『自ら歴史を貶める日本人』評(一)

『WiLL』5月号 堤堯の今月の一冊より

 本書は、本誌に11回にわたって連載された討議のまとめで、連載中から次回を待ちかねて愛読した。こうして一冊になって通読すると、討議の意味合いが一段と迫力を増す。なにしろ目次が食欲をそそる。

第3章 加藤洋子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は青少年有害図書
第4章 半藤一利『昭和史』は紙芝居だ
第5章 北岡伸一『日中歴史共同研究』は国辱ハレンチの報告書
第6章 日中歴史共同研究における中国人学者の嘘とデタラメ
 
 といったメニューで、四人の料理人による味付けは、これでもかと激辛に徹する。

 小欄は加藤洋子の『それでも・・・・』の背文字を書店で見かけたとき、一瞬、「それだからこそ・・・・」の間違いではないかと疑った記憶がある。

 かつて本欄で、加藤氏の『戦争の論理』を取り上げたことがある。象牙の塔で育った27歳の「女学生」のメス捌(さば)きに、なるほど戦争を知らない世代はこうも解釈できるのか、ある種の新鮮味を感じて、結語に「若い女の歯科医に脳髄を刺激されるような思いを味わった」と書いた。

 その「女学生」が、いまや近現代史の「大家」と目され、半藤氏とともにNHK御用達となった。両氏のベストセラーの読後感をひと言でいえば、「歴史は善人には描けない」――つまりは「悪人にしか描けない」という言葉を思い出したというしかない。本書はその「善人ぶり」をこれでもかと剔抉(てつけつ)する。

 それ以上に問題なのは、北岡の報告『日中歴史共同研究』だ。5章と6章は、その論理矛盾、偽善、知的怯懦(きょうだ)をこれでもかと衝く。北岡は「日中戦争は侵略戦争であり、南京虐殺は事実だ、それを否定する歴史学者は一人もいない」と断じる。この前提で中国側と「共同研究」を行えば、結果はハナから見えている。

 歴史の「歴」は歴然の「歴」。歴然とは「明らかな証拠がつらなる様」をいう(広辞苑)。「史」とは記録の意。よって、「歴史」は「明らかな証拠をつらねた記録」となる。ところが、これほど明らかでないものはない。見る人、見る角度によって違う。第一、真の資料は50年から100年を超えてから表出する。

 北岡は「張作霖爆殺事件がコミンテルンの陰謀だったと言う説は、それこそ虚偽のデマゴーグだ」とする。しかし、ロシアで出版された『GRU百科事典』(08年刊行)は、「日本軍の仕業に見せかけた工作の成功例だった」とハッキリ記している。GRUはKGBの前身だ。これを北岡は何と説明する。

 小欄が南京の「屠殺紀念館」で購入した大部の写真入の解説書は、表題に「鋳史育人」とある。つまりは歴史を鋳型に嵌(は)めて鋳造し、これをもって人を宣撫するという意味だ。

 これを見ても「南京虐殺」、従軍慰安婦、尖閣問題・・・・中国側の意図は明らかではないか。ちなみに、教科書誤報事件をスクープしたのは、小欄が編集長をつとめた雑誌『諸君!』だったことを付記しておく。

 歴史認識こそは思想戦、心理戦、宣伝戦の中核だ。米中共同の製作になる「鋳型」からの脱却――これこそが本書の狙い・願いだ。是非にも多くの人に読んで欲しい。パール判事は言った。「罪の意識を背負わされたままの民族に明日はない」と。

「『自ら歴史を貶める日本人』評(一)」への2件のフィードバック

  1. スイスの「民間防衛」マニュアルという冊子があります。この「インターネット目録」を見るような方々であれば、おそらくほぼ100%の方々がご存知でしょう。スイス政府自らが編集し、全スイス国民に配布していたというものです。おそらくネットでも1万回くらいは掲載されたでしょう。もう見飽きたという方もいるでしょうが、慰安婦騒動における他国から日本への攻撃および日本国内にも海外攻撃者への同調者が多いということを前提にして再度、その項目をご覧ください。
    ・敵は同調者を求めている / 眼を開いて真実を見よう
    ・外国の宣伝の力 / 不意を打たれぬようにしよう
    ・敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする / 警戒しよう
    ・敵は意外なやり方で攻めてくる / 自由と責任
    ・敵はわれわれを眠らそうとする / われわれは眠ってはいない
    ・われわれは威嚇される / 小鳥を捕らえる罠
    ・経済的戦争 / 経済も武器である
    ・敵はわれわれの弱点をつく / スイスは、威嚇されるままにはならない
    ・混乱のメモ / 健全な労働者階級はだまされない
    ・危機に瀕しているスイスに、人を惑わす女神の甘い誘いの声が届く/ 心理戦に対する抵抗
    ・政府の権威を失墜させようとする策謀 / 政府と国民は一致団結している
    ・内部分裂への道 / 自らを守る決意をもっていれば
    ・スイスが分裂していたら / スイスが団結していたら
    ・首に縄をつけられるか / われわれは他国に追随しない

    この歯がゆい状況を見ると「スイス」という言葉を「日本」に変えて、そのまま日本国民にも配布したらよいのでは、とさえ思われます。上記でいう「敵は意外なやり方で攻めてくる」「敵は同調者を求めている」「人を惑わす女神の甘い誘いの声が届く」という項目は恐ろしいほど日本の状況に対してあてはまるように感じます。要は「歴史認識で国民の贖罪意識をあおり、罪の意識にさいなませてマインドコントロールする→(過去の歴史にはなかなか有り得なかった<意外>な方法)」「反体制に凝り固まったマスコミや学者、教育者など日本に批判的で影響力が大きい、この上もない強力な<敵への同調者>を増やす」「日本は世界が納得するまで謝罪し続ければ国際社会に認められ国際的リーダーになれる、というもっともらしい<甘い誘いの声>」。
    もはや日本人が戦乱等で外国人に肉体的レイプをされることはないでしょうが、精神的レイプのおそれはあります。いま現在進行中と見る方々もいるでしょう。精神的レイプというのは歴史認識を盾にして有無を言わさず日本に謝罪を強要し、敵につくか味方につくかで日本国民を分断させ、特に「中国や韓国は被害者であり、日本は加害者である。被害者は加害者より正しく正義である。ゆえに被害者は加害者に従わなければならないのである」という幼稚で悪質な三段論法で常に日本を脅迫し、思うがままに(まちがいなく世界一お人好しの)日本人をあやつろうとすることです。

    精神的レイプをされないよう各家庭に防衛マニュアルと一緒に置くべきは適切な歴史書です。各自が調べて良書を集めましょう。西尾先生は日本または世界に対する歴史観に関して膨大な文章を書かれてきました。恐縮ですが、おそらく私はその半分も読んでないのではないかと思われます。もっとも著名なのは「国民の歴史」でしょう。文庫本も含めればおそらく100万部?(つまりミリオンセラー)は売れたのではないかと勝手に想像しています。
    誰にも頼まれないのに勝手に推薦させていただくとすれば「日韓大討論(西尾幹二・キムワンソプ)扶桑社」が実は個人的には気に入っています。軽薄な表現をさせていただければ、これは両者が互いに裸になってお互いの心情や教養をまっこうからぶつけあったものです。その結果、西尾先生のお考えが素人にもわかりやすく伝わり、また歴史を学ぶとは面白いものだなと実感できる読み物でした。突拍子な形容ですが、西尾先生の全集にいれたら異色で面白いのではないだろうかとふと思いました。キムワンソプ氏は大韓航空機爆破事件の犯人は北朝鮮ではなく韓国と米国だろうというような訳のわからない発言も一部にありますが、知性の高さとユニークさと冷静さは大変印象深いものです。(万が一知らない人のために紹介しとくと光州生まれで光州民主化運動で市民軍に参加して国家偉功者になりましたが、著作「親日派の弁明」でわずかしか売れなかったのに親日だと韓国で袋叩きにあった)
    慰安婦問題についても非常に考えさせる言葉を残しています。橋下氏が外国記者に対して演説と説明をしましたが、こういう文章を英訳して渡せばよかったのではないでしょうか。逆に日本の保守派のなかでも読んでない人が読めばなにかを感得するのではないでしょうか。次回にでも紹介させていただきたいと思います。

    歴史学者の使命は史実の確定で歴史解釈ではない、歴史解釈はたとえば百人一首のある一句を、その人がどういうように解釈するかというのとまったく同じことで、国民の個人個人の技量や経験により変わってくると思います。歴史は鏡であり鑑であるというのは永遠の真理と思います。経験の意味は相当に重く、小林秀雄が目の前の山を登らなければ次の山は見えない、次の山を上らなければその次の山は見えない、といったことだと思いますが、これは机上の学問を究めれば歴史がわかるというような軽薄な意味ではなく、人生経験の重みにより人間がよく見えてくるといったことを示したものであると思います。

  2. >仁王門さま
    いつも丁寧なコメントありがとうございます。

    私もスイスの「民間防衛」を持っているのですが、
    そんな風にきっちり読んだことがありませんでした。
    どんな国も外敵を意識し、自らの国をまもる意識を持つ必要がありますね。

    「日韓代討論」も本棚から引っ張り出しました。

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