非公開:『三島由紀夫の死と私』をめぐって(四)

西尾幹二先生

 『飢餓陣営』の論文:「三島由紀夫の死と私」を拝読しました。
正直な感想として、三島由紀夫氏の心の襞まで入り込むような、実に精緻にして、三島氏の気持ちになりきって論じられた言葉に思わず唸りました。

 今まで私が読んだ三島由紀夫氏の死を論じる論文中、先生のご文章が最高に光っており、私の気持ちともピッタリでした。宮崎正弘さんもそれを見抜いております。

 文学の深奥とはこのようなものかと直感した次第です。この文章は三島氏の御霊に対する最高の鎮魂になると確信いたします。三島氏が自決したとき、あのなんとも言いようのない空気を今でもはっきり覚えております。そのとき、またそのあと、しばしの間言葉を失ったことを思い起こしました。先生も指摘されておりますが、三島氏の死は、いっさいの言葉を受け付けない重さがありましたが、しばらくしてのち、知識人たちが心ない三島評を論壇で展開
したときのイラダチを感じたこともはっきり覚えております。

 数年くらい前でしたか、『諸君』か『正論』で、知識人数十人が、三島さんの
自決について様々な論評をしていましたが、この先生までもがなぜ?・・・・と思うように、死者に鞭打つような批評も目立ち、私なりに人物の真贋を見定めたものです。

 西尾先生の論文を読んで、「選択」の重みが人生でこれほどまでに重いものかを、あらためて認識しました。

 『WILL5月号』における、皇太子殿下に向けられた御忠言といい、社会
の隅々に渦巻く重苦しくも微妙な国民の想いを、先生が代表して発言してくださったものと受け止めております。

 私が子供のとき、昭和天皇陛下が地方御巡幸の帰路、羽田から第二京浜
国道を陛下の御車を真ん中に、30台ほど黒塗りの車が列をなして我が家
の前を通過しましたが、子供ながらに、御車が近づくにつれて、なんとも荘厳といいますか、畏怖の念をさえ感じさせる雰囲気が大きな大きな塊りとなって
迫り来る神秘的感動を何度も味わい、体験しました。そのときの印象は、今でも頭の中 に残像となってはっきり記憶しております。それはなんとも名状し難い、言葉で表現できないものであり、覚者の悟りもかくの如きものかとも思いました。その体験を久々に味わったのが、昭和天皇崩御における、西八王子での葬列を見送った時の感動体験でした。子供のときに体験した荘厳な雰囲気が蘇りました。

 それ以来、私の意識としては、天皇陛下は「人である、と同時にカミである」「カミである、と同時に人である」という、一即多多即一の存在そのものであります。体験のない人には決して解らない世界でもあります。

 その「カミ」について、一般人もカミそのもの(実相覚で)ですが、そのカミにも区別があることを知らねばならないと思います。上野千鶴子流に言えば、区別も差別として一蹴されますが、彼女にはその入口すら解らないでしょう。かように人間世界は玉石混交そのものの世界ですから、その中で言論活動を展開することは大変なことですね。

 本来それほどに高貴で神聖な御皇室が、皇太子殿下の御成婚以来、神秘性を喪失しつつあることが残念でなりません。原因は先生ご指摘のとおりと思います。同様に、三島さんの自決も、楯の会を単なる「ゴッコ遊び」とみる人には、先生が教えるところの深い意味を理解することはできません。

 ここに学問の有無、深浅だけが、この社会の秘儀(意義)を理解し得るものでないことが解ります。事実、先生の御懇友にさえ、そういう方がおられるのですから。この論文を拝読しまして、西尾先生がただならぬ実相覚を持った思想家であり、文学者であり、あるいはその範疇で括られる学者でないことをあらためて深く感じました。

 以上、先生の論文を拝読しての表層的な感想でした。

浜田 實

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