むかし書いた随筆(二)

***やさしさと弱さ***

 テレビ番組で新婚カップルに、プロポーズの言葉は何でしたか、とアナウンサーが質問すると、たいてい「僕と結婚して欲しい」「僕について来て下さい」の男性主導型の答えが多く、「二人で人生を一緒に歩もう」というような男女間の対等と共同の姿勢を示した答えはめったに聞かれない、これは非常に困ったことだ、とある婦人評論家が、近頃の若いカップルに疑問を呈していた。すなおで従順な女を喜ぶ男の身勝手が、結局女を一本立ちの人間にしないで、駄目にしているのだ、と彼女は言いたいのである。

 しかし私に言わせれば、これはまったく逆に考えることもできるのではないかと思う。

 やはりテレビでよくやる若い男女の番組を見ての感想なのだが、女性はどういう夫を望むかと聞かれると、たいてい「やさしい人」「誠実な方」と答えるようである。私にはどうにもよく分からない答えである。まるで雄々しい男性像を望む若い女性はいないかのごとくに見えるからである。

 よく考えてみれば、男のやさしさなどというのは、なにか事が起こるまでは裏に隠れているのが普通なのであって、いかにも外見上やさしそうにみえる、表面的なやさしさは、人生の危難に出遭えば、たちまち女への残酷さに一変してしまわないとも限らないだろう。

 ただのやさしさ、みかけの誠実さは、人間としてのどうにも救いようのない弱さの表れかもしれないのである。男が女を駄目にしているというのなら、みかけの「やさしさ」「誠実さ」を求めたがる若い女性が、今の男を駄目にしているのだと言えないこともないだろう。男女は相関関係なのに、なんでも男のせいにするのはおかしいし、女性がとかく自分の失敗までをも男のせいにしたがるのは、女性が一本立ちの人間になっていないなによりもの証拠のように思える。

 こういう男女が結婚して、いざ子育てという段階になると、互いに都合のいいことは全部自分のせいにし、具合の悪いことはみな相手のせいにして、そういう調子で何年も経るうちに、妻はただ愚痴だけをこぼし、夫は聞かぬふりをして妻の攻撃をかわすだけの、一種独特な、あの不正直な「家庭」という城が出来あがるのである。

 子供は父親をいっこう尊敬せず、母親をできるだけ利用しようとする、「甘え」を武器としたずるい性格を手に入れるようになるであろう。お父さんがしっかりしてないから子供がこんな風になった、もっと厳しくしつけて下さい、とよく夫を責める妻がいる。しかし父親らしくさせるのは、母親の毎日の態度なのである。

 お父さんの職業や収入をいつもお母さんが口ぎたなくののしっているような家庭であれば、子供もやがていつしか父親を軽んずるようになるだろう。しつけなどできるものではない。

 そういう家庭に限って、親子の断絶だなどと大げさに言いたがる。なにか事件が起こって、急にわが子の気持ちがさっぱり分からんなどと言いだすが、両親は子供にだけ正直であることを要求して、つねひごろ自分の方は子供に対してさほど正直であろうとしなかったことに、まるで気がついていないのである。

 いけないのは、なんでも相手に責任をなすりつける、人間としての弱さである。男にも女にもこの弱さはあるが、母親は子供という愛の対象を得ると、この点救いがたい弱さを暴露しがちである。女はたしかに愛において強く、深いが、自分の愛していないものに対しては不公平になりがちである。男だって愛によって盲目にもなるが、自分の敵をも公平に評価する目は、女よりはいくらかましだと、私はつねづね考えている。

初出(現代「ずいひつ『父親たち』(5)人間としての弱さ」)『ベビーエイジ』1978年9月号

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