「地表の三分の一を占めた覇権国英米への正当なる反逆」(GHQ焚書図書開封・第126回)

 韓国大統領が訪米し、生徒が先生に告げ口をするみたいにオバマ大統領に日本の悪口を言いました。「先生、あの子はむかし私を虐めたのに、もうあんなことは忘れたって言うんですよー。何とか叱って下さい。」

 そのむかし蒋介石夫人が米議会で反日演説をして拍手喝采され、政治局面が変わったことを思い出します。

 アメリカに睨まれると安倍さんの発言内容がトーンダウンするのが気がかりです。発言内容を単に縮小し無害化するのではなく、丁寧に意を尽くして、最初に言っていた概念をくわしく言い直した方がかえって誤解を妨げると思うのですが、安倍さんは言葉遣いが上手なのでやれると思うのですが、どうなのでしょうか。

 自分のことを「極右」とか「修正主義者」とかレッテル張りする中韓の議論に対してはきちんと反論した方がいいと思います。いま、この時点が時代の転換点です。大事な局面です。

 「侵略には学問的に二つの見方がある」などと抽象的に言うにとどまらずに、「日本は近代史70年(1868~1941)で侵略される側にあった。」とひとこと言うべきではないでしょうか。

 私の『GHQ焚書図書開封』126回「地表の三分の一を占めた覇権国家英米への正当なる反逆」(日本人が戦った白人の選民思想・後半)をぜひこの観点からご覧下さい。

「「地表の三分の一を占めた覇権国英米への正当なる反逆」(GHQ焚書図書開封・第126回)」への18件のフィードバック

  1. 事は、歴史観です。歴史の主動因を何と見るか。
    国益と観るのは、現在でも大勢のようです。
    先生笑われるかもしれませんが、私は、ウィルソン、ルーズヴェルトは国益も考慮したことでありましょうが、ヒューマニズム(人道主義)が主動因で歴史に関与したと信ずる者です。
    勿論、その目的のために手段を選ばなかった事は多少はあったでありましょう。
    しかし当時の国益争奪戦の源には、いわば価値の闘争があったと観る者です。
    米国に国益第一主義者は、当時も現在もいるでありましょう。
    私は、インターネットという米国産の武器で、人道主義狂信者の如くにイラク戦争に介入し、米国のイラクでの米国益第一主義を排し、人道主義的理想主義伝統を復活せしめようとして未だ力及ばない者でもあります。

  2. 先述のコメントを書いてはたと思いました。
    私は、ウィルソン、ルーズヴェルト思想を喧伝するいわば外国人種に誤解されていないかと。
    内実は違います。正義人道を利益優先の権力政治の上に置くのは、東洋では孔孟に起源が見出され、それは明治維新の志士達の四書五経の実践教養にも繋がり、敬天愛人を座右の銘とした西郷隆盛に結晶しています。
    つまり、ルーズヴェルト期の米国も、西郷の徳望が覆った(明治維新期の)日本も、各文明において一つの普遍性に達していたと、私は判断する者です。
    つまり私は外国人ではなく、西郷の様な日本人であり且つ普遍人であれたらと願望する者であり、ルーズヴェルトは米国人であり且つ普遍人でもあったわけであります。
    そうです、すぐれて日本的である事は、すぐれて反世界的であるわけではなく、すぐれて世界的でもあるのです。
    私はここに、良きナショナリズムと良きグローバリズムの幸福な結合を見出します。

  3. 韓国の新大統領には失望しました。ここまで執念深いとは。
    中国や韓国にとって反日はもはや娯楽です。
    日本の反日マスコミ、反日勢力が援護してくれるのだからチョロイもの。
    韓国マスコミは反日姿勢を強めれば強めるほど韓国の読者が喝采してくれる。
    反論するよりも無視をするのが一番かもしれませんが、こういうときは
    徹底して事実のみを述べるのが良いとわかっていながら、膨大な事実
    のなかで何を優先して指摘するのが良いのか、なかなかわからない。
    その選別の天才がまさに西尾先生です。ただしドイツはもっとひどかったなどドイツネタでも出そうものなら間違いなく火種が拡散するばかりだから
    一筋縄ではいかないですね。安倍さんがドイツを比較対象にださないのは
    (内心ではナチスのようなことはしなかったと言いたいかもしれませんが)賢明だと思います。
    「侵略」は英語のaggressiveでは「先に手を出す」という意味であり、
    戦争の内実を批判する意味はもともと無いそうですね。
    「戦争の被害者である前に日本は加害者である。(という言葉の裏には)韓国人慰安婦は同情されるべきであるが、日本人慰安婦は被害を表立って言うべきでない。原爆は仕方ない。反論は許されない・・」。この思想こそナチスのユダヤ民族攻撃に匹敵する異様な一民族排撃イデオロギーといえます。
    日本人であろうが外国人であろうが、こういう狂った思考には政治家であろうが、文化人であろうが、一般市民であろうが、日本人総出で反撃しなければなりません。マスコミが汚染されているようなら購読拒否の運動をするべきです。

  4. 西郷隆盛とルーズベルトが同じもんとは ももいませんね。
    ルーズベルトってキリスト教でしょ、それもプロテスタント的な。

    そりわ、個人主義、アトミズムな 世界観・社会観・人間観であって
    人と人とのきづなを断ち切り、家族を崩壊させる、いわば美しき錯誤
    でありまつ。
     現代の混迷の根源といえましょう。

    日本文明は超越性の弱いアタマをしてる、それゆぇに、ルーズベルトな
    アメリカな、プロテスタント的なものに惹かれやすい。

  5. お気に触るかと思いますが、私は日本はシナを侵略したと考えます。しかしもういいではないかと思います。

  6. 朝鮮は侵略していません、保護し膨大な投資を強いられました。合邦国家でした。台湾は植民地だったとおもいます。

  7. 中国人に対する労働鎖国のすすめ四半世紀たっても現代にも通じるエピステメーを感じます。ソクラテスは当時の時事問題をかたりそれが現代にも通じます。

  8. 福田先生が風潮に逆らい敢然と評価した父の娘がわかっていてもせざるをえない政治風土はかなしものです。

  9. これから申し上げる私の論説は、「仮説」が主体になるかもしれません。いや「仮説」そのものだと断言できるくらい、論拠が薄弱です。しかし、人間には「予測」という才能もあります。それは生活に密着したものであれば受け入れられるケースもあると思うのですが、いずれにせよ「個人主義」の世界から抜け出せない、一つのデメリットを背負いながらの論説ですので、それをご承知おきされた上で、私の話にお付き合いください。

    人間は生まれながらにして、細胞に「血筋」というものを必ず受け継いで生きていきます。親からもらった遺伝子は、けして捨て去ることのできない宿命であります。さらにそこに人間は「環境」という「枠」を嵌められて、より一層細胞の宿命を色濃く方向づけられる「運命」を背負います。
    おそらくほとんどの人間は、自分が将来幸せになることを願って生まれてくると思うわけですが、何故かそうはいかないのが世の常で、様々な苦労の積み重ねの中から、自分だけが得られる「幸福」を探して生きているのが「人間」なのではないか、と思うわけです。

    民主党政権下では見事なまでに経済が停滞し、それを選んだ国民は自虐は勿論のこと反省もないまま、もう一度自民党を選びました。苦しい時に「苦しい」と反応するのは誰でもできることですが、苦しい時に「無難」を表現できるかどうかが、本当は大切なんじゃないかというのが、52年間生きてきたあきんどの哲学であります。
    はたして苦しいから自民党を選んだのか、それとも常日頃から自民党を支持してきたのか、この二つは大別されても良い条件の一つでしょう。しかしどちらにも正比はあります。それが「政治」というものなんでしょう。ただし、個人の心の中に正しくあるべき政治への姿勢というものもあるはずです。そのジャッジから見て、個人は果たして正しい選挙をしているのかと問われると、自分でも気づく「心の不埒」を認識できると思います。
    つまり、政治は「時勢の流れ」を利用する、目に見えない「恐怖」を伴いながら運営されている一つの社会であると言うことができます。
    よく言われる政治の現場の魑魅魍魎は、こうした個人の内面が実は下支えしていたということを、認識しなければならないのだろうと思うわけです。

    安倍氏が二回目の総理大臣に就任以来、日本経済は予測を超える勢いで景気回復の兆しを得ました。この事は、実は軍事面からも重要な要素であることを再認識しなければならないそうです。単純な言い方を許されると、軍事はイコール「金」だそうです。金持ちでなければ軍事は成り立たないそうで、なるほどそうでしょうね。しかも軍事予算の配分は、陸軍と海軍でトップの交代次第で変わるんだということも、最近知りました。あの大東亜戦争時代でもそうだったと言うんですから驚きです。海軍は船隻予算が元々高いために、高額な予算が立ち上がりから要求されだそうです。しかるにその長に立つ立場の人間は、いかに予算をかつぎこめることができるかが試されている役職なんだそうで、表向きのいわゆる戦争兵士の理想像の前に、現実的な辛い任務がまずあるってことですね。
    多分海軍というのは今も昔も殿方なんでしょうが、その背後には「恐ろしいほどの運営経費」があって、この予算の配分から受けるイメージがそのまま国民レベルでも「格差」に繋がっているうでしょう。ですから戦争経験のない我々でさえ、陸軍と海軍では、海軍の方がイメージが上がるんじゃないかと思うわけです。どこかしら海軍の方が高尚なイメージを感じますよね。しかしこれは実のところ「金」がそれを誘導していたという考え方も、ここで重要になってくるのでしょう。

    さてようやく話の核心にたどり着けそうです。
    どんな時代でも「資産」は大切な要素です。私は「あきんど」ですから、お金とは切っても切れない「縁」があります。しかし、本当の「あきんど」はそこからもう一つ努力して、どうやって社会が良くなっていくかを考えるわけです。自分が成功した企業が、はたして本当にこの世のタメになるものなのかを、ド真剣に反省やら自戒をすべきなんです。儲けるだけなら誰でもできますよ。でも自分が成した事業が果たして正しいものだったどうかの判断は、とても難しいわけです。
    仮に運送業界を例にしましょう。最近の運送業界はとにかく至れり尽くせりのサービスを提供してくれます。近い将来には、産地直送の生物を、ニーズの高い国に、旅客飛行機を利用して配送する計画もあると聞きます。
    でも、それって本当に必要ですか。わざわざ今まで作り上げてきたものを破壊しませんか。現地に来たからこそ味わえる「味」を、いともたやすく運送で可能にするというのは、本当に社会や経済にとって「アルファー」なんでしょうか。

    世の中が潤うってどんなイメージですか。私はこれが一番大切な要素だと思うんです。日本はこれを長く意識してきた民族なんだと思うんですよ。これこそが世界には稀な一番誇れる民度なんです。
    「そんなの教わったことも聞いたこともない」と言う方もいるかもしれませんが、ではなぜあの東日本大震災で、電車を待つサラリーマンの方々が、正立よく一列に並ぶんでしょうか。世界は大震災にも驚きましたが、この現象に更なる驚きを得たわけです。
    「日本にはかなわない」と思った瞬間でしょう。

    アメリカが実はそれをいち早く体感した唯一の国家なんですよ。
    日本を負かしたつもりが、実は勝ってみて知った知識なんです。
    あくまでもあの国は勝ち負けにこだわる国なんでしょうね。恐ろしい自意識です。日本人にそんな自意識がありますか?ないですよ絶対。日本人なら勝っても相手を配慮しますよね。それがアメリカという国では育たなかった、そういうお国柄なんです。

    ところがそんなアメリカ式の認識を誇示しないと、世界で通用しないという外交的条件が徐々に我々の認識の中に定着しようとしています。ここがとても危ない認識で、独立を成せない日本の「弱さ」の象徴です。
    しかし、保守系の論客にこういう認識を哲学までにして持論を展開している方が少なくないわけです。
    つまり「ゆっくりと」日本人は騙されているんです。流れに沿ってその本流ができるだけ急激にならないように、支流に流し込もうとするような結果を生んでいるんですが、実は彼らはその支流が本流だと思い込んでいる。
    本来の主流の意義があやふやになっていくのはそんな現実があるからでしょう。そして、ここからが本当に怖い話なんですが、そうした支流を本流に変えようとするうごきが、今の日本を襲っているのかもしれないという点です。

    アベノミックスは大成功を収めています。私もそれは大変良いことだと思います。このあと問題となる「軍事」の予算配分にも、この景気回復はとても重要であり、安倍総理が掲げる「三本の矢」も基礎ができつつあります。しかし、「おやっ?」と思った方も多いのではないかと思うのですが、安倍氏は国会での議論を得ないまま、TPP参加を表明しました。しかも、一番喜びそうなアメリカ大統領の後ろ盾を得て。
    ちょっとおかしな展開じゃないですか。TPPに参加しなくても、経済面では優勢に立つ気配は十分感じるという時期に、なぜTPP参加を表明したのか。

    チャンネル桜の水島社長もそれを是認していますが、今までチャンネル桜がこのTPP問題をどれだけ話題にして、抵抗しようとしてきたkを振り返ると、不満は尽きないわけです。

    さてそこで再度人間の内面に探りを必要とするのではないかと思うわけです。「悪魔」というのはどんな風に人間を襲うのでしょうか。「悪魔」はどんな風に人間を誘導するのでしょうか。
    おそらく悪魔はどんな場面でも裁断はしないと思うんです。多分悪魔は人間の内面を利用して、それを「繁栄」させることに技を駆使して、本当は自ら強制的に裁断は為さないのだろうと思うんです。
    「悪魔」という定義はおそらくあやふやなんでしょう。なぜなら善人と呼ばれる方にもそれは存在するようですから。
    ですから、悪魔は誰にでもなれるチャンスがあるわけです。瞬時にそれが為せるようです。仮に安倍総理が悪魔だったとしましょう。善人のイメージが強い方なので、なかなか難しい仮定なんですが、でも彼はTPP参加を提示されたんです。TPP参加で何が得られますか?もともと日本が強い分野の輸出増加見越しは、TPP参加が実現できても、1%の成長も見込めないという論客もおります。逆に農産物の打撃はあきらかで、低価格産品を維持してきた農家は大打撃が予測せれるといいます。

    このことからもTPP参加表明は不可解です。アベノミックを正しく掲げるならば、TPPは不必要です。先ほども言いました。悪魔は最初から姿を晒すのではなく、徐々に人間の内面に忍び寄ることを。
    私たちは今試されているのです。公に「正しい」というものは存在しません。同時に「悪魔」の提議も存在しないのです。

  10. >山中道明さま
    台湾にも同じように投資したと思いますが・・・・・・。

    それまでの植民地のやり方と、日本の併合は違いますね。

    >仁王門さま
    確かに彼らにとって、反日は娯楽・・・・・かもしれません。
    きっと快感のホルモンが出るのでしょう。

    >あきんどさん
    安倍さんの人選の中にも矛盾が・・・・。
    注意しなくてはいけませんね。

    >神様さま
    なるほど、日本人は
    超越神とか、全能の神とか・・・・・に弱いのですか?

  11. 神様殿
    私は、西郷隆盛とルーズヴェルトの共通点を挙げ、そこに普遍を見出したのです。相違点も勿論ありましょう。
    「忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亙り宇宙に渡り易ふ可からざるの要道也。道は天然自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。」(西郷南州遺訓)

  12. 言葉が足りませんでした。台湾にも投資しています。長谷川慶太郎氏の言によれば、投資は回収して益が出ていました。朝鮮は最後まで持ち出しでした。位置ずけは朝鮮は連合王国台湾は植民地でした。しかし帝国大学までつくり民生を向上させようとした点では同じです。朝鮮出身の正規の将校将官は沢山いました。たとえば山本七平師の洪志翻中将の処刑(戦犯として)の著書や故朴大統領は士官学校出身でした。しかし、台湾出身者ににはおらなかったはずです。多分大日本帝国に対する忠誠心が問題になっていたと思います。

  13.  初投稿、50代男子です。
     西尾先生はじめ皆様方どうぞよろしくお願いします。
     近年の中・韓の横暴を目にするにつけ、マルクス経済学を学び左翼だった私ですが、どう考えたら良いか迷っていました。そんな中、先生の御著作やネットの講演・ブログなどに接し、まさに蒙を啓かれる思いがしました。
     最近では、時間があればずっと先生の言葉を考え続けています。「私は反アメリカではない」「戦争は善悪の彼岸」「日本の戦争は悲しい戦争」・・これらの言葉はどれもとても考えさせられるものです。まだまだ初学ですが追いつくよう急ぎ勉強をはじめました。
     先生におかれましては、今後もますますのご健勝のほど心よりお祈りいたします。

  14. 「日本の戦争は悲しい戦争」

    いい文句ですねぇ
    「ここはお国の何百里・・・」、日本の軍歌って鎮魂歌ですよね
    アチラの勇ましい軍歌と比べて、ものがなしい。

  15. >有無さま
    初めてのコメントありがとうございます。

    今後ともよろしくお願いいたします。
    西尾先生はコメント欄を丁寧にお読みですから、新しい読者をとても喜ばれるとおもいます。

    >神様さま
    私も軍歌が大好きです。
    名曲が多いですね。

  16. >有無さま
    初めまして、あきんどと申します。
    貴殿と同じ50代のサラリーマンです。以前は事業を興していました。その関係でHNを「あきんど」とさせていただいております。
    実は私も先生の作品がきっかけで、オピニオン系の掲示板にお邪魔するようになった人間です。その時ここの管理人である「奥様」に声をかけられ、それから長居するようになりました。
    「前日録」は、それはそれはこの道のプロみたいな方々が大勢いらっしゃって、ネット初心者だった私は、そんな方々にもめげずに、ど素人の魂で臨みました。いまだにパソコンはまったく使いこなせない人間なんですが、おくせず自分のリズムで毎回書き込みさせてもらってました。
    どうやらそれがかえって良かったのか、とにかく自分が感じた西尾幹二像を訴えて書き込んでいましたら、いろんな方から参道も得ました。

    先生のいろんな教えの中には本当に凄いものがたくさんあるんですが、その中でも一番私が「迷い」を無くせた文言がありまして、それは先生が幼少の頃に同級生が文学全集を読破したという話題を例にして書かれた場面なんですが、先生曰く「自分はそんなに多くの本を読みあさっているほうではない。よく読書が好きな方が、やれ自分は世界文学全集を15歳で全て読み終えたとか、自慢げに語る方もいらっしゃるが、しかしそれは本当にその方にとってタメになる行為なんだろうか。世界の文学全集をそんな短期間で読み終えて、本人は混乱しないのだろうか。いったいそのことが本人に何を残せたんだろうか。」
    一字一句は正しく掲載していませんが、たしかこんな文面だったと思います。この文章に出会った時、読書なんか全く縁が無かった私は、まさに何かを開花できた瞬間でした。
    さらに先生はこう付け加えています。
    「多くの作者に出会うよりも、自分が目覚めた作品に関連する本を深く読み込むことのほうが、よっぽどためになるか。限られた世界から学ぶことのほうが、かえって自分は判断に迷いを生じなくなり、一つの哲学から他方を見ることのほうが、ずっと自分に迷いが生じないのではないか」と。

    これ以来私は西尾幹二先生の視野から、社会を観察する方法を得て、同時に色んなことが読み取れるようになりました。
    けして何かに執着しろという言葉ではないと思っています。いずれそこから離れていくことも重要であることは先生も示唆された文言だと思っています。どんなに学ぶ師を得たとしても、最後は自分の思想が試されるのだろうと思うからです。

    しかし、現実はなかなか自分の世界を見つけることは難しいですね。
    たぶんそう遠くはないところにそのヒントはあるんでしょうが、しかし、なかなか難しいものです。
    でも私はおくせず先生にいろんなメッセージを送りました。嬉しいことに先生はそれをちゃんと読んでくださっているんです。この事がなによりも嬉しい現実です。
    拙い私の経験を語らせていただきました。
    有無さまのコメントを今後も楽しみに拝見させていただきます。

  17. 軍歌の多くは反戦の歌に聞こえます。私が学生時代に駐日大使だったライシャワー氏が戦中に日本の分析をしていた時に、麦と兵隊などの戦意高揚映画が反戦の映画にしか見えない。その戸惑いを対日研究スタッフは一様に持ったそうです。海いかばの歌詞に特に感じます。

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