「中国 大嘘つき国家の犯罪」(宮崎正弘著)の解説

【文庫】 中国 大嘘つき国家の犯罪 (文芸社文庫 み 1-2) 【文庫】 中国 大嘘つき国家の犯罪 (文芸社文庫 み 1-2)
(2014/08/02)
宮崎 正弘

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解 説──浪漫派詩人の犀利な現実認識──西尾幹二 

 宮崎正弘氏の中国研究はすべて自ら脚で歩いて、見かつ聞いた現地情報を基本とし、それに中国語、英語のメディアから驚くほど多数の関連情報をもの凄いスピードで読みこなし、有名なメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」──本書出版直前の2014年8月5日で通巻4300号を超える──を、氏は精力的に発行しつづけている。

 中国が日本にとって重大な意味を持つようになった二十一世紀に入って以降、このメルマガが日本の知的社会において果たした役割は大きい。政界、言論界はもとより、マスメディア以外にも、学者や一般読者にも影響を与えつづけて来た。何よりもその行動力と全身をアンテナにして捉えて来た権力中枢の動向から場末の下世話な話題に至るまでのリアルな情報は、この時代を敏感かつ真剣に生きている日本人には無関心であることが許されない読み物であった。早い時期に中国の全省に足を踏み入れ、いたるところを踏破し、新幹線が出てくればこれに全線乗り、北京と上海しか見ていない新聞記者顔負けの行動力で、日本人の知見を広めてきた。新聞社の中国特派員が宮崎氏のメルマガを見て書いていると聞いたことがあるが、さもありなんと思う。

 氏はメルマガをほぼ毎日、旅行中以外は休むことなく、ときに同じ日に二度三度と出すこともあるが、それに止まらず、ここで確認した体験をさらに整理し、ご自身の文明観や国際政治観を書き込んで、単行本を出しつづけた。そのスピードは年に五、六冊に及ぶ。昨秋百六十冊を数え、これを機に出版記念パーティが開かれた。本書はその中でもとりわけ氏の中国観を総集したような代表的位置を占めるのではないかと思う。

 「中国人は嘘が得意であるが、これは生存本能からくる生来の体質であって、生まれてから死ぬまで、日々の生活においても朝から晩まで嘘をつかないと不安なのである。言行不一致が矛盾であるという感覚もない」

「彼ら(中国人)の主張には理性と理論が欠落しているうえに、倫理がない。理論的、合理的、科学的論考を初めから拒絶し、『日本が悪い』という固定観念からすべてを発想する。日本に限らず、相手が常に悪いのであり、オレ様だけは常に正しいという、不思議な強迫観念に取り憑かれている」

 嘘が「不安」に発し、自己正当化が「強迫観念」に由来するというこのような観察に、中国人に対する宮崎氏に特有の見方がある。中国人には何かが欠けている。人間の生き方に根底がなく、落ち着きや静かさや優美さが感じられないのは、貧寒たる大陸に住む人間には「生存本能」しかないのかもしれないと見ている。

 「中国人の特筆として『大きなことを先に言ったほうが勝ち』という原則がある」

 

 「そもそも共産党上層部は農民を馬鹿にし、労働者を差別している。……共産党員だけがエリートであり、国民の五%ほどしかいない。他の九十五%は奴隷としか認識していない」

 「中国には『住民票』という制度がない。……戸籍証明をとるのも戸籍を変更するにも、賄賂が必要なのである。だから戸籍の売買が公然と行われ、死んだ人の戸籍も生きていることにして高く売れる」

 

「貧乏人が路傍で死んでいても党は構わない。老人ホームであるとか、国民健康保険という制度は、もちろん確立されていない」

 「開廷して被告人が証言しているのに裁判官は携帯電話で横向きになって喋っている。裁判官で法学部を出た人は稀で、いや、そもそも大学を出ている人が少なく、下級裁判所の多くは共産党が任命した地方のボスが多い。
 また陪審員が裁判長の愛人だったりするから、これも裁判の進行に関心がなく、携帯電話で長話をしている。公判は公平に行われず賄賂が判決を左右し、殺人でも無罪になるかと思えば、裁判長の虫の居所が悪いと万引きでも死刑判決が出る」

 以上の引用はすべて本書の第二章からであるが、これだけを見ても中国社会のすさまじい無法ぶり、無秩序、混沌が的確にえぐり出されている。じつに恐ろしい社会である。

 次のような諸事実も中国人旅行者が増えて日本社会にも浸透してきた。

 

「他人のために無償の行為を行うという発想は中国人にはない。
 他人への配慮、思いやりに乏しく、だから信号は守らない。投げ捨てタバコ、道路につば、痰を吐く。地下鉄で排便する。バスの中で麺をすすり、窓から容器を投げ捨てる。若い美人がコーラの瓶を平然と窓から投げている現場を、筆者は何度も目撃した」(第三章)

 最近の中国の大都市に林立するニューヨーク並の摩天楼はわれわれもテレビ等で見慣れているが、宮崎氏の観察は鋭い。

「瀋陽も大連も都心部に林立するビル群は奇妙なデザインばかり。……まるで都市設計の思想がない。いや中華の伝統が皆無に近い。……これほど迅速に中華の匂いも風情もない町並みを急増する神経とは、いったい何なのか。むしろそのことを熱烈に知りたいと思うのは筆者ばかりではないだろう」(第四章)

 進歩を信じ過ぎた遅ればせ急ごしらえの「近代化」が熱病のごとくこの国を襲っているのは紛れもないが、ただそれだけではない。この荒涼たる風景には、中国文明そのものの持つ貧しさが根本の原因をなしているように思える。私自身も支那の文学、哲学に魅力を覚えたことがない。古い時代の作品にも、そう多く触れたわけではないが、宗教性がなく、政治過剰である。『論語』も道徳の書というのは日本人の誤解で、政治教本のように思える。このあたりの問題でも宮崎氏は見るべきものをしっかり見ている。

「仏教の聖地とされた場所に共通するのは、寺はともかく麓の街は俗化しているということだ。参詣客が蝟集する麓のレストランにはハトの丸焼き、牛豚羊ばかりか、犬肉料理もある。……率直に言って中国の仏像は優しさを感じない。端的に言うと、品がない……」(第四章)

 「優美な曲線や優しい顔つきとか、情緒を含む笑いとか、日本の仏像や庭園は、その造形自体が芸術である。ところが中国の公園は、地獄で閻魔大王に舌を抜かれる様や、身体を八つ裂きにされる処刑を受ける極悪犯罪者などを、露骨に図形や人形にして展示しており、その彫刻も絵画も宣伝用ではあったとしても、少しも芸術の香りがしないのだ。奇岩をならべてどうだ、と客に見せる図太い神経は、仏教寺院の周囲にある記念館や博物館でも同じ」(第四章)

 各地を見て歩いた氏の描写力には実感がこもっている。

 以上いくつか取り上げた例から分かるように、見て歩いて感じ考えたことを次々と筆の赴くまま、思い出すままに語ったこの本の自由自在な筆致は、何年何月の記録というのでも、特定の政治事件の報告というのでもない。現代中国そのものの体当たり体験記である。恐ろしく広範囲に及び、恐ろしく奥深いが、けっして概念的ではない。観念的ではない。ご覧の通り視覚的である。文学的である。

 私は氏は浪漫派放浪詩人だと思うことがある。日本的美感の奥ゆかしさを愛している詩人であって、中国を研究し、歩き回ってはみたが、中国をどうしても好きにはなれない壁にぶつかり、幾度も立ち停まっている。

 

「食欲、性欲、物欲に関して言えば、中国人の欲望表現は原色志向である。ぎらぎら、べたべたの直截な表記しかできない。奥ゆかしい比喩が苦手である。色彩感覚にしても彼らの横断幕は朱色と黄色の原色が多く、夜のネオンは高尚なレストランも下卑た曖昧宿も、色彩の下品度は同じ」(第六章)

 まことにわれわれが知る中国はまさにこの通りである。が、政治論議の多い最近の中国ウォッチングには体験の原点に立ち戻ったこのような誰しもが気がついているはずの正直な言葉に欠けている。日本人としての自分の感性からもう一度見直してみるという文化批評をほとんど見かけない。

 「日本の紳士の高級な遊びは中国人にはおそらく理解不能だろう。
 手も握らないで和歌遊びなんて、中国人には絶対に理解できない」(第六章)

 こう述べて、京都の茶屋遊びや茶室の知識人のサロンに育まれた日本文化の粋に思いを致す宮崎氏は、中国と中国人に対するある深い断念の意識に立ち至っている。なぜこのようなことになったのだろう。中国がいかに経済成長を遂げても、思想も宗教もなく、芸術は物真似、モラルも不在、総じて文化が枯渇しているなら先行き文明の行方は知れている。現在がピークで、中国はこのまま衰退に向かって行くだろう、と氏は本書の結論を突き放したように語っている。

 宮崎氏以後、若い現代中国研究家が続々と出現した。ある人は、世界各地にあふれ出し、欧州、アメリカ、その他をボロボロにするほどに迷惑をかけている中国人移民の生態とその政治的なトラブルを主なテーマにしている。またある人は中国人労働者、農民工の生活の苦しい内実、ことに中国人女性の暮らしぶりやものの考え方について数多くの観察レポートを書いている。またある人は中国と日本政府、官僚、財界人の不正なつながりに光を当て、中国進出の日本企業の陥った非情なる苦境について徹底的に追及している。こうした多士済々な活動は、宮崎氏が一度は何らかの形で手を着け、すでに発言し、展開しているテーマのうちにあるが、しかし、宮崎氏ひとりでは追い切れない特殊テーマの個別的研究といった体のもので、よく考えると氏が広げた大きな展開図の中で、単身では及ばなかったテーマの個人的追究といったものであって、氏はいわば現代中国研究の総合的役割を果たしてきたのだなと思い至るのである。後から来た世代は宮崎氏の仕事を横目で見て、それと重ならぬように、そこから漏れたテーマに焦点を絞って、意図的に個別の研究をすすめているように思える。宮崎氏の中国ウォッチングはそれらの人々の前提であり、先駆であった。すなわち宮崎氏は黙って一つの「役割」を果たしていたのだな、と今にして思い至るのである。

 2013年秋で160冊を数えた宮崎氏の著作だが、1971年、三島由紀夫論が処女出版で、中国論が出版されたのは32冊目、1986年であった。その一冊から、十五年間中国論はなく、1990年の28冊目にやっと二冊目の中国論が書かれている。そういうわけで、氏の中国論がたくさん書かれるようになったのは2001年より後である。2001年から今日までの68冊のうち45冊が中国ものとなっている。私が知り合いになったのはそれより少し後であった。

 では、それ以前の宮崎氏は何をしていたのだろうか。経済評論家であり、アメリカ論者であり、資源戦略や国際謀略などに詳しいグローバルな動機を基礎に置いた国際政治に関する著作家であった。

 私は成程と思った。中国語の読み書きはもとより、英語の能力が高い。新聞雑誌の英語をもの凄いスピードで読む。メディアの英語は学校英語と違って、背景の広い国際知識をもたないと読めないもので、難しいのである。びっくりするのは世界の無数の政治家、経済人の名前をつねに正確にそらで覚えている。欧米人だけではない。中東から中央アジアの政局にも詳しく、キルギスとかトルクメニスタン、あのあたりに政変があると、片仮名で書いても長くて舌を噛みそうになる固有名詞をそらで覚えていて、次々と出す。パソコンを片端から叩いて、何も見ていないのであろう、全部頭に入っている。これにはたまげる。

 宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか? いろいろな人の本を次々と書評もしている。私と同じ時期に送られてくる新刊本、整理べたの私がまだ本の封筒の袋を開けていないときに早くも宮崎氏のメルマガの書評欄にその本の書評がもう出ている。一体どうなっているのか。宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか。ほとんど怪物だと思うこと再三であった。記憶力抜群、筆の速度の天下一、鋭い分析力と時代の動きへの洞察力──もう負けたと思うこと再三であった。

 中国論は世に多いが、経済の理法を知らなければ今の中国は論じられない。また逆に、中国の動向を正確に観察していなければ、今の世界経済は論じられない。宮崎氏の仕事は世に出るべくして出て来たのである。

 昭和前期に長野朗と内田良平という蒋介石北伐時代の中国ウォッチャーがいたが、宮崎氏はどちらが好きで、どちらが自分に似ていると考えているだろうか。一度きいてみたいと思っている。どちらも愛国者であるが、長野朗は農本主義者で、内田良平は日本浪漫派風の国士であった。私は内田良平のほうに似ているのではないかな、などと考えている。

 宮崎氏は人情に篤い。友人思いである。友人の死はもとより、その奥様が急死なさる──そういうとき彼は自分の仕事を捨てて飛んで行く。友人のために働き、友人のために気配りし、自分のスケジュールを犠牲にしてもいとわない。

 私はいつも思うのである。あの「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ……東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ」彼はそうなのだ。「丈夫ナカラダヲモチ、慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシズカニワラツテイル」……

 本当にそうなのだ。仲間で言い合いがあって、少し激しくなってくると、宮崎氏はいつも茶化すような、思いがけない方角からの茶々を入れてみんなを笑わせ、一座の興奮を鎮めてしまう人である。

 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」……宮崎氏の場合は玄米ではなく「一日ニ焼酎四合」と言い直したらいいだろう。そして「少シノ野菜ヲタベ」というのは本当で、宮崎氏は飲み出すと物を食べない。これはいけない。健康に悪い。それからもうひとつ煙草を吸いながら酒を飲む。これもいけない。われわれが止めろといくら言ってもきかない。

 宮崎氏の生活行動は文学者のそれで、日本浪漫派の無頼派の作家、破滅型の作家のモラルに似ている処があって、そこが心配である。最近は酒の量が少し減っているように見受ける。メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の欄外に飲み歩きの記録、消息案内があるのだが、最近その記事がいくらか減っているようで心配である。二、三年前には、西荻窪から中央線に乗って途中で降りないで眠ったまま東京駅まで行ってしまうようなことがあったが、いくら何でももうそんな無茶はしないで、大事にしていただきたいと思う。

ZAITENより

 ZAITENという文字を見て何のことかお分かりだろうか。「財界展望」という雑誌の改称である。由緒のある、古い雑誌である。どうしてこんな改題がなされるのか分らないが、そのZAITENから拙著『憂国のリアリズム』についての次のようなインタビューを受けたので、ご報告する。

ZAITEN著者インタビュー

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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――3年間続いた民主党政権を「全共闘内閣」とお書きになっています。

 仙石由人、枝野幸男、海江田万里ら民主党の各氏は、もともと全共闘の活動家でした。菅直人も鳩山由紀夫も似たようなものです。彼らは、国際政治という観点を無視して主観的な平和主義を唱える勢力といっていいでしょう。民主党政権が行ったことは、現実がまったく見えていないママゴト民主主義です。

――先の選挙で自民党が政権に返り咲き、安倍内閣が誕生しました。安倍政権の課題として、①中国共産党体制の打破、②憲法改正、③不可解なグローバリズムにどう立ち向かうか――の3つを挙げています。

 まず中国ですが、なぜアジアではベルリンの壁の崩壊が起きないのか。中国共産党の一党支配が強固だからではありません。共産党が一党支配を保ったまま同時に金融資本主義を身にまとい、異様な二重体制となり、アメリカがそれを許容しているからです。しかし、この状況がアジア版ベルリンの壁崩壊とも言える。ソ連が崩壊したように、中国も体制の転換をすべき時が来ています。

――憲法改正の真意は。

 憲法改正は歴史問題と第二次世界大戦の罪を一方的に押し付けられるのは終わりにすべきだということです。歴史と政治は別でなければならない。かつてアメリカとソ連は歴史的に対立してきましたが、今両国が政治や外交問題を議論する時、歴史を持ち出すことはしません。両国は大国だからです。憲法改正で重要なのは、日本を侵略国と断罪した戦勝国の歴史観からの脱却です。

――不可解なグローバリズムとは、どういうものでしょうか。

 ひと言で言いますと、FRB(米国の中央銀行に当たる連邦準備制度理事会)はアメリカの国営銀行ではありません。ただの民間銀行で、ユダヤ系です。それがアメリカの金融政策の策定を行っている。選挙で選ばれた人たちではない。“奥の院”がアメリカを動かしているわけで、アメリカ国民にとって、民主主義は本当に存在するのか、という問題です。

 中国も同じです。中国共産党の幹部たちは、中国国民とは関係ありません。もちろん、選挙で選ばれたわけでもありません。彼らは巨額を国外に持ち出す“犯罪者集団”です。このように、正体の見えない不可解なグローバリズムが世界中を覆っていて、どこかで一つに繫がっているのかもしれないのです。

――安倍政権では、集団的自衛権を認めようとする動きがあります。

 認めるのは良いのですが、集団的自衛権は双務的な相互条約です。集団的自衛権を認めるならば、同時に米軍基地の撤廃が主張されるべきです。本来なら、すぐに米軍基地撤廃は無理にしても、例えば「まずは横田基地から」といった議論が沸き起こるべきなのです。集団的自衛権を議論するなら、そこまでの覚悟が必要なのですが、肝心なことは誰ひとり話題にしません。

――本の中で、「東京裁判について議論する必要はない。戦争責任論もナンセンス」と主張されています。

 戦争責任という概念は、第二次世界大戦中はありませんでした。戦後になって突如出てきたものです。戦勝国が敗戦国の責任を追及することは、敗戦国を未来永劫にわたって封じ込める手段としての意味が強いのです。世界的にも戦争責任という概念は、アメリカの南北戦争、南軍の罪を問うたリンカーンが最初です。そして、ナチスを裁いたニュルンベルク裁判で「人道に対する罪」というものが打ち出されます。それ以前は、どんな戦争でも、国家のために戦った軍人が罪に問われることはなかったのです。

――先の大戦で日本は「人道に対する罪」は犯していないのでしょうか。

 もともと「人道の罪」などないのですが、戦勝国が言うところの「人道の罪」を日本は一切犯していません。ナチスには強制収容所やホロコーストがありましたが、日本にはそういった絶滅収容所はありません。そもそもアメリカが日本と戦争を行った目的が存在しないのです。ナチスに対する戦争目的はあったかもしれませんが、日本に対する万人に納得のいく戦争目的をアメリカはいまだに説明することができません。

――連合国にとっては、ファシズムに対する戦争だったというのが一般的ですが。

 とんでもない話です。ファシズムを日本に当てはめることはできません。「天皇制ファシズム」とは、戦後左翼が言い出したことで、天皇制とファシズムが一つになることはありえません。ファシズムとは、総統(独裁者)がいて、党が政府を支配し、強制収容所がある、この3つの条件が必要です。これを実現させた全体主義国家は、ヒトラー政権とスターリン政権だけです。当時、ファシズムに最も近かったのは、アジアでは蒋介石の国民党政府です。ヒトラーとスターリンに並行するのは蒋介石と毛沢東です。天皇を戴く日本では、総統は出ず、ファシズムは成り立ちません。

2013年10月号より

西尾幹二全集第8巻『教育文明論』の刊行

 いま私の生活の最大部分を占めているのは全集の刊行と正論連載である。この二つを仕上げるために他の小さな仕事は次第に縮小せざるを得ないと思っている。

 全集は資料蒐集つまりテキストの確保にはじまり、編成、校正、関連雑務とつづく。正直、息が抜けない。

 今月20日にようやく第8巻『教育文明論』が上梓される。何のかんのと言っているうちに8巻まで来て、三分の一を過ぎた。

 月報は天野郁夫氏(東大教授)と竹内洋氏(京大教授)の二人の教育社会学者におねがいした。このご両氏と侃侃諤諤の議論をし合った往時(1980年代)が懐かしい。

 まず目次をご覧いたゞきたい。私の45歳から55歳にかけての脂ののり切った10年間の全エネルギーが「教育改革」の一点に注がれたのである。

目 次

Ⅰ 『日本の教育 ドイツの教育』を書く前に私が教育について考えていたこと

 今の教師はなぜ評点を恐れるのか
 九割を越えた高校進学率――もう一つの選別手段を考えるべきとき
 教育学者や経済学者の肝心な点が抜けたままの教育論議
 わが父への感謝
 競争回避の知恵と矛盾
 文明病としての進学熱――R・P・ドーア氏の講演を聞いて

Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育

 第一章 ドイツ教育改革論議の渦中に立たされて
 第二章 教育は万能の女神か
 第三章 フンボルト的「孤独と自由」の行方
 第四章 大学都市テュービンゲンで考えたこと
 第五章 世界的視座で見た江戸時代以降の教育
 第六章 進学競争の病理
 第七章 日本の「学歴社会」は曲り角にあるか
 第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観
 終 章 精神のエリートを志す人のために
 あとがき
 主要参考文献

Ⅲ 中曽根「臨時教育審議会」批判

 自己教育ということ――『日本の教育 智恵と矛盾』の序
 どこまで絶望できるか
 「中曽根・教育改革」への提言
 経済繁栄の代価としての病理
 矛盾が皺寄せされる中学校教育
 校内暴力の背後にあるにがい真実
 臨教審、フリードマン、イヴァン・イリッチ
 「教育の自由化」路線を批判する
 「競争」概念の再考
 教育改革は革命にあらず――臨教審よ、常識に還れ――
 再び臨教審を批判する
 臨教審第二部会に再考を求める
 臨教審第一次答申を読んで
 なぜ第一次答申は無内容に終わったか
 「自由化」論敗退の政治的理由を推理する
 文教政策に必要な戦略的思考
 「臨教審」第二次答申案を読んで
 大学間「格差」を考える
 飯島宗一氏への公開状
 臨教審最終答申を読んで

Ⅳ 第十四期中央教育審議会委員として

 講演 日本の教育の平等と効率
 西原春夫前早大総長への公開質問状
 大学審議会と対立する中教審の認識
 中教審答申を提出して
 有馬朗人東大学長への公開質問状

Ⅴ 教育と自由 中教審報告から大学改革へ

 プロローグ
 第一章 中教審委員「懺悔録」
  第一節 指導者なき国で理想の指導者像は描けず
  第二節 「教育改革」論議はなぜ人を白けさせるのか
  第三節 答申から消された文部省批判
 第二章 自由の修正と自由の回復
  第一節 「 格差」と「序列」で身動きできない日本の学校
  第二節 文部省文書のスタイルを破る
  第三節 公立学校と私立学校の宿命的対比
  第四節 入学者選抜は「大学の自治」か
  第五節 なぜ地獄の入口に蓋をするのか
 第三章 すべての鍵を握る大学改革
  第一節 混沌たる自由の嵐を引き起こすために
  第二節 私の具体的な大学改革案
  第三節 “競争の精神(アゴーン)”を忘れた日本の学問
 終 章 競争はすでに最初に終了している
  第一節 誰にでも開かれているべき真の自由
  第二節 効率から創造へ
 付 録 学校制度に関する小委員会審議経過報告(中間報告)抄録

Ⅵ 大学改革への悲願
 大学を活性化する「教育独禁法」
 講演 大学の病理
 有馬朗人第十五期中教審会長にあらためて問う

Ⅶ 文部省の愚挙「放送大学」

後 記

『GHQ焚書図書開封』8の刊行ほか

 9月1日発売の『正論』10月号に連載の第四回目が出ます。既報のとおり、同誌に「戦争史観の転換」という題の連載を始めて、今回は第1章の第4節に当り、「アメリカ文明の鎖国性」と題した一文を掲げました。古代ギリシアの奴隷制に照らしてアメリカ近代史を考察した今までまだ誰も指摘していない比較歴史論の観点を打ち出したもので、これについてもコメントしていただけたらありがたい。

 8月末に『GHQ焚書図書開封』⑧が出ました。アマゾンの説明文は次の通りです。

(内容紹介) あのとき、日米戦争はもう始まっていた!
昭和18、19年という戦争がいちばん盛んな時期に書かれた「大東亜戦争調査会」叢書は、戦争を煽り立てることなく、当時の代表的知性がきわめて緻密かつ冷静に、「当時の日本人は世界をどう見ていたか」「アメリカとの戦争をどう考えていたか」分析している。そこでは、19世紀から始まる米英の覇権意志を洞察し、世界支配を目指すアメリカの戦後構想まで予見されていた。
――しかし、これらの本は戦後、GHQの命令で真っ先に没収された!

戦後、日本人の歴史観から消し去られた真実を掘り起こし、浮かび上がらせる、西尾幹二の好評シリーズ。

※「大東亜戦争調査会」とは、外交官の天羽英二や有田八郎、哲学者の高坂正顕、ジャーナリストの徳富蘇峰ら、当時を代表する知を集め、国家主義に走ることなく、冷徹に国際社会の中で日本が歩んできた道を見据えた本を刊行した。ペリー来航からワシントン会議まで、英米2大国の思惑と動向、日本の対応など、戦後の歴史書にない事実、視点を提示している。

徳間書店¥1800+税

GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書) GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書)
(2013/08/23)
西尾幹二

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『WiLL』6月号・チャンネル桜お知らせ

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 『WiLL』6月号には意見陳述と質疑応答とすべてが終わった後の私の若干の感想が報告されています。

お知らせ

『自ら歴史を貶める日本人』(徳間書店)に参加したグループ現代史研究会を中心に、次の討論が行われます。

番組名: 闘論!倒論!討論2013

テーマ: 現代史研究会スペシャル
     「反日の米中連携の実態と行方」

放送日: 平成25年4月27日(土曜日)20:00~23:00
     日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
     インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp)     「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト:50音順敬称略
      柏原竜一(ジャーナリスト・情報史研究科)
      加藤康男(編集者・近現代史研究家)
      西尾幹二(評論家)
      福井雄三(東京国際大学教授)
      福井義高(青山学院大学教授)
      福地 惇(高知大学名誉教授)
      馬渕睦夫(元ウクライナ大使)

司 会: 水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

「言志」紹介

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日本を主語とした電子言論マガジン「言志」の御案内

「言志-Genshi-」は、チャンネル桜が発行する「日本を主語とした」新たな情報発信・電子言論マガジンです。

今、日本の最前線で活躍する論客の皆さんによる、日本の未来を考えるオリジナルコンテンツが満載!

チャンネル桜の番組等とも連動し、文章・映像等を駆使した新しいタイプの電子マガジンで、パソコン、iPad等のタブレット型PC、スマートフォン等で閲覧いただきます。

西尾先生には創刊号からご執筆いただいております。

「言志」のご購読方法には、以下の方法があります。

・電子書籍サービスサイト「パブー」から購読する
・amazon「Kindleストア」から購読する
・「ニコニコチャンネル132Ch.」から購読する
・チャンネル桜からCD-R、Eメールで購読する

ご興味のある方は、「言志」公式サイトをご覧ください。

「言志」公式サイト
http://www.genshi-net.com/

坦々塾会員の活躍(二)

 河内さんは私の小石川高校時代の同級生で、精力的に翻訳業に取り組み始めました。同じ著者ブキャナンの二作目が来年上梓される運びとか聞いています。
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パトリック・J・ブキャナン著 幻冬舎刊
「超大国の自殺―アメリカは、二〇二五年まで生き延びるか?」のご紹介 (訳 者 河内隆弥)

著者は、アメリカの保守派重鎮。1938年ワシントンDC生まれ、ジョージタウン大学卒業、コロンビア大学大学院修了、政治評論家、作家、コラムニスト、TVコメンテーター。ニクソン、フォード、レーガン大統領それぞれのシニア・アドバイザーをつとめ、自らも共和党大統領候補として二度ほど予備選に、かつ2000年の大統領選では改革党候補として本選に出馬した政治家でもあります。著書多数ですが、邦訳に「病むアメリカ、滅びゆく西洋」(宮崎哲弥監訳、2002年成甲書房刊、原題「The Death of the West:How Dying Populations and Immigrant Invasions Imperil Our Coountry and Civilization」)があります。

 この「超大国の自殺」は、「病むアメリカ」の系譜を承け継ぐもので、1960年代以降のアメリカの公民権運動の展開、アファーマティブ・アクション(人種差別撤廃運動)及びポリティカル・コレクトネス(政治的公平)の推進、妊娠中絶、同性愛の許容、キリスト教道徳の衰退等々、いわゆるリベラルの主張の高まりによって、いかにアメリカ、そして世界の文明社会が危機に陥っているか、について引き続き警鐘を鳴らす趣旨の著作です。「病むアメリカ」出版以降十年を経て、アメリカはアフリカ系大統領を選び、二つの戦争を深化させ、住宅バブル崩壊、リーマンショックの大金融危機を迎え、いままた「財政の崖」の帰趨に世界の耳目が集まっています。ここ十年、まさに「病むアメリカ」に示された懸念が数倍の規模で展開されているようです。

 ブキャナンは、「超大国の自殺」を、旧ソ連の反体制派、アンドレイ・アマルリクの1970年のエッセイのタイトル、「ソビエトは1984年まで生き延びるだろうか?」を引用した「まえがき」から書きおこしました。アメリカは、あたかもソ連が消滅したごとく自殺の道を歩んでいる、という本書の主張、そして章立てタイトルのそれぞれ、とくに「白い(ホワイト)アメリカの終焉」などの表現は、アメリカのリベラル陣営を刺戟し、ブキャナンは長年つとめていたMSNBCコメンテーターのポストをおろされた、とつたえられています。リベラルが何を言おうと、ブキャナンの人口動態等の分析は、精密な資料、投票行動、世論調査等に裏付けられており、極めて冷徹、客観的なものであり、古今東西にわたる該博な知識に基づくブキャナンのそれらに対する解釈が説得力を高めています。
 
 21世紀なかばにおける人口の多い国十ヶ国を上から予測すると、インド、中国、合衆国、インドネシア、パキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュ、コンゴ共和国、エチオピアで、五つがアジア、三つがサブサハラのアフリカ、一つがラ米です。現在の先進国では唯一アメリカがベストテン入りをしていますが、そのアメリカも、白人出生率の低下、これに対する有色人種とくにヒスパニックの高出生率と移民の増加で、2050年までには白人人口が46.3%へと、半分を切るものと見られます。それはすでにアメリカが第三世界に属することを意味し、すなわち、そのときの人口大国十ヶ国はすべて第三世界が占めることとなります。アメリカ建国のモットーである、e pluribus unum

(多数でできた一つ)は合衆国の多様性を前提とするものでしたが、あくまでも国家としては一つのものを謳っていました。しかしいつの間にか「多様性こそアメリカの力」という言い方が主流となり、そのこと自体が政治、宗教、道徳、文化に関する価値感の分裂を促進しました。平等思想は「機会の平等」ではなく、「結果の平等」に置き換えられました。一方、正規、不正規の移民が途絶えることもありません。有色人種の伸張と価値感の分裂、そして金融資本主義ないし市場原理主義に基づくグローバリゼーションがもたらす経済格差がこの上もなく複雑に絡み合い、現代アメリカを特有のダイナミズムで動かしています。

 「国家とは何ぞや?」国家とは共通の祖先、文化、言語をいただき、同じ神をうやまい、同じヒーローをあがめ、同じ歴史を大事にし、同じ祝日を祝い、同じ音楽、詩、美術、文学、そしてリンカーンのいう情愛の絆を共有するものではなかったか?それが国家というものならば、われわれはアメリカが依然として国家である、と本当に言えるのだろうか?とブキャナンは問いかけます。

 2012年11月、大統領選挙でオバマ大統領が再選されました。投票直前まで、民主党オバマ、共和党ロムニー両候補は大接戦が予想されていました。ふたを開けてみれば、2008年、オバマ対マケインの、選挙人獲得数365対173、獲得州28+DC対22、得票率52.9%対45.7%にくらべて、2012年オバマ対ロムニーは同じ順番で332対206、26+DC対22、50.5%対47.9%と、ロムニ―は善戦したものの結局敗北を喫しました。ブッシュ二世がホワイトハウスを民主党に明け渡してから失業率は高止まりしており、この高失業率での現職の再選はフランクリン・ルーズベルト以来と言われています。今回、有権者構成比72%の白人は、その59%がロムニーに投票しましたが、0.72×0.59=0.42となって共和党が勝つことは出来ません。

(前回は0.74×0.55=0.40)共和党はもともと白人の党とよばれていますが
ニクソンとレーガンが勝っていた、宗教意識の高い保守的国民、中産階級、ブルーカラーの牙城であるペンシルベニア、ミシガン、オハイオ、イリノイの諸州がブルーステート(民主党勝利の州)に入ってしまっています。このことには共和党自身にも責任があります。共和党政権の時代、その新自由主義的経済運営によって生産現場は大幅に国外移転され、またNAFTA、GATT、WTOを通じる輸入品門戸開放政策とあいまって、国内の大量の雇用が喪失された結果、共和党は頼みの白人中堅層にも見離されることとなりました。選挙結果はそのことの証明にほかならず、加えて、白人層の相対的かつ絶対的減少は今後共和党に致命的な打撃を与えることでしょう。ブキャナンは本書でそのあたりを克明に分析しています。

 グローバリゼーションの進展で、国民の貧富の格差は拡大しつつあり、この辺はウォールストリート占拠運動の報道などで見るとおりですが、その救済のための「大きな政府」の路線でアメリカはいまや勤労税額控除、フードスタンプ(食糧費援助)、医療保険、住宅補助、無料教育などの受給資格社会となっており、社会主義国アメリカの顔も見せています。連邦政府は3ドルの収入に対し5ドルの支出を行うありさまとなりました。この財政状況のなかでのアメリカは、何が与えられるか、よりも何が削られるかをめぐって国内の亀裂が深まるだろう、とブキャナンは予測しています。(このあたり、本訳書の出版元、幻冬舎は本訳書の「帯」に、やや過激な表現を記していますが・・。)

 ブキャナンはソ連を消滅させたものは、民族(エスノ)ナショナリズムないし部族主義(トライバリズム)と見ています。この力が共産党一党支配の警察国家を解体させたと。
ナショナリズム(国家主義)というものより、はるかに泥臭いトライバリズムという、国民国家を超えた概念が、21世紀の多民族国家の成否を占うものとして本書ではとらえられています。アメリカの亀裂の一つの側面である人種問題は、アメリカをどういう方向に持ってゆこうとしているのでしょうか?

もう一つ、そのような財政状況のもとで、アメリカはいまだ経済、軍事超大国ではあるものの、すでに対外政策では事実上緩慢な後退局面に入っており、NATO、日米、日韓同盟などの軍事コミットメントの同時履行をせまられるとすれば、それは不可能である、とブキャナンは断言しています。そのようなアメリカと同盟関係にある日本はそのことをどのように考えればよいのでしょうか?
本書出版にあたり著者にお願いした「日本語版への序文」には、この本のテーマは、そのまま日本のテーマであることが簡潔に述べられています。

昭和64年(1989年)1月、昭和天皇が崩御され、平成の世となりました。同じ年11月、ベルリンの壁が壊され、ソ連崩壊(1991年12月)につながり、冷戦が終わりました。日本では、旧大蔵省の総量規制(1990年3月)をきっかけにバブル経済が弾け、「失われた20年」が始まりました。冷戦後、人々の期待していた「平和の配当」は与えられるどころか、あたかもパンドラの函が開けられたごとく地域紛争、宗教戦争が始まり、加えて世界の金融秩序、諸国の財政制度は金融資本主義の蔓延によって破壊されつつあります。日本人もたとえようもない閉塞感のもと、民主党政権を選んでしまいましたが、いま無残な失敗に終わろうとしています。

2011年の東日本大震災、それに続く原発事故、「3.11」は戦後初めてといってよいショックを日本人に与えましたが、日本人は依然戦後レジームを引きずったまま、これといった危機を認識しないまま今日にいたっているように見受けられました。しかしここへきて、尖閣諸島、竹島、北方領土問題が大方の目を醒ましつつあります。日米安全保障条約(日米同盟)の効力にもいま論議が高まっています。この点前述のとおり、自国の財政状況からもブキャナンは、対外コミットメントからアメリカは手を引くべきである、といういわば「孤立主義」の立場を主張しています。逆にブキャナンは、安保条約における片務的なアメリカの日本防衛義務について疑問を投げかけ、日本の自立を促し、日本の核兵器保有の許容すら暗示しています。孤立主義の主張は、アメリカにおいてつねに一定の支持を得ています。日本はブキャナンのような考え方もアメリカにあることを充分認識し、その国論が変化する可能性について対応策を準備しておかなければなりません。

「ラストチャンス」の章でしめくくられていますが、本書は現下の諸問題すべてを解決するものではありません。描かれる未来は決して明るいものではないとしてもまず認識することが重要です。現在のアメリカで、世界で何が起こっているか、本書は恰好のガイドです。そして待ち構える未来が想像もつかないものとなるかもしれない、という予感が与えられますが、多様な対応を考えておくことも悪いことではないでしょう。  

文章 河内隆弥 (了)

坦々塾会員の活躍(一)

 坦々塾の会員の活躍をご報告します。

 まず最初に、林千勝さんが日本維新の会・千葉七区より立候補しました。ぜひ応援してあげて下さい。

 今年会員の中から二人の著作が世に問われました。渡辺望さんの『国家論』(総和社)です。「石原慎太郎と江藤淳。『敗戦』がもたらしたもの」という長い副題がついています。もう一冊は河内隆彌さんの翻訳書、パトリック・ブキャナン『超大国の自殺――アメリカは2025年までに生き延びるか――』(幻冬舎)です。

 渡辺さんは評論世界へのデビュー作で、来年以後次々と本を出して活躍されることを祈っています。河内さんは私の小石川高校時代の同級生で、精力的に翻訳業に取り組み始めました。同じ著者ブキャナンの二作目が来年上梓される運びとか聞いています。

 ご両名の今後の飛躍を祈りたいと思います。以下にそれぞれの自己解説の文を掲示します。

国家論 国家論
(2012/09/08)
渡辺 望

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 今回、刊行の運びになった『「国家論」石原慎太郎と江藤淳。敗戦がもたらしたものー』(総和社)は、私のはじめての本格的単著です。「あとがき」にも書きましたように、この本は、西尾幹二先生のお力添えと、総和社の佐藤春生さんのご尽力によって世に出ることになりましたものです。

 本の副題にありますように、この本を書く動機は、石原慎太郎と江藤淳という、自分にとって幼少の時から非常に大きな存在であった二人の表現者の存在感を、二人あわせて比較分析してみたいという気持ちでした。それはずっと以前から、漠然とですが、ひたすら感じてきたものです。この二人の大きな存在感は、本物だろうか。本物だとしたら、どんな本物なのだろうか、というふうにです。

 よく知られているように、この二人は高校の同窓以来の莫逆の友であり、文壇や論壇でも常に共闘した間柄でした。お互いを論じている文章もかなりあります。しかし二人の共通点、あるいは共有される思想的土俵というものはほとんどないようにも見える。実際ないと思いこんでいたので、私にとってこの二人の存在は、比較分析したいというひたすらの気持ちにもかかわらず、「親友だった有名な二人」という形で併記されるものにすぎないままでした。

 しかし自分が或る程度の年齢になって、今一度、二人の著作、しかもあまり注目されていないような著作の幾つかを読み見直してみると、ある思想的土俵が二人の間に共有されていることに気づきました。たとえば、石原の場合、通俗的なものとしてあまり批評家からは相手にされなかった弟・裕次郎に関してのルポルタージュめいた本、江藤の場合は死の直前に書かれあまりに生々しい精神の記録が(ゆえにやはり批評家があまり取り上げない)妻への死に物狂いの看病記『妻と私』、こうしたあまり目立たない身辺の記録に、最も強烈に彼らの思想的本質があらわれている。再読して私はそう直観しました。

 その直観に従い、さらに今度は二人の著作全体を再読を拡大してみると、両者には、「国家と性」という風変わりな思想的主題がはっきりと共有されている、という確信にいたったのです。

 石原は国家というものを男性的・父権的に把握し、その上で国家的なるものに「青年」を見出す思想家です。石原自身は一見、非常に明快で曇りのない人物に見えるかもしれないけれども、弟・裕次郎との関係をはじめ、石原家の展開は実に入り組んでおり、その中で、石原本人は実に複雑な「父」として存在を余儀なくされる。その過程が彼の国家観をも形成した。これに対し江藤淳は全く正反対に、女性的・母権的に国家観を把握することにこだわったことが石原との比較探求でわかってくる。幼少時に死別した母や、江藤に男性的なるものを仕込んだ祖母への異様なほどの思い入れは、石原の「父」が異端であるのと同様、きわめて特異な「母性」へのこだわりです。

 やがて現実の石原についてはこんなふうにとらえるようになりました。たとえば石原は三島由紀夫との座談会で皇室について否定的発言をして三島を落胆させたのは有名です。最近では北京オリンピックで中国の青年たちの規律正しい歓迎ぶりに感動して保守派陣営を当惑させ、さらにはナショナリズム的には幾重にも疑問符がつく橋下徹と公然と連携したりする。こうした石原の「危うさ」はつまるところ、石原の国家観が、「父権」とそこから導き出される「青年」に根源をもっており、それを感じたときに、石原は共感と同化をするという特異な国家主義者であるということを意味している。

 江藤の本質については、こう考えるようになりました。たとえば江藤淳の文芸評論を少しでもよく読んだ人ならば、江藤が「母の胎内」とか「国家の父性・母性」という用語をほとんど悪文になるほどに多用することをご存知でしょう。江藤が思想家として最も力を注いだのは自分の血筋へのこだわりであり、そこに交錯する父性と母性の問題だったことが、彼の『一族再会』という代表作を読むと非常に明瞭です。江藤は母性への回帰へ軍配をあげる。この『一族再会』は終わりに「第一部・完」と書かれていますが、第二部はかかれませんでした。しかし実は江藤の最終作であった『妻と私』ということが、第二部であったのであり、江藤は母性なる日本への回帰ということを、自らの自殺によって完結したの
ではないでしょうか。悲劇的自殺による国家観の完成ということは、実は三島由紀夫との比較が可能な事象なのではないか。

 以上の視点から、石原と江藤の国家論の比較を次第に掘り起こしていくことを目指したのが本著執筆の第一歩なのですが、これは「書く」ということに常に付随することなのでしょうけれど、「主題の自己増殖」という事態に私は書き始めてからただちに直面してしまいました。 

 「父性」「男権」あるいは「母性」「女権」の比較ということだけではどうも現在の日本に有効な批評になりえない気がしてきたのです。たとえば目の前の民主党政権は、父性的でもないし母性的でもないではないか?論壇や文壇は、父性的な方へ向かっているのか、母性的な方へ向かっているのか?戦後の日本特に私が育ってきた1970年代以降の日本は、実は父性的でもないし母性的でもない。男性的でもないし女性的でもない何かに戦後日本は進んでしまっている。そこでさらに、「中性」というテーマを石原と江藤の間に挟んで論じなければならない。そう私は考えました。

 日本という国家を「中性化」しようとする営為をおこなった表現者として、山本七平や司馬遼太郎、丸谷才一らをあげることができます。左翼でも保守でもない、しかし左翼といえば左翼のときもあり、保守といえば保守らしきときもある、という彼らの今の日本での読まれた方、好かれた方というのは、石原・江藤より遥かに多数派的といえます。彼らは「ただ存在してゐるだけの国家」(丸谷才一)を目指そうとした。それはなぜなのでしょうか。私はその謎を、彼らが共通して経験した(させられた)、軍隊内での陰惨な私的制裁にあると推論しました。私は本書の中でこれら国家の「中性」化に勤しむ知識人のことを「中間派知識人」と命名しています。

 そしてこの軍隊内の私的制裁の問題こそが、戦後日本の知性の主流を次第に捻じ曲げてしまった原点ではないかと私は本書で断じています。「軍隊で殴られた知識人」=「中間派知識人」の復讐劇としての知的策謀なのです。そして「私的制裁」自体にも、意外に根深い普遍的問題が潜んでいるようです。この私的制裁の問題も、私なりに詳細に論じてみたつもりです。

 このことから、本書は、「石原慎太郎論(父性・男権的)→中間派知識人論(中性的)→
江藤淳論(母性・母権的)」の順序の構成をとりました。

 本書の刊行以後、何人かの識者の方に本の感想を送っていただきました。その中の一つ、文藝春秋の内田博人さんのお手紙を本人のご許可を得て引用掲載させていただきます。周知のように、内田さんは雑誌「諸君!」の編集長を長く勤められました編集者です。

 「 
  過日はご新著「国家論をお送りいただき、誠に有難うございました。ご研鑽がみごとに結実し、たいへん読みごたえのある一冊になっていると感じました。文章は読みやすく、国家というとらえどころのない存在の核心に、真っ向から迫ろうとする渡辺さんの気概を強く感じます。

 とりわけ「中間派知識人」というカテゴリーに新鮮な印象を受けました。左右対立という従来のカテゴリーでは見逃されがちな、昭和後半の知的世界のある一面を鋭く衝いて、西尾先生の言う「戦後思想に毒されていない」精神が躍如している部分と思いました。

 「南洲残影」から「妻と私」をへて自裁へといたる江藤氏の晩年には、死の予感が通奏低音のように響いていて、痛ましさを感じずにはいられません。「一族再会」を中心に据えた渡辺さんの論述によって、悲劇の思想的な意味あいが初めて見えてみたように、感じております。

 渡辺さんの評論活動のまさに出発点になる一冊かと存じます。ますますのご健筆をお祈り申し上げております。

 何卒ご自愛ください。略儀ながら書中にて御礼まで。

                                   文藝春秋     内田博人」
 

 さすがは経験豊富な編集者だけあって、内田さんは、私が「中間派知識人」の問題に精力を割いたのをよく見抜いていらっしゃいます。現在の日本の知的状況というのは、左翼が台頭しているのではない、かといって保守主義的主題を現実化しようとする意欲もない、そのどちらも敵視し消し去るような、「いつまでもだらだらできる日本」が現実化しつつある、ということにあります。

 まさに丸谷才一のいう「ただ存在してゐるだけの国家」の建国がほとんど完全な形で実現してしまっているといえましょう。石原・江藤の比較論というこの本の両輪の副産物ではありますが、しかし現実的問題としては実は本書のテーマの中で一番真摯に考えるべきかと思われるこの「中間派知識人」の問題も、本書を読まれる方に深く考えていただければ幸いと思います。

講演会のチラシ

 11月19日の講演会「ニーチェと学問」は350~400人くらいの入りで、ひとまず盛会だった。講演内容の説明はここで簡単にはできないので、お許したまわりたい。

 当日会場で4枚のチラシが配られた。私の本の広告とつくる会の入会案内である。私の本は相次いで三冊出るので、チラシを見ていただきたい。文藝春秋、新潮社、徳間書店の順で並べる。さいごに、つくる会の広告もお見せする。

 三冊の本のうち新潮社のだけは来年1月刊行で、まだ出ていない。このチラシは編集者がペンで書いた手造りである。文言は気に入っているが、読みにくいので、打ち直して掲示する。

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天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

平成24年1月下旬刊行 新潮社

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『スーチー女史は善人か』解説(三)

『スーチー女史は善人か』 高山正之著  解説西尾幹二 

 後藤田正晴については、「カミソリ」と「ハト派」と「保守」が同居する嘘っぽさ、という氏の表現が正しい。私は中曽根内閣の出現以来、日本の再敗戦国家としての崩壊が始まったと見ているが、よく考えてみると、中曽根=後藤田コンビ以来と言った方が正しいであろう。

 そのほか氏の指摘で納得し共感する個所は少くない。朝日新聞が中国人や韓国人が日本で犯罪を犯すと、実名を伏せ、日本名で表記する点に、「朝日にはそんな決まりがあるのだろうか」と問責している(第二章「民族性はわかりやすい」)。

 オランダから蘭印を解放し、インドネシアを独立させたのは、旧日本軍の功績だった。オランダ支配下の350年間、人々は統一語も持てず、識字率は3%以下だった。日本は三年半でジャカルタ語を標準語にし、教育の拡充を図った。インドネシア人の軍隊「ペタ」を創設して、戦うことを教えた。日本が敗北し、オランダ軍が再び植民地支配に戻って来たとき、彼らは日本軍から得た兵器で戦った。オランダは空軍も動員してインドネシア人を80万人も殺害したが、彼らはもう決して逃げなかった。オランダはインドネシアの独立を認める代償に、道路や港や石油施設の代金として60億ドルも請求した。どこまでも阿漕で卑劣を絵に描いたような西洋人であったが、そのおらんだが2005年になってやっと過ちを認め、謝罪した。高山氏は次のように書く。

 「東南アジアを侵略し搾取したのは日本だと欧米は言い募り、共産党系朝日新聞もそれに同調してきた。

 しかし真犯人の一人が今やっと自供した。共犯の英米仏も素直に白状したらどうだろう。アジアを裏切り、日本を裏切って白人国家についた支那も今が懺悔のいい潮時と思うが。」(第三章「真犯人オランダの自供」)

 まったく同感である。今年(2011年)の12月8日は真珠湾攻撃の70周年記念の日となる。日本はここいらで敗戦の負の遺産を返上しよう。開戦の正の意義を再認識しよう。私は今から強くそう提言しておく。

 高山氏のこの本は、国際派新聞記者としての永年の経験に、最近もたびたび現地調査に赴いている旅の記憶など、またその後の研究も加えて、ともかく私などが知らない驚異的な諸事実を数多く教えてくれる。こんなことはまったく知らなかったというような和田愛がとにかくとてもたくさん書かれているのである。そのうち、へえーと私が新鮮な驚きを味わったエピソードに次のようなものがある。

 インドのカーストは私も少し見聞しているし、本も読んでいる。しかし百三十もあるカーストのうち、お互いを見て相手が自分のカーストより上か下かが即座に分るのだそうである。道路が青信号になると一番上のカーストから順番に車を発進するというのである。車にしるしも付けないでどうしてそんなことが可能になるのだろう(第四章「女性蔑視では支那どまり」)。

 アメリカの家庭内暴力はものすごく、妻を暴力で病院送りにしたケースが年間四百万件、殺された妻が年間三千六百人にもなるのだそうである。この数字にはウソではないかと思うくらいの驚きを覚えた(第三章「『殴られる女』症候群」。

 二十年前のイランでは女性がチャドルの下から髪を覗かせ、口紅がみつかると、手錠をかけて連行され、十回か二十回かの鞭打ちが科せられた。男女が車に乗っていて、夫婦でないと逮捕された。レストランも結婚証明書がないかぎり、男女別々の席で食べさせられた(第四章「隠せばつけ込まれる」)。

 世界は広い。日本人の知らないことが余りに多い。逆にいえば、日本人は無垢で、無邪気で、無知である。

 その日本人の一人が上海で、中国人から日本人というだけの理由で殴られ、半殺しの目に合う話をひとつ読んでごらんなさい(第三章「領事館は冷酷無知」)。領事館は取り合ってくれない。事情すら聴こうとしない。私は外務省という役所にひごろ不満と不快を感じているが、この文章を読んで、怒りさえ覚えた。世の中には存在しないほうがいい官庁もあるのである。

 さて最後に、関連する一つの事実をお伝えしておく。

 GHQが七千点余の本(昭和三年から二十年までに刊行された)を選んで、没収し、数十万冊を廃棄処分にしたことを、この数年私はあらためて問題にして、『GHQ焚書図書開封』1~5までを刊行している。GHQが没収した書物の出版社ランキングで一番多いのが朝日新聞社140点、次に多いのが大日本雄弁会講談社83点、三番目が毎日新聞社81点の順である。上位三社は当時の国策に最も忠実だったことを物語る。そして今気がつくと、この三社は戦後逆の方向へ転じ、最も左傾した代表的マスコミであったといっていい。

 高山正之氏は朝日新聞を目の敵にしているようにいわれるが、氏はためにする議論をしているのではない。戦後において思想の逆転現象があって、常軌を逸した反体制・反権力・革命礼賛のイデオロギーへの逸脱が日本の社会を歪めてきたが、それがまだ元へ戻らないのである。朝日新聞社は戦争中に極端に走った。そういう体質の会社だから今度はまた逆の方向へも極端に走って、社員ひとりびとりがその気風に染まり、社内の左翼支配の体制が抑圧的で、発想の自由がなく、歪んだままに今日に及んでいると思われる。

 本書に示される高山氏の朝日批判は個人的好みの問題ではなく、時代の病いに対する公正を求める訂正要求の声であり、日本の社会を正常な軌道に戻したい氏の熱情の表われであるといえるであろう。

(平成23年7月、評論家)