「アメリカ観の新しい展開」(八)


「ロシア革命の評価なしに世界史は完成せず」(福井)
「英ソ接近もあった」(西尾)

 福井 『天皇と原爆』は基本的には東京裁判史観を見直すというスタイルですが、私はニュルンベルク史観も見直さないと、バランスのとれた世界史、歴史にはならないと考えています。ドイツ単独責任論は、いわば政治的な議論です。ドイツは世界征服を企んでいたのではなく、地域の覇権国になりたかっただけなのに、チャーチルが大英帝国を破滅させてまでヒトラーとの「決闘」に勝つため、ヨーロッパ戦線を拡大してしまった。ユダヤ人の単なる迫害ではなく組織的虐殺が始まるのは対英和平が絶望となって以降です。

 西尾 パトリック・J・ブキャナンが『チャーチル、ヒトラー、そして不必要だった戦争』で述べていることと同じですね。この訳書が河内隆禰氏の訳で二〇一三年一月、国書刊行会から発刊されます。

 福井
 ブキャナンも今年の共和党大統領予備選で善戦したロン・ポールと同じオールド・ライトですよ。

 西尾 孤立主義ですか。

 福井 ええ。ただ、経済政策においては、ブキャナンが保護主義であるのに対し、ロン・ポールは市場重視です。国内政策においても政府はできるだけ何もしないほうがよいという、リバタリアン的立場です。他国とは貿易はどんどんやればいいが、軍隊が行く必要はないという考え方です。

 西尾 それは日本も納得できる思想ですね。

 福井 二十世紀前半史はやはりロシア革命の評価を抜きにしては完成しないということも強調したいと思います。最近秘密文書の公開が進んで、ソ連の世界赤化戦略はかなり進行していたことが分かってきました。これまでは、世界革命論者のトロツキーに対してスターリンは一国社会主義者、ただのロシア帝国主義者だと考えられていましたが、実はスターリンも全世界赤化を虎視眈々と狙っていたんです。トロツキーと基本的には目標は同じだったんですよ。ただ、トロツキーと違ってプロの政治家、リアリストだっただけなのです。

 一九三〇年代後半すでに、ソ連の軍事力は日独を圧倒していて、防衛のための兵力というには不自然で、常識的に考えて、攻撃を準備していたとしか考えられません。

 一九三一年の満洲事変の二年前の二九年、満洲で中国とソ連の戦争がありました。中東路事件、奉ソ戦争とも呼ばれています。その直前、中国がハルビンのソ連領事館を捜索したところ、赤化工作や謀略を指示する機密文書が見つかり、ソ連と中国の関係が悪化し、ソ連利権だった東支鉄道の張学良による強引な回収を契機に武力衝突となった。日本も満洲の赤化工作については非常に憂慮していたはずです。ところが、こうした事実は大きくは扱われず、関東軍がただ侵略のために満洲事変を起こしたかのように言われる。

 奉ソ戦争ではソ連軍が越境して武力攻撃したにもかかわらず、満州事変における対日非難に比べて、アメリカの対応はかなり抑制されたものでした。そのアメリカのルーズベルト政権に、ソ連のスパイが大量に潜り込んでいたことが、一九九五年に公開された「ヴェノナ文書」(ソ連スパイとモスクワ本部がやりとりした暗号電報を米軍が解読した文書)で疑問の余地なく明らかになったことは、皆さんご承知の通りです。アメリカを対日戦争に向かわせるために、ソ連の意を受けたスパイたちが政権内でその影響力を行使したことも分かってきています。ただし、ルーズベルト自身、対日戦を望んでいました。いずれにせよ東京裁判史観を否定する事実です。

 西尾 先ほど、アメリカ人宣教師たちが主導したと紹介したシナ大陸における排日運動の担い手も、ロシアから入ってきた共産主義者たちに取って代わりました。一九一七年のロシア革命から間もない二二~二三年のことです。

 福井 ソ連の世界革命戦略は、さらにドイツ単独責任論も否定します。独ソ戦は、ドイツが一方的にソ連に攻め入ったと考えられてきましたが、実は「スターリンは対独攻撃を準備していたが、ヒトラーに先を越されてしまったのだ」と考える研究者が増えてきています。ドイツのバルバロッサ作戦は、一種の予防戦争だったという見方です。興味深いことに、ロシアでは反スターリンのリベラルな研究者がスターリン責任論の中心となっています。

 スターリンが世界共産化の一環として対独戦を準備していたことを一九八五年に公刊された『スターリンの戦争』で最初に本格的に論じたのは、オーストリアの著名な哲学者エルンスト・トーピッチュです。最近の文書公開で、彼の主張の妥当性はますます増しています。ちなみに彼は極右でもなんでもなく、カール・ポパーとも親しく、西尾先生に近い古典的自由主義者です。

 西尾 スターリンが先にドイツを叩くつもりでいた。

 福井 ドイツだけではありません。一九三七年、ソ連で『東方にて』という本が刊行されています。同じ年に改造社から『極東:日ソ未来戦記』と題して日本語訳も出ました。日本とソ連が戦争して、ソ連空軍が東京を空爆し、日本に革命が起こるという小説です。

 西尾 よく当時の日本でそんな本が出版できましたね。

 福井 さすがに和訳は検閲でかなりカットされています。作者はピョートル・パヴレンコ。『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品に、『アレクサンドル・ネフスキー』という反独プロパガンダ映画がありますが、その脚本を書いた人物です。スターリンお気に入りの作家でした。つまり、スターリンは反日独プロパガンダ、戦意高揚を同時に行っていたわけです。

 西尾 日本はきっと警戒してこの本を翻訳したんだね。スターリンが世界制覇の意志を持っていて、虎視眈々とドイツと日本を攻める計画をしていた。それに対して先手を打ったのが日独防共協定だった。

 この日独防共協定に対してはイギリスが冷淡な対応をして、日本の外務省も非常に不満を持っていました。ちょうどそのころスペインに内戦があって、ドイツとイタリアがソ連と激しい対立関係に陥ります。そこで英ソが接近したのではないでしょうか。

 福井 英国支配層にはチャーチルのような伝統的な反独派だけでなく、エドワード八世(ウィンザー公)や第一次大戦時の首相ロイド・ジョージなど対独協調派も多く、勢力が均衡していました。最後はチャーチル側が勝ったわけですが、ウィンザー公の退位(一九三六年)もそれに関係しているのかもしれません。ウィンザー公はヒトラーファンで有名でしたから。ただイギリスは、安全保障上の理由などと称して、そのころの重要文書をほとんど公開していません。

『正論』1月号より

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)

(つづく)

「「アメリカ観の新しい展開」(八)」への6件のフィードバック

  1. 福井氏との対談、刺激的で面白く勉強になります。

    ところで、元中国大使の宮本雄二氏の論点(読売新聞H25.8.13朝刊9面掲載)に代表される、「今は沈黙すべき」論が気になっています。

    宮本氏の歴史認識問題の外交問題化回避をとの論説は、明解で説得性のある穏当なものとは思います。指摘されているように、外務省をはじめ安倍総理の基本政策の哲学と推察いたしました。その論点を要約させて頂くならば、敗者の歴史物語を国際環境が整わない中で主張しても外交的勝ち目はなく得策ではないこと、当面為すべきはユダヤ人が成し遂げたように数百年後の復権を期して正しい歴史を多言語で書き残すべく人材と資源を使うべきこと、の2点かと思います。

    さて、私も同様に考えて自重我慢と気を鎮めておりましたが、ただでさえ勝者史観で教育が進み、その史観に沿った多くの著作物や論説などが出版放送されている中では、数百年後の復権などありえるのかと危惧が募っています。まして、かつてのユダヤ人は政府を持たず、村山談話や河野談話などの勝者史観を前提とする公式発表も持たず、ユダヤ人はある意味で自由に子弟に物語を伝承できましたが、村山談話や河野談話などに加え近隣条項などもある日本は、正しい歴史を多言語で書き残すべく人材と資源を使うことができるのだろうかと疑問です。情報が即座に伝わる現代では、このような縛りの中で政府あるいは影の機関がそのようなことに人材と資源を使えば即座に外交問題になり、二枚舌を批判され結局その試みは頓挫すると思われます。

    講和条約あるいは類似の友好条約締結後は過去の争いを清算して、すなわち相互の物語は不問とし、恩讐を超えて未来志向で友好を深めることを誓い合ったはずです。それにもかかわらずこちらの譲歩謝罪を無視して何遍も蒸し返して外交問題にしてくるのは、ルール(国際法)違反です。下手な譲歩が付け込まれ仇になったように感じますが、政府が外交が毅然と主張しない限り、自主歴史教育を封ぜられ、日本の物語は消滅し復活することはないと思われます。その執拗さを中国や韓国の内政の一時的なものとする説もありますが、どうもそんな生易しいものではなく千年以上変わらない国柄と思った方がよく、日本の譲れない線をこちらも執拗に明確にして先方のルール違反を指摘し、相互に不毛な応酬を止めて未来志向の外交に進むようにすべきですし、その方がかえって双方の真の利益でしょう。安易な譲歩が傷口を広げています。

    たしかに、現在の錯綜した東アジア情勢の中で、日本の物語を主張すれば相当苦しい複雑な外交を強いられるでしょうが、戦後約70年の日本の平和実績・国際貢献と、明らかになってきた歴史論拠があるなかで、敗戦間もない頃と異なり、帝国主義時代と異なり、勝たなくとも負けない外交ができないとするのは智恵が無さ過ぎるように思います。あの満州事変に至る米国支援の中国の激しい不法な反日暴動を大人の対応で静観し、結局不満屈辱を晴らせない国民と軍部をより大きな破局に向かわせた幣原外交の二の舞は避けて欲しいと思います。この問題に意欲と実力がありそうな安倍総理在任の機会を逃せば、永遠に日本の物語は消えて日本は取り戻せなくなるのではないでしょうか。

    なお、日本の、敗者の歴史物語の内容自体については、昭和天皇の宣戦詔勅などが骨格となると思いますが、戦後70年近い時間の中で多くの真実が明らかにされその真相が姿を現してもいます。往時をありのままに知る日本人は勝者の物語を疑い納得していませんでしたし、だからこそ多くの政治家の舌禍騒動が起きてきたのですが、今後の指導層が自立の旗織を鮮明にしないと、幸か不幸かそれも絶え果てていくと思われます。

  2. 失礼ながら参論させて頂きます。
    卑見ながら、繰り返すも覇権という概念からしてが、永遠の正義の概念と相容れないのだと思います。

  3. スミスの道徳論は観察者の「同感」による相互規制論だが、ある突出した人間や集団(国家等)にはそれが効かなくなると言う。また、『国富論』では米国人の気質は野心家(成上がり者)だと捉えている。確かに、当初から米国政治には民主政治、三権分立、政教分離など、独裁への歯止めはあるが、国民世論総体としての「野心」への歯止めが効かなければ、多々行き過ぎが生ずることは避けがたい。西尾氏が度々強調する米国の「はた迷惑」は、そういうところから生ずるものであろう。しかし同様の条件に置かれれば、どの民族でも同様の傾向に陥るはずで、従って、それはかなり組織的・一般的な傾向性であって、余りその個別的・特殊的条件の罪悪性を強調し過ぎるべきではあるまい。総じて、米国がスミス視点を都合よくつまみ食いするだけで、総体的に生かしきれなかったことが今日の事態を招いている。

  4. 『国富論』は米国独立宣言の4ヶ月前に出版されたが、その3年前の独立戦争勃発により出版を遅らせてそれの分析を加えてきた。その結論は英米合邦論であったが、双方ともそれを受け入れる情勢ではなかったため、止む無く植民地分離(独立)論を提唱した。その後のスミス論では、後者の進歩的観点から、合邦論の帝国的観点が批判されてきた。だが、西尾氏の分析から示唆されうることは、スミスが米国指導者たちの野心家的体質に招来を委ねることを危惧して、当分(半~1世紀間)は彼らが英国の議会で揉まれ、人口逆転で首都が米国に移るまでに、彼らの野心家的体質の改善を図ろうとした目論見もあったのではないか、ということだ。またそこには、英国側の重商主義的体質の改善にも資する目論見もあっただろう。それらはスミスの道徳論とも整合するが、実現しなかった。なお、スミスの祖国スコットランドは1707年にイングランドと合邦していた。

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