GHQ焚書図書開封(3)の衝撃

ゲストエッセイ 
足立 誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員


 ある国の記録を焚書・抹殺するということはその国、国民から歴史、identityを奪うことであり、その国の消滅をもたらす可能性を孕むものです。

 GHQは日本の歴史を焚書し消し去ると共に、検閲を通じて捏造した虚偽の歴史を日本人に刷り込む枠組み、システムを構築しました。

 本書、GHQ焚書図書開封第三巻は焚書された書籍に光を当て、そうした日本滅亡にまで及ぶ枠組み、システムを明らかにするものです。

 まず始めに、日本が戦った戦争の実態と日本軍兵士の実像を開封した兵士の手記から再現させています。
雨とぬかるみ、死んでいく軍馬、竹やぶと飛来する銃弾、クリークの水で炊いた臭気で食欲も出ない米飯。そうした情景は読者の脳裏にありありと浮かびます。
 
 その環境の中での兵士同士の人間味溢れるつながり、友情、部下への思いやり、戦友の死が語られます。そしてそんな苦楽をともにしてきた兄弟同様、或いは親子同然の戦友、部下の戦死の場面。言葉では言い尽くせぬ悲しみに思わず目頭が熱なることも一度や二度ではありませんでした。

 日本軍の兵士は戦後に描かれた悪逆非道な姿ではなく、極めて人情味に溢れそれでいて規律正しい戦士達であったことが分かります。

 何よりも印象に残ることは兵士達が日本という国家を信頼し何の疑念を持っていなかったことです。彼等は、正義の戦いに従軍しているという自覚、義務感が極めて旺盛であり、正義のためには命を捧げてもよいという気持であったのです。

 本書には息子の戦死に悲しみをこらえられない親についての記述も再現されています。その悲しみは現代に子供を失った親の悲しみに劣るものではないことが分かりますが、それでも国への信頼と戦争の正義を信じている気持ちは失われていません。
 
 つまり敗戦までの日本人は国を信じ、戦争を正義のためのものとして捕えていたことがわかります。
 
 戦後に書かれた戦争に係わる本では、国民はあの戦争を悪であると思い、国への信頼などなく、「心ならずも」召集されて行かされたのだとしているものばかりです。
 そして本書に再現された手記に比べるとリアリティーが決定的に欠けています。

 又初めて知る話でしたが、開戦に南米から日本へ向かっていた商船鳴門丸の舟客、船員が航海中に日米開戦を知り、ハワイ攻撃の成功を喜びながらハワイ沖を経由して奇跡的に無事日本へ帰国する話があります。そこにも当時の日本人の凛とした様子が描かれています。

 こうしてみると敗戦以前に記された書籍が描いている日本と日本人は戦後に描かれた日本と日本人とはまるで違うことが分かります。
中国側については更に大きなギャップがあります。
 
 本書で開封された焚書の一つに日本に留学していた中国人学生が祖国に帰り蒋介石軍に捕えられ軍隊に徴用された従軍と敗走の手記が取り上げられていますが、その記述は凄まじいものです。
 
 人攫い同然に一般市民を拉致して兵員にする。斥候に出た兵隊達は任務そっちのけで住民への略奪、強姦に従事していることが書かれています。日本軍からの射撃だけではなく、味方の督戦隊からの銃撃でばたばたと戦死者が出る。その死体の山の中に逃れて生き残る話など余りに酷いものばかりです。
 
 こうした話は戦後完全に抹殺され我々は全く知らないで捏造された記録のみにしか出会いませんでした。

 例えば日華事変開始当時同盟通信の上海市局長であり後に同社の専務まで勤めた松本重治は戦後「上海時代」(上、中、下三巻、中公新書)という回顧録を執筆しますが、以上とは正反対のことばかり記します。

 上海の自宅に兵隊が入り物が盗まれると、使用人の話として日本軍によるものと記したほか、総て日本が悪く中国が正しいという筆致です。
 
 婦女子を含む一般邦人二百数十人が虐殺された通州事件についても「悲劇の通州事件が起きた」とだけ書き、シナの保安隊が加害者だったことを隠蔽しています。

 尚彼は同盟通信の幹部としてGHQによる検閲に直接係わったはずですが、そうしたことについて一切口をつぐみ、日米学会の会長、国際文化会館の理事長などの要職を勤めたのです。所謂「昭和史家」の書いた昭和史はこうした松本重治の書いた類を資料としたものです。

 今回明らかにされた焚書の中で非常に多くのことを教えてくれた書籍が菊池寛の「明治大衆史」です。
 
 義和団の変に際しての欧米各国軍隊が凄まじい略奪暴行の限りを尽くしていたこと、我が軍の軍紀が極めて厳正であり模範的なものだったことが記されています。

 そもそも義和団事件は、清国が日清戦争に敗れたことから欧州各国が野盗の如く清国に対する領土の租借の競争に入ったことへの反発が原因であり、当時の弱肉強食の世界の凄まじさがわかります。

 菊池は、その前の日清戦争開始時点に日本を支持する国も好意を持つ国も一国もなかったが、その状態は日華事変の開始時点における我国を巡る列国の態度とおなじであったとのべています。

 つまり日英同盟の時期を除けば明治維新から第二次大戦まで日本はアジアの大半を植民地化した欧米と、国の体をなしていない中国に囲まれた孤独な存在であった訳です。

 そんな環境で我々の父祖は健気に独立自尊の精神で生き抜いてきたのです。本書第9章は焚書が如何にしておこなわれたかを侵略戦争という用語の開始時期などを切り口として溝口郁夫氏により鋭く分析されています。
 
 西郷隆盛から第二次大戦まで日本人は侵略と言う言葉を専ら欧米の行為としてのみとらえていたことが分かります。

 本書の圧巻は「あとがきにかえて」です。

  西尾先生はNHKが今年の夏に報道した秘話を以下のように採り上げておられます。 終戦の詔勅が放送されるその直前の午前に秋田県にある小都市が米空軍により空襲され小学生にまで犠牲者がでた。しかしNHKの報道はここで行われた米軍による戦争犯罪行為について追及することがなかったことは勿論、それに言及すらせず、「戦争は悲惨だ」という形で片付けた。
 
 戦争は国家間の軋轢から起こりお互いに敵同士となる。NHKを先頭に日本ではその軋轢がなにであったかそしてどう戦争に結びついたかについては触れることなくただ「戦争は悪い」ということに問題をすり替えて、更に「悪い戦争は日本によっておこされた。だから日本が悪い」という型に総てを集約してしまう。そこから導き出されるものは、日本の総て交戦国は何をしても免責されてしまうということです。
 
 アメリカは非戦闘員である日本の一般市民を原爆をふくむ空襲で殺傷するという明白な戦争犯罪を犯しながら、戦後今日に至るまで日本はそれを追求することなく、「戦争は悪い」「その戦争をおこした日本が悪かった」ということしか口にしなくなっている。

 広島の原爆記念碑には「もう過ちは二度とくりかえしません」と記されているが、これは「もう過ちは繰り返させません」とすべきものであると先生は述べられておられます 。
 
 更に先生は、こうしたことを放置すれば同じ状態が戦後100年後にまで続くと述べられ、こうしたことを放置するのは勇気が欠けるためであり、リベラルだけではなく所謂保守においても同じなのだと喝破されておられます。
 
 国が歴史を失うことはidentityを失うことであり、国そのものを消滅させることにつらなります。
 GHQにより行なわれた焚書を解明しないで放置することは正に国を消滅させることにつらなるのです。

 「GHQ焚書図書開封」は国民の総てにとり必読の書です。

          文責:足立 誠之

 足立さんのこのゲストエッセーに対し、次回ひとこと私からのエントリーを上げます。

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