―国際標準と「偏狭ならざるナショナリズム」 河内隆彌
いまアメリカでウォールストリートは、右の方からのティーパーティ運動、左の方からOWS(オキュパイ・ウォールストリート)運動など左右から挟撃されている。極右とされるロン・ポールと極左とされるラルフ・ネーダーが反ウォールストリートでは共闘関係を組んだ。実はウォールストリートに対する抵抗運動?糾弾運動?は古くからある。その辺左翼であり、日本に関しては東京裁判史観から一歩も出ていない本ではあるが、映画監督、オリバーストーンの「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」に詳しい。しかしかれら左翼の批判は当然のことだがグローバリズムそのものの批判ではない。
大変乱暴な結論だが、小生は、リンドバーグほかの当時の孤立主義者たちは、国民国家としてのアメリカの最後の愛国者たちだったのではないだろうか?かれらが負けたときに、アメリカは「モンロー宣言のアメリカ」であることをやめて、「グローバリズムのアメリカ」になったのではないだろうか?それを批判するリベラル左翼も、「建国の父」たちの自由・平等を謳いながら、アメリカン・ナショナリストとして批判するわけではなく、もう一つの普遍主義、ないし理想主義に基礎をおくグローバリズムから批判しているようだ。西尾氏は、「憂国のリアリズム」のなかで、「アメリカはいつからアメリカでなくなったのか?」と疑問を書いておられるが、この辺が一つの解答になり得るかもしれない。
これから先の対立軸は、勝ち組、負け組(支配、被支配)の関係になるのではないか?1%対99%の世の中が修正に向かうことはあまり考えられない。遺伝子組み換え農産物で世界を席捲しようとする農産複合体、無人機などで挽回を図る軍産複合体、刑事逮捕率を上昇させて刑務所の安価労働で儲けようとする刑産複合体、公立学校を潰して教育産業で稼ごうとする教産複合体などなどビッグビジネス、コーポラティズムの脅威は、岩波新書の(やはり左翼陣営と思われる)堤未果「㈱貧困大国アメリカ」に詳しい。
だれが損をして、だれが得をするのか、よく考える必要がある。
ここへきて、アメリカの財政問題、どう収束されるのか、相変わらずわからない。債務上限引き上げが一時的に成功して、デフォルトが当面避けられたとしても、それは先延ばしにすぎず、すぐ同じ問題に逢着するはずである。何か起りそうな予感がありながら、とりあえずの安泰にその日暮らしをしているのが現代人の姿ではないだろうか?
日本でも、TPP、原発、消費税、女系天皇、などなどのマルチ・イシューの時代となっている。単純に保守かリベラルの軸足では割り切れない。この前、最高裁で驚くべき判事の14名全員一致で、婚外子の相続2分の1が違憲とされた。国際標準にしたがう、というのが大義名分だった。気づかないうちに表面上のキレイごとがまかり通ってしまう。われわれも、本来キレイごとには弱い一面があるわけだが、本当の仕掛け人がどこにいるのか、充分見定める必要がある。保守かリベラルかの軸足とは別の次元で、グローバリストかアンチ・グローバリストかという基準もありそうである。
アンチ・グローバリストとはナショナリストにほかならないが、いまナショナリストという言葉には、必ず「偏狭な」という形容詞がつけられる。しかしそうではない。意味するところは、単なる「日本の」愛国者ではない。各々の国民が、それぞれ自国を愛することは大いに奨励するものである。相互のナショナリズムは尊重する。そのような考え方が国際社会を作って欲しい、国際標準になって欲しい。いわば「孤立主義」、「不介入主義」の立場のすすめである。
(了)
河内隆彌氏の「グローバリズムとナショナリズムが今後の基本的な二項対立」との見解、我が意を得たりです。
特に氏の最後の結言「おのおのの国民が、それぞれ自国を愛することは大いに奨励するものである。相互のナショナリズムは尊重する。そのような考え方が国際社会を作って欲しい、国際標準になって欲しい。いわば「孤立主義」、「不介入主義」の立場のすすめである。」は、全く同感でその道を追求すべきと思います。 以前コメントさせて頂いた『息子達へ H25.7.4父』での第2節は、同様の観点かと思い恐縮ですが後尾に再掲させて頂きました。
なお、相互尊重ナショナリズムへの道の一つは、グローバリズムの三つのベクトル?のうちの、特に理想主義リベラル・グローバリズムを担う、人口も多くメディアの成員も多く含まれる“B層”の転向を促すのが大事ではと思います。
グローバリズムB層として、私は幼なじみ(理想家肌の純真な教員で、長年熱心に共産党を支持)や、国境に無頓着な理工系の学会で付き合う真面目なグローバリスト、コスモポタリストが目に浮かびます。 共に善人ヒューマニストでグローバリズム、コスモポタリズムの理想面を信じていて、その気持ちはよく想像できます。
そのような彼らを目に浮かべつつ、彼らをナショナリズムに転向させる必要条件は、グローバリズム、コスモポタリズムの欠陥、陥穽、誤謬と、対する相互尊重ナショナリズムの可能性、長所を、心底納得させることかと思います。 20世紀初頭の共産主義思想の拡大を止めることができなかった大きな原因の一つは、共産主義思想の欠陥、陥穽、誤謬を明確に論証できなかったことと、共産主義に対応する適正資本主義?相互尊重ナショナリズムの可能性、長所を論証できなかったからではと思うのですが、それと同じではないかと思います。 B層の転向を促すための分かり易い明確な論証と解説が欲しいのですが・・・・ 人類は、多くの人々は、ソ連の崩壊まで、共産主義の実験と失敗を経ないとその欠陥、陥穽、誤謬が分からなかったように、グローバリズム、コスモポタリズムの壮大な実験と失敗を経ないと、相互尊重ナショナリズムに辿り着けないのでしょうか?
以下は、私の『息子達へ H25.7.4父』からの抜粋です。
「 2.コスモポリタニズム、グローバリズムそしてナショナリズム
日本の伝統、歴史観などの日本のHULAを主張しようとすると、海外ジャーナリズム、旧戦勝国、反日日本人とそれが支配するメディアなどは日本の偏狭なナショナリズムの復活と非難する。確かにナショナリズムは偏狭な排外主義、国粋主義に陥り易い側面もあり、その極端な例がナチズムのドイツであろう。しかしユダヤ人哲学者アーネスト・ゲルナーが明らかにしたように、ナショナリズムは民族の自立と国民主権・平等を求める政治的原理であり明らかに国家に必要でもあり悪ではない。国民が共有するHULAを排外的にならずに保守発展させようとするのは当然悪とはいえない。要は共存共栄をめざす健全なナショナリズムは問題ないということだ。個人でいえば健全なアイデンティティーを持たない人間が社会生活を全うできないのと同じで、ナショナリズムのない国は国際社会での存立は困難ということだ。
一方で、確かに人類皆兄弟で、世界中の国境を無くし全人類が仲良く暮らせたらどんなに良いだろう。― アフリカ以外の現人類約60億人は、5~10万年前にアフリカを出た100人未満のアフリカ人集団の子孫だというではないか。― そのような素朴な感情が基底になって、リベラルなコスモポリタニズム、グローバリズム、世界政府思想、世界共産主義運動などの理想主義的思想潮流がある。 そして米国は旧世界を脱出した人々が建設した新世界=他民族移民人工国家であり、前世紀での世界覇権取得もあって米国化=グローバリズムとして、自己を正統視する意識が強く、日本のような自然発生単一民族伝統保守国のナショナリズムを敵視とは言わないが理解をしようとはしない。いずれ吸収されるインデアンやハワイアンのような存在とみている。しかし、様々なHULAを持つ人々の集団である米国社会や多くの他民族国家・連邦の統合の困難さの実相をみると、その完成には数千年以上掛かると思われ、その中で多くのHULAが失われるであろうことは想像に難くない。つまり、反抗と騒乱と内乱が絶えず、理想の実現は多分困難ということだ。そしてその世界はモノトーンであろう。
ナショナリストの現実的理想は、世界政府などを作らずに、HULAごとに国がまとまり、それらの国々が共存共栄し、かつ、それぞれのHULAが切磋琢磨してより高度のそれぞれのHULAを築き上げていく、それが多彩で安定し満ち足りた高級な世界をもたらすのではないだろうか。またその方が、理想に近い世界の実現は、早く確実なのではないか。」
この程度では、息子達はあまり納得していない様子です・・・
思うに最高裁の判決は多分民主党の政権担当時に任命された連中が下した判決でしょう。左翼が思想的に破産した後性差解消ジェンダーフリーに逃げ込みました。民主党崩壊後の意趣返しでしょう。こういう問題に国際標準をもちだし日本の根幹にある淳風美俗を壊しにかかっているようですね。かくなる判決が出た以上現憲法の改正の動きを早めるべきです。9条の問題よりも日本の根幹にかかわることです。
補足として左翼全体主義者は社会という美名にかこつけて家庭という単位をなくすことに使命感を持っているようです。
米国は本音と建前が微妙に交錯する国であることをうまく表現された文章であると感じました。慰安婦問題でも、米国は日本軍の慰安婦制度を非難しながら、米軍が朝鮮やベトナムで慰安婦を日常的に利用していたことを決して公に認めようとしません。ズルいといえばズルいし、WASPエスタブリッシュメントの面目躍如と言おうと言えば言えないこともない、たしかにこういう政治家たちが河野洋平などのかわりに当時の日本にいたら慰安婦騒動で日本が恥辱を受けることもなかったでしょう。
もう一点はグローバリズムで、グローバリズムとどう対するかという視点を提供してくれている分析と感じました。グローバリズムとどう闘うかは多くの日本人が考えていますが、ではグローバリズムは何かというとなかなかつかめない状況であると思います。グローバリストにもピンからキリがいて、たとえば(半分冗談でしょうが)日本語を廃止して英語を公用語にすべきという自称グローバリストもいてイメージがつかめません。アメリカナイズと理解する人もいます。国内ではナショナリストは保守派という言葉に置き換えられていますが、保守派という言葉を嫌う人もいます。ただ言えるのは、ナショナリストであれ保守派であれ、国際的視野が弱い人間は国民の賛同は得られないということです。現在のネットを見ても左翼やリベラルを上回る国際的視野を持てない言論人はすぐ淘汰されます。
日本はもともと外国のすぐれた点をとりいれるのがうまい国でしたが、経済問題などは一筋縄でいかないですね。河内様のあげたイシューのなかではやはり法律というか憲法が一番の難題で国民の意見の隔たりやばらつきがもっとも大きい問題ですね。この婚外子問題もネットで侃々諤々の議論が繰り広げられていますが、私はピンとこなかったクチです。今まで婚外子の相続が実子の半分だったのが同額となる、それが家庭の崩壊につながるという実感がもてませんでした。こういう法律的な制約により家庭が守られるのか、もっと別の要因たとえば法的な強制ではなく啓蒙的活動により自発的に家庭は守られるべきではないかと思いましたが、あまり確信は持てません。憲法では小林節氏などの見解、憲法は国家を縛るもの、政教分離などは国際基準で、外国人参政権は否定を一応支持しています。(この程度の知識量で投稿するのもおこがましいとは感じますが・・)。専門家や西尾先生、ご友人のような慧眼そなえた国民間でこれらイシューについて今後も活発な議論がなされたら日本の国益につながると思いました。
コメント欄の楽秋庵の庵主さん、わたしも同じ人たちを説得してきました。わたしもまた、そこに突破口を感じるからです。
楽秋庵さん、「この程度では」じゃないんです。
逆なんです。そんなに書いちゃ、駄目なんです。
そんなに小難しい概念言葉を、そんなに大量に書いちゃダメなんです。
警戒させずに近づいて、いきなり目の前でパチンと手を叩いて、ハッと目を覚まさせる、そんな言葉がいるんです。
出来るだけ短く、出来るだけ単純な、出来るだけ明白な、
そんな言葉です。概念の理解ではなくイメージの理解、一般化を精緻にするのではなく、有無を言わせぬ最適な具体例をひとつ探す。これがキモです。
「明らかにおかしな行動をとっているのに、本人はまったく気づいてない」--いま起きているのは、そういうことです。
かつて上九一色村に籠もっていたオウム真理教の出家信者をハッとさせた言葉は、精緻に理論武装した仏教用語ではなかったはずです。
追記:
『明らかにおかしな行動』と書きましたのは、同じ人がひとつの問題をふたつの規範で語り、それを【おかしいと気づいていない】ということです。
産経新聞東京特派員11月12日の記事で湯浅博氏の記事でかねがね慧眼の氏という思いを持ていたのでINで彼の経歴を検索をしましたが解りませんでした。どなたか教えていただきたいと思います。多分同じ時間を共有し私は浅はかにも彼と反対の立場でした。しかしこれはおかしいと疑問を持ちそれから脱するには三島の自刃の檄文を何度も読み返しする作業が必要でした。あの暴風にもにた時を共有しそれに毒されなかった彼に改めて敬意を表したいと思います。多分駿河台の中庭は私の母校だと思います。蛇足ですが三島の小説や雑文は今でも嫌いで受け付けません。
眠れぬ夜の弁解ですが湯浅氏の紹介した河合栄次郎先生の弟子の木村健康先生のゼミに12歳上の兄がいてその著作を解らないながらも少年期に読みその下地のもとにハンガリー動乱をみて崩壊せし旧ソ連はおかしーと思いつつ新左翼運動にに引きずり込まれました。私は彼湯浅氏と同じ思いを共有し逆の立場から、自由と平等を主張し嘲られつずけた経験を持っています。全共闘のリーダーは実に今の時代に適応し快適なる生活をしています。今でもあの時代の思想との出会いをテーマに自問自答している自分はなんだろうと思います。はっきり言いますが裏には北京がいました。その確信をもったのは尖閣列島に石油の可能性を指摘された途端に中核派のろんきゃかくがその機関誌の前進に手のひらを返したように反帝反スターリン語っていた彼らが反中国的策謀にだんこ反対し尖閣は中国のものだと言い出しました。要するに北京のお墨付きをもらうための各派は先陣争いをしているのだわかりました。
NHKが歌わせなかった!島倉千代子「東京だョおっ母さん」(昭和32年)150万枚の大ヒットの紅白妨害! ⇒ 日曜の午後、NHKは追悼番組を放送するが、果たして2番は流すか?
「東京だョおっ母さん」が発表されたのは、連合国軍総司令部(GHQ)による占領が終わってからわずか5年。GHQは、治安維持と「戦争罪悪感」を日本人に植え付けるため、占領直後から民間情報教育局(CIE)と民間検閲局(CCD)を車の両輪として新聞、ラジオ、雑誌の検閲はいうに及ばず、電話の盗聴、手紙の開封を大々的に実施した。GHQによる「洗脳工作」は、江藤淳氏が昭和の末期に「閉ざされた言語空間」を発表するまでタブー視され続けてきたが、今夏出版された山本武利氏の「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」(岩波現代全書)でより詳しく工作の一端が明かされている。ことに占領初期のラジオ放送は、GHQが定めた「ラジオ・コード」に従って一言一句にわたって厳しい検閲をした!http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/131116/ent13111606530000-n2.htm