会員から見た「つくる会」の今

石原隆夫
「つくる会」東京支部副支部長、1級建築士・設計事務所主宰

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 「新しい歴史教科書をつくる会」に再び暗雲が漂い始めたと知ったのは9月末の西尾日録に依ってでした。扶桑社が「つくる会」意向とは無関係に執筆者を一本釣りして新しい教科書を作り、代表執筆者に岡崎氏を据えるという情報でした。

  その後「つくる会」東京支部が独自に情報収集を重ねて判ったことは、あろうことか、自身の不行跡で「つくる会」の信用を地におとしめた八木氏の教育再生機構と「つくる会」を、扶桑社を中心に一本化して教科書を作る企みが進められていると言う事でした。その準備会議を三者協議と呼び、そこに「つくる会」の小林会長が一人だけ参加し、理事会はつんぼ桟敷に置かれているという状況です。

  9月27日に我々は会長宛に情報開示と三者協議の無効性を訴える要望書を出しましたが、何度かの催促でやっと10月24日に会長との会談が実現したのです。

 会談で判ったことは、三者協議とは「つくる会」の主体性を全く欠き、扶桑社の意図するシナリオに乗った会長の姿でした。我々は更に三者協議に加わる意図と理由を問い質していますが、未だに会長からは誠意ある回答を頂いていません。

 その様な経過の中で、今まで曖昧であった点について扶桑社が明確に意思表示をしてきたのです。

 11月21日の三者協議とやらで、扶桑社の片桐社長が「つくる会」の小林会長と教育再生機構の八木氏に申し渡したのは以下の三点でした。
 これを知って、10年の長きに亘って共に教科書作りで協力し合ってきただけに、扶桑社の変節と傲岸不遜な物言いに、怒りと共に裏切られた思いに駆られました。

①組織の一本化。
②藤岡と八木は教科書執筆者から降りること。
③教科書編集権は扶桑社にあり、それには執筆者選択権も含まれる。

 ①の組織の一本化は「小林会長と会談して判ったこと」の2番に記したように、岡崎氏の提案によるものであり、三者協議のもともとの目的であるからいわばだめ押しの発言でしょう。②も「小林会長と会談して判ったこと」にも記しているように(14番)以前から八木氏は執筆者から降りても良いと言っており、それに対して小林会長は八木氏が降りて藤岡氏が残るわけにはいかないと考える、などと我々に話していたのですから、これも三者協議で何度か話題に出て瀬踏みしたものを最終通告として出してきたものでしょう。その証拠に八木氏はその場で「降りる」と表明したそうで、いわば出来レースと言えます。八木氏が降りれば「つくる会」の宥和派や八木派の会員から、当然藤岡氏も降りるべきだと言う声が澎湃として起こるだろうとの読みでしょう。

 問題は③です。この主張が通るならば、②は蛇足であり、言わずもがなの主張です。仮に扶桑社が編集権と執筆者選択権を持った場合、扶桑社の編集者と歴史観で常にやり合ってきた代表執筆者の藤岡氏を外し、西尾氏を執筆者から外すと共に彼の執筆分をも削除し、全てを換骨奪胎して「新しい歴史教科書」とは似ても似つかぬ教科書にしてしまうことも容易に出来る権限を持つ事になります。

 そんなことはあり得ない、八木氏が黙っていない、と仰る人が出てきそうですが
八木氏は扶桑社から「引っ込め!」と言われて「YES」と答えている人ですし、前回の「つくる会」の騒動で彼が取った犯罪的な行動は左翼にとっては格好の攻撃材料となりますから、八木氏が教科書作成に係わることは難しいのではないでしょうか。その上、今の「新しい歴史教科書」は、彼が「つくる会」の会長だったときに出来たものであり、それを否定して「朝日新聞に批判されない教科書作り」などと無責任な事を平気で言う人の教科書では採択が不利になるのは目に見えています。

 「教育基本法」の改正で文科省の検定基準が変わる為、歴史教科書の書き換えに他社は躍起になっているようですが、私たちの「新しい歴史教科書」はその点、殆ど書き換える必要が無く、無用な経費を掛けなくとも良いと言う意味で企業的には有利な教科書なのです。もし経費を掛けても更に自尊史観を高める書き換えが必要と考えるならば、扶桑社は率先して「つくる会」に要請し、今までの「つくる会」+「扶桑社」の体制で改訂版を作ればよい筈です。

 しかし藤岡氏や西尾氏を外す企みから見えてくるのは、それによって相当な書き換えが必要となるのですから、少なくとも経費は問題にしていないと言えます。
そうならば扶桑社の考える教科書とは、今の教科書でもなく、更に自尊史観を高める教科書でもないとすれば、考えられるのは近隣諸国に配慮した教科書作りではないかと思わざるを得ません。

 その鍵を握っているのはフジ産経グループと岡崎氏ではないでしょうか。
そもそも、三者協議なるものは岡崎氏の一本化構想から始まっています。
岡崎氏は西尾氏の日米関係の部分をリライトしてより親米色を強めました。
西尾氏のリライトをしたことで「新しい歴史教科書」での存在感は一挙に高まりました。その岡崎氏は元外交官であり親米派であることはご承知の通りです。
彼が外交官のセンスで次期米政権を予測するのは容易だったでしょうし、日本に厳しい民主党のアメリカとは歴史問題では日米、日中間についてより慎重でなければならないと考えても不思議ではありません。彼が今夏、産経新聞の「正論」で主張し、その結果靖國神社遊就館の歴史観を書き換えさせたのもその一環です。
 
 もう一方のフジ産経グループの産経新聞ですが、「つくる会」発足時より会をバックアップしてくれ、会の発展に貢献してくれた事は誰も否定出来ません。
しかしながら昨年の採択後から今年の春に掛けて、「つくる会」を襲った八木氏を震源とする騒動に於いては、ご承知のように産経新聞は悉く反「つくる会」の立場でした。新聞記者の渡辺氏が自ら関与したと藤岡氏に告白した怪メールやFAX騒動は、記者としてあるまじき行為であり、珊瑚事件の朝日新聞記者よりもある意味その犯罪性については罪が重いと言わざるを得ません。産経新聞は当然渡辺記者の処分を行い、少なくとも「つくる会」関係者に対してはそれを公表すべきでしたが、未だにその様な事は耳にしていません。
 
 理事会には観光旅行に行くと騙し、産経新聞は中国社会科学院に歴史認識の討論の為に八木氏を連れて行きましたが、その行動は我々には唐突に写りました。
「つくる会」と「新しい歴史教科書」をあれほど敵視していた中国と「つくる会」が何らかの接触を持つならば、当然理事会や総会の決議を経て然るべき準備をして臨むべきでしょうが、一切の手続きを省いたあの行動は、「つくる会」会員のみならず心ある国民にとっても、事が歴史認識に関する以上は重大な裏切りといえます。

 「つくる会」の運動が歴史認識で日本を批判する中韓には刺激的である事は、「従軍慰安婦」の虚妄を排するために立ち上がった私たちが望んだ結果であり、それを回避するならば「つくる会」と「新しい歴史教科書」の存在意義はありません。何故、唐突にフジ産経グループは当時の八木会長を敵対する中国に差し向け、中国と宥和を計ろうとしたのか大きな疑問でしたが、去る7月半ばに産経新聞が上海支局を開設したという記事を読んで合点しました。

 産経新聞はご承知の通り中国に関しては批判的な立場を守る孤高の存在でしたから、中国にとっては煩わしいメディアでした。その産経新聞が上海支局開設を願い出れば、お人好しの日本とは異なり、宥和を条件にやんわりと色々な難問を突きつけたことは想像に難くありません。「つくる会」の支援に疑問を呈し、「新しい歴史教科書」の内容を融和的なものに替えるように圧力を掛けたと考えられます。
関係者の話では支局開設までに1年余り掛かったとのことですからその間の緊迫した折衝は大変なものだったと思いますが、八木氏による社会科学院との唐突な接触は、その圧力の手始めだったと考えられます。その後中国のネットでは「つくる会」が中国に遂に降参した、と流れたようです。

 お前の言い分は総て想像だと言われるでしょうが、中国のやり口はぼんくらでない限り、官民とも数多くの事例で実証済みであることは衆知の事実でしょう。

 先日、扶桑社が教科書関係者に配った「扶桑社通信・虹7月号」には、東京で開かれた中国社会科学院との会合の記事が載っていました。「新しい歴史教科書」に対する中国側の言い分として、日本が神の国である事を強調している、日本文化の独自性とその優れた点を強調しすぎている、日中戦争に於ける日本並びに日本軍の加害性についても何も書かれていない、日中戦争について都合の良い記述をしている、などと難癖を付けています。日本側はそれなりに事実を上げて反論はしていますが、中国の歴史教科書については何一つ疑問や抗議をすることなく、唯ひたすら相手の難癖に卑屈な言い訳をしたに過ぎません。中国側が言いたかった最大のポイントは「新しい歴史教科書」は「勇気をもって日中戦争は侵略戦争だったと書きなさい」だったそうです。将に扶桑社に対する厳命でした。締めは歴史認識の共有は困難だと言う陳腐な感想ですが、不用意な社会科学院との接触を始めてしまったフジ産経グループにはその付けは大きく、「つくる会」と「新しい歴史教科書」をつぶす為に扶桑社を前面に立てて私たちに難問を突きつけているのが今の騒動の実態なのです。

 今、「つくる会」を取り巻く環境は大きく変わろうとしています。
今回の騒動は「つくる会」内部の権力闘争のように見えますが、決してその様な内部抗争ではなく、政治や国際関係、それに付随する企業の論理が大きな圧力となり倫理観やモラルに欠け大義を忘れた者達を手先として「つくる会」を潰そうとしていると見るべきです。

 中国の対日工作は日本のあらゆる分野で着々と進んでいます。
特に歴史認識や台湾問題では、マスコミやメディアを籠絡するに手段を選ばず、露骨な介入をしているのは私たちの想像を超えているのです。台湾の帰属を巡るカイロ宣言について、産経新聞が中国に阿った明らかな誤報をした事で多くの人達から訂正を要求されましたが、遂にこれを拒否しました。私たちにとって産経新聞は一つの希望でしたが、この対応を見ると、中国に又一つ城を抜かれた思いです。更に中国が「つくる会」と「新しい歴史教科書」を潰すことが出来れば、歴史認識に於いては中国の圧勝に終わり、安倍首相の対中外交改善の成果は再び謝罪と贖罪の汚辱にまみれる事になるのでしょう。
 
 決して中韓だけが相手ではなく今やアメリカも其の戦列に加わりました。
日本の理解者と思われていたアーミテージ氏さえ、靖国神社遊就館の歴史観にクレームを付け岡崎氏を擁護しましたし、米国下院議院では従軍慰安婦問題を蒸し返して非難決議をしようしたことは記憶に新しいところです。

 「つくる会」と「新しい歴史教科書」は私たちの意に反して政治や国際の意志に巻き込まれようとしています。しかし、歴史とは過去の真実であり、そこから織りなす民族の物語が歴史教育です。その時代時代の環境や意志に左右されることのない一個の価値観であるべきです。さもなければ子供達に何を信じろと言えるのでしょうか。親米も親中も自由ですが、歴史教科書に政治を持ち込むことだけは許してはならないのです。

 我が国は幸か不幸か、國を売る自虐史観に満ちた反日の歴史教科書も、私たちの自尊史観の歴史教科書も共に出版できる自由があり、子供達に供されています。
どの教科書を選択するのも自由ですが、自尊史観の教科書だけがその存在を抹殺されるとすればそれは日本の悲劇であり、外国から見れば喜劇であります。
「新しい歴史教科書」が世に出たとき、日本は戦後60年の蒙昧から目覚めたのであり、日本そのものの覚醒であると国際は複雑な思いで受け止めました。
その意を呈して国内の反日勢力は半狂乱の反対運動を繰り広げたのです。

 私たちが國内外にその様な大きな影響力を与えた事に、何故誇りを持てないのでしょうか。保守合同の美名に惑わされて孤高を守り得ないとすれば、今までの10年の努力は水泡に帰すことに、何故気がつかないのでしょうか。
宥和を重んじて「新しい歴史教科書」を胡散臭い者達に差し出し、反日勢力が喜ぶような教科書になったならば、子供達に何と説明するのでしょうか。

 守るべきは「新しい歴史教科書」であり、不明の者達が巣くう組織ではありません。守るべきは60年の蒙昧を打ち砕いた勇気ある執筆者達であり、出版社ではありません。中国に阿り誇りある孤高を捨て企業の論理に走った産経グループとも、編集権と執筆者選定権が我に有りと主張する扶桑社とも、このまま付き合うことは危険です。

(※執筆者リストについては以下のURLをご参照下さい。東京支部掲示板です)
http://www.e-towncom.jp/iasga/sv/eBBS_Main?uid=5428&aid=2&s=1280

終わりに

 こうして実名を上げ非難することで、嫌がられ、疎まれ、恨まれる事は承知の上ですが、守るべき事の少なくなったこのご時世にあって、一つぐらい何が何でも守るべしと言い募ることも保守の側に身を置くと自負する者の勤めかと思うのですが。「新しい歴史教科書」を守りきった暁に、反日勢力から恨まれるならば、それが名もない私たちの勲章だと思っています。 

「会員から見た「つくる会」の今」への13件のフィードバック

  1.  私は「つくる会」の方向性に全面賛同する人間ですが、最近生じていると伝えられているいろんな対立については、特に関心を払っていませんでした。派対立が起きるのは集団の常で、「つくる会」もその例外でなかっただけのことで、別におかしいことではない、と思っていたからですね。しかし、このブログを読ませていただいて、そうも言ってられないな、と思いました。
      策謀ということは、それによって得る利益があるからおこなわれるものですね。そういう意味で、中国という国がおこなう「策謀」は、とうてい策謀といえる代物ではない。以前、司馬遼太郎さんが中国に滞在しているとき、彼が送信した紀行文がすべて中国側に解読されていた、という有名なエピソードがありますが、実に面白いのは、「この人物(司馬)が中国側に好意をもっているのかどうか」が中国側機関で議論になった、ということです。司馬さんらしく、この事実を巧妙な黙殺のエッセイにしていますが、その人物や団体が自国に対して好意をもっているかどうか、などということは、国家的利益でもなんでもない。にもかかわらず、中国という国のおこなう策謀の大半が、「好意」のあるなし、をめぐって展開されているように思えます。驚くのは、中国という国は国家的エリートになればなるほど、個人のレベルでも、中国という国への「好意」のあるなしをただそうとするんですね。「つくる会」に対する策謀は充分に考えられることだ、と私は思います。しかしその目的たるや、「好意」というものに過ぎないのですから、脅威や恐怖というより、脱力感を感じてしまいます。
     加地伸行さんが、現代中国のやり口は中華思想でも何でもない、なぜなら覇道政治で相手を威嚇しているだけだから、と言いましたが、確かに本当の中華思想でしたら、反中国的団体を認めるくらい、私達中国人は気持ちが広いんだぞ、という王道による徳化を目指すべきなのでしょうね。「つくる会」のいろんな内実の展開は緊張感をもって解決すべきだと思いますが、その背後にある、中国の策謀という喜劇を私は脱力感とともに読み込みます。

  2. 石原隆夫様 御意に存じます。御正論、有難うございました。

    愚生も腹をくくります、大拍手を贈ります。

  3. 中国の歴史上どの時代にも王道なるものはありません。歴史の事実を調べてみてください。いつまで中国幻想に捕われているのでしょうか。
    司馬氏の好意を問題にしたのは「惚れたら、あばたもえくぼ」になる人間心理を利用するためです。
    エリートにも国への好意を問題にするのは奇妙ですね。エリートには忠誠を求めるべきものです。中国が並の国ではなく現代のアメリカのような世界を支配する国にする野心のあるものが求められていると言うことでしょうか。

  4. 最新の「史」の巻頭言・「視点」に小川理事が「日中和解」の代償という文章を書いておられます。

    主張の前半は賛同できるものの、後半中国の謀略云々には賛成しかねます。以下に抜粋します。

    「外国謀略組織」の工作は、必ず分裂策動として現れる。我々はこれに対し、仔羊のように無防備、無思慮だったのではあるまいか。本来の味方を敵と勘違いして罵り合いを繰り返す等の愚は、その最たるものと言わねばならぬ。

    「外国謀略組織」の誘いにまんまとはまったのは八木先生や産経グループの人たちです。そして分裂策動をしかけたのは彼らなのです。それなのに、攻撃をしかけられたいわゆる被害者である「つくる会」本体の方が勝手に反省して、罵り合いをやめよう・・・・と言われている。

    この部分を読んで、子供の喧嘩でもこんな決着のつけ方はないな・・・・と思いました。

    私はいたずらに八木先生たちを攻撃する気持はありませんが、彼らが反省し、謝罪し、「つくる会」乗っ取りをしかけることをやめると言ったなら、もういちどやり直すことも出来るとは思いますが、それが無い以上、決して仲直りするべきではないと思っています。

    石原さんの文章を読んで、扶桑社は何を勘違いしているのだろうか・・・・と考えています。

    「つくる会」の理念が先にあって、教科書ができたのに、まるで最初から独り立ちしていたような錯覚をして、自分達が執筆者を決めると言っているとか。つくる会運動に初期の頃から加わっているものとして、信じられない思いがしています。

    それだけ「歴史教科書問題」は錦の御旗になった・・・・ということなのでしょうが。

  5. 念のために申しておきますが、私は中華思想・王道が中国史で確立されたことがあった、などとは言っていないし、考えておりません。ないからこそ、中国では理念的なものとして中華思想・王道が存在し続けている、という意味で、中国に中華思想や王道は存在している、という逆説的な言い方が可能だと思います。近年の中国は理念としての王道さえ破棄してしまったということで、伝統的中華王朝と断絶してしまっていると思います。中国幻想というのは、中国人自身が最も感染している幻想ですね。大体、中華思想というのは、唐のような漢民族王朝でありながら、内実・出自は異民族王朝であったあたりの時代から登場しはじめた漢民族の「思い込み」の思想です。ですから、王道といっても、理念の根拠もきわめていかがわしいものです。だからこそ、理念のレベルにとどまるものなのかもしれません。
     安川様の意見に、ちょっと私自身の舌足らずを感じましたもので、念のため、意見をあらためて記させていただきました。ご不快でしたら、申し訳ありません。

  6. 長谷川様

    >……子供の喧嘩でもこんな決着のつけ方はないな

     自民党に戻った「造反議員」たち、戻した自民党・安倍さん、大人達が、喧嘩の仕方・収め方を忘れてしまったのは、まさに「つくる会」に止まらない。そんなことを思いました.

  7. >東埼玉人さん

    理が通らないことをしていたら、かならずしっぺ返しがきますよね。(私は、大体、郵政解散とそれに続く自民党=小泉さんがやった衆議院選挙が理にかなっていなかったので、そのときからずっとおかしくなっていると思います。)

    お風呂に入りながらこんなことを考えました。

    例えば、日本はずっと外国のサイズに合わせた車を作ってきたとします。

    日本人が乗るのだから、日本人に適した車を作ろうと考えたグループがいて、どこかに自分達の理想の車を作ってくれる工場はないだろうか・・・・と探していたところ、ある工場があまり採算は取れないけれど、やってみようと作ってくれました。

    当然、企画したグループのデザイン、仕様で、設計図も全部企画したグループのものでした。

    それがあんまり話題になった車だったので、売れはしていないけれど、その企画をまるで自分の工場だけで作りだしたように思い、今後は設計図を工場が気に入る人に書かせると言い出したというのです。

    ・・・・・・・たとえは適切ではないけど、扶桑社がつくる会の理念で作り上げた「新しい歴史教科書」のブランド?だけを勝手に横取りしようとしているような気もするのです。

  8. 王道、覇道という言葉は春秋時代が発端かと思います。
    王道とは、すなわち周の王室を奉戴する諸候としての道、覇道はすなわち
    周王室を潰して自らが王にならんとする道であります。
    斉の桓公、晋の文公は「覇者」とされますが、覇道を行っていた訳ではありません。楚の荘王や呉の夫差などは覇道を志したと思われます。

  9. 王道・覇道の起源についてはKSYさんのおっしゃるとおりです。
     この王道が「中華思想」の王道に飛躍するのは、唐の末期から五代十国、更に北宋の時代あたりになると思います。北宋は契丹人に大敗したのですが、軍事的には劣るが文明度は私たち漢民族は優越しているという「負け惜しみ」の思想を確立する必要性がまずありました。しかしそれ以上に問題なのは、唐の皇室が鮮卑人であり、更に漢民族出身の王朝と言われる北宋も漢民族出自ではない可能性(トルコ人の可能性)が高いことです。ここにおいて、負け惜しみに加えて、あえて漢民族王朝と「思い込む」思想が登場することになります。これが「中華思想」の起源であると私は理解しています。かくして、理念的な意味での中華思想が確立し、その中心に王道が据えられました。北宋の時期に編纂された資治通鑑に、その思想(中華思想)の登場は色濃く反映しています。しかし中華思想も王道もあくまで理念的なものに過ぎないまま、以後の中国の各王朝は交代していくことになります。私からすれば中華思想も王道も、表面的には大人びた思想の雰囲気をもっていても、こうした意味で、いかがわしい起源をもったものと考えています。
      石原先生のブログの問題提起と違う論点に行ってしまいまことに申し訳ありません。私の理解に問題がございましたら、またご指摘してくだされば幸いに思います。
     

  10. 「つくる会」理事の皆様方へ

     小林会長が推し進めているいわゆる「三者協議」に於いて、さる11月21日扶桑社の片桐社長は以下の三点を小林会長と八木氏に申し渡したそうです。

    (1)組織の一本化。
    (2)藤岡氏と八木氏は教科書執筆者から降りること。
    (3)教科書編集権は扶桑社にあり、それには執筆者選択権も含まれる。

    この事は理事各位におかれましては既にお聞き及びかと存じますが、「つくる会」にとっては誠に由々しき事態と言わねばなりますまい。

     私たちは「三者協議」なるものの存在を知ったときから、「つくる会」が何故それに巻き込まれなければならないのか、合理的な説明を求めてきた事は、度々理事各位にお送りしたメールやFAXによってご存じのことと思います。

     しかしながら理事会は、理事会自身が合理的な判断を放棄したまま、小林会長に依る「三者協議」の既成事実化を付帯条件付きで追認してしまいました。
    その条件とは(1)「つくる会」設立の趣意書に沿った教科書を作ること(2)藤岡氏を代表執筆者とすること、の2点でした。

     これを知った私たちは、なおも原点に戻って三者協議なるものに「つくる会」が参加しなければならない理由を会長はじめ理事会に問い続けましたが、今に至るまでどちらからも得心のいく説明を頂いておりません。要するに会長はじめ理事会自身に合理的な理由がないのだから説明など出来るはずもないと言うことでしょう。

     片桐社長が申し渡した三点を理事会はどの様にお考えになるか、本日12月14日は、この件につき討議なさる予定と伺っています。
    編集権も執筆者選択権も失い、藤岡氏も代表執筆者から降りる「つくる会」とは如何なる存在になるのか、じっくり討論していただきたいものです。

     理事各位は扶桑社が何を「つくる会」に望んでいるのか既にお分かりでしょう。
    「つくる会」ではなく「つくれない会」なのです。
    保守合同してより良い教科書を作ろうなどという甘言に乗った理事各位の責任は、
    「つくる会」十年の歴史を歩んだ先人達や、既に「つくる会」の教科書で勉強している子供達や、採択してくれた自治体に対して限りなく重いのです。

     この期に及んでも、扶桑社に期待を寄せる理事がいるとは思えませんが、もしも
    その様な行動を採る理事がおられるならば、お辞めになることを勧告します。
    聞くところに依ると、理事会に殆ど出席しない理事や発言しない理事が多数おられるとの事ですが、何の為に理事をおやりになっているのか胸に手を当ててとくとお考え下さい。「つくれない会」になっては理事も用済みとなるのですから。

     本日の会議では全員の理事が発言なさるべきでしょう。そしてその発言録を一般会員に公表してください。私たちはそれを次の行動の為の判断材料とさせていただきたいのです。

     最後に一言申し述べます。
    扶桑社がこの時点で最後通牒とも言うべき三点を明らかにしたのは、不幸中の幸いでもあります。あやふやな条件を提示されたのでは判断も付けがたいでしょうが、
    これほど明確な侮辱を浴びせられた以上は、戦うしかないでしょう。
    先ずは扶桑社に三くだり半を突きつけ、この様な仕儀に「つくる会」を追い込んだ小林会長には責任を採っていただくのが筋ではありませんか。
    「つくる会」の理念と使命をもう一度再確認し、既に一人歩きを始めた私たちの「新しい歴史教科書」を守るためならば、今が決断の秋です。

  11. 長谷川様

    通りすがりの部外者が無責任なことをと思われるかもしれませんが、長谷川さんが書かれたことについて海外在住(在米)のものがいつも思っていることを一言。

    分裂は弱さではありません。個々の問題について、たとえ考え方が正反対であっても、『西尾幹二』が群雄割拠する国は強い国です。絶対にアメリカにも中国にもロシアにも負けません。

    群雄割拠の『自由』を否定する人、八木前会長や岡崎久彦氏たちのような人たちがいる国が弱い国です。

    自分たちが乗る、いい車を作ろうとするからこそ、本物の車ができるのではないですか?国内メーカーが群雄割拠して競争するからこそ外国と太刀打ちできるのではないですか?

    どんな強大国が相手でも自国は自国民で守り抜く気骨のある国であって初めて外国とまともな同盟関係が結べます。弱小国(英国)が超大国(フランス・スペイン)に存亡を賭けて戦い抜いた、その悪戦苦闘のなかで生まれてきたのがインテリジェンスですよね。岡崎久彦氏のすることはインテリジェンスの根本に矛盾しているとは思われませんか?

    アメリカは心のどこかで深く日本を軽蔑しているのです、共和党政権であれ民主党政権であれ。軍事同盟の代わりに経済権益の妥協を日本に強いているのではありません。軍事も経済もあくまで自国の利益にそうよう日本との同盟を利用しているに過ぎません。だから対中関係(米中関係)は日本とは何の関係もないのです。アメリカの国益に照らし合わせてアメリカが考えることです。六カ国協議事実上中断から北の核実験にいたる一年余りの(米中)交渉のなかで、台湾に次いで日本が米中間の取引の材料になったのではないかと恐れます。

    六カ国協議も『つくる会』騒動も郵政民営化選挙もつながってます。在米の人間から見れば、西尾先生・お一人がそのことを見通して孤軍奮闘されているように見えます。

    人間は(自らの運命と)戦って初めて自分が何者か、自分が命を賭けて守りぬくものが何か、そして先人が残した叡智の意味するところは何なのか思い知るのではありませんか? 

    私は『つくる会』に戦い続けてほしいです。本来政治とは関係のない、そしてそうあるべき『つくる会』が、つまらない出版社の政治的プロパガンダとは手を切って、自ら出版社になって何が悪いのでしょう?

  12. >秋の空さま
    お久しぶりです。

    お書きになったこと、よくよくわかります。

    でも、現在その「つくる会」本体が八木・扶桑社グループの思う方向に動いていっているようです。会員としてはあまりに残念です。

    教科書を出版してよい会社は、義務教育に関してはとても高いハードルが課せられていることをご存知でしょうか?今手許に詳しい資料がありませんが、会社としての実績や社長の資産提示など、ポッと出の弱小新規出版社には教科書を作る資格がないのです。

    つまり、扶桑社はすべてのカードを握っているのです。
    そして、八木・岡崎グループと扶桑社・産経グループが限りなく親密なのです。

  13. 長谷川さま

    丁寧なコメントをありがとうございます。こちらこそ、お久しぶりです。

    ご指摘のとおり教科書出版の資格のことは、確か、以前の日録でも指摘・説明のあったことですね。

    長谷川さんの『残念です』との言葉をみて、以前、岡崎氏と桜井氏が出席した7月の総会のことを、この日録で西尾先生が、そして長谷川さんもどこかに書かれていたのを思いだしました。『つくる会』本体が長谷川さんの(そして私たちの)思いとは別の方向に動いている。重要なことでした。

    上の石原さんの追加コメント・メッセージにあった12月14日の理事会もふくめて、今後の経過、ここ日録でも取り上げていただけたら幸いです。

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