第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(二)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

  真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 小林秀雄は、ある学生たちとの対話の中で、多くの仕事を残してこられた先生の生き方がどのようであったか、と問われると「これまでの一生を振り返って見ると、僕は計画の立たない人生であった」と語っているが、小林さんは、先ず一つの明瞭な感動があり、芸術作品等との感動と次々に出会いそれを追い求め、その感動を如何にして言葉にするかが彼の人生であり、計画の立たない人生であったというのです。

 また、こうも言っている。一体、自分とは何かということですが、「何を書いても結局自分しか出て来なかった」、単に自己をさらけ出した自己表現、そういう自己表現では駄目だということです。自分を出さなければいけないが、同時に自分を殺さなければいけないし、自分を捨ててかかっている。だが、結局は、やっぱり自分しか出てこない。

 小林さんは、更に「感動した時はいつも統一している。分裂しているものではありません。感動した時には世界はなくなって、いつも自分自身になる。何を書いても自分しか出てこなかった」と言っていますが、自分自身になることは一種のパーフェクトなものになることです。

 さっきの坂口安吾との対談での中でも「信仰するか、創るか、どっちかだ、それが大問題だ」と言っている。これはとても凄い言葉で、感動するということも同じ言葉です。

 福田恆存が「小林秀雄の考えるヒント」の冒頭で次のようなことを書いている。
「人は一寸先が闇であるようにしか生きられない。われわれが道を歩いているとき、一里先の山道に目を奪うような桜の大樹があることを、われわれは知らない。それに出会ったときの喜びが人に伝わらぬような書物は、真の書物とはいえない。小林の学問は、真の書物に出会った際の、生きた感動を語った経験録であり、そのために小林は結果を予想して考え書くということを、自らに禁じている。考えるとは頭で考えることではなく、行為することと同じである」
 
 計画を立てない。行き当たりばったりである。考えることはそれ自体が目的である。考えることは運動すること行為することと同じである。

 また、福田恆存は「人間・この劇的なるもの」で次のように書いている。
 「役者のせりふは、戯曲のうちに与へられてをり、決定されてゐる。いひかへれば、未来は決まってゐるのだ。すでに未来は存在してゐるのに、しかも、かれはそれを未来からではなく、現在から引き出してこなくてはならぬ。かれはいま舞台を横切らうとする。途中で泉に気づく、かれはそれに近づいて水を飲む。このばあひ、気づく瞬間が問題だ。泉が気づかせてはならない。かれが気づくのだ。かれが気づく瞬間までは、泉は存在してはならないのである」

 小林さんが桜の大樹に出会うようにして、一冊の書物に、驚きをもって、感動をもって出会うのと同じように、そこを、役者は演技でもってこれを表現しなくてはならないという、福田さんの場合には、演技論というもう一つの課題があると私は思います。

 坂口安吾は対談の最後に、「福田恆存に会った。小林秀雄の跡取りは福田恆存という奴だ、これは偉いよ」、「あいつは立派だな、小林秀雄から脱出するのを、もっぱら心掛けたようだ」と述べ、それに対し、小林は「福田という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだ」と応答し、安吾は「あの野郎一人だ、批評が生き方だという人は」と述べている。

 批評家は小林秀雄と福田恆存だけであった。中村光夫、江藤淳など色んな人が出たが、批評は生き方だという姿を見せた人は小林秀雄と福田恆存しか居ない。他は皆、学者でなければ解説家に過ぎなかった。
 
 ところが、福田さんは小林さんと違った面があり、二元論的対立相克の世界である。自由と宿命、行為と認識、生と死、善と悪、理想と現実、個人と集団、政治と文学、本物とニセ物を大変な対立概念で取り組んだか、小林さんはそんなことはしない。

 小林さんは本物とニセ物、真贋というものを出したが、福田さんはこれに囚われた。囚われたと同時に大きく展開した。

 小林さんは芸術作品の対象の選び方が自由奔放で、天才の乱捕りと悪口も言われた。「ゴッホ」を書いたと思ったら「福沢諭吉」を論じ、そうかと思ったら「実朝」というふうに、無差別に取り組み、西洋と日本の基軸の対立はなかった。無差別で自由奔放であった。

 しかし、福田と三島は西洋と日本の関係に対する取り組みは、はるかに深刻で悲劇的であった。どんどん対立軸に追い込まれて、自分をその中に追い込んで行った。そこが、小林さんと福田さん、三島さんとの違いであった。

 しかし、それは小林さんの弱点でもあった。かれは歴史意識を問題にしたが、遂に歴史を自ら叙述することはなかった。彼自身は古代学者ではなかった。古代と戦った本居宣長等を対象としたに過ぎない。しかし、福田恆存、三島由紀夫は実作者であった、福田さんは劇団の主宰者でもあった。三島さんは盾の会を主宰した。つまり、具体的な行動家であった。

 小林さんは、大正文化主義、或いはまた学者的な有り方に対し色々悪口を言いましたがそういう世界に片足を突っ込んでいた人だと言えないこともない。

つづく

文章化担当:中村敏幸

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