4月13日の慰安婦問題への私の意見陳述に対し、今日までに多数のコメントを寄せて下さりありがとうございました。すべて丁寧に拝読し、学ぶ処多いことを発見しました。その中に英訳文がほしい、英訳があればアメリカで戦うのに役に立つ、というコメントがありましたので、ある方の協力を得て、急遽英文も提示することができました。
あの戦争について戦後に書かれたすべての文章は、どんなに自国思いの文章、当時の日本を主張している文章でも、私の見るところ半分はアメリカの立場をとり入れて書かれています。日本は自分を閉ざしていて余りに愚かで、アメリカ文明の秀れた特徴が見えていなくて判断を間違えたのだ、と。
そうではないのです。日本は戦後のアメリカの政策、NATOも日米安保の成立の可能性もある意味で見抜いていました。すべて運命を知っていて、それでも戦わざるを得なかったのです。それほどアメリカ(ルーズベルト)は理不尽で、道理を超えていました。日本人はこのことが今でもまだ分っていません。
そのことをみなさんに知ってもらいたく、「GHQ焚書図書開封」第125回(4月24日放映)の「戦中の日本人は戦後のアメリカの世界政策を知り尽くしていた」(日本人が戦った白人の選民思想)をお届けします。1時間かかりますが、しっかり見て下さい。
岡崎久彦氏が10年以上も前に対談で渡部昇一?と英蘭戦争の理非は100年後に定まった趣旨を仰っていた。我々は70年もおとなしくしていた。もういい加減にしろ、侵略か自衛戦争かどっちでもよいという時期になってきたと思います。戦争経験者は85歳前後です。しかも末端の軍人です。ひい祖父の世代が意思決定したことをいまだに謝罪を迫る執拗さは実に不快です。
先生の講演を拝視し途中ですが自分が目星をつけていたルーズベルトがユダヤ系だということをご指摘されたので快哉の意味でメールをしました。20世紀はユダヤに翻弄されまた200年分の仕返しをされたと感じます。後を楽しみにします。
ありがとうございます。特に、”国連”の意味が衝撃でした。そして、戦後ずうーとアメリカが確実に進めている”世界管理”を見抜いていた日本人がいた事も。
今度は中国がその道を進んでいる事が以前にも増して理解する事ができました。
先生のニーチェ研究、文明批評等からは、わたしの若かりし頃の実践教養の形成に寄与すること大でまことに感謝しておりますが、事、先時大戦については意見が異なってしまいますことは非常に遺憾千万であります。
今回講義について言うならば、私は、米国に味方しているのではありません。米国の理念に味方しており、その理念は米国のみの理念ではなく、世界に共通する普遍的な理念でもあるのです。この事は、先時大戦にも今時イラク戦争にも共通の大義であります。
又、最近のルーズヴェルト研究で私自身の彼への神格化もやや疑問の可能性付きに成りましたが、「人を憎まず、その悪を憎む。」の潜みに習い、「ルーズヴェルトを神格化せず、彼の善を信奉す。」という所に落ち着いています。
さて、戦時における悪意、策略を挙げれば日米双方きりは無いでしょう。
歴史において大切なことは、古今東西を通じ戦争に一般的なの悪と、先時大戦に固有の善の性質を峻別することだというのが私見であります。世界人権宣言、民主主義と大東亜共栄権と軍国主義の両善の戦いは、やはり前者に軍配は上がったのです。
訂正200年分を2000年分に
西尾先生、この度も「GHQ焚書図書開封」を拝見させていただき、大変勉強になりました。有難うございます。
戦前の日本人には世界全体の社会がどこへ向かおうとしているのか、現実的な背景や事象を十分に理解できていたことが明らかになることは、現代の日本人にとってせめてもの心の救いとなります。しかし、そのような賢さをもっているために、徹底的に攻撃されてしまった日本人が、また、現代においてもまだなんとかその賢さをもち続けている日本人が、今、何を考え、何をしなくてはならないのか、非常に難しい課題です。いかにこの考えを世界中の99%の人々の意識にわかりやすくかつ論理的に投げかけられるのか。そして、それをこれからある程度の期間内に達成しえるのか。とくに現在の反日史観を席巻された社会において、超えようのない大きな壁のようにも思えます。突然に新聞やインターネットなどの媒体を通じてこのようなメッセージをそのまま発信しても、幼少から反日史観をすりこまれてしまった人々にとっては、何か新興宗教を無理やり布教されているような不快感にしかならない。先方の教育やマスメディアが変わってくれればいいのだが、それはありえない。さて、どうすればいいのか。とはいえ、これもあくまで人間社会の事象。人間の手に負えない自然現象などではないわけだから、途方もなく大変であるのは事実ですが、まずは西尾先生のような立派な有識者の方から学びながら、我々のような一般人が、それぞれのできる全力を尽くしていく事が大切だと考えます。いつもわかりやすいご説明を有難うございます。今後の益々の活躍をお祈り申し上げます。
アダム・スミスの師ハチスンは、正・邪を「道徳感覚」によって見極めるべきだと言いました。それは言動をその善意・人柄・行為等でもって全体的に判断しようとするものです。スミスはそれに代えて、ある行動が実際に他者に危害を加えたか否かによってその正邪が判断されるべきだという「同感」原理を提起しました。善意とか人柄等の主観的であいまいな判断基準をそこに加えると、収拾が付かなくなるというわけです。
私はこのスミスの観点のほうが正解だと思います。たとえば、子供たちが喧嘩してそれを裁かなければならないときに、何を基準にするでしょうか。やはり悪いのは先に手を出したほうです。その他の言い分は情状酌量の事柄でしょう。社会主義が崩壊した一因も、その辺りにあったのでしょう。中世の決疑論は道徳と法を混同しましたが、スミスはそれを区別すべきだとして、先の観点を提起したわけです。それが近代合理化視点でしょう。
>山本道明さま
今は先の戦争の評価=歴史観をめぐる「戦争」の真っ最中です。
だから、謝罪だ、自虐だ、自衛だ・・・・と闘わざるをえないのです。
もう、とっくの昔の戦争だけど、、、
>山中彰さま
戦争に対する考え方は異なっても、いつもコメントありがとうございます。
>Rera Pirkaさま
コメントありがとうございます。
それぞれが出来ることを、きちんとやるしかないですね。
ブログ読ませていただきました。
>星野彰男さま
コメントありがとうございます。
なかなか難しい観点ですね・・・。
ルーズベルトの善、ですか。
最近の研究状況で言えば、ルーズベルトの人種偏見と南部諸州との結託ぶりは、明らかになっているようです。
たとえば、Ira Katznelson のFear Itselfにもその辺の事情は詳しく描かれています。
http://www.amazon.co.jp/Fear-Itself-Deal-Origins-Time/dp/0871404508/ref=la_B001IQXHL4_1_1?ie=UTF8&qid=1368018640&sr=1-1
個人的には、蒋介石にのめり込まずに、せめて叔父のセオドアぐらいに冷静に極東の情勢を静観していれば、第二次大戦も起こらなかっただろうと思います。また、中国が共産化することもなかったでしょう。ということは、ベトナム戦争もなかったということになります。
ルーズベルトと言えば、ユダヤ人に対する偏見もひどかったことも有名ですね。ルーズベルトがナチス統治下のドイツからのユダヤ人移民を故意に制限したために、多くのユダヤ人の生命が失われました。
戦後の国際秩序を構想し得た点だけをとって「善」ということはかろうじて可能かもしれませんが、その「善」は、血と憎しみに埋もれています。
現在歴史を論じると言うことは、「善」の仮面の下に隠された「悪」を指摘することと言えるでしょう。このことを執拗に議論するのでなければ、むしろ不合理な運命にもてあそばれた我々の祖先や同胞に不敬にあたる、と思います。