ひとこと申し上げる

 私はいま雑誌『正論』で始めた長篇連載「戦争史観の転換」に一番大きな精力を注いでいる。全部で30回、約1000枚近い予定である。

 最近はこのブログ「日録」のコメント欄にも書きこんで下さる人が多くなってよろこんでいるが、どうか『正論』連載の内容などをも踏まえて書いていたゞけるとありがたい。連載は始まったばかりだが、どんどん新しいことを言っている。6月号は2回目である。

 アメリカ革命やフランス革命はある時期に世界史にたしかに新しい価値をもたらしたが、それは人類の普遍的価値ではない。二つの革命が時代とともに人類に災いをひき起こした面もある。

 今でもまだ戦勝国のアメリカが日本に民主主義や自由の理念をもたらしてくれたと思っている人がいるが、それは正しくない。ヨーロッパの古い文明はまだ有効性をもっているかもしれないが、われわれはそれを必ずしも模範として学べばよいという時代ではない。いわんやアメリカはもう日本のモデルではない。

 最近若い人がアメリカに留学しなくなった。日本人が内向きになったからだという人がいるが、私は日本社会がもはやアメリカを手本にしてわが身を正そうとしなくなったので、若い人がアメリカに行っても得をしないと思うようになったためだと考えている。アメリカが世界の普遍性の代表ではなくなったのである。

 5月1日付の「日録」のコメント欄のいくつかに私は異和感を覚えたので、ひとこと申し上げ、どうか是非『正論』の私のアメリカ論をよんで下さいと申し上げる。

 私はアメリカを否定する者ではない。もっと距離をもって捉えるべきだと言っている。アメリカは「世界政府」志向のグローバリズムの帝国で、それに対し日本はどこまでも単一民族文化国家であり、異なる独自の価値観に生きている。

 世界のあらゆる文明はそれぞれが独自であって、特定の文明が優位ということはあってはならない。

「ひとこと申し上げる」への6件のフィードバック

  1. 文末で、「特定の文明が優位ということはあってはならない。」を読み、まったくその通りである。私は文明間に優劣をつけていたかもしれないと反省してみました。
    先生、こんな事は言えるんじゃないでしょうか。
    文明間に普遍性に達しているもの、普遍性の時期を過ぎているもの、普遍性に達していないもの、それぞれがあると。
    又、普遍性は各文明に一度だけではないと。
    どこの国がどれであるとは一口では言えませんが、私は各文明の普遍性を渉猟して歩くのが好きです。

  2. フランス革命をオーギュストコントは進歩はあった。しかし調和がなかった。その継受革命のロシア革命は我々の時代風潮は人類の一大壮挙として普遍性を自明のこととしていた。しかし、単なる共産党の独善の押し売りだった。彼らはツアーリの変身であり、マオはシナの皇帝になりたくてなった人間だった。アメリカ革命というの適切ではなく独立戦争と言うべきでしょう。仏露の革命の陰惨な相似形に唖然とした覚えがあります。

  3. ぜひ入手して先生のご論文を読ませていただきたいと思います。
    一時は大企業で猫も杓子も米国へのMBA留学というのが流行った時代がありました。出世コースとして有望そうな若手はこぞって留学候補として社内で推薦されました。今やどうでしょう。「(M)まぬけ・(B)ばか・(A)あほ」とすら揶揄される有様です。様々な国籍の若者として知り合えるので、国際的な人材を養成する場としては否定しませんが・・。
    さて最近著名になったネットブロガー出身の三橋貴明氏という経済評論家がいます。かなり優秀だと思いますが、留学経験はおそらくなさそうです。これだけ優秀な人材がでてくるようになったのはなぜか。言わずともしれずインターネットの影響です。海外に行かなくとも大変有能な頭脳と精神をもった方であれば世界中から迅速に知識と情報を吸収できるようになったことです。ネットだけで大学等に行かなければ対話がない、切磋琢磨できないだろなど批判するのは(言い過ぎですが)化石時代の人間です。ネットで相手が見えないからなおさら真摯な議論が可能でディベート能力も高まります。
    米国の本質はなにかというと読書以外に仕事や様々な経験から個人的には「プラグマティズム」と考えます。youtubeやgoogleは日本なら著作権がどうのこうのと難癖をつけられてつぶされたでしょう。米国でも法的議論はありましたが、プラグマティズムが世論を制しました。頑迷な信仰心も基底にあるでしょうが、プラグマティズムがいまだ優位であり、そこから精神の自由を尊ぶ考え方が生まれているように感じます。日本にも日本流のプラグマティズムがあり、それは大変すぐれたものであると感じます。安易な米国崇拝は拝しながら、すぐれた部分は謙虚に学ぶことが日本流のプラグマティズムであると思われます。

  4. 自然科学の解明の内容には優劣があり、自然科学を利用した科学技術にも優劣が生じ、したがって、科学技術に支えられた生産力⇒経済力も同様です。その他の文化には優劣では測れない個性が認められるとしても、それらも経済的豊かさによって大いに左右されています。それらを総括的に表現したものが「近代合理化」と言われるものでしょう。私たちの生活はその上で成り立っていますから、それをどんなに批判し、克服を叫んだところで、そこに回帰せざるをえない宿命を負っています。
    しかしその近代合理化の文明は、無から生じたわけでなく、西欧の一部から個性的に生じた事実は否定できない。今まで、その文明は大いに歪められてきた。日本文化の個性がその歪みを克服できれば、そこに新たな普遍性が形成されうるであろう。

  5. >山中 彰さま
    いつもコメントありがとうございます。
    滅びた文明もあり、今立ち上がる文明もあり、
    おもしろいですね。

    >山本道明さま
    何時もコメントありがとうございます。
    私は最近、アメリカ革命と言ったほうが、より理解しやすいと考えるようになりました。学校教育では革命は「善」という捉え方でしたね。

    >文雄さま
    コメントありがとうございます。
    インターネットとは、利用の仕方一つで留学をも超える・・・・のかもしれませんね。
    面白い時代になったものです。

    >星野彰男さま
    いつもコメントありがとうございます。
    歪みを克服するためにはどういったことが必要なんでしょう。

  6. 訂正があります。コントは調和ではなく秩序がなかったいったはずです。私は革命という言葉を嫌悪します。明治維新を英訳で革命と使いますが改革とすべきです。常に悲惨さを持っています。社会の進歩改革は徐々におこなうべきです。

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