荻生徂徠と本居宣長(六)

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『創世記』と『古事記』の共通点
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長谷川 : また、話はちょっと先ほどの「神代」の話題に戻りますが、宣長の『古事記伝』には「さて凡そ迦徴とは」で始まる有名な「カミ」の定義がありますね。「其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦徴とは云なり」と。これは世界の森羅万象をただ当たり前と考えるのでなく、日常眺めているこの世界はいかに不可思議か、という驚きをもって眺め直す精神態度といってよいでしょう。世界に存在するありとあらゆるものが、不可思議で恐れ多い何かを携えて存在しているという思想、ともいえるかもしれません。

西尾  : 宣長は、ありとあらゆる世界の現象に神話を感じています。たとえば男女が交わり合うことで子供が生まれるのも、不思議といえば不思議ではないか。そんなことは説明がつくほうがおかしいと述べる。神話はつねに「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という問いが存在することは先にも述べました。そのような根源的な問いを発しているのが、神話なのです。

長谷川 : キリスト教の世界でもアウグスティヌスなどは、世界を眺めまわすと、山や海、木などすべてのものが「私をつくったのは神です」と自分に語り掛けてくるという言い方をしています。このアウグスティヌスの見方と宣長の見方はある意味で共通していて、宣長は「可畏き物を迦徴とは云なり」といって、その一つひとつにカミの名を付け、一方アウグスティヌスは「全体をつくった誰か」を神と考えた――。その違いにすぎないともいえますね。

西尾  : その「全体をつくった誰か」を宣長はあえて「太陽」といっていますが、じつは固定して考えているのではないでしょう。人格神ではない。

長谷川 : キリスト教世界でも、汎神論と唯一絶対神という二つの考え方が、つねに相争っています。しかしわざわざ汎神論を否定しなければならなかったということは、逆に、ありのままに世界を見ると、「ここにも、あそこにも神がいる」と見えてくるのだということの証拠ともいえる。そう考えると、宣長の考えたカミの概念は、非常に普遍的なものかもしれない。唯一絶対神という概念は、普通に考えれば汎神論になるところを、かなり無理して作り上げているのだ、というべきかもしれませんね。

西尾  : 天地創造の物語もそうです。

長谷川 : じつは文献学で今日わかっているかぎりでも、『旧約聖書』の「創世記」第一章のいちばん最初に出てくる六日間の天地創造の物語は、P資料と呼ばれる、成立年代の遅いテキストに属しています。いちばん最初に出来たのは、神様が土から取った塵をこねて息を吹き込んだら、人間になったという話です。

西尾  : それは中国の盤古神話・女媧神話とも似ていますね。

長谷川 : そっくりです。世界中のありとあらゆるところに、同じような神話があります。

西尾  : 混沌から世界が生まれてくるというストーリーは『古事記』も同じです。

長谷川 : 混沌の場面は、「創世記」のいちばん古いテキスト、J資料によると、「地上にはまだ野の潅木が存在せず、野に草も生えていなかった。・・・・ただ、地下水が大地から湧き上がって地表全体を潤していた」という、ちょっと奇妙なイメージで表されています。そしてそこからいきなり人間形成の話になる。神が人をこねてつくって、猫かわいがりするという話になるのですが、それがあの有名な「エデンの園」の物語です。このあたりは『古事記』と比べても甲乙つけがたいぐらい、リアルな父と子の物語です。

西尾  : これは中国の神話でも同じです。中国の神話では、大きな大地を支えるのは巨大な亀の足を切った柱で、そこに神様が出てきて泥のなかに縄を入れて絞り、このときしたたり落ちた水滴から生まれたのが人間である。園人間は、早くできたものは出来がよく、あとからしたたったものは出来が悪いと描かれている。

長谷川 : 「創世記」J資料の場合は、「神話」というよりむしろ神(ヤハウエ)を主人公とする文学作品というべきものだ、というのが私の解釈なのですが(中公文庫『バベルの謎』参照)、いずれにしても、そうした生き生きとしたリアルなイメージに満ちた物語が、後代の編纂によって、P資料の唯一絶対的な理論のなかに埋められてしまっている。これが現在われわれの見る「創世記」のかたちだといってよいと思います。

西尾  : 中国の場合は、のちに神話部分を全部捨てて、「天」という概念だけを抽象化して仕上げたという構造です。これはキリスト教と似ているでしょう。神話の部分を捨象して、「天」の代わりに人格神が登場する。

 一方、日本の場合、西洋や中国などのような便宜的な手法はとられていない。絶対神や人格神的なものは生み出されない。

長谷川 : それは絶対神が欠けているというより、中国や西洋で行なわれた、ある種の改竄が非常に少ないということだ、ともいえるでしょう。

西尾  : 加えて、日本人は素直だったと思う。神話を「お話」としてそのまま知らしめ、伝えていく。それが摩訶不思議だからといって、あまり手直しをしたりしなかった。どちらが人間的で素朴かというと、あるがまま伝えた日本人のほうが、よほど素朴です。神話は神話として伝え、それでいいという考え方だった。

長谷川 : ユダヤ・キリスト教の場合でも、あのいちばん古いJ資料だけが残っていたとしたら、そこにはおそらく唯一絶対神への信仰ではなく、ギリシア神話や日本の神話に近い世界観が広がっていたでしょう。

つづく

「荻生徂徠と本居宣長(六)」への1件のフィードバック

  1. ボーアとアインシュタインが量子力学の不確定性原理を巡り論争したとき、アインシュタインが不確定性原理の思考を批判して、「神がサイコロを振るとは考えられない」ということを言ったのはよく知られています。私は先天的に理系能力ほぼゼロの人間ですが、高校生の一時期、物理学を勉強しようと無謀な企てを実行して、アインシュタインのその言葉に出くわしました。そのときはアインシュタインという人は科学者の割にはずいぶん文学的比喩が好きな人なんだなあ、とくらいにしか思いませんでしたが、今になってみれば、私が科学の何であるかを完全に誤解していた、ということになると思います。
      
     科学と神話において科学が優位にたつことが誤りである、というだけでなく、実は「科学」もまた「神話」によって根拠づけられていることに、私は全く気づかなかったのですね。西尾先生は以前、日本の小中学の理科学校教育が、「科学がここまでわかっている」ことばかり教えて、「科学がここまでしかわからない」ということを教えていない、と批判されましたが、どうやら日本の学校教育も、科学の何たるかをほとんど知らないのだ、ということがいえそうです。
     
     このことについてはいろんな説明が可能です。たとえば、デカルトが18世紀のある時期まで、「哲学者」でなく「物理学者」として扱われていた、ということを考えてみましょう。今では一般的にはほとんど忘れ去れてしまっていますが、世界の「意味」の探求において、物理学も哲学も同格あるいは哲学が物理学に先行し、そして「意味」の探求ということからには、その原初の説明において、同じく「神話」を必要とします。今日的常識からすると、哲学は世界の意味を無前提的なものとみなさないとスタートできないので、ある意味徹底して神話的レトリックを多用しますけれど、それは「世界はわからないことだらけである」という哲学の謙虚なスタイルの可能性を意味しているともいえます。反面、物理学をはじめとする諸科学は、神話を非科学として拒絶しがちですが、それは「世界は説明可能である」という傲慢なスタイルを意味しがちで、科学の専門家でもない一般人が、こうしたスタイルに甘んじているのが一般的な風潮である、といっても言いすぎではないでしょう。

       しかし科学の最先端にいる人はアインシュタインならずとも、科学という修辞学の限界と根拠を説明するものとして、「神話」の存在を当然のものとみなしています。西尾先生が対談で紹介されている「説明がつくのがおかしい」という宣長の言葉をあてはめれば、物理学が世界を完全に説明しつくことができない以上、数式や仮説と同様、神話というものを必ず必要とします。そうでなければ、科学は一つの体系をつくることができないし、あるいは体系を意味づけるという最終作業を完成することができないと結論づけなければならないからです。たとえばビックバンにしても、それは科学的仮説であると同時に、実は「神話」に著しく接近している「御伽噺」なのだ、というふうに思うのが当然だと思います。

       こういうふうに考えると、西洋・中国の神話と、「古事記」をはじめとする日本の神話を比較して、あるがままを伝えようとした日本人の神話への素朴さを指摘する西尾・長谷川両先生の話はいろんな意味でたいへん興味深いものです。おっしゃるように、日本の「神話」に後世の改変や作為が少ないということは、神話によって位置づけられている体系(世界)が日本人にとって、所与のものとして、完結的にとらえられてきたのではないか、と思います。

      この場合、唯一神的世界による言葉の体系形成が完結を導くのではなく、汎神論的な、言葉でない世界の体系形成が完結を導くというふうにひっくりかえして考えるべきということになるんですね。便宜が多かったり論理的にできている「神話」は、長谷川先生曰くの「文学作品」的神話ということに表現することが可能なのでしょうが、科学や哲学にかかわるような「神話」の大半は「文学作品」ということになるわけですね。つまり、「神話」というのは、作者がみえるようなものと、そう簡単に見えないものがあり、日本の「神話」の大半は、後者に該当するものだ、ということがいえるということなのでしょう。

      西尾先生は以前、小林秀雄論(「行為する思索」)で、「平家物語」が近代文学的な統一的視点を欠いていることが逆に非常に新鮮に思えた、ということから、「作者の意図」の弱さの替わりに、作者の意図を動かす何かによる結果の意外さ、を言われました。「平家物語」は「神話」ではありませんが、物語において作者の意図というものをおく思考法に慣らされすぎている私達にとっては、「平家物語」に対しての西尾先生の解釈は、こと日本の神話を捉えるときに有効ではないか、と思います。たとえば「古事記」によくなされる批判として、神話物語の展開がちぐはぐで整合性を著しく欠き、ゆえにそこに後世の作為がある、というものがありますが、西尾・長谷川両先生の指摘に従えば、まさにそのちぐはぐさが、日本人の、神話を神話として扱ってきたという素朴さ、日本人らしさを意味するものだ、ということができるということになるわけですね。

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