第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(一)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」の録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

 真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー             文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 幸田露伴に「骨董」という文章がある。これは、一つの定窯(宋の時代に定州の窯で焼かれた)の宝鼎をめぐって展開された明末の実話をもとにして書かれた作品であり、その宝鼎は、「実際無類絶好の奇宝で有り、そして一見したものと一見もせぬ者とに論無く、衆口嘖々として云伝へ聞伝へて羨涎を垂れるところのものであった」という。しかし、「その宝鼎を見て感動したある人物が作った複製品が、本物と寸分違わぬ出来映えであったために、思いがけない経緯により、やがて、本物として独り歩きをし始めてしまい、本物とニセ物の区別がつかなくなってしまったが、代を重ねるうちに世間ではその委曲を誰も知らなくなってしまった」という話が書かれている。
小林秀雄の「真贋」その他のエッセイは、露伴のこの一文を下敷きにして書かれた作品であり、本物と見定めた物が贋物であったり、贋物と鑑定された物が本物であったりすることが興味深く書かれている。

 露伴は坦々と書いているが、小林さんは「所謂書画骨董といふ煩悩の世界では、ニセ物は人間の様に歩いてゐる。煩悩がそれを要求してゐるからである」という面白い言い方をしている。
「真贋」の冒頭で、良寛の「地震後作」という詩軸がニセ物と分かり、一文字助光の名刀で縦横十文字にバラバラにして了った話が書かれているが、小林さんは、更に「一幅退治してゐる間に、何処かで三幅ぐらゐ生まれてゐるとは、当人よく承知してゐるから駄目である」、「ニセ物は減らない、本物は減る一方だから、ニセ物は増える一方といふ勘定になる、ニセ物の効用を認めなけれは、書画骨董界は危殆に瀕する」とも書いている。

 また、「ニセものというのは素人の言い方で、玄人はそんなことは言わない。二番手だとか、ちと若い、これはイケマセンねと言ったりして、決してニセものとは言わない」。
 
 このような話が沢山書かれていて、皆さんも知っての通りですが、小林さんも相当イカレてしまった人である。

 小林さんは、ある日、知り合いの骨董屋で、李朝の壺がふと眼に入り、それが激しく自分の所有慾を掻き立て、逆上して、買ったばかりのロンジンの最新型の時計と交換して持ち帰った。「今から考へるとこれが狐が憑いた始まりだ」と言っているが、骨董いじりとはそういうもので、現代の知識人は「古美術の鑑賞」というが、しゃらくさい。「本当に好きになること、『好き』と『嫌いではない』との間には天地雲泥の差がある」と言っている。
 
 「美術館で硝子越しに名画名器を観賞して、毎日使用する飯茶碗の美には全く無関心でいる」、そんなのは駄目だと言っている。

 小林さんは、トルストイのクロイチェルソナタの話を出して、トルストイは「音楽にしても美術にしても芸術作品というものは体を躍らせるものである」と書いているそうですが、だから、「行進曲で軍隊が行進するのはよい、舞踏会でダンスをするのはよい、ミサが歌はれて、聖餐を受けるのはわかる」だが、普通の音楽「クロイチェル・ソナタが演奏される時、人々は一体何をしたらいいのか。分けの解らぬ力を音楽から受けながら、音楽会の聴衆は、行為を禁止されて椅子に釘付けになってゐる」。ニセ物をつかまされたり、家中が焼物だらけになったり、家庭をかえりみなくなったりする、言わば狂気に近い骨董いじりの世界は、体を使ってぶつかる、そう云うことをしないで、頭だけ、目だけキョロキョロさせて、絵画の美とも日常生活とも関係のない現代知識人の芸術鑑賞とは一体何事だと言っている。

 小林さんのこの一連のエッセイを読んで皆さんもきっと感じると思いますが、小林さんはこうも言っている。
 
 「美は信用であるか。さうである。信用されていれば美は成り立つが、美という客観的な評価はない。人がそれに感動すれは本物である」。本物がニセ物になったり、ニセ物が本物になったり、めまぐるしく入れ替わるわけで、本物とニセ物の定義はない。自分にとって本物であればそれで良い。つまり、このことは、ある種の、美の評価に対する無政府状態を言っているようなものである。しかし、それが美に対する行為ではないか。

 行為を禁止された美術鑑賞にはトルストイは疑問をもっているが、我々は外国に行った時、美術館で大量の作品を、限られた時間に見るが、そんなことで感動することは出来ない。逆に疲労感を伴うものである。
 
 疲労感を伴うような美術鑑賞とは、美が人に愉快な行為を禁じて、人を疲れさせるとは、なんと奇妙なことだろう。

 小林さんは、ゴッホの「烏のいる麦畑」の絵は、後に見た本物よりも自分が持っている複製画に感動したと言っているが、我々は、翻訳で外国文学を理解し、レコードで西洋音楽を観賞し、複製品の美術全集で絵画を見る。それでも感動するときは感動するし、本物を見ても感動しない時は感動しない。ある意味、すさまじい話で、無政府状態と私は言いましたが、美に、明確な、客観的な標準や基準はない。

 小林秀雄と坂口安吾の対談で、安吾は「僕は歴史の中に文学はないと思うんだ、文学というものは必ず生活の中にあるものでね。モオツァルトなんていうものはモオツァルトが生活していた時は、果たして今われわれが感ずるような整然たるものであったかどうか、僕は判らんと思うんですよ。つまりギャアギャアとジャズをやったりダンスをやったりするバカな奴の中に実際は人生があってね、芸術というものは、いつでもそこから出て来るんじゃないか」と言い、骨董いじりに狂っておつにすましている小林に対して、気取っていやがると噛みついている。
 
 それに対し小林さんは「骨董趣味が持てれば楽なんだがね。あれは僕に言わせれば、女出入り見たいなものなんだよ、美術鑑賞ということを、女出入りみたいに経験出来ない男は、これは意味ないよ。だけども、そういうふうに徹底的に経験する人は少いんだよ。実に少いのだよ。・・・・・狐が憑く様なものさ。狐が憑いてる時はね、何も彼も目茶々々になるのさ。・・・・・結構地獄だね。」と答え、「これは一種の魔道でもある」とも言っている。     

 更に、「それに、あの世界は要するに観賞の世界でしょう? 美を創り出す世界じゃないですよ。どうしてもその事を意識せざるを得ない。此の意識は実に苦痛なものだ。これも地獄だ。それが厭なら美学の先生になりゃアいいんだ」と言って、批評家の悲しみや絶望も語っている。この辺に、小林さんの芸術と人生のすべてが語られているように思いますが、また、「自分は感動して、それを言葉に表しているだけで、創作は出来ない」と言い、一方では美を創り出す人に劣等感を感じている。でも、「自分は体で美を感じているのであって、頭で感じているのでは駄目だ」と言っている。

 また、「僕は陶器で夢中になっていた二年間ぐらい、一枚だって原稿を書いたことがない。陶器を売ったり買ったりして生活を立てていた」とも言っている。
 
 小林秀雄の人生とは、そういうものだったと思いますが、この坂口安吾との対談が大変面白いのは、小林さんが自分の弱点をさらけ出しているところにある。
 
 この対談の中で、小林秀雄はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャに感動して、「アリョーシャって人はねえ、あれは凄いよ、我慢に我慢をした結果、ポッと現れた幻なんですよ。鉄斎の絵に出てくる観音様だね。アリョーシャを書けるのはただごとではない。自分は、今は自信がないが、将来はそこまで書きたい」と言っている。更に彼は批評家であって、小説家ではなくドストエフスキーにはなれないのに、「アリョーシャを書きたい、俺の人生はそれが目的だ、駄目かもしれないが本当の俺の楽しみはそこにある。楽しみってつらいことだ」とまで言っている。
 
 この大矛盾が小林秀雄の人生である。これはすばらしいことでもあるし、小林さんの弱点でもあった。

 彼にとって芸術作品というものがあって、芸術作品を自己がどう感じるか、芸術作品と自己の対決が小林さんの人生、頭ではなく体で、行為で、骨董いじりも行為であった。実際彼の作品は私小説的である。

 彼は、客観的に認識することを一段低く見ており、彼の場合は体で、行為することが知ることであると考えており、この頭脳の世界でない「体で」ということは福田恒存、三島由紀夫にもつながっている。

つづく

文章化担当:中村敏幸

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です