村山秀太郎さんは昭和38(1963)年生。早大大学院修士、社会思想史専攻。大学受験「世界史」の予備校名物講師として知られる。
16歳で単身ヨーロッパを回遊した。その後世界各国を100か国以上、紛争地帯を含めて踏破し、その知見に基くユニークな講義で名を高からしめた。
著書は『わかりやすい世界史の授業』『よくわかる中東の世界史』『朗読少女とあらすじで読む世界史』(以上角川書店)、『世界史トータルナビ』(学研)
シアターテレビジョンで開講中の「村山秀太郎の世界史超基礎講座」に過日、西尾が三回ゲスト出演をした。(まだ放送前)
村山さんが昔から私の本の愛読者であることは知っていたが、現在私の全集の全巻読破中で、文章からアフォリズムを拾いたいと申し出られたので、そのヨーロッパ体験に共鳴し、お願いした。面白い結果が生まれることを期待している。次々とどんなアフォリズムが出てくるのか、私はまだどれも読んでいないのでまだ知らない。
1)私が使っている言葉や観念はどうなのか?私のものの考え方、生き方の形式はどうなのか?この異質とみえる世界(ヨーロッパ文明 村山注)と不可分に結びついていることはどうあっても疑えないことのように私には思えてくるのである。追いつくとか、追い越すとか、そういう意識からわれわれが完全に自由になり得ていないことが、すでにその証拠であるとさえ言えるかもしれない。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P13上段より
2)日曜には、ひとびとは着かざって、家族づれで散歩する。ヨーロッパ人はじつに散歩が好きなのである。このような狭い町で、散歩するといっても、毎日曜おなじところを歩くしかない。それでもひとびとはけっして飽きないのである。あたかもそこでは時間は停止しているように思えた。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P15下段より
3)ヨーロッパ人は(中略)余計な知識をがつがつ身につけようという習慣がないのである。だからヨーロッパでは本もあまり売れない。時間があれば、日がな公園で日光浴をし、子供と遊んで暮すというようなのが西洋の小市民の生き方である。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P16上段より