「太平洋の覇権と米西戦争」への6件のフィードバック

  1. そんなアメリカも多国籍利益集団に乗っ取られ、建国のマインドを失い、グローバリゼイションの錦の御旗の下、いわば自由の暴走の果てに、どんな世界が現出することか。E.M.シオランの予言する終末は近い。しかし彼は賢い民族についても言及していた。それはほかならぬ我々日本人です。

  2. 外国人留学生でございます。自分の良心と信念に基づいて、衷心に日本を敬愛し擁護し、かつ、ずっと、西尾先生のファンであり、先生の良識と品格を心より敬慕し私淑しております。さて、最近、真珠湾70周年の節目に当たるに際して、アメリカの国内の様々な政治評論、保守派のものさえ、当時の無道な日本を糾弾し断罪し、日本帝国主義を打倒した米国の偉大さを謳歌し、自己正当化・美化と自己陶酔に浸かっている醜態は見え透く。それは、米国は歴史的に負い目を背負っているので、それを隠すかぼかすために、かえって、強気に出んばかりの姿勢をとり、その甚だしい独善と欺瞞の証明だけになるだろうと強く思います。その日本指弾と米国万歳の大合唱もさることながら、私は、意外にも、一つの良心的良識的な素敵な文章を発現しました。作者のパトリック·ブキャナン氏は米国の伝統保守派(PaleoConservative)の代表的人物であり、知名な評論家とコラムニストだ。その主張は内政と外交に亘りリベラル派ばかりか所謂新保守派(NeoConservative)とも一線を画して独自で鮮明で妥協しない姿勢を貫く。今回の真珠湾を論じる氏の文章は、非常に簡潔で明晰ですが、凄く説得力に富んでいる。勿論、米国人としての認識の局限・限界も当然あったが、圧倒的な自国礼賛のオンパレードの中に、もう大変有り難く貴くすべきだと率直に思います。その良識と勇気に敬服してやみません。私はその英語の原文を日本語に訳し、このチャンスで皆さんに呈上し、お目に通して頂ければと思います。読んでいると、日本の不戦態度の誠心誠意とルーズベルトの陰険悪辣さを再確認しよう。正に、切歯扼腕の気持ちです。なお、お読みしやすいため、段落ごとに日本語の訳文を付ける形にしました。自分の日本語力はまだまだ不足なので、拙い翻訳はご海容とご教示のほど、深くお願い申し上げます。

    以下です。少しでもご参考になれれば、幸いと思います。そして、不正確や不適切な所なら、ご叱正とご示教を下さい。ありがとうございます。

    Did FDR Provoke Pearl Harbor?
    真珠湾事件はルーズベルトに挑発されたものか
    Patrick J. Buchanan 2011/12/06

    On Dec. 8, 1941, Franklin Roosevelt took the rostrum before a joint session of Congress to ask for a declaration of war on Japan.
    1941年12月8日に、ルーズベルトルは衆参両院の連合会議にて講壇の前に立って演説し、国家による対日宣戦を要求しました。

    A day earlier, at dawn, carrier-based Japanese aircraft had launched a sneak attack devastating the U.S. battle fleet at Pearl Harbor.
    その一日の前に、空母に搭載される日本の爆撃機編隊は、突然な先制攻撃を発動し、真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊に猛爆を加えてそれを壊滅しました。

    Said ex-President Herbert Hoover, Republican statesman of the day, “We have only one job to do now, and that is to defeat Japan.”
    その日に、前任のアメリカ大統領、共和党政治家ハーバート·フーバーは、「我々は今するべき仕事がただ一つあり、それは日本を打ち負かす事だ。」という発言を話した。

    But to friends, “the Chief” sent another message: “You and I know that this continuous putting pins in rattlesnakes finally got this country bit.”
    しかし、友達に対し、「チーフ」即ちフーバーは、別なメッセージを発しました。彼は、「お前らと俺は、この国がガラガラ蛇を挑発し続けて噛まれる破目になったことが分かる筈だろう。」を述べていた。

    Today, 70 years after Pearl Harbor, a remarkable secret history, written from 1943 to 1963, has come to light. It is Hoover’s explanation of what happened before, during and after the world war that may prove yet the death knell of the West.
    真珠湾事件からの70年間後の今は、一つの注目すべき秘密な歴史、この1943年から1963年にかけて書かれ続けていた歴史は、公開されている。それは、西方に弔鐘を鳴らすとも意味する第二次世界大戦の前と進行中と後に発生していた事々を解明したフーバーの書き物である。

    Edited by historian George Nash, “Freedom Betrayed: Herbert Hoover’s History of the Second World War and Its Aftermath” is a searing indictment of FDR and the men around him as politicians who lied prodigiously about their desire to keep America out of war, even as they took one deliberate step after another to take us into war.
    歴史家ジョージ·ナシュに校訂される、「裏切られた自由:ハーバート·フーバーによる第二次世界大戦と其の直後時期の歴史」を題目とされたこの本は、ルーズベルトとその側近に対する熾烈な告発である。その本に記述されるのは、ルーズベルト等はアメリカを戦争に極力関与させないと、アメリカの民衆に対して巨大な嘘つきをしつづけながら、相次いだ意図的な処置と策謀をもってアメリカを戦争に巻き込んで行く実態である。

    Yet the book is no polemic. The 50-page run-up to the war in the Pacific uses memoirs and documents from all sides to prove Hoover’s indictment. And perhaps the best way to show the power of this book is the way Hoover does it – chronologically, painstakingly, week by week.
    しかし、この本は一冊の論争の文ではない。50ページに亘る、太平洋戦争の前段階を記述する部分は、各方面の備忘録と文書を使って著者の告発を裏付けする。そして、本書の力を示す最も有効な方法は、著者フーバー氏の書き方即ち、年代順に、綿密細緻に、週間ごとに書いてあるのだろう。

    Consider Japan’s situation in the summer of 1941. Bogged down in a four-year war in China she could neither win nor end, having moved into French Indochina, Japan saw herself as near the end of her tether.
    1941年の夏に日本が処する状況を考えよう。四年間にも亘る中国との戦争に陥り、素早く勝つことも脱却することも出来ず、そして仏印へも足を運んでいた日本は、自分のぎりぎりの限界に達していると弁えた。

    Inside the government was a powerful faction led by Prime Minister Prince Fumimaro Konoye that desperately did not want a war with the United States.
    日本政府の内部には首相である近衛文麿を指導者とされる有力な派閥があります。その派閥はアメリカとの戦争を極力避けたがるのです。

    The “pro-Anglo-Saxon” camp included the navy, whose officers had fought alongside the U.S. and Royal navies in World War I, while the war party was centered on the army, Gen. Hideki Tojo and Foreign Minister Yosuke Matsuoka, a bitter anti-American.
    その所謂「親英米派」の陣営に海軍が含まり、其の将官は第一次世界大戦に於いて米英の海軍と一緒に戦ったのだ。一方、陸軍が主戦論を唱える者で、その陣営のメンバーは東条英機将軍と外務大臣を務め強硬な反米主義者とされる松岡洋右を含める。

    On July 18, 1941, Konoye ousted Matsuoka, replacing him with the “pro-Anglo-Saxon” Adm. Teijiro Toyoda.
    1941年7月18日に、近衛首相は松岡を罷免し、その職務に親英米派の海軍大将豊田貞一郎を任命しました。

    The U.S. response: On July 25, we froze all Japanese assets in the United States, ending all exports and imports, and denying Japan the oil upon which the nation and empire depended.
    それに対するアメリカの反応は何だかと言うと、我が国は、すべての日本所有の在米資産を凍結し、全ての対日貿易を中止し、日本民族と帝国に欠かさない石油の運輸を一切差し止めました。

    Stunned, Konoye still pursued his peace policy by winning secret support from the navy and army to meet FDR on the U.S. side of the Pacific to hear and respond to U.S. demands.
    大変驚愕し当惑したが、近衛氏は引き続き其の平和方案を模索していた。陸海軍の秘密な支持を獲得して、近衛氏はルーズベルトにアメリカ本土での会談の願望を持ち掛けてアメリカの要求を聞き応えるように努める。

    U.S. Ambassador Joseph Grew implored Washington not to ignore Konoye’s offer, that the prince had convinced him an agreement could be reached on Japanese withdrawal from Indochina and South and Central China. Out of fear of Mao’s armies and Stalin’s Russia, Tokyo wanted to hold a buffer in North China.
    アメリカ駐日本大使ジョセフ·グルーは、自国政府に対し近衛公爵の要請を無視しないよう懇請しました。グルー氏によりますと、既に日本がアメリカと一つの協定を締結する意向を近衛氏に表明され確信させられた。その協定によって、日本がインドシナと華南と華中から撤退することにします。ただ、中国共産党及び共産ソ連への惧れの故、日本は華北を一種の緩衝の区域としてそこで駐留し続けるつもりだ。

    On Aug. 28, Japan’s ambassador in Washington presented FDR a personal letter from Konoye imploring him to meet.
    1941年8月28日、ワシントン駐在の日本大使が近衛によるルーズベルト宛てのお便りを進呈し、直接にルーズベルトに会わせていただくようとの近衛氏の意思を表明いたした。

    Tokyo begged us to keep Konoye’s offer secret, as the revelation of a Japanese prime minister’s offering to cross the Pacific to talk to an American president could imperil his government.
    東京はワシントンにその近衛の提案を秘密にするよう乞いました。日本の首相が太平洋を渡り米国の大統領に面会を求めるのを提示するその提案は、一旦公開されたら、近衛の内閣の地位を危うくするからであろう。

    On Sept. 3, the Konoye letter was leaked to the Herald-Tribune.
    1941年9月3日に、その近衛氏の手紙は、ヘラルド―トリビュン新聞に漏洩されました。

    On Sept. 6, Konoye met again at a three-hour dinner with Grew to tell him Japan now agreed with the four principles the Americans were demanding as the basis for peace. No response.
    1941年9月6日に、近衛は再度グルー氏に面会し三時間に亘る食事を共にし、日本が平和の為にアメリカの要求する四大原則に同意することをお伝えしました。ワシントンの返答は?皆無。

    On Sept. 29, Grew sent what Hoover describes as a “prayer” to the president not to let this chance for peace pass by.
    1941年9月29日に、グルーが、フーバーの言葉では「懇願」とも謂えるものをルーズベルト大統領に差し上げ、平和へのチャンスを見逃さないよう進言しました。

    On Sept. 30, Grew wrote Washington, “Konoye’s warship is ready waiting to take him to Honolulu, Alaska or anyplace designated by the president.”
    1941年9月30日に、グルーが「近衛の用意される軍艦は最早準備を整えてホノルルかアラスカか大統領により指定されるいかなる場所に近衛を運んで行くつもりだ。」をワシントンに報告しました。

    No response. On Oct. 16, Konoye’s cabinet fell.
    依然と無反応だ。1941年10月16日に近衛内閣は倒れた。

    In November, the U.S. intercepted two new offers from Tokyo: a Plan A for an end to the China war and occupation of Indochina and, if that were rejected, a Plan B, a modus vivendi where neither side would make any new move. When presented, these, too, were rejected out of hand.
    同年の11月に、アメリカは又の二つの日本による新たな提案を傍受しました。即ち、中国での戦争とインドシナの占領を止めるのを提唱するプランAと、そして、もしそれを拒否されたら、日米双方ともは新たな行動を差し控えて現状維持をしようと主張するプランBである。アメリカ政府はその二つの提案を提示されたが、直ちにそれらを一蹴しました。

    At a Nov. 25 meeting of FDR’s war council, Secretary of War Henry Stimson’s notes speak of the prevailing consensus: “The question was how we should maneuver them (the Japanese) into … firing the first shot without allowing too much danger to ourselves.”
    同年11月25日に開かれたルーズベルト大統領の戦争閣議に、国防省長官ヘンリー·スチムソンのノットは当時の閣内に於ける支配的な合意を物語っている。即ち、「今の問題は、われわれがどうやってわれわれの損失を低く止まらせながら、彼ら(日本人を指す)に最初の一発の銃声を鳴らさせるかということだ。」

    “We can wipe the Japanese off the map in three months,” wrote Navy Secretary Frank Knox.
    「われわれは、只三ヶ月間にかけて、日本を地図から抹消できる。」と海軍大臣フランク·ノックスがそう言いました。

    As Grew had predicted, Japan, a “hara-kiri nation,” proved more likely to fling herself into national suicide for honor than to allow herself to be humiliated.
    グルーが予言した通り、日本は、一個の「腹切り民族」として、侮辱を呑まされるより、名誉の為に国家的な自殺行為に飛び付く可能性の方が大きいと自ら証明しました。

    Out of the war that arose from the refusal to meet Prince Konoye came scores of thousands of U.S. dead, Hiroshima, Nagasaki, the fall of China to Mao Zedong, U.S. wars in Korea and Vietnam, and the rise of a new arrogant China that shows little respect for the great superpower of yesterday.
    近衛公爵と会うのを拒絶したことより起こった戦争に招来されたのは、数万のアメリカ将兵の死体、広島、長崎、毛沢東の手に落ちた中国、朝鮮半島とベトナムにおけるアメリカの参戦と当今一個の傲慢不遜な新中国の台頭。しかも、その新中国はこの昔日の超大国をあまり尊重していないですね。

    If you would know the history that made our world, spend a week with Mr. Hoover’s book.
    もし貴方はわれわれの世界を作りあげた歴史を知りたければ、フーバーさんのこの一冊の本と共に一週間の時間を過ごしましょう。

    原文リンク:http://www.humanevents.com/article.php?id=47962

  3. 「GHQ焚書図書開封5」及び「 同 6」の総括としての西尾先生の御講演を拝聴し、太平洋の覇権の歴史をめぐるダイナミズムへの展望を更に高く開けるところに引き上げていただき、深謝致しております。そして、思いをめぐらしております。

     京都大学の碩学達は、今次大戦を「国(同盟)対国(同盟)」ではなく「秩序(構造)対秩序(構造)」の戦いとして把え、また、米国は「戦争の永続化」を考えていた、と云うご指摘 そのように考えると、悪業(謀略)の限りを尽くして太平洋の覇権を握るに至った「米国」なるものは、「国民国家」としての米国と云うより、「金融資本」に使嗾されてきた米国と云うものではないのか。

     また、帝国主義的な覇権が、スペインから英国、英国から米国へと移ってきたのは、キリスト教文化圏の国家同士の角逐によるものと云うより、「ユダヤ金融資本」が「国際金融資本」として強大化する過程において、その寄生する拠点をスペインから英国、英国から米国へと移し、その国の軍事力を強化し外交手腕を悪辣極まりないものにして使嗾してきたことによるものではないのか。

     そして、それらの国々は、世界史に悪業を刻み込んで使嗾された末に徹底的に搾取されて衰退し、現に米国も衰退の流れに入り、「国際金融資本」は、次の寄生先として「中国」にシフトしつつあるのではないか。(その証拠に、米国内の根強い批判を尻目にビルダーバーグやCFRなどが主導して中国に巨大な資本と高度な技術を注入し続けているではないか。)

     また「秩序(構造)対秩序(構造)」と云うものに、その根底にある「世界観(神観)対世界観(神観)」と云う視座も加え、それを見据えながら考えて行くことが肝要ではないのか。
     そのような観点からも、検証をを進めて行く必要があるのではないかと考えております。

  4. 阿笠 力 さん、貴重な情報をありがとうございます。ブキャナンについては、『チャーチル、ヒットラー、と不必要だった戦争』という著作があり、すでに全訳を完了したひとが知人にいるのですが、出版社が見つからなくて、出せないとこまっています。貴方の引用で、ブキャナンはやはり世界史をしっかり見ている人だとわかりました。なんとかこの本も日本語で出したいと念願します。よい版元があったら教えてください。

    布袋和尚さん、仰せの趣旨はよくわかります。だとすると中国ははやくも見放されていて、件のパワーは再びアメリカに立ち戻っているのではないでしょうか。なお文中のビルダーバーグとOFRとは何ですか。すこし説明してください。

  5.  CFR(Council on Foreing Relations )は、吾が国では「外交問題評議会」などと訳される米国のシンクタンクです。1921年に設立され、米国各界(政財官学等)の有力者をメンバーとする会員制組織で、米国の対外政策の決定に大きな影響力を持つものといわれております。公式サイトもあり、権威ある外交誌「フォーリン・アフェアーズ」を刊行する表面の顔と、デビッド・ロックフェラーを総帥とするロックフェラー財閥、モルガン財閥等に支配され、特にCIAを使嗾して様々な謀略を主導したといわれる裏面の顔とを持つ存在でもあるといわれております。(ネットのウィキペディアで「外交問題評議会」で検索されると、その「外観」が紹介されております。)

     ビルダーバーグ(The Bilderberg Group、Bilderberg Society)は、吾が国では「ビルダーバーグ会議」などと訳され、欧米の政財界、王室、貴族等の有力者が毎年1回集まり、様々な国際問題を計る完全非公開の会議です。1954年に設立され、国際政治経済等に対する影響力の大きさから「陰のサミット」とも呼ばれる存在ですが、欧米至上主義・人種差別的な傾向が濃厚であり、また、会議の出席者リストや議題は公表されますが、会議の内容は非公開とされておりニュースとして流されたことはありません。
     この会議に、前者(CFR)で登場したロックフェラー財閥等の面々も参加しておりますが、前者の場合と異なり、彼等のみが「主役」ではないようです。(ネットのウィキペディアで「ビルダーバーグ会議」で検索されると、その「外観」が紹介されております。)

     先生の「だとすると中国ははやくも見放されていて、件のパワーは再びアメリカに立ち戻っているのではないか」とのご疑問について、勿論 小生も断言できるような見識は持ち合わせておりませんが、大筋として次のように考えております。

     「彼等」(国際金融資本)が、曽て「拠点」を英国から米国に移そうと計画し、それを着々と実行した流れの中で、現実(表層)の国際社会の動向からのその計画を正確に予見できた部外者は存在したであろうか。世界に冠たる「大英帝国」を世界の人々が眩しく仰視していた時、未開の北米大陸の大きな可能性に着眼し、そこに「ニューワールドオーダー」への拠点を確立しようとした「彼等」の先見の明は、恐ろしくも卓抜したものであった。

     現在、世界の耳目は、中国の政権(全体主義)と経済(資本主義)の矛盾を前提に、無理矢理な大躍進の末に巨大なバブルがはじけ大破綻するであろうと思い込んでいるようであるが(先頃も、中国経済の躍進は2008の北京五輪まで、或いは2010の上海万博までであろうと騒いできたところであるが)それは表層の観測に過ぎず、基本的に「中国には、10億人を超える人口とほとんど未開拓の経済市場があること、そして現在の中国人は「彼等」の「世界観(神観)に対する抵抗がほとんど無いであろうこと」から、「彼等」は、「中国が「ニューワールドオーダー」を目指す過程での「次のフロンティア」として相応しい」と決定して、途中の紆余曲折には逡巡することなく、着々と計画を進めているのではないか。

     以上のように考えております。これは、小生なりに、歴史を鳥瞰しての粗描的想像であり、それ以上のものではありませんが、現下、同憂の諸君達とともに研究会を立ち上げ、その検証に微力を注いでいるところです。

     余談ではありますが、最近 米国が、対中国政策を転換し「中国包囲網」を構築しつつある動向も全く表層のものであり、これは吾が国の安全保障にとって安心材料となるものなどでは決してなく、むしろ(極楽トンボの民主党政権下で)日本が無防備のまま「中国包囲網」の前線において明確に位置付けられ、近い将来、「彼等」の企図にもより、突発的軍事衝突と云う形で「裸の日本」が「重武装の中国」にぶつけさせられてしまう危機に遭遇させられるのではないか、と痛切に危惧するところです。

  6. 留学生の阿笠力さん、
     ブキャナン氏のコメントのご紹介ありがとうございました。
     また、日本人の読者に知ってもらおうと、日本語訳をおつけになった真摯なご努力に敬意を表します。
     わたしもブキャナン氏のファンで、ときどき同氏のブログを覗いたりしていましたが、この文章にはまったく気がつきませんでした。アメリカ人の立場で、真珠湾の70周年をこういう形で回顧することは、本当に勇気のあることだと思いますが、ブキャナン氏にはそれだけ自信があるのでしょう。
     わたしは日ごろ、日本で出版されていない海外の現代史に関する書物の概要をブログにつづっています。これまで数冊を手掛け、ブキャナン氏のーChurchil,Hitler and the Unnecessary Warという本を紹介しました。いまは、イギリス人のイアン・カーショウという人のーFateful Choices – Ten Decisions that changed the World 1940-1941 という本ですが、まもなく終わります。カーショウという人の本はブキャナン氏もご著作でよく引用されています。
    ご興味があれば、
    http://taka101209.blog85.fc2.com/
    (「現代史洋書briefing – by little-piper」)で検索してみてください。たまたま真珠湾70周年の12月8日に、1941年12月初旬のあたりにさしかかりました。
     さて、以下、今回のブキャナン氏のコメントをわたしなりに再訳してみました。阿笠力さんの日本語訳は充分意味が通じているので、屋上屋を重ねるようで、はなはだ恐縮ですが、ご参考にしていただければ幸いです。また同じ言葉を違って訳したりしていますが、文章の好みの問題なので、その辺はどうかお気を悪くされず、ご寛恕ください。
    * * * * *

    真珠湾はFDR(ルーズベルト)が挑発したのか?

     1941年12月8日、フランクリン・ルーズベルトは上下両院合同議会の演壇にのぼって、対日宣戦布告を要請した。
     前日の明け方、空母から発進した日本の航空機が、真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を壊滅させるという奇襲攻撃をかけていた。
     前任の大統領で、当時の政治家であるハーバート・フーバーは、「いまする仕事が一つだけある。日本を打ち負かすことだ」、と言った。
     しかし友人たちには、「この親分」は違うことをつたえた:「みんな知っていることだが、このガラガラ蛇をいつまでも突っついていると、しまいに噛みつかれるぞ」。
     今日、真珠湾攻撃から70年を経て、1943年から1963年までを対象とした驚くべき裏面史が脚光を浴びている。それは第二次大戦の戦前、戦中、戦後に何が起こったか、フーバーがその見方を示したものであり、それは多分、西欧世界の弔鐘を証明するものであるといえる。
     歴史家のジョージ・ナッシュの編集による、「裏切られた自由:ハーバート・フーバーの第二次世界大戦史とその影響」、はFDRとその側近たちに対する熾烈な告発書である。かれらは、次から次へと策謀をめぐらせて国民を戦争に追いこみながら、アメリカを参戦させないでおきたい、ととんでもない嘘をついた政治家たちだった。
     とはいえ、この本は論争を仕かける本ではない。戦争に至るまでを記す50ページは、フーバーの告発を証明するため、各方面の備忘録や文書を利用している。この本の説得力を示すには、フーバーが行ったことと同じ方法―年代順に、丹念に、週間ごとに追う方法が一番良さそうである。
     1941年夏の日本の情況を考えてみよう。中国との四年におよぶ戦争の泥沼にはまって、日本は戦争に勝つことも終わらせることも出来なくなっていた。仏印に対して行動を開始したが、日本はそれで終止符を打てるのではないか、と見たのである。
     政権の内部には、近衛文麿公爵を指導者とする有力な派閥があった。その一派は絶望的ではあったが合衆国との戦争回避に期待を抱いていた。
     「親英米」陣営は、その将官たちが第一次世界大戦を英米海軍とともに戦った海軍に拡がっていた。一方、陸軍、東条英機将軍と強硬な反米主義者、松岡洋右外相が好戦派の中心を形成していた。
     1941年7月18日、近衛は松岡を罷免して、「親英米」派の豊田貞次郎提督を後任に任命した。
     アメリカの反応:7月25日をもって、わが国は日本の在米資産をすべて凍結し、輸出入すべてを打ち止め、日本国民と帝国の依存する石油を禁輸する。
     近衛は驚愕したものの、陸海軍からの極秘の支持を得て、太平洋のアメリカ側でFDRに会ってアメリカの要求を聞き、それに対応するという平和政策を継続した。
     合衆国駐日大使のジョセフ・グル―は、近衛の提案を無視しないようワシントンに懇請した。かれは、近衛公爵が、インドシナ、華南、華中からの日本軍の撤兵に関する協定の締結は可能である、と信じていることをつたえた。東京は、引き続き華北は緩衝地帯とすることを望んでいる、と。
     8月28日、ワシントンの日本大使は、会いたいとつたえる近衛からの個人書簡をFDRに渡した。
     東京は、アメリカ側に、近衛の提案を秘密にするよう依頼した。太平洋を渡って首相がアメリカ大統領と会談するという提案が暴露されると、その政府が危殆に瀕することとなるからである。
     9月3日、近衛の書簡はヘラルド・トリビューンに洩らされた。
     9月6日、近衛は3時間にわたる晩餐で、再度グル―と面談し、アメリカが交渉の基礎として要求している四原則にいまや同意していることをつたえた。回答無し。
     9月29日、平和のチャンスを逃さないための大統領への「お祈り」とフーバーが名づけるメッセージをグル―は送付した。
     9月30日、グル―はワシントンに報告した、「近衛の乗艦は、ホノルル、アラスカないしどこへでも、大統領の指定するところへ出発する準備が出来ている」。
     回答無し。10月16日、近衛内閣は倒れた。
     11月、合衆国は、東京の二つの新しい提案を傍受した:中国との戦争とインドシナの占領を終結するA案、とそれが拒否された場合、日米が新たな行動を起こさないことを約する暫定協定を結ぶというB案。提示されたとき、これらも即時一蹴された。
     11月25日のFDRの戦争委員会における陸軍長官のヘンリー・スティムソンの発言が当時のコンセンサスを物語っている:「問題はいかにわれわれがかれら(日本人)を操っていけるか・・なるべくわれわれには危険がないように、最初の一発を撃たせるという・・」。
     「三ヶ月もあれば日本を地図から消せますよ」、海軍長官のフランク・ノックスは言った。
    グル―が予言したように、日本人、「ハラキリ民族」は、屈辱を受けるくらいならば、名誉のために国民的自殺行為を選ぶだろうことを証明した。
     近衛公との会談を拒絶したことから起こった戦争は、数万のアメリカ人死者、ヒロシマ、ナガサキ、毛沢東への中国の喪失、朝鮮、ベトナムにおけるアメリカの戦争、また昔日の超大国に一顧をもしない新しい傲慢な中国の台頭を招いた。
     われわれの世界を作りあげた歴史を知りたければ、一週間を、フーバー氏のこの本と一緒に過ごしましょう。

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