北朝鮮核問題(三)

――安倍政権は重点主義を――

 今日掲げるのはVoice10月号(9月10日発売)の拙稿「まずは九条問題の解決から」の全文である。

 自民党総裁選より前に次期総理は決まっていたという前提で、Voice誌が特集「安倍総理の日本」を組んだ。それへの短文の寄稿である。私は憲法改正について何か書けといわれたので応じた文章である。

 最近、海上の「臨検」をめぐって日本側の法の不備が指摘されている。またその調整が急がれているが、憲法の制約が障害の根本原因であることはみな承知している。

 13日シェーファー駐日大使が「日本の憲法上の制約をわれわれはよく理解している。臨検など、日本ができる範囲のことでわれわれに伝えればいい」というような発言をして、日本側を慰撫している。

 いかにも「親心」に見えるが、こういう温情を示され、それが当り前になって、この侭でいいのだとなることは、日本にとって危うい。日本をいつまでも仮睡状態にしておきたいのがアメリカ人の本音である。

 以下の文は今の時点での緊急提言になると思われるので、ここに掲載する。

 安倍総理には男系が維持できる皇室典範の改訂と、ここにこれから掲示する一点のポイントの憲法改正を実行して下されば、正直、他は何もしなくても良いとさえ考えている。岸信介氏の政権も60年安保改訂だけを実行した短命内閣だった。

 慾張って多くをしようと思わないで欲しい。ひたすら重点主義で行ってもらいたい。

日米安保体制はフィクション

 北朝鮮の七連発のミサイル発射は深刻な挑発でないはずはないが、あのとき私は目の前に薄い膜がかかって、なぜか白昼夢を見ている趣であった。不安が習慣化しているからである。1920年代に『日米もし戦わば』というような本が流行した。いつしか言葉は現実を引き寄せた。同じように七連発のミサイルもまだ相手が遊んでいるような、夢のなかの出来事のように思えているのだが、こんなことを繰り返しているときっといつしか現実になる。

 スカッド、ノドン、テポドンの行列は、次回は南に下ろして日本列島に一段と近づけるように威嚇するだろう。失敗したテポドンがハワイを射程内に入れていると知って米国は初めて本気になった。ハワイでは核攻撃を想定した防空訓練さえした。ノドンはとうの昔に日本列島を核の射程内に入れているが、日本国民は運命論者である。

 米国は日本列島を「マジノ線」のような自国の防衛最前線と見ているので、最初の着弾があって日本の都市の一つや二つが吹っ飛んだあとでなければ自ら攻撃はすまい。否、そういう場面になっても、テポドンがハワイやアラスカや西海岸に核弾頭を撃ち込める可能性を実験で証明した暁には、日本を見殺しにする可能性が十分にある。少なくともその段階になれば、一発のノドンの威嚇発射がなくても、日本は北の政治的影響下に置かれる。平和勢力が金正日礼賛に走り、日本の「韓国化」が始まるだろう。

 七発発射の直後に、外務大臣と防衛庁長官はミサイル基地への先制攻撃の可能性を憲法の許す範囲で検討すべきだと重い口を開いた。あの不安な瞬間にみんなそうだと思った。地対地ミサイルや長距離戦略爆撃機を具える準備態勢を急がなくてはいけない。なにも日本がすぐ攻撃するという話じゃあない。用意するだけである。いざとなったら先手を打って攻撃できなければ、防衛なんかできっこない。MD(ミサイル・ディフェンス)なんていってみても、95パーセント防衛できても5パーセント漏らしたら、全国が焦土になるのである。核武装を急ぐ国が増えているのはMDへの不信の証明であり、大国の核の傘への信用度も落ちている証拠である。

 加えて北朝鮮は半島南部のほぼ中央に大型ミサイル基地の建設を始めた。米大陸に届くテポドン開発を明らかに急いでいる。日米安保体制がフィクションとなる――もうすでになっていると思うが――ことが誰の目にも明々白々となる日が近づいている。

 歴史を振り返れば、日清・日露の戦争から日韓併合まで、朝鮮半島の情勢に欧米諸国は無関心であった。バルカン半島や中東には目の色を変えるのに、朝鮮半島で何が起きても彼らは興味を示さない。結局、日本が自分自身で解決しなければならなかった。いまでもその情勢は変わっていない。日本が自らの安全保障の必要から何とかしなければならない地域だ。いまどういう政策があるかは別として、地政学上のわが国の宿命的課題といってよいのかもしれない。

 ミサイル基地への先制攻撃の可能性に初めて言及した二大臣のせっかくの発言も、例によって首相の制止でサッと引っ込められてしまい、国連外交の場に移され、周知のとおり安保理決議に終わった。それで問題が終わったわけではない。日本の不安の解消は先延ばしにされただけである。しかるに、マスコミの空気をみていると、ああこれで良かった、肩の荷が下りた、といういつもの安堵の空気、何事もなかった無風状態に戻っている。ところが、『夕刊フジ』8月6日号は突然「日朝戦争シナリオ、日本人一億人死亡、列島地獄」という悪夢の記事、防衛アナリストの戦慄シミュレーションを掲げた。国民の心の奥に不安が重く居座ってきる証拠といってよい。

全面的改正は困難

 いたずらに騒ぎ立てるのは良くないと人はいうかもしれないが、日本の政治的知性の低さ、能天気ぶりを見ていると、問題の先送りはいつか来る破局を大きくするだけである。平時に危機を忘れない、は防衛の要諦であり、わが国の場合、冷戦を戦争として戦ってこなかったせいもあって、すべての用意があまりに遅すぎる。むろん、憲法が障害要因となってきたことはあらためていうまでもない。

 吉田内閣時代に改正しておけばよかった九条問題が未解決のままここに来て、厄介な問題が新たに発生している。すべて遅すぎたせいである。かつて自民党は自主憲法制定を党綱領に掲げた。いま自民党は憲法改正を目前のプログラムとしはじめているかにみえるが、全面的改正には幾多の困難が予想される。

 改憲はいいが、新しい権利を盛り込め、たとえば環境権だの、知る権利だの、プライヴァシー権だの、フェミニズムの権利だのの新設がさながら改憲の目的であるかのごとく論じ立てる人が現にいる。改正案には地方自治の考え方が不徹底だとか、行政の介入範囲が広く経済活動の自由が明確でないとか、そうした声が改正にこと借りて唱えられ、百家争鳴の観を呈し、いたずらに時間を要し、肝心の九条問題が棚ざらしにされるであろう。

 九条問題自体もまた国際政治の変化で厄介極まりない。米軍再編計画に示されているアメリカ軍のスリム化は、自衛隊をアメリカ軍の下に編入する可能性を探っているようにみえるし、アメリカが対テロ戦争を戦ううえで日本から一定の軍事協力を得る目的が、近年の憲法改正問題と切り離せないようにみえるとの声も一段と高まるだろう。はたして自主憲法改正といえるのか、との批判にどう抵抗できるのか。

 しかし自衛隊が正規の軍となり、自分の判断で先制攻撃をも決定できる独立性を一日も早く確立しなくてはならないのも、また焦眉の急である。わが国は苦悩の多い判断を迫られている。そこでよくいわれる提案だが、戦争放棄条項はそのままにして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた第二項、日本を縛ってきたこの矛盾極まりない項目だけを削除する提案を、憲法改正案の差し当たり全提案とする。これを北朝鮮情勢に不安を抱く国民の前に差し出し、投票に掛けることは、国民の合理的判断に訴えやすく、短時日にして理解を得られる可能性に道を拓くのではないだろうか。

北朝鮮核問題(二)

 前回の足立誠之氏の所論からいえるのは、米中両国が一つの方向に向かって動きだし、安倍首相の訪中訪韓はそのシナリオに沿って行われたということである。私もそう考えていた。

 中国の経済はいま瀬戸ぎわぎりぎりの資金欠乏に悩み、米国は中国の経済破産を望まず、さりとて中国に核兵器輸送の自由な活動などを決して認めない。

 米国は中国を生かさず殺さず、中国経済を破産に追いこまない代りに、北朝鮮の処理を米国の望む方向で中国に解決させようとしている。核実験という北の暴走は、これを実現するうえでいわば絶好の好機であったのかもしれない。だから暴走ではなく、核実験を含めて米国のシナリオだったという説があるが、そういう奇説を私は採らない。

 中国を生かさず殺さずにするには今の中国には資金の輸血が必要であり、米国にその余裕も、意志もない。米国はむしろ資金引き揚げに少しづつ向かっているときである。

 日本にまたしても期待される役割が何であるかは明らかである。安倍首相が小泉氏とは違って、北京で異例の歓迎を受けた理由は明々白々である。

 安倍氏が首相になって「真正保守」の化の皮が剥がれる変身をとげたのは、それ自体は驚くに当らない。私は前稿「小さな意見の違いは決定的違いということ」(二)で、「権力は現実に触れると大きく変貌するのが常だ」と書いたが、その通りになっただけである。

 ただそれにしても、歴史問題で彼が次から次へ無抵抗に妥協したのは、日米中の三国で「靖国参拝を言外にする」以外のすべてを事前に取りきめていたのではないかと疑われるほどの無定見ぶりだが、恐らくそうではないだろう。妥協なのではなく、あの政治家の案外のホンネなのかもしれない。

 政治家は思想家と違って行動で自分を表現すると前に書いたが、いったん口外した政治家の言葉は政治家の行動であって、もう後へは戻れない。村山談話、河野談話、祖父の戦争責任等の容認発言は、「戦後っ子」の正体暴露であって、恐らくこういうことになるだろうと私が『正論』10月号でこれまた予言した通りの結果になった。

 しかし解せないのは、中国は日本の資金を必要としているかもしれないが、日本はいま緊急に中国を必要としていない。国家の精神を売り渡すようなリップサービスをするまでの苦しい事情は日本にはない。

 とすれば、足立氏も書いている通り、また私が「小さな意見の違いは決定的違いということ」(六)()で示した通り、「中国とうまくやれ」という米国のサインに過剰に応じたのであろう。遊就館展示問題から従軍慰安婦問題まで米議会が介入して来た要請にひたすら応じ、中国にではなく、米国に顔を向けて、言わずもがなの発言を繰り返したと解するべきだろう。

 米国に対するこの種の精神の弱さは次に何を引き起こすであろうか。

 近づく2007年に郵政法案は実施される。そうなれば340兆円を擁する郵政公社は民営化され、民間会社になる。前にも私がさんざん言って来た通り、資産と運用は区別されることになっている。運用を外資に委ねることは民間会社の自由である。

 郵貯の金を外資に自由にさせないために法的歯止めをかけようとした議員たちは、「小泉劇場選挙」でみな落選させられたか、無所属に追いやられてしまった。竹中平蔵氏は一見退いたかに見えて、経済閣僚はみな彼の流れに属している。政策執行の上の直接の官僚組織に彼の手兵がずらりと配置されている。

 安倍内閣は竹中氏のいわば監督下にある。竹中氏がアメリカのエージェントであることはつとに知られている。そして、米政府の内部も最近陣容が変わり、金融政策家たちはゴールドマンサックス系で占められるようになってきた。

 ここから先は半ば私の推理だが、安倍首相の北京での歓迎は次の方向を示している。民営化された郵便貯金銀行の運用権がゴールドマンサックスなどの手に委ねられ、日本の国民のあの虎の子の巨額が中国に投資される可能性がきわめて高いと考えられる。穴のあいたザルのようなあの国にわれわれの大切な預金が投資されるのである。

 投資は経済行為であって、援助でも供与でもない。委託を受けた外国企業が何処で何をしようと日本国民に対し気兼ねする必要はないし、日本政府の関与の外である。

 日本の資本家もこれに参加し、利を求めて群がるだろう。景気はさらに上昇するだろう。良かった良かったと手を叩いて喜ぶ人もいるだろう。しかしいつバブルがはじけてご破算にならないとも限らない。

 靖国参拝を止めさせようと昭和天皇のご発語という禁じ手を使ったのは他のどの新聞でもない、『日本経済新聞』であった。

 この国の資本家たちには愛国心も、国境意識もない。彼らの意を受けている自由民主党は、日本の伝統や歴史を尊重する、言葉の真の意味における保守政党ではもはやない。

 私は安倍内閣の発足時に「教育改革」と聞いて課題を逃げているとすぐに思った。「教育改革」はたゞの掛け声に終るのが常である。お巫山戯めいたメンバーの名を見るまでもなく、内閣の政治宣伝効果の狙いを満たすことさえも覚束ないことは最初から分っていた。

 いつの時代でも、政治家が「教育改革」を言い出したときには、本気で何かをしないための時間稼ぎであり、見映えの良い前向きの大見栄を切ってみせたいポーズであり、パフォーマンスの一種であると思ったほうがいい。

 中国経済のバブル崩壊は近いと噂されているこの時期に、日本国民の永年の勤勉の結晶が、米国投資家の手をぐるりと回って中国に投資される可能性を、私はまず第一に心配している。安倍内閣がやりそうなことだからである。われわれの汗と血の結晶はあの大陸の荒野に吸いこまれて空しくなるのである。

 第二の心配は、米国が日本にMD(ミサイル防衛網)を押しつけ、大金をまき上げ、しかるうえに軍事情報の中枢をいっそうしっかり握って、日本を押さえこみ、中国にその分だけ恩を着せるという構造が固定化されることである。

 朝鮮半島の非核化よりも日本の非核化のほうがはるかに彼らにとって重大な関心事のはずである。

 北の核実験の宣言以来、一番気になるのは米国がどう最終政策を立てているのか、本当の腹が読めないことである。その点では悲しいことに金正日とわれわれはある種の仲間である。

 軍事制裁はしないと端(はな)から言っている米国は、中国と組んで金正日排除をほんとうにやる気なのか、それとも北に核保有国の地位を与えるつもりなのか、目的地は見えない。

 金正日を排除した後に、中国の勢力圏としての北の位置づけ(韓国中心の半島統一はしないこと)を米国がどう保証するかが、中国にとり問題の中心なのではないか。唐家璇前外相の緊急の訪米訪露はそこまで話合っているかどうか気になるが、これまたまったくわれわれには見えない。

 いずれにせよわれわれは袋の鼠である。国内が無責任になり、無気力になり、投げ槍になるのは当然であるのかもしれない。

 安倍首相はひとつでもいい、米国の指令ではない独自の外交政策を打ち出し、東アジアのリーダーの実をみせて欲しい。

 そうすれば100個の教育再生会議をつくるより、はるかに効果的な、はるかに強く国民を鼓舞する「教育再生」の有効な役割を果すことが可能となるであろう。

つづく

「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(七)

 「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と産経コラム「正論」(8月24日)に書いた岡崎久彦氏の靖国干渉オピニオンに、蛇足のように、初版『新しい歴史教科書』(代表執筆者・西尾幹二)への攻撃のことばがあえて意図的に、次のように挿入されている。

 過去4年間使われた扶桑社の新しい教科書の初版は、日露戦争以来アメリカは一貫して東アジアにおける競争者・日本の破滅をたくらんでいたという思想が背後に流れている。そして文部省は、その検定に際して、中国、韓国に対する記述には、時として不必要なまでに神経質に書き直しを命じたが、反米の部分は不問に付した。

 私は初版の執筆には全く関与しなかったが、たまたま機会があって、現在使用されている第2版から、反米的な叙述は全部削除した。

 岡崎発言は今回が初めてではない。昨年のたしか春ごろの『中央公論』と『Voice』で、岡崎氏は同様に語り、自分の削除で第二版『新しい歴史教科書』(代表執筆者・藤岡信勝氏)は教科書として完璧の域に達した、というような自画自讃のことばを列ねていたのを覚えている。今手許にないので引用できないが、そこには事実に反する無礼なことばも言われていて、私は当然腹を立てた。

 しかし「名誉会長」には言論の自由がない。私が反論の文章を書くのではないかと「つくる会」の理事の面々は心配し、抑止した。これから採択戦が始まるという時期で、執筆者同士の内輪の争いを外にみせてはいけない、というのだ。遠藤浩一理事が丁寧な書簡を私に送ってきた。「先生、お怒りでしょうが、ここはしばらく辛抱して下さるようにお願いします」と書かれていた。

 そういうことも分らないで偉そうに好き勝手な自慢を吹聴して、人を傷つけて平気な岡崎氏は教科書採択がどういうことか分っていないのだが、しかしもともとデリカシーを欠く人物なのである。

 周知のとおり、採択戦は完敗に終った。「つくる会」には課題が押し寄せ、私は岡崎氏にわざわざ反論を書く状況ではもうなかった。それに『中央公論』にせよ『Voice』にせよ、抗議の文を書かせてもらうのなら直後でなければならない。私は機会を逸した。

 すると一年以上も経ってまたしつこく、新聞で17行の上記の文章があえて意図的に挿入されたのだ。

 「日露戦争以来」の「反米的叙述は全部削除した」という初版本と第二版本の比較の仔細を私はまだ十分に調べていない。扶桑社の編集者にかつて岡崎氏の修正メモをみせるように要求したが、見つからないといって断られた。

 そこで、日露戦争直後の両教科書の記述を例にあげ、三項目に分けて以下に比較対照する。

 初版本257-259ページ、第二版本188-189ページからである。

初版本:日米関係の推移

 日露戦争のとき、ロシアが満州を占領することをおそれたアメリカは日本に好意的であった。ところが、日本がロシアにかわって南満州に進出すると、アメリカは日本の強大化を意識するようになった。また、19世紀後半より、太平洋への進出を始めたアメリカにとって、対岸にあって、強力な海軍を備える日本は、その前に立ちはだかる存在でもあった。

 一方、アメリカ国内では、中国移民やアメリカの先住民への人種差別が続いていたが、日露戦争終結の翌年、アメリカのカリフォルニア州で日本人移民の子どもを公立小学校からしめ出すという法律が制定された。勤勉で優秀な日本人移民への反発や嫌悪が大きくなってきたのである。

 こうした中、アメリカは1907年、将来、日本と戦争になった場合の作戦計画(オレンジ計画)を立てた。また、日本も同年に策定した帝国国防方針の中で、アメリカ艦隊を日本近海で迎え撃つ防衛計画を立てた。このようにして日米間の緊張は高まっていった。

 国際連盟が提案された第一次大戦後のパリ講和会議で、日本は唯一の提案である人種差別撤廃案を会議にかけた。この案は日本人みずからが重視し、世界の有色人種からも注目を浴びていた。投票の結果、賛成が多数を占めたが、議長役のアメリカ代表ウィルソンが、重要案件は全会一致を要するとして、不採決を宣言した。このことも、多くの日本人の反発を生んだ。

 こののちも、アメリカでは日本人移民排斥の動きが続き、多くの日本人はこれを人種差別と受け取った。

 

第二版本:日米関係の推移
 
 日露戦争後、日本は東アジアにおけるおしもおされもしない大国となった。フィリピンを領有したアメリカの極東政策の競争相手は日本となった。

 他方、日米間では、、日露戦争直後から、人種差別問題がおこっていた。アメリカの西部諸州、特にカリフォルニアでは、勤勉で優秀な日本人移民が、白人労働者の仕事をうばうとして、日本人を排斥する運動がおこった。アメリカ政府の指導者は日本人移民の立場に理解を示したが、西部諸州の行動をおさえられなかった。

 第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本は国際連盟規約に人種差別撤廃を盛りこむ決議を提案した。その目的は移民の差別を撤廃することだったので、オーストラリアなど、有色人種の移民を制限していた国は強硬に反対した。米国は当初、日本に同情的だったが、西部諸州の反発をおそれて反対に加わり、決議は採択されなかった。* しかし、日本の提案は世界から多大の共感を得た。

 *日本の提案は世界の有色人種から注目をあび、投票の結果、11対5で賛成が多数をしめた。しかし、議長役のアメリカ代表ウィルソンが重要な議題は満場一致を要するとして否決を宣言した。

 ご覧の通り、第二版本では、二度にわたり、悪いのは「西部諸州」で、アメリカ政府ではないと述べ、「西部諸州」をおさえられなかったのはあたかもアメリカ政府ではないかのごとくである。なぜアメリカ政府を弁護するのか。

 日米関係を述べているくだりなのに、なぜオーストラリアを悪役として出してアメリカはそれほど悪くなかった、と言いたいのか。歴史記述なのだから、アメリカ政府のとった態度の結果だけを書けばよいのではないか。不自然なまでにアメリカの立場に立っている。

初版本:白船事件

 1908年3月、16隻の戦艦で構成されたアメリカの大西洋艦隊が、目的地のサンフランシスコ寄港をへて突如、世界一周を口実にして、太平洋を西に向かって進んできた。日本には7隻の戦艦しかない。パリの新聞は日米戦争必死と書き、日本の外債は暴落した。

 日本政府はあわてた。アメリカの砲艦外交風の威嚇の意図は明らかだった。船団は白いペンキで塗られていたので、半世紀前の黒船来航と区別し、白船来航とよばれる。日本政府は国を挙げて艦隊を歓迎する作戦に出た。新聞はアメリカを讃える歌をのせ、Welcome!と書いた英文の社告をのせた。横浜入港の日、日本人群衆は小旗を振って万歳を連呼し、アメリカ海軍将校たちは歓迎パーティーぜめに合った。彼らを乗せた列車が駅に着くと、1000名の小学生が「星条旗よ永遠なれ」を歌った。

 日本人のみせたこの応対は、心の底からアメリカをおそれていたことを物語っている。

第二版本:歴史の名場面  アメリカ艦隊の日本訪問

 1908(明治41年)3月、16隻の戦艦からなるアメリカの大西洋艦隊が、世界一周の途上、日本へ向かって進んできた。当時、日本が保有する戦艦は7隻だったから、これは大艦隊であった。セオドア・ルーズベルト大統領は、みずから建設した艦隊の威勢を世界に誇示しようとした。船団は白いペンキで塗られていたので、半世紀前の黒船来航と対比して、白船とよばれた。

 日本政府は、国をあげて艦隊を歓迎することとした。ルーズベルトはアメリカの印象をよくしようとして、「品行方正な水兵以外は船の外に出すな」と指示した。横浜入港の日、日本人群衆は小旗を振って万歳を連呼し、アメリカ海軍将校たちはパーティー攻めにあった。彼らを乗せた列車が駅に着くと、千人の小学生がアメリカ国歌「星条旗」を歌った。

 
 第二版本では「歴史の名場面」と銘打ったコラム扱いになっているが、この一文は無内容で、なぜ「歴史の名場面」とわざわざ呼んで特筆したのかこれでは分らない。載せる必要がない。

 アメリカ政府の公文書だけが歴史ではない。白船事件は太平洋における20世紀初頭の「海上権力論」が特記しているきわめて深い意味をもつ一エピソードであった。アメリカ艦隊が日本から離れて間もなく、日本海軍は小笠原沖で米艦隊の再来に備えて大演習を行なっている。

初版本:ワシントン会議

 1921年には、海軍軍縮問題を討議するためワシントン会議が開かれ、日本、イギリス、フランス、イタリア、中国、オランダ、ポルトガル、ベルギー、そしてアメリカの9カ国が集まった。この会議で、米英日の主力艦の保有率は、5・5・3と決められた。また、中国の領土保全、門戸開放が九か国条約として成文化された。青島の中国返還も決まり、同時に、20年間続いた日英同盟が廃棄された。

 主力艦の相互削減は、アメリカやイギリスのように、広大な支配地域をもたない日本にとっては、むしろ有利であったともいえる。しかし、日英同盟の廃棄はイギリスも望まず、アメリカの強い意思によるもので、日本の未来に暗い影を投げかけた。

第二版本:ワシントン会議と国際協調

 1921(大正10)年から翌年にかけて、海軍軍縮と中国問題を主要な議題とするワシントン会議がアメリカの提唱で開かれ、日本をふくむ9か国が集まった。会議の目的は、東アジアにおける各国の利害を調整し、この地域に安定した秩序をつくり出すことだった。

 この会議で、米英日の海軍主力艦の保有数は、5:5:3とすることが決められた。また、中国の領土保全、門戸開放が九か国条約として成文化された。同時に、20年間続いた日英同盟が、アメリカの強い意向によって解消された。

 主力艦の相互削減は、第一次大戦後の軍縮の流れにそうもので、本格的な軍備拡張競争では経済的に太刀打ちできない日本にとっては、むしろ有利な結論だったといえる。しかし、海軍の中にはこれに不満とする意見も生まれるようになった。政党政治が定着しつつあり、国際協調に努めた日本は、条約の取り決めをよく守った。*

*1922年、条約が成立すると、日本はただちに山東半島の権益を中国に返還し、軍事力よりも経済活動によって国力の発展をはかるように努めた。

 読者は以上の三例をよくご自分の目でたしかめ、削除や修正で内容がどう変わったかをとくと観察していたゞきたい。

 以上はほんの一例である。二つの教科書は他のあらゆるページを比べればすでに完全に内容を異とする別個の教科書である。初版本の精神を活かしてリライトするという話だったが、そんなことは到底いえない本になっている。

 「つくる会」の会員諸氏もページごとに丁寧に両者を比較しているわけではないであろう。リライトされ良い教科書になった、と何となく思いこまされているだけだろう。

 何のための教科書運動であるのか、今すでにしてもはや言えなくなっているのである。

つづく

「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(六)

 世界の政治の動きは私が考えているよりもずっと早い。総裁選の各候補者の演説のどこが良いとか悪いとか言って日本がもたもたしているうちに、外からドカーンと恫喝の声が届けられた。13日と14日のアメリカからの威嚇である。

米下院委、「慰安婦」で対日決議採択 責任認知など要求

 米下院国際関係委員会(ハイド委員長)は13日、第2次世界大戦中のいわゆる慰安婦問題に関する対日決議を採択した。法的な拘束力を伴わない決議形式だが、この問題について日本政府に対し、(1)歴史責任の認知(2)学校教育での指導(3)慰安婦問題はなかったとする議論への公式反論-などを求めている。

 決議は民主党のエバンス下院議員らが提出し、表現を一部修正のうえ採択された。慰安婦については「若い女性を性的苦役に就かせる目的で誘拐した」などと認定している。(ワシントン=山本秀也)

【2006/09/14 産経新聞 大阪夕刊から】

 新政権の扱いは最初が肝心とばかりに、脅しをかけて来たのであろう。靖国問題ならアメリカからすでに注文が出されていて、さして驚くに値しない。なんと例の「従軍慰安婦」問題である。しかも個人の意見ではなく、一委員会の決議採択であるからそれなりに重い。

 中国人のロビー活動が裏にあると想定されるが、厄介な事態である。決議内容の事実無根なること、過去十年の日本の言論界においてすでに論破しつくされていること、それゆえ今さらここで再反論に値しないことはことあらためて言う必要はあるまい。(そう思わない人は当日録の読者であるべきでなく、勉強をし直していたゞくほかない。)

 「新しい歴史教科書をつくる会」が1996年12月に起ち上がったそもそもの切っ掛けはこの問題だった。安倍政権の発足直前に、中国からではなくアメリカから、教科書問題を振り出しに戻すように「慰安婦」問題の学校教育へのこのような取り入れ要求が出されたことは政治的に重大である。

 昭和20年代に米進駐軍用日本人慰安婦20万人余、巷にあふれたパンパンの群れ、処女狩りもあったという噂も耳にしている私の世代の日本人は、アメリカ兵常習の「慰安婦問題」をアメリカの「国際関係委員会」に告発したいくらいである。

 ひきつづき9月14日に、米下院外交委員会の公聴会でまたまた靖国問題が取り上げられた。

<米議会>靖国神社遊就館の展示に変更求める ハイド委員長

 【ワシントン及川正也】米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)は14日、日本と近隣諸国に関する公聴会で、靖国神社にある戦史展示施設「遊就館」について「事実に基づかない歴史が教えられており、修正されるべきだ」と述べ、展示内容の変更を求めた。

 また、民主党のラントス筆頭委員は小泉純一郎首相の靖国神社参拝を「日本の歴史に関する健忘症の最もひどい例だ」と指摘し、「次期首相はこのしきたりをやめなければならない」と参拝中止を求めた。米国内には首相の靖国参拝による日中関係悪化を懸念する声があり、米外交に影響力を持つ両議員の発言は日米間に波紋を広げそうだ。

 ハイド委員長は「遊就館が第二次大戦は日本による西側帝国主義からの解放だと若い世代に教えていることに困惑する」と批判。ラントス議員は「A級戦犯が祭られている靖国神社への参拝はドイツで(ナチス幹部の)ヒムラーらの墓に献花するのと同じ。韓国や中国の怒りをあえて招くことをする限り、日本が国際社会で重要な役割を演じるのは難しい」と述べた。
(毎日新聞 15日12時00分)

 靖国とナチスの墓地を同列に置くような低レベルの内容であるが、戦史展示館「遊就館」の展示内容を批判し、「次期首相」の参拝中止を求めている記事内容は、岡崎久彦氏が8月24日産経コラム「正論」で「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と先走って書いていたテーマとぴったり一致している。やっぱりアメリカの悪意ある対日非難に彼が口裏を合わせ、同一歩調を取っていたというのはたゞの推理ではなく、ほゞ事実であったことがあらためて確認されたといってよいだろう。

 岡崎久彦氏は「親米反日」の徒と昔から思っていたが、ここまでくると「媚米非日」の徒といわざるを得ないであろう。

 問題はその岡崎氏が安倍内閣の外交のブレーンだと噂されていることである。「遊就館」の展示内容変更への靖国側に対する強要も、岡崎氏と手を組んだ安倍氏の意向であり、したがって「次期首相」の参拝中止を求めるアメリカの声にも安倍氏は威圧され、足がすくんでしまう可能性をも示唆している。

 中国や韓国からの圧力ならはね返すのは何でもない。小泉首相は中国と韓国だけが相手で、今度のように背後からアメリカに威嚇されるというケースではなかった。しかも、今度は靖国だけでなく、「従軍慰安婦」までも威嚇のタネとなっている。

 「靖国」と「歴史教科書」は二大タームなのである。この両方をゆさぶり、骨抜きにする計画は中国や韓国からアメリカにまで伝播した。いよいよ日本の正念場である。どうしても負けられない一線である。

 安倍氏よ、ここで日本男子であることを証明して欲しい。自民党総裁になった日に必ず記者会見で「靖国参拝をどうされますか」と問われる。世界中が注目している一瞬である。ひるむことなく日ごろの所信、「毎年必ず参拝します」と明言してもらいたい。この一語であなたの価値はきまる。そのためにはアメリカと口裏を合わせる怪しげな外交ブレーン、宦官のごとき卑劣の輩を近づけるな。

 もし万が一安倍氏が外圧に屈し、靖国参拝について姑息な言辞――言いわけや逃げ腰のことば――を弄したなら、この秋、日本には不穏なことが相次いで起こるであろう。

 上記二つの外信記事は「米中握手」の時代が近づいていて、小泉時代とは外交局面が変わりつつあることを物語っている。それだけに、日本が日本であること、およそ民族の「信仰」の問題で、両サイドのどちらからの威圧にも屈しない魂の表白を首相たる者、国民を代表してなし遂げなければならないのだ。「靖国」と「歴史教科書」のどちらも、外患に怯み、奸臣不逞の徒の手に委ねてはならないテーマなのである。

 じつは上記二つの外信記事は必ずしもアメリカの代表意見ではない。日本の新政権を揺さぶる外交戦略の一つにほかならない。まずそう考え、気持を切り換える必要がある。

 例えば、アメリカ軍備管理軍縮局上級顧問トーマス・スニッチ氏(産経、8月22日)は、次のように述べている。

米・軍備管理軍縮局元上級顧問 トーマス・スニッチ氏

 (前略)日本の首相が靖国参拝を取りやめさえすれば、中韓首脳会談の実現など、すべてが順調に運ぶという趣旨だが、こうした見解は間違っている。日本の事情や日本社会における靖国神社の意味を理解していないのではないかとも思える。

 小泉純一郎首相はこれまで何度、第二次世界大戦に関しておわびを述べてきただろう。この数年でも多くの日本の指導者が謝罪を繰り返している。あと何度謝れというのか。謝罪とは一度きりであるべきだ。
(中略)
 日本がドイツを手本にすべきだというが、これは不条理な話だ。冷戦時代に米ソがともに得た教訓を挙げると、ある国のモデルを別の国に移植することは不可能だ。米国は東南アジアで、ソ連はアフリカで似たようなことを試したが全部ダメだった。

 そもそもドイツは、戦後の分断国家であり、東西ドイツの国境がすなわちソ連軍との前線という状況だった。北大西洋条約機構(NATO)のメンバーだった西独は、他のNATO諸国との関係構築の上に戦後の発展を進めざるを得なかった。日本にはこうした状況はなかった。

 靖国神社が仮に地上から消え去ったところで、中国が他の問題で日本を問い詰めるのは間違いない。多くの国内矛盾を抱える中国にすれば、靖国問題は国内の注意を国外にそらして日本を指弾する格好の材料なのだ。次期首相が参拝を中止すれば状況が好転するとの見方はあまりに楽観的で、どうみても現実的とはいえない。

(08/21 産経22:11)

 新首相はこうした理解ある言葉をしっかり胸に秘めて、つまらぬ臆病風に吹かされぬようにして欲しい。

 ここで誤解のないように言っておくが、私は単純な「反米」の徒ではない。「外交」において親米、「歴史」において反米たらざるを得ぬ、と言っているまでである。戦争をした歴史の必然である。

 米英関係は今は親密だが、今でもイギリスの歴史教科書はアメリカの独立戦争をイギリスへの「反乱」と記し、ワシントンを「逆賊」と書いている。

 岡崎久彦氏は、遊就館の展示に戦争の原因をルーズベルト大統領のニューディール政策の失敗に見ている見方があり、これを「唾棄すべき安っぽい議論」として削除すべきだと言っているし、すでに削除は実行されているらしい。

 しかし、ならば氏に借問す。スミソニアン原爆博物館に、すでに無力化した敗北直前の日本への原爆投下の米側の動機は100万の米軍将兵の生命を救い、戦争を早期終結させるため、と書かれているそうだが、これも「唾棄すべき安っぽい議論」ではないだろうか。先にこちらの削除を要求すべきではないか。

 遊就館には戦争の原因がほかにも数多く書かれていて、ルーズベルトの経済政策失敗説はそのうちの一つにすぎなかろう。日本は戦争の動機を「自存自衛」と「アジア解放」に求めているが、アメリカは「侵略」と言い張っている。それでもわれわれは相手方の考え方に削除を要求できないでいる。

 日本における数多くの戦争の原因説明の一つに、アメリカにとって必ずしも全面的に賛成しかねる理由が述べられていても、「旧敵国」同士なのであるから、怪しむに足りないであろう。

 岡崎氏よ、なぜあなたは「公正」ぶるのか。それは公正ではなく「卑屈」ということなのである。

 日本の外交官にはつねに「卑屈」が宿命のようにつきまとっているようにみえる。

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない(五)

_VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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宇宙開発関係者の体たらく
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西尾 最後に中国の宇宙戦略の話をお聞きしたい。中国はアメリカ本土に届く長距離核ミサイルを開発して、アメリカを威嚇する段階に入った。アメリカはそれに対するミサイル防衛システムを急いでいる。一方で友人宇宙船の開発に成功した中国は、アメリカのミサイル防衛を無力化するための宇宙ステーション建設を考えている。そこからレーザー兵器でアメリカを攻撃する計画がある、と先生のご著書にはありました。

 かつてのソ連もできなかったことが中国にできるのかという疑問も生じますが、そこまで動きだしているというのは大変な驚きです。これは本当のことなのでしょうか。

平松 どこまで具体化されているかはともかく、その方向に向かいはじめていることは事実です。一点集中主義を貫くことで、それができる国になったのです。この秋には月に衛星を飛ばす計画もあります。そこから考えれば、宇宙ステーションもそう遠い話ではないはずです。 

西尾 いまから15年ほど前、文芸評論家の村松剛さんが存命中に、「日本は宇宙開発を、どんな犠牲を払ってでも国家プロジェクトとしてやるべきだ」ということを書いていました。文学者には、このような考えをもつ人がいたのですが、要路の人は皆、バカバカしい夢物語としてしか受け止めませんでした。文学的な夢こそがかえって現実的だったのです。

 本四架橋(本州四国連絡高速道路)など、四国に三つも橋を架けるぐらいなら、それこそ宇宙への有人飛行競争に参加したほうがいい。国の威信を懸けてでも、これからでも遅くない。やるべきだと思います。

平松 中国は宇宙開発を着実に進めています。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけては、GPS(全地球測位システム)を担う人工衛星の打ち上げも行なっています。以前、日本の宇宙開発関係者の会合で、「中国がGPSを開発していますよ」と話したことがあります。彼らは、このことをまったく知りませんでした。これには非常に驚きました。

 だからまず必要なのは、中国が何をやってきたかを日本人がよく理解することです。中国が核開発を始めたとき、「あんな国につくれるはずがない」と皆バカにしていました。それがいつの間にか完成し、独自のGPSまで実現し、宇宙からミサイルをコントロールしようとしている。

 もし台湾を攻めるならば、GPSは、大いに力を発揮するでしょう。もともとGPSは、海の上のように何の標識もないところで目標を定めるために、アメリカが開発したシステムです。潜水艦を攻撃するときもGPSを使えば、位置を測定して簡単に命中させることができます。

 中国がそのような方向に進んでいることを日本人はもっと知らなければならない。そうすれば日本人も、自分たちが何をすればいいかを、もっと考えるようになると思うのです。政府の戦略も変わっていくのではないでしょうか。

西尾 いまのお話のなかで、先生がお仕事の関係で日本の宇宙開発関係者の会議に出席なさって、官僚や学者たちはアメリカのことは知っていても、中国の宇宙開発については何も知らない、知識も関心もないということですが、これは驚きですね。由々しい事態で、許されないことでもあります。日本の指導者がかくのごとき体たらくだということに、私は怒りを超えて、絶望をさえ感じます。

(了)

中国の東シナ海進出は止まらない(四)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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日米でいかに中国を弱体化させるか
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西尾 ここでまったく違う質問をしたいのですが、日本には平松先生のお話とは逆に、「中国はもう、どうしようもないほどダメになっている」とする中国観があります。経済格差は大きいし、民族対立が発生しているし、ソ連崩壊と似たようなパターンに入っている。経済上の数字も全部ウソのデータで、エネルギーや水も著しく不足している。得体の知れない病気もはやっている。さらには中国人は一人ひとりがエゴイストで、自分の欲望を満たすことしか考えておらず、国民としてのアイデンティティがない。

 中国は昔から君子と匹夫に分かれ、平松先生は君子、つまり中国共産党を見ている。その一方で、昔でいう苦力(クーリー)や農民、庶民などに焦点を当てて見た中国論もある。その違いからとも思うのですが、先生の中国像と一致しないんです。

平松 「中国が崩壊する」という論は以前からずっとありました。しかし、共産中国の歴史のなかには、「大躍進」や人民公社のたまえに、2000万~3000万を餓死させたなどという話もあった。そのことを思えば、いまは2000万~3000万の餓死者が出たという話は聞きませんから、ずいぶんよくなっているのです。

西尾 でも、暴動はあちこちで起きているようです。

平松 暴動は昔からあります。中国が比較的安定していた1950年代中ごろ、毛沢東は「中国には小皇帝が何十人もいる」という発言をしています。軍閥の親玉のような存在の人を「小皇帝」と称し、そのような人物が何十人もいるという。毛沢東の時代ですらも中国は治まっていなかったわけで、その意味では、いまも昔も変わらないのです。

 かつて大陸で生活した人からこんな話を聞いたことがあります。北京の街では真冬の朝、いつも家の前に何人もの人が凍えて野垂れ死にしていたそうです。いまはそのようなことはない。「だからよくなっているんだ」という。一昔前と比べると、はるかに生活が向上しているのです。腹が減っていては、暴動やストライキをすることができないですよ。

 そもそも人間が死ななくなっています。たくさん生まれるのは相変わらずですが、昔は同時にたくさん死にました。いまは文明化して簡単には死ななくなった。日本に比べればまだまだ劣るしレベルではありますが、医療がずいぶん発達したし、衛生状態も非常によくなった。昔はそこいらじゅうに豚がウロウロしており、糞尿が垂れ流しになっていた。蠅も辺り一面が真っ黒になるくらいいっぱいいて汚かったのが、見違えるほどきれいになった。そのような点から見れば天国ですよ、いまの中国は。

西尾 ただ、こういうことは一ついえますね。中国がアメリカや日本のような大資本主義国に対抗するには、富を平均化してしまってはダメで、一部に集中するしかない。国家権力が富を掌握し、民衆を置き去りにするというスタイルをとらざるをえません。

 実際中国では、非常に悪質で非人道的な法律によって、国家による富の収奪が行なわれていると聞きます。一部の農民を都市に連れてきて、一定期間、安い労働力としてこき使ったあと再び農村に帰す。そして新たに農民を都市に連れてきて、また安い賃金でこき使う。これを繰り返すことで人件費を抑えるのです。あるいは土地はすべて国有なので、立ち退きや追い払いといったことを、まことに残酷なやり方で行なっている。

 ならばアメリカや日本は、中国を軍事的、経済的に恐れる前に、まず中国の人権問題を攻撃すればいいのではないか。中国をもっと民主化させ、富の偏在をなくせば、軍事に経済力を集中させることができなくなり、軍事的な拡大も阻止できると思うのです。一方で中国の民衆はもっと幸福になるかもしれません。日米両国は中国に対してそのような戦略を採るべきだと思うのですが。

平松 毛沢東は経済力をまず核兵器に投入し、その後政権はさらに、海岸、宇宙という方向に使ってきた。それを違う方向に使わせるということですね。

西尾 そうです。

平松 ただ富を国民に平均分配すると、豊かになった国民が贅沢な暮らしをしはじめて、世界中のあらゆる資源やエネルギーがなくなってしまう。あまりに影響が大きいから、そのようなことをさせたらダメだというのが、私の考えです。中国は近代化しないほうがいい。「毛沢東流の人民公社がよい」と、私はずっといいつづけています(笑)。

西尾 中国を穏健な国家にしようと、アメリカは中国をWTO(世界貿易機構)に加盟させました。国際秩序に取り込むことで、よりソフトにしようとしうのが冷戦以降のアメリカの戦略のようでした。ところが、どうもうまく進んでいない。逆になっているように見える。

平松 もともと中国は、WTOにおいて優等生になるためでなく、「使えるところだけを使う」と考えて加盟したと私は見ています。だいいち、このまま生長を続けていけば、世界中の資源やエネルギーのかなりの部分を使ってしまいます。中国の国民に冷酷といわれても、私はそのような方向に導く戦略を採るべきでないと思います。私は、中国が欧米や日本のような発展方式ではなく、中国の現実に合った発展の方式を採るように考え、あるいは協力することだと考えています。

西尾 いずれにせよ日本は、いかに中国を弱体化させるかを研究する必要があるのではないですか。それなのに、そのような議論が堂々と語られない。有効国家としての扱いばかりしている。日本経済が中国にぶら下がっているからある程度仕方ないとしても、そもそも経済をもっと政治戦略として使うべきではないか。日本経済の力をもってすれば、一国の軍事力に匹敵するようなパワーがあり、相手を抑えつける政策論もありえるはずです。

平松 日本だけではないでしょうか。国家が総合的な戦略を立てていないのは。欧米の国家なら、どこでもやっている話です。企業にしても皆バラバラで、お互いに競争して足の引っ張り合いをやっている気がします。

西尾 日本政府だって省庁ごとに戦略がバラバラですからね。

平松 そこにいちばんの問題があります。そのあたりが変われば、いろいろな方法が考えられるはずですけどね。

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない(三)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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自衛隊は攻撃できるのか
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西尾 現実問題として、日本が試掘中の東シナ海のガス田に中国の船が接近し、妨害したり発砲したりしようとしたら、自衛隊は何ができるのでしょう。

平松 残念ながら何もできないでしょう。その件について関係省庁の人たちと話したことがあるのですが、彼らの返事は「どのような船が来るかによって対応が違います」というものでした。公船と民間船で違うし、公船でも軍艦とそうでない船では違うと。

 しかし中国では公船も民間船も区別がありません。漁船に見せ掛けた軍関係の船も多く存在するのです。「そう考えなければいけませんよ」と忠告したのですが、あまり理解している様子ではなかった。非常に不安です。

西尾 現在の中国は、明治以降、昭和前期までの日本のように強いナショナリズムが横溢しています。一方の日本は、かつての清朝のようにぼんやししている。立場が逆になっている。いまの中国はどのような技術も軍事に転用しているようです。かつての日本もそうでした。

 JR東海の葛西敬之会長から聞いた話ですが、超電導磁気浮上鉄道(リニアモーターカー)の実験を、JR東海はすでに成功させている。この鉄道の特徴は、最高時速に達するまでの距離が非常に短いことで、スタートしてわずか8.5キロで580キロに達します。そして同じ距離でゼロに戻る。これはまさにロケットの発射台に転用できる技術で、中国が狙っている。

 日本は急いで実用化し、第二東海道新幹線というかたちにしておけば、いざというとき軍事用に転用できます。それなのに、第二東海道新幹線構想は棚上げになっているのです。せっかく開発した最先端技術がありながら、国が戦略的に動こうとしない。軍事はもとより、民間ですら使われずにいる。非常にもったいない話です。

 先日、広島県呉市にある海事歴史博物館「大和ミュージアム」に行きました。戦艦大和の模型など、大規模な展示があり、大和の技術が戦後、さまざまな平和利用につながったという話もそこで聞きました。軍艦が民間の平和な技術開発に役立ったという一種の弁明ですが、もちろん当時は平和利用を目的として造ったのではありません。国を挙げて、ありとあらゆる技術を軍事に集中し、最強の軍艦をつくろうとしたのです。それがやがて戦後になって民間の技術に転用され、日本を経済大国にする一助になった。そしていまでは、逆に民間の技術も軍事用に転換され国防を担う。これが技術のあるべき姿だと思うのですが、日本はどこまでそうなっているでしょうか。

 軍事評論家の江畑謙介さんによると、光を使った兵器というのは、日本がもっている民間技術を使えば容易にできるそうです。ところが純科学的な研究を行なっているだけで、軍事的な領域につなげていない。自衛隊ですら危機感がないようですから、一般の技術者がそのような意識をもつはずがありませんね。

 戦艦大和は主砲がほとんど火を噴くことなく、九州と沖縄のあいだの海域で沈没しました。なぜこれをガダルカナルへもっていって、真っ先に使わなかったのか残念でなりません。戦争末期になって、航空機の護衛もない裸で、自爆覚悟の特攻隊として沖縄戦にむざむざ向かわせた。むなしい巨艦の最後でした。もっと早い時期に投入していたら、戦局はずいぶん変わったはずです。兵も技術も優秀なのにまさに「将官に人なき」で、同じようにいまもリニアモーターカーをいたずらに死なせてしまっている。「政治家に人なき」ということなんでしょうね。

平松 逆に中国はレベルが低くても、こつこつとやっているうちにだんだん技術レベルが上がってきた。これは国家が総力を挙げて、軍事に集中したからです。

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない(二)

お 知 ら せ

*TLF7月講演会*

講 師 西尾幹二氏 (評論家)

テーマ “GHQ焚書図書”から読み解く〔大東亜戦争〕の実相

と き 平成18年7月15日(土)
     午後6:30~8:30(受付6時)

ところ 東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
    東京都渋谷区神宮前5-53-67(地下有料駐車場有)

交 通 〔表参道〕B2口より渋谷方面に5分(国連大学)手前右折

参加費 男女共1500円・学生1000円(要学生証)
     当日会場までお越しの上、直接お申し込み下さい!

“非営利・非会員制”の知的空間

主 催 東京レディスフォーラム
  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱351号
  ℡&FAX 03-5411-0335

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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東シナ海の日中中間線を認めていない
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 西尾 平松先生は中国の国家戦略について、毛沢東が最初から、「核、海岸、宇宙」の三つをセットにしたアメリカとほぼ同じ大国戦略をプログラムとしていたとおっしゃっています。国家百年の大計をきちんと定め、それに従って何十年と動いてきた。それが少しずつ集積して、いま巨大なエネルギーとして浮かび上がってきている気がします。

 その一方で、地図を見ると中国大陸の東側には日本列島から沖縄、台湾があり、中国大陸の東を全面的に覆うかたちになっています。中国としては、日本が近代国家として早く目覚めたため、いつの間にか自分たちの海岸線の先を全部押さえられ、太平洋の出口をふさがれてしまったと感じているのではないでしょうか。

 これは、日本が知らないうちにアメリカにどんどん西へ進出されて、ハワイからサモア、グアム、フィリピンを押さえられ、包囲されたかたちになったのにも似ている。わが国が、それを突破しようとしてアメリカとぶつかった大東亜戦争の構図を当てはめると大変なことになる。中国が太平洋に出るには、台湾海峡を抜けるか、台湾とフィリピンのあいだにあるバシー海峡を抜けるかしかありません。台湾海峡を抜けたあとは、沖縄の宮古島周辺を通らなければならない。中国が太平洋に出ようとしたら、日本と衝突するのは必然というわけです。

 もっとも中国がそんなことを考え出すのは、長い歴史において、ごく最近の話です。彼らは基本的に、海の民ではありません。そう考えると海への野心は、それほど強烈なものではないのではないでしょうか。

平松 いえ、そんなことはありません。東南アジアを完全に影響下に入れるために南シナ海を押さえ、その後、陸地から進出しはじめています。いま中国は大陸の奥地から、ミャンマーやベトナム方向に盛んに進出しています。

 また台湾を支配下に入れたがるのも、そうすれば直接、太平洋に出られるからです。バシー海峡からマラッカ海峡に至る南シナ海には、日本のシーレーンが通っていますから、南シナ海を押さえられたら日本は中国の顔色を窺わないと船の航行がしにくくなる。

 現在、韓国が中国に一生懸命擦り寄っている理由も、そこにあります。中国はいま東シナ海を影響下に置こうとして日本と対立していますが、もし東シナ海が「中国の海」になれば、黄海は出入り口がなくなって、完全に中国の内海になり、米国の空母や原子力潜水艦が入れなくなる。朝鮮半島への影響力を決定的なものにできるのです。それを予感して韓国は親中戦略を採っていると考えられるのです。

 このような危険は状況になりつつあるのに、日本はまったく危機感を抱いていません。3月に行われた東シナ海のガス田をめぐる交渉にしても、中国が尖閣列島付近での共同開発を持ち出すことなど、考えてもいなかったようです。これは中国の戦略としては当然のことなのです。

 この会談で中国は、日韓共同石油開発が行われた海域にまで日中共同開発を主張しています。ここは80年代初めに日韓共同で石油の試掘を行った場所ですが、大して石油が出ず、放置されたままになっていた。そこをあらためて「開発しよう」といってくるのは、「そこは中国のものだ」と日本と韓国に認めさせたいからです。日本政府は春暁のガス田開発と尖閣列島の領有問題と日韓共同開発海域の問題をまったく別個に考えていますが、中国はそうでなく、「東シナ海の大陸棚とその海域は、全部自分たちのものだ」と考えている。

 中国はいろいろな問題を通して、東シナ海でのプレゼンスを高めることを意図しています。最近「春暁ガス田」に近い平湖油田の拡張工事で周辺の海域に対して、外国の船舶の航行を禁止する措置をとろうとしましたが、日中中間線の日本側海域にまでその禁止海域を拡大して設定していることがわかりました。中国は日中中間線を認めていないから、当然の措置と見ているわけです。このような問題が起こった場合、緊張が生まれるかもしれませんが、日本政府は断固たる態度で対応する必要があります。

西尾 平松先生は、中国はすでに東シナ海の問題を「片づいた」と考えていると書いていますね。

平松 中国は南シナ海も東シナ海も、かなりの程度まで片づいたと思っています。だからこそ西太平洋にまで進んできているのです。

西尾 中国の潜水艦が西太平洋に出て海底調査を行なっています。日本領土である沖ノ鳥島付近のわが国の経済水域ばかりか、北部海域の「公海」にも入ってきている。

平松 たしかに領土から200海里が排他的経済水域ですから、沖ノ鳥島からそれ以上離れた北部海域は「公海」ですが、その「公海」の周りはすべて日本の経済水域になっているのです。

 中国だったらあそこは「自分たちの海」というでしょう。アメリカだって暗黙の了解として自らの海と認めさせるに違いない。その意味で日本は優等生すぎるのです。

西尾 おっしゃるとおりで沖ノ鳥島の北方は、日本が「ここはわれわれの海だ」と認めさせてしまえば、それで済む気もします。最近ようやく沖ノ鳥島の重要性に気づいて、日本も発電施設や灯台を置くなどといいだしました。

平松 そのようなことをドンドンやらないとダメなんです。これまで沖ノ鳥島に触れること自体、嫌がっていましたからね。

西尾 「中国を刺激するから」と。そんなバカなことをいっているから、いつの間にか中国にやられてしまう。

平松 中国が南シナ海に進出したとき、私が、日本の船舶が頻繁に航行する南シナ海のシーレーンを中国に押さえられる状況になることを危惧しても、「なんで、そんなことを心配するんですか」と防衛庁や自衛隊の人たちから笑われたのです。

西尾 先日たまたま防衛庁の人と会いました。私が「いざとなったら将官クラスの人は憲法違反をして、自分で腹を切る覚悟でいないと、この国は守れないですよ」というと、「私どもは決意しています」などと、口ではいっていましたけどね(笑)

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない (一)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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中国が主張する領土
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西尾 平松先生は最近、『中国は日本を併合する』(講談社インターナショナル)というショッキングな題の本を出されました。それによると、中国は近代化に立ち遅れ、そのための失地を回復すると称して領土拡大を狙い、その範囲はわれわれが考える以上の広域に及んでいます。

 帝国主義列強から奪われたと称して、現在のカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部、パミール高原、ネパール、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジア、さらに台湾、沖縄、朝鮮半島、ロシアのハバロフスクから沿海州一帯、サハリンを、中国は自分たちの領土だと主張している。とくに日本にとって由々しいのは、現在の沖縄、琉球諸島を「日本によって占領された」と考えていることです。

 海についても黄海、東シナ海、南シナ海を「中国の海」ととらえ、すでに南シナ海はほぼ手中に収められている。領域についてのこの考え方は、中国政府が公文書で発表したものなのでしょうか。

平松 いえ、そうではありません。ここで示した範囲は、毛沢東が政権を取る前に「将来、自分が権力を握って国家をつくるとしたら、そのときの中国はどのようなものか」を考え、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーに語ったり、論文に書いたりしたものです。中華人民共和国建国当時、中学生が使う教科書には、その地図を入れています。

 当時の毛沢東は、中国は1840年のアヘン戦争以後、帝国主義列強に領土が侵食されたという前提に立っていました。それを回復するという使命感に燃えていたのでしょう。これは毛沢東や共産党だけでなく、アヘン戦争以降の中国近代史に出てくるリーダーたちに共通して見られる意識でもあります。

 ただ、いきなり取り返すことはできませんから、まず自分たちの力を蓄え、それを背景に回復を図ることを考えた。それには「核兵器を保有しなければならない」と、ひたすら核兵器開発に力を入れたのです。この場合の核兵器とは、たんなる戦争の手段でなく政治の手段です。核兵器を保有すれば、アメリカやソ連などの大国に相手にしてもらえるというわけです。

 早くから核兵器保有の効果を見抜いていたという点で、少し褒めすぎかもしれませんが、私は毛沢東を非常に先見性のある政治指導者であり、戦略家だったと評価しています。この点については私が続いて出版した『中国、核ミサイルの標的』(角川書店)で詳しく書いています。

西尾 中国最古の詩集『詩経』に、「溥天の下、王土にあらざるは莫(な)し」と書かれた詩があります。大空の下、どこまで行っても王の土地である。自分はどんどん膨張していって、天下と一体になってしまうというようなイメージを語ったものです。広大なユーラシア大陸のなかで絶えず民族移動をしてきた中国人にとっては、先生もお書きになっていたとおりに、国境の観念はもともとないのかもしれません。

 日本人も別の意味であまり国境意識がありません。物事を明確に分けるのが苦手で、なんとなくぼかしてしまう。人と人の境も、人と自然の境も曖昧にさせてしまう。

 一方ヨーロッパ人は、中国人とも日本人とも異なり、国境をはっきりさせます。三者を並べたとき、まったく逆の理由になりますが、国境観念が稀薄である点で、日本人と中国人は似ている気もするのですが・・・・。

 そこで一つ質問します。以前ロシアに行ったとき、ロシア人も非常に広い場所に住んでいるので、中国人と似ているという話になりました。「あなたの生まれたところはどこですか」と聞くと、日本人の場合、まず海岸線が頭に浮かび、「そこから何キロ入ったところに自分の故郷がある」と考えますが、ロシア人はそうはならない。ドニエプル川やボルガ川などの流れを思い浮かべて、「二番目の蛇行の角を曲がったところに故郷がある」などと考えるそうです。そのあたり中国人は、どうだと思われますか。

平松 よくわかりませんが、やはり海よりは長江や黄河などの川ではないでしょうか。あるいは湖とか。

西尾 最初に海を考える発想は、中国人にはないのですね。

平松 ありません。中国が海に出はじめるのは1970年代からで、国連の「海洋法条約会議」がきっかけです。1980年代になって本格的に活動するのですが、このとき海軍の指導者が述べた理由は「これから魚を食べよう」というものでした。中国人の食生活は豚肉と切り離せませんが、魚をもっと食べようというわけです。

西尾 それが現在の乱獲につながるのですね。

平松 長いあいだ世界の水揚げ高トップは日本でしたが、7、8年前から中国になっています。これは淡水魚を含めての数字ですが、まもなく海の魚だけでもトップになるでしょう。

 彼らは世界のあちこちに行って魚を捕っていますから、そのうち世界中の魚を食べ尽しかねません。中国では高速道路が整備されたため、かなり奥地まで魚が届くようになっています。10億の人間が魚を食べはじめると考えても、けっしてオーバーな話ではありません。

つづく

北朝鮮を利用せよ

 北朝鮮のミサイル発射は本当は大変に深刻な出来事なのだろうが、目の前に薄い膜がかかって、なぜか白昼夢を見ているような趣きがある。うまく言葉で言えないが、不安が習慣化している。

 1920年代に「日米もし戦はば」というような本が流行したことがあった。いつしか言葉は現実を引き寄せた。同じようにミサイルが七発も発射されても、われわれはまだ夢の中の出来事のように思えている。相手がまだ遊んでいるように見えている。だがこんなことを繰り返していると、きっといつしか現実になる。

 われわれは、もう言うべきことは言い尽くしたし、何を為すべきかもみんな分っているはずである。そして何ができ何ができないかも考え尽くしている。自衛隊は相手ミサイルの発射基地を叩くことが出来ない。こちらの対抗ミサイルは地対空はあっても、地対地が用意されていない。

 行って空爆して帰還する航空機はあっても、飛行距離が足りないといわれていた。途中で給油する必要があると聞いた。給油機の導入は平成18年だと3年前に聞いていて、ずいぶん先だと思っていたが、今その年になっている。あの件はどうなっているのだろう。いざとなったら韓国の米軍基地に緊急着陸して、爆撃して帰ってくればよいと言っていた元自衛官の話もあったが、あの件もどうなっているのだろう。

 私も他人(ひと)のことは言えない。追及する意識を手離しているうちに歳月のみ流れた。今はどうなっているのか、専門家の話も最近は詳しく聞いていない。

 しかし問題は、北朝鮮のミサイル基地に自ら軍事攻撃を加えるというような可能性がこの国でははなから考えられていないことなのだ。(注・9日麻生外相と額賀防衛庁長官がやっと敵基地攻撃の可能性を憲法のゆるす範囲で検討すべきだと重い口を開いた。)基本的にはアメリカだのみだが、ご覧の通りアメリカの対応も鈍い。日本が本気でないのだから、アメリカもほどほどに手を抜いているようにしか見えない。

 出てくる話といえば経済制裁と国連安保理への提訴である。国際社会の結束が大切だと政治家は口を揃えて言う。中国とロシアが不熱心であることに(それは当然である)息まく政治家もいる。韓国がスキを狙って泥棒猫のように動いている。

 勿論、経済制裁も国連安保理への提訴も大切だ。物事の順序としてそれはそれで仕方がない。だが、軍事力行使が構えとして最後にあって、いつでも発動できる用意ができていて、その上での経済制裁でなくては効果がないし、その上での国連安保理の利用でなければ国際的効力も期待できないだろう。

 ところがミサイル防衛のパトリオットの導入その他が取沙汰されるだけで相手基地を叩くという発想が全然ない。石破元防衛庁長官はいざとなれば攻撃は防衛の範囲に入り、憲法に違反しないと言っていた。給油機や韓国基地の話はそのとき盛んに出されていたのに、今はディフェンス網の話ばかりである。

 北朝鮮のミサイルの着弾地点は今後少しづつ日本列島に近づいてくるだろう。ロシア沿岸に落としたのはまずは日本のお手並拝見なのである。北朝鮮は勿論ロシア政府の了解を必ず取っている。背後に中国政府も控えていて、日本の出方をじっと見つめている。そう考えれば着弾地点の選択は絶妙である。これから少しづつ日本海を南へ下って、列島に近づけてくる。日本国内は初めて騒然となるだろう。

 そして何よりも、中国が日本国内の情勢分析に意を注ぐだろう。北朝鮮は中国の指令でぜんぶ動いているわけではあるまいが、いいときにいいことをやってくれた、と思っているに違いない。

 日本は政権の交替期である。予想通り安倍晋三氏が総理になられたら、氏にぜひおねがいしたい。長期政権をあえて望まず、この機に憲法九条二項の削除を断行してもらいたい。

 そうすれば地対地ミサイルを配備できるし、長距離戦略爆撃機を用意できる。すぐ使えというのではない。攻撃力を使える状態にしておかなければ、安倍氏が提案しるづけてきた経済制裁も安保理提訴も絵に描いた餅に終わるだろう。

 憲法改正に時間をかけている暇はない。九条二項の削除だけを大急ぎで国民投票にかけるべきである。

 こわいのは北朝鮮のミサイルではない。中国の核攻撃力である。核を振りかざした政治的影響力、日本への無理難題の押しつけである。

 それをはね返すには、安倍氏よ、北朝鮮のミサイルの脅威をぜひとも上手に利用してもらいたい。北朝鮮がいいことをいいときにやってくれたと日本人が後で思えるように巧妙に立回ってほしい。

 本当の脅威は中国である。

 次回から平松茂雄氏と私の対談「東シナ海進出は止まらない」を掲示するが、この意味で時宜に適っているといっていいだろう。北朝鮮の攻勢を切っ掛けに、背後に控えている中国を正眼を据えてしかと見つめたい。

お 知 ら せ

*TLF7月講演会*

講 師 西尾幹二氏 (評論家)

テーマ “GHQ焚書図書”から読み解く〔大東亜戦争〕の実相

と き 平成18年7月15日(土)
     午後6:30~8:30(受付6時)

ところ 東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
    東京都渋谷区神宮前5-53-67(地下有料駐車場有)

交 通 〔表参道〕B2口より渋谷方面に5分(国連大学)手前右折

参加費 男女共1500円・学生1000円(要学生証)
     当日会場までお越しの上、直接お申し込み下さい!

“非営利・非会員制”の知的空間

主 催 東京レディスフォーラム
  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱351号
  ℡&FAX 03-5411-0335