犯すことになる。
国家は国民を守り、国民はその国家を支える。それがなければ国は滅びる。そんな当たり前のことを、教えないで、「人の命の大切さ」をどうやって守ろうというのか。拉致事件こそ、最も重要な教育材料ではないか。

<イラン人質事件のアメリカと戦後日本>

 ところで、先のイラン米大使館人質事件でのアメリカの学校、メディアの行動、国民の行動、指導者は、今の日本人にどう映るでのあろうか。多分、かなりの人は、否定的あるいは違和感を覚えるのではないだろうか。

 それは何故なのだろうか。

 実はこれら、アメリカ国民の行動の源泉、国民の規範意識の中身は、その殆んど総てが、戦前の日本に、違和感なしに存在していたのである。それが戦後、占領軍(アメリカ)により、「戦前日本の悪しき軍国主義に連なるもの」として、否定され、日本と日本国民から、奪われた。占領軍は、日本人インテリ、学者などを使い、戦前の規範の否定を、言論出版、教育を通じ、刷り込み、刷り込まれた世代は次の世代へと、子々孫々にまで浸透するメカニズムを埋め込んだのである。その60年後が、今日の日本の姿である。今日、日本人がアメリカ人の規範意識に感ずる違和感は、この60年に亘る「規範否定」の刷り込みによるものなのである。

 それは、一種”洗脳”の究極の形なのかもしれない。

 一方、占領軍が、「悪し戦前の軍国主義に連なる」と断じた、同じものは、アメリカ本国に根付き、育っていたのである。それがイラン米大使館人質事件の際に発揮されたのであり、日本人の私の目に鮮明に映ったのである。

 占領軍は日本が、自分達アメリカと同じような国であることを、許さなかった、それが占領政策本当の基本政策だった。今日の日米の差はそこに求められる。何故彼等はそうしたか。当然であろう。日本の脅威を再現させないためである。

 尚、今日、米国では、占領時代の自らのこの政策についての言及は殆んどない。

 米国国民は、(多くの日本人同様)戦後のアメリカの日本占領を”日本の民主結実”の美しい「成功モデル、ストーリー、」と信じている。この点が、日米間には、事実についての大きな認識ギャップが生まれる素地がある。この問題は重要であり、日本は飽くまで、客観的な研究を進め、そのベースに立ち、主張し、米国の理解を得る努力を払う必要がある。

 何故ならば、それを通じて、今日、自らの善意と正義を信じる余り、犯しがちな、思い込みと独善の過ちからアメリカを解き、世界に絶えることの無いアメリカ、アメリカ人に対する敵意の原因が奈辺にあるかを、彼等に示唆することになるからである。

 イラクでの苦戦も、この占領政策の研究が十分行われていれば、避けられたかもしれないのである。勿論、日本に対して行ったような、他国民の規範(日本のそれは、米国のものと殆んど同じだったのであるが)を破壊することなど許されるべきことではない。

 話を元に戻したい。今日、日本が、拉致、核の北朝鮮危機に見舞われていることも、偶然ではない。それは、日本が、占領政策の呪縛に捕らわれていたことに起因している。過去の出来事を一つ一つ検証すれば、証明されよう。

 北朝鮮問題の克服、は占領政策との完全な訣別から始まる。

 それは学校教育から始められるべきである。カナダ人夫妻の映画の全児童生徒の鑑賞から始まる。
政府は逃げてはならない。国が国民を放置すれば、、国民は国を支えなくなり、国は滅びる。

(註:戦後、占領政策のお先棒を担いだ、学者、インテリは、占領軍に従い、「アメリカでは」を口実にそれまでの日本の教育を総て、「軍国主義に連なる教育」として、否定し、その正反対をあたかも先進国の教育であるかのように教えた。然し、それが全くの嘘であった。このことは、個人的乍ら、十数年の北米生活からの結論である。

 当然であろう。戦前の日本の教育は、明治維新以降、欧米先進国をモデルとし、営々と作り上げてきたものである。本来、モデルである欧米のものとそれほど差があるわけはないのである。そんな占領政策が何故可能であったのかの理由は、テーマから余りに外れるのでここでは、省略したい)

「北朝鮮核問題(七)」への11件のフィードバック

  1. 足立誠之 さま

    とても分かりやすく戦後60年を過ごした、現在の日本人像をお示しくださいました。
    米国に対してのこれからの日本の付き合い方、そして日本人の規範意識の取り戻し方を説かれる足立さんになにか温かい情を感じました。
    本当にありがたく拝読いたしました。

    クラスで、学校で、先生と一緒に「めぐみちゃんの映画」を見て欲しいと私も思います。
    親子で見たらもっといい。

    「当たり前のことをやる」この言葉は素晴らしい言葉です。
    「当たり前のことをやる」こんな力強い言葉は他にない。
    国が違っても分かり合える事柄があるのです。
    だから、電車の中で足立さんに握手を求め、「日本に石油を!」と新聞が、(米国民が)言ったのです。

    『それは学校教育から始められるべきである。カナダ人夫妻の映画の全児童生徒の鑑賞から始まる。政府は逃げてはならない。国が国民を放置すれば、国民は国を支えなくなり、国は滅びる』

    足立さんありがとう。この言葉を皆で安倍総理に伝えましょう。

    私は、拉致の文章に触れるたび、涙があふれ、こらえきれなくなります。
    豊かな日本、日本人よ、あんたどこへ行きたいのよ!!
    口を開けば、こんなに豊かな日本人が、食べられる日本人が、明日の不安ばかりをいう。
    そうだろうよ。不安だろうよ。家族の、社会の、国家の、元の元となる愛情を持たない国民は。ミサイルも恐いし・・・。

    色んな事情もある? どんな事情だよ? 事情を持つやつの事情だろ!!

    取り戻せ! 取り返せ! 奪還せよ!

    私達と同じ日本人を! 

    NHKが、なんだって? 放送協会がなんだって?
    日本全国民の切望!をなんだって? 報道の自由があるって?
    全国民の気持ちを汲めないのは公共放送から、降りなさい。
    超党派で拉致問題を取り組むといった政治家は、NHKに放送せよと、言ってほしい。
    選挙の前だけ、「拉致被害者家族と一緒に写真を撮りたがった政治家は誰だ?」

    政治家の仕事。
    一つ 奪われた日本人を取り戻すこと
    二つ 奪われた日本人を取り戻すこと。
    三つ 奪われた日本人を取り戻すこと。

    国民を取り戻せない国を誰が信頼しよう? どうして愛せよう? 

    国民に「気概、礼節」がないって?

    そりゃ、そうだろうよ。

    何が何でも、父のように、母のように、一日たりとも忘れずに・・・闘ってくれる政治家がいる? 
    西村眞吾氏と中川昭一氏のお二人がいる。
    米国の大統領に頼みに行き、カナダ人の夫婦が「めぐみちゃんの」映画を作ってくれた。

    日本人は? 何をしてきたの?

    豊かな、食べられる国民、日本人は何をしてきたの?

    平成14年(2002年)9月拉致問題のニュースが、全世界を覆った時、息子の学校の父兄の言葉。「主人(仏人)は、仏国だったら、軍隊を出して、取り戻すよ!って言っていたわ」を聞いて、本当に羨ましかった! あぁ、何で日本国はだらしないのか? と歯がゆい気持で一杯でした。

    米国人も仏国人も、人間の生きる方向、人間臭さ、においては健康的です。
    一人日本人だけが不健康です。

    「バカ言ううんじゃないよ! 取られたら、取り戻すんだよ! 日本人を返すまでは、何もやらん!」

    これが健康的な言葉でなくてなんだろう!

    きょう、日本文化チャンネル 桜 で
    「第5回国民集会2003年5月7日」の拉致の映像を見た。会場の割れんばかりの拍手に、日本を信じたいと思った。だから国会議員の人たちの言葉も信じたいと思った。安倍さんの言葉も勿論。そして超党派の議員たちも壇上に胸を張って(私にはそう見えた)並んでいた。

    「5.28今年中に拉致被害者全員救出を 国民大集会」の映像も良かった。
    若い若いお母さんお父さんとめぐみちゃんと双子の弟さん。「♪~母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~」の歌が流れる中、幸せ一杯の若い横田さんの家族5人の写真が映し出され、歌がまたつづく・・・「♪~おまえも頑張れよ ふるさとの冬はさみしい せめてラジオ聞かせたい~♪」

    さいごにポスターが映し出される。そこには北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」放送中と、そして次の言葉も書いてある。
    『待っている。ずっと心の底にしまい続けたこの想いを ひとことだけでもいい、あなたに伝えたい。 私達は日本人として 金正日と北朝鮮に要求します。日本人を返せ 家族を返せ 子供を返せ すべての拉致被害者を今すぐ返せ』と。

    「私達日本人は同胞のあなた達を忘れていない」というメッセージを放送することに何故日本の放送局は偉そうに屁理屈を言ってゴネルのか? 
    私には理解できない。
    「日本文化チャンネル桜」 に出来て、「公共放送のNHK」に出来ないわけがあるのでしょう。
    きっと事情があるのでしょう。

    めぐみちゃん、私達は忘れてないよ。
    お金を貰った国会議員のおじさん、おばさんは一緒に叫んでくれないよ。
    だから、お金を貰わなかった国会議員のおじさん、おばさんとお母さんお父さんとともに助けてあげるからね。

    もう、恐くない。
    核ミサイル?
    飛ばせるものなら飛ばしてみな!
    金正日よあんたも終わるのよ。
    返すまで叫び続けてやる!
    日本人を返せ!

  2. テレビニュース。

    「うん? 何だこの事件は?」と、もう一度みたいなぁ、と思っても仏国ではなかなかリピートしてくれないことがほとんどである。

    仏人は言葉の、行動の、一つ一つに「何故これを言うか、するか、といえば・・・」と、まぁ理屈というか、理由を語りだしたら止まらない・・・。
    一時私は、心理学的に言うと・・・彼のあの言葉は何を意味するのか? とか・・・
    心理学的に・心理学的にと朝から晩まで・・・。頭が変になりそうになった。

    そんな彼等だから、PROVOQERさせるようなニュースは繰り返し絶対に見せない。
    この仏語PROVOQERの、辞書の訳は: ①(人を~するように)挑発する、そそのかす、扇動する ②(人)を怒らせる、挑発する ③引き起こす、(の)原因になる、もたらす。 とある。

    まず、日本のワイドショー的な取り上げ方をしない。
    神戸の生首事件の時丁度日本にいて、お昼に入ったラーメン屋、夜はニュースでと一日中テレビが垂れ流していたのを見た。こんなことは仏国のテレビではあり得ない。

    10歳以下、12歳以下、16歳以下 禁止のマークがテレビ画面の右下に出る。
    テレビ局は大人と子供の時間帯をきちんと使い分けている。
    子供に、社会に、悪影響を及ぼす可能性のある事柄を挑発させるような事柄に対し大人は毅然と戦っている。

    未成年者に対しては、大人が責任を問われる。「単なる言葉の上だけの責任で謝れば終わり」でなく本当に責任を問われるのである。大人と子供はきっぱり違うという意識が大人にはある。

    いま日本で、中学・高校生徒の、校長先生の自殺が、連鎖反応的に起きている。
    きっとテレビのワイドショウで朝から晩まで垂れ流しているのだろうと想像している。

    日本の心理学者は何故、毅然として意見を言わないのだろう。この垂れ流しのような画面が自殺を挑発・扇動しているぞ!と。何故テレビ局と闘わないのだろう。それとも心理学者はこのままのほうがお客(患者)が増えるからそっとしておきたいのか。日本で見たテレビで弁護士が4人ほど出ている番組を見た。私ならこんなテレビに出るような人品卑しい弁護士はご免こうむりたいと思った。のごとくの番組が多すぎるのではないか。

    大人は子供の為に戦わないのか? マスコミが恐いのか?
    テレビがマスコミが、「お前が悪い」と攻め立てる。
    彼等は、じっと見ていて「よし今だ、OK, イケー!」と、攻め立ててもよしという雰囲気になった時を見計らって責任者を責めるのだろう。弱い者いじめの典型。

    昔、マスコミ自身が今太閤と誉めそやした人物を、「やってよし!」の時期が来たら、その人物を叩きまくった。

    あぁ、恐ろしや、恐ろしや、マスコミ様のお通りだ。

    テレビ局、新聞社に働く人は、「信頼する関係」なんてとっくに失った人達なんだろう。
    「おまえが悪い、あんたが悪い」としか言えない人達。

    「テレビの画面から自殺関係のニュースを毎日垂れ流すのをやめよう。子供の命を救う為に」
    とテレビ局と闘ってくれる心理学者はいないのか? 貴方達はそれで飯を食うとるのでしょう?
    プロのプライドはお持ちでないのか?

    全てのことを見て見ぬ振り。国は何もしなかった。
    拉致問題然り、一番楽しいはずの中学高校時代を地獄にした。
    日本国はソドムの町となったのか?

    まだ間に合うよね。ね。
    我らの若い安倍総理に「白紙委任状」を託しましょう・・・か。
    「一緒に闘います」と言う言葉を裏に書いた白紙委任状を。

  3. >今日、日本が、拉致、核の北朝鮮危機に見舞われていることも、偶然ではない。それは、日本が、占領政策の呪縛に捕らわれていたことに起因している。過去の出来事を一つ一つ検証すれば、証明されよう。
    >北朝鮮問題の克服、は占領政策との完全な訣別から始まる。
    >それは学校教育から始められるべきである。

    拉致に関しては、こんなノンビリしたこと言ってられない。
    日本国内の協力者(自民党有力者、朝鮮総連等)を追求することが早期解決に導く。
    これは、カネとオンナで篭絡されているのだから、そうと分かれば方法は幾らでもある。

    拉致問題については、カネとオンナに触れない投稿・コメントがあると、いつもこんなレスをするので悪しからず。

  4. 忘れていたもの

    その女 ソルベさんの、いつもながらの心情溢れるコメントに触発されて、読み流していた足立さんの投稿をちょっと遡って読ませていただいた。

    カナダ在住の有識者の目で確かめられた見識とフランス在住の女性による真情の吐露。両者の呼応によって、あらためて、忘れていた日本人のあるべき姿と一番大切にしなければならないものを思い起こさせてもらった。

    政治や外交や理屈のほうが重要で、拉致被害家族の悲痛な訴えのような、人間として、日本人としての原点の叫びを、日本国内では、色眼鏡無しでは受け取れなくなってしまったのだろうか。日本全体が本質を見失い、今日、明日の我が身の生活にだけ関心のある人々によって溢れているかのようだ。

    人の危惧より身の安全、火中の栗は拾わず、無事これ第一、公より個、義務より権利、真実より損得、気概より安逸、真情より理屈、使命より自由、信念より有利不利・・・・日本を覆っている風潮はまるでこんな感じだ。日本を離れている方々のほうが、風潮の毒に犯されない分まともなのだろうか。

    放送命令は報道の自由を侵すと心底思うならば、自らの立場を生かし、言われる前に、率先して国民の利益のために尽くす工夫をしたら如何か。核武装が問題と思ったら、核武装をせずに、現実の平和の危機に対処する方法を逃げずに論議したら如何か。教育が大切だと思ったら、意見の会わない者同士が結託して審議拒否するより、一刻も早く、よりましな法案を成立させる努力をしたら如何か。毅然とした教育現場になると、自分たちの支持勢力に都合が悪いと思っているとしか見えない。

    たまたまの、当時の政治状況のせいで、左翼政党やマスコミが、拉致問題への認識を誤ったとしても、それを認め、解決のために奔走するならば、国民の多くは高く評価するだろう。しかし、こうした問題すら、思想運動や政争の具として使い分け、自国の歴史の、真実の検証さえ自己都合で封印させ、他国に阿る風潮の中では、青少年に日本人としての気概を持てと言っても、子供たち自身が承知してくれないだろう。

    一つぐらい、現実的な問題で、日本人が気持ちと国論を一致させ、力を合わせ、声を合わせて世界に訴えてみたらどうか。きっと、観念的な平和論やバラバラの核武装論議より威力があると思う。いつまでも、占領政策の後遺症という弁解だけでは通らない時代であると思いたい。

  5. 本記事とはあまり関係ないことかもしれませんが、一つ個人的な意見をお耳に入れたいと思います。

    政界は右も左も外患誘致や民間人からの搾取に血道をあげる人物ばかりなのかと、普段から疑問に思っていたのですが、その元凶が凄まじく高い供託金にあるという結論に達しました。

    一般国民は供託金に阻まれて被選挙権を行使する事ができず、結局既存政党の誰かしか選べないという状況が出来てしまい、全ての既存政党に絶望している国民が棄権するしかなくなってしまいました。

    ここで組織票というものが出てきます。
    組織票は投票率が低いほどその力を増します。
    国民が既存政党に絶望し、誰にも投票できないという状況は、まさに組織票が最もその力を振るうことができる土壌だったのです。
    こうして強力な組織票が国政に強い影響力を持つ、というのが今の日本の政界だと思います。
    そしてその強力な組織票とは、公明党の創価学会であったり民主党の日教組であったりと、ほとんどが碌な連中じゃありません。
    そのような人達が強力な組織票として国政に大きな影響を与えているために、日本の政治はドンドンおかしな方向に暴走していってしまうのです。
    そしておかしな方向に暴走した政治は更なる絶望を呼び、投票率を引き下げてしまいます。

    この負の連鎖を断ち切るためには供託金を何とかして引き下げる必要があると考え、このような物を提案してみたいと思います。

    【だから】供託金値下げ交渉off【高いっての】
    ttp://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1163767382/l50

    どうでしょうか、供託金を何とかして引き下げ、国民が被選挙権を行使できるようにするというのは?
    勿論権力者達がそう簡単に応じるとは思いませんが、言論界で騒ぎにしてしまえばそうそう無視は出来なくなると思うんですが、賛同していただけますでしょうか?

    それでは、失礼しました。

  6.  訂正です。

     「めぐみ」の制作者は、アメリカ人ではなくカナダ人でした。

    (公開されたのがアメリカだったのですね、早合点していました)←ソルベさんの書き込みを見て気が付きました(^^ゞ

  7. 私たちは戦後一貫して、国家に対し信頼することを、全くと言ってよいほど教えられてきませんでした。その代わりに、国家に対する不信感は植え付けられてきました。全面的に国家を信頼しろ、などとは言いません。せめて少しは信頼したらいかが、と言いたいのです。拉致問題が一向に解決しないのは、その根底に私たちの国家に対する信頼感の無さも、背景にあるよう思えます。もちろん、これまでの政府の不手際・不作為について、批判しないのではありません。批判はします。なぜなら批判とは、信頼しているからこそするのです。そうでない批判は無意味です(ただの罵詈雑言でしかありません)。中川昭一氏の発言に対する与野党の過剰反応は、信頼の欠如であると言えなくもないでしょう(唯一、信頼し公表しているは麻生太郎氏だけです)。

    まずは日本という国を信頼することからはじめてみてはどうかと、そう私は言いたいです(もちろん、信頼する根拠とは無根拠です)。それで何事も上手くいく保証はありませんし、信じたところでどうにかなるものでもないのは分かりきったことですが、信頼することである種の安心感を政府に与えはするでしょう。そして信頼に基づいて批判をする。些か理想主義的ではありますが、信じることを前提とした国民の国家に対する手綱さばきが、これからの日本の課題ではないかと、そう思われます。本来なら、これは民主主義国家では当たり前のことなのですけどね。

  8. > 田舎のダンディ さん
    私の拙いコメントにご感想を頂き、ありがとうございました。
    うれしかったです。

    自分の息子が拉致されていなくなったら、私はどうやって毎日を過ごせばいいか・・・
    日本海で、北朝鮮に向かって石を投げて「○○ちゃんを返せ! ○○ちゃんを返せ!」と叫ぶ毎日かもしれません。
    人ごととは思えないのです。

    『学校の日本人の父兄に話して「めぐみちゃんの映画を見よう」と話を持っていけないかしら・・・』と「めぐみ」ちゃんの映画のことを友人と電話で話していたら、友人が『ソルベさん、「北朝鮮 拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」のヴィデオを以前周りの人たちに回したりしていました。ソルベさんに回しましたっけ?』

    まだ見ていなかった私は、早速その夜彼女に借りて見ました。

    「テレビ東京」は、立派な会社です。
    拉致に対する怒りを、ドキュメントを作るという「行動」で示してくれました。
    「テレビ東京」にはマスコミとしての使命を持つ人たちが沢山働いているのでしょう。
    「テレビ東京」のトップがしっかりしているのでしょう。
    トップがしっかりしている会社で働く人たちは幸せです。

    一人でいいのです。一人しっかりした人がいてくれれば・・・。
    皆ついて行くのです。
    家庭でお父さんが(お母さんでもいい)【頑】としてしっかりしていてくれれば、その家庭は幸せなのです。

    以前この日録で「西尾信者」と言う言葉を見ました。
    この言葉を書く人は、信じるものを持たず(要するに自分自身も信じられず)ゆえのやきもち人間、私はそんな人間を軽蔑します。

    「一人、しっかりした人」について行くうち、お互いに成長できるのです。

    信じた人に裏切られた時は、あきらめましょう。
    「自分に見る目がなかった」と。

    NHKのトップの人も「一人、しっかりした人」と国民から信頼を受ける人が就くことが出来ないのでしょうか?

    公共放送が「私達日本人はあなた達を忘れていないよ」というメッセージをどうして放送できないのだろう。

    「公共」という意味は? 何なのだろう?

    かあさんは 夜なべをして 手袋編んでくれた ♪
    木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
    せっせと編んだだよ 
    故郷の便りは 届く 
    いろりの匂いがした ♪

    かあさんは 麻糸つむぐ 一日つむぐ ♪
    おとうは土間で 藁打ち仕事
    おまえも がんばれよ
    故郷の冬は さみしい
    せめて ラジオ聞かせたい ♪

    せめて ラジオ聞かせたい ♪

    NHKよ聞いておくれ 【 せめて ラジオ 聞かせたい! 】
    貴方と 貴女と 同じ日本人なのです
    NHK に働く人よ 【 せめて ラジオ 聞かせたい! 】

  9. 今日めぐみさんの映画を見に行ってきました。冒頭の「朝いってらしャいと送り出して・・・・」のシーンから涙涙でした。あの日から横田一家は、時が止まってしまった。それから30年、まだめぐみちゃんは帰ってこない。
    この映画は家族の、人権の、映画だ。と思いました。
    もっと政治イデオロギーの濃い内容かなと見る前は思い
    ましたが、内容はとってもシンプルです。ただ取り返したい。早く返してほしい。終わってからの帰り道横田一家のことを思うと胸が詰まって泣いてしまいました。
    上のコメントにも書いてありましたが、学校の授業の一環として児童、生徒に見てもらいたい、と思いました。政治イデオロギーなど無視です。だってそれより家族、人権、あなたがいなくなればこんなに悲しむ人がいるよ、とゆうメッセージがこめられているんだもの、学校で人権教育をさけんでいますが、これ以上の教材はありません。私の子供の夏休みの作文で人権をテーマにした宿題がでました。娘は悩みましたが、「じゃあ13歳で知らない国に誘拐された横田めぐみちゃんのことを書けば」とアドバイスしました。娘は小3なので少し難しかったらしく
    結局人権作文は書きませんでしたが、私は娘にこうも言いました「人権についてママはあまり深く考えたことはない、しかし横田めぐみちゃんのことは人権問題として深く考えている。この問題以外のことで書きたいのなら自分でテーマを考えなさい。思い浮かばなかったら書かなくていい、作文提出しなくて先生に何か言われたらママに言いなさい。その時は先生に文句のひとつでも言うから」
    幸い人権作文は自由課題だったので、先生に怒られなっかったのですが。・・・・
    めぐみさんの映画はすばらしかった。多くの人に見てほしい、そして拉致された人全員が無事帰国してほしい。金正日さん、拉致した人を全員返してくれれば、経済援助しますよ。

  10. >ひとりの母さん
    映画、ご覧になったのですね。
    ごく普通の生活が、きちんと守れる国が、いちばん素晴らしい国ですね。

    母親はただただ、娘を待つばかり。

    拉致問題は政治ではないといいながら、政治の道具にされてしまっています。それに、人権というよりも、国の主権という問題に関わっているのですよね。

    拉致問題は、平和だとばかり信じていた普通の日本の母親(ひとりの母さんや、私のように)が、念じるだけでは平和は守れないということを教えてくれました。

    六カ国協議で核問題と同じように、他の国が拉致について日本を支援してくれるとよいのですが・・・・。横田めぐみちゃん他、拉致された全員が一日も早く、日本に帰ってこられますように。

  11.           ノーベル賞学者と核論議
    知識人(インテリ)と言われる方々は現状が見えずに理想論に走る場合がある。 中立論を述べれば賢明になれるとでも思っているのか、砂上の核廃絶論を得々と述べている論中に偽善に満ちた無責任的負け犬根性が潜んでいる事に気がつかないらしい。 もし有事と平時の区別がつきながら、アメリカの核の傘の中で核廃絶を叫ぶことが国民の暮らしと安全を犠牲にした卑怯な理想論である事を知りつつ言っているなら、売国的犯罪であり国賊の極みである。 誰も核武装などしたくはない、しかし国家と国民そして世界の現実を考えると無責任的非核反日売国平和拝金理想主義に組する事は出来ない。 非核三原則を叫んでいる自称平和主義者にはライオンや虎を入れてある柵の中に丸腰で入って体験して頂ければ解って貰えるのだが・・・。 彼等は日本をそんな立場に追い込んで左傾亡国の道に案内している事に国民が気付かないと思っているらしい。 茲は暫らく面舵(右)に切り返し、国体基盤を構築し当たり前の国として安定した後に中立論を述べ平和を叫ばれる事をお薦めしたい。 世間知らずのノーベル賞学者を利用した売国N放送等に踊らされていると破綻亡国の道を突進するだけだ。 原爆投下の自責の念に耐えかねて(=日本懐柔の為?日本も原爆を作り使ったかもしれないから同罪なのだよ?)の日本人へのノーベル賞授与と言う面があったとも思われる。 亦、ノーベル賞に潜在する目的にも考慮すべきであり、今後核を持つ懸念のある国に対して核を封じる為の「核封殺平和ボケ賞」の意味もあったと思われる(=沖縄返還・非核三原則・米軍基地・日米安保・・等に対してノーベル平和賞)(ノーベル賞とは違うが韓国の国連事務総長就任に対するアメリカの深慮とダブルスタンダード)。 科学者は核装備において平時には燃料として、有事には核弾頭として転用可能なシステムを構築すると共に核を越えた通常兵器(核弾頭発射点逆誘導衛星・・・)を開発して国民を守る事に貢献するべきだ。 核廃絶を叫んでいれば平和が訪れる等と努々勘違いしてはならない。 日本の周りは泥棒侵略国家だらけだ。 北方領土、竹島、対馬、沖縄、尖閣諸島、そして本土が実質的亦経済的精神的に侵略されかかっている。 これだけ馬鹿にされ侮られて亡国の危機に瀕している精神的危篤状態の日本の中で、未だ反日周辺国に宥和政策を叫ぶ国賊理想論者達と運命を共にする必要は無いと思います。  

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