ネットの憂鬱 (二)

この「日録」には「応援掲示板」というものが附属サイトのような形で併設されている。「日録」は管理人が交替して、それを前後に、前期と後期に分れている。前期にも読者からの受信を受けつける感想掲示板があった。
 
 後期の感想板は前期に比べて制約が少なく、自由度が増しているが、書きこまれる感想文のレベルが高くなったとはお世辞にもいえない。
 
 管理人は一生懸命、ルールを確立し、秩序をつくろうとしているが、間違いなくレベルダウンは起こっている。管理人の誠実な対応、一途な努力とはあくまで別である。

 短文の応酬が多く、以前にあったじっくり腰を据えた論考が少なくなっている。そこへノイズが入ってくる。

 「日録」はたしかに曲り角にきていると思われるので、今日はそのことを書いてみたい。昨日次のような文章が「応援掲示板」に出ていた。

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2270 掲示板について
天下の無法松 2004/08/30 22:29

掲示板に書き込みながら、このようなことを書くのは矛盾していると思われるでしょうが、真面目なサイトには掲示板は設置しない方がよいかと思います。なぜならば、掲示板は必ず荒らされるもので、そのことによってサイトの作成者の信用度を落とすからです。メールを受け付けるのは必要でしょうが、掲示板を荒らす人間はその自分の意見を陳述することによってそのサイトの信用度を落とすことが目的ですから、できましたら、掲示板は最初からしない方が良かったのではないかと思います。今のインターネット世界は性善説から性悪説に基づくものに変化してしまっているからです。現在のインターネット世界では冷静な意見の交流などいう悠長なことは絶対に期待できません。

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 ここで述べられていることが私には正論だと思われる。できれば今からでもこのようにしたい。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」というのがあり、私は愛読しているが、宮崎氏は発信するだけで自由受信を受け付けない。たまに「読者の声」がのせられるが、届いたメイルの中から宮崎氏が選んで、気に入ったものだけ掲示し、一寸でも不愉快に思われるものはすべて廃棄して、載せないらしい。
 
 だから彼の「読者の声」には宮崎氏を見下すようなもの言いや、宮崎氏への反発から書いた文章や、無遠慮な礼を欠く文面はひとつもない。読者の文章も、誤記や間違いを彼が直してのせるらしい。編集権が自分にあるからである。

 多分これが理想的形態だろう。サイトの原作者の「安全保障」がまず何よりも大切だ、という考えがこの形態の基礎にある。

 今回の「空白の十分間」をめぐるノイズのことだけを言っているのではない。従来礼儀正しいもの言いをしてきた「日録」の常連さんが、突然私に向かって高飛車な口のきき方をし始め、戸惑うケースにもたびたび会う。匿名ないしハンドルネームだから起こる唐突な関係破壊である。

 そのたびに私は瞬間ギュッとし、ほんの数秒だが心が乱れる。過日のような表立ったデタラメな罵詈雑言よりも、信頼していた常連さんの変貌ぶりのほうが心に響く。そして、たびたび起こるとストレスになる。

 そんなわけで発信中心の宮崎式にしてしまいたいという思う気持ちは私には強い。
 
 しかし宮崎氏にそれが出来、私に出来ないのは、タイピングを自ら私がしていないこと、管理人に全権を委任していることにある。
 
 そして、今ひそかに恐れていたことが起こりつつある。管理人の長谷川さんと私との間で、インターネットに関する考え方の相違が次第にはっきりし始めていることである。長谷川さんは翔さんという人に応じて、同じ30日に次のように書いている。

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>翔さん
いらっしゃいませ。
そうですね、ネットからこの匿名性がなくなったら
ネットの意味がなくなると私も思います。

今まで世の中のうるさいもの、恐いものにおびえ
本音が口に出せなかった人々に、発言の場が与えられた。
だからこそ、マスコミを批判も出来るし、
情報が自由に飛び交うことが出来るようになりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

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 上記の考えは長谷川さんがいつも仰言ってきたことで、私にも格別耳新しい言葉ではない。けれども今あえて私から言わせてもらうなら、私が「日録」をつづけ、自分の思想を発信しているのは、「本音が口に出せなかった人々に、発信の場を与え」、彼らが「マスコミを批判し」「情報が自由に飛び交うようにする」ためではない。そんなことは私には関係がない。そういうことは何処か別の場所でやってほしい。
 
 長谷川さんのこの考え方の中には、私の「安全保障」という見地が欠けている。最近明らかになったのは、「日録」の周辺の書き込みがやや2チャンネル化し始めていることである。ルール無き無法地帯に少し似てきている。
 
 長谷川さんはそこにもルールがあると思っている。そもそもインターネットにルールがあると信じている方である。そしてそのルールを私に守らせようとしているが、これは少し違うのではないか。悪貨が良貨を駆逐する混沌がほの見えている。管理人がいっさい削除しないでいると、弱腰につけ入れられ、振り回される恐れがある。異質なものは取捨選択して別の板に移動するだけでなく、頭からはねてしまう必要もときにあるのではないか。
 
 ただそのような管理方式のことは長谷川さんの常識にお任せしているのだから、私からとやかく言える義理ではない。やりいいようにやっていただくしかないのだが、私は匿名の無法者の、自分から先に予断で私を誹謗しておきながら、私の一般への呼びかけに予断があるといってバカ騒ぎするたぐいのしつこい論難は読みたくもないし、許容する気もない。
 
 私がかつてどんどん削除したらいいというと、長谷川さんは書き込みを削除することは「負ける」ことだと仰言った。ここにインターネットに対する思い入れの度合の違い、価値観の違いが現れている。いったい何に「負ける」というのであろう。

 最初に引用した「天下の無法松」さんの仰言った、掲示板を荒らす人間はその自分の意見を陳述することによってそのサイトの信用度を落とすことが目的」だという観察のほうがはるかに正しいのではないか。

 私は前から言っていることを繰返すが、匿名者の私への批判や批評はここではいっさい認めない。日本の社会や文明や私以外の者を批判するときはここでの匿名が許されてもいいと思う。

 けれどもここは「西尾幹二応援板」と銘うっている以上、私に対する匿名の暴論、非難、誹謗の類はあるべきではない。もしどうしても私を批判したい、批評したいという人の強い動機は認める。そういう場合には、覆面をぬいで、実名を出し、職業、地位、身分、勤務先等を公開して、そのうえで堂々と私を批判してほしい。勤務先が必要なのは虚偽報告を防ぐためである。その場合にはComments欄を使ってもいいし、応援掲示板に遠慮なく書いていただいてもいい。

 匿名で書く者の自由はあっていいが、制限される。外の社会を批判するのは自由だが、この板で匿名のままに私を傷つけようとする者は趣旨に反し、資格停止であり、私は許容しない。さもないと受信の掲示板を設けること自体が間違いということになろう。

 何度もいうが、匿名でないなら批判者は対等であり、自由である

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