心の琴線にふれた(る)西尾先生の言葉と私

ゲストエッセイ 

髙石宏典 

 「西尾幹二のインターネット日録」の愛読者の皆様、こんにちは。私は山形県の南部にある南陽市内の小さな街で、会計事務所を営んでいる髙石と申します。何度か「日録」のゲストエッセイ等に文章を掲載していただいたことがあり、もしかしたら覚えて下さっている方もおられるかもしれません。自分でこんな風に申し上げるのはちょっと変ですが、紆余曲折の平坦でない道をいつの間にか半世紀近くも歩いて参りました。西尾先生のご本とのご縁は大学生の頃ですから約30年前に『ニーチェとの対話』を拝読したことから始まり、それ以来今日まで先生のファン状態が続いています。

 いつかお会いして直にお話しできればと念願しておりましたが、先月の7月16日に稀有な幸運に恵まれ西尾先生と90分間懇談させていただく機会を得ることができました。その際に先生から「ゲストエッセイに書いて下さい!」とご依頼があり、まさか「すみません、お断りいたします。」とは口が裂けても言えない感じでしたので、拙い文章を綴らせていただくこととなった次第です。それなら何をどう綴っていくべきなのか少し迷いましたが、西尾全集の刊行が間近に迫りその全巻内容と「私を語る」というエッセイが公表されたことでもあり、私がこれまで先生のご本から感銘を受けた言葉を手掛かりにして話を展開してみようと考えました。そうすることが、「私を語る」で先生がお書きになっている私個人にとっての「自分の体験に基づく自己物語」に通じるとも思えたからです。

 さて、西尾先生のご著書の中から心の琴線にふれた言葉を敢えて一つだけ選ぶとしたら、私にとっては以下の言葉になるでしょうか。この言葉に私は大いに刺激を受け励まされ、大学卒業後5年半経った時点で「遅すぎた春」を何とか迎えることができたのです。

 「他人と同じ存在になろうとして競争し、その挙句、微妙な差別に悩まされるくらいなら、他人と違う存在になろうと最初から決意し、微妙な差別から逃れようとするのではなく、むしろそれを逆手にとって、差別される存在にむしろ進んでなるという強い決意でそれを乗り超えていく生き方だってあり得るのではないだろうか。」(『日本の教育 智恵と矛盾』134頁「教育改革は革命にあらずー臨教審よ、常識に還れー」より)

 この『日本の教育 智恵と矛盾』を私が通読したのは昭和63年の冬で、公認会計士第二次試験に合格する前年に当たっています。当時、私は公認会計士の資格を得ようと実家で家族に守られながら独りで受験勉強を続けておりました。私が就職活動を一切せずに公認会計士の資格取得を目指したのは、上の先生の言葉にあるように大学の序列という「微妙な差別」から少しでも自由になりたかったためです。また、受験専門校に頼らずに独りで勉強しようと考えたのは、大学受験時に高校のカリキュラムや課題に振り回されて結果を出せず結局失意のまま入れる大学へ入ってしまったことへの抵抗と反省があったからです。
こうした動機を胸に秘めながら来年こそはと悲壮な決意でかったるい受験勉強をしていた時に目にした上記の先生の言葉は、私にはまるで自分のために書いて下さった言葉そのもののように思えて深く激しく心を揺さぶられました。「誰かに分かってもらえなくてもいい。自分の考えは間違っていない。ただやり通せばそれでいいんだ!」と前向きな気持ちになれたことが、孤独な闘いをしていた自分にはどんなにありがたく、またどんなに試験突破の精神的支えになったか分かりません。

 私がこうして恥も外聞も捨てて単なる私的な昔物語を正直にお話しするのは、いわゆる学歴コンプレックスなるものがもはや自分にとってどうでも良くなったこともありますが、私が若い頃に悩まされた上記のようなことは今なお一部の例外者を除いて多くの人に当てはまる、結構深刻な問題ではないかと推察するからです。先生がおっしゃる「微妙な差別」をどう克服しあるいは緩和し、自分自身とどう折り合いをつけて社会との関係を築いてゆくのかということは、特に将来ある若者にとって人生上の重い課題の一つなのではないでしょうか。

 さらに、もう一つだけ西尾先生の同じご本の同じ論文の中から心にグッと迫ってくる言葉を挙げさせていただきましょう。

 「それぞれの道で果てしない競争が待っている。ただ他人と同じ存在になろうとする競争ではもはやなく、他人と違う存在に価値を見出す競争である。共存共栄を約束するのは後者の競争だけである。」(『前掲書』135頁)

 この言葉も実に温かく、過去の自分ではない今の私が前向きになれる言葉です。要するに、私は単に人と同じことをすることが嫌いなへそ曲がりに過ぎないのですが、そういう人間でも存在意義や生きる道はあると言われているようで少しだけ力が湧いてきます。実社会に出てからこれまで、監査法人と税務会計事務所(会計士等として約8年勤務)、大学院(一時研究者を目指し3年在籍)及び県立短大(講師として7年勤務)と職場や組織を転々としてきたものの、私は結局どこにも馴染めず今の自営スタイルでの会計士業・税理士業に落ち着きました。仕事は必ずしも順調とは言えませんが、建設的で健康的な競争は回避しないで様々な仕事に取り組んでいこうと思っています。

 ところで、上記で取り上げさせていただいた該当論文を含む西尾全集の目次内容を眺めていると、論じられている内容が余りにも広範囲に亘っていることに改めて吃驚させられます。文学、思想、教育、歴史、外交、防衛、政治、経済、文化そして人生など対象領域の広さを考えれば、西尾先生がお一人で全てお書きになられたとは俄かには信じられない程です。一方で、読者としての私の先生のご著作への関心領域はかなり限定的で、「このままならない人生をどう生きるのか?」という関心の範囲内で先生のご本とも関わりを持たせていただいて来たと一応言えるのかもしれません。そうした意味で先生のご本の中で印象深く私が好きなものは、『ニーチェとの対話』、『人生の価値について』、『人生の深淵について』及び『男子、一生の問題』等です。

 また、私の場合、独断と偏見で先生のご本の都合の良い箇所だけに着目しそのうえ誤読し誤解している可能性を否定はできませんが、一読者に過ぎない私にとってはそういう読み方で良いと思っています。たとえ誤読し誤解していたとしても、先生の言葉や文章が私の心の襞に触れ行動に影響が及んだことがあるというその事実がとても大事なことであるように思えます。これまでの経験上、心を揺さぶられるような言葉や文章に出合うことなど滅多にあるものではありません。西尾先生のご本は、私にとってそうした稀有な機会を提供していただける大切なものの一つであります。間もなく出版される『西尾幹二全集』を手にし拝読して、自己を再発見し生きる糧としていければこれほど有意義なことはないと思っています。

 西荻窪駅近くのお店で昼食をごちそうになって西尾先生と懇談させていただいた90分間は、本当にあっという間でした。ただ懇談と言っても、約1時間は先生から原発問題に関する水島総氏との討論と全集校正作業や『GHQ焚書図書開封5・6』の出版等に関するさわりを放映や「日録」掲載前に生真面目な学生のように拝聴し、残りの30分程で山形県出身の左巻き有名人のこと、大川周明とその全集のこと、著名な保守論客のベストセラー本に共感できないこと、未知だったヴォーヴナルグの古本を求めたこと、そして西尾全集見本の素敵なお写真のこと等をお話しさせていただいた感じだったでしょうか。

 先生が福島第一原発事故に関連して話された「宇宙開発や生体臓器移植など神の領域に挑戦することには理由がなく、後で必ずしっぺ返しを受けることになる。」(以上は髙石個人の回想による要約)というお話に私は瞬時に共鳴いたしましたが、原発問題を含めてこれらの事象に共通して私が感じたのは人間の傲慢さに対する生理的な嫌悪感であったように思います。諸外国人がどうであれ、日本人は本来もっと謙虚な国民であったはずなのではないのでしょうか。そうした日本人としての本性に立ち返ることが、今こそ求められているような気がしてなりません。何者かに糸を引かれ、その何者かに手を差し伸べていただいて、何とか私はこの半世紀を生きてこられたのかもしれないと時折ふと感じる、漠然たる神々への信仰心が私にこう直観させるのです。

 3年ぶりの上京でしたが、西尾先生には大変お世話になりました。ご多忙中にもかかわらずお仕事のご予定を変更されてまでこんな私のために貴重なお時間を割いていただき、恐縮したことこの上もありません。本当にありがとうございました。末筆ながら、猛暑の折、西尾先生、「日録」管理人の長谷川様、そして「日録」愛読者の皆様におかれましては、くれぐれもご自愛願います。また、東日本大震災で被災された皆様におかれましては、一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。それでは皆様お元気で。さようなら。  髙石宏典

特別座談会 日本復活の条件(1)の(三)

JAPANISM 02より 

NHKが歴史を解釈できないわけ
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富岡: 先程大事な話が出ました。要するに、アメリカに対しての日米戦争というのは近代対近代の戦争だったとおっしゃったことが非常に重要で、いわゆる保守派の中で、先ほどの九一一の問題と引っ掛けて言えば、イスラム原理主義的なものに対して、錯覚なんですけど、イスラム原理主義的なもの、それが反文明、反近代に通じ、どこかシンパシーを寄せてきた。実はあの大東亜戦争が近代文明たる西洋に対して日本が反近代的な戦いをしたという誤解がありそうです。

西尾: だから、ビン・ラディンに共感して、イスラム原理主義と日本を一緒にする。

富岡: ですから、それは戦前の、あるいは戦中のいわゆるアジア主義という問題から実は繋がっていて、必ずしも戦後だけの問題じゃない。そのことを戦争からもう一回、保守派としてどう捉え直すのかと。あれはまさに近代対近代の戦争であったという認識が重要です。林房雄と三島由紀夫が、昭和四十一年に対談して『日本人論』という一冊になっています。林さんは終戦時、四十歳を過ぎていた世代ですから、よく分かってたんです。日本が近代国家としての物量でアメリカという強大な物質国家と戦って、そこで負けたんだと。
 
 だけど、三島さんの場合は終戦が二十歳でしたから、どうしても反近代とか、そういうところへの愛着が非常に強いんです。だから、その問題は実は保守の側でしっかり腑分けされていないというか、議論が深められてないという問題があります。

古田: 私は歴史に善悪とか考えるのは嫌いなんですよ。世界はビリヤードの玉みたいなもんで、大きい玉もあれば小さい玉もある。そういうのがぶつかり合ってる、そういう世界だと私は思ってますよ、今も昔も。そこに善悪なんか介在する余地がない。

西尾: それは『善悪の彼岸』なんです。ニーチェのね。

富岡: そういう意味では、近代化した日本とアメリカという巨大な近代がぶつからざるを得なくなったのは、文学的にも歴史の宿命と言える。その宿命、運命と言ってもいいですが、なぜ戦後の日本人が深く味わえないのかと。

西尾: 間違ってたということしか言えない。

富岡: だから、日本人に大事なのは、今NHKが真珠湾七十年後に放送してる、こうしたら開戦を回避できたかという議論ではなく、あの太平洋というこの場所で、アメリカとぶつかるのは必然だったと。その歴史の必然に対して日本人が、どう思うのかということなんです。そこからしか、新しいものは出てこない。

西村: それはすごく重要な前提なんですが、なかなか一般的な認識がそこまで行かない。

古田: 歴史に必然なんかないですよ。僕はそう思ってます。過去から、結果から原因をさかのぼるから必然になるんであって、歴史に必然なぞない。

富岡: いや、だから運命でもいいし、宿命でもいいんだけれど。

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西村: 具体的に言いますとね、NHKが例のシリーズを始めたときに、僕がツイッターで書いたんですよ。「なぜ日本は戦争を防げなかったのか」というテーマで放送するとNHKの広報がツイッターで宣伝していたので、この問題設定が間違いではないか、「なぜ米国が戦争を防げなかったのか」というテーマの方が新しいと僕がツイッターで書いたら、半分の人は共感してくれました。ところが、全く理解できないっていう人も半分いるんですね。今、NHKが放送するなら、「アメリカはなぜ太平洋を侵略したのか」とか、「日本はどうすれば勝てたのか」というテーマなら、まだ分かる。

西尾: 勝てたという「if」も反省の裏返しだから・・・。

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古田: いいんです。負けてもいいんです。負けたんだったら、どうしてもっとアングロサクソンの研究しないのかと思う。戦後の日本は、なぜまたマルクスやったのか、どうしてまたフロイトやったのか。負け甲斐がないんです。負けたんだったら、どうして、もっとアングロサクソンの研究しなかったのか。ヒュームもいればバークリーもいるし、それから、食えないラッセルもいるしね。

西村: 食えないか(笑)。

古田: 戦後、またマルクスなんですよ。平気でマルクスなんです。(続く)