『三島由紀夫の死と私』をめぐって(六)

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 『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所)が刊行されますので、お知らせします。11月25日発売予定。この本の説明を自分でするのは難しいので、Amazonの広告文をそのまゝ掲示し、そのあと目次をお示しします。

内容紹介
1970年11月25日――日本人が忘れてはならない事件があった。
生前の三島由紀夫から「新しい日本人の代表」と評された著者が三島事件に関する当時の貴重な論考・記録・証言をもとに綴る渾身の力作。

日本が経済の高度成長を謳歌していたかにみえる1970年代前後に、文壇で確固たる地位を得ていた三島の内部に起こった文学と政治、芸術と実行の相剋のドラマを当時いわば内側から見ていた批評家こそが著者であった。

その著者が、戦後の文芸批評の世界で、小林秀雄が戦前に暗示し戦後に中村光夫、福田恆存ほかが展開し、三島由紀夫も自らにもちいた「芸術と実行」という概念のゆくえについて、40年近くもの時を経て、著者としての答を出すことを本書で試みた。

また、著者は「三島の言う『文化防衛』は西洋に対する日本の防衛である。
その中心にあるのは天皇の問題である」として、三島の自決についても当時の論考や証言を引用しつつその問題の核心に迫る。

アマゾンより

はじめに――これまで三島論をなぜまとめなかったか

第一章 三島事件の時代背景

日本を一変させた経済の高度成長
日本国内の見えざる「ベルリンの壁」
「日本文化会議」に集まった保守派知識人
スターリニズムかファシズムか
ベトナム戦争、人類の月面到着、ソルジェニーツィン
娘たちは母と同じ生き方をもうしたがらない
文壇とは何であったのか

第二章 1970年前後の証言から

日本という枠を超えるもう一つのもの
三島由紀夫の天皇(その一)
福田恆存との対談が浮かび上がらせるもの
私がお目にかかった「一度だけの思い出」
総選挙の直後から保守化する大学知識人たち
近代文学派と「政治と文学」
全共闘運動と楯の会の政治的無効性と文学表現
三島事件をめぐる江藤淳と小林秀雄の対立

第三章 芸術と実生活の問題

本書の目的を再説する
芸術と実行の二元論
私の評論「文学の宿命」に対する三島由紀夫の言及
三島の死に受けた私の恐怖
事件直後の「『死』からみた三島美学」(全文)
『豊穣の海』の破綻――国家の運命をわが身に引き寄せようとした帰結
三島の死は私自身の敗北の姿だった
文壇人と論壇人の当惑と逃げ
江藤淳の評論「『ごっこ』の世界が終ったとき」
三島由紀夫は本当に「ごっこ」だったのか
芸術(文学)と実行(政治)の激突だった
「興奮していた」のは私ではなく保守派知識人のほうだった

第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する

小林秀雄「文学者の思想と実生活」より
明治大正の文壇小説と戦後の近代批評
二葉亭四迷の“文学は男子一生の仕事になるのか”
私小説作家の「芸術」と「実行」の一元化
『ドン・キホーテ』や『白鯨』にある「笑い」
“西洋化の宿命”と闘う悲劇人の姿勢
三島由紀夫の天皇(その二)
割腹の現場

あとがき

〈付録〉不自由への情熱――三島文学の孤独(再録)

 尚、私はこの本と同じ題目の講演を第38回「憂国忌」で行います。

 11月25日(火)午後6時(5時半開場)九段会館3階真珠の間¥1000

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