チャンネル桜の感想  2011年4月25日

 粕谷哲夫氏は私の大学時代の友人で、元住友商事理事。原発事故で考えること多いらしく、いろいろな情報を持ってきてくれるし、電話で長談義も惜しまない。年老いても自分の心で反応しているし、体で受け止めている。イデオロギーからはもっとも遠い。人間としての本源にかえって考えている。私は彼の情報と発見から教えられことが多い。
 
 以下は、4月14日の私も参加したチャンネル桜での討論会に対する彼の感想である。

ゲストエッセイ 

  

粕谷哲夫

 座談会は多様な内容が含まれていてたいへんよかったと思う。そこで議論された個別の問題の感想ではなく、全体的な感想である。

 御用学者の巣としていま東大工学部は評判が悪いが、東大工学部にも立派な人はいる。機械学科を卒業して、国鉄始まって以来の100点満点で入社試験に合格したという伝説的な逸材、山之内秀一郎(JR東日本会長)を思い出したからである。事故の発生を防ぐという強靭な信念の持ち主で、国鉄で事故の撲滅に没頭された。すでに故人となられてしまった。同世代の山之内秀一郎ご自身からお聞きしたお話が、今回の討論を聞いていて浮かんできた。 私はJR に「安全」という文化があるとすれば、この彼のエンジニアリング哲学に負うところ少なくないと思っている。新幹線に開業以来、事故らしい事故が無いのは、偶然ではない。

 山之内秀一郎は、国鉄において事故が如何に発生するかの解明に執念を燃やした。それまでに発生した国鉄の事故のすべてを洗い出し、それらを分析し、分類し徹底的に調査した。彼は改善のために事故を愛したとさえいえるほどに執拗に事故事例を追い求めた。事故を起こした運転手や作業員を処罰するより、まず状況の聴取に努めたのである。その一つ一つに対応してつくられた、的確な対策がこんにちのJR 安全文化の基礎をなしているという。彼にとっては既知の事故の再発は、技術者として許されないという強い信念があったものと思われる。

 山之内は JR の後に、宇宙開発事業団に移籍した。衛星打ち上げの失敗が続いていて、宇宙事業団の体質改善は急務であった。山之内をおいて適任者はないという政治判断があった。宇宙開発そのものは、原発と違っていわば緊急性はない。なくてすぐに困るというものではない。そして、打ち上げに失敗すれば何百億円規模の巨額の資金が吹っ飛んでしまう。「山之内で失敗したら宇宙開発は、国家として断念せざるを得ない」というような最後通牒が突き付けられていたように思われる。とはいえ宇宙事業団内部には既に、衛星に関わる百戦錬磨の専門家が多数おり、いくら優秀であろうと外様の機械学科出身の占領軍のような位置づけの山之内に対する抵抗は根強くあって当然である。またもっと大事なことは、事業団には、山之内から見れば緊張感を欠く雰囲気があったようである。

 「衛星打ち上げの失敗はどこの国にでもある。これだけ努力して失敗したからといっていちいちとがめられてはやっていけない」という雰囲気であろう。この雰囲気を克服して、新しい安全文化を短期間で定着させるなどということは、山之内にしても至難の業であった。

 彼が着任して、初めての衛星打ち上げが行われることになった。その予定時間の天候には若干の不安があった。これで失敗すれば、一巻の終りという差し迫った状況であった。いくべきか立ち止まるべきか、ハムレットの心境である。山之内にはまだ衛星について十分な知見も体験もない。しかし誰かが決断しなければならない。究極の決断は責任者である山之内にある。すべての準備は終わっている。中止して再び立ち上げるには時間もカネもかかる。大多数の技術者は予定通りの打ち上げ発射を主張した。彼らには彼らなりの自身とプライドがあった。山之内は何人かの信頼できる部下をまねいて、個別に耳を傾けた。熟慮の結果、打ち上げの延期を決断した。苦渋の選択である。積極派からはブーイングである。発射の決断をしていたからといって、かならず失敗したということではない。成功していたかもしれない。しかし山之内が決断に至る苦悩のプロセスが全員に感動を呼んだのである。彼の信頼は高まった。以来事故らしい事故はない。

 討論を聞いていてもそうであるが、どうも原発推進の東電や通産省の要人に山之内のような信頼や醸成された良質の企業文化が欠落しているように思われてならない。いまでも東電で褒められるのは、現場の従業員や作業員で、東電の貴族的な幹部や安全工学的な素養を欠くように見える保安院ではない。原発のような巨大なリスクを背負う、超大型の複雑系のマンモス工業運営は、テクノロジーそのものももちろん大事だが、それ以上に大事なのは山之内流の企業文化である。どの優れた企業にも、その文化の創造には節々に、山之内秀一郎のような立派な人物が必ず存在する(入交昭一郎から聞いたホンダの本田宗一郎の詳細な分析も忘れることはできない)。

 山之内秀一郎は、野球の監督の思考パターンで言うと、長嶋茂雄型というより野村克也型である。野村の名言に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがある。含蓄のある言葉である。

 この野村的なペシミズムは 避けて通れない。懐疑、不安、おそれ(恐れ ときに 畏れ)があって初めて安全の門が開けるのである。原発推進を唱導する地位ある人々には、こういうものが、ほとんど感じられない。「原子力発電こそが輝ける未来のエネルギーだ」「安全は何重にも保証されている」という安全神話と無謬信仰に浸っている。そしてマニュアルをきちんと書けば、すべてうまくいくという認識のようである。万一事故が起これば計量不能な天文学的、あるいは国家破滅につながりかねない巨大リスクを背負うには、それなりの哲学と技量と人間力が必要であるとおもう。

 山之内秀一郎にせよ、本田宗一郎にせよ、対象である電車も列車も自動車も隅から隅まで熟知している。故障があれば自分で治せるし、現場の諸問題にも精通している。原発に関する意思決定、政策決定をする殿上人にはそういうものはない。

 地震学者や原子炉設計者の警告を殿上人たちは寄せ付けなかった。 山之内秀一郎や本田宗一郎が東電にいたら、どうだったであろうか。たぶん原発反対者の意見や警告を渋々ではなく、積極的に自ら求めて聴いたのではないか。

 注目すべきは、原子炉設計者に原発反対者が多いことである。彼らが気付いた問題点に電力会社は耳を傾けないどころか、彼らを近づけることはなかった。

 さらに無視できないたいへん不幸なことは、日本の原子力の問題には多くの場合、イデオロギーがからむということである。原発反対の勢力は、「アメリカの核は汚い核、中ソの核はきれいな核」と恥もなく言いふらした。これに対抗するために、政府や電力会社は、原発の安全神話をつくりあげた。そして西尾幹二も私もそれを信用した。積極派はイデオロギーから自由な反対論者をもブランドを付けて抹殺していった。抹殺と言えば、福島県知事だった佐藤栄佐久はいみじくも『知事抹殺』という本を書いた。討論で出された前田氏の「プルト君」も推進者側の必死の努力の証しでもあった。

 私は福島第一原発事故発生以来、動画を中心とするネット情報の収集に没頭している。ヒロシマの原爆投下の翌朝の新聞を防空壕の中で読んだ経験もあり、翌年には地方の文化講演会で、日本原子力の父といわれる仁科芳男博士の講演を聞きもした。しかしいま新たに全く新しいことを知るに至り、無知を恥じるばかりである。

 とはいえ原発反対論者の言うことにも若干わからないことがある。「ヒロシマは、これからは50年間は草木も生えず人も住めない」、と言われたものである。これにたいしてヒロシマに使われたウランの総量は、福島第一とはケタが違う、キロとトンの違いと聞いて納得した。また、冷戦時代には大気中の原爆実験が行われて、膨大な量の放射能が観測されたという。しからばその影響はどうであったのか? については説明がない。イギリスのセラフィールドの使用済み核燃料の処理工場ではかなりの期間、汚染された水を海に流していたそうだが、アイルランドは具体的にどのような被害を被ったのか? 被ったとすれば、水俣病と比較するとどうなのか? 解説はない。

 原発を推進するにせよしないにせよ、 原発と放射能被害にはいまでも捏造と隠蔽が跋扈している(こういうことは日本だけでなく、どこにもあるものである)。賛否両陣営がひとつずつ論点を潰していくことが出来ないものだろうか?

 世論の流れは明らかである。この事故は 「社民党を利する」 こと間違いなく、民主党や保守系には大きな打撃となるだろうと、公言してはばからなかった。今朝テレビで ”No more atomic anything.” の 反原発デモが映っていた。案の定、人口80万を超える世田谷区の区長選挙は、原発反対を軸に据えた社民党が勝利した。これは私の「社民党を利する」 の想定境界線をはるかに越えるものであった。選挙の背景には複雑な事情があったものの、「想定外」の大激震であったことは間違いない。

「チャンネル桜の感想  2011年4月25日」への7件のフィードバック

  1. 今回の粕谷さまのエントリー大変興味深く読みました。

    特に、原子力の問題にイデオロギーが加わっているとの指摘。今回のように西尾先生が原発慎重派に回ったという時点で、やはりブランド付けして抹殺するのでしょうか。

    イデオロギーにしたのは、最初に原発反対派であったのだろうと思います。社民党がほくそ笑んで、選挙に勝利するなんていうのは、本当に腹がたちます。原発反対派のデモを見ても感情的にムカッとなります。だけど、西尾先生の思いは、そういったことと次元が異なり、本当の未来の日本の安全を考えておられるからに他ならないのでしょう。

    広島の私の実家は、爆心地より一キロ以内です。もちろん祖父母、曾祖母は亡くなりましたが、その後同じ場所に家を建て住み続けています。すぐに草木も生えてきました。「フクシマ」と「ヒロシマ」「チェルノブイリ」の同列かは疑問ですね。

  2. 浜岡原発のみではなく、他の原発も長期の計画性をもって廃止し、代替発電所(CCG等)を建設していく工程も作成・公表していない。浜岡原発停止要請はパフォーマンスか、人気取りでも、なんでもよいが、政治は結果責任であることをよく考えてほしい。
    福島原発への政府対応は拙劣であった。原子力災害対策基本法を無視、避難地域設定では責任逃れに終始し、住民とくに子供たちの安全を危機に陥れ、恬として恥じず、対策の修正をしないだけでも辞任に値する。
    マスコミ人を含め自称インテリが多く在住しているそうですが、世田谷区の区長選の結果をみると、東京都民はつくづく愚民の集団だと思います。古くは美濃部、青島を知事に選出し、中身のない某参議院議員に180万票を与え、2年前の都議会選挙では民主党候補であれば、だれでもよいと投票した。

  3.  粕谷さんの書かれた東電福島原発事故、今後の原発政策についてのブログ論文は極めて示唆に富み、バランスのとれたものと感じました。

     10年ほどまえ、宇宙開発事業団の人工衛星打ち上げ失敗が続き、技術立国日本の行方に赤信号が灯った記憶があります。

     それが近年一変し、H2ロケットは国際宇宙船への機材運搬を担い、退役するスペースシャトルに変る役割を果たすまでになっています。

     昨年の小惑星探査船”はやぶさ”の任務達成しての地球帰還は、数々の困難、障害を克服しての帰還であり、”はやぶさ”自体に人間と同じ”根性”を感じ、多くの国民が感動しました。

     この”はやぶさ”の根性が、山之内秀一郎氏が究極の安全を追及する文化を宇宙開発機構に埋め込んだことに由来することを、粕谷論文から初めて知りました。

     粕谷さんは「原発のような巨大なリスクを背負う、超大型の複雑系のマンモス工業運営は、テクノロジーそのものももちろん大事だが、それ以上に大事なのは山之内流の企業文化である。」と喝破しておられます。

     そして、「イデオロギーを排して、賛否両陣営がひとつずつ論点を潰していくことが出来ないものだろうか」と問うておられますが、正に正鵠を得たものと考えます。

     粕谷論文は多くの人に読んで欲しい論文です。

       坦々塾 足立誠之

  4. 西尾先生 お疲れ様です。

    原発事故の件::

    東電を弁護するつもりはないが、
    反原発利権屋共のせいで、より安全な対策、また避難誘導訓練なども
    出来なかった。
    対策をとろうとすると、「やっぱり安全ではないのだ。止めるべき」と
    マスコミ(朝日新聞中心)を通じて圧力をかけてきた歴史がある。

    その意味で、今回の事故後の対応のまずさには、
    反原発利権屋どもの責任もかなり大きい。
    そして、このことに誰も触れない。

  5. 西尾先生 何度もお邪魔します。

    菅がソフトバンクの孫と話をしたらしい。

    菅の延命策を助言したのだろう。

    孫は、時価株経営を唱え、アドバルーンを揚げては
    株価を上げてきた。
    前のアドバルーンが効かなくなるころ、新しいアドバルーンを
    揚げるということを繰り返してきた。
    (実際に実行するかどうかは別問題)
    マスコミが囃し立てることで株価は上昇した。
    (この株価を担保に莫大な融資を受けてきた。
     そして、今や、倒産出来ないぐらいの規模になった。
     詐欺師のやりかたである。
     銀行、証券会社が馬鹿ばかりであるところを利用された)

    寄付金100億というのも、その一貫である。
    馬鹿が、感激したようだ。

    さて、菅は同じ手法をとる。
    つまり、様々な思いつきの政策を発表し、マスコミがそれで
    踊れば良い。実際の効力は関係がない。

    次々と、発表すればいいのだ。
    そうすれば、目先に反応するしか能のないマスコミと
    一般大衆は完全に騙される。
    浜岡原発停止、発電、送電の分離しかり。

    念のいったことに、全て、国家の弱体化に結びついている。

    次にご存知と思うが、

    菅政府は、放射能で汚染された瓦礫の焼却を
    全国の市町村に依頼している。

    川崎市など機械的に外部企業に委託したらしい。

    放射能を全国にばらまくつもりのようだ。
    基準値を勝手に変える政府である。

    何を企んでいるのか簡単に分かる。
    仕事を大人しくしている場合ではないことは確かだ。

  6. 孫正義さん@ソフトバンクの新電力事業、「関西広域連合」との発表資料が馬鹿すぎると話題に

  7. 一度、静岡県立図書館に来て頂いたでしょうか。
    挨拶をしませんでしたが、もしかしたら、と
    思いました。公共の場所ですから、写真しか見た人は、
    声を掛ける事をしません。結婚を申し込んでいる人は、
    別だが。
     話の本題に入りますが、チャンネル桜から手を引くべきだと。
     これは、今の社会現状の本質、共産主義革命が誰が起こしたか
    等の問題の本質を排除し続ける「チャンネル桜」は、問題を
    誤魔化すテレビ局以外はありません。そして、確かに社民党は騙されて
    いますが、イデオロギーを持って、本質的に誰が作ったという問いから
    見れば、イデオロギ論争は空しい内容に過ぎません。
     それに比べて、こういう本質的な問題も含めて、本当の意味での
    本質を問うとしている弱小グループであるが、その意味で、
    「ワールドフォーラム」での活動を推薦します。
    http://www.worldforum.jp/
     一応、掲示板での論争を見て頂いた事はあると思いますが、
    「チャンネル桜」は、物の本質を誤魔化します。アメリカの本当の
    人と家族を考える愛のある保守基督教徒の発言を無視しようとしている
    のです。なぜ、大東亜戦争を日本がしたか。正に宗教戦争レベルの問題で、
    その問題の本質を説いた日本と欧州の悪の勢力との戦いなのです。
     その本質の悪の部分を見せようとしないのが「チャンネル桜」
    なのです。

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