歴史認識と安倍総理

 3日午後記者クラブで行われた各党党首の記者会見をテレビで見た。質疑は多岐にわたったが、その中で歴史認識について安倍総理は質問に答え、今まで通り、歴史の内容について政治家が政治判断を下すのは間違いで、専門家に委ねるべきだと語ったが、私は聴いていて、その言葉の影に、いつもより強い信念のようなものを感じた。

 記者が専門家の仕事は歴史の細かいデータの検証に関わるのであって、日本が朝鮮を植民地にしたのか否か、中国を侵略したのか否かのような大局の認識は中曽根氏がそうであったように、政治家が断を下すべきものではないのかと問うたのに対し、安倍氏は中曽根氏もそういう決定の断を下したことはない、と述べた。そして植民地とか侵略とかの概念の重さに対し政治家はどこまでも「謙虚」であるべきであって、それを簡単に認めることはかりに今の情勢下では政治家にとってやり易く、気が楽だとしても、自分はそういう風に弱い逃げの態度であってはいけないと考えている、ときっぱりと仰有った。内外からの風圧に決して負けない、との気概を示されたように私は受けとめた。

 私はそこから8月15日か秋の例大祭かのいずれかで総理は靖国参拝をなさるのではないかという気がした。アーリントン墓地にアメリカ大統領は参拝する。南軍の将兵が祀られているからといって参拝は奴隷制度を認めるものではない、と総理が言ったのに対し、記者団の中から南北戦争は内戦であって意味が違うと反論の声があった。安部氏はこれに対し、アメリカの学者の議論をもち出ししきりに切り返していた。相当思いつめいろいろ考えを深めて来た様子がうかがえた。これら全部を聴いていて、靖国参拝をなさるつもりなのではないかとの予感をもった。

 私は7月発売の『正論』8月号に40枚の評論を書いて、歴史認識についての所見を述べた。題して、「日本民族の偉大なる復興――安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ――」(上)である。この題がある人の専用の題をもじったアイロニーであることは気がつく人はすぐ気がつくだろう。分らない人は、論文の4ページ目に種明かししてあるので、そこを見てもらいたい。

 間違えていけないのは、朝鮮半島は「植民地支配」ではなく「併合」である。アメリカのハワイ併合のごときものである。支那事変は「侵略」ではなく仕掛けられた挑発を受けて立った「事変」であって、従って宣戦布告はない。盧溝橋も第二次上海事件も、蒋介石がコミンテルンに踊らされた謀略攻撃に対するわが国の自衛的対応にほかならない。日本政府に対応のまずさ、深追いし過ぎた処理の仕方の混乱はあったが、全土を制圧する征服戦争の意図はなかった。日本は和平を言いつづけていたのだ。拒んだのは支那サイドだった。

 安倍総理はこうした論点に細かく深入りすることは恐らくできないだろうし、すべきでもない。せいぜい言えるとしたら、19世紀から1941年まで日本は侵略される側にいて、侵略されずに残った最後の砦であったこと、それが今から見て明らかな地球全体の動きだった、という大局観を叙べることだろう。そして詳しいことは学者の論争に委ねたい、と。(歴史家と言ってほしくない。日本の歴史家は歴史を語る資格がないのだから。)

 いくらこう言っても中国や韓国が理解を示すとは思えない。しかし世界は広い。他のアジア諸国に共鳴の手を挙げる人は必ずいるだろう。欧米にもいるだろう。

 70年近く経ってもそういう声を世界中に向けて上げて、論争の渦をまき起こす時期だろう。それができれば安倍氏は世界的スケールの政治家になれる。

 私は上記論文にこういうテーマについて書いている。『正論』8、9月号に(上)(下)として二回つづけて掲載される。始めたばかりの大型連載(「戦争史観の転換」)のほうは申し訳ないが休載させていたゞく。

「歴史認識と安倍総理」への10件のフィードバック

  1. 3日の記者クラブ主催の党首討論における安倍総理の歴史認識についての発言に対しては、西尾先生のご印象と同じ感想を持ちました。それにしても記者(新聞?)の傲慢さが際立つ中継でした。多少付き合ったことのある記者たちも無論エリート面をして、鼻持ちならない連中が多かったのですが。

  2. いつも先生の卓見に瞠目いたしております。

    歴史認識については風雲急を告げておりますが、かねてから息子達に伝えようと以下のような駄文を作成しており、ようやく完成し、息子達に手渡したところです。 先生の受け売りも多くお恥ずかしいですが、何かの役に立つかとお送りする次第です。長くなりまた匿名で申し訳ありません。

    息子達へ                               H25.7.4 父
    (君達が日本人として堂々と生き抜くために実相を知っていて欲しい、そしてヒントを。)
    目次
    1.はじめに   2.コスモポリタニズム、グローバリズムそしてナショナリズム
    3.日中戦争と大東亜戦争への経緯
    4.中国(南京事件、尖閣諸島問題、など)と朝鮮(日韓併合、従軍慰安婦問題、など)  
    5.日本人はどう向き合うべきか  6.HULA

    1.はじめに
    もし、狂信集団がやって来て自宅と隣家が襲われ、それに対抗して家族が共に戦い一旦は追い払ったものの、それを逆恨みした狂信集団が逆襲してきて罠をしかけ、それに嵌って破れ支配され、その狂信集団とその尻馬に乗る隣家から家族の戦いが汚く不道徳であると決め付けられ反論が許されず、子供達がそれを信じ出して卑屈になってしまったら、親は子に真実を伝えたいだろう。
    米中韓を主な相手とする歴史戦争が本格化する今後に向けて、日本の冤罪(諸外国の主張、宣伝、言いがかり、背景、構図)、そしてグローバリズムとナショナリズムの実相を理解したうえで、仕事の場で―社交の場で―生活の場で― 君達が智恵を働かせ堂々と生きて欲しいので、なるべく簡単にまとめてみた。 内容に大きな間違いはないと思うが、分からないところはネットなどで調べ比較すると良い。 最初にある程度要約すると以下の様になると思う。

    第2次大戦後の戦勝国の対日認識は、「明治維新後の日本は帝国主義国、軍国主義国としてアジア諸国を侵略続け、それを阻止しようとした民主主義国の英米に卑劣な奇襲攻撃をかけて反撃され自滅した。その間に南京事件や従軍慰安婦問題などの人道に反する残虐な種々の犯行を国家規模で行い、さらに戦後もA級戦犯を祭った靖国神社を政府公人が参拝するなど反省していない。また自然保護に反する捕鯨を未だに実施し、総じてグローバルな世界に反する反動的なとんでもない国である。」と要約でき、内外のほとんどのジャーナリズムや人々の意識にそれがある程度定着してしまっている。
    しかし、事実はこうである。 ― かつて、植民地獲得(とキリスト教布教)を推し進める欧米諸国(アジア全土の99%支配に至る)に対して日本は富国強兵で唯一対抗したが、あくまでも欧米諸国の国際法を遵守し、同じルールで争い、第1次大戦後は国際連盟などで人種差別撤廃を主張している。もちろんヒットラーの様なホロコーストはもちろん欧米諸国のような破廉恥な搾取的植民地支配も実施していない。 ところが、20世紀前半は共産主義と米国の新世界主義(グローバリズム、マグニフィセントデスティニー:明白なる宿命=西部開拓=国際社会の統合)が顕著になった時代で、自己を正義と考え有色人種の反抗をおそれる欧米諸国、特に米国は日本を抑え排除するため、中国の内乱に乗じて反日を醸成して日本を陥れ(日本の迂闊さと内政の混乱は悲しい)、明らかに戦時国際法違反の無差別空襲や広島長崎核攻撃をも行い戦勝した。しかし、日本の奮闘を見たアジア各国は、混乱を利用して立ち上がり植民地独立戦争に勝利して多くの国が独立を勝ち取っていった。
    対日戦勝国は、日本をナチスドイツとおなじ不道徳国家にしておかないと、冤罪を課された日本の反論を許すと、自国の不道徳が明白になり戦勝国の利益も損なわれる可能性があるので、一切日本の反論=歴史の見直しを許さないというのが実態である。しかし、GHQ米軍総司令官だったマッカーサー元帥は、朝鮮戦争を指揮した経験から極東での日本の立場を実感理解し、1951年の米国議会で日本の戦争は自衛戦争で侵略戦争ではなかったと証言している。
    中国は古代から東アジアの盟主(覇権国)としての矜持があったが、19世紀以降植民地化され屈辱を味わったため、現在の中国(核武装し日本のODAで経済成長を遂げた)は、これを雪辱し再び東アジアの盟主(覇権国)に復帰しようとしている。また中国共産党の正当性は対日戦勝としており、そのためも日本を超克し制御する戦略を秘めている。一方、朝鮮は古来から中国の朝貢国で日本の上位国との思い込みがあり、日韓併合を逆恨みし日本を超克したいと思っており、再び中国の影響を大きく受けつつある。そのため中国と朝鮮は戦勝国を詐称(日本は共産中国と朝鮮とはほとんど交戦していない)し、その点で欧米の立場に立ち日本の反論=歴史の見直しを許さない。
    また、米国は旧世界を脱出した人々が建設した新世界=他民族移民人工国家であり、前世紀での世界覇権取得もあって米国化=グローバリズムとして、自己を正統視する意識が強い。そしてその統一のためには、日本のような自然発生単一民族伝統保守国のナショナリズムを容認しない。
    つまり、もっと要約すると、日本は押し寄せてきた欧米勢力に対して中国と朝鮮と共に対抗しようとしたが当てにならず、やむなく世界でたった一国で立ち向かい一時は押し返した。しかし、逆恨みする欧米勢力は中国を取り込み日本と共闘できないようにしてから挑発し全力で再度襲いかかって日本を排除し、ナチスドイツの同盟国として同じ罪状で日本を裁いたというのが真実だろう。もし、日本がなかったら今でもアジア全域が欧米の植民地のままであったろうし、もし当時の中国と朝鮮がともに立ち上がって共闘していれば、もっと平和で道義のある世界になっていたと想像できると思う。

    では、どうしたらよいのか? 個人は、仕事の場で―社交の場で―生活の場で―そのような偏見を持つ外国人とどう接したらよいのか? そして日本政府は? 
    まず、個人は、無理に行う必要はないができれば、上記の外国人の認識を理解した上で真実を勉強し、なるべくソフトに根気強く説明し誤解を解く努力をすること。その時には先に、日本人は過去を水に流す淡白なお人よし文化なのでお互い未来志向共存共栄で行けること、そしてハワイ人と同じように日本の真のHULA(物語・歴史・伝統・文化; 6.HULA参照)を取り戻したいだけであることを事前に協調することが重要かと思う。 冒頭の、狂信集団がやって来て自宅と隣家が襲われた例え話をするのも良いと思う。また、後述のグローバリズムとナショナリズムの実相について話し、お互いのHULAを貶すよりは、理解し合い切磋琢磨しようと訴えることかと思う。 そして、理解してもらえたらできれば友人に伝えてもらうことも必要かと思う。 捕鯨については、乱獲し絶滅近くに追い込んだのは鯨油のみを目的とした欧米の捕鯨であり、古くから自然の恵みとして大切に鯨に接してきた日本の捕鯨は資源復活をめざすものであり問題がないこと。殺生を問う資格は畜産や漁業を行うどの国にもなく、それでも問うのは偽善であることを淡々と言えばよいのではないか。それでも、多くの場合は理解されないかもしれない。その時は、仲違いせず無理強いせず、国の数だけ歴史物語があってよいが若者同士お互いに真実を勉強しよう、と言うのが良いかと思う。
    日本(政府)がどう対応すべきかは、個人の場合と異なり、各国の国益(実益と名誉ひいては国家の存亡)にも係わり難しい。日本国として言動がぶれてはまずいし、いつまでも言われっ放しでは不道徳な日本の誤ったイメージが定着してしまい、日本の真の国益、誇りが損なわれる。また、不用意に急に事実を主張すると不利益を妄想する外国の無用な反動を拡大してしまう。さらに国内には反日日本人、無国籍宇宙系日本人も大勢いて足を引っ張る。そしてなによりも現状は、村山談話や河野談話で先方の主張を国が認めた形になっているのが決定的である。 ―  やはり、HULAの復活を目指して賢人と現場の英知を集め十分戦略を練り工作準備し、経済的損失発生の覚悟も決めて、村山談話や河野談話の訂正を理由を付して穏かに毅然として行い、国際秩序を乱さないこと未来志向であること、そして互いのHULAを理解し合うべきことを強調することかと思う。それまでは、一切の言動を封印しノーコメントを貫き、明確な侵略以外には挑発に乗らないこと。ノーコメント期間は1~2年程度とし、できるだけ早期の機会(戦後70周年を前倒し?)を選ぶことだろうと思う。
    では、以下にいくつかのポイントに分けて、もう少し詳しく論じてみよう。

    2.コスモポリタニズム、グローバリズムそしてナショナリズム
    日本の歴史観などHULAを主張しようとすると、海外ジャーナリズム、戦勝国、反日日本人などは日本の偏狭なナショナリズムの復活と非難する。確かにナショナリズムは偏狭な排外主義、国粋主義に陥り易い側面もあり、その極端な例がナチズムのドイツであろう。しかしユダヤ人哲学者アーネスト・ゲルナーが明らかにしたように、ナショナリズムは民族の自立と国民主権・平等を求める政治的原理であり明らかに国家に必要でもあり悪ではない。国民が共有するHULAを排外的にならずに保守発展させようとするのは当然悪とはいえない。要は共存共栄をめざす健全なナショナリズムは問題ないということだ。個人でいえば健全なアイデンティティーを持たない人間が社会生活を全うできないのと同じで、ナショナリズムのない国は国際社会での存立は困難ということだ。
    一方で、確かに人類皆兄弟で、世界中の国境を無くし全人類が仲良く暮らせたらどんなに良いだろう。― アフリカ以外の現人類約60億人は、5~10万年前にアフリカを出た100人未満のアフリカ人集団の子孫だというではないか。― そのような素朴な感情が基底になって、リベラルなコスモポリタニズム、グローバリズム、世界政府思想、世界共産主義運動などの理想主義的思想潮流がある。 そして米国は旧世界を脱出した人々が建設した新世界=他民族移民人工国家であり、前世紀での世界覇権取得もあって米国化=グローバリズムとして、自己を正統視する意識が強く、日本のような自然発生単一民族伝統保守国のナショナリズムを敵視とは言わないが理解をしようとはしない。いずれ吸収されるインデアンやハワイアンのような存在とみている。しかし、様々なHULAを持つ人々の集団である米国社会や多くの他民族国家・連邦の統合の困難さの実相をみると、その完成には数千年以上掛かると思われ、その中で多くのHULAが失われるであろうことは想像に難くない。つまり、反抗と騒乱と内乱が絶えず、理想の実現は多分困難ということだ。そしてその世界はモノトーンであろう。
    ナショナリストの現実的理想は、世界政府などを作らずに、HULAごとに国がまとまり、それらの国々が共存共栄し、かつ、それぞれのHULAが切磋琢磨してより高度のそれぞれのHULAを築き上げていく、それが多彩で安定し満ち足りた高級な世界をもたらすのではないだろうか。またその方が、理想に近い世界の実現は、早く確実なのではないか。

    3.日中戦争と大東亜戦争への経緯
    (1)戦勝国の認識≒東京裁判史観≒国連憲章史観
    日本は帝国主義国、軍国主義国として明治以来アジア諸国を侵略した。特に満州事変を引き起こし、満州国に傀儡政権を設立して支配し、さらに日中戦争をしかけ中国に戦火を広げ侵略した。これらを制するためABCD各国(米国、英国、中華民国、オランダ)は日本に経済制裁を加えたが、日本は反省せずに日独伊の全体主義国の3国同盟を結び、資源を確保するためにフランス領インドシナ(ベトナム)に進攻した。そこでさらに対日経済制裁を強化したところ、卑怯にも宣戦布告せずにハワイの真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争を引き起こし、連合国の反撃にあって自滅した。そしてドイツの欧州侵略とユダヤ人ホロコーストの大罪は明確であり、その同盟国でもある日本は国連憲章の旧敵国条項対象国となることは当然である。 また、靖国神社は日本の侵略戦争の戦没者を主として祭っており、それを参拝することは侵略戦争を正当化し、戦後秩序を否定し変更する意思の表明であり、特に公人が参拝することは大問題である。
    (2)真相
    日本人は太古から江戸時代まで日本列島でほぼ自足し平和に暮らしていた。 欧米諸国は16世紀以降の大航海時代を経てアジア大陸、アメリカ大陸、太平洋諸島などを侵略し植民地とし(地球表面の60%、アジアの99%を支配)、明治時代の世界は弱肉強食の帝国主義の時代であり、日本も飲み込まれる恐れがあった。これに対して日本は明治維新後に富国強兵政策で対抗しようとし、また同じアジアの隣国の朝鮮と清国とともに欧米諸国に対抗しようとした。しかし、両国は目覚めず、逆に清国は最後の朝貢国の朝鮮の離反を防ぐために日本を新型戦艦定遠などの北洋艦隊で威嚇する有様だった。また、ロシアが不凍港などを求め朝鮮を伺っていた。そのような時に朝鮮での内乱が契機となりロシアの南下をおそれる日本は日清戦争に入らざるをえなかった。列強は日本の敗北必至と見ていたが何とか日清戦争に勝利した。その日本に対して、ロシア、ドイツ、フランスが干渉し、さらに北清事変後ロシアが満州を占領し朝鮮を再び伺い、日本の命運も風前の灯といわれた。これに対抗するため日英同盟を結んだ日本は乾坤一擲の賭けに出て、危うく日露戦争での勝利を得た。この勝利はアジアアフリカそして米国黒人など人種差別に苦しむ人々の勇気を鼓舞したが、欧米諸国の警戒感を呼び、黄禍論を燃えがらせた。この後の約30年の経過は非常に重要であるので、主要な経緯の年表を以下に記した。

     1904年 日露戦争 (この頃の満洲の人口は100~400万人:満洲人が建国した清国は、漢人が万里の長城を越えて満洲に入域することを禁止していた)
    1905年 ロシア第一革命(共産主義の本格的勃興)、
         ハリマン事件(米国の鉄道王ハリマンが満鉄日米協同管理提案-日本側拒否)
    1906年 米国で日本人学童隔離、反日暴動(米国での反日の浸透激化)、
         日本が南満州鉄道会社を設立しその防衛などに関東軍を設立駐屯
    1907年 清国が満州に東北三省設置(満州に漢人が不法居住することに対応)
    1911年 中国辛亥革命(清国の消滅、満州にも漢人の匪賊(張作霖など)が跋扈し軍閥化がすすみ群雄割拠、漢人の越境で満州人口は1800万人に膨れ上がる)
    1914年 第1次世界大戦(戦後は米国と日本の勢力が拡大)
    1917年 ロシア3月革命、ソビエト連邦発足、
          石井ランシング日米協定締結(日本の中国における特殊権益の承認と、中国の領土保全・
    門戸開放・機会均等などを決めた。1923年破棄)
    1919年 パリ講和会議で日本が人種差別撤廃を提案、米国のウイルソン議長が不採択宣言。
         中国で5.4運動(米国の策動で日貨排斥が始まる。)
         中国国民党成立(中国は群雄割拠状態続く、米国は国民党を支援)
    1921年 ワシントン軍縮会議で9カ国条約締結(主力艦制限と共に米国主導で極東・太平洋地域の国際秩序確立。日本は山東半島などの権益を放棄し日英同盟も廃棄させられた。)
         中国共産党成立(ソ連のコミンテルンと連携)
     1923年 関東大震災 (第1次世界大戦後の日本の不況はさらに激化)
     1924年 米国で排日移民法可決(新渡戸稲造などの知識人や政治家や外務官僚の多くは日本人移民の民度の問題として軽視し、米国の根底にある対日悪意に気付いていなかった)
     1925年 日本で普通選挙法と治安維持法成立(大正デモクラシーのピークと行き詰まり)
     1927年 金融恐慌、第1次南京事件(国民党軍が日英米居留民を暴行掠奪、中国内の混乱の典型で類似の対日暴動事件が繰り返される、暴行略奪に強く抗議しない幣原国際協調外交(大人の対応)に日本国民の多くが失望)
     1928年 張作霖爆殺事件(後継者の子息の張学良は蒋介石と連携し米国の支援を受け日本に対峙)
     1929年 世界恐慌(世界のブロック経済化が始まる)
    1930年 ロンドン軍縮会議(補助艦制限交渉)
         統帥権干犯問題(政局に終始する政党政治への失望拡大、軍部の台頭)
    1931年 満州事変(関東軍の策謀で開戦し張学良らの軍閥を征討し全満洲を占領、満州国建国。関東軍参謀の西原莞爾は来るべき最終戦争(日米戦)に備え日満連邦?を構想。)
    1933年 国際連盟脱退(満州国が否認されたため。日本の満洲権益は認められており、国際社会の認識は侵略ではなかったので、反論対処のしようはあったと悔やまれる。)
         米ルーズベルト大統領就任(国務省を通さず対日強硬外交、ニューディール政策)
    1936年 西安事件(蒋介石が張学良に監禁され、周恩来の調停で抗日統一戦線が構築される。)
     1937年 日華事変(北京の国際駐屯部隊の一つの日本軍に、何者かが発砲して国民党軍と交戦状態となり日中戦争始まる。)
          米国ルーズベルト大統領の隔離演説
     1938年 近衛文麿首相が東亜新秩序建設を声明(日本・満洲・中国の経済圏構築の主張に対し、米国は反発し国民党軍支援(軍事物資輸送、偽装米空軍フライングタイガーの派遣など)を強めた。米国は南北アメリカ大陸経済ブロックを独占しているにもかかわらず、日本が東アジアブロック経済を構築することを許さなかった。)
     1939年 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに進攻し大戦へ)
          対日経済制裁開始
     1940年 日独伊3国同盟
     1941年 日ソ中立条約(4月)→日米交渉→大東亜戦争宣戦布告(12月8日)
     1945年 敗戦(8月15日)

    大胆に要約すると、
    米国は、神聖な使命とする新世界の拡張のために中国権益と太平洋覇権を獲得しようとし、それにはだかる日本(日露戦争に勝利し人種差別撤廃を掲げる)をおそれ排除を図った。その手段として中国のナショナリズムを煽り、反日に駆り立てて日中間の戦争を招来した。首尾よく日中戦争が始まると、侵略への懲罰として経済制裁を加えて日本を追い込み、米西戦争と同様に日本に奇襲攻撃をさせてこれを卑劣として厭戦の米国民を扇動し、総力戦に導いた。 戦争に勝利するとWar Guilty Programで日本の近代史書籍を実質焚書して検閲を強化するなど、日本人に贖罪意識を植え付けた。敗戦国に対するそのような措置は以降の戦争を激烈な絶滅戦にしてしまうため、本来国際法で禁じられ、敗戦国が生存可能な領土の割譲や賠償金で手打ちにしているはずのものである。
    中国は、列強に蚕食され軍閥の群雄割拠状態で、東アジアの旧覇権国としての誇りを大きく毀損されナショナリズムが高揚していた。これに中国人の性格(遵法精神に乏しいこと、付和雷同性、残虐性など)に加え、欧米人への劣等感、日本人への嫉視もあって、米国や共産コミンテルンの策動にのり、愛国無罪として無法過激な反日暴動を繰り返して日本を挑発し、英米の支援を受けて日中戦争を引き起こした。
    ソ連は革命後の国内建設に忙しかったが、日露戦争の雪辱と世界共産革命は忘れていなかった。ナチスドイツとの戦争が近づき西に戦力を集中したいソ連は、日本との戦争を避けるために日米開戦を工作(米国中枢にシンパ工作員が多数潜入)し、米国指導部を密かに誘導した。また、ポツダム宣言受諾後で日本軍が無条件降伏した後に、中立条約を破り千島列島や樺太さらに北方4島を不法に占領し、日露戦争の雪辱とした。
    日本は、ロシア(ソ連)の反撃南下、漢人と共産主義の浸透などに対抗するためもあって、日露戦争で血で購った満州の権益を死守しようとしていた。そこに世界恐慌後の経済ブロック化が始まりそれに締め出されたため、国際的に認められていた満洲権益を含めた日本の経済ブロックを英米と同様に構築しようとした。満州の中でも近隣の中国でも中国人の過激な反日行動で被害を受け、かつ過剰な幣原協調外交に苛立つ日本人は米中の挑発にのり日中戦争に引き込まれた。それを中国侵略と断定し日本を非難してハルノートで実質的な宣戦布告してきた米国に対して自衛戦を覚悟したのだった。 対米戦は日露戦争と比べてそれほど無謀な戦争ではなかった。米国側の研究でも日本が日露戦争のように日本近海で迎撃するシーレーン防衛戦争に徹して言論戦を併用していれば、敗戦には至らなかったとしている。元々日本の大本営の対米戦略方針はそうだったが、山本五十六長官が真珠湾攻撃をはじめとする前方展開戦略に固執したとのことである。また、第1次大戦の経験から当時の米国民の多くが厭戦派で、日本の主張の正当性も十分あったので、米国の底意を見抜き十分な反論主張言論戦宣伝戦をしたたかに行っていれば、現在のような不利な立場に追い込まれなかったのにと悔やまれる。日本人の情報音痴、主張下手、政党政治ガバナンス不全、西洋ボケ、能天気リベラリズム、明治憲法体制の欠陥が遠因にあったのかもしれない。

    昭和16年(1941年)12月8日の昭和天皇陛下の大東亜戦争開戦の詔勅全文(現代語訳)は以下のとおりであり、歴史の実相を明らかにしている重要な文書で、噛みしめておく必要がある。
    「神々のご加護を頂き万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。 そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 
    中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府(汪兆銘政権)に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
    ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 」

    これに応え、家族を思いつつも敢然と戦地に赴きあるいは不法な東京裁判を受け入れ散華した多くの英霊を、日本の伝統に則り靖国招魂社に祀り、公私ともに敬い参拝することは当然であり、それを政治的に批判することは心情としても許すことはできない。

    4.中国(南京事件、尖閣問題)と朝鮮(日韓併合、創氏改名、従軍慰安婦問題、在日朝鮮人、竹島)
    前記までの本流の歴史にくらべ、題記の問題はマイナーに見えるが油断できない。中国と朝鮮は日本の汚名を捏造して宣伝し、日本を非道な加害国として貶め、自国は被害国として世界の同情を買い、それにより自国の発言権と利益を増大させようとしている。 これをマイナーなこととして軽視し、大人の対応などと高をくくるととんでもないことになる。  スペインの例がある。 
    16世紀のスペインの南米侵略を、敵国のイギリスとオランダは実際以上に陰惨に銅版画や書籍で世界中にばら撒き宣伝した。その結果、いつしかスペインは暗黒の帝国として貶められ、国際的に定着してしまった。中国と朝鮮はこれを狙っている。 政府はもとより、日本人各人も真実を知って可能な限りしつこく反論しなければならない。 
    (1)南京事件: 日中戦争中の1937年末に、日本軍は南京の蒋介石政府を攻撃し敗走させたが、現在の中国政府はこのとき南京市民30万人が虐殺されたとして記念館まで造り宣伝している。しかし、証拠写真のほとんどは偽造されたものでそのような事実はない。もちろん戦時国際法で禁止されていたゲリラ兵を国際法により処刑した写真や戦闘後の写真があるが、それらは誇張して使用されている。 当時南京には多くの反日欧米人も居たが虐殺を非難する声は上がっていないが、その事実が無いから当然である。事件を初めて挙げたのは1946年の東京裁判で、この時の虐殺数は10万人である。ちなみに当時の南京の人口は20万人以下と言われている。この事件は相当研究されていて無罪がほぼ決着しているが、一般にそうである様に無かったことの完全証明は難しく、中国は一歩も引かないため、諸外国は静観か戦後国際秩序尊重姿勢。 ユダヤ人ホロコーストの暗黒を抱えるドイツは、矛先をかわすために?南京事件の映画を最近撮影したとのこと。 中国では古来10万単位の虐殺は日常茶飯事で、最近では毛沢東が3000万人を餓死させている。そのような中国人の感覚で自己投射し、日本人もやって当然と思うのだろう。
    (2)尖閣諸島: 最近の中国は、日本は日清戦争で尖閣諸島を掠め取ったので、ポツダム宣言(日本が清国以降に略取した領土を無条件で連合国の中国に返却せよと明記)を受諾した日本は尖閣諸島を中国に返還すべきで、自国領土としている。しかし、日本は日清戦争以前に無主地の尖閣諸島を領土に編入しており、ポツダム宣言対象外。その他の外務省の証拠も完璧で、日本領であることは完全な事実で実効支配している。 近海で石油が見つかるまでの中国の諸文書では日本領と認めていたが、その後急に態度を変えている。1972年の日中平和条約では一切記載がないが、日本は問題ないので議論しなかった立場で、中国は棚上げ論を主張。中国と全面対決したくない米国は、日本の施政権を認めるが領有権については中立の立場で狡猾。
    (3)日韓併合: 1910年当時の帝国主義全盛の中での朝鮮の国力と内紛と無抵抗、国際的にも理解されむしろ国際秩序安定化のため勧める国もあったこと、日本の元老で日韓併合に反対していた伊藤博文を朝鮮人が暗殺したことなどを考えると止むを得ないといわざるを得ない。また、国際法手続きも万全で朝鮮側の納得の上の合法な併合となっている(因みに米国のハワイ王国併合は1898年)。これに対する朝鮮側の主張は、弱者を脅迫して朝鮮人民の激しい抵抗のなかで合意させた卑劣なものとして無効であり、日本の侵略は明らかとしている。
         しかし、当時の朝鮮は数百年の悪政の結果、世界最貧国として荒廃し、支配層と国民は離反しており無気力で抵抗するものはほとんどおらず、特段無理強いするまでもなかった。日本では、資源がなく荒廃した朝鮮を背負い込むことに反対する意見も多かったが、上述の情勢から真空地帯ができることをおそれて併合した。併合に当たっては、欧米のような植民地搾取を行わず(とるものがなかった)、東アジアの自立を意識して、朝鮮人の自主性を教育で引き出し、鉄道や治水や工場などインフラ建設を行い、朝鮮経済を一変させ今日に至る隆盛の社会的基礎を築いた。そして軍隊も再建させ警察官のほとんどは朝鮮人であった。
         甘んじて支配され続けた歴史しか持たない朝鮮は、日本の支配に抵抗し続け独立を自力で勝ち取ったとの物語を信じたいのである。真実はおぞましく正視できないのであろう。
    (4)創氏改名
        無理やり日本式の姓名を名乗らせたわけではなく、自由選択としており、生活の便宜から日本式の姓名を名乗る朝鮮人が多かった。また、日本は廃れていたハングルを復活させ、学校教育に取り入れて自立精神向上を推奨した。
    (5)従軍慰安婦問題
        ドイツが実施したような、国家として慰安婦を管理したり狩り集めたりすることは全くなかった。戦場で商売をする民間の慰安婦、娼婦は大勢いたが、これは現在でも同じことである。彼女達の給与は銀行員より高額で、応募する者が大勢居た。性奴隷などでは決してない。日本軍は戦線での現地人との摩擦を避けるために、日本人(併合した朝鮮人を含む)の民間慰安婦を歓迎し、性病管理はしたがおおらかに便宜を図った。悲劇があったとすれば、民間業者(女衒)が若い女性を拉致したことがあるが、日本政府はそれらを取り締まっている。もし、昼日中に朝鮮女性を組織的に拉致しようとすれば、警察官のほとんどは朝鮮人でもあり、自立しだした朝鮮人男性は黙ってはいなかったはずである。また、女子挺身隊が戦争末期はあったが、これは徴兵徴用で少なくなった男性を補うために、女学生などが工場や農場などに総力戦のもとで動員されたもので、慰安婦ではない。当時日本人であった朝鮮人女学生も同様に動員された。   問題を深刻にしてしまったのは、1993年に自民党リベラル派の河野洋平官房長官が、「調査した結果、国の関与を認める証拠は発見できなかったが、関与の可能性は否定できないので、悲惨な体験をされた従軍慰安婦の方々に謝罪する。」と大人の対応?をして、民間のアジア女性基金を設立して非公式賠償を行ってしまい、朝鮮側の主張を認めた状態を作ったことである。(河野談話問題) 米中韓と反日日本人は、日本の公式見解としてことあるごとにこれを持ち出し確認を迫り、歴代内閣は踏襲させられている。
    (6)在日朝鮮人
        在日朝鮮人は強制連行されてきた人々だとの誤解があるが、むしろ豊かな日本に移住しようする朝鮮人が多く規制するほどであった。また、戦争の激化で多くの日本人男子が兵役と徴用(強制であり拒否すると処罰された)にあったが、日本国民であった朝鮮人もやや遅れて同じように兵役と徴用が課された。 終戦で在日朝鮮人の帰国は自由となったが、多くの人が自由意志で残った。彼らの内面は複雑のようであるが、帰化できるのに在日朝鮮人のままで居るのは、強制連行の被害者の子孫としての存在の方が都合良いからと思われる。また、日本人の誤った贖罪意識が彼らの存在を許しており、パチンコ業界など彼らに妙な優遇特権を種々与えている。父さんも民団(大韓民国団体)の幹部と交渉したとき、民団を誇示する高圧的な態度は忘れられない。
    (7)竹島
        明らかに日本領で証拠もしっかりしている。 終戦後の初代大韓民国大統領の李承晩は、対馬などとともに竹島の領有権を主張したが米国に拒否されたため、1952年突如李承晩ラインを設定し竹島に韓国軍を上陸させ、不法な李承晩ラインを越境する日本漁船を拿捕し始めた。日本と米国は抗議したが拒否された。1963年の李承晩退陣後の政治的混乱を収拾した朴正煕大統領の就任後、1965年の日韓基本条約調印で李承晩ラインは撤廃された。その際「竹島問題は紛争処理事項である」と記されたが、竹島の領有権については事実上棚上げされている。しかし、実行支配を強めた韓国は竹島問題は紛争処理事項ではないとして、日本の国際司法裁判提訴に応じようとしていない。 日本側の妙な贖罪意識が日韓基本条約調印時の棚上げを許してしまい、平和的な奪還のチャンスを逃し問題をこじらせていると言える。

    5.日本はどう向き合うべきか
    (1)お互いのHULAの好意的理解
    本来は、お互いのHULAを貶しあうべきではなく、理解し合うべきである。まずはそれぞれのHULAを好意的に少しレビューしてみよう。  このような精神でお互いが向かい合えばどんなに平和だろうか! ここを日本は強調し、反撃のベースとすべきではないか!!
    米国は、新世界を望む人々によって建国された若々しい歴史を持ち、民主主義、アメリカンドリーム、ジャズ、映画、芸術、ベンチャー企業、発明、ファーストフード、などから連想されるように、明るく強く公平で愉快な先進的文化を持ち、世界をリードし活気付けている。お節介で間違いも多いが、世界の困難な問題に敢えて取り組む義侠心を秘めている。
    中国は、世界で稀有な5000年もの長大で多彩な歴史と厚い文化層を有し、思想、文学、芸術、漢字など世界に大きな影響を与えている。その精神は泰然としており智恵に富み、強靭である。中華料理の美味しさは世界遺産だろう。
    韓国は、強大な中国に直接対抗し生き延びた古い歴史と、白磁器などの多くの優れた芸術文化を有し、儒教をベースとした独特の礼儀と強靭な文化を持っている。韓国料理のファンも世界的。
    ロシアは、ロシア正教やモンゴルとの抗争などの分厚い歴史をもち、ヨーロッパとアジアの両方の融合したものから紡ぎだされる独特の文化を形成した。その文学、音楽などの芸術は真摯で華麗で、繊細で、逞しさがある。その精神は控えめだが強靭で、そして素朴で明るい。
    日本は、湿潤な国土風土と縄文時代を起源とする自然信仰・神道をベースとした「生成り」文化である。その精神は実直、誠実、謙虚、素朴を基本としており、また、ものづくりに長けた職人気質である。さらに、各国の文化を柔軟に取り入れ、侘びさびをはじめ独自の文化を紡ぎだし世界に少なくない影響を与えている。天皇は世界で唯一の一系の祭祀王として日本の中心にある。

    (2)政府のあるべき対応
     現在、安倍総理は歴史認識に関しては歴史家に任すべきであり外交問題とすべきではないとしており、外務省などのHPを見ても歴史認識に関する見解は一切掲示されていない。ただし、内閣の見解として戦後50周年に当たる平成7年に、以下に抜粋する村山総理大臣談話を閣議決定して内外に公表し、歴代内閣がこれを踏襲している。これは占領下にやむなく受け入れたはずの不法な東京裁判での日本断罪歴史認識に基づいており、朱書きした部分は事実に反し、日本の誇りと国益を大きく損なっている。

    ・・・・・平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて・・・・
      ・・・・・・・いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
      わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
      敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。・・・・・・・

    戦後70周年になる2年後の平成27年(2015年)には、村山談話から20年を経て多くの外交文書などの開示発掘と実証的研究が行われたとして、世界各国が真に理解し合い未来に迎えるように新たな次のような談話を、周到な準備と経済的損失も辞さない覚悟を以って公表すべきと思う。急がば回れである。

    【戦後70周年首相談話案】 (外交辞令的表現はなるべく省き、要点を記した。)
    先の大戦が終わりを告げてから、2世代に相当する70年もの長い歳月が流れました。あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、再び万感胸に迫るものがあります。また、これまでに多くの外交文書などが開示あるいは発掘されて研究が進み、わが国の平和で穏かで誠実な真の姿が世界の多くの人々に理解されてきたことを有難く思います。 いまや、徒にお互いを謗ることは必要なくお互いの真実を認め合った上で、健全なナショナリズムに基づいて切磋琢磨し、多彩で平和な世界を築くべきことは明らかになったと思います。
    思えば、極東におけるあの戦争は、当時の世界経済不況に加え各国の国情と政策の相互の理解が足りず、相互を尊重しあう健全なナショナリズムに基づいて切磋琢磨する機運が乏しかったことから起きた不幸な戦争でした。 わが国では世代を超えた恨みは残さず、水に流す文化があります。また、既に平和裏に多くの国々と平和の誓いを取り交わし、必要な償いを行ってきました。願わくは、当時のわが国民への非道な殺戮行為と中傷を無条件で許すと同時に、わが国が犯したかもしれない罪についてもあるとすれば許して頂き、今後相互に中傷しあうことは一切止めることを訴えたいと思います。
    現在の国際秩序はほぼ平和で、改善しつつも継続すべきことは明白であり、もはや必要のない国連憲章の旧敵国条項は削除し、連合国(戦勝国)憲章ではなく真の国際連合憲章とすることを最後に訴え、戦後70周年にあたっての日本国首相の談話といたします。

    この談話に対する内外のあらゆる反論中傷に対して、政府と主要な公人が毅然と対応できるよう、談話公表に先立って周到に連携して準備する必要があるのはもちろんだ。 重大な反論中傷としては、この談話が健全なナショナリズムに基づくものとして米国のグローバリズムすなわち米国の国体を暗に批判したものとされること、また、東京裁判を否定するものとして具体的な歴史観を質されこれにどう応えるかが重要と思われる。
    この他にも数多くの反論中傷が考えられるが、まず米国の国体批判との指摘については一切否定し、あくまでも人類数千年の苦い経験に基づく人類共通の現実的理想を述べたまでとするのがよいと思う。基本思想となるナショナリズムとグローバリズムについては前述の2.のとおりだ。
    具体的な歴史観を質された場合については、それは歴史家の仕事で本談話に尽きるとしてノーコメントを貫く手もあるが、むしろ専門官を配置して堂々と正論を展開した方が問題を起こさないように思う。ただし、多くの専門家と協議し十分な理論武装を行うのは当然だ。 試みに概説するとすれば、表現をもっとマイルドにすべきだが、前述の3.のようなものかもしれない。そして、東京裁判を否定するものとの指摘に対しては、もはや2世代を経て東京裁判の実相は明らかで、特にマッカーサー元帥の米国議会での発言(日本の自衛戦争)を指摘することでも十分とし、談話は現状の国際秩序を変更しようとするものではないと強調すれば良いと思う。 最大のネックは外務省にあり、全公務員を早急に再教育して納得してもらい、この主戦場で活躍してもらわなくてはならない。

    (3)その他の注意点
    なお、教訓として、満洲で見たように中国人の越境定住浸透傾向の強さ、他民族のHULAへの非寛容がある。満州に続きチベットもウイグルも飲み込まれようとしている。自然発生単一民族伝統保守国は十分に入国管理に気をつけなければならないが、中国人については特に厳しく規制した方が良いだろう。過剰な排外主義に陥らないよう留意しつつ、対策をとる必要がある。 気長にことを進める中国に日本も飲み込まれるおそれがある。

    6.HULA
     最近ハワイを旅し、改めてハワイ人(先住民)の苦難の歴史を深く知りかつ考えさせられた。多くの人が承知していると思うが、ハワイ人はHULA(舞踊と伝承(=歴史)と儀式と信仰などの複合文化)を民族文化の精髄として伝承し大事に楽しんでいたが、キャプテンクックを利用したカメハメハ1世によるハワイ王国樹立以降、近代化の先生の米国人(宣教師)に不道徳なものとして否定され非合法とされてしまい、持ち込まれた伝染病と相俟ってハワイ人文化は衰退消滅しかけた。これを憂えたカラカウア王(第7代王で明治維新による日本の自立に関心を持ち、明治14年に来日した折にハワイの真の独立のために、日本の皇族との姻戚関係樹立(これは失敗)や日本人移民導入(これは実現)などを明治天皇に要請した)は、HULAを苦労の末復活させた。それが1970年代のハワイ人文化ルネッサンスに繋がり、現在のハワイ人の誇りと生き場をかろうじて保っているように見える。(米国へのハワイ併合は1898年、米国50番目の州への編入は1959年) 
    もし、HULAの復活がなければハワイ人はただの先住民の末裔として、アメリカ社会に完全に溶け去っていたと思われる。 文化歴史=民族の誇りを失うことは民族の存続に係わることだとつくづく思う。そして、近代化とその後の東からきた米国人による占領と文化侵略の構図に既視感をも覚えた。 ホノルルのビショップ博物館の元人類学部長で、ポリネシア考古学の権威の篠遠喜彦博士によると、ハワイ人≒ポリネシア人と日本人は10世紀に遡る漂流民を通した細い交流があったようで、太平洋領域に生活している隣人として無関心ではいられない。
    外国の歴史観に染まった日本人社会は多分凋落し、五百年を待たず雲散霧消して、満州族の満州のように中国の一つの省になるか、ハワイ王国ようにアメリカの一つの州にでもなっているのは確実だ。さらに二千年も経てば世界は統一されているだろうからそれでいいじゃないかって? 過去と現在そして未来の日本人の存在は、誇りは、道徳はどうでもいいのだろうか。 我々はそんなに軽い存在なのか。 我々の文化DNA(ミーム)はアメリカ文化や中国文化などと比べて消滅すべきものなのか。そして、グローバリズムの世界は本当に平和で多彩な幸せな世界なのだろうか?
    たぶん、歴史認識、靖国神社参拝問題、憲法改正、南京事件問題、従軍慰安婦問題、竹島尖閣問題など一連のものに通底するものは、日本人にとってのHULAなのではないかと思える。

    以上

  3. >若菜さま
    自分たちこそ正義だと思っているのでしょうね。

    >定年退職研究者62歳男性 さま
    大作を投稿くださりありがとうございました。

    これだけの長文をお書きになられるのですから、
    ご自分でブログなど始められたらいかがでしょう。

    息子さんたちが、父親の思いを受け止めてくれるといいですね。

  4. 西尾先生、私は大きな流れを、わかりやすくしたいのですが、
    下記の内容に間違いがありますでしょうか?
    http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html
    「条約」でみていけば日本は何も悪くないと思いますので、
    ぜひ西尾先生に『日本の正当性を条約でみていく近代史』という感じの題で、
    アヘン戦争あたりから大東亜戦争までを、条約を中心に解説していくものを
    書いていただきたいのですが、どうでしょう?

  5. 「定年退職研究者62歳男性」さんと「 尾辻蒼志」さんへ

    ご両名から長文の歴史像をいただいたことを重く受け止めています。今、丁寧に読み、詳しく解読するのにはたまたま仕事上タイミングが悪い。しかし、大切な観点なので、必ず対応させていただきます。さし当り今7月15日の講演と「正論」9月号がダブル事態で、身動きできません。

  6. はじめまして。大学教員をしています。
    先生のご意見は本当に貴重だと思います。
    先生のような大局的な見地から歴史を俯瞰できるような見方が世に広まれば、世の中が一変するのではと想像します。
    インターネットのおかげで情報源が多様化し、特に若い人の間で西尾先生のご意見に感銘をうける人も増えていますね。
    将来に期待できる良い傾向だと思っています。
    ただ、インターネットの情報源、それも歴史・政治関係を深く探るような時間とか意思をもつ人というのは全体からみればまだまだごく少数です。
    現状では客観的な立場にたった歴史認識が浸透していないと思うのですが、その現状を変えていくためには、先生は何が必要で、どう行動するのが良いか、もしそのアイディアをお持ちであれば聞かせてください。
    米国が日本を陥れて戦争に引きずり込んだのには、コミュニストの暗躍なんかもあると思いますが、それはともかく米国に正当性があったとは思っていません。私も基本的には、定年退職研究者62歳男性さんが書かれているように、敗戦国を悪役にしておきたい戦勝国の思惑があったと思っています。国連自体、そういう戦勝国(常任理事国)に都合の良い戦後秩序を保つための機構だと思っています。その現状認識にたてば対峙しなければいけない問題が如何に巨大かということを思い知らされます。
    ただ、僭越ながら私にもアイディアがあります。これに対して先生のご意見をぜひお聞きしたいと考えていますので、もしご興味を持っていただけたならメールにてご連絡できればと思います。お忙しい中、読んでいただきありがとうございます。

  7. 西尾先生、お忙しいのに御返事をいただきまして ありがとうございます。

    7月5日に書き込んだあと、なんか恥ずかしくなってきて、
    書き込まないほうが良かったかなと思っていました。

    このまえ自分で、英清アヘン戦争後から、
    年代順に関係する条約を並べて最小限の説明を付けながら
    書いていく試みをしていましたが、史料不足で、途中で断念しました。

    背景を書くと、かなり説明が長くなってしまうものや、
    「この解釈でいいのか?」と躊躇するものも多く、
    なるべく「条約」という「事実」のみを並べただけで、
    日本の正当性が誰にでも簡単にわかってしまうものを書くのは
    大変だと思いましたが、広く一般の人に簡単に理解できるものを
    作らなければ、自虐史観に洗脳された多くの日本人の目を覚ますことは
    できないと思い、西尾先生のブログの投稿欄に
    書き込んでみようと思いました。

    以前から西尾先生を尊敬しています。
    いつまでも日本のために頑張ってください。

  8. 定年退職研究者様の「息子達へ」
    大変感銘を受けました。
    ブログ等に掲載して永久保存すべきと思います。

  9. 西尾先生、皆様 お疲れ様です。

    西尾先生、いつもブログを見て勉強をさせて頂いています。

    私は、安倍総理は歴史認識についてこれからどうしていくつもりなのか、
    少し不安を感じていました。
    しかし、記者クラブでの安倍総理のお話を聞き、
    きちんと戦略を立てられてやっているのかなと、誰よりも歴史認識の問題に冷静に考えられていると思いました。
    「歴史に誇りを持っている」と述べた安倍総理。
    時間はかかるかもしれないけど、この人ならきっとやってくれる!そう感じました。
    以前中山成彬さんが安倍総理は靖国神社への想いがとても強いと仰っていましたが、私も安倍総理のお話からそう感じました。
    安倍総理には何とか秋の例大祭か8月15日に靖国神社参拝を静かにさせてあげたいです。
    私達国民も支えるので、安倍総理の周りの方々も靖国参拝してきなさい。後は私達に任せてと背中を押してあげて欲しいです。
    あと、マスコミの皆さんもどうか騒がないであげて欲しいです。

    西尾先生や安倍総理に任せるだけでは無く、私も出来ることを探して行こうと思います。
    英霊の皆さんの名誉、日本人の誇りを取り戻す為、日本人みんなで力を合わせて少しずつ前に進んでいきたいです。

    西尾先生、お身体に気を付けてこれからも頑張ってくださいね。

  10. ピンバック: 現代 note

定年退職研究者62歳男性 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です