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憂国のリアリズム (2013/07/11) 西尾幹二 |
目 次
まえがき
第一章 いま目の前で起こっていること
第二次安倍政権の世界史的使命
よみがえれ国家意識
アメリカよ、恥を知れ――外国特派員協会で慰安婦問題を語る
国防のニヒリズム
原発は戦後平和主義のシンボルに外ならぬ第二章 少し過去を振り返ってみる
「保守」は存在しない
ノンポリ中立主義の仮面の恐怖――NHKをどう考える
アリ地獄に陥ったアメリカ依存症――憲法改正の前に立ちすくむ
自民党への失望が生み出す新しい波
亡国の大勲位、中曽根康弘の許されざる勘違い
さらけ出された小沢一郎の正体第三章 日本の根源的致命傷を探る
米占領軍(GHQ)が消し去った歴史
旧敵国の立場から自国の歴史を書く歴史家たち
日本人は本当の敗戦体験をまだしていない
戦後日本は「太平洋戦争」という新しい戦争を仕掛けられている
戦後から戦後を批判するレベルを超えて第四章 皇族にとって自由とは何か
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体
背後にいる小和田恒氏を論ずる
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったのか
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す
「皇后陛下讃」第五章 実存と永遠
三島由紀夫の自決と日本の核武装(没後四十年)
吉本隆明氏との接点
ニーチェ研究と私――全集刊行を機に回顧する
宗教とは何かあとがき
初出誌紙一覧
まえがき
こうなることは分っていた。アメリカと中国のはざまに立たされ、頼りにしていたアメリカがあまり当てにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた。ユーゴスラヴィアが火を噴いたとき、地球の東側にも同じタイプの火が点くのではないかと憂慮していた。核で維持された米ソの冷戦対立は地球の安定に久しく役立っていた。それが壊れたのだから、何が起こってももう驚くわけにはいかない。
けれどもアジアに「ベルリンの壁の崩落」は決して起こらなかった。中国が全体主義独裁国家をいつまでも維持しつづけたからである。そして、私はふと気がついた。ああ、そうか、そうだったのだな、中国が専制独裁国家のままでありつづけていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をもとり入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに「ベルリンの壁の崩落」のアジア版ということだったのだな、と。
尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の監視船に衝突してきて、不意をつかれて民主党政権があわててばかげた、臆病な対応をした例の事件が起こったとき、私は戦後はじめて日本は外国から物理的直接攻撃にさらされたのだと解釈した。大げさな解釈だと人から嗤われたが、それほどにも米ソ冷戦構造下の日本は安定したぬるま湯の平和を与えられていたのだ、と私は言いたかったのである。そのあと日本人の商店やスーパーや工場を狙い撃ちした中国全土を挙げた反日暴動が起こったが、1920年代の五四運動の「日貨排斥」(日本商品ボイコット)にそっくり同じであることが興味深かった。もの言いまでよく似ていた。日本経済は支那との貿易に依存している。日本を苦しめ懲らしめるには商品ボイコットがききめがあるのだ、といった声が北京や上海に広がった。それは当時の日本の新聞が、支那の市場を大切にせよ、日本の未来がかかっている、と書いていたからである。今とそっくり同じである。そんな事実はないのに、日本のメディアがしきりにそう書きそれが支那に伝播したところまでよく似ている。戦前の日支関係に立ち戻ってしまったのである。
尖閣に対する中国政府の強引な物言いや鉄面皮なやり方に日本人はいま少なからぬ驚きと恐怖を抱いていよう。しかし第一次大戦後、山東半島返還をめぐる中国の強引で、理窟も何もないもの言いはやはり同じであった。当時の日本は軍事力があったので屁にも思っていなかっただけだ。ただパリ講和会議で中国の肩を持ったアメリカのごり押しにはうんざりさせられている。イギリスやフランスの全権代表は日本を支持しているのに、アメリカの全権代表は西洋の法理論を知らない中国人に自国の法律顧問団を全面開放して、利用させ、ひたすらしつこいほどの日本攻撃に余念がなかった。日米戦争は1919年のこのときに始まっていたともいえるだろう。
習近平が登場して中国の強引さと鉄面皮ぶりはさらに一段と倍化した観がある。尖閣はわが方の「核心的利益」だという。中国は領土問題でどこまでも「主権」を守るという。1953年の「人民日報」と1958年の中国発行の地図に尖閣は日本領だと記されていた事実が突きつけられたし、海底の石油埋蔵が見つかってから以降のにわか仕立ての領土主張であることは今や天下周知であるが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。暖簾に腕押しである。つまり俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うな、とやくざのように暴言を吐いているのが隣国であり、この厚顔無恥は世界中にみんな分ってしまっているのである。が、それでも言いつづけ、実行しようとする。侵略国家とはこういうものである。中国は自ら侵略国家であることを世界に告知しようとしているといっていい。
冷戦構造に守られていた日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題をぶつけ合っていた。その代表格はアメリカだった。日本は一貫して受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。尖閣紛争と中国の脅迫は日本人に大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させるのに十分であった。日本は当時も今もいかに孤独で、誠実に振舞っていることであろう。
私は実は深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中間の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦(きょうだ)、今は何もしたくないという尻込みしたオバマ大統領のことなかれ心理が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、時機をうかがう態勢に明日にも入っていくかもしれない。そして本当に尖閣が軍事的に襲撃されるかもしれない。
「ベルリンの壁の崩落」から「ユーゴスラヴィアの内戦」へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮をもって観察している。