西尾幹二全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』刊行

 全集第七回配本第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』が刊行された。あゝだこうだと言っているうちに早いもので全体の三分の一近い7冊目が出たことになる。

 第一回配本のとき最初の月報を書いてくれたのは高校時代の友人の早川義郎氏(元東京高裁判事)だった。早川氏は私の処女作から読んでくれていて、あるとき西尾の三大作品は自分の読んだ限りでいえば最初に『ヨーロッパ像の転換』があり、三番目に『江戸のダイナミズム』があるが、自分の考えでは逸せられない二番目の傑作は『ソ連知識人との対話』である、と言ってくれたことがある。

 ソ連が政治史から消えて、有効性がなくなったと思うかもしれないが、そういう仕事ではない。書かれた直後に文芸評論家の入江隆則氏はこの作品を長い評論文章で論評してくれた。その中に次の表現がある。

西尾氏は、連日細部にわたって周到なメモを取り、さらに帰国後一年間、ソ連邦の歴史と地理を勉強し直すという作業を行っている。その結果、われわれにあまり知られていなかった北の国の素顔と、そこに住む人々の息づかいが生き生きと伝わる、好エッセイが生まれた。

 私が共鳴を感じたのは、まず西尾氏の人間への関心である。

たぶん西尾氏は、結論を急がないことによって、西側の人間のロシア紀行にあり勝ちな二つのタイプ、あらさがし派と賛美派という二つの怠惰を、遠ざけようとしているのであろう。実際、氏は、やや度が過ぎると思われるほど、あらゆる先入観を排して、ロシアという多言語多民族国家で住む人間に、なってみようとしている。相手の身になってみるのが、つねに有効な批評の方法だとすれば、西尾氏はここで、氏の批評感覚を十分に働かせているといっていいのである。

いずれにしても、彼等(ロシア人)の「劣等感と優越感の混り合った」「愚直さ」を、ここまで生ま生ましく表現し得たのは、やはり氏の文学者としての眼であって、その感受性の鋭さに、私は説得された。

 入江氏がこう言って下さった同作品を、ぜひあらためて今の時代の新しい眼で読み直してもらいたい。

目 次

Ⅰ ソ連知識人との対話(一九七七年)
第一章 トルストイの墓
第二章 一女流詩人との会談
第三章 フィクションとしての国家
第四章 中央アジアに見る国字改革
第五章 コーカサスの麓にて
第六章 ロシア喜劇の登場人物たち
第七章 愚直な愛国心
第八章 道徳的な、あまりに道徳的な
第九章 ソ連に〞個〝の危機は存在するか
第十章 世紀末を知らなかった国
第十一章 競争をあおる平等社会
第十二章 メシア待望
あとがき

Ⅱ 自由とは何か
真の自由には悪をなす自由も怠惰である自由も含まれている
ソルジェニーツィン氏への手紙――貴方は自由をどう考えているか

文明や歴史は複眼で眺めよ
 ソ連はソ連なりに「自分中心の世界像」に生きる――西側を憧れてなんか いない
 アメリカの長所は明日は弱点となり、その逆も真である
 戦後日本の農地改革は英仏などと同時代の改革だった
全体が見えない時代の哲学の貧困――〞知的遊戯〝が多すぎる
無思想の状況――むなしく飾り立てられた精神生活

Ⅲ 世界そぞろ歩き考(一九七〇年代)
世界そぞろ歩き始め
中国の変貌
ヨーロッパの中の日本人
西ドイツの昨日と今日
垣間見た中国
ヨーロッパの憂鬱
日本と西ドイツのハイジャック事件
ヨーロッパ文化と現代
西ドイツからみたアメリカ像

Ⅳ ドイツ再発見の旅(一九八〇年代)
【小説風紀行文】
ベルリンの「古い家(アルトバウ)」と「新しい家(ノイバウ)」
マスルンカ夫人の一日
仮面の下の傲慢
祖国をなくした老人
【掌篇】
ミュンヘンで観た『ニーベルングの指環』
技術観の比較――日本とドイツ
人口増加に無力なヒューマニズム
「 福祉」に泣いたある政変
私もスイス嫌い
日本女性のセンス
ドイツの家
【教育現場】
ドイツの大学教授銓衡法を顧みて
個性教育の落とし穴
ドイツの子供たち
思わぬ副作用――西ドイツ教育改革・十五年目の現実

Ⅴ 東西文明論の書評十五篇
司馬遼太郎『ロシアについて』(文藝春秋)
柳宗玄『西洋の誕生』(新潮社)
ディエス・デル・コラール『過去と現在』(未来社)
手塚富雄『ものいわぬ日本を考える』(筑摩書房)
桑原武夫『伝統と近代』(文藝春秋)
鯖田豊之『生と死の思想』(朝日新聞社)╱『生きる権利・死ぬ権利』(新潮社)
加藤秀俊『イギリスの小さな町から』(朝日新聞社)
森有正『砂漠に向かって』(筑摩書房)
犬養道子『私のヨーロッパ』(新潮社)
小松左京『歴史と文明の旅(上・下)』(文藝春秋)
木村尚三郎『組織の時代』(潮出版社)
中村雄二郎『言語・理性・狂気』(晶文社)
新保満『人種的差別と偏見』(岩波書店)
鶴見俊輔『グアダルーペの聖母』(筑摩書房)
加賀乙彦『虚妄としての戦後』(筑摩書房)

Ⅵ 和魂洋魂
日本の宿命 比較論の落とし穴 西洋の没落 周辺文化 芸術の近代化 抽象と具象 国際指導力 国家意識 国籍 共同体意識 留学 文化観 科学の精神 詩魂の凋落 教養と行為 自己意識 無心 教育と平等 先進性と後進性 革命 権力 領土観 通と野暮 言葉と朗読 漢方医学

Ⅶ 放射線
女権論者へ 日本語と話し言葉 日本語教育のすすめ 教養の錯覚 無法社会 学校と階級社会 保守停滞の兆し 学校群の失敗 貧富の比較 イギリス病の一面 日本型経営の矛盾 人間の卑小化 島国の内と外 官僚的非能率 開放性と閉鎖性 外交としての留学 経済の奥にあるもの ソルジェニーツィンの発言 国境について

Ⅷ 直言
書店の革命 マンションの名称  日本人の長所は弱点 文化の輸出
中国からの留学生 実践家の方法 マンガと大学生 親しさに溺れるなかれ
米中ソへの警戒 礼儀の凋落 壁新聞という謎 再び「壁新聞という謎」

追補一 岩村忍・西尾幹二対談 中央アジアから世界地図を見る
追補二 内村剛介・西尾幹二対談 西側には理解できぬソ連の思想風土
後記

 西尾幹二全集は年四巻、三ヶ月に一巻づつの配本を原則としているが、今度出版社は、あらたにご購入をいただく方に今までの7巻をいっぺんに買っていただくのも大変なので、毎月一巻づつお届けし、七ヶ月で全集刊行のペースに追いついていただくように配慮してお届けする方法を考えている。国書刊行会Tel 03-5970-7421 FAX 03-5970-7427にご連絡下さい。販売部長の永島成郎氏に直接お問い合わせいたゞけると便宜を計って下さると思う。

第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」 のご案内

 

       
  西尾幹二全集 第7巻 の刊行を記念し、下記の要領で講演会が開催されますので、是非お誘いあわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げます。
        

演 題: スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ロシアは地球をどのように寇掠したか  - そ の 概 要 と 動 機 ー 

日 時: 平成25年7月15日(月・祝) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
    (途中20分程度の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)

会 場: グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)

入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

懇親会: 講演終了後、サイン会と西尾先生を囲んでの有志懇親会がございます。どなたでもご参加いただけます。 (事前予約は不要です。)

     午後5時~午後7時 同3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
   電話 03-5970-7421 FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp

坦々塾事務局(中村、小川)
中村 電話 090-2568-3609FAX 0279-24-2402
              E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
小川 電話 090-4397-0908FAX 03-6380-4547
      E-mail:ogawa1123@kdr.biglobe.ne.jp

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(二)

 『週刊新潮』6月20日号に「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」という目をみはらせる巻頭記事が掲げられている。日本の歴史の中で「幼帝」というのは何度もあった。小学生、中学生でも天皇に即位できる。摂政をつければ問題はない。今上陛下、皇太子、秋篠宮の三人による頂上会談が昨年来つづいていて、そこで煮つまった案だという内容の記事である。週刊誌といえども、ここまで書く以上、それなりの証拠があってのことであると思う。

 皇后陛下が雅子妃を見放した、という書き方である。何かとんでもない事件があってとうとう事ここに至ったのかもしれない。宮内庁も官邸も動いているという書き方だが、宮内庁長官はそんなことはない、と直ちに新潮社に抗議した。記事では雅子妃だけでなく、皇太子に対する両陛下の失望が公然と語られている。さりとて、皇太子は短期間でも一度は即位しないと、日本の皇室のあり方として具合が悪い。秋篠宮は兄弟争いの図を避けるために、即位を辞退している。かくて「幼帝」の出現ということになる。

 私の読者ならお分りと思うが、以上の流れは本当かどうかはまだ分らないのだが、実現すれば大筋において私が書いてきた方向とほゞ一致している。私はすべての焦点を「雅子妃問題」に絞って書いてきた。だから批判や非難も受けた。そして、雅子妃に振り回される皇太子の不甲斐なさにも再三言及してきた。私は「廃太子」(橋本明氏)とも「退位論」(山折哲雄氏、保阪正康氏)とも違う立場だった。そして、何度も天皇陛下のご聖断を!と訴えた。ついに「ご聖断」が下りたのだとしたら有難い。「幼帝」というアイデアは陛下以外の誰が出せるであろう。正夢であってほしいと祈っている。

 『週刊文春』6月13日号にも重大な記事がのっていた。読者アンケート1500人で、皇后にふさわしいのは雅子妃38%、紀子妃62%という結果を報じていた。皇室問題をアンケートで論じるのは間違いだが、各週刊誌とも堪忍袋の緒が切れた趣きがあるのが面白い。雅子妃は今月18日に予告していた被災地お見舞いをまたまたキャンセルした。

 私の新刊『憂国のリアリズム』のリアリズムというところに注目していただきたい。この本も6篇の私の皇室論を収めている。読んでいる方も多いと思うが、あらためて題名と出典だけを書いておく。

『憂国のリアリズム』の第四章「皇族にとって自由とは何か」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(THEMIS)
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(歴史通)
背後にいる小和田恒氏を論ずる(週刊新潮)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(週刊新潮)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂
  ――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す(WiLL)
皇后陛下讃(SAPIO)

 私は皇室問題について書くのはもうここいらで止めよう、と思って、WiLLの担当者に昨日その話をしていた処へ、本日、『週刊新潮』の驚くべき記事に出合ったのである。

 間もなく出版される『憂国のリアリズム』と併せ読んで、問題の落ち着くところが何処であるかを皆様も占っていたゞきたい。

 『週刊新潮』の記事内容の続報を知りたい。

追記: 皇室典範の改正報道に抗議  「朝日新聞」6月14日号より

 内閣官房と宮内庁は連盟で13日、宮内庁長官が皇位継承をめぐる皇室典範改正を安倍晋三首相に提案したと報じた「週刊新潮」の記事は「事実無根」だとして、同誌編集部に抗議文を送り、訂正記事の掲載を求めた。風岡典之宮内庁長官は記者会見で「このようなことは一切なく、強い憤りを感じている」と述べた。菅義偉官房長官も会見で「皇位継承というきわめて重要なことがらで国民に重大な誤解を与える恐れがあり、極めて遺憾」と語った。週刊新潮編集部は「記事は機密性の高い水面下の動きに言及したものです。内容には自信を持っております」とコメントしている。

オバマ・習近平会談、皇室の新しい兆し、そして私の新刊(一)

 評論集が出しにくい時代なのに、つづけて何冊か出して下さるという版元があって、その編集をずっとしていて、今日ほぼ終った。題して『憂国のリアリズム』という。版元の名はビジネス社。七月初旬に店頭に出る予定だ。

 全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』もすでに出て、その内容報告もまだしていないのに、気になることが相次いで起こり、暇がない。

 習近平が登場して、中国の強引さと鉄面皮ぶりは一段と倍化した観がある。尖閣は中国の「核心的利益」だって? 1953年の「人民日報」と58年の中国発行の地図に、尖閣は日本領だと中国政府自らが記していた事実が過日突きつけられたが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。厚顔無恥もここまで堂々としていると毒気を抜かれる。

 つまり、彼らは、俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うなとやくざのように開き直っているのである。先日のシンガポールの会議では、東南アジアの国々が怒った。中国が自分たちは対話の窓を開いているときれいごとを言ったからだ。海上侵略をしている国が対話を口にするのは、出席している欧米オブザーバーに聞かせるためなのだ。宣伝しつつ侵略する。昔から中国の体質はまったく変わっていない。孫文も蒋介石も、鄧小平も習近平もみんな同じだ。

 尖閣紛争と中国の脅迫は、私たちに大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させた。日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題を吹きかけて来た。その代表格はアメリカだった。

 今日はその話は詳しくはしないが、日本はトータルとして受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。

 私はじつは深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう空気の中でどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦、今は何もしたくないということなかれ主義が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、突如尖閣を襲撃する可能性はある。

 オバマ大統領はいま国内の情報問題で行き詰まっている。軍事的知能に欠ける大統領だという説もある。アメリカの大統領の体質いかんで日本の運命が翻弄されるにがい経験をわれわれはつみ重ねている。日米安保は果して日本を守るためにあるのか、日本を束縛するためにあるのか、見きわめる必要がある。

 『憂国のリアリズム』はこういう問題点について、さまざまな角度から追究している。七月に入ったら、目次をここに掲示する。

『自ら歴史を貶める日本人』評(三)

宮崎正弘氏のメルマガから

このまま外国人労働者を放置しておくと、日本は確実に破壊されるだろう    警鐘を乱打する西尾氏の古典、中国に絞っての改訂バージョンが登場  ♪西尾幹二『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』(飛鳥新社)

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 このまま外国人移民を、とくに労働移民を無造作に受け入れていけば、日本の精神の紐帯はかくじつに破壊される。いや、現実的にはすでに多くの場面で日本が破壊されている。会社の会議を英語でおこなって得意がるバカ企業が目立つが、そのうち中国語でやるようになるだろう。 我が国の税金で東大に中国人が千名も留学しており、やがて日本国籍を取る者が増えれば、数十年先に官僚トップ、国会議員は隠れチャイナで横溢する日がくるだろう。中国はおそるべき対日侵略を、この移民問題に潜ませ、気がつけば日本国家は朦朧として足場を失い、日本文化の独自性を喪失、日本の精神陥没という凄まじき惨状に陥っていたことがわかる。目先の労働不足のために国を売った政治家、官僚。その旗振りを演じた堺屋太一、石川好らの軽薄無国籍言論人の責任が問われる。

 本書はEUの労働問題ならびにアメリカの不法移民を論じて、これが明日の日本の姿だと警鐘を乱打した『労働鎖国のすすめ』(1989年カッパブックス)に、中国の一章を書き足された増補改訂バージョンである。加筆の一章分だけでも82ページ分の分量がある。とくに表紙のデザインにおもわずゾッとさせられる。イナゴの大群が美田を食い尽くす。 イナゴの羽の裏は五星紅旗、それが日ノ丸を食いちぎり、穴を空けてボロボロにしているという、いやにリアリスティックは構造である。  このイナゴの大群の典型的な事件がふたつ、現実に日本でおきた。

 西尾氏はつぎを指摘する。 第一は北京五輪直前の聖火リレーが日本国内で行われたが、とくに長野。「中国の巨大は五星紅旗がコース周辺を埋め尽くし、ささやかな抗議をしていた日本人や在日チベット人に、中国人が巨大な旗竿をふりかざして殴る、蹴るの乱暴狼藉を働き、重傷まで負わせた」ところが日本の警察は中国人の横暴を無視した。この大量動員は「中国大使館と密接に繋がっていた」のだった。大使館の指導の下、五千人の中国人がバスを仕立てて長野にやってきたのだ。 第二は逆に「東日本大震災時には、中国人が我先にと大挙して、日本を逃げ出すということがおこった。これも中国大使館が数十台の大型バスを東北四県に派遣し」、ネットや携帯電話網を通じ空港などにあつめての集団脱走劇。つまり何かが起こると、「在日中国大使館が司令塔になり、統一行動をする」という「不気味な行動」ぶりが露呈したことである。

 今後、このイナゴの大群をいかにして日本から排斥するか、いやそんなことが出来るのか。深刻な問題が示された。    
 
文章:宮崎正弘
  

 宮崎正弘氏の上記書評(3月29日付)に対して、5月31日の同氏のメルマガの読者の声の欄に、次のようなオピニオンが載った。ここに出てくる(FK氏)の私への批判を私は観ていないし、これがいかなる人物かも予想がつかない。ただ拙著を読まないで書いた感情論にすぎないことが判明した、と書かれてもいる。

(読者の声2)いささか旧聞ですが、貴誌3月29日の、西尾幹二氏著の書評(『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』(飛鳥新社)に対し、ドイツ在住の(FK生)氏から「西尾さんのような発言はもうすでに時代遅れだ」とする、氏を少々揶揄するような投稿文を目にし、(FK生)氏はもう読まれてあるのか、書評が遅かったかなど内容が気になり馴染みの書店に即発注をかけました。
何故か日にちを要し、先々週やっと届いた。
仕事の合間に読んでいたため完読に日を要しましたが(FK生)氏の評は些か解せませんので少々異見を述べさせてください。
著は(FK生)氏が卑下されるような内容ではなく、帰化人が種々齎している悪しき現状から、日本国の将来を危惧しての警鐘であり、至極ご尤もな見解の著であった。(FK生)氏の評はどうもおかしいと想い、発売日を確認したら4月8日が初版と成っていた。(FK生)氏は著を読まず、又、警視庁が調べた「外国人犯罪検挙状況」等の実情もご存知なく、西尾幹二氏を只管に攻撃の論評をされている。
と言うことは常日頃より氏と対立軸にある人のような気がします。(FK生)氏が本当にドイツ在住ならドイツの実情も良く分かっておられるはずなのに何故氏を揶揄されるのですか。
国の成り立ちも歴史の長さも違いうし、属性も違う(FK生)氏の見解は解せません。祖国を捨て日本のために心から貢献してくれた支那人といえば、759年に唐招提寺を建立した鑑真和上くらいしか想い浮かばない。
偉大な革命家と勘違いされている孫文は、日本人から莫大な活動資金を集めて裏切った単なる詐欺師。周恩来も、蒋介石も皆裏切り者。
帰化の有無は知らないが「社団法人世界孔子協」会会長の孔健などは生活の基盤を日本国に持ちながら、孔子とは蓮根の糸程度の繋がりでしかなく、人格も別物なのに臆面もなく末裔を売り物にし、「営業同志」宜しく堂々と反日活動を行っている。こんな人物をちやほやする日本人も馬鹿といえば馬鹿だが。
中国吉林省延吉市出身の張景子に至っては、自己活動の利便性だけで日本国籍を取り、臆面もなく涼しい顔で反日活動を行っている。在所の教育委員会の中にも帰化人がいるが、「尖閣諸島は中国のもの」との認識を示し物議を醸している。過去に、態々帰化して日本国発展のために尽してくれた支那人がいただろうか。
 中には日本文化に心酔して帰化され、嘘、詭弁を平気で突き通す拡張主義「中共」の本 質を伝え、日本国民に警鐘を鳴らしておられる石平氏や鳴霞氏のような例外もおられるが、他は百害 あって一理無しの奸物ばかりではありませんか。
 殺人、騙しに嘘かっぱらいが常道の中国人。西尾幹二氏ならずとも、此の侭では日本が危ない、と多くの日本人が感じているは当然のことではないでしょうか。
 (FK生)氏は、日本人になりたがる人に快くとめてもらわないと一旦日本を見捨てれば、もう帰ってこないものだ。そうすると日本はますます困ってしまう」とされているが、元々留学とは、自国発展に貢献するために諸々の、技術、文化等々を他国から学ぶのであって、帰化するために留学するのではないと想います。
 卒業すれば帰って当然。留学と帰化は別問題ではないでしょうか。
中国人に対する「労働鎖国」をしても、日本国が困ることは何もありません。東大の件のご指摘は仰言る通りで、実に愚かなこと想います。
  (TK生、佐賀)

『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』評(二)

 アマゾンの書評を掲示します。「閑居人」さんのご自身の体験に基く論評をまことにありがとうございます。この本がよく読まれ、日本の外国人政策が変わることを期待しているのですが、さてどうでしょうか。こういう現実的なテーマになると、私が痛切に感じるのは言論の無力ということです。悲しいかな、益々その感を深くしているのは私が老人になったからであろうか。いつまでも晴れない濃霧の中を歩いている思いがしている毎日です。

閑居人

1980年代、ヨーロッパを何度か旅行したとき、強く印象に残ったのは「アフリカ・アジア系移民」の問題だった。「多民族共生社会」というものが生半可なものではないということを実感した。バックパッカースタイルで安宿を泊まり歩いていたこともあるかも知れない。特にドミトリースタイルの雑居ルームで外国人と一緒になると文化の相違に戸惑うことが多かった。身の危険を感じて一晩まんじりともしなかったこともあった。そのため、当時、「ストロベリーロード」でデビューした石川好氏と著者との外国人労働者を受け入れるか否かという議論は、特に興味深かった。本書の後半部は、1989年に公刊されたものの再録であるが、今、読み返して見ると、石川好だけではなく、堺屋太一、高畠通敏等より広範な議論であったことを再認識させられる。

元北京語通訳捜査官だった板東忠信氏が「正論」5月号に書評を寄せている。普通の中国人が犯罪を犯したときに取り調べに対してつく「虚言」に通暁した氏は、端的に問う。「あなたは、商道徳や衛生観念の違う異民族が握る回転寿司を食えるか?」その通りである。中国では、下水の汲み上げで再生される「地溝油(ドブ油)」が日常生活の50%に及ぶ。毒餃子事件もあった。中国人が食べない猛毒食品が日本のスーパーやコンビニ弁当、総菜で出回っている。その中国人が日本で働いたらどうなるか。中国人研修生の殺人事件を見れば、彼らと関わること自体危険であることが分かる。長野での聖火リレーにおける中国大使館がらみの傍若無人、不法な集団生活保護申請。民主党政権が崩壊したからいいものの、もうしばらく続いたら日本は崩壊するところだった。

本書は、そういった危険性を具体的に指摘する。
ここで考えたいことは、そのことに対する具体的な対応策である。外国人による不動産取得の制限。既に売買が成立した新潟の中国公使館用地の登記阻止。これまで売買された外国人所有土地で不法行為が行われていないかの監視。中国人留学生の制限。(著者が経験しているように奨学金を中国大使館がピンハネしている)日本での「就学・労働ビザ」、「日本永住権」審査の厳格化。(これは鳩山政権で大幅に緩和された。元に戻すべきだ)出入国管理の厳格化。「対中国」に関する様々な制限立法を正面から行い、半官半民で「外国人労働者の就学就労と滞在の適正化を図るための検討委員会」を設置して積極的に提言させたらいい。この議論が高まるほど、中国の反発も出てこようが、一方で目先の利益を失いたくない妥協も出てくるはずである。対外関係とは、こういった「力」のやりとりであろうし、その際、世論は最大の武器になるはずだ。

なお、著者は「あとがき」で河添恵子「豹変した中国人がアメリカをボロボロにした」(産経新聞出版2011)を取り上げ、「本当に怖いのは、その国の『幸福=価値観』が内側から破壊されることだ!」という河添氏の指摘を強調している。「多民族共生国家」といった観念的な言葉に日本人が安易に同調することは、危険である。なぜなら、中国、韓国に代表されるように、日本に対する屈折したコンプレックスと攻撃衝動を持つ国家がそのねらいを隠そうともせず存在するからである。

 また「ダニエル」さんも拙文の中の本題から外れたエピソードに目を向けて下さいましてありがとうございました。

ダニエル (東京都)

刺激的なタイトルが目につき書店で購入。凄い本でした。
日本の移民問題について日ごろ自分が漠然と思っていたことが的確な言葉で解説されていて、痒いところに手が届く論述が快感。一晩で一気に読んでしまいました。

いつの頃からか「新しい歴史教科書をつくる会」について聞かなくなったと思っていたのですが、中国人スパイの李春光と中国当局の謀略で壊滅させられたという驚愕の事件の顛末が記されています。
まるで物語のような話ですが著者自身が代表を勤めていた団体の話ですから事実でしょう。
内容に説得力もあります。

中国が移民を使って計画する日本侵略の最先端は想像以上に厳しいものでした。
読むことで知見がぐんと拡がりました。

『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』評(一)

中国人に対する「労働鎖国」のすすめ 中国人に対する「労働鎖国」のすすめ
(2013/04/02)
西尾幹二

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『正論』5月号 坂東忠信氏の書評

労働力確保を移民に頼るなかれ

 本書は、20年以上前に出版された原著に一部加筆するなどしたリニューアル本だが、その先見性故に、少子高齢化が本格化して移民政策が具体性を帯びてきた今の日本にこそ鋭利に突き刺さる。本書が提示する選択肢は三つ。一つは、国民保護のため外国人労働者の権利を非人間的に規制する厳格な労働階級社会。二つ目は、日本人が外国人の引き起こす社会問題を受忍し、国民主権の割譲をも覚悟する多民族平等社会。三つ目は、労働者受け入れを拒否する「労働鎖国」。本書は選択肢がこの三つしかない理由を各国の実例と歴史を挙げて説明したうえで、日本が国家として人間社会の理想を目指すなら労働鎖国しか道はないことを示している。

 そもそもなぜ「国際化」「開放」「共存」が正しく、「鎖国」「規制」「保護」は悪とされるのか?「国際化」とは何なのか?外国人を受け容れることが本当に「国際化」なのか?日本に「国際化」を迫る国が本当に国際化しているのか?単に「自国化」要求ではないのか?そもそも誰が日本に「国際化」を迫っているのか?あなたは本書の問いにハッとするだろう。それでもピンとこないなら、在日華人の実生活に踏み込んだ元刑事なりの直球表現であなたに聞きたい。

 あなたは、商道徳や衛生観念の違う異民族が握る回転寿司を食えるか?

 日本で多民族が「平等」に「共存」する「国際化」社会の実現は、あなたの命に直結する大問題だ。どの家庭も大量の油を台所に流す中国では、下水の汲み上げで再生される「地溝油(ドブ油)」の流通が50%にも達し、死者も出て社会問題となっている。他国の空まで汚しながら、被害者ヅラで環境暴動を起こし毎日死者が出ている。こうした民族と、あなたは同じ土地で共存できるか?いや、そんな社会で生存できるか?

 国際化や人権意識などのコンプレックスを逆利用した負の想念で良心を形作る日本の偽善が、幸せを不幸に変えている。労働を「搾取」「階級闘争」と捉える労組が支配する学校で教育を受けた結果、社会に出ても仕事に感謝も喜びも見出せない精神的幼児の日本人が、職業に貴賎の別をつけ苦役を外国人にあてがって、人種差別社会を生み出そうとしているのだ。

 本書読了後、私なりの結論がすでに出ていることに気が付いた。少子高齢化社会における労働力確保の決め手は、外国人移民では決してない。国民個々が仕事を通して喜びを味わい、喜ばれる存在になるという幸せの再認識である。そして真の国際化とは、虹色の世界に一角を占め日本色を鮮やかに発光させる、日本の日本化であり、日本の深化である。

 会社で部下から「国際化していない」となじられ、悩む社会中核年代層に本書は必読である。

元北京語通訳捜査官 坂東忠信

『自ら歴史を貶める日本人』評(二)

自ら歴史を貶める日本人 (徳間ポケット) 自ら歴史を貶める日本人 (徳間ポケット)
(2012/12/20)
西尾 幹二、福地 惇 他

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 アマゾンの書評を掲示します。

By閑居人
レビュー対象商品: 自ら歴史を貶める日本人 (徳間ポケット) (新書)

表題は刺激的であるが、西尾幹二氏と現代史研究会の三人の論者が主張していることは、基本的にはきわめてまともなことである。それは、日本の近現代史を評価するには、その背景にある欧米、ロシア・ソビエトの外交政策とアジア諸国の当時の社会状況、中国国民党やコミンテルンと共産党の動向を、日本の政治外交軍事との関係でバランス良く見ていくことが大切だという観点である。
本書で、四人の論者が、具体的に取り上げて批判しているのは、加藤陽子「それでも日本は戦争を選んだ」、半藤一利「昭和史」、北岡伸一「日中歴史共同研究」である。
加藤氏と半藤氏の場合は、日清日露戦争以来、近代日本が戦った戦争の原因を主として国内的要因に求めて、日本の外交的選択を追い詰めていったアメリカやイギリス、ロシア、ドイツといった帝国主義諸国のアジア政策を十分に理解していない。また、コミンテルンの策動や中国国民党の宿痾にも関心がない。言われたくないだろうが、「東京裁判史観」のフレームから解き放たれていないということである。
また、西尾と福井雄三氏は、アメリカの宗教的動機が「文明の衝突」をもたらす根底にあることを指摘する。ウィルソンはアメリカの精神医学界の言葉を使えば「自己愛性人格障害」としか呼びようのない特異な人物だが、F・ルーズベルトの独特の人種差別意識、選民思想が対日戦争への強固な意志やソビエトを同志とみなす倒錯した世界観に変化していくことに注意が必要だ。
日米戦争の本質は、現代アメリカの政治学者ミアシャイマーに言わせれば「既に経済戦争を仕掛けられた日本はアメリカと戦って降伏するか、戦わないで降伏するかしかないところまで追い詰められていた。名誉を守るために戦ったことは、唯一の合理的な選択だった」ということなのだ。しかし、加藤、半藤は、日本には平和勢力もあったが、陸軍統制派と海軍艦隊派、それに日本国民のナショナリズムに引きずられて悲惨な戦争に突き進んで行ったと結論づける。日米で当時の様々な政府文書が公開されても、「それでも日本は戦争を選んだ」としか言えない歴史学者には失望するしかない。
北岡氏の場合は、中国や韓国の歴史学者と論争して「共同研究報告書」を作成する場合、それは「国益」とからむ「外交戦」の一環として位置づけられることをよく理解していたはずである。一番良いのは「これではまとまらない」と言って解散しその理由を世間に公表することである。しかし、北岡はそうせず、長文の報告書を「成果」として誇ってしまった。そのおつりはいずれ日本国民に投げつけられることだろう。
中韓の学者や識者と議論するときによくあることだが、反論されると怒って怒りまくる輩がいる。これはいつもの手である。また、途方もないことを主張して、絶対に譲らないという論者も現れる。これもいつもの手なのである。
北岡がまとめ役の一人となったこの研究では、「辛亥革命と五・四運動の影響で日本でも大正デモクラシーが起きた」と主張した中国人がいたそうである。日本側が唖然としたり、毒気を抜かれたりすれば、それは彼らの思うつぼである。日本側は、比較的穏やかな、まだまだまともと言える見解の学者に近づき、まとめようとする。このとき、日本側の妥協は、まだ僅かである。しかし、まともと見えた中国人学者を頼りに「報告書をまとめる」ことが決定されてしまえば、最終稿が完成するまでに、果てしもないハードルの上げ下げが続く。この戦いは通常日本側の一方的な妥協で終わらざるを得ない。相手は始めから譲る気などなかったからである。西尾が意外感を持って指摘する、篤実で実証的な研究で知られた一部の日本人学者の無残な敗北はその結果に他ならない。
多分、日本人の人間的魅力の一つなのだろうが、日本人は他国の悪意に無頓着すぎる。しかし、豊かな美しい国、誇り高い歴史を持つ国が、周辺諸国や世界のあちこちから挑戦を受けないことはあり得ない。
なお、この本で展開された四人の論者の近現代史についてのそれぞれの立場からの立論は、熟読吟味に耐える知的魅力に満ちたものである。文部省教科書調査官時代、日教組と外務省チャイナスクールに射された経験を持つ福地惇氏の近現代史への深い洞察。インテリジェンスに詳しい柏原竜一氏の視点。魅力的な書物である。

「閑居人」さんの行き届いた批評に感謝します。

By スワン
レビュー対象商品: 自ら歴史を貶める日本人 (徳間ポケット) (新書)

本書の概要についていえば、「閑居人」さんが記しているとおりである。
付け加えるべきことは、ほとんどない。

ただし、わたしは本書の議論の進め方に不満を感じた。
それは、加藤陽子、半藤一利、北岡伸一各氏の著書を俎上に載せ、話を進めることに由来する読みにくさだ。

1)ややもすると、上記3氏の論を批判するのが<主>で、歴史的事件および出来事の解説が<従>になってしまうため、ある程度以上、近現代史の知識をもった読者でないと<日本の主張>のディテールが伝わらないのではないか、という怖れがある。
その一例。
《西尾 西安事件を抜きにして昭和史は語れませんよ》(108ページ)
とあるものの、あの奇妙な西安事件の謎めいた影やコミンテルンの暗躍が詳しく語られていないため、「?」と思う読者も少なくないのではあるまいか。

2)また、3氏への批判が、彼らの記述に沿ってなされるため、時系列的な流れが攪乱される。
満州事変のあとに日露戦争が語られたり、ノモンハン事件のあとにロシア革命が話題にされたり……と、頭に入りにくい。

3)上記3氏の論は、いずれも、つぎのような同じ欠陥をもっている。
・日本を取り巻く当時の世界史を視野に入れていないこと
・いわゆる「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」に毒されていること
・戦前の日本は悪玉で、侵略された側は善玉だという紙芝居的な見方……
そのため、各章で、似たような批判が繰り返される。
批判はまったくそのとおりなのだが、それでも、「あ、またか」と食傷気味になってしまう。

戦前の世界史のなかで日本が置かれた歴史的立場、そしてそこから発する<日本の主張>を前面に打ち出した本書の意義は大きい。
それだけに、上のような議論の進め方が残念でならないのだ。

願わくば、この四氏で、<真正・昭和史>ないし<真正・近現代史>を語り尽くしてもらいたいものである。
リベラル左派的な議論など相手にせずに――。

 「スワン」さんの「議論の進め方に不満あり」はまことに尤もなご批判で、その通りと存じます。私ども四人の討論も先行きの見えない闇夜を四人それぞれが懐中電灯を照らしながら歩いたかのような手探りでした。一冊の本にまとめることが出来たのがじつは奇跡でした。

 今年再開します。加藤康男氏と福井義高氏の二人が加わり、六人の討論会になります。まとまりが悪くなるかもしれませんが、時代順に追求していく新プランで、満州事変→支那事変→ノモンハン事件→日米開戦の順序で辿る予定です。2-3年かかるでしょう。「スワン」さんのご批判を参考にさせていただきます。ご批評ありがとうございました。

 再開第一回目はたぶん『WiLL』8月号からで、「柳条湖事件が日本人の犯行だというのは本当か?」という、あっと驚く、ショッキングな主題をひっ提げて再登場します。ご期待下さい。

『自ら歴史を貶める日本人』評(一)

『WiLL』5月号 堤堯の今月の一冊より

 本書は、本誌に11回にわたって連載された討議のまとめで、連載中から次回を待ちかねて愛読した。こうして一冊になって通読すると、討議の意味合いが一段と迫力を増す。なにしろ目次が食欲をそそる。

第3章 加藤洋子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は青少年有害図書
第4章 半藤一利『昭和史』は紙芝居だ
第5章 北岡伸一『日中歴史共同研究』は国辱ハレンチの報告書
第6章 日中歴史共同研究における中国人学者の嘘とデタラメ
 
 といったメニューで、四人の料理人による味付けは、これでもかと激辛に徹する。

 小欄は加藤洋子の『それでも・・・・』の背文字を書店で見かけたとき、一瞬、「それだからこそ・・・・」の間違いではないかと疑った記憶がある。

 かつて本欄で、加藤氏の『戦争の論理』を取り上げたことがある。象牙の塔で育った27歳の「女学生」のメス捌(さば)きに、なるほど戦争を知らない世代はこうも解釈できるのか、ある種の新鮮味を感じて、結語に「若い女の歯科医に脳髄を刺激されるような思いを味わった」と書いた。

 その「女学生」が、いまや近現代史の「大家」と目され、半藤氏とともにNHK御用達となった。両氏のベストセラーの読後感をひと言でいえば、「歴史は善人には描けない」――つまりは「悪人にしか描けない」という言葉を思い出したというしかない。本書はその「善人ぶり」をこれでもかと剔抉(てつけつ)する。

 それ以上に問題なのは、北岡の報告『日中歴史共同研究』だ。5章と6章は、その論理矛盾、偽善、知的怯懦(きょうだ)をこれでもかと衝く。北岡は「日中戦争は侵略戦争であり、南京虐殺は事実だ、それを否定する歴史学者は一人もいない」と断じる。この前提で中国側と「共同研究」を行えば、結果はハナから見えている。

 歴史の「歴」は歴然の「歴」。歴然とは「明らかな証拠がつらなる様」をいう(広辞苑)。「史」とは記録の意。よって、「歴史」は「明らかな証拠をつらねた記録」となる。ところが、これほど明らかでないものはない。見る人、見る角度によって違う。第一、真の資料は50年から100年を超えてから表出する。

 北岡は「張作霖爆殺事件がコミンテルンの陰謀だったと言う説は、それこそ虚偽のデマゴーグだ」とする。しかし、ロシアで出版された『GRU百科事典』(08年刊行)は、「日本軍の仕業に見せかけた工作の成功例だった」とハッキリ記している。GRUはKGBの前身だ。これを北岡は何と説明する。

 小欄が南京の「屠殺紀念館」で購入した大部の写真入の解説書は、表題に「鋳史育人」とある。つまりは歴史を鋳型に嵌(は)めて鋳造し、これをもって人を宣撫するという意味だ。

 これを見ても「南京虐殺」、従軍慰安婦、尖閣問題・・・・中国側の意図は明らかではないか。ちなみに、教科書誤報事件をスクープしたのは、小欄が編集長をつとめた雑誌『諸君!』だったことを付記しておく。

 歴史認識こそは思想戦、心理戦、宣伝戦の中核だ。米中共同の製作になる「鋳型」からの脱却――これこそが本書の狙い・願いだ。是非にも多くの人に読んで欲しい。パール判事は言った。「罪の意識を背負わされたままの民族に明日はない」と。

5月26日(日)放送『新報道2001』

5月26日(日)フジテレビ 午前7時30分~8時52分頃まで

ゲスト:中山泰秀氏(自民党国防部会部会長)
    渡辺 周氏(元防衛副大臣)
    橋下 徹氏(大阪市長、日本維新の会の共同代表,大阪維新の会代表)
    笠井 亮氏(共産党拉致等特別委員)

コメンテーター
   :西尾幹二氏(ドイツ文学者)
    宮家邦彦氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)
    古市憲寿氏(社会学者)

<「歴史認識」と国益の守り方と外交姿勢のあり方とは>

■ 慰安婦問題を巡る波紋

■ 慰安婦問題の本質と日本政府の役割とは

■ 歴史認識とは、どうあるべきか