むかし書いた随筆(三)

*** 私は巨人ファン ***

 私は巨人ファンである。そういうと怪訝(けげん)な顔をする人が多い。ことに大学の研究室や講師控室や出版社の編集室などでそう告白すると、呆れたという顔をする人さえなかにはいる。巨人ファンは知識人、教師、編集者の世界では少数派である。肩身が狭いのである。だから、あまり口外しないようにしている。阪神ファンや中日ファンが大学の建物の中で大口を叩いているとき、巨人ファンは鷹揚(おうよう)に構えて、にこにこ笑って、気に掛けていないというような顔をしていなくてはならない。

 巨人が優勝しそうな強いシーズンにはことにそうである。しかし、今シーズンの後半のような、負けがこんできて惨めなときでも、あまり巨人のことは話題にしない方が良い。私の口惜しさを回りの誰も分かち合ってはくれないので、精神衛生上にはなはだ良くないのである。阪神ファンなどは、チームがあんな救いようもない状態でも、ファン同士は結構気脈を通じていて、互いに同情し合い、いちゃいちゃし合っているので、救われている。これに比べ巨人ファンはつねに孤独である。

 巨人ファンの中でも、原のファンだとでも言おうものなら、驚かれるくらいでは済まない。完全に軽蔑されるであろう。幸い私は原の格別な贔屓(ひいき)筋ではない。昨年の日本シリーズで西武に敗れたのは、本塁送球を怠ったクロマティのせいだと思われているし、私もそれを否定しないが、原が打つべきときにきちんと打っていれば、否、三回のチャンスにせめて一回打っていれば、巨人の優勝だった。

 王監督時代を通じ、原と江川に頼って、肝心なところで落とした試合がいかに多かったか。巨人の四番打者は、毎年三冠王が期待されるような本物のスラッガーでなければいけないし、巨人のエースは七、八年で二百勝をクリアーする本格派速球投手でなくてはいけないのである。そういう意味で私は、今の巨人ではなく、王、長島、金田時代の巨人のイメージを守りつづけている懐古派かもしれない。

 しかし、ファン心理というのは不思議なもので、一度なると、取り替えがきかない。よくあちこち浮気するファンがいるが、ああいうのは贋物(にせもの)である。まして、巨人が負けさえすれば嬉しい。あとはどこが勝っても構わないという、いわゆる「アンチ巨人」派という人種がいるが、あれは野球ファンとは言い難い。「アンチ巨人」派はインテリと称する連中に多い。あまり深く考えずに反権力・反政府の方向を何となく「正義」と看做(みな)すあのばからしいインテリ心理と、深層においてつながっているように思える。そして、これが私の身を置く職場や交際社会に、まるでゴキブリのようにごまんといるので、衆寡(しゅうか)敵せず、私はほとんどお手上げである。

 私が巨人ファンになったのは中学生の頃だった。三番青田、四番川上の時代である。川上の赤バット、大下の青バットが子供たちを熱狂させていた時代である。

 私は中学一年のときに“少年ジャイアンツ・クラブ”というファンクラブに入って、写真集などを集めた。ラジオの中継を必死に聴いた。対南海戦で、三対零と負けていた九回裏二死満塁ツースリーで、川上がサヨナラ・ホームランを打った、あのまるで絵に描いたような有名な試合も、私はラジオで聴いていた。そして、興奮して、部屋中を飛び回ったのを覚えている。

 少年の心を燃え立たせた熱い、熱い思い出に、私は一生素直に、忠実でありたいと思っている。インテリぶってわざとお澄まし顔にひねくれてみせるなど、じつに馬鹿げている。そして、原ではなく、川上、長島、王に匹敵する不動の四番打者の出現する日を夢みつづけることにする。

    初出「NEXT」1989年1月号

「むかし書いた随筆(三)」への12件のフィードバック

  1. 保守たるもの、巨人ファンがよい。
    わたしは、王が引退する直前からのファンで、予備校生のとき、原が入団して、小倉球場でサヨナラ・ホームランを打ち、小倉の観客がなだれ込んで大騒ぎしていた最中に、予備校帰りで、その横を通って以来、原選手のファンでした。しかも、巨人という球団のファンなので、原監督が無念にも辞めさせられても、チームのほうが大事なのです。ナベツネだって、大リーグのオーナーなら、自分のチームに有利なように画策するのは、ある意味誰でもやりたがっている行為として、問題にならなかったのではないか?と思います。もちろん一リーグ制に賛成です。
    九州はホークファンばかりで、アンチ巨人が多い。特にわたしの周りの公務員や団塊世代から下の左翼世代の親父は、アンチ巨人だ。田舎の巨人はファンは、もっと孤独である。

  2. しかし、クロマティとは恐ろしく古い話ですね。(笑)
    私自身は野球はほとんど興味ないんですが、父親がやはり巨人ファンでしたね。
    帰ってきてビールを飲みながら、よくテレビの中継にかじりついてました。
    関西ですから、巨人ファンというのは、ま、どこにでもいるけど、
    東京ほど多くはない。中学生のころに、なんで巨人ファンなのかと
    訊いてみたことがあります。答えていわく、そりゃあ、最初はおれも
    阪神ファンだったが、阪神は負けるので面白くない、精神衛生上よくない、
    テレビ見ていて負けたら、ムシャクシャする、だから、いつも勝つ巨人軍に
    したわけだ、ということでした。なるほどとは思いましたけど、
    さすがに子供心にも、ちょっと節操のないというか、趣味まで常に勝つものに
    肩入れしなくてもいいのにと思いましたね。ちなみにON時代の話です。
    「巨人ファンは孤独」というのは当たっているかもしれません。

    ひいきの野球チームに限らず、人間歳をとると保守的になるという
    のは、古今東西かわらない真理のようですね。
    私も中学生のころまでは、自民党から共産党までみんなぐるなんだ、
    みんな、いっしょくたの三文芝居なんだと思ってました。
    その観点自体には変わりがないにしても、革新や進歩的なことを言う人たちへの
    見方は随分変わりましたね。つまり、そういう人に限って、人間としては
    かなり卑怯だったり、上に媚びへつらってずるかったり、自分勝手だったり、
    言ってることとやってことが全く裏腹なことが多い。そう気づかざるを
    えなかったからなんですよね。
    マルクス主義なんてのを口先で唱える、仲間うちで声高に擁護する人に限って、
    実際の連帯や集団的な美徳には、かえって冷淡なことが多い。
    ふだんは仲良くわいわいやってますが、いざ事が起こると必ず真っ先に
    得な方へと走る。
    この点、進歩的なこと言ってる大学教授なんて、そこまで卑しいかと
    いうくらいひどいもんです。
    もちろん、左翼的なことをやってる、やってた人にも、立派な人はいます。
    かなり少ないですが。つまり、これは主義主張の内容というよりも、
    プレゼンテーション、自己演出の問題なんで、内容が民族主義だって
    やはりいいかげんな人はいっぱいいるわけです。

    だいぶ以前に、元赤軍派議長の塩見さんと話したことがあって、
    何党支持なんですか?と訊いたら、自民党だって言うんですね。
    彼の感覚では、旧社会党や共産党の連中は口先だけで信用できない、
    それに較べたら、自民党の話のわかる連中の方がずっとましという
    ことなんです。意外だったけど、またなるほどなです。
    私も、昔は自民党なんて悪党の集団だと思ってましたけど、今はどうかな・・。
    少なくとも、文部省のやっている大学改革の方向は正しいと思います。
    (けど、国民年金は破綻しちゃって、一体どうするんでしょう?)
    どうせ大学の先生なんて、みんな保守的なんですから、口先でもっとも
    らしいこと言ってていいかげんな人よりも、文部省が好む保守的で
    優秀な人を先生にした方がずっとましだと思います。どうせ、学生は
    学校の先生の言うことなんて大して信じてませんしね。
    結局、私は巨人ファンにはなれないけど、阪神ファンにもなれそうも
    ないなぁ。だいたい、野球興味ないしね。

  3. 初めまして西尾先生。
    西尾エッセイの大ファンです。
    前に講談社文庫で出された書物で柴犬の話や1に書いてらしたお見合いの話が好きでした。
    正直、「わたしの昭和史」の続きが気になります。
    是非再開をお願い致します。

  4. 思想家としての西尾先生も好きですが、随筆家・文章家としての先生に昔から大変魅力を感じています。識見、論理、言葉遣い、どの点から見てもみごとであり、行間から真正の知的正直さや文人としての風韻が匂い立ってくる点が、多くの文章家と先生を隔てるところだという印象です。
    言論と言語で世の中とあめつちを動かしておられますが、ご自愛なされてさらに息長く、大きく社会と人の心を動かしていただきたいと思います。

    私も「わたしの昭和史」の続きを読みたいと考えています。

  5. >巨人ファンさんへ

    同じ投稿がダブっていたので削除しました。

    なお、私は昔はカープファンでした。
    ・・・・今はサッカーの方が好きです。

    >元つくる会会員はねらーさんへ
    もう一度だけでいいから、会員復帰お願いします。
    来年の夏が最後の決戦になるかもしれないから・・・。

  6. 西尾先生、ご無沙汰しております。
    電通大での先生の最終講義に出席させて頂きましたが、
    「死」についてのお話が今でも印象深いです。今は
    電通大を離れて、仙台市郊外に住んでいます。

    アンチ巨人という存在について思うのですが、「強い
    ものが(とにかく)偉い」という価値観は、日本では
    ないのではないでしょうか。伊良部も成績が悪いので
    ヤンキースをクビになりましたが、態度が悪かろうが、
    マスコミ受けがいかに悪かろうが、もし圧倒的強さで
    20勝あげれば、米国では文句なしにスーパースターです。
    日本は何故かそのようなストレートな評価を阻むもの
    (判官贔屓などと呼ばれることもありますが)があり、
    それが今日の日本が抱える問題とも関係があるような
    気がしてなりません。阪神ファンは良いのです。ただ、
    阪神が弱いからいい、単に巨人と対立しているから好き
    という心理があるのであれば、それは単なる病気です。

    民主党の岡田克也党首が好きな球団を聞かれて、その年
    優勝しそうなチームを応援するとインタビューで答えて
    いるのをみて、少し引っかかったことを思い出しました。
    要は、勝ち馬であれば何でもいいということでしょうか。
    そうすれば、ストレスが減るからと言っていましたが、
    小沢一郎の元弟子らしい発言でした。せめて政策面では、
    何でも良いから、勝ち馬に乗るという行為だけは止めて
    ほしいです。

  7. 1989年に書かれていた事を考えると確かにサヨクはアンチ巨人といった
    法則が当てはまるのかも知れません。現にアンチ巨人の急先鋒と言うべき
    虎党の中にあの土井たか子も居ましたしね(^◇^;)尤もアンチ巨人の半数以上
    はノンポリ(政治思想無し)だったのですが。

    只、虎党の名誉の為に言わせて貰うと近頃ではサヨクに反発する虎党も
    増えてきていることは事実ですので。15年前に出されたコラムの内容
    は現代では必ずしも当てはまりませんね。もし、現代に出すのでしたら
    校正の必要有りかと思われるほど「風化」してますね。少なくとも
    「当時は」という言葉を追加する必要がありそうです。

  8. 以前先生が野球観戦のため球場に足を運んだ時に、一つのプレーを見終えた瞬間今のシーンをスローモーションで見たいと思う自分がそこにいる事に気付き、いかに自分がテレビで野球を見ると言う事に慣れ親しんでいるかが解った・・・と言う事を何かの本に書かれていましたよね。
    これと関係するかどうか解りませんが、ゲーム文化に慣れた子供達が、ゲームの中で簡単に相手を殺したり自分が殺されたりする世界に慣れてしまい、そうした事が生命の尊さを軽く見てしまうのではないかと問題になったことがあります。いや今もまだそれを引きずっているかもしれません。
    私は当初それは少し考え過ぎだろうと思っていましたが、事実最近は少年少女の犯罪が多発し、恐ろしい事にそれを知る我々もあまり驚かなくなっているというのが現実です。
    そしてもっと恐ろしい事は、もしや自分の子供も当事者になるのではないかという不安さえあることです。
    野球はやはり生で見ることが本来の姿なのに、大くのファンは自分だけの空間で大好きな画像に酔いしれ、それがいつしか最も理想的なスタイルだと錯覚しているといえるでしょう。さらに球場に足を運んでしまうといつも見ている角度と違う現実に違和感を覚え、かえって息苦しい感じさえ覚えてしまう。
    もしかすると今の現実社会はそれと似た要素を引きずっているのかもしれない、そんな想いにさせられます。

  9. 西尾先生、はじめまして。
    先生の考え方は日頃から感銘すること多く、敬服いたしております。

    さて、巨人の話が出たので、一言物申し上げたくて、投稿させていただきます。

    私はアンチ巨人である。
    西尾氏は、アンチ巨人派はあまり深く考えもせずに反権力・反政府の方向を「正義」とみなす、ばからしい心理と深層においてつながっているように思うと述べているが、なるほど、そういう側面はあるように思うし、そういう人もいるように思う。
    しかし、それだけではないことの方が多いことを今日は言いたい。

    ファン心理は稚拙な源体験から出発している。
    ・はじめてプロ野球を見たのが阪神だったから、
    ・TVで巨人しかやってないから
    ・広島出身なので広島が好き。

    アンチ巨人の心理とはどんなものだろうか?
    ・権力者が嫌い。
    ・強いものよりも弱いものを応援したい。

    では、反対側の人はどうだろうか?
    ・権力が好き
    ・強いものへの憧れ。

    まあ、どちらも自然な感情の部類だろう。
    プロ野球に興じるくらいのことであれば、その程度でよい。
    しかし、政治や仕事や我々の生活の損益に関わることであれば、そうはいかない。西尾氏が言うように、あまり深く考えてもいない正義を論じるのは健全な大人とはいえない。

    同じことが最近のプロ野球問題でもあてはまるように思う
    繰り返すがファンってのは元来稚拙な体験から基づく立場である。
    盲目的に好きなだけだ。そういうものである。
    しかし、昨今のプロ野球界が抱えている問題を考えた時に、いつまでもそれで良いだろうか?

    ご存知のとおり、近鉄の合併問題から端を発し、巨人を持つセリーグの2リーグ現状維持派、巨人を持たないパリーグの1リーグ移行派とに分かれ、新規参入を一時は頑なに拒んだことなど、球界の非常に膠着した体質を露呈した。
    ドラフトなど戦力均衡を目指した制度を巨人本位の理屈で変えてしまったり、年俸の高騰や放映権料問題等、巨人に依存した体質が浮き彫りにされた。

    私はプロ野球が大好きである。
    チームでは、しいて言えばダイエー、近鉄、ヤクルトが好きだが、前述のとおり巨人は応援しない。
    私はチームよりも選手の方に興味の目が行く、巨人にも上原や小久保など好きな選手はいる。
    ただ、やっぱり巨人だけは応援できない。
    チーム対チームのフェアな真剣勝負や、いろんなチームの名選手のプレイが見たい。
    今年のパリーグのプレーオフや日本シリーズは本当に面白かった。そのチームのファンでなくても、素晴らしいものを見せてもらった感動がある。
    そんな、プロ野球をこれからもずっと見て行きたい。
    と思うと、なおさらのこと巨人だけは応援できない。

    球界で巨人が独善的なのはファンの支持を得ているからである。巨人ファンが多いからである。巨人独善の原因はファンにあると言える。これだけのことでも大人であれば巨人の応援はしまい。
    さらに、ドラフトをなし崩にし、金にモノを言わせた選手の獲得など、とてもフェアな行為とは言い難い。まさしく金と権力の傲慢さを発揮したと言える。そして他の球団は巨人におんぶに抱っこでたかっていた。
    親が巨人ファンなら、子供も巨人ファンになると言うケースは多いだろうが、子供を金と権力をふりかざしたり、独善的な思想の人間に成長して欲しいのか?
    それでも巨人ファンが多いのは、稚拙で盲目的に巨人が好きな人があまりにも多すぎるのだ。そういうレベルなのだ。とてもプロ野球ファンとは言い難い。

    保守は巨人ファンが良い?ってコメントあっが、それは近い関係だろうか?
    そちらよりも、アメリカ一国主義と巨人依存体質の方が近いように思う。
    そんなものは、どちらもNOに決まっている。

  10. アンチ巨人は、たいてい「プロ野球ファン」だと、自分のことを名乗る。巨人ファンは、野球を知らない。野球ファンではなく、「巨人」ファンだと言う。そして、自分は野球に詳しく、野球を愛しているのであって、日本のプロ野球を破壊する巨人が嫌いなのだと言う。わたしは、アンチ巨人もある意味で「巨人ファン」だと思う。巨人の動向をいちいち気にして、それを批判し、馬鹿にすることで、楽しんでいるのである。左翼が、日本をだめにするからといって、自民党の動向に気をつけ、少しでも叩けそうになったら、大騒ぎで非難するやり方と、同様の精神的構造を見ることができる。

  11. 本題からずれますが、今までのプロ野球界の「巨人中心主義」が限界に
    達してしまった事だけは確かなようで、それがスポーツファン層の
    プロ野球離れを招いている原因の一つな事だけは確かなようで(^◇^;)

    只巨人さえよければと言うのでは巨人ファンに対しても弊害が有るわけで
    巨人ファンも他球団ファンとの「競争原理」で成り立っている事を忘れて
    はいけないと思います。NPBに工作してまで露骨に巨人軍を強化する
    行為はアンフェアというものでありそれは是正されなくてはいけません。
    これは却って真っ当な巨人ファンに対する裏切り行為にも等しい。
    ましてや他球団ファンに非難される要素で有ることは言うまでもありません。

    まあ、どのみち虎党を初めとした他球団ファンは「くたばれ!ヤンキース!」
    ならぬ「くたばれ!ジャイアンツ!」とばかりに贔屓の球団が勝つように
    応援し続けることでありましょう。ジャイアンツは強い球団ですので(^◇^;)

    それと巨人ファンの大部分は基本的に他球団ファンと同じ様な存在だと
    私は思いますね。只、純粋に巨人を贔屓にしているのだと。まあ、権力
    指向の巨人ファンはごく一部でありましょう。お互い贔屓の引き倒しに
    は気をつけたいものです。

  12. 投稿して久しく見てみました。
    一部、論理性の無いただのバッシング的な投稿もあるようで、これだと場がしらけてしまいますね。

    『アンチ巨人もある意味巨人ファンである?』
    ははは^^、そうですね~
    これは巨人ファンから良く出る発言ですね。
    確かに球界で一番露出が高いのですから必然的に目に映るし、私なんか、これまでの巨人中心主義ではいけないと、問題意識を持ってるわけですから関心もあります。
    しかし、それはファンでは無い。
    「悪い意味での関心」=「ファン」では決してありませんので、「ファン」という言葉の解釈を捻じ曲げて、撹乱するようなことはやめましょう!
    ところでこの発言には、良くも悪くも注目度ナンバーワンなのは巨人です。それが私達の愛する球団なんです!という自己中心的な満足臭がプンプンしてますね。
    また、巨人中心主義の事実を踏まえて今後どうあるべきか?なんて話の時に『・・・ある意味巨人ファンである』など、こんな風に総括的に断じることは、「所詮僕らの世界は巨人中心に回ってるのさ~」と言っているに等しく、現状を改善しようとする意識が全く欠落した態度でもありますね。

    巨人ファンの皆さんは、これまでのアンフェアな行為に対してどう考えなんでしょうね?
    「いえいえ私は球団経営者には興味が無くて、ジャイアンツというチームのファンなので」とか「巨人ファンとしても大変遺憾です」なんて、純粋まっすぐ巨人ファンは言うでしょうが、もうちょっと大人になって欲しいな。

    子供の頃に巨人を見たから巨人ファンである。
    我々は日本に生まれたから日本人です。

    ちょっと似てますよね。
    さて、日本人のアイデンテティですが、純粋真っ直ぐ君から、分別のある大人へ、成長することで、公の意識が芽生え、そのなかで本当の個を自覚するわけです。成長できない純粋真っ直ぐ君が、分別無く例えば反体制派などに走りがちであるのは周知のとおりです。
    プロ野球のファンだって、純粋真っ直ぐ○○ファンから、分別のある大人のファンに成長して行きます。その時に芽生える公の意識とは、特定球団へのものではなくて、日本のプロ野球界への公を意識するようになるのです。

    あえて、提言するならば(このブログの視聴者は保守の人が多いという前提に立てば)、保守だからこそ、特定球団のファンなどと尻の穴の小さいことを言ってるんじゃなくて、日本のプロ野球全体へ愛情を注ぐべきです。それで、米国メジャーリーグを凌ぐ魅力ある野球界にしようとかね!そんな風な議論をしようよ。

    保守だから巨人ファンだ!
    アンチ巨人は反体制派と同質だ!
    なんて話じゃあないんじゃない?

北のあきんど at 2004年11月06日 15:53 へ返信する コメントをキャンセル

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