GHQの思想的犯罪(八)

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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 ◆GHQの仕掛けた時限爆弾

 さて、そこから今日の話の本題に行くわけですが、そのせっかくのアイデンティティが徐々に徐々に無自覚の形で失われてきている。現在の権力喪失状態、さきほど言った砂山の真ん中から穴が空くような、何となく活性化しない無気力状態になった。物を考えなくなってしまった。戦おうとしなくなった。自分たちのアイデンティティを本当の意味で政治権力にまで高めなければ自分たちが守れなくなる。自分も守れなくなるという自覚がなくなってきたのです。今、日本はアヘン戦争前の清朝末期のような状態になっています。

 こういう恐ろしい事態になっている理由は何だろうか、ということを考えると、それは何らかの時限爆弾が仕掛けられていたのではないか、それが今頃になってパーンと爆発しているのではと思うわけですが、それが正に焚書なのです。

 時限爆弾というと分らない人もいるかもしれませんけど、少なくとも天皇の問題に関してはこの時限爆弾は効いてきているわけですな。ものすごく効き目がある。皇室がおかしくなってきているということの背景にあるのは、やはりアメリカの占領政策なのです。アメリカの占領政策というのは巧妙でした。この巧妙さの由来はアメリカなのかアングロサクソン全体なのか、あるいはローマ帝国時代からのやり方なのか、ちょっと私は戦略問題の歴史を研究していないからよく分かりません。

 しかしはっきり言えることは、巧妙で、上手に統治するために無理なことはしない。何々をしろ、ということは命じないというやり方です。例えば各家庭の門に星条旗を掲げよ、というような露骨なことは絶対に言わない。その代わり、マッカーサーや占領軍の誹謗、悪口を言ったものは厳罰に処しました。恐怖感を与えるわけです。「何々をするな」という命令だけをするわけです。

 「するな」と言われた方が益々怯えて行くというふうになるのです。これは一番巧妙なやり方です。有名な話は、文部省が君が代をいつまでも教科書に入れないのでGHQの方が「なぜ国歌を教科書に入れないのか」とたずねた話がありますね。そしたら、それは最初に入れるなと言われたので、もう入れていいのではという時期になっても入れようとしなかったとこたえたそうです。これはつまり、ひとつの強迫観念ですね。勝手に自分で自分を縛る。恐怖を与えれば上手くいくことを占領軍は知っていた。そういったことをするのがアメリカは上手です。色々なことがそういう形で行われて、やはり「するな」とは言うけれども、「何かせよ」ということは言わない。

 そう見ていきますと、この焚書というのは、「するな」という政策のもっとも極端な形式だったろうと思います。読んじゃいけないというしばりを無意識に与えてしまった。恐怖を与えられていますから、この手のものが例え図書館に残されていても人は読まなくなってしまうわけです。

 この前ある人は、「焚書、焚書と言っても、本があるじゃないか」と私に言ってきました。「焚書というのは、本が物理的に処分され、まったく消えてしまったことではないのか」と。それを聞かされたとき、私は「何てものを知らないのだ」と思いました。

 実は秦の始皇帝の焚書坑儒のときも、宮廷には全冊儒学の本を残していました。なくなったのは秦が滅びて宮殿が燃えたときです。だから焚書をしたときに本を焼いたのも事実ですけど、それでも本がすべてなくなったのではなくて、宮殿の図書館が戦火で燃えてしまったためになくなってしまったのです。それでも本はどこかに隠されていた。壁の中に隠されていた本とか、学者が暗記していたものとか。そういうものは秦が終わってから再現させ、復興するわけですね、漢の時代になって。だから前漢の時代に新しい文書が出てきた時に食い違いがある、そこで文献学が生じたわけです。

 「土の中から掘ってきました。実物です」といったときに、これとこれとでどっちが古いもので正しいのか、とそうなるのが常です。それから学者が暗記していたものよりも土中から掘られてきたものの方がより正確だということになったり、その逆だと分かったり、大騒ぎになったりして、それから偽者が出てきます。中国のことですから(笑)。そこで、中国では儒学の経典の言語学的、文献学的論争が絶えないというわけです。それだけでもって巨大な学問をなしているわけです。経書の文献学的研究だけでね。

 では、日本の場合はどうか。これからお話しますけれども、もちろん本は一部残っているし、今でもインターネットで何冊かは買うことが出来ます。私が自分で集めることも多少は出来ます。リストから20冊くらい調べると、一冊くらいはまだ買えますね。それから古書店を歩き回って集めてくださっている人もいます。五千冊集めたという方も世の中にいます。それからチャンネル桜は千五百冊くらい集めています。結局、そういった形で国立国会図書館には八割くらい残っています。でもそれは見ることはできても、自由に多くの人の心にしみ通り、考えを築くのに役立つようになるかどうかは別の問題です。現実にはね。

 つまり久しく読むことができなくなった本というのは流通が途絶えたということですから、流通を途絶えさせれば事実上、学者は研究者は読むことはできても、多くの人に新しい認識を持たせることはできない。そのことをGHQは知っていたわけです。ここがミソです。それが今、大きな影響を私たちの国に与え続けているのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

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