宮崎正弘さんの書評
この馬鹿馬鹿しくて、だれた世の中に号砲一発、保守論壇も揺さぶる
西尾式爆発力をともなった問題提議、史観の再確立を呼びかける問題作♪
西尾幹二『天皇と原爆』(新潮社)
@@@@@@@@@@@@@@@いきなり近代史の総括的整理を西尾氏は次のように叙する。
西安事件から廬講橋事件、そして「スペインの内戦から第二次上海事変(1937年8月)まで歴史を動かしていたのはコミンテルンとユダヤ金融資本です。突如として英ソが手を結んだ欧州情勢はヒットラーの憎々しさだけでは説明できません。当時アメリカ大統領がコミンテルンの思想に犯されていたことは判明しましたが、英仏の政治中枢も同様であったかもしれません。スペインの赤化政府を応援し人民戦線に簡単に味方した欧米の知識人、アンドレ・マルロォやヘミングウェイ等の動きはやはり簡単には理解できない謎です。あの時代を神秘的に蔽ったコミンテルンの影響史と、それを裏から手を握った金融財閥の影を決定的要因と見ない歴史叙述は、やはり現実を反映しないフィクションにすぎない」
そうだ。スペイン内戦になぜマルロォは飛んでいって『希望』を書き、ヘミングウェイは『誰がために鐘は鳴る』を書いたのか、不思議でならなかった。名状しがたいムードに流されたか、あるいは日本でもマルクス主義が猛威を振るったように流行現象、知識人にもっとも伝染しやすい病気であったのか?
本書は日本の空疎な論壇やアホな「政治ごっこ」に明け暮れるぼんくら政治家、それを許容している大半の日本人にしかけられた凄まじい破壊力をもつ爆弾である。しかし多作で多彩なテーマを追う西尾さんが、またまた瞠目すべき題名の本書を書かれたわけだけれど、いったい何時、このような新作を構想され、準備し、執筆されているのかと訝しんだ。傍らで全集を出されている時期にもあたり、執筆の時間がよくおありになったなぁ、と。
本書の「あとがき」から先に読んで納得、これは二年がかりでテレビのシリーズで論じられた草稿に手を加え、TPPも話題の中にでてくるほどに時宜を得た政治的哲学的な装飾を施した新刊なのである。
読み始めて評者(宮?)はなぜか脈絡なく歴史家ポール・ケネディの『大国の興亡』という仮説を類推し、ついでポールの息子と日本に滞在中になした会話を思い出した(息子は日本に一年ほど研修できていた)。
そのとき、評者は或るラジオ番組をもっていたので、かれに出演を促し、英国人としての意見を聞いたことがある。
ちょうどパパ・ブッシュの湾岸戦争が米国の大勝利に終わって、ブッシュ政権は「ニュー・ワールド・オーダー」(世界新秩序)なる新戦略を盛んに吹聴していた。後にもイラク戦争に大勝利したブッシュ・ジュニアのときにネオコンが「リバイアサンの復活」を獅子吼したような戦捷の雰囲気があった。
しかし中東と南アジアでの米軍の結末はどうだろう。米国の栄光はすぐにペシャンコになり、イラクはシーア派にもぎ取られる勢い、アフガニスタンは宿敵ビン・ラディンを殺害した途端に撤退を始める。連続する無惨なる敗北、あのベトナム戦争のときの精神的トラウマが米国の輿論を覆い尽くし、イランが核武装するのを拱手傍観、経済制裁でお茶を濁しつつ、ホンネではイスラエルの空爆奇襲を待望しながらも、表向きは「イスラエルの空襲には協力しない」などと綺麗事を言いつのる。
やけっぱちの米国は口舌の徒=オバマを選んだ。彼の外交は素人であり、敗北主義であり、猪突猛進の米国が内向期の循環をむかえたかのようだ。
そのことはともかくとして、湾岸戦争の勝利直後、ポール・ケネディの息子に「世界新秩序なんて聞いて、どう思うか?」と尋ねると、「いやな感じですね。なんだかヒトラーみたい(に米国は傲岸である)」。さて本書で西尾さんが力点をいれて論じるテーマのキー・ワードは「闇の宗教」(米国)と「神の国」(日本)である。
米国は「マニフェスト・ディスティニィ」などという呪術的な闇の信仰にとりつかれて奴隷解放の名の下の南北戦争以後、西へ西へとインディアンを撲滅しつつ西海岸から太平洋に進出し、その際に最大の障害だったスペインに戦争を仕掛けてプエルトリコを奪い、キューバにスペイン艦隊を追い込んで殲滅し、運河を建設するためにパナマを奪い、ハワイを巧妙に謀略で合併し、そしてサモアの半分を奪い、フィリピンを奪い、その果てしなき侵略性を剥き出しにしつつ日本との戦争を準備したのだ。
日米戦争は始めから終わりまで米国が仕掛け、日本にとってみれば理由の分からないまま、米国の横暴に挑戦した。やむにやまれぬ大和魂の発露でもあった。
米国は最終的にシナの権益を確保するために満州を奪おうとして、日露戦争では日本を便宜的に支援したものの、日本が満州を先取りするや、猛烈に日本に攻撃を仕掛け、つまり『太平洋戦争』なるものは、米国の謀略で日本を巻き込んだ結末にほかならない。
米国が「正義、フェア」などと表面的には綺麗事を並べるが、その基本にある潜在意識は闇の宗教、やってきたことは正反対、おぞましいばかりの殺戮と侵略と世界覇権だった。
この文脈から推論すれば次なるシナリオとは、米国に楯突く中国といずれ米国は対決せざる得なくなり、その準備のために在日米軍の効率的再編を行い、日中離間をはかっていることになる。
こうした歴史観からすれば、対米戦争は日本が悪かったとか、シナへは侵略戦争だったとか、正邪が逆転している、いまの日本を蔽う自虐史観がいかに視野狭窄で政治的謀略に基づく利敵行為であるかが理解できる。
本書で西尾さんは「懇切丁寧」ともいえるほど平明で、しかし執拗に半藤一利らに代表される左翼似非(えせ)史観を糾弾しつつづける。
評者にとっては半藤とか、丸山真男とかは「正真正銘のバカ」という一言で、詳しく論ずるのも馬鹿馬鹿しいと思っている。「正真正銘のバカ」というのは「たらちねの母」のように枕詞である。しかし西尾さんは、これらの似非歴史家への批判を通じて、わかりやすい、正しい歴史観を説明されるのである。加藤某女史への適切にして舌鋒鋭き批判の展開も、国学の復活と視座からパラレルに揶揄される。西尾さんはこうも言われる。
「まだ国家が生まれていない十三、四世紀のヨーロッパ世界において、教会が『神の国』であったのと似た意味で、この列島で意識されていた『神の国』とは、一貫して天皇だった」、日本では「儒仏神という三つの宗教があって織りなす糸のように混じり合い絡み合い、とりわけ神仏が二つに切り離せないほどに一体化してしまったところに儒教が出てきて、仏教に支配されていた神道を救い出すというドラマもおこ」った。これが「江戸末期の水戸学、『国体論』の出現でした」ともかく一神教の「神の国」である米国は、「日本にサタンを見て、この国の宗教をたたきつぶそうと意識していたんですよ。ためらわずに原爆まで落とすくらいに。こっちは『菊と刀』みたいなことは全然考えてなくて、(当時の日本の論客らの総括では)アメリカは統計と映画の国と書いてあるだけ」で、「そんなことで勝てっこない」
だから言い訳がましくも強弁を張る米国の政治家とて、原爆投下は後ろめたいのであり、日本は米国に執拗にそのことを糾弾すべきであると西尾さんは言う。
しかも米国は日本に復讐されると恐れるがゆえに日本の核武装を防ぐために核拡散防止条約を押しつけ、NPT体制の構築でひとまず安心、しかしインド、パキスタンに続いて北朝鮮の核武装で「核の傘」が破れ傘になるや、日本が米国の核の傘は信用できないと言えば、おどろき慌てて「核の傘は保障する」とだけを言いにライス国務長官が日本へ飛んできたこともある。
西尾さんは本書の掉尾を藤田東湖の『正気の歌』を掲げて筆を擱いているが、本書を通読したあとだけに理由が深く頷ける。西尾さんは子供の頃、この正気の歌を暗誦していたというのも驚きだった。
○△ ○△ □○
番組名 :「闘論!倒論!討論!2012}
テーマ :「キャスター討論・漂流する戦後日本を撃つ!」
放送予定日:平成24年2月18日(土曜日)
20:00~23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
「Youtube」「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト
パネリスト:(50音順敬称略)
井尻千男 (桜プロジェクトコメンテーター)
小山和伸 (桜プロジェクト・報道ワイド日本Weekendキャスター)
鈴木邦子 (報道ワイド日本Weekend」キャスター
西尾幹二 (GHQ焚書図書開封)
西村幸祐 (報道ワイド日本Weekend・桜プロジェクトキャスター)
三橋貴明 (報道ワイド日本Weekend・桜プロジェクトキャスター)
三輪和雄 (桜プロジェクトキャスター)
司 会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
西尾先生の新刊、たいへん興味深く拝読し、いろいろな感動を受けました。
私は「宗教戦争」というものは、サタン的存在の絶滅を目指すものであると同時に、「絶対的な他者との出会い」という意味を非常に深くもっているものだと思います。「他者」という言葉の意味は非常に両義的です。日本人は友愛とか恋愛とか共生という意味あい、「他者=可能性」という言葉をとらえることが多い。
それは必ずしも間違いではないんですが、一神教的な宗教戦争の次元での「他者」というものは、得たいのしれないもの、理解不能なもの、つまり不可能性の証としての存在を意味する。哲学史でいえばヨーロッパの実存主義哲学なんていうのはキリスト教世界の他者不信に起源をもつのでしょうけど、私はアメリカの対外進出を宗教戦争と考える場合、日本というのがアメリカにとってはじめて出会った「他者」であるかもしれないということが、西尾先生のこの書でのきわめて斬新な歴史観の第一の感想です。
よくナチスドイツはヒトラーを筆頭にして、本心で日本を徹底的に差別していたといわれます。けれどヒトラーの側近中の側近のシュペーアの自伝で非常に印象深い場面があって、ヒトラーは繰り返し「有色人種(日本人)と組まなければならないのは残念だ」といいつつ、「しかし少し前の時代はイギリス人だって日本と組み日本を利用していたんだから私達がとやかく反省する必要もない」とも言い、客観的にみて日本は列強級の強国である、ともいるんですね。
西尾先生は第二次大戦の欧州戦争はある意味で「宗教的内戦」だといわれていますが、私はヒトラーの言葉の二枚腰に、宗教戦争に老練であり、「他者」というものの扱いに冷徹であるヨーロッパ人の蓄積を感じます。「宗教戦争」と「宗教的内戦」というのはもちろんまったく違います。宗教戦争に慣れすぎるほどに慣れていて、「他者」なるものへの不信にふりまわされてきたヨーロッパ人だったら、「他者」の絶滅をはかろうとは逆に安易に考えないでしょう。ナチスドイツを例にすれば、ユダヤ人にしてもスラブ人にしても、日本人ほど遠い「他者」ではない。つまりあのジェノサイドはやはり宗教戦争ではなく宗教的内戦の一種だったということです。するとたとえば、ナチスドイツが何かの事情で日本と全面交戦状態になり、そしてドイツが原爆を有していたら、それを使ったのか、という問題があります。私はドイツは決してアメリカのように「未熟」には使わなかっただろう、と思います。
中国とアメリカは神話の不在(アメリカの場合は神話の閉じ込め)という面で重要な共通項をもっていて、キリスト教布教の可能性という面に単純にアメリカナイズの基準を置くアメリカにとって、日本より親近感のある存在だった、という西尾先生のこの書での指摘は非常に素晴らしいです。アメリカは中国では「他者」に出会うことがなかったんですね。アメリカと中国の精神的連帯性を説く言説を私はたくさん読んできましたけれど、その根幹をこれほど明晰に表現した論説を私は他に知りません。原理主義はあっても神話はない(だからキリスト教もかなり広まっている)韓半島も、アメリカの「他者」にはなりえなかった、ということでしょう。アジアの国々のそういう精神的土壌が、アメリカの「未熟」を逆に育成してしまった、といったらいいすぎでしょうか。
「宗教国家アメリカの未熟」ということで思い出すんですが、自分は高校生のとき、何を思ったか近くのモルモン教会に一年間くらい、入信の話抜きという約束付きでよく遊びにいったことがあります。よく知られるようにモルモン教会派というのはアメリカでは一大勢力を有していますが(政治的には共和党右派の有力支持団体です)アルコールやニコチンだけでなく、カフェインまでも摂取を禁じる(だからコーラもコーヒーもお茶も飲まない)戒律なんですね。もちろん妊娠中絶、婚前交渉、離婚に対しても厳しい攻撃をする。世界的にみてもかなり原理主義的なキリスト教会派の一つといえます。
日本人の感覚からすると、イスラムやヒンズー以上の禁忌を守りながらアメリカの会社や軍隊でよくやっていけるなあと思うのですけれど、それとは別にモルモン教会派のたいへん面白いのは、「白人聖人伝説」といって、キリストが紀元後まもなく、北米大陸にも現れた、という神話伝説を根強く信奉しているんですね。この神話伝説が、ネイティブアメリカンであるインディアンを入信させるためにたいへん都合よく働きます。キリスト教原理主義的戒律を有し、しかも白人優位でありながら有色人を取り込める神話を有しており、そして北米大陸そのものを中東の次のレベルの聖地であるという、「宗教国家アメリカ」そのものような会派なんですね。私は当時は面白がりながらモルモン教のアメリカ人宣教師の説話を聞いていましたが、先生の本を読んだあとで考えれば、あれも未熟なる宗教国家アメリカの、日本への精神的侵略の一つだったかもしれないですね(笑)
パールハーバーや原爆に関しての複眼的視点の展開ということももちろんありますが、日米戦争をこのような「宗教戦争」と観ることで、天皇万歳といった戦時下の精神的掛け声の理解あるいは古代神話の尊重ということに関しても、今までにない階段からの接近が先生のこの書からできていくでしょう。違う形になるかもしれないし、なりつつあるといえるかもしれませんが、近未来の次のステージの日米対立も宗教戦争になるに違いない、と私は思います。