日本人はアメリカを許していない』(その一)

現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。

今回は新刊の紹介です。コメントは現在受け付けていません。

 次の新刊が8月1日に店頭に出ました。

日本人はアメリカを許していない (WAC BUNKO 67) 日本人はアメリカを許していない (WAC BUNKO 67)
西尾 幹二 (2007/08)
ワック

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 この本は『沈黙する歴史』(1998年)の改題新版です。「新版まえがき」がついており、高山氏のユニークな解説が付せられました。

 「新版まえがき」の冒頭部分を紹介します。

 アメリカは20世紀の歴史にとってつねに問題でありつづけた。この国は力であり、富であり、希望であり、悪魔でもあった。アメリカを理解し、抑止することに各国は政治力を振りしぼり、アメリカの方針を誤算したばかりに手ひどい傷を負う国も稀ではなかった。それでもアメリカを愛する人は少なくない。寛大で包容力のあるときのアメリカは魅力的だからだ。しかし利己的で判断ミスを重ねるときのアメリカはいくら警戒してもしすぎることのないほどに、恐ろしい。

 日本は隣国であり、アメリカとほぼ同じ1920年代に一等国として世界に名乗りをあげた競争国であることを忘れないでおきたい。史上において対等であったというこの観点をわれわれは見失ってはならない。アメリカがもて余すほどの力をもって安定しているときには、わが国は弱小国の振りをしていてもいいかもしれない。依存心理に甘えて居眠りをしていても許されるかもしれない。しかし国際社会におけるアメリカの政治力が麻痺しかけ、経済力にも翳(かげ)りがみえ始めている昨今、アメリカは手負いの獅子になって何をするか分からない可能性があり、そういう情勢に対して、わが国は十全の気力と対抗心をもって警戒に当たらなければならない。

 そのためには自国の歴史が劣弱だという意識を抱いていては到底やっていけない。本書はそのことを知っていただくために書かれた本である。

荻生徂徠と本居宣長(七)

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皇室は「清らか」であればいい
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西尾  : 宣長は日本のカミのことについて語るとき「大虚空(おおぞら)」という言葉を用いています。この言い回しは象徴的です。神話の世界を考えるときに概念で支配されてはいけないと、しきりにいうのです。これはヘラクレイトスの見た「自然」や「宇宙」という概念に近いものではないか。

長谷川 : このような日本人の神話観、カミに対する感覚は、日本に仏教が根付き、キリスト教が根付かなかった根本原因として考えられるかもしれません。先ほどの「仏道をならふといふは、自己をならふ也」という道元の言葉は「自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり」と続いてゆくのですが、これはまさに森羅万象のうちにカミを見るという感覚そのものといえる。しかも、その全体を統(す)べるものとして、「存在」を考えるのでなしに「大虚空」を考える――これは非常に似通っていますね。

西尾  : だから神仏習合の前に「神神習合」があったという人もいます。森の文化の色濃く残っていた遠い昔、神道が自己確立する前に、さまざまな神々が習合していました。仏もその一つで、神と仏が一体になったのではなく、仏も神の一つとして迎え入れた。それに対してキリスト教は、どうしても相容れないものがあって迎え入れることができなかった。

長谷川 : 決定的な違いは、唯一絶対神を置いた場合、「つくった神」と、人間を含めた「つくられたもの」とのあいだには絶対に超えることのできない、在り方の相違が出てくるのです。それが神仏の世界と相容れない。加えて、日本人の天皇観とも相容れません。「教育勅語」にも出てくる「われわれも天皇のごとくあらねばならない」という価値観が、近代的な「支配者と被支配者」という考えを受け入れると、裁断されてしまうのです。

西尾  : それはわれわれの天皇崇拝が、自然への親近感とつながっているからです。日本には「自然と自分が一体化する」という発想が根っこにあり、天皇のなかにカミを見る。そして天皇のごとく、自分たちも生きようと思う。そのカミは、それこそ道祖神であったり、キツネやカラスにカミを見るような感覚であったりもする。そのカミはキリストの神とは根本的に異なるのです。

大事なもの、尊重すべきもの、私たちが美意識として必要とするものこそが皇室です。だから皇室はつねに清浄でなければならないし、週刊誌のゴシップネタになってはいけない。何もしないでいいから、「清らか」であればよいのです。余計なことはしないでほしいと国民は願っているのです。

長谷川 : 「清らか」――よい言葉が出てきましたね!(笑)まさにこの言葉こそ、いまのわれわれがもっとも必要としている言葉ですね。

(了)

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荻生徂徠と本居宣長(六)

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『創世記』と『古事記』の共通点
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長谷川 : また、話はちょっと先ほどの「神代」の話題に戻りますが、宣長の『古事記伝』には「さて凡そ迦徴とは」で始まる有名な「カミ」の定義がありますね。「其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦徴とは云なり」と。これは世界の森羅万象をただ当たり前と考えるのでなく、日常眺めているこの世界はいかに不可思議か、という驚きをもって眺め直す精神態度といってよいでしょう。世界に存在するありとあらゆるものが、不可思議で恐れ多い何かを携えて存在しているという思想、ともいえるかもしれません。

西尾  : 宣長は、ありとあらゆる世界の現象に神話を感じています。たとえば男女が交わり合うことで子供が生まれるのも、不思議といえば不思議ではないか。そんなことは説明がつくほうがおかしいと述べる。神話はつねに「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という問いが存在することは先にも述べました。そのような根源的な問いを発しているのが、神話なのです。

長谷川 : キリスト教の世界でもアウグスティヌスなどは、世界を眺めまわすと、山や海、木などすべてのものが「私をつくったのは神です」と自分に語り掛けてくるという言い方をしています。このアウグスティヌスの見方と宣長の見方はある意味で共通していて、宣長は「可畏き物を迦徴とは云なり」といって、その一つひとつにカミの名を付け、一方アウグスティヌスは「全体をつくった誰か」を神と考えた――。その違いにすぎないともいえますね。

西尾  : その「全体をつくった誰か」を宣長はあえて「太陽」といっていますが、じつは固定して考えているのではないでしょう。人格神ではない。

長谷川 : キリスト教世界でも、汎神論と唯一絶対神という二つの考え方が、つねに相争っています。しかしわざわざ汎神論を否定しなければならなかったということは、逆に、ありのままに世界を見ると、「ここにも、あそこにも神がいる」と見えてくるのだということの証拠ともいえる。そう考えると、宣長の考えたカミの概念は、非常に普遍的なものかもしれない。唯一絶対神という概念は、普通に考えれば汎神論になるところを、かなり無理して作り上げているのだ、というべきかもしれませんね。

西尾  : 天地創造の物語もそうです。

長谷川 : じつは文献学で今日わかっているかぎりでも、『旧約聖書』の「創世記」第一章のいちばん最初に出てくる六日間の天地創造の物語は、P資料と呼ばれる、成立年代の遅いテキストに属しています。いちばん最初に出来たのは、神様が土から取った塵をこねて息を吹き込んだら、人間になったという話です。

西尾  : それは中国の盤古神話・女媧神話とも似ていますね。

長谷川 : そっくりです。世界中のありとあらゆるところに、同じような神話があります。

西尾  : 混沌から世界が生まれてくるというストーリーは『古事記』も同じです。

長谷川 : 混沌の場面は、「創世記」のいちばん古いテキスト、J資料によると、「地上にはまだ野の潅木が存在せず、野に草も生えていなかった。・・・・ただ、地下水が大地から湧き上がって地表全体を潤していた」という、ちょっと奇妙なイメージで表されています。そしてそこからいきなり人間形成の話になる。神が人をこねてつくって、猫かわいがりするという話になるのですが、それがあの有名な「エデンの園」の物語です。このあたりは『古事記』と比べても甲乙つけがたいぐらい、リアルな父と子の物語です。

西尾  : これは中国の神話でも同じです。中国の神話では、大きな大地を支えるのは巨大な亀の足を切った柱で、そこに神様が出てきて泥のなかに縄を入れて絞り、このときしたたり落ちた水滴から生まれたのが人間である。園人間は、早くできたものは出来がよく、あとからしたたったものは出来が悪いと描かれている。

長谷川 : 「創世記」J資料の場合は、「神話」というよりむしろ神(ヤハウエ)を主人公とする文学作品というべきものだ、というのが私の解釈なのですが(中公文庫『バベルの謎』参照)、いずれにしても、そうした生き生きとしたリアルなイメージに満ちた物語が、後代の編纂によって、P資料の唯一絶対的な理論のなかに埋められてしまっている。これが現在われわれの見る「創世記」のかたちだといってよいと思います。

西尾  : 中国の場合は、のちに神話部分を全部捨てて、「天」という概念だけを抽象化して仕上げたという構造です。これはキリスト教と似ているでしょう。神話の部分を捨象して、「天」の代わりに人格神が登場する。

 一方、日本の場合、西洋や中国などのような便宜的な手法はとられていない。絶対神や人格神的なものは生み出されない。

長谷川 : それは絶対神が欠けているというより、中国や西洋で行なわれた、ある種の改竄が非常に少ないということだ、ともいえるでしょう。

西尾  : 加えて、日本人は素直だったと思う。神話を「お話」としてそのまま知らしめ、伝えていく。それが摩訶不思議だからといって、あまり手直しをしたりしなかった。どちらが人間的で素朴かというと、あるがまま伝えた日本人のほうが、よほど素朴です。神話は神話として伝え、それでいいという考え方だった。

長谷川 : ユダヤ・キリスト教の場合でも、あのいちばん古いJ資料だけが残っていたとしたら、そこにはおそらく唯一絶対神への信仰ではなく、ギリシア神話や日本の神話に近い世界観が広がっていたでしょう。

つづく

荻生徂徠と本居宣長(五)

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江戸時代に起きた「言語文化ルネッサンス」
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長谷川  : 『江戸のダイナミズム』では、「国学」と「儒学」という、ある種、対照的な性格の思想を並べ置き、そこにもう一つ「仏教」という思想をもってきて、三本柱のかたちを取ろうという構想があったようですね。ただ残念ながら江戸時代には、徂徠や宣長に匹敵するような仏教家の人材がいない。ここに出てくる富永仲基では、ちょっと力不足ですよね。もし鎌倉時代まで遡ることができれば、道元がいます。少なくとも道元は、西尾さんがおっしゃる「偉大な思想家というのは実に単純なことを言っている」という条件にピタリと当てはまると思うのです。

西尾  : どんな単純なことをいっているのですか。

長谷川 : いちばん有名なのが『正法眼蔵』の第一巻「現成公按」の巻の「仏道をならふといふは、自己をならふ也」という言葉なのですが、これはどういうことなのかというと、仏道だ、仏法だと、世の人々はなにか遠い国の珍しく有り難い教えを学ぶのだという意識でいるけれども、それではダメだ、ということなのです。仏道の基本はとても単純なことなので、自己がいかにして自己でありうるか――自己の探求こそがその核心なのだ、と道元は考えます。自己ほど不思議な謎はない。お釈迦様が探求し、悟った真理も、この自己という奥深い問題以外ではない、という考えなのです。

 もちろん、ここにいう「自己」は、たんなる「自我」とか「意識主体」といったものではない。むしろ、森羅万象がそこに映し出される透明なスクリーンのようなもので、だからこそ彼はすぐに続けて「自己をならふといふは、自己をわするゝなり」というのですが、いずれにしても、ここで語られている「仏道」は、哲学的探求そのものといってもよい知的な営みです。先人の言葉をただ(それこそ)「お経」のように唱えて有り難がるというのとは対極にある知的冒険なのです。

 ですから、道元の仏道にとっては、文献学などというものは、まったく枝葉のこととなります。その昔、お釈迦様が悟りを開いたという事実があり、その体験の皮肉骨髄が師から弟子へと師資相承(ししそうしょう)してゆくということが大切なので、言葉というものも、それをつかみとる手掛かりとして、初めて意味をもつものだ、という考えです。道元ほど「偉大な思想家」の名にふさわしい日本人も少ないでしょう。

西尾  : 道元の「自己」は自我でも主体でもなく、自己を抜け出た超自我のようなものでしょうか。私にはよくわかりませんが、徂徠にも宣長にも神秘主義はあります。ただ長谷川さん、『江戸のダイナミズム』が対象としたのは「学問」なのです。「歴史」の学問なのです。いきなりストレートに「宗教」ではないのです。宗教的なところにまで届いた学者たちなのです。そういう限定を踏み外さないように論述しました。

 それから言語音韻学の面で江戸の学問から橋本進吉あたりへ強いインパクトを与えているのは、むしろ空海です。ですが道元を提出された貴女のモチーフはわかりますし、大切なポイントで、私にとっては次の課題です。たとえばこの本でいえば、ゲーテを例に挙げるとわかりやすいでしょう。ゲーテはホメロスがつくり話であろうと何だろうと、ともかく真っすぐホメロスの懐に入り、そこから生命が伝わり、それがゲーテの血肉になる。それで十分であり、テキストの混乱は考える必要がないという態度でした。道元もおそらく同じ態度を示したでしょう。

 宗教家にとってもテキストの真贋などどうでもよいのです。文献学など糞食らえです。ゲーテも同じでした。しかし面白いのは、文献学を吹き飛ばしてしまうような、そのような感覚を、徂徠も宣長も抱いており、江戸時代の日本で花開いた。私はこれを「言語文化ルネッサンス」と考えます。ただの平板な学問ではなく、一種の破壊的創造です。

 すでに述べたように、17世紀にヨーロッパでも中国でも言語に対する危機感が高まり、古代の文字体験に遡ろうとする運動が起きたのですが、同じことが日本にも起こった。日本では7世紀に中国から文字が入ってきました。日本語が存在しているところへ、中国文化を学ぶために無理して中国語を学んだという原体験がある。と同時に『万葉集』の編纂が行なわれ日本語が確立しています。この「中国語から日本語へ」というのと同じドラマが「儒学から国学へ」という流れで、徂徠と宣長のあいだになされたのではないかと思っています。

 最初に話題にしたように、とにかく徂徠は7世紀の日本人が初めて中国語に出合って驚いたときの体験を回復し、初心に戻りたいという激しい情熱を抱いた。したがって弟子たちにも返り点を打って漢文を読んではならないと、白文しか読ませなかった。

 日本語としてではなく、中国語として読む。それが7世紀の日本人に戻ってみるということで、その原体験が宣長につながっていくのです。私にいわせれば、これはただの言語の学問ではなく、形而上学的表現でした。「中国語から日本語へ」は日本人の信仰の原型だったのです。

長谷川 : それがはっきりと表れているのが、『古事記』の序についての宣長の解説ですね。この序は純粋な漢文で書かれていますが、だからといって捨て置いてはいけない。ここで語られている中身は、非常に大事であるという評価を宣長はしています。

西尾  : 『古事記』の編纂者である太安万侶は練達な漢文の書ける人ですから、「全文漢文で書いたほうが早い」というぐらいの認識だったと思います。ただ日本の大和言葉の音を尊重しているので、音をそのまま再現したかった。とはいえ漢字しかありませんから、漢字で記すしかない。そのため注釈をつけるなど、さまざまな工夫をしています。こういう読み方をしろとか、ああいう読み方をしろとか。

長谷川 : 小さな字で細かく指示していますよね。

西尾  : そういう努力をしているから、いま私たちが発音している音と同じような音で読める。実際、読んでみると不思議でしようがありません。たとえば「国稚くして浮ける脂のごとくして、くらげなすただよへる時に」という部分で、「稚くして」というのは訓読みですから、これは漢文です。しかし「くらげなすただよへる」は「久羅下那州多陀用弊流」と表記し、「音で読め」と注釈をつけている。

長谷川 : このような注釈の付いた文章を読んだときの宣長は、単に古代のものを発掘しているというのではなしに、太安万侶に自分の“同僚”を見るような意識が生じていたのではないでしょうか。当時すでに、音だけが言語であった日本の古代の言語世界は崩壊の危機に瀕していました。放っておけば失われてしまうもっとも大切なものを、いま自分は救い出そうとしている――そういう切羽詰まった意識が『古事記』の表記からも、その序からもうかがわれます。そこに宣長は、ピンと相通じるものを感じたのではないか・・・・・。

西尾  : おっしゃるとおりだと思います。ある種、盟友に接するような感じがあったでしょう。

長谷川 : それに支えられながら、『古事記』を読み解いていったような気がします。

つづく

『国家と謝罪』新刊紹介(一)

現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。

今回は新刊の紹介です。新刊に対するコメントは受け付けていません。

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7月31日徳間書店より、『国家と謝罪』(¥1600)が出版されます。
実際には20日過ぎには書店に並ぶ予定。

帯の裏に目次のいくつかが掲載されていますので、ご紹介します。

@二つの世界大戦と日本の孤独
@小さな意見の違いは決定的違い
@言論人は政局評論家になるな
@安倍晋三氏よ、「小泉」にならないで欲しい
@北朝鮮の核実験に対する鈍感さ
@「保守」を勘違いしていないか
@子供の「いじめ」と国家の安全保障
@慰安婦問題謝罪はやがて国難を招く
@「教育再生会議」無用論
@保守論壇は二つに割れた

荻生徂徠と本居宣長(四)

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神話を神話として理解する
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西尾  : 宣長とは異なり、これまで多くの人々は歴史をもって神話を解釈しようとしてきました。その一つが神話の歴史反映説で、たとえば出雲の有名な神様と畿内の神様が出会って戦い出雲が屈伏した物語から、出雲族と天孫族の対立の歴史を引き出し、日本の古代史の展開をそこに重ね読みする歴史解釈などが典型的ですね。

長谷川 : 古代に女の将軍と男の将軍がいて、両軍が相戦ったのが・・・・・

西尾  : イザナギ、イザナミの話だとか(笑)。

長谷川 : その類の話が、荒唐無稽なつじつま合わせだというのは確かです。ただ神話をわれわれがどのように理解するかを考えたとき、これもけっこう難しいものがあります。たとえば、われわれは開闢の神話を読んで、無意識のうちに、それをなにか遠い昔の話のように考えてしまう。でも、それはすでに、神話と科学(たとえばビッグバンの仮説のような)とを混同しているのです。「天地初発之時」はつねにわれわれ自身の時間において繰り返される――この認識をもたなければ、「神代を以て人事を知」るんだなどといってみても意味はない。神話を神話として理解するというのは、じつは大変な精神的冒険なのです。

西尾  : 人間はどんなに科学が進んでも、自分がどこから来てどこに向かうのか全然わかりません。神話は人生のその相に触れています。私は、神話のなかにさまざまな教訓を読み込むことが正しいとは思いません。また、ユングの心理学を使って解釈するのもどうでしょう。天照大神のもとで素戔鳴尊(すさのおのみこと)がめちゃくちゃに乱暴するのをアニマ(魂)とアニムス(アニマの男性型)と解釈して、これが人間性の原型みたいなものだという。心理学者の神話解釈では、そのような類の物言いがなされます。

長谷川 : そのような解釈では、神話とそれを語る人物とのあいだに、大きな距離があるのですね。一方、宣長が「神代を以て人事を知れり」というときは、そうではない。一口にいえば、宣長は神の間近に立っているのです。

西尾  : 長谷川さん、大東亜戦争を私たちはもうよく、立派に思い出すことができません。私の父母が健気に必死に生きたあの時代が、私には「神話」の世界のように思えてなりません。

 話は変わりますが、中国においては、聖人・孔子による「神話抹殺」が儒学の基本になっています。儒学から神話は徹底的に排除されたのです。孔子も「三本足の神様」というような記述があれば、「三人の人間」と書き換えたりしました。これにより儒教何千年の歴史が、合理主義に徹したというわけです。これは日本の儒学に強力な合理主義を形成する背景にもなっていました。

 しかしながら江戸から明治あたりまでまだ儒教の影響はありましたが、その後日本では、神話を排除して合理主義を貫く儒教は、あっという間にその影響力を失ってしまいました。たとえば儒教の基本的な経典、四書五経でも、四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)はある程度読み継がれていますが、五経は今日、テキストを手に入れるのさえ困難な状況です。江戸時代から明治までかなりの影響力があったはずの文化が消えてしまった。影も形もないといってもいいくらいです。これは結局、儒教が心の奥底では日本人に受け入れられていなかったからだとしか思えません。

長谷川 : 漢詩をつくれる人も少なくなりました。

西尾  : そう考えたとき「脱儒教」となった責任は、日本文化ではなく、儒教の側にあるように思うのです。このことを徂徠は、見抜いていたのではないか。

長谷川 : 儒教というのは日本人にとって、ある種の科学的思考をするための道具だった。しかし明治に入ると、西洋から科学的な社会システムが導入され、それに完全に依拠したため、中国的な思考を必要としなくなったと考えられます。

西尾  : 表面的なテクニカルな部分だけで十分だったのです。そのことも徂徠は見抜いていた。また徂徠は政治のあり方として、「先王の道」を伝授するには、文学と学問と同時にスキンシップも大事で、そのためには狭い地域で君主が民衆と接する、封建制度のような制度でなければいけないと述べています。だから理想は周の時代で、科挙官僚制といえる郡県制度下にあった秦漢以降の在り方を否定しています。

つづく

荻生徂徠と本居宣長(三)

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文献学を破壊した宣長とニーチェ
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長谷川  : 一方、宣長の学問を「近代」の意識の営みとして眺めるとき、これを「破壊」と考えることはどうしても不可能です。ここでふっと浮かんできたのは、常識とはまるで違った「近代意識」の定義なのです。つまり「なにか決定的に重要なことがすでに終わってしまっている」という意識。

 ただし、「その決定的に重要なことは、ふたたび喚起することができるし、また喚起しなければならない」と考える意識――そういうものを「近代意識」と呼ぶとしたら、宣長の学問はまさにそれだったのではないか。またそれは、この本のなかで「偉大な思想家」の一人として挙げられているニーチェとも共通するものなのではないかと思います。

西尾  : 文献学は「認識」を目的とします。しかし宣長やニーチェのような人にとっては認識とは、何かのための手段にすぎません。二人の発言は徹底的に文献学的ですが、同時に文献学の破壊者でもあります。通例の安定した客観性をめざす学問ではありません。

 いま長谷川さんは宣長の学問には「破壊」の面はないとおっしゃいましたが、さてどうでしょうか。村岡典嗣の『本居宣長』(1911年)は、宣長に正統な文献学からみての逸脱があるとして、それを「変態」という表現で指弾しています。宣長は上古人の古伝説を背理、妄説のように信奉し、主張していると当惑感を隠せずにいます。ニーチェがワーグナーの音楽にギリシア悲劇の再来をみた乱暴さに似たような大胆さと独断ぶりは、上田秋成との有名な論争の仕方における宣長の論法の無理無体にも表れています。

 いまおっしゃった「あることが終わった」のは、良いことではないが認めざるをえない、というお言葉は重要です。伝統的な神が危機に陥っていることは認めざるをえないけれど、だからといって神のない世界、つまり平板でのっぺらぼうな現実をそのまま認める国学者・上田秋成や儒者・富永仲基のような合理主義者の発言は容認できない。認識として同じことは百も承知だけれど、あらためてそれにノーという情熱が、徂徠と宣長にはきちんとあったと思うのです。

 その情熱はときとして「破壊的」な性格さえ帯びます。徂徠は富永仲基から、宣長は上田秋成から、「お前たちのやっていることは私事だ(主観的だ)という言葉を投げつけられる。しかし、徂徠のような巨大な自我が信じること、宣長のような巨大な主観が展開することで、世界史が客観的に開かれていくのです。

 宣長は幽霊を記録することを学問と心得た国学者・平田篤胤のような人間と違い、あくまで『古事記』の文献学的な探求にこだわり、そこから一歩も出ません。そのうえで最後に『直毘霊』(『古事記伝』第一巻「総論」の中の一遍)を書き、「からごころ」に激しい反撃を加えたのです。彼の信じている巨大な自我が『古事記』の解明につながるのですが、それは古代人の心に立ち返っているからでもあるのです。

長谷川 : いまのお話は宣長のいう、「人は人の事(ひとのうえ)を以て神代を議(はか)るを 我は神代を以て人事を知れり」という言葉の指すところでもありますね。多くの人はこの言葉を、ただもう神代をガリガリに信じ込んで、それによって人の世の中を判断しようとする狂信者の言葉、と考えるのですが、彼はただ、『古事記』に書かれていることをまっすぐのみ込もうといっているだけなのです。ただし、「神話をもって歴史を理解する」ということは、口でいうほどたやすいことではありません。そのためには、まず自分が「神代」のレヴェルにおいて世界を眺める、ということができなければならないわけですから。

つづく

荻生徂徠と本居宣長(二)

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『論語』のドラマチックさ
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西尾  : 外国を他者として認識することで自国を自己としても認識できるようになる。宣長の思想について斬新な論を展開された長谷川先生の『からごころ』(中央公論社)では、外国文化を「普遍文化」と考えてしまう日本人の素直さが、むしろ「文明のバネ」として有効であったと述べられています。軽蔑の対象として学んだのでは何も得られるはずがないというお考えで、私も同じことを述べています。

 すなわち、外国文化をそのように尊重する日本人の性(さが)は自分に対する不安から来るのかと最初思っていましたが、むしろ自信から来るのではないか。日本人は、中国や西洋から入ってきた文化を尊敬する一方で、外から入ってきた文化はあくまで外ものと意識して、「内なる自分」を忘れない。

 つまり外国文化を普遍文化として受け入れるのは日本人に自分がないからでなく、「自分がありすぎる」からかもしれない。そういう言い方も詭弁なら、日本人のなかに宇宙がスポッと入っているから、何を借りてきても構わないという、どことなく「鷹揚とした世界宇宙の中に生きている」(『江戸のダイナミズム』239ページ)ことによって自己同一性を揺るがされずにすむ。そのような日本人のおおらかさを、私は本書で徂徠や宣長の言葉に託しました。

 そのような日本における「自分とは何者か」という問いを生涯かけて探求したのが、宣長ではなかったかと思うのです。

長谷川 : 徂徠にしても、「相手は外国だ」という意識を強烈にもつことで、かえってきちんとした対話が成り立った感じがします。彼の「だから孔子が言っていることや行っていることは、せいぜいが『論語』に出ている程度に止まってしまったのだ」というセリフなんて、良いですねェ。西尾さんがこのセリフにしびれているところ、よくわかります(笑)。「自分」のない人間では出てこないセリフですね。

西尾  : それまでの日本人あるいは儒者は、孔子を道徳的に神話化し、絶対視しています。

長谷川 : 「日本人はそうやってきたけれど、考えてみると大変おぞましいことではないか」というのが、宣長の美意識でもありました。

西尾  : だから徂徠と宣長、二人の思想は重なっているのです。徂徠も孔子に対して、聖人としては二次的な位置しか与えていません。また『論語』は表面的に訳すと、ついついありふれた教訓書のように見えかねませんが、徂徠の書いた注釈書『論語徴』を読むとじつにドラマチックです。

 たとえば『論語』の「第二為政篇」に「政を為すに徳を以てすれば、譬へば北辰の其の所に居て、衆星の之に共(むか)ふがごとし」という一節があります。普通は誰が読んでも「政治をするのに道徳心をもってすれば、北極星の周りにさまざまな星が整然と運行するようになるだろう」となります。

 これを徂徠は、「政を為す」とは政権を取ることであり、「徳を以てす」とは有徳の人材を用いるの意であるというのです。それもただ人材配置についていうのではなく、「有能な人材を登用すれば放っておいてもうまくいく」と、官僚制度における専門性や分業制をまで意識していたかに読める。「権力者は口を出すな」と暗にいっているようであり、徂徠の解釈を聞いた当時の儒者たちは、さぞびっくりしたことでしょう。

長谷川 : しかもそれは勝手な解釈ではなかった。『論語』を読む前にまず五経をしっかり読め、といっていますね。つまり、徂徠自身は、当時の思想のコンテクスト全体のなかで『論語』を読んでいるのだという自信があったのでしょう。そう考えると徂徠の解釈は「孔子像の破壊」というより、むしろ「自分こそ本当の孔子像を摑まえている」という意識によるものだったように思います。

西尾  : 孔子が偉大で神秘的な存在になったのは、『論語』のせいではなく、『五経』(『易経』『書経』『詩経』『春秋』)の編集者と見なされてきたからです。孔子は五経の創作自体には関与していない、というのが現代の学問的認識です。徂徠の天才は、三百年前にこの点をまで洞察していました。

 繰り返しますが、彼は孔子に聖人として二次的な役割しか認めません。孔子以前の時代、「先王の時代」に儒教の原点を求めます。孔子の権威の由来は朱子学のようですね。徂徠はそのことを明らかにし、さらに『論語』の裏を読み、「正しい読み方はこうだ」と述べて、孔子の神秘のベールを剥いだのです。

つづく

荻生徂徠と本居宣長(一)

現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、西尾先生の許可を得て、管理人(長谷川)が西尾先生関連のエントリーを挙げています。

 今回はVoice5月号より、『江戸のダイナミズム』を元にした長谷川三千子先生との対談「荻生徂徠と本居宣長」を掲載します。コメントはエントリーに関するものに限りますので宜しくお願いいたします。

江戸の二大思想家が語る日本文明のダイナミズム
Voice 5月号(2007)より

西尾幹二(評論家)
長谷川三千子(埼玉大学教授)

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漢文訓読みの異常さに気づいた徂徠
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長谷川 : 久しぶりのご大著『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)、面白く拝見しました。この本は「近代とは何か」ということが隠れたテーマになっていると感じられました。ただし、いわゆる時代区分としての近代ではなくて、むしろある〈意識の在り方〉としての近代といったものが問題になっているように思われたのですが・・・・・。

西尾  : 好むと好まざるとにかかわらず、「近代的なるもの」に私たちはすでに襲来されていて、古代人のように生きることはもうできません。たとえば神話はいまや古代人のように信仰の対象とするのではなく、学問の対象です。『論語』も『聖書』もそのまま信じるのではなく、成立史それ自体に疑問を抱かざるをえない。

 日本では江戸中期に活躍した儒者・荻生徂徠が早い時期から、このような近代的な文献学の問題にぶつかりました。

長谷川 : つまり、偶像破壊としての近代意識というわけですね。ただ、本書ではそれだけに終わらず、さらに一歩踏み込んだ問題提起をなさっているように感じますが。

西尾  : 偶像破壊という意味だけでなく、聖なるものに対し、主体的自我を立てて対決するというのが、一般に考えられる近代意識ですが、それだけで終わりません。聖なるものを壊してしまって、そのあとは平板な世界でいいのかというと、そうはいきません。聖なるものをもう一度再興しなくてはならない。ただ、なぜそういう二重の手続きになるかを考えたとき、その背景には危機意識があったのです。自我の尊大がそうさせたのではなく、新しい神を求めざるをえない時代の必然性があった。

 このような危機意識は中国にもありました。「清朝考証学」が辿り着いた問題点は「音」です。あれだけ広い地域で長い時間が経過すれば、かつて使われていた「音」が把握できなくなることは自明です。そこで、「かつてと異なる音で理解するのは問題である。漢の時代まで戻ってもう一度確認したい」という意識が生まれてきたわけで、これも存在に対する危機意識のなせる業、言葉と実在の不一致の自覚のせいだったと思います。

長谷川 : 中国のように表意表音文字しか存在しないところで、「音が大事」と言い出してしまうと、漢字そのものの根本的な否定にもつながりかねない問題になりますね。

西尾  : そして同じ自覚が日本で、清朝考証学の学者より早い時代に徂徠に表れた。徂徠は『学則』のなかで、訓読みの巧みさについて述べています。もともと訓読みは、漢文が中国語であることを徹底的に無視することから生まれました。これこそ七世紀の日本人の大きなドラマをもたらし、日本が中国文明から自己を切り離し、独立する最大の力をもたらしたものです。ただ、そこから千数百年を経て、徂徠は「それはおかしい」と気づいた。

 外国語として読むべきものを日本語として読めるというのは、異常なことではないか。やはり外国語として捉え直さなければならないと、痛切に感じたのが徂徠なのです。そのために大変な努力を行ない、教育法を開発して、中国語の書物を「唐音」ですべて読み通すことをやってのけた。そうして初めて中国語を「外国語」として再認識した。奈良・平安時代から漢文で書かれた経書や仏典は日本語に読み替えて理解されてきたけれど、「じつは外国語だった」ということを卒然と悟った感動が、徂徠の一生を貫いていくし、彼の思想の基本を形作るのです。

長谷川 : じつはその発想が、国学者・本居宣長とぴったり一致しているのですね。中国語をそのままに受け入れよと主張する徂徠に対して、「きたなき漢文(からぶみ)ごころ」をしりぞけよ、と主張する宣長は、一見すると正反対のことをいっているかのごとくですが、そうではない。宣長が「からごころ」と呼んで憎むのは、むしろ中国語が外国語でなることに気付かない、日本人たちの鈍感さなのですよね。

つづく