「江戸」がニーチェの続篇?
遠藤 西尾幹二といえば、やはりニーチェに関する論考が興味深い。ニーチェというと、読者の方は多少難しく感じてしまうかもしれないのですが、先生のニーチェ論を読んでいると、ご自身の自画像をなぞっておられるのでは、との印象を受けることがあるのですが。
西尾 膨大な史料に基く客観的研究であるのに、そんなふうに言われると困るのですが、実は私を知るある校正者からも「これは先生自身のことを書いているのではないですか」と告げられました(笑)。 第四巻に、私の『ニーチェ』二部作を合本で収録しています。私が第三部を期待され、今日まで実行できないことには事情がいろいろありましたが、今日は申しません。ただ、ここで申し上げたいのは、もうすでに第三部を書いているということです。それが第二十巻の『江戸のダイナミズム』です。
遠藤 「江戸」がニーチェの続篇?
西尾 私の心のなかではそうです。地球上で「歴史意識」というものが生まれたのは、地中海域とシナ大陸と日本列島のわずか三地点です。そこで花開いた「言語文化ルネサンス」は単なる学問ではありません。認識の科学ではない。古き神を尋ね、それを疑い、あるいは言祝ぎ、ときには背後に回り、これを廃絶し、新しき神の誕生を求めもする情熱と決断のドラマでした。 「神は死んだ」とニーチェは言いましたが、西洋の古典文献学、日本の儒学・国学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです。明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません。
遠藤 ここでも、「比較」という認識に基づいて考察されたわけですね。
西尾 そうです。このことを、東北大学名誉教授の源了圓先生が月報に「今度の全集の核心となるのは、『江戸のダイナミズム』である」とご指摘いただき、また、次のように述べて下さったことに大変感激しました。 〈一巻(『江戸のダイナミズム』)の中心となるのは本居宣長論であるが、小林秀雄の宣長論が世界の文明に心を開かないで、自己閉鎖的な態度で宣長論を書いていたのに対して、この巻で西尾さんはヨーロッパ、中国、日本において文献学がどのような仕方で展開したかを、広く、そして深く追求しようとしている。この西尾さんの問題追求は、今後取るべき規範であることはよく判り、そしてこの態度に私は共感した〉
福田恆存からの離反劇
遠藤 西尾先生は、小林秀雄をはじめ、福田恆存や三島由紀夫といった戦後を代表する評論家や文学者と実際に接して来られ、影響を受け、あるいはそこから離脱されようとした。最も影響を受けたのは、やはり福田恆存ですか。
西尾 若いときの無邪気な幻想ですが、小林秀雄はランボオとベルグソン、福田恆存はロレンス、私はニーチェだと、精神的血縁の系譜を秘かに思い描いていました。小林さんの文体は音楽と同じで、目を離すと消えて、概念で要約できない。その独特なアフォリズムの文体は福田恆存に受け継がれていますが、福田さんの文章は要約できないことはない。私はお二人の飛躍と逆理の文体を真似して、敗北感ばかりでした。福田先生から直に、お前の文章は中村光夫に似ているといわれ、どういうことか悩みました。結果的にはいま一番親近感を覚えるのは、三島由紀夫の評論文章です。 福田先生には公私ともに接し、二十六歳頃から私淑し、呪縛されました。先生の口真似のようなことまでしました。
遠藤 代筆されたこともありましたね。
西尾 ドイツ留学前の二十九歳の時、福田先生から、筑摩書房刊の『現代日本思想大系』第三十二巻『反近代の思想』(福田恆存編)の百枚解説文の下原稿を頼まれました。先生は発表に当たり、手を加えましたが事実上、代筆になりました。これは久しく秘事とされ、同解説文は二人のどちらの全集にも入れることのできない奇妙な文章に終わりましたが、先生は公明正大で、末尾に私の名を付記し、かつ月報(一九六五年二月)の原稿を私の名で書かせて下さった。第三巻「懐疑の精神」に収録した「知性過信の弊」が、その文章です。月報の書き手は二人いて、もう一人はなんと保田與重郎さんでした。 とにかく、福田先生は人間が立派でした。ご夫妻ともどもに立派でした。私の結婚式で大勢の著名な先生方にスピーチをいただいたのですが、亡くなった母から「一番愛情が籠っていたスピーチは福田先生だったよ」と言われました。
遠藤 ところがそこから、離反しようとあがく……。
西尾 先生から離反しなければ、私は一人立ちできないと考えていたからですが……、離反劇は私の一人相撲で、先生は案外、なにもお感じになっていなかったかもしれません。第二巻「悲劇人の姿勢」で、その点に触れています。
三島由紀夫との出会い
遠藤 その第二巻には「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」が収められていますが、この「素心」というのは大変良い言葉ですね。
西尾 角川版福田集に、先生ご自身で素晴らしい揮毫を書かれていて、それを使わせていただいたんです。先生はよく「私は素人、そして職人だ」と仰っていましたが、その言葉をよく表している言葉が「素心」であり、先生を表現する際、これに勝る言葉はないと思っています。
つづく
『WiLL』2011年12月号より