「西村幸祐放送局」という、西村さんが主催する個人広報のYou Tube中心のブログが立ち上がり、すでに活動を開始しています。今度そこに「西尾幹二の世界」という新しい企画が始まり、第一回が放送されました。このような取り組みがなされたことに対し、謹んで西村さんに感謝します。
お知らせ
西尾幹二全集刊行記念(第4回)講演会のご案内
西尾幹二先生のご全集の第4回配本「第3巻 懐疑の精神」 の刊行を記念して、下記の
要領で講演会が開催されますので、是非ご聴講下さいますようご案内申し上げます。
記
演 題: アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか?(戦争史観の転換)
日 時: 9月17日(月・祝) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
(途中20分の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)
会 場: グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)
入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)
懇親会: 講演終了後、西尾先生を囲んでの有志懇親会がございます。どなたでもご参加
いただけます。 (事前予約は不要です。)
午後5時~午後7時 同 「珊瑚の間」 会費 4,000円
お問い合わせ 国書刊行会 (営業部)電話 03-5970-7421
FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp
この「西村幸祐放送局」における「西尾幹二の世界」という番組は、とても良い企画だと思います。とにかく西尾先生の話と西尾、西村両先生のやり取りが面白くて興味深くて、私はすでに数回繰り返して拝聴させていただきました。
「ヒットラー後遺症」と「大江健三郎の幻想風な自我」という二つの論文が四十余年の時を経て『西尾全集』の中に復活したお話は、凄いドラマですね。また、西尾先生の文体が二十六歳で確立されるまでの間に、観念が肥大化した「青春の混乱」の時期を経験されたという最後のお話も、私のような凡人には貴重なものだったと思います。
文体が五十年間変わらないというのも凄い話ですが、西尾先生の自信に満ち溢れたように見える堂々とした態度も変わらないですね。今回の番組で話されている西尾先生の横顔が、『ヨーロッパの個人主義』の裏表紙に載っている四十数年前の若々しい西尾先生の写真とそのまま重なって見えたように感じたのは、果して私だけでしょうか?
西尾先生、西村先生、いい番組をどうもありがとうございました。次回も期待しております。
西村氏のご配慮による、西尾先生の全集の紹介の映像、拝見させていただきました。現代はまさに光ネットワークに支えられている社会。そんな時代の中で、分厚い書物として、思想を形に残すその意義を、先生はまず語られていました。
時代を逆行するかのような仕事だと、批判に近い意見も身近なところから受けたと語られていましたが、しかし、先生がおっしゃるように、まだ生存中の作者本人が、全集の編集に関わる事の意義がとても大切な事なんだというコメントに、私は大いに頷きました。
おそらく先生は、ご自身の作品群には、様々な角度から探究できる要素を内包している自信をお持ちなんだろうと思います。これを少し説明しますと、つまり先生の作品は先生の思想だけに留まらず、先生が研究されてきた過去の思想史もふんだんに内包され、また時にはそれぞれが生きた形で言葉になり、時間と空間と想像の中で、息づいた形で紙面に残す作業が可能な形であって、作者本人がそれを為せる意義はとても重要であること、その事を先生は訴えたかったのではないかと、私は思うのです。
とかく「言葉」が流されがちな現代社会ですが、やはりどんな時代を迎えても、生きた言葉とはどのように次の時代に受け入れられるのかを、本物は感じている証ではないでしょうか。
とかく、言葉というのは、広く伝えたいものになりがちですが、しかし、それは逆の意味で広く忘れ去られる可能性もあるのでしょう。
であるならば、言葉はたった一人でもいいから、深く伝わっていくべきかもしれない。100人にありきたりに認識されるより、たった一人の清らかな方に、純粋な精神が生まれる方が、本当の喜びが得られるのかもしれない。そして、その効果は計り知れない何かを連鎖する原動力を生むのかもしれない。
現代人は少し焦りがちなのかもしれない。効果や結果を意識しすぎている。作り手の苦労は、昔も今も条件は一緒ではないだろうか。そこで重要なのは、自分の内面に、結果の速見表を設けないことだろう。
この余裕が今間違いなく消滅しかかっている。現代人が不幸なのはそのところに由るものが意外と大きいように思う。
私は商人の倅として人生を歩んできたが、どうやら買い物を楽しんでくれるには、売り焦りは禁物だと認識している。ただし適材適所で売る材料を揃えておかねばならない。
あきんどの腕の見せどころである。売るものが少ない時は辛いが、しかし、少なくても売る気持ちは失ってはいけない。
形あるものを売る立場は、形ばかりに頼ってはいけない・・・これが私のイデオロギーで、在庫が少ないときでも、いかに在庫が生き生きとさせられるか、それを意識してきたわけです。
過剰なほどに流通するネット商品は、一面便利かもしれませんが、売れ残ればただのゴミになる運命も、同時に背負っているんじゃないでしょうかねぇ。
はたしてこんな社会、本当に日本人が好きな現実でしょうか。
殆どの大手企業は、完全委託に近い仕入れ形態を構築しています。表向きは完全買い取りですが、それは支払いがクリアなだけで、実際は売れないものは返品可能な暗黙の了解が存在していて、ここが納入業者の泣き所なんです。
しかも最近は大手ばかりの取り引きですから、商品の出し入れがあまりにも安易で、生産者側の手綱が、少し緩みすぎている嫌いが感じられます。
対外的には円安が根元的な問題だとか、なんだか言い訳ばかり並べていますが、本当は違うんじゃないかと、私は思うんです。
つまり、やり易い流通に頼りすぎている。これが実態です。
ですから、私は西尾先生が、全集をあえてこの時代に出される意義を深く感動する立場であります。
更には、こんな時代に、そんなことを成し遂げる先生に賛美します。
私は単に暢気な西尾ファンではありません。常に私の内面には商魂があり、それを軸に意見するイデオロギーを持ち続けております。
偉そうに語ってしまいました。しかしもしも、私のこの商魂がご賛同願えるならば、全集の意義を今一度、感じ取っていただけると、あきんどの面子はなんとか潤う気配を感じる、今日この頃であります。