『週刊新潮』の記事

 『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。

 「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事

雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。

 雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。

 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。

 安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。

 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディギャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。

 平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。

 要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。

 傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。

 すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。

 アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。

 理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。

 自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。

 運が悪いことに、皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら皇室は「無私」の象徴であるからだ。天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。

 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。

 確信犯的無信心の徒

 雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。

 皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。

 日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、国連に関係する仕事であるらしい。何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。

 女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。

 私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
 

「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30~50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ」

「『週刊新潮』の記事」への6件のフィードバック

  1. 先日、シアターテレビジョン「やらまいか」で山田宏さんを招いての橋下論を拝見しました(ニコニコ生放送で今も視聴できるようです)。チャンネル桜とは違い、疑問符を付けながらもおおむね橋下市長に肯定的な進行で、納得いくものでした。

    堤さんが彼の著作『まっとう勝負』から抜粋した文章に参加者の皆さんが困惑していたのが印象的で、少し思うところがあったので書きます。

    私は橋下さんがテレビで初めて登場した頃、たぶん2001年だったと思いますが、大阪朝日放送『ワイドABCDE~す』をよく見ていたので、彼のテレビ登場黎明期を知っています。とにかく彼を初めて見たときの印象はただただ嫌悪感の一言。金のことしか考えてない弁護士という印象。ウケを狙って知名度を高めて本業の弁護士で客を集めようとしているのだろうが、まあこれほど嫌悪感を感じさせるキャラクターでは、半年でブラウン管から消えるだろうな、と思っていました。正直、ホリエモンよりひどいキャラだったです。ところが、彼のすごいところは知識の吸収だけではなく、人格やふるまいの洗練のさせ方で、半年、一年たった頃には、そういった嫌悪感は消えうせていました。

    その後、彼は全国ネットに進出し、生存戦略として髪を茶髪に変え、ぼろぼろのジーンズにサングラスといった格好で、見かけ上はますますちゃらちゃらした弁護士になったわけですが、天性の明るさに加え、妙に謙虚なところや可愛げも身につけて、人格、ふるまいがどんどん進化していくんです。

    私は『まっとう勝負』を読んでないので推測ですが、堤さんがおっしゃるように当時の彼の本心ではないかと思います。週刊ポストの連載を単行本化したものなので、連載当時はまだノンポリでろくでなしの頃であったと推定できます。

    宮崎哲弥さんもデビュー時は傲慢な左翼系知識人だったそうですが、あらゆるテレビ番組に出続けているうちに思想や持論が矯正されていったと、ご自身が告白してました。お二人とも『たかじんのそこまで言って委員会』に出続けたのが大きいと私は考えています。

    知事も経験し成長した今の橋下さんなら、堤さんが紹介した一文は全否定するんじゃないでしょうか。

  2. 西尾先生、
    わたしにはまだ理解できないことが多々ありますが、素晴らしい論評を拝読させていただき、当ブログにそのままコピーしました。今後もこういうことをしてしまう可能性があります。ご迷惑なら削除しますのでそのときはご一報下さい。なお、趣味的なゴルフのブログですのでこういう政治的な趣旨の内容には興味を示さない読者も多いということもあり、少し時間が経過すれば過去の記事に貼り付けることがあります。
    私はニーチェとショウペンハウエルを両方愛することは出来ません。しかし、過去にショウペンハウエルの翻訳がご縁で先生を知ってからブログ等で再会するという因縁に対し、神に感謝しています。
    今後ともよろしくお願い致します。

  3. 西尾先生、時あるごとにご助言いただきありがとうございます。
    雅子妃殿下への批判が、保守からも単なるバッシングととられる傾向があり、今回は先生の思いが深く皇統への憂慮に基づくものであると読み取れ、一般へ向けての貴重な寄稿であったと思います。

    特に後段が重要でありますが、少し思うことがあります。
    『大御心』と今上天皇の御心とが、異なってしまった場合に歴史の重要性からみて大御心に従うべきであるという竹田恒泰氏の言葉を知り、先生にもお尋ねしましたところ、竹田氏と同じお考えで、ここにある2005年の朝日新聞への寄稿を知りました。
    私自身はそのような先生の覚悟を知り、同じ考えに決断した次第でありますが、未だに釈然としないものがあります。

    天皇の歴史の連続性の中で、近代(明治)以降の時代の変化で、天皇を支える日本の社会は様変わりしていると思いますし、敗戦後はなおさらです。
    新たな時代における『大御心』というものは、新たな時代に生きる私が判断できるものなのであろうかと考えてしまいます。
    今上天皇の御心が『大御心』の一部であるのか、あるいは『大御心』に相反するものなのかという判断は、大変慎重を要するものだと思うのです。

    もちろん天皇制度をやめるとか、宮中祭祀をなくすとか言った場合は論外ですが、今問題になっている「女性宮家創設」のことは、『大御心』に反すると即断できるものなのでしょうか。
    「女性宮家創設」が『大御心』に反するとすると、もしかすると近々にも現皇室に対峙しなければならなくなります。

    昭和天皇が戦後すぐに、皇居脇で天皇制反対を唱える者たちを側近が排除しましょうか、とお伺いをたてたところ、「あの者たちも日本人である」とそのままにしておくように申されたと言います。
    私はこのエピソードに新しい時代、近代民主主義の時代における『大御心』の一部をみてしまいます。
    こういう皇室であるからこそ、左傾化した今の時代でも絶大な国民の支持を得ているのだと思います。

    私は、現皇室は歴代天皇家の中でも素晴らしい御一家であろうと考えており、その御一家を多少安定させる意味で「女性宮家創設」は認めても良いのではないかと考えています。
    竹田氏は最近のテレビコメントで公務の軽減には繋がらないと言われていましたが、天皇家と一民間家では、親娘の依存の距離感がだいぶ違うと思います。小和田家はその点が無頓着のようですが、それが近すぎても困ります。
    もちろん、「女性天皇・女系天皇」への移行の道は、厳に閉ざさなければなりません。

    そして「女性天皇・女系天皇」の問題はどうなのでしょう。
    これは次代の出来事となるでしょうから、今はまだそこまで考えたくありません。

    西尾先生におかれましては、お体を大切に益々ご活躍ください

  4. この記事が載っていた新潮を読みましたが、当時陛下の入院に際し小和田夫妻が突如帰国、マイカーで皇居に突撃記帳(笑)した事が実にタイムリーでしたね。
    彼らが何を考えていたのかは知りませんが、通常プロトコルを重視するであろう国際職についている割に実に奇妙な行いだったと思います。
    まさか手術担当医が旧知だったということで、畏れ多くも陛下に親戚顔で先輩風でも吹かせようと思っていたのでしょうか。
    一般人には考えも及ばないことですが、今までの行状(皇太子妃父君生誕の地の石碑・手形入りを建立http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1300462894588.jpg、ハーグでは菊の御紋まがいのイスを用意するhttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1317675199666.jpg等)から、
    自分達を準皇族という勘違いをされていても不思議はありません。

    さらに不敬に感じられる事には、帰国してから一切消息を絶ち、陛下が確実に退院されるまで国内に滞在していた事です。
    巷では東宮御所に潜伏しているのではないか、そうすると陛下の代行業務を東宮御所でするという皇太子殿下に影響があるのではないかと噂されていました。
    開胸の大手術に挑まれる陛下のことは十分承知しておられたはずなのに、当時「フランスの水フォーラムに私的に訪問したい」などとおっしゃっていたこともあり、鬼のいぬまにフランス行きにハンコポーン!という疑いすら囁かれていました。

    これは以前、オランダ静養をなさった時の「前科」があったからです。(よく海外にさい自由に行ければ病気は治る、というような言い方をされていますが、オランダで税金を大枚はたいた成果は依然として見られませんね)

    何より際立ったのは、実の息子であり、次代を背負う身でありながら、あまりにも両陛下に対する姿勢が冷淡に思えた事です。
    支える、という心遣いが微塵も感じられず、あろうことか「見舞いに行く、行かない」というレベル。
    秋篠宮殿下や清子さまのフォローに対する心配りも感じられませんでした。

    よく皇太子殿下をさして「マイホーム主義」などと報道されていますが、本来公人である皇族、ましてや次代には許されない主義であることは明らかです。
    大体本当のマイホームパパは仕事をしないで娘の参観日に4時間粘着したりしません。
    一生懸命公務に励む父の姿を見せる事こそ、愛子様への一番の教育になると思っているのですが、子どもにベッタリとくっつきさえすればいいという殿下、妃殿下の考えは正直理解できません。

    現在の女性宮家問題も、先生のおっしゃるとおり原因は雅子妃にあります。
    日本全国の子どもを持つ女性はみな仕事をし、家事をし育児もしています。
    日本最高の地位の重責がないとはいえ、それはどの女性も同じだと思っています。
    家事をする必要がなく、最高の育児係が複数つき、公務も免除されている状態でいまだ環境のせいにしている姿を見ると、とても敬愛の対象とはなりません。
    現状が続くようでしたら、その対象は皇太子殿下にも広がっていくでしょう。
    打破するには速やかな離婚、もしくは皇位継承順を変えていち宮家として生きていかれるほかはないように思います。

  5. >母さんによる徒然・・・さま
    コメントありがとうございます。

    古い記事ですが、良く読んでくださいました。

    そちらのブログにもお邪魔してみました。
    普通の母さんが発信する常識が最も大切ですね。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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