【文庫】 中国 大嘘つき国家の犯罪 (文芸社文庫 み 1-2) (2014/08/02) 宮崎 正弘 |
解 説──浪漫派詩人の犀利な現実認識──西尾幹二
宮崎正弘氏の中国研究はすべて自ら脚で歩いて、見かつ聞いた現地情報を基本とし、それに中国語、英語のメディアから驚くほど多数の関連情報をもの凄いスピードで読みこなし、有名なメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」──本書出版直前の2014年8月5日で通巻4300号を超える──を、氏は精力的に発行しつづけている。
中国が日本にとって重大な意味を持つようになった二十一世紀に入って以降、このメルマガが日本の知的社会において果たした役割は大きい。政界、言論界はもとより、マスメディア以外にも、学者や一般読者にも影響を与えつづけて来た。何よりもその行動力と全身をアンテナにして捉えて来た権力中枢の動向から場末の下世話な話題に至るまでのリアルな情報は、この時代を敏感かつ真剣に生きている日本人には無関心であることが許されない読み物であった。早い時期に中国の全省に足を踏み入れ、いたるところを踏破し、新幹線が出てくればこれに全線乗り、北京と上海しか見ていない新聞記者顔負けの行動力で、日本人の知見を広めてきた。新聞社の中国特派員が宮崎氏のメルマガを見て書いていると聞いたことがあるが、さもありなんと思う。
氏はメルマガをほぼ毎日、旅行中以外は休むことなく、ときに同じ日に二度三度と出すこともあるが、それに止まらず、ここで確認した体験をさらに整理し、ご自身の文明観や国際政治観を書き込んで、単行本を出しつづけた。そのスピードは年に五、六冊に及ぶ。昨秋百六十冊を数え、これを機に出版記念パーティが開かれた。本書はその中でもとりわけ氏の中国観を総集したような代表的位置を占めるのではないかと思う。
「中国人は嘘が得意であるが、これは生存本能からくる生来の体質であって、生まれてから死ぬまで、日々の生活においても朝から晩まで嘘をつかないと不安なのである。言行不一致が矛盾であるという感覚もない」
「彼ら(中国人)の主張には理性と理論が欠落しているうえに、倫理がない。理論的、合理的、科学的論考を初めから拒絶し、『日本が悪い』という固定観念からすべてを発想する。日本に限らず、相手が常に悪いのであり、オレ様だけは常に正しいという、不思議な強迫観念に取り憑かれている」
嘘が「不安」に発し、自己正当化が「強迫観念」に由来するというこのような観察に、中国人に対する宮崎氏に特有の見方がある。中国人には何かが欠けている。人間の生き方に根底がなく、落ち着きや静かさや優美さが感じられないのは、貧寒たる大陸に住む人間には「生存本能」しかないのかもしれないと見ている。
「中国人の特筆として『大きなことを先に言ったほうが勝ち』という原則がある」
「そもそも共産党上層部は農民を馬鹿にし、労働者を差別している。……共産党員だけがエリートであり、国民の五%ほどしかいない。他の九十五%は奴隷としか認識していない」
「中国には『住民票』という制度がない。……戸籍証明をとるのも戸籍を変更するにも、賄賂が必要なのである。だから戸籍の売買が公然と行われ、死んだ人の戸籍も生きていることにして高く売れる」
「貧乏人が路傍で死んでいても党は構わない。老人ホームであるとか、国民健康保険という制度は、もちろん確立されていない」
「開廷して被告人が証言しているのに裁判官は携帯電話で横向きになって喋っている。裁判官で法学部を出た人は稀で、いや、そもそも大学を出ている人が少なく、下級裁判所の多くは共産党が任命した地方のボスが多い。
また陪審員が裁判長の愛人だったりするから、これも裁判の進行に関心がなく、携帯電話で長話をしている。公判は公平に行われず賄賂が判決を左右し、殺人でも無罪になるかと思えば、裁判長の虫の居所が悪いと万引きでも死刑判決が出る」
以上の引用はすべて本書の第二章からであるが、これだけを見ても中国社会のすさまじい無法ぶり、無秩序、混沌が的確にえぐり出されている。じつに恐ろしい社会である。
次のような諸事実も中国人旅行者が増えて日本社会にも浸透してきた。
「他人のために無償の行為を行うという発想は中国人にはない。
他人への配慮、思いやりに乏しく、だから信号は守らない。投げ捨てタバコ、道路につば、痰を吐く。地下鉄で排便する。バスの中で麺をすすり、窓から容器を投げ捨てる。若い美人がコーラの瓶を平然と窓から投げている現場を、筆者は何度も目撃した」(第三章)
最近の中国の大都市に林立するニューヨーク並の摩天楼はわれわれもテレビ等で見慣れているが、宮崎氏の観察は鋭い。
「瀋陽も大連も都心部に林立するビル群は奇妙なデザインばかり。……まるで都市設計の思想がない。いや中華の伝統が皆無に近い。……これほど迅速に中華の匂いも風情もない町並みを急増する神経とは、いったい何なのか。むしろそのことを熱烈に知りたいと思うのは筆者ばかりではないだろう」(第四章)
進歩を信じ過ぎた遅ればせ急ごしらえの「近代化」が熱病のごとくこの国を襲っているのは紛れもないが、ただそれだけではない。この荒涼たる風景には、中国文明そのものの持つ貧しさが根本の原因をなしているように思える。私自身も支那の文学、哲学に魅力を覚えたことがない。古い時代の作品にも、そう多く触れたわけではないが、宗教性がなく、政治過剰である。『論語』も道徳の書というのは日本人の誤解で、政治教本のように思える。このあたりの問題でも宮崎氏は見るべきものをしっかり見ている。
「仏教の聖地とされた場所に共通するのは、寺はともかく麓の街は俗化しているということだ。参詣客が蝟集する麓のレストランにはハトの丸焼き、牛豚羊ばかりか、犬肉料理もある。……率直に言って中国の仏像は優しさを感じない。端的に言うと、品がない……」(第四章)
「優美な曲線や優しい顔つきとか、情緒を含む笑いとか、日本の仏像や庭園は、その造形自体が芸術である。ところが中国の公園は、地獄で閻魔大王に舌を抜かれる様や、身体を八つ裂きにされる処刑を受ける極悪犯罪者などを、露骨に図形や人形にして展示しており、その彫刻も絵画も宣伝用ではあったとしても、少しも芸術の香りがしないのだ。奇岩をならべてどうだ、と客に見せる図太い神経は、仏教寺院の周囲にある記念館や博物館でも同じ」(第四章)
各地を見て歩いた氏の描写力には実感がこもっている。
以上いくつか取り上げた例から分かるように、見て歩いて感じ考えたことを次々と筆の赴くまま、思い出すままに語ったこの本の自由自在な筆致は、何年何月の記録というのでも、特定の政治事件の報告というのでもない。現代中国そのものの体当たり体験記である。恐ろしく広範囲に及び、恐ろしく奥深いが、けっして概念的ではない。観念的ではない。ご覧の通り視覚的である。文学的である。
私は氏は浪漫派放浪詩人だと思うことがある。日本的美感の奥ゆかしさを愛している詩人であって、中国を研究し、歩き回ってはみたが、中国をどうしても好きにはなれない壁にぶつかり、幾度も立ち停まっている。
「食欲、性欲、物欲に関して言えば、中国人の欲望表現は原色志向である。ぎらぎら、べたべたの直截な表記しかできない。奥ゆかしい比喩が苦手である。色彩感覚にしても彼らの横断幕は朱色と黄色の原色が多く、夜のネオンは高尚なレストランも下卑た曖昧宿も、色彩の下品度は同じ」(第六章)
まことにわれわれが知る中国はまさにこの通りである。が、政治論議の多い最近の中国ウォッチングには体験の原点に立ち戻ったこのような誰しもが気がついているはずの正直な言葉に欠けている。日本人としての自分の感性からもう一度見直してみるという文化批評をほとんど見かけない。
「日本の紳士の高級な遊びは中国人にはおそらく理解不能だろう。
手も握らないで和歌遊びなんて、中国人には絶対に理解できない」(第六章)
こう述べて、京都の茶屋遊びや茶室の知識人のサロンに育まれた日本文化の粋に思いを致す宮崎氏は、中国と中国人に対するある深い断念の意識に立ち至っている。なぜこのようなことになったのだろう。中国がいかに経済成長を遂げても、思想も宗教もなく、芸術は物真似、モラルも不在、総じて文化が枯渇しているなら先行き文明の行方は知れている。現在がピークで、中国はこのまま衰退に向かって行くだろう、と氏は本書の結論を突き放したように語っている。
宮崎氏以後、若い現代中国研究家が続々と出現した。ある人は、世界各地にあふれ出し、欧州、アメリカ、その他をボロボロにするほどに迷惑をかけている中国人移民の生態とその政治的なトラブルを主なテーマにしている。またある人は中国人労働者、農民工の生活の苦しい内実、ことに中国人女性の暮らしぶりやものの考え方について数多くの観察レポートを書いている。またある人は中国と日本政府、官僚、財界人の不正なつながりに光を当て、中国進出の日本企業の陥った非情なる苦境について徹底的に追及している。こうした多士済々な活動は、宮崎氏が一度は何らかの形で手を着け、すでに発言し、展開しているテーマのうちにあるが、しかし、宮崎氏ひとりでは追い切れない特殊テーマの個別的研究といった体のもので、よく考えると氏が広げた大きな展開図の中で、単身では及ばなかったテーマの個人的追究といったものであって、氏はいわば現代中国研究の総合的役割を果たしてきたのだなと思い至るのである。後から来た世代は宮崎氏の仕事を横目で見て、それと重ならぬように、そこから漏れたテーマに焦点を絞って、意図的に個別の研究をすすめているように思える。宮崎氏の中国ウォッチングはそれらの人々の前提であり、先駆であった。すなわち宮崎氏は黙って一つの「役割」を果たしていたのだな、と今にして思い至るのである。
2013年秋で160冊を数えた宮崎氏の著作だが、1971年、三島由紀夫論が処女出版で、中国論が出版されたのは32冊目、1986年であった。その一冊から、十五年間中国論はなく、1990年の28冊目にやっと二冊目の中国論が書かれている。そういうわけで、氏の中国論がたくさん書かれるようになったのは2001年より後である。2001年から今日までの68冊のうち45冊が中国ものとなっている。私が知り合いになったのはそれより少し後であった。
では、それ以前の宮崎氏は何をしていたのだろうか。経済評論家であり、アメリカ論者であり、資源戦略や国際謀略などに詳しいグローバルな動機を基礎に置いた国際政治に関する著作家であった。
私は成程と思った。中国語の読み書きはもとより、英語の能力が高い。新聞雑誌の英語をもの凄いスピードで読む。メディアの英語は学校英語と違って、背景の広い国際知識をもたないと読めないもので、難しいのである。びっくりするのは世界の無数の政治家、経済人の名前をつねに正確にそらで覚えている。欧米人だけではない。中東から中央アジアの政局にも詳しく、キルギスとかトルクメニスタン、あのあたりに政変があると、片仮名で書いても長くて舌を噛みそうになる固有名詞をそらで覚えていて、次々と出す。パソコンを片端から叩いて、何も見ていないのであろう、全部頭に入っている。これにはたまげる。
宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか? いろいろな人の本を次々と書評もしている。私と同じ時期に送られてくる新刊本、整理べたの私がまだ本の封筒の袋を開けていないときに早くも宮崎氏のメルマガの書評欄にその本の書評がもう出ている。一体どうなっているのか。宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか。ほとんど怪物だと思うこと再三であった。記憶力抜群、筆の速度の天下一、鋭い分析力と時代の動きへの洞察力──もう負けたと思うこと再三であった。
中国論は世に多いが、経済の理法を知らなければ今の中国は論じられない。また逆に、中国の動向を正確に観察していなければ、今の世界経済は論じられない。宮崎氏の仕事は世に出るべくして出て来たのである。
昭和前期に長野朗と内田良平という蒋介石北伐時代の中国ウォッチャーがいたが、宮崎氏はどちらが好きで、どちらが自分に似ていると考えているだろうか。一度きいてみたいと思っている。どちらも愛国者であるが、長野朗は農本主義者で、内田良平は日本浪漫派風の国士であった。私は内田良平のほうに似ているのではないかな、などと考えている。
宮崎氏は人情に篤い。友人思いである。友人の死はもとより、その奥様が急死なさる──そういうとき彼は自分の仕事を捨てて飛んで行く。友人のために働き、友人のために気配りし、自分のスケジュールを犠牲にしてもいとわない。
私はいつも思うのである。あの「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ……東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ」彼はそうなのだ。「丈夫ナカラダヲモチ、慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシズカニワラツテイル」……
本当にそうなのだ。仲間で言い合いがあって、少し激しくなってくると、宮崎氏はいつも茶化すような、思いがけない方角からの茶々を入れてみんなを笑わせ、一座の興奮を鎮めてしまう人である。
「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」……宮崎氏の場合は玄米ではなく「一日ニ焼酎四合」と言い直したらいいだろう。そして「少シノ野菜ヲタベ」というのは本当で、宮崎氏は飲み出すと物を食べない。これはいけない。健康に悪い。それからもうひとつ煙草を吸いながら酒を飲む。これもいけない。われわれが止めろといくら言ってもきかない。
宮崎氏の生活行動は文学者のそれで、日本浪漫派の無頼派の作家、破滅型の作家のモラルに似ている処があって、そこが心配である。最近は酒の量が少し減っているように見受ける。メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の欄外に飲み歩きの記録、消息案内があるのだが、最近その記事がいくらか減っているようで心配である。二、三年前には、西荻窪から中央線に乗って途中で降りないで眠ったまま東京駅まで行ってしまうようなことがあったが、いくら何でももうそんな無茶はしないで、大事にしていただきたいと思う。