「急告」
川口マーン惠美さんのゲストエッセイ連載の途中ですが、ひとこと急いで報告することがあり、この場を借ります。
かねて5月刊と申し上げていた西尾幹二全集の刊行は大震災の影響で延期され、9月刊が予定されています。
出版の準備は着々と進められていて、12ページの内容見本がすでに完成しています。全集自体の印刷は一冊目が終わり、いま二冊目の初校が出ているほど先へ進んでいますが、刊行が延びているのは大震災での読書界の沈滞した空気を慮ってのことです。
大型新刊の企画は各社どこも止まっているはずです。震災の影響はここでも大きいのです。版元の国書刊行会にどうなっているのかとの電話問い合わせが多数寄せられているので、ひとことご報告しておきます。
ゲストエッセイ
川口マーン惠美
(2)放射能の国からの生還者
腹を立てながら乗った飛行機は、なぜかまた北京経由だという。日本人の客室乗務員に理由を訊いたら、北京で給油と点検、乗務員の交代、機内の清掃をし、そしてケータリングを積むという答えだった。乗客は、一度降りて、空港で待機するのだそうだ。他の飛行機も同じなのかと尋ねると、よくはわからないが、エール・フランスはソウルに寄って同じようなことをしている、という返事だった。
ところが、その彼女が、北京に着く直前に再び私のところへやってきて言った。「すみません。機長の気が変わったらしく、清掃は中止、乗客は機内に留まることになりました」。敢えて北京に降りたくもなかったので、それもいいかと思いつつ、待たされること一時間。ようやく北京を飛び立つと、すぐに日本語の機内放送があり、引き続き日本人の客室乗務員が乗ってはいるが、ここ北京から目的地コペンハーゲンまでは、非番で同乗しているだけなので、業務できないことをあらかじめ詫びた。こんな変わった内容の機内放送を聞いたのは初めてだった。それから乗客は、東京の危険な放射性機内食ではなく、中国製の安全な機内食を食べた。
隣に座っていた若者はスウェーデン人で、交換留学で東大に行っていたが、親が心配して、とにかく帰って来いとうるさいので、勉学を中断して一旦ストックホルムに戻るのだそうだ。「スウェーデンってどう? いい国?」と訊くと、「いい国だ」と言うので、「何がいいの?」と訊いたら、「政府がいい」と答えたのでびっくりした。私も外国人に向かって、一度そう答えてみたいものだ。
九時間後コペンハーゲンに着いた途端、私たちはデンマークのテレビチームに迎えられた。放射能の国からの生還者だ。しかし、到着が大幅に遅れたので、ほとんどの生還者(もちろん私も)は後続便に乗り遅れ、ホテルで一夜を明かすことになった。翌日、シュトゥットガルト行きのゲートにいたら、偶然、前日の飛行機で見かけたドイツ人女性がやって来たので、思わず、「あら、あなたもシュトゥットガルトだったの?」と声を掛けた。聞いてみると、地震の時、岩手にいたという。大きな被害のあった場所なので、私は少し驚いて、大変だったかと訊くと、「地震にも驚いたが、なにより大変だったのは、岩手から成田までたどり着くことだった」と、その苦労を語ってくれた。
「ドイツの家の人が心配しているでしょう」と言うと、「ええ。でも、なんだか変なのよ。主人が、一日でも早い飛行機があれば、それに替えろと言ってきたの。冗談じゃないわよね、もったいない」。私はおかしくなって、「そりゃ、そうよ。だって、ドイツでは皆、明日にも再臨界が起こって、日本中が放射能で汚染されてしまうと思っているんだから」と言って、“死の恐怖に包まれた東京”の新聞を見せてあげたら、びっくり仰天していた。そして、「そうだったのね。せっかくこの飛行機があるのに、惜しげもなくもう一枚チケットを買えだなんて、いつもの主人の性格からして何がなんだか訳がわからなかったんだけど、このせいだったのね」と大笑いしながら、至極納得していた。岩手では、日本のニュースさえろくに見られず、ましてや、地球の裏側のドイツで放射線測定器が売れているなどとは、夢にも思っていなかったらしい。
そんなわけで、ようやくドイツに辿り着いたのだが、帰ってきてからが、また大変だった。ここでも私は生還者なのだ。だから、「よかった、よかった」と喜ばれると、心配してもらったことを嬉しくも思うのだが、同時に、「自分だけが助かろうと思ってホクホクと逃げてきたわけではないのに」と、私の感情はどんどん屈折していく。
だから、「安全な水のあるドイツに戻ってこられて、ホッとしたでしょう」と言われると、どうしても、「東京の水も安全だ」と反論してしまう。しかし、東京の住民が危険に晒されながら脱出できずにいる中、一人ドイツに戻って来られた果報者は、反論などしてはいけないのだ。たちまち「赤ちゃんに飲ませるなという水が、安全なわけはない」、「ペットボトルを配っていたのを知らないのか」、「ドイツでも微量ながら放射性物質が計測されたのに、東京が安全なはずがない」、「原発の建屋が爆発で破壊された写真は、日本では発表されていないのか」、「野菜の出荷制限もしているではないか」などなど、東京が安全であってはならないという強い信念を含んだ言葉が、100倍にもなって返ってくる。
それにしても、今まで日本の地名なんて、「トウキョウ」と「ヒロシマ」ぐらいしか知らなかった人たちが、「フクシマ」という難しい単語を「ベルリン」と言うのと同じぐらいすらすら発音しているのは、驚くべきことだ。しかし、なんと言っても一番驚いたのは、普段は世界の時事などに一切興味を示さない友人が、突然、口角飛ばして「テプコ」の話をし出したときだった。「テプコ」が「東電」の略称だと気づくまでに、私は数秒の時間を要したのだが、私の知らない間に、「テプコ」は、ドイツで一番ポピュラーな日本の固有名詞となってしまった。
いずれにしても、フクシマがいかに危険な状態かを、テレビに出てくる有名な原子力学者の解説によってちゃんと知らされているドイツ国民は、日本人よりも事情に詳しいと思い込んでいる。それなのに愚かな日本国民は、報道規制のかかった発表や、改竄された不完全な情報をナイーヴにも鵜呑みにしており、真実を知らないまま、不条理に黙々と耐えているのだ。
「盲目的に原子力を信じていた日本人も、これでやっと危険に気付いただろう」というような言い方をされたときには、柔和な私もさすがに堪忍袋の緒が切れた。そこで、話題を“死の恐怖に包まれた東京”の記事に変え、ドイツのパニック報道を激しく非難したら、相手が黙りこんだので、私の怒りは少し静まった。
そういえば、最初は感嘆の的だった東北の被災者の礼儀正しい態度さえ、今では、どんな不幸にも文句を言わず、抗議の声もあげず、我慢ばかりしているのはちょっと変じゃないかという見方に変わってきている。耐えることに慣らされた従順すぎる国民・・。今や、私たちが北朝鮮の国民を見るような目で、ドイツ人は私たちを見ている。
これについては、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2404(原発事故でパニックを煽ったドイツのトンデモ報道 芸者、フジヤマ、ハラキリまで復活させて大騒ぎ)に詳しく書いたので、参考にしていただきたい。つづく