変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫) (2011/08/28) 高山 正之 |
『スーチー女史は善人か』 高山正之
解説文 西尾幹二
短い文章に、変化に富む内容が詰まっている。抽象語をできるだけ避け、具体例で語る。憎しみや嫌悪をむしろ剥き出しに突き出す。それでいて情緒的ではない。抽象語は使わないのに、論理的である。痛烈かつ鮮烈ですらある。辛辣などというレベルをはるかに越えてさえいる。しかし決して混濁していない。知的に透明である。勿論冷静である。一糸乱れぬといってもいい。
音楽でいえば太鼓の連打のようなものだが、単調な響きにならないのは、一行ごとに隙間があり、飛躍があり、そこを平板な叙述で埋めていないからだ。言葉を抑制し、思い切って省略している。ある処まで語って、そこから先を語らない。空白のまま打ち切ってしまう。絶妙な間を置くその間合いが高山正之氏の文章のリズムであり、美学である。コラムという字数制限がそういう文体を作り出したのかもしれないが、それだけではなく、高山氏の思考の型が贅語(ぜいご)を慎み、簡潔を好む資質に根ざしている。
歴史を語ってじつに簡にして要を得ている二例を挙げてみよう。
「日露戦争後、日本は李氏朝鮮を保護国とした。そのころの話だ。
日本はそれまでこの国に自立を促してきたが、この国はそれを嫌って支那に擦り寄って支那の属国だもんと言ったり、その支那が頼るに足らないことを日清戦争で教えてやると、今度は日本が最も恐れるロシアになびいたり。
それで日本は日露戦争も戦う羽目に陥り、二つの戦争であわせて12万人もの将兵が異国の地で散華した。
朝鮮にこれ以上愚かな外交をさせないというのがこの保護国化の目的だった。」(第四章「朝日の浅知恵」)
別に目新しい歴史観ではない。自国史を主軸に考えれば認識は必ずこうなる。これでも迷わずに二大戦争と日韓関係をこれだけピシッと短く語った文章の例は少ない。
もう一つはアボリジニ(原住民)の虐殺の歴史を持つオーストラリアについてである。
「ニューサウスウェールズ州の図書館に残る1927年の日記には『週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹』とある。
600万いたアボリジニは今30万人が生き残る。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺を行った結果だ。
困ったことにこの国はその反省もない。
この前のシドニー五輪の開会式では白人とアボリジニの輪舞が披露された。過去に決別して友愛に生きるということらしいが、登場した“先住民”は肌を黒く塗った白人だった。
その翌年、アジアからの難民が豪州領クリスマス島に上陸しようとした。ハワード首相は、『難民が赤ん坊を海に捨てた』と拒否、難民を追い返した。
しかし後に『赤ん坊を捨てた』という報告はまったくの作り話と判明する。
ここは白人の国、有色人種を排除するためなら首相でも平気で嘘をつく。」(第四章「害毒国家は毒で制す」)
オーストラリアはたしかにこういう国である。首相までが公然と反捕鯨の旗を振る国だ。鯨の知能は人間並だという勝手な理屈をつけて動物界に「序列」をつけるのと、人間界に人種差別という序列を持ち込むのとは、同じ型の偏見である。囚人徒刑囚の捨て場から国の歩みが始まった取り返しのつかない汚辱感と、原住民の虐殺だけでなく混血と性犯罪の歴史が元へ戻したくても戻らない汚れた血の絶望感とが、この国の白人たちに背負わされてきた。第一次世界大戦より以後、最も不公正な反日国家だった。アジアの中で近代化の先頭を走った日本を許せないという、自分の弱点と歪みを怨恨のバネにした卑劣な国々に韓国と中国があるが、高山氏が両国に加えてオーストラリアを卑劣の系譜に数え入れているのはじつに正当である。
つづく