『天皇と原爆』刊行(一)

 私の新刊『天皇と原爆』(新潮社¥1600)が2月初旬に刊行されました。目次を掲げます。

  目 次
第一回   マルクス主義的歴史観の残骸
第二回   すり替わった善玉・悪玉説
第三回   半藤一利『昭和史』の単純構造
第四回   アメリカの敵はイギリスだった
第五回   アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか
第六回   日本は「侵略」国家ではない
第七回   アメリカの突然変異
第八回   アメリカの「闇の宗教」
第九回   西部開拓の正当化とソ連との未来の共有
第十回   第一次大戦直後に
      第二次大戦の裁きのレールは敷かれていた
第十一回  歴史の肯定
第十二回  神のもとにある国・アメリカ
第十三回  じつは日本も「神の国」
第十四回  政教分離の真相
第十五回  世界史だった日本史
第十六回  「日本国憲法」前文私案
第十七回  仏教と儒教にからめ取られる神道
第十八回  仏像となった天照大神
第十九回  皇室への恐怖と原爆投下
第二十回  神聖化された「膨張するアメリカ」
第二十一回 和辻哲郎「アメリカの國民性」
第二十二回 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
第二十三回 後期水戸学の確立
第二十四回 ペリー来航と正気の歌
第二十五回 歴史の運命を知れ

あとがき

【付録】帝國政府聲明(昭和16年12月8日午後零時20分)

天皇と原爆 天皇と原爆
(2012/01/31)
西尾 幹二

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 今日は二つの書評をお送りします。

 最初は都留文科大学教授・文芸評論家の新保祐司さんが新潮社の『波』(2012年・2月号)に書いて下さいました。もうひとつは私の高校時代の友人の、関東学院大学名誉教授・経済学者の星野彰男さんからの私信です。星野さんは私の竹馬の友で、アダム・スミスの専門研究家です。

 このお二人の論評は対照的で、星野さんは批判的読み方をしています。これらの書評に触れてでもよく、拙著を読んだ方の評文をコメント欄に期待します。

歴史哲学者の衷心からの直言

――西尾幹二『天皇と原爆』  新保祐司

 西尾幹二氏は、世間では保守派の論客ということになっているが、本書の中に天皇の戦争責任をめぐって「私は左翼の議論も、いわゆる保守の議論も、どちらも容認できない」と書かれている。この問題に限らず、氏は「いわゆる保守」の人ではないので、本書にあらわれている精神の相貌は、深い憂国の情をたたえた一人の歴史哲学者のものであるといっていいように思われる。

 時事的な問題についての発言も氏は積極的に行っているが、それも単なる時事評論家の解説の類ではなく、「歴史の運命は、私たちのこの目の前で今も起こっているんだということを、片ときも忘れてはいけないのだ」との、自らに課している戒律に基づいているのである。

 私たちの国は今、再び国体論をきちんと考え直さなければ切り抜けられそうにない時代にさしかかっている」という危機感から、本書の歴史哲学は生まれているが、その眼目は、日本とアメリカが戦った大東亜戦争とは、宗教対宗教の戦争であったとするところにある。

 これは、世界や人間を考えるときに、宗教という視点をほとんど考慮しない今日の日本人の盲点を鋭くついた議論である。「これまで日米戦争をめぐっては、政治的、外交的、経済的にはたくさんの説明がなされてきましたけれども、宗教との戦いが大きく背後にあったことは、あまり論じられておりません」と氏が指摘される通りであり、本書の歴史哲学の画期的な意義はそこにあるであろう。今日必要なのは、実証的な事実の検証を誇る歴史学ではなく、日本人に日本人であることの意義と誇りを回復させる歴史哲学であり、それは歴史の宿命を明らかにするのである。「外務省の文書館にそんな記録があるのか。ありませんよ。証拠はなくったって、まさにそれが歴史なんです。歴史とは、細かな実証的事実にとらわれてどうだこうだの閑話ではまったくないのだということを、よく理解していただきたいと思います」と語るのは、まさに信念に溢れた歴史哲学者に他ならない。

 「神のもとにある国・アメリカ」の章で詳しく論じられているように、アメリカとは「神の国」なのである。「進化論を信じられない人が極めて多く、現在でも神を信じる人が92パーセントにのぼるアメリカ」とあるように、アメリカは極めて宗教的な国といっていい。

 そして、次の章は「じつは日本も『神の国』」と題されている。日本思想史、あるいは日本宗教史に関する該博な知識と深い考察により展開されている日本の精神的本質についての議論は、今日の日本の危機的状況を鑑みるとき、極めて重要なものであり、日本の歴史と文化について考えるに際しての豊富なヒントを与えてくれるであろう。

 昭和の戦争を満州事変あたりから昭和20年の敗戦に至る期間に限定して論ずる今日の一般読書界に広く読まれている著者たちの言説に対する厳しい批判は、この昭和の戦争をもっと尺度の長い世界史の視野から見ることが必要だからである。期間をその15年ほどに区切れば、日本は「侵略」国家にされてしまうのである。17、18世紀から始まる西洋のアジア侵略がまず先にあったことを頭に入れようとしない。

 「日米戦争は、アメリカの強い宗教的動機と日本の天皇信仰とがぶつかり合った戦いにほかなりません」と結論づけられていて、「向こうは日本にサタンを見て、この国の宗教を叩きつぶそうと意識していたんですよ。ためらわずに原爆まで落とすくらいに」と、日本への原爆投下という最も恐るべき行為も宗教的動機があったからこそ可能だったとしている。この見解をはじめ、本書には苛烈な発言が多い。しかし、「我々は何かに大きくすり替えられて暮らしている。頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることができなくなっている。その現実を、しかと見ていただきたいと思います」とは、そういう発言をせざるを得ない著者の衷心からの直言であろう。

関東学院大学名誉教授(経済学)星野彰男

 このたびは、ご新著『天皇と原爆』をご恵贈下さり、まことにありがとうございます。表題からは、こういう内容であるとは想像できませんでした。日米間の宗教比較論や水戸学などこれまでに無い新しい見解が満を持したように披瀝され、大いに学ばせていただきました。これほど徹底した議論はこれまで触れてこなかったので、これをどう受け止めたらよいのか、正直のところ大変戸惑っています。

 M.ウェーバーの宗教社会学に近い面もありますが、内容的には正反対のようです。彼は、宗教改革→合理化精神→資本主義精神→「精神なき専門人」というテーマで、ヒンズー教、儒教、道教等と比較分析しましたが、基本は「合理化」論ですから、丸山真男や大塚久雄のような見方になりましょう。その点、本書はむしろ非合理的な情念、伝統、共同性、ナショナリズム、国家、祭事等を内容とした日本宗教論ですから、ウェーバーでは捉えきれない面を捉えています。その点は『江戸のダイナミズム』と同様です。むしろ、ウェーバーが批判したドイツ歴史学派の見方に重なると言えるかもしれません。

 ただしその分、アメリカの建国経過の否定的面が強調されました。そういう議論はわれわれの分野でも時々提起されますが、「今さらそれを言っても」という雰囲気です。土地所有観念の無い狩猟族に労働所有観念を所有する文明人(ホッブズでなくロック)が鉢合わせすれば、仮に日本人が殖民しても同じ結果になるはずです。したがって、われわれはこれを暗黙裡に「歴史の宿命」として黙認してきたようです。

 それと土地所有観念を有する国に殖民して現地人と争いになることは、かなり次元の違う問題でしょう。それらを混同したところに日本の殖民の無理筋がありましょう。日本、ドイツ、ロシア等にとって、もはや狩猟族の大地が残されていなかったことも、「歴史の宿命」ではないでしょうか?

 和辻哲郎にそういう客観的な見方があったでしょうか?あの状況下では無理でしょう。満洲殖民にそういう無理があったとすれば、そこにアメリカの投資を認めていれば、それで済んだかもしれません。その上で、欧米列強の植民地の門戸開放を主張すれば、アメリカもこれを認めたかもしれません。それがアダム・スミス路線で、矢内原忠雄はそれに近かったようです。しかしすべてが「宿命」であれば、言っても無駄なことで、敗戦も東京裁判もそうでしょう。だとすれば、ご説のようにこれからどうするかだけが問題となるでしょう。

 ご指摘のホッブズから、ロック(ルソー)→ヒューム→スミスに至り、宗教や政治を含む歴史を動かす動因は経済力にあることが解明されてきました。ウェーバーはその逆作用をも捕らえましたが、いずれにしても経済がポイントです。今はそれが金融過剰化によって危機的状況を迎えていますが、それは明らかにスミス路線から余りにも逸脱した結果です。したがって、そこにいかに戻すかに成否がかかっています。それを充分勘案した上での宗教や国のあり方が問われるのではないでしょうか?それらの極端な原理主義は経済にとっての妨げになり、自滅します。なお、これに関わる「書評」を発表しましたので、同封します。上記と多少か関わりのある議論があります。  不一

「『天皇と原爆』刊行(一)」への3件のフィードバック

  1. 転載「日本を壊そうとする人が居ること」を伝えていく必要が必要です。 より:

    米国も本土の人間は米軍撤退、日本再軍備が希望でしょうが、在日米国大使館や在日米軍関係者は、マスコミや在日朝鮮人を使って、日本を意のままに支配する利権を失いたく無いばかりに、日本を脅しつつける、米軍存続を希望すると思います。今、米国内部でせめぎ合いの最中かな?と。ただ財政難から撤退やむなしなんで代わりに持ってきたのがTPPでしょう。軍事でなく法律で日本を締め上げ、利権を確保するつもりのよう。
    最終的には日本を無防備にする分けには、いけませんから、再軍備と核レンタル料金を要求指示してくると。日本は当面はTPP回避、挑戦支那中国の危険性の認識、姦国のすりよりを跳ね返すこと、軍備に対するアレルギーを消すこと、など。幸い、マスコミの影響力が低下して来てるし、雑誌なども普通に保守的になりつつある、何んとかなるんじゃないかと。マスコミは姦に甘いが、確実に中韓嫌いは広まってます。

  2. 西尾先生を奉ずる読者の多いこのブログで、必ずしも先生の教えに忠実でない意見を申し上げる事は、又もや怒りや中傷を巻き起こすのではと、やや意気消沈の思いもありますが、一筆啓上。

    (一試論)
    あらゆる国には理想(神)があり、又行うところの現実があり、双方の葛藤がある。
    なぜ戦争が起こるか。
    ある国の理想(神)が、他の国の行う現実と葛藤を起こすから。
    なぜ負けるか。
    ある国の理想(神)と現実双方の”力”が弱いから。

    戦争は防げるか。
    防げる場合もある。理想相互(神々相互)の融和策によって。

    (先生に反対と思われる意見を述べるのも憎さからではありません。先生が日本で数少ない論争相手に成り得る人物だからというむしろ敬意からであります。)

  3. 小和田恒氏の記事読ませて頂きました。
    天皇制については、当方はそんなに大切に思っている訳ではないのですが、雅子妃の気まま、我儘には呆れ果てている者の一人です。
    小和田氏があの高齢で、まだ役職にしがみつくというのがずっと解せませんでした。雅子妃のmindがおもわしくないなら、余計身近にいて奥様共々心のサポートをすべきなのに(地理的に近いというだけでも随分安心感があります)、オランダにばかり執心する。事務次官のOBも数多いのだから、役職のポストも限られている筈。高齢の恒氏が何時までも居座っていては、下の者は迷惑千万でしょう。
    大野裕医師も謎です。日経にコラムを以前は4分の1ページ、今は8分の1ページほど持っているのですが、書くより前に彼女の病気を治したらどうか、と思ってしまします。最近は入試の事ばかり書いているのですが、自分は失敗してばかりいたが、今はこんなにちゃんとした地位の医者になっている、だから少々の失敗なんか気にするな、との事を何回も書き連ねるのです。今でも入試の夢を見るとか。バカじゃないの、50年昔の話を蒸し返すなんて。

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